美人処女は「価値のあるボク」を確かめるための勲章

2012/07/03 14:49 登録: えっちな名無しさん

「モテたい」「モテない」という男達の声によくよく耳を傾けると、
彼らの願望が、単に恋人が欲しいとかセックスがしたいというわけではなく、
「美人の恋人が欲しい」「処女とセックスがしたい」といった具合に、
あれこれ条件付きのニュアンスを帯びていることに気付く筈である。
彼らが求めているものは、単なる恋人、単なる性行為とは異なった
何かのようにみえる。どういうことなのか。
 
女性は「価値のあるボク」を確かめるための勲章
 
つまり、こういうことらしい。
「価値のあるボク」を確かめるための勲章として、女性を求めている、と。
 
「価値のあるボク」なんだから、当然、それにみあった女性でなければ釣り合いがとれない。
それどころか、不美人で非処女の女性などと付き合ってしまったら
「価値のあんまり無いボク」が証明されてしまうかもしれない。
それはまずい。だから、「価値のあるボク」を実感させてくれるような美女や、
処女性の捧げものを求めてやまない。
「価値のあるボク」を証明してくれない女性になど興味はない、というわけだ。
 
女性に対してやたらと高い要求水準を抱いている男性や、
女性の“カタログデータ”に拘る男性の多くは、
自分自身が「価値のあるボク」を証明したがっていることに気付いていない。
代わりに、“純愛主義”だの“本当の恋がしたい”だのといった表面的名目が、
真実の隠蔽に利用される。
そして「価値のあるボク」に相応しい女性と恋仲になるまでは、
むしろ独り身でいようとする。
“たいしたことのない女”と手を繋いで歩くよりは、
むしろ可能性の未知な独り身でいたほうが、
「実はたいして価値のないボク」という事実に直面しなくて済むのだから。
 
では、美人の処女とでも交際するようになって「価値のあるボク」を証明できたなら、
彼らは気が済んで「充たされたボク」になるだろうか?
 
残念ながら、たぶんそうはならない。
 
こういう時によく引き合いに出されるのが、プレイボーイとして有名なドン・ファンである。
ドン・ファンは死に至るまで美女や高貴な女性を追い求め続けたわけだが、
逆に言えば、死ぬまで充たされなかったということでもある。
ドン・ファンの女性遍歴は表面的には華麗にみえるけれども、
「価値のあるボク」を証明しても証明してもきりのない、かわいそうな男性だった。
 
ドン・ファン型のプレイボーイはもちろん現代社会にも存在し、
彼らの場合も、いつまでたっても一人の女性に落ち着かない。
どうやら、女性を勲章代わりにした「価値のあるボク」の証明はあまり長続きしないらしく、
「価値のあるボク」を証明する作業に終わりはないようだ。
どんなに立派な女性に出会ったとしても、
パートナーを幸福にすることもできなければ自分自身が充たされるということも無い。
 
このドン・ファン型の男性と前述の「モテたい」「モテない」系の男性は、
正反対のようにみえるけれども、両者はコインの裏表のようなもので、
背景にあるメンタリティは共通している。
つまり「価値のあるボク」を確かめたいという渇望であり、裏返せば、
価値の高そうな女性で埋め合わせせずにはいられない自己評価の低さである。
 
かつて、自己評価の低さを異性で補填せずにはいられないメンタリティは、
ドン・ファン型をテンプレートとして紹介されることが多かった。
けれども今現在、「モテたい」「モテない」系の男性のほうが
数のうえでは主流になっているように私にはみえる。
こういう男性達は、美人と結婚しようが処女とセックスしようが、
おそらく、根本的には低い自己評価を塗り替えることが出来ないだろうし、
何かのはずみでモテたとしても、せいぜいドン・ファンのような渇望のループに陥るだけだ。
 
「価値のあるボク」を確認するために女性を求めている男性は、心したほうがいい。
そっちの道は、執着無間地獄に至る道だ。
モテたところで自己評価の低さは変わらないし、渇きもいやせない。
自己評価の低さは、美人や処女で代替できるものではない。
もっと地に足のついたやり方のほうが、救いがあるだろう。
 
なお、タイトルは男性になっているけれども、これは女性にもしばしば当てはまる。
「モテたい」「モテない」系やドン・ファン系に相当する女性も、それなりの頻度で見かける。
「価値のあるアタシ」を確かめるために男性を求める女性達も、自己評価が低く、喉は渇きにみちている。

出典:「価値のあるボク」を確認するために女性を求める男達
リンク:http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100106/p1

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