ごめんな・・・

2006/08/24 14:57 登録: ハルト(仮)

僕が中学3年の時の話をします。
当時、僕には妹(仮に千尋)がいて中学1年でした。親父が交通事故で死んでし
まい、母子家庭で横浜市の小さな一戸建てに住んでいました。千尋は病弱で月に
一回くらい風邪をひくほどでした。昔から「お兄ちゃん♪」と僕の後ろをチョコ
チョコとくっついてくる可愛いやつでした。僕はそんな妹が大好きでした。しか
し親は大学の時に僕を生んだので、まだ若く、いろんなトコで男をつくり、家に
はお金を置いてタビタビ外泊してしまうので家には僕ら兄妹だけの時が多かった
です。千尋は一人で寝るのが怖く、よく一緒に寝てました。
ある日、昼休みに涼みに行こうと保健室に行ったら千尋がケガをしてました。ど
うやら転んでしまったようでした。僕は
「ドジだなぁ」
「うるさいなぁ〜、どっか行ってよ!(笑)」保健の先生は笑ってました。
僕らは平和な日々をおくっていました。しかし…。事件はおきました。
僕はまた保健室に涼みに行ったら、千尋が膝や腕に傷がありました。僕は
「千尋!どうしたんだ!?」
「あぁ、転んじゃって…」
保健の先生の話によると、今日3回も転んだらしい…。保健の先生は病院での検
査をすすめたので、僕は心配になり千尋と一緒に早退し、病院に行きました。僕
は外で待ってました。しばらくすると医師から呼びだされました。僕は傷に何か
菌が入ったのだろうか?と心配してました。医者は喋り始めました。
「あなたの妹さんは脊髄小脳変性症という病気です…。ちょっと前にドラマでや
ってたあの病気です…。」
僕はその言葉の意味をすぐには理解できなかった。理解したくなかった…。
告知するか、しないかを言われたが、まだ症状が出始めたばかりだったので告知
しないよう頼んだ。
千尋には「少し菌が入ったかもしんないから、体育とかは見学しとけよ。」
と言うと「わかったよ♪」と何の疑いも持たない声が返ってきました。その日、
僕は妹が寝たあと一人でずっと泣いていました。布団がびしょ濡れになるくらい
…。
次第に千尋の体は上手く動かせなくなってきて、入院が決った。この時、うちの
おふくろはどっかに出かけて行きました。僕は「ただの検査だから心配すんな」
「うん…。」
妹は薄々感づいていたのでしょう。僕は部活をやめ、学校が終わると毎日病院に
お見舞いに行きました。妹は僕が来るたび、満面の笑みを浮かべ、話をしてくる
。僕はこの笑顔を見られなくなると思うと辛かった。途中、ちょっと涙声になっ
てしまったが、妹は気付いていなかった。
翌日、妹は少し話ずらくなっていた。その日からどんどん喋りにくそうになって
いた。唐突に千尋は僕に思いも寄らぬ事を言って来た。
「私…脊髄小脳変性症でしょ?」
僕は耳を疑った。何かの聞き違いであって欲しかった。千尋は話を続けた。
「症状が一緒だもん。けっこう前からわかってたよ。」
「何バカなこと言ってん、」
「大丈夫!…。もう覚悟はできてるから。私、幸せだったよ…。お兄ちゃんがい
つもそばにいてくれて…。」
僕は声を出さずに泣いた。千尋は涙目で「泣かないでよ…」と言ってくれたが、
結局15分くらい泣いてしまった。
やっと おふくろが帰って来た。(入院費用は毎年貯金していたお年玉から出して
いた)おふくろは少し深刻な顔をしてお見舞いに行ったが、千尋は僕じゃないと
嫌らしいので、おふくろはお見舞いに行かなくなった。
千尋の容態が悪くなるのを時間は待ってくれなかった。千尋には呼吸器がはめら
れた。そして意識を失いそのまま逝ってしまった。
僕はその晩、泣き崩れた。一生分の涙を流した。

葬式の帰りに看護師さんが僕に「これ。千尋ちゃんが毎日かいてたのよ。」と日
記帳を渡されました。
そこには、僕と話して楽しかったこと。病院で友達ができたこと。などがつづら
れていました。読んでいくにつれ下手になっていく字。時たまふやけているペー
ジ、多分 千尋が泣いたのであろう。最後のページに
「お兄ちゃん。今まで本当にありがとう。生まれ変わってもお兄ちゃんの妹にな
りたいよ!本当に本当にありがとう!」

涙が止まらなかった。

それから3年たった今日。僕はまだ千尋のことが忘れられない。




出典:涙が止まらない
リンク:廃止されました。

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