アンチ整形の人たちについて思うこと

2012/06/05 15:52 登録: えっちな名無しさん

念のためはじめに言っておきますが、整形経験者ではないですし、整形を考えたこともありません。
しかしアンチ整形の人たちがあまりにも感情的なので、この人たちは変だと感じ(マジョリティが必ずしも全うな考えを持っているとは限りませんよね)、思ったことをまとめてみました。


◆「子供は不細工になる!」

■こう主張する人は、自分の子供がもし不細工だったら愛せないのでしょうか。
「子供が不細工になるから、整形による美形と結婚しても無意味」と考えるということは、
子供をより美形にするために美形と結婚したがっていると捉えることができます。
では、子供がもし不細工に生まれてしまったら、愛することができないのでしょうか?
普通同士や美形同士のカップルからも、不細工な子供が生まれた例はありますよ。

■こう主張する人は、不細工に生まれるということをリカバー不可能な不幸と捉えているのでしょうか。
「子供を不細工な姿で生み出したくない」と強く願うということは、
不細工に生まれることによるデメリットを非常に大きなものと捉えているからそう願うのだと考えられます。
子供が収入、人望、勤勉さなどの後天的な部分で頑張っても、不細工であれば無駄と考えてしまうからこそ、
「子供を不細工にする可能性がある遺伝子」を徹底的に回避するのだと思われます。


◆「病気でもないのにメスを入れるのは悪だ!」

■病気と不細工の境目って何なのでしょうか。
たとえば生まれつき顔に大きな痣がある人が、これを除去しようとしたとします。これは治療行為と捉えられますよね。
しかし眼瞼下垂による視界の狭さ、目つきの悪さなどに悩んでいる人が、まぶたの形を変えようとしたとします。
これは、美容整形だ、病気でもないのにメスを入れたのだ、と叩かれるのです。

■なぜ「人の勝手」と思わず、積極的に断罪したがるのでしょうか。
お金を使うのは整形する本人です。痛い思いをするのも本人ですし、失敗のリスクを負うのも本人です。
誰が整形しようが、勝手にすればいいのではないですか?実害は無いのですし。
それなのにアンチ整形の人々は、人の人生に干渉したがります。
整形する人がいることで、何か損でもするのでしょうか?


◆「騙されたような気がする!」

■整形を受けた人が堂々としていても、それはそれで不愉快なのではないですか?
韓国の芸能人のように整形の事実を開き直って公表している人・・・嘘つきではありませんが、それでも非難や侮蔑を受けますよね。
整形したことを公表しようが、隠し通そうが、どちらにしろ不愉快なのではないですか?

■許せる"盛り"方と、許せない"盛り"方の境目は何なのでしょうか。
整形に成功すると、生まれつきの自分の容姿よりも良い状態の自分を人に見せることができます。
化粧も同じ、髪型も同じ、ファッションも同じです。容姿を"盛る"ことができますよね。
"盛る"ことを一切しない人々は、変わり者としてコミュニティからつまはじきにされることもあるほどです。
化粧・髪型・ファッションで"盛る"人がそこそこ容認されて、整形が別枠で叩かれるのは何故なのでしょうか。


◆「不細工は不健康のサイン!隠蔽するのは異性に対する詐欺行為だ!」

確かに、遺伝子的に問題が無い人間ほど美形(平均的な顔)に生まれ、遺伝子的に問題がある人間ほど不細工(平均から逸脱した顔)に生まれる傾向はあると聞きます。
そう考えると、美容整形は「差別を免れるため、持病を隠蔽する行為」に近しいと捉えられます。
これは罪なのでしょうか。「差別を受けないために、うつの病歴を隠して就職すること」も、似たようなことなのではないでしょうか。


◆要するに、敗者復活を全否定したいだけなのでは?

アンチ整形の人々の感情的な物言いを見ていると、不細工に生まれるという生まれつきの不運を、お金を貯めてリカバーすることへの強い憎しみを感じます。
「不細工に生まれたら、一生不細工として蔑まれながら生きていろ」ということです。
資本主義の否定とも感じますし、「お金」や「医療技術の進歩」への嫌悪とも受け取れます。
保守的過ぎやしませんでしょうか。生まれつきの容姿への強いこだわりは、現代の身分制度のように見えますよ。

出典:アンチ整形の人たちについて思うこと
リンク:http://anond.hatelabo.jp/20120604214839

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