細山田武史「もう一度、人生を賭けてみる」
2013/11/24 22:18 登録: えっちな名無しさん
細山田武史「もう一度、人生を賭けてみる」
スポルティーバ - 2013年11月24日 17:30
■プロ野球「行く人、来る人」2013
高森勇旗●文 text by Takamori Yuki
今年も多くの選手がトライアウトに参加した。その中には、大学時代に斎藤佑樹とバッテリーを組んでいた細山田武史の姿もあった。「まだやり残したことがある」とトライアウトを受けた細山田。一体、どんな思いでこの日を迎えたのだろうか。かつて横浜ベイスターズでチームメイトだった高森勇旗が、トライアウトの会場に向かった。
細山田武史――ベイスターズファンでなくとも知っている人は多いだろう。珍しい名前ということもあろうが、「斎藤佑樹の恋女房」として活躍していたからだ。2006年の夏、甲子園で「佑ちゃんフィーバー」を巻き起こした斎藤が早稲田大学に進学し、そこで捕手を務めていたのが細山田だった。だが、メディアが取り上げるのは斎藤ばかり。日本一に輝いた時も、斎藤が導いたと言わんばかりの過熱ぶりだった。そんな中、「細山田さんのおかげで勝てました」と口にする斎藤の姿を何度も見てきた。
大学時代の細山田は、2年春に首位打者を獲得し、4季連続ベストナインを獲得するなど、斎藤の恋女房というだけでなく、確かな実力があることを証明。2008年のドラフトで横浜ベイスターズから4位指名を受けた。
2009年、プロ1年目の細山田と3年目の私は、キャンプで同じ部屋になった。年齢では私の方が2歳下だが、プロ野球の先輩として1日の流れや、ミーティングの時間や場所などを教えていた。と同時に、当時、私は捕手だったため、同じポジションのライバルとして競い合う関係だった。
前述したように、私の細山田への印象は、やはり「早稲田大学の佑ちゃんの恋女房」だった。しかし、実際のプレイは非常に泥臭く、配球やリードの研究に関してもどん欲で、1日も早くプロ野球の世界に順応するとうい強い思いが感じ取れた。
細山田は夜、ほとんど部屋にいない。夜間練習が終わり、風呂に入って寝ようかとする頃になってようやく部屋に帰ってくる。「どこに行ってたのですか?」と聞くと、「福沢(洋一)コーチ(当時、一軍バッテリーコーチ)とミーティングしていた」と答えるのが常だった。「お前も含めて、プロで何年も捕手としてプレイしている人と、オレとではすでに差がついている。その差を1日でも早く埋めないと、試合に出られないから」というのが理由だった。
シーズンに入ると、1年目ながら一軍の捕手として88試合に出場し、プロの世界でも十分に戦っていけるところを証明してみせる。
正直な話をすると、細山田はプロ野球選手としては決して身体能力が高いとは言えない。パワー、肩の強さはプロの捕手として決して強い方ではない。課題とされている打撃でも、思うような結果を出せずにいた。それなのになぜ、多くの試合に使われるのか不思議に思う人もいたはずだ。私もそのひとりだった。
ある時、私は細山田とともに二軍の試合に出場したことがあった。私はファーストとしてその試合に出場していたのだが、初めて細山田と同じグラウンドに立った時、その理由がわかった気がした。投手への気配り、配球を含めたリード、野手への的確なポジショニングの指示など、試合をコントロールする技術が抜群に優れていたのだ。
試合後、その試合でショートを守っていた梶谷隆幸と、「細山田さんが一軍で試合に使われる理由がわかったね」と話し合ったことを覚えている。
だが、ここ2年間は二軍の試合でも出場機会に恵まれず、今季出場したのはわずか6試合。しかし、自分がどんな状況であってもいつも変わらずに準備をし、練習に励み、ナイターの日は昼から横須賀(二軍練習場)で打ち込み、トレーニングも欠かさない。やれることはすべてやる。そういう選手だ。
そんな細山田であったが、今年10月に戦力外通告を受ける。トライアウトに参加するということで、私も現地に出向いた。私自身が昨年参加をしていたので、雰囲気や心境は誰よりも理解できる。
トライアウトは、投手は4人のバッターと対戦して交代する。参加する投手は20〜30人いるのに対し、捕手は3〜4人と少ない。もちろん、普段は一緒にプレイをしていないので、この投手がどういうピッチングスタイルで投げてくるのか、どれくらい球が速いのか、そもそも球種すら知らない。そういう投手を何人も受けていかなければならない。急増でサインを決めて、本番に臨む。
私も昨年のトライアウトに捕手として参加したので、この作業の大変さは身にしみて分かる。投手にとっては最後の投球になるかもしれないので、要求するボールはアウトコース低めのストレートと、一番自信のある変化球、ほとんどこのふたつ。正直、投手のことを考えている余裕などなかった。
そんな中、細山田は異色だった。初めて受ける投手の1球目が、大きく外れてボールになると、首を横に振ってミットを指差し、何かを伝えようとしている。まるでシーズン中の試合のように、投手とコミュニケーションをとっているのだ。「ここは力むところじゃない。ミットをめがけて腕を振ってこい」という心の声が、私にも伝わってきた。いいボールが決まれば大きくうなずき、ミットを叩いて「そのボールだ!」と伝える。それだけにとどまらず、守っている野手にもポジショニングの指示を出していた。これには、指示を出された野手も思わず「オレ?」と驚きを隠せないほどだった。投手は次々に変わっていくが、細山田の献身的なリードは最後まで変わることはなかった。
雨が降り出し、後半は場所が室内に変更になった。急造のマウンド、ネットで囲まれたフィールド、守備はつかない。打球の判定はそれぞれの見方にゆだねられる。そんな状況でも、細山田のプレイは変わらない。バッターが内野ゴロを打ったときに、思わず一塁にベースカバーに走ろうとしたときは、さすがに私も笑ってしまった。キャッチャーとしての仕事が、骨の随まで染み付いている証拠だ。
私は、トライアウト終了後、「捕手としての生き様を見たような気がしたが、どういう気持ちでプレイしたのか?」と聞くと、次のような答えが返ってきた。
「特別なことはないよ。普段通り、キャッチャーとして何をすべきかを考えていた。それだけ。トライアウトなんだから、絶対ピッチャーの方が不安でしょ? だからオレは、わざとたくさんコミュニケーションをとり、大きくジェスチャーしたりして、とにかく安心してもらうことをまず考えた。ひとりじゃないよっていうメッセージを伝えたかった。どんなときも、ピッチャーをマウンドでひとりにしてはいけない。それは、シーズンでも、トライアウトでも一緒。やることは変わらない」
その言葉を聞いて、ふと、広島の前田智徳の引退試合を思い出した。試合後、ある記者が、「2年ぶりに守備についた時の感想を聞かせてください」と聞くと、前田はこう答えた。
「やること、考えることは一緒。風を見て、照明の明るさを確認して、芝の状態をチェックして、ピッチャーを見て、バッターのスイングから打球を予測して守る。それだけです」
何か記事にできそうな言葉を発してくれないかと待っていた記者たちの空気を切り裂くように出てきたのは、当然ともいうべき「プロとしての仕事」だった。前田と細山田。ふたりの実績は決して比べられるものではない。しかし、仕事に対するプロフェッショナルな考えは共通しているように思えた。これぞプロ。ふたりの無機質な言葉に、私は深く感銘を受けた。
そして細山田にこんな質問をしてみた。
「捕手としては考えていないが、ウチのチームに来てくれと言われたら、どうしますか?」
すると細山田は、「迷わずいく」と即答した。捕手としてのこだわりよりも、プロ野球選手であることへのこだわりが勝るといったところだろうか。だが、最後にこう付け加えた。
「どんな状況であれ野球が続けられるのであれば、絶対にキャッチャーをやるチャンスは来るからね」
そう語る細山田の顔は、「オレはプロの世界で捕手として生きてきた。これからもプロの捕手として生きていく」という決意がにじみ出ていた。
1回目のトライアウトを終え、「今後の予定は2回目のトライアウトに向けて調整することしか考えていない」と答えた細山田。そんな彼のもとに、11月22日、もう一度プロ野球の世界で勝負するチャンスが与えられた。新たな舞台は、出身地である鹿児島県に近い福岡ソフトバンクホークス。育成選手として細山田を獲得したのだ。新天地で再起にかける心境を早速聞いてみた。
「1回目のトライアウトを受けて1週間が経ったとき、正直、諦めかけていたけど、チャンスはもう1回ある。1%でも可能性があるならそこに向けて調整しようと練習した。それでダメなら仕方ない。腹をくくった感じかな。そんな中で、突然電話がかかってきた時は本当に嬉しかった。それは、ドラフトで指名された時とは比べ物にならないくらい嬉しかった。ドラフトの時はさ、ダメでも社会人野球でやる道があったし、次があった。でも、今回はまったく何もないからね。もう1回、プロの世界で勝負ができる、今は前向きな気持ちしかないよ」
腹をくくってからの朗報。見事に逆境を跳ね返し、大逆転と言ってもいいであろうこの状況に、細山田は浮かれることなく、実に冷静に答えてくれた。
セ・リーグからパ・リーグへ。そう、斎藤佑樹と同じリーグになる。
「こう言っちゃ何だけど、オレは自分のことで精一杯だから、斎藤に関してどうのこうのって言うのはないよ。1日でも早く支配下選手になって、チームに貢献したい。でも、やっぱりここ最近調子がよくない斎藤は心配ではあるよ。たまに電話して話をするけど、また調子を取り戻してお互い活躍できたらいいよね」
ベイスターズ時代はなかなか発揮できなかった捕手・細山田としての持ち味。新たな舞台で、どう表現していくのだろうか。そして、ベイスターズに対しての思いを語ってもらった。
「見返してやろうとか、そういう気持ちはそこまでない。育てていただいたチームでもあるし、感謝の思いもある。でも、『何であの選手を出したんだろう』と思われる活躍をしたい。その気持ちは強いかな。チームが変わっても、オレのやることは同じ。技術的なことではなく、バッテリーを組んだ投手と、『心』で向き合えるキャッチャーであること。年上、年下に関係なく、心と心で向き合ってお互いに向上していく。その先にあるのはチームの勝利。いかにして勝つか、そのことだけ。ベイスターズでは、伝え方がうまくなくて失敗することも多かったから。自分自身、遠慮もあったんだと思う。でも、オレは一度死んだ身。失うものは何もない。もう一度、自分の持ち味を表現できるチャンスを頂いた。もう一度人生を賭けるチャンスを頂いた。今度こそ、自分の『心』を全部伝えていこうと思う」
取材中、何度となく「斎藤佑樹」という言葉を口にした。そんな質問に対して、嫌な顔ひとつせずすべての質問に答えてくれた。世間で言われている、「斎藤佑樹の恋女房」としての細山田は最初からいない、と私は思った。細山田は最初から、捕手・細山田であって、これからもその姿勢は変わらないであろう。
大学時代、優勝パレードで壇上に上がり叫んだあのセリフ。
「花は桜木、男は細山田」
そんな男気を、新たな舞台で存分に発揮してもらうことを心から願っている。
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