アヒルちゃんが並んだ通知表
2013/08/07 06:54 登録: 誠司と金
少し書きたくなったので書かせてください。
泣ける話じゃないけれど・・
俺、小さい頃から勉強ができなかった。
保育園では保育士さんから親に
「知恵遅れじゃないですか?」といわれたらしい。
小学校ではもちろん点数はよくなく。
通知表はいつも5段階中の2ばかり
国語・算数・理科・体育・家庭科・・・
社会がいつも4か5以外はアヒルちゃんがいつも
並んでいた記憶がある。
だから親に成績通知書を見せるのがいやだった。
でも親はあきらめなかった。
家庭教師をつけたり塾にかよわせたりした。
でも点数はのびなかった。勉強がわからなかった。
中学校にいっても一緒。
英語だめ数学だめ国語だめ理科だめ
社会だけ10段階中の8で、あとは3とか2とかばかりだった。
学年でいつも180人中の130人くらい。
とても普通科にいける点数じゃなかった。
それに、中学1年くらいからいじめられ始めた。
2年生の時はほんとにひどかった。いじめっこにカツアゲされ
毎日授業を受ける気持ちにもならなかった。
まだこの世は不登校やら引きこもりが社会問題になる前。
学校にいかない人間は、即人生終了の烙印を押される時代だった。
親はそれでも諦めなかった。
「がんばれ!おまえならできる!」
と毎日学校に送り出された記憶がある。
家庭教師も引き続きつけれくれ、進学塾にも
入れてくれた。それがいやだったけど・・・
地元の優秀な進学塾にも頼みにいったらしい。
だけど即座に言われたそうだ。
「その点数ではとてもついていくことはできません」
その後も点数は伸びず。高校3年の最終進路決定の三者面談のときに
「○○くんは・・・県立○○工業高校どうでしょうか?}
と先生は言った。
私の地方は県立がトップで、私立は県立に落ちた人が入る
落ちこぼれの吹きだまりといわれていた。
特に県立高校の入試は試験150点+内申150点で、
先生たちはほとんど合格ラインを知っていたらしい。
親は即座に拒否した。「県立高校の普通科以外考えられません。」
ということで、県立高校普通科受験。見事不合格。。
その当時は、県立高校の合格発表がテレビ放送されてて
実名がずらーっと放送されていくから、すぐに俺が
県立高校落ちたこと近所の人たちにばれた。
親にいった「おちちゃったね」
照れ隠しにいったが、親は無言だった。
ただ、隣の部屋に入っていった両親が
号泣している声だけは聞こえた。
その後、私立高校の普通科だったのだが、
なぜか入るときに特別進学コースになっていた。
高校に入ると、地元で評判の英語塾にも入れてくれた。
でも点数は伸びなかった。
高校1年の進路指導の際に、先生は「○○くんは、
専門学校か短大がいいのでは?」といわれた。
親はまた即座に拒否した。「4年生大学じゃないと
意味がありません!」
なぜ、こんなに落ちこぼれな自分をカバーするのか
わからなかった。
そこで、高校2年のときに母親に聞いた。
なぜそこまでして俺を大学にいかせようとするのか?って
「お父さんね・・あなたには言わなかったけど、あなたの
おじいちゃん死んだっていったけど、実は離婚して
お父さんおいていってしまったの。
だから、勉強ができても、すぐに就職しなくてはいけない
から工業高校にしか入ることができなかった。
就職してすぐに夜学の大学に入ったけど・・・
やっぱり昼間の学生たちがすごいうらやましかったって。
だから・・ どうしても○○を普通の大学生にしてあげたい。
自分と同じ轍を踏ませたくないから・・・」
さすがに泣いた。
部屋にこもって泣いた。
2年生から猛勉強した。
そこそこ点数とれるようになった。
国立は無理だったけど、なんとか私立合格した。
大学合格通知きたとき親父は何もいわなったけど、
部屋で号泣してた。
大学では、遊んでばかりだったけど、
親孝行してやりたくて、3年から猛勉強して
地方公務員合格した。それも県職員。
あのとき、合格して帰省したときの両親の
喜んだ顔は忘れられない。
あれからもう十何年
親父が先月他界した。
親父見てるか?
俺親父ほどではないけど、少しは立派になっただろ?
今じゃ入ることもかなわなかった国立大学出の奴らと
肩を並べて仕事できてるんだよ!!
それも全部俺のこと見捨てずに育ててくれた
あんたのおかげだよ・・・ ありがとう!!!
ついこの話を思い出して書いてしまいました。
駄文・乱文・長文すいませんでした。
出典:2ちゃんねる
リンク:2ちゃんねる

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