俺の麻雀放浪記

2015/10/16 12:55 登録: あでゅー

20151013-俺の麻雀放浪記


1.予備校時代-札幌編

俺の予備校時代の話を聞いてくれ。
俺は大学受験に失敗して・・・いや当然の結果全部落ちて某大手予備校に行った。なんせまともに勉強した事が無かったので偏差値は40以下とこれ以上ない低さだった。親に何とか頼み込んで予備校に行かせて貰った。その予備校の寮で出会ったのがAとBだった。

俺達は初めの頃真面目に授業を受けようとして予備校の教室へ通った。しかしそこは定員200名は優に超える大教室で俺達が教室に入る頃にはもう大分後になってしまった。それでもモニターを通して授業は受けれるんだけど、全然頭に入らない。質問も出来るわけも無い。俺達は急にやる気を無くして行った。

A「あんなんじゃ勉強しても無駄だよ。赤本をやってる方がまだマシだ」
B「完全に間違えたな俺達。こんな予備校は詐欺だ」
俺「ああ。俺は予備校に通った事無いから分からなかったんだ。完全に予備校の選択間違えた」
AB俺「・・・はぁーー」

その日の夜Aが麻雀は出来るか聞いてきた。高校頃は嫌々やっていたけど、今回は自分からやろうと思った。むしゃくしゃしていたから。
俺らが行った店は小さい雀荘でマスターとママさんがやっていた。

初めの日俺は集中して打っていた。何を手にしまって何を切るかを真剣に考えていた。Aは面前にこだわり次々と上がりを物していった。Bはホンイツが好きで大物手を次々上がっていった。結果は俺の惨敗だった。俺はその夜眠れずに考えていた。あの時安牌を置いて確立の低いソウズのカンチャンを捨てていれば振らなかった。それにあの時はソウズが危険だった。次は気を付けよう。それでカンチャンを持って来たらキッパリ降りる。

11 3445 ??? 竹1235679 で打9で安牌を持つ

この様に攻守のバランスが大事なんだと結論付けた。そして行く時と行かない時をはっきりする。そうすると負けが小さくなった。AもBも前日とは全く違う俺に驚いた。この様に毎日反省をして修正をしていった。しかし、とんとんで中々勝てないのである。どこが問題だろう、後から見せて貰ったりして必死に考えた。その結果『勝負勘』とか『持ってる運』が違うと分かった。

幾ら打ってもこればっかりはどうしようも無かった。後は読みであるが相手はこちらの読みを利用してあがりに来る。特にAが得意だ。降りようとしてもそれを読んで上がりを拾われる。最悪だ。例えば完全壁の9万単騎の地獄待ち、これを狙われる。俺は気が弱い、その事が響いている。

結局相手の上がり牌を持って来なければ勝てる。もしくは当たりそうな牌をすり替えて打つ、イカサマ。仕方が無いので覚えたよ。積み込み。そして自分の山が残っている時は危な牌を山の安牌とすり替えて打つ。勿論自動卓の場合は積み込みは出来ないから、山を前に出す時さっと親指の腹で盲パイするんだ。これでもやっと勝てるレベルだ。一体あいつ等のツキはどんだけだ、って思ったよ。

イカサマ
ある日怒号がとんだ。見ると売人Cが大声で笑っている。多分自分のやった事を誤魔化すために笑っているのだ。やったのはターハイ。それも二枚。自分の山から二枚抜いて握る。そして出牌に合わせてロンする。待ちは最低3x2枚。所謂エレベーターだ。無敵の待ちだ。それを笑って誤魔化そうとしている方も凄い。しかしマスター達は手荒な事は出来ない。だって学生が見ているのだから。俺らががビビッて来なくなったら大事なカモ逃す。それからターハイのバップを払わせ場は進んでいった。なんで握らずに手牌にに加えたんだろう。直ぐバレルのに。未だに分からない。もしかして本当にボーとしてターハイをしたのかも知れない。二牌も・・・。

桜井現る
十月頃雀荘は新たな客を獲得するために有名人を呼んだ。桜井章一さんだ。店は桜井さんを一目見ようと満員だった。彼を入れて麻雀大会を開いた。俺は参加料が惜しくて参加しなかった。しかし彼の後ろから見る機会を得た。だが何も変わった事が無かった。只彼は静かに座っていた。居ないのではと思ってしまう。気配を殺す。この言葉が一番ピッタリくる。彼はそうして長年打って来たのだろう。聴牌の気配も勝ってやるぞって言う殺気も無く、只深海にいる様に気配を殺していた。

バカズキ・牌見える
その日は店に入ってから何時もと違った。妙に視界がハッキリした。最初に上がったのはダブロンだった。そしてその次もダブロンだった。まさかねと思ったら三度目もダブロンだった。三度とも俺が上がった。そして四度目は無く只俺がマンガンで上がった。もう止まらなかった。次に来る牌も分かる。俺は五度目を上がって急に怖くなった。相手の手牌も見えて当たり牌を止めて上がった。そして南場の2局で見えなくなった。あの時は何が起こったか分からなかった。でも今なら分かる。あれがバカズキなんだと。それ以来もう二度とそんな事は起こらなかった。

俺はそうやって試行錯誤を繰り返して一年間打った。そして俺らは卒業試験として大人と大人のレートで打った。あらゆる手を使ったよ、反則も。でも彼らはそれをあえて見逃して打った(と思う)。良いカモだから。結果は惨敗だ。受験料として親からだまくらかしたお金で数十万と言う大金を払った。全員で百万ほどだ。結局俺らは誰一人として大人には勝てなかった。この戦いに勝った者だけが雀荘に残れるはずだったのに。それで麻雀で食っていくのを諦めた。

A「勝てなかったな、俺達」
B「一番弱い大人にも惨敗だ」
俺「やっぱり一から勉強をするよ」
AB「えっ?」
俺「受験勉強をね」
AB「・・・」
俺「俺は東京の予備校に行くよ。じゃーな、達者でな」


皆気を付けな、雀荘には。どんなに弱そうに見えても勝負を挑むんじゃないよ。それで食っていける者しかいない。生き残りなんだ。それを忘れずに・・・。


2.予備校時代-東京編

心機一転俺は真面目に勉強をした。予備校が俺に合っていたのだろう。馬鹿な俺でもそれなりに成績が上がった。少人数で講師の息が掛かる程の距離。俺は必死で板書したよ。だって聞いても分からん。だからノートを必死で何度も書き写して意味が分かるまで繰り返す。練習問題もそれと同じ方法でやった。そしてお馬鹿なクラスで名前が出る位になった。兎に角予備校が合ってたんだ。質問出来るまで分かる様になったのは夏休み時期になってからだ。楽しいね。話が分かるって。漸く人並みになれた。

その予備校の寮の隣りの部屋にDは居た。彼は俺と違って文型で成績は良かった。俺と比べると雲泥の差だ。それでも彼はお馬鹿な俺にも普通に接してくれた。エロ本の貸し借りは良くやった。多分趣味が合っていたんだろ。

Dは大学に入って演劇をやるんだって言ってた。意外だった。彼は真面目に公務員をやるタイプに見えたんだ。それが不安定で将来が見えないそんな世界に挑むなんて。正直何でも直ぐに諦めてしまう俺には真似の出来ない事だった。羨ましかった。

俺は高校時代からそうだった。野球がしたくて高校を選んだのに部員の多さにビビッて軟式に鞍替えした。馬鹿だ。なんで挑戦しないんだって。でもその勇気が無かった。そして何時までも引きずって悔やんでいる。そんな自分が酷く意気地なしに思えた。だから大学に入ってギターをトコトンやった。授業もそっちのけでやった。それで留年した。馬鹿だ。でもそれはやり始めるのが遅かったからドダイ無理な事だった。けど限界までギターをやった事は俺の中では一番俺を褒めてやりたい事だ。だが野球を諦めた事は一生後悔していくだろう。これからも。

話を彼Dに戻す。Dはそれから演劇のある大学に入って行った。只演劇をやる為に。きっとDの事だからトコトンやって、這いつくばってもやって、最後はその世界に足を踏み入れるだろう。生活が苦しいとかエリートコースを外れるだとかはDには関係ない。それが意気地なしの俺と勇気ある挑戦者のDの差だろう。そしてそう言う者しか成れない。成功者には。

そして俺は受験に入るのだがやっぱり何時もの癖が出た。上がり症だ。本命の受験で俺は頭が真っ白になり試験を失敗した。他の大学なら直ぐに思いつく答えも本命では全く出てこない。そして漸く第三志望の大学で何時もの様に解けた。一年間の頑張りが無駄になった。自分に失望した俺は第三志望の合格を親に連絡する。それでも親は喜ぶ。俺はもう一年頑張ろうかと思ったが正直とっくに限界まで来ていた。もう一年は無理。これが俺の限界だった。しょぼ過ぎる俺。


3.大学時代

大学に入って受験の失敗を引きずる俺は気を紛らわす為にまた麻雀を始めてしまう。その時の相棒がEだ。彼は俺の本命を受かっていたがその校舎を見てあれは工場だ。俺はキャンパスに通いたいんだ、と言って田舎の大学へ入ってきた。俺が行きたかった大学をそんな理由で蹴ったのかよ。と会った当初はやたら腹が立った。

そんなEは麻雀が強かった。予備校時代に売人と打っていた俺と遜色無い位に。強い理由は動物的堪だ。Eは危険牌を引くと嫌な感じがして分かるのだ。それは往々にしてある経験から導き出した理屈ではなく俺ら凡人には安牌だと思うような牌を止めるのだ。

そしてもう一つの強い理由は思い切りの良さだ。行く時は行く、降りる時は徹底的に降りる。その感覚が常人が肉眼で狙いを付けて打つのだとしたら、Eのそれは精密なスコープで狙いを付けて打つ位正確だった。兎に角敵に回しては駄目な一人だった。

そして決定的な差が出る時がある。それはレートが高い時だ。俺はびびって勝てなくなるのにEは目を輝かせて自在に打つ。つくづく思うよ。ああ、俺は勝負事には向いていないんだなと。

話はそれるが一度バッティングセンターで球速を測った事があった。142kmが三回。俺はガックリきたよ。やっぱり高校の時野球部に入部していれば良かったてね。練習をしてないのにこの球速。馬鹿だね。もうその頃はタバコで体力もガタ落ちでとっても野球出来る身体じゃ無かった。もう後の祭り。

卒業も間近の5回生の時に俺は格下の相手と打っていた。楽だった。俺は調子に乗って役マンの上がりを紙に書いて貼っていた。一年間に20回程だ。そんな時麻雀仲間でもありクラシック音楽の師匠でもあるFが死んだ。麻雀を打った後に休んでて死んだらしい。ショックだった。そして悲しかった。ああ俺も何時か死ぬのかとこの時初めて思った。どうせ死ぬならもっとましな人生を送らなくちゃ、と思った。それからの俺は麻雀を止め勉強に専念した。彼の分も頑張ろうと思った。

卒業研究も真面目にやった俺はどうにか人より遅れて卒業した。だがそれまでのツケがあって就職は悲惨だった。唯一の救いは卒業式の時に親に来て貰った事だ。親は喜んでた。浪人しても留年しても喜んでた。


4.会社時代

今考えれば有りがたい会社だ。だってろくに仕事して無いのに給料が貰えるんだ。それでも初めの頃は真面目に働いていた。夜も寝ないで。だがそれも俺が馬鹿なことをしてしまって一時期体調を崩した。それで俺を励ますために麻雀に連れて行ってくれたんだ。

久し振りの麻雀に口も良く動く。煩く喋る俺に皆が閉口する。だって何も喋らないで打つと何時もの調子で勝ちに行くから。そんな分けで勝ったり負けたりを繰り返してた。会社の麻雀大会では俺に裏技を仕掛けてくる人が居たがあっさり負けを認めた。会社でやることじゃないってね。
でもやっても勝てる気はしなかった。だってこっちはエセ
売人だから。その道のプロには勝てる気がしなかった。てか、勝てない。

それで会社の連中が煩いって言うんだ。喋りを止めたら勝てるって言うんだ。やったよ。黙って。そして馬鹿勝ちした。だから黙って打ちたくなかったんだ。十数万をチャラにして麻雀を打つのを止めた。あれ以来人間と打った事がない。パソコンのゲームで打ってるだけ。

こうして見ると俺の人生はやらなくて悔いを残した。野球だ。だが変な事に力を入れて人生を誤った事もある。麻雀だ。言っとくけど麻雀は百害有って一利無し。そして何処まで行っても安定しない。極めれば極めるほど地獄だ。

そして大学出て就職したって安定はしない。明日首になるかも知れないし。其処行くと何か資格を取ってそれで食って行くのが一番安定しているんじゃないのかな。例えばリハビリの仕事とか良いね。人の役に立つ仕事だしね。何処に行っても仕事あるし。まだ仕事を決めて無い人は一度見学してみる事をお勧めするよ。

以上人生の失敗談でした。


(終わり)

出典:オリジナル
リンク:オリジナル

(・∀・): 6 | (・A・): 7

TOP