入院初日、裸でレントゲン撮りました

2012/10/09 21:30 登録: えっちな名無しさん

はじめまして。あつ子といいます。現在37歳、共稼ぎの夫とふたりで暮らしています。結婚してからは12年、いろいろ事情があって子供はいません。
ちょうど10年前、27歳だったときに胃癌で胃を切ったことがあります。
これからそのときのことを書いてみたいと思います。
ただ、それ以前にどういう症状が出て、どのような経過をたどって癌がわかったか、などを?ド?ド書いていますと長くなりすぎてしまいます。そのあたりは省略させていただき、実際病院でどういう検査や処置を受けたのか、に絞って書くことにいたします。

入院から手術まで10日ほどありました。早期だったので、たいした自覚症状もなく、ほとんど自分が「患者」だという意識もなく過ごしていました。周囲のきちんとしたフォローもあって、自分が癌だということに関してはそれほど深刻に悩むこともありませんでした。単にノン?者だというだけかもしれませんが。
その間、いろいろな検査を受けましたが、少々意外だったのは、裸を見られるようなことがほとんどなかったことです。病気が病気だし、多少羞ずかしいことがあっても、そんなこと言ってる場合じゃないのだからと、ある程度は覚悟していたのですが、初日のレントゲンで男性技師に裸を見られた以外は、少なくとも男性の医療ス?ッフにはア?コやお尻はもちろん、胸を見られることさえありませんでした(レントゲン以外では心電図も上半身裸でしたがこれは女性ス?ッフが担当しました)。担当医ですらそうです。初めて外来で行ったときや、入院初日の病室で?ン?ンな診察を受けはしましたが、服をまくってお腹を出しただけでした。毎日ある回診も、問診、あるいは検査や手術の段取りを伝えてくれるだけで、脱がされるようなことは一度もありませんでした。
ただ、初日のレントゲンはけっこうインパ?トがありました。上半身裸になるようにといわれたときは、ちょっと驚きました。わたしはそれまで、学校や会社の健康診断などのレントゲンでは裸になったことなどなかったからです。その病院を紹介してくださった開業医の先生のところでバリウ?飲んだときも、ちゃんと検査衣を着ていましたし。
でもその一方で、どうかするととてつもなく世間知らずの私は、大きな病院のレントゲン室では裸になるのが当り前なのかと思ったりもしました。それよりも何よりも、すでに書いた通り、どんなことがあってもある程度は??ンしなくちゃ、とも思っていたわけですから、これぐらいで驚いてどうするの、と自分に言い聞かせ、素直にパジャ?の上を脱いで裸になりました。

しかいつも健診で受けているのとは違って、このレントゲン撮影は中々念の入ったものでした。
まず普通に胸の写真を1枚撮った後、今度は横向きにされました。両手を高く挙げ頭上のバーにつかまります。胸はまったく隠せず、目の前にいる技師さんにバッチリ見られてしまいます。
それで終りかと思うと、今度はお腹の写真も撮りますとのこと。
胸用の機械の隣に置いてあるお腹用の機械の前に立たされます。お腹をフィル?を入れた板に押し付け、機械の両脇についた手すりにつかまります。ちょうど機械を抱え込むようなかっこうです。もちろん裸のままです。
すると技師さんが、ゴ?のラインが写ることがあるのでちょっと下げますよ、とか言いながら私のパジャ?の??ンをパンツもろとも、?ルッと下げてしまいました。え、そんなに下げるの?と思いつつ、されるがままに立っているしかありません。お尻は半分以上見えていたでしょう。そのかっこうで1枚撮ったら、ここでも横向きです。再びそのままバンザイをさせられます。チラっと下を見たら前の方も黒いものが予想以上に見えてしまっていました。え、こんなに見えちゃってるの?と思うと羞ずかしくてもう視線を下に向けることができなくなりました。さっきのように胸丸出しで、今度はその上お尻とヘアも半分以上技師さんの目にさらしての撮影でした。そのあと、同じかっこうで今度は台の上に仰向けに寝てもう1枚撮り、ようやく終りとなりました。
ちなみに手術後は(あきれるぐらい)頻繁にレントゲン撮影がありましたので、そのたびごとに胸やヘアの一部を技師さんに見られることになりましたが、幸いなことにこの一番羞ずかしかった、横向きで立ってお腹の写真を撮るやり方はこのときの一回だけでした。
<いよいよ手術です>

その後は、尿検査、(数度にわたる)血液検査、内視鏡およびバリウ?を飲んでの胃透視(それぞれ2回ずつ)、呼吸機能検査、CTス?ャン、腹部エコー等々、様々な検査がありましたが、いずれも裸にはなりませんでした。エコーもお腹を出すだけで済みました。それ以前に新聞のル?で「患者への配慮の足りない病院」の例として、たくさんの医学生に見られながら上半身裸でエコーを受けさせられた女子高生の話を読んだことがあったので、エコーやります、と言われたときは、もしかしたらこの病院も裸かな、とも思っていたので内心?ッとしました。
手術前日には病室に麻酔科の女医さんが来て、?ン?ンな診察を受けましたが、胸に聴診器を当てるときにパジャ?の前を開けただけで、ブラは着けたままでした。
この日は剃毛もありました。翌日の朝は浣腸もされました。もちろんこれは看護婦さん(当時はまだ看護師という呼称はありませんでしたので、この呼び方を使わせていただきます)の仕事です。女性同士だから自分の体を見られても何の抵抗も感じないというわけではけっしてないのですが、それは男性に見られるときのような性的羞恥心とはちょっと違った種類の恥ずかしさです。あまり見っともないところは見せたくないな、みたいな。だから、ここではこれ以上踏み込みません(私自身書いていて楽しくないのです)。
ただ、手術前の剃毛というと、すなわちア?コの毛を剃ることだと勘違いなさっている方、(実は私もそうだったのですが)それは大きな間違いです。手術の部位によって剃るべき範囲が決まっていて、その範囲内に陰毛があればついでに剃られてしまうというだけのことです。私の場合は胃の手術ですので乳首の下あたりから恥骨の少し上あたりまででした。ヘアはごく上の部分を剃られただけです。きっと子供のころのようにツルツルにされるのだ、とばかり思っていたので、ちょっと拍子抜けの気もしました。(剃ったら見せろ、と言っていた夫はもっと?ッ?リしていました。でもそれが翌日に手術を控えた癌患者に対する態度でしょうか?まったく・・・)

そしてとうとう手術当日となりました。そのときどんな気持ちだったか(もちろん不安でいっぱいに決まっていますが)は、省略します。あったことだけを?ン?ンに書きます。
まずそれまでの病室から、同じ病棟内にあるリ?バリールー?という手術直後もしくは当日手術を受ける(私のように)患者ばかりを集めた部屋に?ットごと移されました。予備麻酔とかいうのを注射された後、看護婦さんの介添えを受けながら手術衣というものに着替えました。まず上半身だけ裸になって、術衣を頭からすっぽりかぶります。それからパジャ?の??ンとパンツを脱ぎました(術衣は袖なしのワンピースみたいなものですが、両肩両脇についた紐を解くと、前後に取り外しが可能です)。頭にはビニール(たぶん)のナイト?ャップ(?)みたいなのがかぶせられます。それから看護婦さんがふたりがかりで、よっこらしょとばかりに私の体を搬送車(車つきの?ン?みたいなものです)に載せ、いよいよ手術室へ出発です。

手術室では搬送車を手術台のすぐ横につけ、そこで術衣の紐が解かれます。そして体の前面を覆っている部分をそのまま体にかけた状態で、ここでもよっこらしょと手術台の上に移されました。術衣はそこで取られてしまいますが、ほとんど同時に別のシーツが、サッとかけられ、体を隠してもらえました。
次は麻酔です。前日に説明を受けていましたが、まず背骨に局所麻酔の注射をし、脊髄に小さな管を埋め込んで、そこから本格的な麻酔薬を注入するのだそうです。シーツをかけたまま体を横向き(左下)にされました。海老のように体を丸められます。体の前の方は隠れたままですが、背中からお尻の方はもうすっかりむき出しです。角度によってはお尻の穴も丸見えだったでしょう。私としては、もう不安でまったく羞ずかしいどころではない、といえば確かにそうなんですが、「見られてる」「羞ずかしい」という意識もまた確かにありました。
ひそかに怯えていた局所麻酔の注射は幸いなことにそれほど痛くなく、もう痛いことはしませんから、という麻酔科の先生に少し?ッとしました。しばらく背骨の下の辺で何かゴリゴリやってる感触だけがありました。そのうち、では眠くなる薬を入れます、と言う声がして、すぐに何か冷たい液体が背骨から体内に流れ込んで来る感触もハッ?リと覚えています。と、それっきり、私の意識はそこでコトリと途切れます。
<気がつくと全裸で手術台の上に・・・>

誰かにしきりと名前を呼ばれ目が覚めました。一瞬自分がどこにいるのか理解できませんでした。あ、そうだ、手術したんだ、もう終ったのか・・・。ほとんど同時に自分が手術台の上に(シーツも何もかけず)スッ?ン?ンの丸裸で寝かされていることにも気がつきました。え、裸?ヤ?、どうして?なんて思っているのもつかの間、腹部に凄まじい激痛が襲って来ました。あまりの痛さに体が硬直しました。ひょっとしてこれはまだ手術中で、起きてはいけないときに起きてしまったのか、と思ったほどです。やっとのことで、痛い、とか細い声を絞り出して訴えますと、おい、痛いと言ってるよ、という男の人の声が聞こえ、大丈夫今すぐ痛みは消えるから、とも言われました。ほんとうにその後すぐ痛みは嘘のように消えました。後で知ったことですが、手術前に背骨に埋め込んだ管から麻酔薬を注入してくれたのです。あきれるくらい劇的な効き方でした。それから先の術衣なのか、別に用意されていた寝巻なのかは判然としないのですが、とにかく私は再び搬送車に移されつつ裸の体に何かを着せられ、その上にシーツもかけて手術室の外へ運び出されました。自分では2、3時間ってところかなと思っていましたが、6時間が過ぎていたそうです。
夫や実家の母、それに姉たちとの「感動の再会」については、この際どうでもいいでしょう。よく頑張ったね。いえ、私は寝てただけだから・・・。まあ、そんなところです。

病棟のリ?バリールー?に戻されると、搬送車の上に乗ったままの状態で再び何かの処置を受けました。ここでも着ているものは全て剥ぎ取られ全裸での処置でした。どういうことをされていたのかは自分ではまったくわかりませんが。とにかく担当のお医者さん2名(主治医の50年配の先生と、その弟子といったふうの30そこそこの先生)、それにその日病棟で日勤だった看護婦さんたちがほとんど全員動員されて(そのように思えた)、なにやらしきりに忙しく動き回っていました。手術前、あれほど私を裸にしないように気遣ってくれた人たちが、手術が終ると人を平気で素っ裸にするのです。この落差には少々面食らいました。あるいはそのとき私の意識はほとんどないものと見なされていたのかも知れません。病室でいっしょになったオバちゃんたちに聞いても、そういう手術直後のことなんかまったく覚えていないって人がほとんどでしたから。中には翌日の昼過ぎまで寝ていたというおめでたい人もいて、再び麻酔が切れた当日、地獄のような一夜(あの強力な麻酔は翌日になるまで使えないと言われた)を過ごさざるを得なかった私としては羨ましい限りでした。


<手術後の回診では毎日4人のお医者さんに裸を見られ、股に注射もされました>

ともあれ一通りの処置が終ったようで、またもよっこらしょと搬送車から自分の?ットに移されます。?ットの上にはあらかじめ浴衣式の寝巻、T字帯、腹帯(フ??イ)などが拡げた状態で置かれており、その上に裸の私を降ろすと、寝たままの状態でそれらを身に着けさせることが出来るのです。逆に言いますと寝たままの状態で体の前半分をすっかり裸にできるということでもあります。
実際、手術後1週間ばかりのあいだは何かというと裸にされました。まず、一日のうち4回か5回傷口の消毒があります。寝巻の前が開かれ、まだブラをつけさせてもらえないので胸があらわになり、さらに腹帯とT字帯の紐も解かれ体の前側は全てさらけ出されます。尿道には?テーテルが挿入されたままです。その状態で傷口(??オチから縦一文字にざっくりと切り下ろされ、オヘ?のすぐ上のところから、左に逆くの字を描くように切り込まれています)とその周辺4ヶ所か5ヶ所に植えられたドレーン(まるでお腹から葱が生えてるみたいでした!)の周囲を消毒します。それから胸とお腹に聴診器を当てられます。これらは回診のとき以外は看護婦さんがやってくれるのですが、毎日午前10時前後からの回診のときだけは、お医者さんが自分でやります。
私のいた病棟には全部で4人のお医者さんがついていて、それが前述のように?テランと若手がふたりづつ?アになり、夫々患者を担当していました。でも回診のときは基本的に4人がそろって(外来担当の日、手術がある日、それにもちろん各自のお休みの日は別ですが)、日勤の看護婦さんも全部引き連れて賑やかにやって来るのです。手術前は毎日ほとんど素通りするだけだったのに、今は私の裸を見るのがとても楽しそうです。なにしろ他はお婆ちゃんとかオバちゃんの患者ばかりですから!(ええ、どうせ私は自意識過剰ですよ。たぶん意識的に陽気に振舞って患者を元気づけようとしていただけでしょう)
それに加え最初の3日ほどは、そういう裸の状態のまま少し足を開くように言われ、股の付け根、性器のすぐ横のところに注射までされました。まず右側、翌日は左側、そしてその次の日はまた右側という具合に。抗生物質らしいのですが、なぜわざわざこんなところに注射するのだろうか?と、場所が場所だけに微妙な気持ちになりました。(?テーテルを入れていると尿路感染症になりやすいということなので、その関係だったのでしょうか??テーテルを抜いてからは注射もなくなりましたし。でも注射の場所は別にア?コでなくてもよさそうな気もしますが)

?テーテルが抜かれ自分でトイレに行くようになって(歩くこと自体は手術の翌日から強制されていました。その方が回復が早いのだそうです。なお、点滴だけで全然物を食べてていないためで出るのはしばらくの間オシッコだけでした)からも、浴衣とT字帯からは解放されず、胸もヘヤも見られ放題の日はもう何日かつづきました。ドレーンも順次抜かれて行き(抜いた後には?ットバンを貼り付けただけというのには驚きました)、術後1週間ほどたってようやくパンツを履く許可がでました。ついでに浴衣からパジャ?に変えていいかと聞くと、チョット渋い顔でしたが、私はトイレで裾が床について汚れやすくて困るというような理屈をつけてやっとパジャ?の許可ももらいました。でも本当は別の理由があったのです。
前述のように、手術後は頻繁にレントゲンを撮りに行かされました。とにかく体を動かせ、というので、3日目以降は1人で、点滴のス?ンドにつかまりながらやっとの思いでレントゲン室まで歩いて行きました。ところがレントゲン室に行くと浴衣を脱がされてしまいます。その下はT字帯と腹帯だけです。その姿は(鏡で見たわけではありませんが)我ながら何とも惨めというかブザ?というか、耐え難い屈辱のように感じられました。とりあえずT字帯からは解放されても、浴衣のままでは今度はパンツ1枚(腹帯は着けてますが)ということになります。これもイヤです。パジャ?なら??ンを履いていられるので、多少気休めになりました。
パジャ?を着るようになると、今度は自分の勝手な判断でブラも着けました。回診のとき何か言われるかな、と思いましたが、何も言われずに済みました。それからはもうお医者さんたちに私の胸を見せることもなくなりました。とたんに回診がお座なりになったというのは私の気のせいでしょうか?たぶん経過が順調なので、臨戦態勢が解除されただけなのでしょう。
(とりあえずこれで終りです。あと、また機会がありましたら、「男の人に裸を見られることについての私の気持ち」ですとか、入院中に看護婦さんから聞いた「看護婦さんの健康診断の話」などを書いてみたいとも思っております)



出典:恥ずかしかった体験記(女性編)
リンク:http://blog.livedoor.jp/samplems-bakufu/archives/51356038.html

(・∀・): 17 | (・A・): 9

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