萌えコピ読者には気違いが多いようだ。
2013/04/09 12:58 登録: 「ィ」ケ、タ、ャ、ハ、ヒ、ォ。ゥ
萌えコピ読者には気違いが多いようだ。
昨日、萌えコピに戦艦大和のお話があったが、戦争を肯定する人たちに問いたい。
戦争により自分達が戦地に赴き、最悪の場合戦死するということに気がついているのか?
日本人は過去の戦争に何も学ばなかったのであろうか?
私は自分自身の幸せを守るため、妻や子供達のために、戦地に赴くことなど出来はしない。
戦争などという下らない国家間の争いのために、自分自身の幸せを提供するのは嫌だ。
それはナンセンスというものだ。
日本は自由の国であり、皆さんが権利を持って生きているように、私自身も様々な権利を持って生きている。その権利を否定する言葉など聞きたくないし、人の権利を踏み潰すような暴力的な言葉など聞く気持ちがない。
私は自分の自由を守るために選挙などにも積極的に参加し、マニュフェストにもキチンと目を通している。
建設業界にいて設計士をしている仕事柄、自民党や民主党の党大会に赴く機会もあり、積極的に政治家の話を聞きもした。
もちろん選挙にも必ず投票をしている。そして自分の思いを込めて政治家を選んでいる。
そして家族の幸せを何より願っている。
しかしこのような私にも絶望的な時代があった。
6年前に次男を交通事故で亡くし、3年前に私自身が心臓の病で倒れたこともあった。
次男を亡くしたときには神を呪い、自分自身の人生に絶望した事もあったが、何年後かに心臓の病気で倒れ、3本の冠動脈のバイパス手術を行った。遺伝による先天的に先細った冠動脈が、仕事の激務による不摂生が原因で3本とも詰まってしまい、仕事最中に心臓の苦しみにより倒れてしまった。
手術後蘇った私が見たものは、ICUの天井と壁一面に並べられたモニター、普通でない数の点滴の機械であった。
そして身体につながれた、数々のチューブやカテーテル
そして駆けつけた妻と子供達・・・皆の心配そうな顔であった。
その時には具体的な思いは特になかったが、口を出た言葉は「皆、ありがとう。」だった。
そう、私は私を望んでくれる人々に生かされている。
生きることを望んでもらえて、大切に思ってもらえているから、今この場に存在できている。
人は皆そうだと、このとき初めて気がついた。
以上の考えで、戦争などをして大切な人々が死んでいくのは、とても愚かしいことだと思える。
戦争を肯定することは、自分自身を粗末にするということである。
我々日本人は戦争をしない民主主義の理想国家を作った。
しかしそれはアメリカ合衆国の理想の民主主義国家プロジェクトなのかもしれない。
只、入れ物を作ったのはアメリカ人かもしれないが、それ自身が今の幸せな日本を作っているという事実がある。大切なのは皆が戦争を避けるために、頭を使い身体を使い、理想を遵守する気持ちを持つことなのだ。
当時、第二次世界大戦が勃発したとき、識者の多くは負け戦と判断していたが、先進国に植民地を否定された日本は、戦争に突入せずにはいられなかった。もちろん植民地政策に乗り遅れたドイツ・イタリアもそのクチだが、あの戦争は負けるべくして負けたのである。
だが、あの頃に比べて、人間社会自体が成熟もしているのだ。もう負ける戦争もおそらくしないでもすむ。ならば一部の頭が足りない人たちが、戦争を肯定することがおかしなことなのだ。
私は学が足りないと言われてる様だが、地方ではあるが国立大学も卒業しているし、何より愚か者に言われても少しも堪えはしない。
以上
出典:萌えコピ読者には気違いが多いようだ。
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