お疲れさま

2006/03/07 14:51 登録: えっちな名無しさん

厳しくて優しい、いい父親だった。
俺が選んだのはサッカーだったけれど、
自分がずっとバスケットでならしてきたこともあり、
スポーツが大好きで、俺が小さい時から、一緒になって走り、競いながら鍛えてくれた。
勉強もしなきゃ駄目だぞ、スポーツは頭も使うんだって、そう言ってた。

高校に入って1年生の時に、俺の学校は全国大会に出た。
ベンチ入りの17人に入れた時、誰より喜んでくれたのはオヤジだった。
けれど、俺が3年生で主将になった1年間は、チームはどん底だった。
普通の県立高校でスポーツ特待生など居ない、俺の学校はどちかと言えば進学校だった。
選手が入れ替われば、急激な下降線を辿ることもある。
それが俺の3年生時代と重なった。
2年生の時には県の国体メンバーに選ばれたけれど、3年生になってからはチーム成績が足りず選考対象から外され、個人的にも悔しい思いをした。
チームはベスト16にも進めない。それほど厳しかった。
それもオヤジは会場まで、試合のたびに応援に来てくれた。
3年間、変わらずずっと。

受験があるから、夏に部活動引退もできる。
進学校の3年生は、大抵その道を選ぶ。
俺のチームの同級生も、皆それを選んだ。
監督が、既に翌年以降のチーム作りを睨んでいたせいもあったろう。
1・2年生主体のチーム作りをされる中で、3年生のレギュラーは俺だけしかいなかった。

その年は暑い夏だった。
シードなどもらえない俺たちは、1回戦から真夏の炎天下で試合をした。
その日も、オヤジは試合を見にきていた。
俺たちは、シュート数40対2で負けた。
0対1だった。
相手の苦し紛れのクリアボールが、高い放物線を描いて、1年生GKの頭上を越えた。
その1点を、俺たちはとうとう返せなかった。
翌日、地方紙のスポーツ欄には俺たちの記事が載ってた。
『高校サッカー予選開幕
前々年代表校、○○敗れる大波乱。まさかの1回戦敗退』
俺は夢遊病者のような夏休みを過ごしていた。
そして、夏の終わりにオヤジに言った。
「俺、サッカー辞めるわ。もういい。普通の大学生になりたい」
「お前が選ぶことだから、俺はいいよ」
オヤジはそう微笑んでいた。そして続けた。
「でも、お前は本当にそれでいいのか」
「うん、やるだけやった。もう充分だ」

1年間の浪人生活を送った俺は、国立大学へと進んだ。
家庭教師のバイトをして、授業のノートを友達と分担して、テニスサークルに入って、たまには合コンも行く。
そんなキャンパスライフを過ごしていた。
それはそれなりに楽しかった。
でも、楽しさはさほど続かず、物足りなさを感じた。
「普通って何だろう」、そう考えるようになった。

大学1年の1月、俺はサークルをやめて、コンビニの深夜バイトを始めた。
バイトの前には家の周りを走った。
そうして3月の終わりに、
「あのさ、今さらカッコ悪いとは思うけど」
オヤジに伝えることがあった俺は、夜、オヤジとオフクロを前にした。
「腑抜けた浪人時代を過ごして、普通の大学生になってみて、思ったことがあってね。
 普通って、何だろうって。
 結論を言うと、俺にとっては、
 サッカーしている自分が一番自然なんじゃないかって、そう思った。
 だからもう1度、サッカーしたいんだ。
 洗濯とか、迷惑かけることあるかもしれないけど、サッカーがしたい。
 応援してくれとは言えないけど、スパイクとかジャージとか買うお金はバイトして自分で貯めたから、
 もう1度サッカーさせてください」
頼むようなことじゃないかもしれなかったけど、俺はオヤジにそう言った。
また応援してくれるだろうことが分かっているから、そう言わずにはいられなかった。
「お前が選ぶことだから、俺はいいよ」
オヤジは言った。
「好きなら一生懸命やれ。苦しくても頑張れ。
文句なしに応援してやる。俺はお前の一番のサポーターだから」
そう言ってオヤジが笑うと、オフクロは箪笥の引き出しから封筒を持ってきた。
「あなたの溜めたお金は、あなたのために大切にとっておきなさい。
 走り始めてるから、きっとまたやるんだろうなと思って、2人でワクワクしてたのよ。これはお父さんとお母さんから。使ってちょうだい」
オフクロがくれた封筒には、1万円札が5枚、入っていた。

復帰後最初の練習で、ラストのダッシュを終えて、俺は嘔吐した。
それくらい、カラダはなまってた。
ラクじゃない、けど楽しい。
苦しい、でも苦ではない。
強い体育会ではなかったけど、秋のリーグまでにレギュラーを取って、3年生までに1部にあがって、4年生にはそこでプレーする。
そんな目標を立て、俺はサッカー生活に戻った。

大学4年。俺は東京都リーグ1部で戦うことができた。
関東リーグにまでチームを引き上げることは出来なかったけれど、得点王とベストイレブンも取れた。
そしてそんな賞よりもよっぽど大事な気持ちに、大学の3年間でたくさん気付けた。

大学最後のリーグ戦も、片道3時間近くもかかる道のりを、オヤジは毎週毎試合、観にきてくれた。
その最終戦、オフクロと一緒に観にきたオヤジが、オフクロを連れて帰途につこうとするのが見えた。
試合後の挨拶を終え、チームのミーティングが始まろうと言う時に、俺はそれを見つけた。
「ちょっとすみません、ちょっと待っててください。すみません」
コーチと仲間に言い残し、俺はオヤジとオフクロのもとに走った。
「お疲れさん」
俺に気付いて先に声をかけたのはオヤジだった。
「今まで本当に…」
ヤバいな、泣きそうだなと、俺はそう思った。
声が詰まって、「ありがとう」まで言えそうになかった。
「今までホントに、ありがとうございました」
消えてしまいそうな声になったけど、それでも俺は何とか言うことが出来た。
「あらあら、立派なご挨拶ができたじゃない。こっちこそ、楽しませてもらったわ。ね、お父さん。ほらほら、泣かないの」
オフクロがそう茶化した以上に、俺の視界は滲んでいた。
オヤジは笑って、何も言わなかった。

卒業後、社員選手としてではあるが、俺はJリーガーになることを選んだ。
大学時代の俺のプレイを目に留めてくれ、スカウティングしてくれたチームがあった。
3年目に試合に出られるようになって、翌年から一昨年まで、プロ契約して主力としてプレイすることができた。
もちろん、オヤジは欠かさず観戦に来た。

もしかしたら選手として一番伸びる時期を、俺はサッカーなしで通過してしまったのかもしれないけれど、サッカーから離れたあの時間があったからこそ、伸びることが出来たと思う。
高校3年のあの夏から17年、俺は32歳になった。

昨年末、家に帰った時、嫁と息子とオフクロが買い物に出たのを見計らって、俺はオヤジに話しをした。
ここが原点、そう思い、あの時のあの居間で、俺はオヤジに向かい合った。
「俺、引退しようと思う」
「そうか」
オヤジは、それしか言わなかった。
ちょっと拍子抜けしたようでもあり、居心地が悪くもあり、オヤジの言葉がそれ以上ないならばと、俺はソファから立ち上がった。
「お前があの時、同じこの部屋で、サッカーを続けたいと道を選んでくれて、本当に嬉しかったよ。続けて欲しいと、ずっとそう思ってたよ。お疲れさま、本当によく頑張った。人生でこれ以上ない楽しみを、ありがとうな」
オヤジは少し、泣いていた。
音がして、息子たちが戻ってきた声がした。
俺はオヤジから離れ、玄関へ向かった。
「パパ、ただいまあ!あれえ、パパ泣いてるのお?」
「ケンタ。パパな、いんたいすることにしたよ。節子、心配と苦労かけたな。母さんも、ありがとう」
嫁とオフクロの「ご苦労様」の声のあと、「ママー、じーじも泣いてるよお!」という息子の声がした。
息子には、引退の意味はまだわからない。
涙の意味も、わからないだろう。

(・∀・): 224 | (・A・): 61

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