子どもに罰は必要?

2013/05/27 10:58 登録: えっちな名無しさん

 子どもに罰は必要なのでしょうか? まずはじめに、私がフランスの公園で遭遇した事例をご紹介します。

 公園の近くにさしかかったところで、園内で子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきました。あまりに強烈な泣き声だったので、何事かと思って見ると、遊具のある公園の柵の外に、一台のベビーバギーが置かれていました。その上には、ちょっと窮屈そうに4歳くらいと思われる女の子が座らされていました。親は見たところいません。

 少しすると、母親が戻ってきたのですが、何かひとこと伝え、また公園の柵の中へ戻ってしまいました。女の子はバギーの上で泣きわめいているのですが、ベルトをされているので、自由には動けなかったのです。通りかかった人たちも、首をかしげながら、「まったく、ひどいね」という表情あらわ。その女の子が何か悪いことを公園内でしたために、柵の外に連れていかれ、「そこで反省していなさい!」と罰を受けていたのです。

 この女の子が何をしてこのような罰を受けていたのかはわかりません。しかし、どんないたずらにせよ、ここまでの罰則は必要でしょうか?

■罰には表面的な効果しかない

 私は、もともと犯罪心理学が専門なので、罰がもたらすさまざまな影響について、これまで多くの資料に触れてきました。

 結論から言えば、罰は有効な手段ではありません。罰というものは、表面的な効果はあるものの、内面的な効果は期待できないからです。この表面的な効果とは、

・罰を受けた人が悪いことをするのをやめる
・その場はなんとか収まる

 といったもの。確かに、罰を受けた人は行動を阻止される(上の例で言えば、女の子は公園で遊べなくなる)ので、一見すると、事態は収拾したかのように見えます。でも、心の中では、「これはよくないことだから、もうやるのはやめよう」とは思っていません。罰には内面的な変化を起こす力がないからです。

 また、罰は「今は仕方ない。でもいつかやり返してやる」というような反抗心をあおることもわかっています。そのため、のちにさらなる悪循環へと発展していく可能性があります。

 こういう人間の心理は、子育てでも同じように働きます。「お仕置き」や「体罰」といったものは、その場ではその子の行動を止められても、心の底からの反省を促す力はありません。それどころか、親は子どもに思いもよらぬ裏メッセージさえ送ってしまっているのです。

■しつけと罰の違い

 今、子どもの虐待があとをたちません。「しつけのつもりでやった」と言う親の言い分に、毎度のことながら憤りを感じずにいられません。本来、しつけと罰とは、全く別のものだからです。

・しつけとは、社会で必要とされる力をていねいに教えていくこと
・罰とは、力ずくで言うことを聞かせること

 虐待をする親達は、しつけと罰、それぞれが持つ真の意味を混同してしまっているのです。

■しつけと罰は正反対のことを子どもに伝えている

 子どもは、親がやっていることをお手本にして学んでいきます。それが良い見本であっても、悪い見本であっても。

 そして、その子は学んだ行動を他の子どもたちに対して使うようになります。なぜなら、それが、その子が知っている問題解決法だからです。

 つまり、何か問題が発生したときに、 親が子どもをたたく、殴るなど、「力」で問題を解決していると、子どもも何か困ったときは「力」で解決すればいいと学んでいきます。逆に、親がいい見本を示して子どもに問題解決の方法を教えれば、子どもはそれをお手本として真似していくようになります。

 子どもをしかるときに、親は、その場の問題を解決することに目が行きがちになります。いたずらをやめ、言うことを聞けばOK、と。

 でも、本当に大切なのは、その場の解決以上に、それによって子どもが何を学んだか、ということです。親は自分の取った行動が、子どもにどんな裏メッセージを送ったかを気にかけていく必要があるのです。

■遠回りでも、じっくりと時間をかけると子どもの心は動く

 簡単に言うと、

・しつけとは、親がいい見本を示すこと
・罰とは、親が悪い見本を示すこと

 少し時間はかかっても、罰で言うことを聞かせるのではなく、いい見本を示し続けることで、子どもの心は動き始めます。表面的に問題が収まれば良いのではなく、心を動かすことこそが真のしつけです。

 それは、ちょっと遠回りに思える道のりかもしれません。でも、じっくりと我が子に向き合ってあげられるのは親だからこそ。時間はかかっても、のちに、必ずその子の心の成長となって返ってくるでしょう。


出典:All About - 2013年05月27日 09:31
リンク:皆さんはどう思いますか?

(・∀・): 38 | (・A・): 25

TOP