親戚に勝った

2006/06/25 09:58 登録: Masa

俺は小学2年の時に交通事故に巻き込まれて左のヒザ下10センチのところで切断して義足を使用している。
義足を使うようになったごろから親戚の家に行くと俺がいる部屋とは別のところで「障害者だと今後、社会生活ができない」とか「本当は一緒に歩きたくない」と言われていた。(俺は知らないと思っていたらしいが、仲がいい従兄弟が教えてくれたりしたこともあった)
俺は悔しくて父親に「運動では負けるかもしれないけど他の事で勝ちたい」と言って小学5年の時に中古のワープロを買ってもらって練習をし、高校1年の時にワープロ検定試験を通って資格を取得。(父親が資格があればどこかに就職できるという思いがあったので俺の資格習得は賛成してくれていた)
その後、高校2年になった4月にパソコンを買ってもらうと同時に通信教育で「コンピューター講座基礎コース」を習い始め、夏休み中に集中的に勉強をして通信教育を終了。
高校2年の夏休みが終わったごろから英語など苦手な教科を集中的に勉強して大学に進学。
大学に進学したのと同時にパソコンを使ってデジカメで撮影した画像の修正の仕事を始めた。(逆光などで撮影に失敗した画像の修正をしている)
最初のごろは仕事が少なかったが、パソコンとデジカメが普及するとともに仕事が増え、大学在学中に自分で学費を払って生活ができるだけの収入が入ってくるようになった。(自宅から大学に通っていたので学費を払って自分の小遣い分を財布に入れて残りを母親に渡していた)
最近はパソコンとデジカメを持っている親戚から「画像を修正してほしい」と言ってきたり、親戚が中小企業を紹介してくれた時に親戚がついてきて「規模は小さいですが一番若く自分の会社を興した自慢の親戚です」との言葉。(この人が「一緒に歩きたくない」と言っていた)
その数年後、紹介してもらった企業からホームページに掲載する画像の修正の仕事が来るようになって収入が倍増して貯金ができるようになった。
5年ほど前に親戚から「金を貸してほしい」とか「仕事を手伝わせてほしい」との申し出があったが「昔と違いますね」と俺が親戚の家に行った時に言っていた言葉を言うと怒って連絡がなくなった。
ある程度貯金が貯まって2年程前からはインターネット証券で株式もやるようになり、この事が地方の新聞で「がんばっている障害者」として紹介され、地方で有名になると怒って連絡がなくなった親戚が家に来て「あの時はすまなかった」と謝罪してきた。
謝罪してきた時、口には出さなかったが「親戚に勝った」と思い、親戚が帰った後に笑いながら親とビールで乾杯をした。

出典:親戚に勝った
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