日本に原発が導入されたときの状況、発明王「エジソン」の正体とか、ご存知でしたか?

2012/10/20 15:21 登録: えっちな名無しさん

米GE社はエジソンが創った会社だ。別名、発明王。「一つの閃(ひらめ)きと九十九の努力だ」とかよさそうな人のように言われるが、どうして、彼の国と同じで根性が悪い。

彼は何か発明するとすぐ特許を取って似たような研究をしている者を訴訟で潰し利益を独占していった。「一つの閃きと九十九の訴訟」が彼の正体だ。

エジソンは直流電流で電球を灯すと、すぐ直流送電の特許を取った。これで電気が普及すれば大金持ちになれるはずだったが、いや交流送電の方が効率的とジョージ・ウェスティングハウスが主張した。今も続くGE社の商売敵ウェスティングハウス(WH)社の創業者だ。

エジソンは早速WH方式の排除を謀った。交流電気は即死すると言い触らし、いっそのこと電気椅子を作ってみたらと米国の残忍な国民性に訴えた。アイデアはすぐに採用され、妻を手斧で殺したウィリアム・ケムラーが電気椅子処刑の第1号になったが、それはエジソンが期待した以上に惨(むご)たらしいものだった。

GEとWHは原子力発電でも対決した。WHは炉心を巡る一次冷却水から二次冷却水が熱を取り出してタービンを回す加圧水型をつくった。対してGE社製は一次冷却水をタービンに直結させる沸騰水型だった。

構造は単純だが、単純がそのまま安全とはならない。現に米海軍の原子力潜水艦は大方がWHの加圧水型を採用している。

この当時、米国は20年続いた民主党政権が倒れ、共和党のアイゼンハワーが大統領に就任した。

彼は「何もしない大統領」とか「毎週2回ごるふをやった」とか言われた。こういう中傷は民主党を贔屓(ひいき)する米マスコミ界が好んでまき散らしてきた。

しかし事実は逆だ。民主党が殺戮兵器として使ってきた核を平和利用に転換させたのも、全米をつなくフリーウェーを創らせたのも彼だった。彼はまた民主党が続けてきた日本衰亡政策をやめ、世銀に融資させた。

日本はそれで新幹線を走らせ、東名を開通させ、東京五輪まで開催できるようになった。

彼はトルーマンの広島原爆投下に「戦略的にも人道的にも許されない」と反対してきた。しかし原爆は2発も投下された。

彼は自説の核平和利用を日本から始めようと考えた。資源もエネルギーも不足する日本もそれは歓迎だった。

しかし民主党は日本の復活には反対だから下院議員のシドニー・エイツは「それなら広島の爆心地に原子炉を建てさせれば面白い」と提案した。大統領は法案を即座に却下した。

日本はこのとき原発20基を導入した。ただ、その大方が米原潜の積む安全なWH社製加圧水型ではなく、不人気のGE社製沸騰水型だった。第1号炉は東電福島に置かれた。GE社製が多数を占めたのは、電気椅子のときと同じにGEの政治力で、日本側に選択の余地はなかった。

アイクのせっかくの好意はこの一点で少し曇った。

福島に来たGEはエジソンそのままの傲慢さで、日本側に炉心設計図も見せず、材質も秘密、ビス1本の変更も許さなかった。

それで運転したら燃料棒被覆管は破れ、配管は脆性(ぜいせい)破断し、作業員の被曝事故まで起こして何度も炉を停める事態も起きた。

東電と東芝などメーカーの苦闘がここから始まり、GEの杜撰な原子炉はほとんど別物に見えるほどまで改良された。それが東電柏崎に据えた日本製の沸騰水型だ。

稼働中に中越沖地震の直撃を受けたが、原子炉はもちろん無傷、自動運転停止に狂いもなかった。


アイゼンハワーの核平和利用はGEという躓(つまず)きはあったものの着実に日本に根付いていった。その思いを込めて大統領は訪日を計画したが、核アレルギーを煽る朝日新聞と中核、革マルが大騒ぎして実現されなかった。

それから半世紀、米民主党の意に反して日本はほぼエネルギー自立を手にしたが、そこに3.11の大津波が福島を襲った。

米国はGE製が欠陥品と知っている。圧力容器のベントもGE製にはなかった。日本が改良してつけたものだ。大惨事を小惨事に食い止めたのは日本の技術と予見で、責任を感じた米国はだからトモダチ作戦をやった。


しかし日本の不幸は馬鹿な首相だけではなかった。これを奇貨として「日本が嫌いな勢力」がまたぞろ息を吹き返し、核アレルギーを煽っている。新聞もテレビも「国会前に集まろう、脱原発を叫ぼう」とさもいいこと風に呼びかける。

「参加者には中核、革マルの活動家」(産経新聞)もいた。音頭は朝日が取る。アイク訪日阻止の顔ぶれと同じではないか。


その米国でも日本嫌いの民主党政権が戻ってきた。日本が欠陥GEの訴訟を起こさないのを確認した今オバマはそっぽを向いたままだ。代りに自国ではいまや世界一安全な東芝製加圧水型原発の新規建設を決めた。スリーマイル島以来34年ぶりのことだ。

米国はサダム・フセインを潰し、イラクを混乱に落とした。偉そうに中東を仕切ろうなど百年早い。産油国は黙って油を出していればいいという米国のメッセージが聞こえる。オバマ米国も同じ。偉そうにエネルギー自立なんて思うな。日本は縮こまって知恵さえ出していればいいのだと。


明治の日本に感嘆したイザベラ・バードは朝鮮にも行っている。家は掘立小屋。悪臭を放つドブ。女に名はなく、子を産むとおっぱいをむき出しにする風習はニューギニアにだってない。

奴隷制も生きていて、民の4割を占めた。彼らに人権はなく、両班は懲らしめに縛った小作人の足の間に棒を入れて足の骨を折る拷問をやる。汚職は日常化していた。

バードは「内部からの改革は不可能」と匙(さじ)を投げている。


セオドア・ルーズベルトも実態を知って20世紀早々、朝鮮にあった米国公館を閉じた。前代未聞の「国交謝絶」だった。朝鮮が文句を言うと統治能力もない。国じゃあないと答えた。


そんな朝鮮を「日本だけは思いやりをもって接した」と米公使シルが書いている。

福沢諭吉もその一人だ。彼は平仮名を真似た諺文を歴史の中から掘り出し、普及させた。ハングルのことだ。

朝鮮の青年を日本に留学もさせた。しかし彼らは慶応義塾の金庫を壊して金を盗み、遊興(ゆうきょう)にふけった。諭吉は「支那朝鮮に特別の解釈に及ばず」(脱亜論)と失望感を隠さなかったが、平気で恩をあだで返す彼らの習性に多くの日本人は気づかなかった。


米国は日本の占領を予定してカイロ宣言を出した。その中に「強欲と暴力で領土を盗り」とか「朝鮮人を奴隷にして」とか、事実無根の中傷を紛れ込ませた。

米国は奴隷が国の基だ。ハワイやフィリピンは騙しと暴力で取った。それが気恥ずかしくて、日本も米国の同類項に見せようという細工だった。戦勝国になったあとはそんなウソも力ずくで通用させられた。


江沢民は敏で、米国の嘘に乗った。「そうです。日本は残虐でした」と絵空事の南京大虐殺をホントだと言い出した。米国が宣教師ベイツに東京裁判で1万2千人と証言させた虐殺者数を江沢民は一挙に30万人に増やして騒いだ。米国は喜び、アイリス・チャンを応援に出し、支那は3兆円のODAを得た。

朝鮮もそれを見て米国の嘘に乗った。「そうです。日本は朝鮮人女を拉致して性の奴隷にしました」。性の奴隷の数を中大の吉見義明は当たるも八卦で8万人としたが、朝鮮側は江沢民を真似て20万人に膨らませた。

ソウルの日本大使館前には統一教会の日本人信者も加わって慰安婦像が置かれ、米ニュージャージー州パリセイズ市にも「20万人慰安婦」の碑が建てられた。

偽りの碑文に日本人が怒った。米国がこんなウソを放っておくのかとホワイトハウス宛てにもう3万以上の請願が届けられたと新聞にあった。

それにヒラリーが答えた。
「慰安婦(comfort women)ではなく性の奴隷(enforced sex slaves )でしょうが」(朝鮮日報)

米国は自国の都合に合わせて平気で歴史を歪めてきた。日本が残忍な奴隷国家だと言ったのも米国の都合が生んだ嘘だ。それに支那朝鮮が同調した。嘘がホントっぽく見えてくれば米国は大歓迎だ。ヒラリーは自国の嘘をただ追認しただけだ。

米国が公平で正しい国なんていう幻想は早く捨てるがいい。


中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子は仲よし兄弟で、力を合わせて蘇我入鹿を討ち、大化の改新をやり、額田王も仲良く愛した。

兄は奈良から大津に都を移して息子の大友皇子とともに支那文化に没入していくが、弟はそれには納得しなかった。

大海人皇子は兄の崩ずるのを待って挙兵し大津宮に甥を討ち、天武天皇として即位した。彼は奈良に都を戻し、遣唐使を廃して古事記、万葉集を編み、大和言葉を今に残す様々な事業を行った。大友皇子だったら漢語が公用語化され、支那の支配を受け、今の朝鮮みたいに自国語を失って哀号(アイゴー)とか漢字で泣いてくような国になっていたかもしれない。


かくて大友皇子とその最期の地は歴史の中に消え、今は大津市立皇子山中学の校名に名残をとどめる。その中学3年生がいじめで自殺に追い込まれる事件が起きた。

こういう陰湿な事件では日教組と在日差別問題が舞台裏で入り乱れ、舞台中央の野壺からモンスターペアレンツと香山リカが出てきて「いじめる子の心も理解して」とか頓珍漢を言うというのが形になっている。

米国を引き合いに出すのは気が引けるが、あちらでは苛めは端から警察がやる。殴って40万円も取れば立派な恐喝だ。三浦和義もモデルになった刑事ドラマ「Law & Order」では自殺に追い込むと故殺より重い謀殺で処断される。

苛めを犯罪でないというのは馬鹿な精神科医だけだ。

ただ今度の事件にはハングルも絡む。大津の公立中では韓国語が教えられ、修学旅行先も韓国。あちらの先生が来て日本人の罪とかを聞かせて生徒が謝罪する。そんな授業の指導教員が自殺生徒の担任だった。

外国かぶれの大友皇子の怨霊をふと感じさせる異様さだが、だからなおさらこんな授業はさっさとやめ、日本の心を教えれば苛めなどなくなる。





出典:荒んでいく世界
リンク:http://nippon-end.jugem.jp/?eid=3439

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