美貌の才女
2012/11/22 14:41 登録: えっちな名無しさん
知ってる人も多いと思いますが、
蔡文姫(さいぶんき)または蔡えん(さいえん)の波乱な生涯
これが見ようによっては萌える
蔡文姫は三国志の時代、大学者、蔡よう;(さいよう)の娘として生まれました。
幼いころから文学・楽曲の天才でした。
蔡文姫がまだ幼かったころ、父の蔡邕が夜に琴を弾いていたのですが絃が一本切れてしまいました。
それを別室で聞いていた少女・蔡文姫は父に「第二絃が切れましたね」と言ったそうです。
まさか偶然だろうと思った蔡ようは今度はわざと第四絃を切って、蔡文姫にたずねてみたのです。
するとやはり蔡文姫はそれを言い当てたのだといいます。
それから数年後
都は董卓によって牛耳られておりましたが
不思議なことに強欲な董卓は、無私欲な蔡ようをひどく気に入ってしまい
相談役にしていました。
董卓のような悪虐な男に重用されていても、蔡ようの人望が失墜するわけではないはずなのですが、
貂蝉の策で、呂布が董卓が誅殺すると
蔡ようも董卓の部下とみなされ、一緒に殺されてしまいます。
蔡文姫は父の死後、皇帝の教育係りとして、女官長の地位にいましたが、
皇帝の教育どころではなく長安は董卓亡き後有力者が分裂して争いをはじめていたのです。
董卓によって長安にむりやり連れてこられていた後漢皇帝・劉協はまだ年若く、故郷の洛陽が恋しくなり、戻ろうと考えました。
蔡文姫は、混乱する長安から宮廷の人たちを脱出させるのですが、当然追っ手がつきます。
その追っ手からぎりぎり逃げていたのですが、今度は匈奴(異民族)の軍勢がやってきます。
蔡文姫は自分が囮になる隙に皇帝たちを逃がしました。
当然、蔡文姫は匈奴の荒くれ兵に捕縛されてしまいました。
そして、匈奴に無理やり連れて行かれてしまいました。
蔡文姫は、才智も教養もある絶世の美女です。
どうなったか想像すると胸が熱くなりますね。
彼女は、匈奴で子供を二人産んだそうです。
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