後藤新平(震災復興政治家)語録
2013/03/21 07:53 登録: えっちな名無しさん
後藤新平(ごとうしんぺい)
関東大震災から帝都を奇跡的な速さで復興させた政治家。
東日本大震災以降、政治的・思想的評価は日増しに高まっている。
経歴(プロフィール)
1857年〜1929年(安政4年〜昭和4年)都市計画の先駆者。南満州鉄道総裁、外務大臣、東京市長歴任。陸中国胆沢郡塩釜村(現岩手県水沢市)生まれ。1874 年福島県須賀川医学校に入学。1881年愛知県医学校長兼病院長。1890年ドイツに留学。1892年帰国。内務省衛生局長に就任。1898年台湾総督府民政局長、後に民政長官に就任。1906年南満州鉄道初代総裁に就任。1908年逓信大臣に就任。初代の鉄道院総裁を兼務。1916年内務大臣兼鉄道院総裁。1918年外務大臣就任。1920年東京市長就任。1923年内務大臣兼帝都復興院総裁に就任。関東大震災から帝都をいち早く復興させてその名を歴史に残す。71歳で没。
後藤新平(帝都復興、都市計画先駆者)語録
・「今は経営者にしても気宇広大な奴がおらん。この軽井沢あたりも君のような若い者が50年ぐらいの計画で開発したらいい」
注釈:後藤新平がまだ30歳にもみたない青年、堤康次郎(西武グループ創業者)に言った言葉。この後藤のアドバイスで軽井沢の開発をしたことが西武王国を築く土台となった。
・「人は日本の歴史に50ページ書いてもらうより、世界の歴史に1ページ書いてもらうことを心掛けねばなない。」
・金(財産)を残して死ぬのは下。
仕事(業績)を残して死ぬのは中。
人(人材)を残して(育てて)死ぬのが上。」
・妄想するより活動せよ。疑惑するより活動せよ。
・人のお世話にならぬよう、
人のお世話をするように、
そして報いを求めぬよう。
(この言葉は自治三訣と呼ばれ、日本のボーイスカウトの基本理念となっている。
後藤新平はその初代総長。)
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