紡いだ命 心の黒雪

2006/11/21 08:49 登録: 焼きプリン

これは
「紡いだ命」http://moemoe.mydns.jp/view.php/4860の続編にあたります。


朝から全開のカーテン。窓から差し込む朝日でその日は目が覚めた。

「オジサンおきろー!!」

ドスンと腹に加わる重み。ゆっくり目を開けると満面の笑みで春香ちゃんがいた。
姉の子供で5歳になるはずだ。旦那の雄介さんと結婚してはや5年。

俺は姉さんに、

「たまには2人きりでどこかに出かけなよ。春香ちゃんは俺があずかるからさ」

と言ったところ、色々「悪いわ」とか「武にも予定があるんでしょう?」とか言ってたが
何とか言いくるめて旅行にいかせた。

姉さんは人になかなか自分の弱みをみせず、全て自分で背負い込む性格だ。
たまに時間が合うときに会ったりすると、その度に疲れた顔をしていた。
でも、決して愚痴などは姉さんは俺には言わない。

両親が死んだ時もそうだった。本当は自分が何より辛いはずなのに、涙一つ見せず
俺の心配ばかりしていた。

俺は独身だからよく分からないが、育児と家事はやっぱり大変なんだろう。姉さんに会うたびに
疲れた顔をしている。でも、さすがに両親の死からは立ち直ったように見える。

もう、あれから8年になる。
俺は姉さんが居たから立ち直れた。

今でも鮮明に覚えている。
両親のお墓の前で姉さんが言ってくれた事。

「あなたの事は私が守ってあげる。私達姉弟2人で力を合わせて生きていくのよ。心配ないから」

両親が死んだという現実を受け止め切れず、涙を抑え切れなかった俺にそう言って姉さんは俺の頭をそっと撫でてくれた。
そのことをよく思い出す。

「おじちゃんどっかいこーよ!!」

姉の子供春香ちゃん。まだ舌足らずな所はあるものの、言葉もだいぶ覚えているようだ。
正直メチャメチャ可愛い。春香ちゃんが高校生くらいになったらやっぱり姉さんみたいな顔立ちになっていくんだろうか。

「春香ちゃんはどこに行きたい?」
「うんとね、ゆーえんちー!」
「よし、じゃあ支度しようか」
「うん!」

車の助手席に春香ちゃんを乗せ、さっそく出発する。
アパートから30分くらいした所に遊園地がある。そこが目的地である。
昔、まだ両親が生きてた頃、父さんに連れて行ってもらった記憶がある。

あれは確か俺が小学校5年生の頃だっただろうか。
色々な乗り物に乗った記憶がある。姉さんはもう中学生になっていたのに一目散にメリーゴーランドヘ
走っていったのを覚えている。そして夕方もう日が暮れようとしていた頃、最後に姉さんと一緒に観覧車に
乗った。沈んでゆく夕日が綺麗だねとか、姉さんは言っていた気がする。

「おじちゃんたのしみだねー!」
「そうだねー春香ちゃん今日は何でも乗っていいからね」
「うん!」

途中、海岸線を通った。海が朝日に反射して綺麗に光っていた。
姉さんも今頃旅行を楽しんでいる頃だろう。今日の夕方には戻ってくるはずだ。
春香ちゃんと遊べるのも今日が最終日か。

しばらくして目的地の香椎花園遊園地に着いた。
入場券を買って園内に入ると、いたるところに色とりどりの花壇が設置されていた。
この遊園地のウリでもある『花園』が見所の一つである。

「わあ、おじちゃんきれいだねー!」
「春香ちゃんは何の花が好きかな?」
「うんとねー、これ!!」

春香ちゃんはピンク色の花を満面の笑みで指差した。名前は俺もあまり詳しくはないので知らないが、
綺麗だった。

「春香ちゃん、フリーパス買ってあげるからついてきな」
「ふりーぱすってなあに?」
「それはね、この遊園地の乗り物が乗り放題になるという秘密アイテムだよ!!」
「なんでものっていいの?」
「いいよ。しかも何回でも乗っていいよ」
「ほんとー?」
「うん」
「やったー!」

春香ちゃんと手を繋いで売り場へ向かった。
まだ小さい手だ。でも温かい。いい子に育ってるな春香ちゃん。
肩までの髪。可愛いフリルのついたスカート。いつも春香ちゃんは笑っている。
見ていて何だか自然とこっちも温かな気持ちにさせてくれる。

いい子だ。本当に。まあ、姉さんの子供だからというヒイキ目もあるからかもしれないが。

「春香ちゃん、お母さん好き?」
「うん。おこったらこわいけど、すきー!」
「そっか」
「でもね、たまにないてるよ」
「え・・・・?お母さん泣いてるの?」
「うん・・・・・・」
「お父さんと喧嘩でもしてるの?」
「いや、ちがうよ。おかーさんとおとーさん、なかよしだもん。なんか、かみをみてないてた」
「紙?」
「うん。でもかなしそうじゃなかったよ」
「泣いてたのに悲しそうじゃなかったの?」
「うん。『これはお母さんの大切な宝物なの』っていってわらってたよ。わらいながらないてた」
「そっか」

姉さん、まだあの手紙持ってたのか。
俺と姉さんはお互い支えあって生きてきた。俺には姉さんがいる。姉さんには俺がいる。
それを確認したあの日、姉さんは初めて俺の目の前で大声で泣いた。

それはまるで今まで我慢してたのを一気に開放したようだった。
あの頃、すこしづつ俺達姉弟を襲うとしていた心の闇。

大切な人が自分の目の前から消えてゆく恐怖。自分の心の支えになってくれる人の死。
その恐怖から目を背けることができなくなっていた。

姉さんはいつも笑っていた。本当は泣き出したかったくせに。
大声で「一人にしないで!!」って叫びたかったくせに。
全てを押し殺して普通に振舞っていた姉さんが俺は怖かった。

あの時、俺はあるひとつの事を懸念していた。
日々、姉さんの心に降り積もってゆく真っ黒な雪。それが黒く一面ビッシリ埋まってしまった先には
一体何が待ち受けているんだろう。

いっそ、生きている事にすら後悔を感じてしまわないだろうか。
自分だけでも、もう楽になりたいと願ってしまわないだろうか。

俺を残して自殺してしまわないだろうか。

でも俺は、全てを姉さんと2人で背負って、二人でそれを乗り越えていきたかった。
悲しい事にも負けずに生きていけば、いつか過去に負けない強い自分になれると信じていたから。
なにより、俺を守ってくれると言った優しい姉さんに、心から笑える未来を作ってあげたかったから。

だから、あの日俺は一通の手紙を姉さんに送った。
まだ、もっててくれたんだ。姉さんは。

その姉さんの幸せの結晶がこの春香ちゃんだ。
俺は嬉しかった。姉さんに子供ができたことが。守るべき物が出来た姉さんは今以上に強くなってくれると
思ったから。そして、子供の笑顔を見て心から幸せを感じてくれると思ったから。

だから、春香ちゃんを見ると、そんな事を考えてたまに泣きそうになる。
握った春香ちゃんの手から伝わる温もりが、姉さんの幸せの証なんだという事を感じて俺は少し泣いた。
良かった。あの時手紙を書いて。

「春香ちゃん今お母さん幸せそう?」
「しあわせってなあに?」
「そうだね・・・・・いつも笑っている事かな」
「じゃあ、おかあさんしあわせだよ!いつもわらってるよ!」
「ふふ、そうか。春香ちゃんお母さん好き?」
「うん。だいすきー!!」
「おじちゃんも大好きだよ。春香ちゃんのお母さん」
「あたしのほうがいっぱいすきだもん!!」
「そっか。そうだね」
「うん!」

フリーパスを買った俺は春香ちゃんの腕に付けてあげた。
春香ちゃんはそれを不思議そうな瞳で眺めていた。

「春香ちゃん、それを係の人に見せればどれでも乗れるからね」
「これみせるのー?」
「そうだよ。何に乗りたい?」
「あれー!」

春香ちゃんが指差したそれはメリーゴーランドだった。
5歳だからな。そういえば昔姉さんも遊園地に来るやいなや、メリーゴーランドにダッシュしていった。
あんな物の何が楽しいんだろうと当時は疑問に思っていたものだ。

「おじちゃーん!」

メリーゴーランドに乗りながら手をブンブン振ってくる春香ちゃん。楽しんでくれてるようだ。
やがて、メリーゴーランドが終わると「もっかいのる!!」といっては何度も乗っていた。

「あれ?あんた武じゃない?」

不意に後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り向くと一人の女性が立っていた。

「なんだお前か」
「何だとは何よ失礼な!」

北川恵美だった。高校時代からの同級生で、今の会社の同僚だ。腐れ縁とでもいうのか
結構長い付き合いだ。この間もなぜ私に彼氏が出来ないのかという愚痴を長々と聞かされた。
俺は特に好きでもなければ嫌いでもない。いや、若干好き寄りかな?といった程度の仲である。
まあ、いいやつなのは確かだが。世話焼きだし。

「武何してんの?」
「子供と遊園地に来てんの」
「こ、子供?」
「ああ、ほらメリーゴーランドでひと際はしゃいでる女の子いるだろ?」
「ほんとだ・・・・・あんた子供いたの!?」
「いや、ごめん先に言うべきだったな。俺の姉さんの子供だよ」
「ああ、お姉さんの子ね」

春香ちゃんの喜ぶ姿を眺めながら俺は姉さんの事や過去の辛かった事を考えていたせいか
不意に声をかけられて、涙をぬぐうのを忘れていた。

「武、あんた・・・・・どうしたの?」
「え?なにが?」
「目。・・・・・泣いてたの?」
「いや・・・・あの・・・まあ、そうだな・・・・」
「何か辛い事あった?」
「いや、あの子春香ちゃんっていってさ、あの子の事見てたらちょっとな」
「あの子に何かあった?病気とか?」
「いや、元気満々だよ。あの通りな。それが嬉しかったっていうか・・・・・ごめん、詳しくは話したくないんだ
泣きそうになるから」
「・・・・・・うん。わかった。何かあったら言いなよ?武には色々愚痴聞いてもらってるし」
「ありがと」
「うん」
「あ、ちょっと待ってろ。すぐ戻ってくるから」

俺は近くにあった自販機から缶コーヒーを二つ買った。
俺はこの缶コーヒーの缶から伝わる温もりが好きだ。高校生の頃一度姉さんに、

「武、缶コーヒーばっかり飲むんじゃないよ」

と注意された事がある。体に悪いとか、飲みすぎると将来糖尿病になるとか言われたものだ。
だから、缶コーヒーを買うと姉さんの事を思い出してしまう。

「北川ほら」
「ありがと」
「ところで、お前一人できてんの?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ぷっ」
「一人で来て悪いの!!」
「それは寂しすぎるだろう」
「いや、ほら将来彼氏が出来た時のためにさ、その・・・なんだ」
「お前、でも彼氏なんかすぐ出来そうな気がするのにな」
「そう?」
「うん。暇だったら俺達と一緒に回らない?春香ちゃんと俺と」
「え〜どうしよっかな〜」
「よし!やっぱり一人で回れ」
「うそうそ、一緒に回ろうよ」
「じゃあ、そうしよ」

さすがに5回連続であきてきたのか、春香ちゃんがダッシュで戻ってきた。
元気な子だ。

「おじちゃんおもしろかったー!!」
「5回も乗ってたもんね」
「でもほかのものるー!!」
「うん。何でも乗りな」
「おじちゃん、このおねえさんだれー?」
「俺の友達の北川さん。俺と春香ちゃんと一緒に回りたいんだって。いいかな?」
「いいよー」

北川は笑みをこぼしながら、そっと春香ちゃんの頭を撫でた。

「よろしくね春香ちゃん」
「はるかです。こんにちは」
「あら、春香ちゃん挨拶よくできるじゃない。可愛い」
「姉さんがさ、その辺しっかりしてるんだと思うよ。春香ちゃんが喋れるようになった頃姉さんが春香ちゃん
連れて来たんだけど、やっぱりきちんと挨拶してたし」
「そうなんだ」
「こんどあれのるー」

そう言うと春香ちゃんはコーヒーカップを指差した。
コーヒーカップ状の乗り物に乗り、真ん中の円盤をグルグル回すヤツだ。

「春香ちゃんお姉さんと一緒に乗ろうか」
「うん!のるー!」
「武、あんたも乗ろうよ」
「そうだな。3人で乗ろうか」
「さんにんでのるー!!」

コーヒーカップの乗り口から一番奥に春香ちゃんを乗せ、春香ちゃんを挟むように俺と北川が乗った。
始まりのブザーと一緒に少しづつ回転を始めるコーヒーカップ。

「あたしさ、これに乗ったの本当に久しぶり」
「俺も。小学生の頃、姉さんと乗って以来かな」
「あははははは!!まわってるー!!」
「春香ちゃんこの円盤を回すともっと早く回転するよ」
「これー?」
「そうそれそれ」

俺がそう教えると春香ちゃんは小さな手で円盤を回し始めた。
俺と北川が手伝う。回ってゆく世界。

不思議な感じだ。小さい頃はただ回っている事がひたすら楽しかった。
何度も乗っている内に姉さんに『そろそろやめようよ』と、呆れ顔で言われたものだ。
でも今は自分を中心に世界の方が回っているんじゃないかと回転してゆく景色を見て感じた。

しだいに現実感が消えていった。おかしな世界に迷い込んだ不思議の国のアリスにでもなったような、
そして実は今俺は家で寝ていて、これは俺が見ている夢の世界なんじゃないかとか、そんな事を考えていた。
その夢の世界なんだっていう想像をした時に突如として俺の中にあの日のことがフラッシュバックしてきた。

両親の死を確認したあの日の病院での事。姉さんと2人で薄暗い病院の廊下を少しづつ歩いていった。
握った姉さんの手が震えていた。いや、震えていたのは俺の方なのかもしれない。
俺は怖くて姉さんの顔が見れなかった。姉さんはどんな顔をしていたんだろう。
それを確認すると、両親の死を嫌でも認めざるをえない気がした。

姉さんの悲しげな顔を見ることが、今起こっている事が現実なんだって事を目の前に突きつけられるようで
怖かった。

驚くほど綺麗な両親の顔。それが何より悲しかった。もう二度と動く事はない二人。
俺は大きく息を吸い込み、そっと吐いた。そして病院に入ってから初めて姉さんを見た。

姉さんは両親の遺体には目をくれず、窓から見える遠くの景色をずっと眺めていた。
そして何かを決意したような瞳をゆっくり俺のほうに向け、姉さんは繋いでいた手をキュッと握り締めた。

俺はその瞬間から涙を抑える事が出来なくなった。
どうしようもない現実なんだって事。もう家族は姉さんしかいないんだって事。
姉さんがいなくなる事を想像してどうしようもなく怖くなった事。

その瞬間から少しずつ俺の心に真っ黒な雪が少しずつ降り積もっていったこと。
少しづつ少しづつ降り積もっていったこと。それはやがて俺の心いっぱいになり、しだいに
ヒビを入れ始め、やがてバラバラに割れてしまうんだろう。

でもそれを振り払ってくれたのは姉さんだった。

「あなたの事は私が守るから。姉弟2人で力を合わせていきていくのよ」

と両親のお墓の前で言ってくれた事。俺は何より「姉弟2人で」と言ってくれたことが嬉しかった。
姉さんの真っ直ぐな瞳が不思議と不安をぬぐってくれた。

なぜだろう。今日はやけに姉さんの事ばかり思い出す。
普段はあまり過去の事を思い出す事はない。春香ちゃんの元気な姿を確認したからだろうか。

その後、昼食を終えた後、春香ちゃんは再びメリーゴーランドへ走っていった。
よほど好きなんだろう。それとも姉さんがメリーゴーランド禁止令でも出しているのだろうか。
そんなわけはないとは思うが、メリーゴーランドにばかり乗っている。

しだいに日も暮れてきた頃、俺達3人は観覧車へ向かった。

「北川さ、観覧車好き?」
「ええ、高いところから見る景色は綺麗だよね」

3人で観覧車へ乗る。ゆっくりと上っていく観覧車。ふと春香ちゃんを見ると寝てしまっていた。
今日一日はしゃぎ過ぎたんだろう。

地平線の向こうに夕日が見える。観覧車内が赤く染まっていた。

「春香ちゃん寝ちゃったね」
「そうだな・・・・」
「武さ、気分悪くしたらごめんね。変な事聞いていい?」
「何だ?」
「高校3年の時にあんたと一緒のクラスになったじゃん」
「うん」
「あたしのお母さんが癌で入院してるって話を何となく話した時にさ、あんた急に泣いたじゃん」
「そうだっけ」
「そうだよ。あたしビックリしたんだから。他の人は大変だねとか、可哀想だねとか言うだけだったのに
あんたは急に泣き出したから」
「・・・・・・・・・・・・・」
「それにさ、あたしがお母さんのお見舞いがあるって言ったら、掃除当番を代わってくれたりさ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「何でかなってずっと気になってた」
「そ、それはさ・・・・・・」
「ただ単に優しいからって感じじゃなかったもん」

そういえば高校3年の時から北川とはよく話していた気がする。事故からちょうど1年経った頃だった。
北川の何気ない話に俺は自分の両親の事をフラッシュバックさせていた。
今日のようにたまに来る。自分では克服したつもりでも、それは不意に襲ってくる。

そんな日はよく姉さんとカラオケに行ったりした。新たに歩き出した自分達を再確認するために。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「言いたくなければいいけどさ。あんたは何気ない行動だったのかもしれないけど、あたしは嬉しかった。
お母さん結局手術で助かったって言った時、あんた自分の事みたいに喜んでくれたじゃん。その日は
カラオケ奢ってくれたし」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの時はさ、ありがとう。あたしも正直苦しかった時期だったし。お母さん死んだらどうしようって」
「・・・・・・俺はさ、この春香ちゃんが本当に好きなんだ。俺の姉さんの幸せの証だから」
「武って結構お姉さんの話をするけど、それが何か関係があるの?」
「お前とは高3の時に出会ったから知らないかもしれないけど、俺さ高2の時に交通事故で両親亡くしたんだ」
「そうだったんだ・・・・・・・ごめん全然知らなかった」
「多分俺の担任しか知らないんじゃないかな。友達もそんなにいなかったし、誰にも言ってないしな」
「それでか・・・・・・・・」
「警察から知らせがあってさ、病院の薄暗い廊下を姉さんと歩いて行ったよ。あの時の俺はきっと
ものすごい顔してたと思うよ。両親の死を確認した時、心にヒビが入っていく音が聞こえた気がした」

話している内にあの日の事が再びフラッシュバックしてくる。ゆっくりと目に涙が溜まっていくのを感じた。

「だけど、俺は姉さんに救われたんだ。姉さんも辛かったはずなのにさ、泣きたかったはずなのに
涙一つ見せずに『二人で一緒に生きて行こう』って言ってくれた。心の傷を全て覆い隠して
全てを背負ってくれた。悲しみも弟の俺も全てを姉さんは背負ってくれた」
「・・・・・・・・・・そうなんだ」
「だから俺は姉さんに幸せになって欲しかった。俺を救ってくれた姉さんが心から笑える日が来て欲しいって。
3年後に姉さん結婚してさ、春香ちゃんが生まれて姉さん本当に幸せそうだった。今日も一日春香ちゃんと遊んでさ、
元気に遊んでる春香ちゃん見てさ、俺本当に嬉しかった。春香ちゃんが姉さんの幸せの証なんだなって思えたから」
「武優しいんだね・・・・・・・・」
「そんな事ないよ」
「いや、優しいよ。武は・・・・」
「もう二度と悲しい思いをしたくなかっただけだよ。だけど、それには自分の努力が必要なんだって事。
俺は両親が死んで姉さんと2人だけになったけど、自分の気持ちしだいでさ、幸せになれるんだって
それを姉さんに分かってほしかったし、自分で確認したかった」
「もう、大丈夫そう?」
「本当は姉さんの赤ちゃんを病院で見たときに大丈夫だって思えたんだけどさ、それでも時々来るんだよ。
フラッシュバックみたいに過去の事がさ。だからさ今日は本当は再確認したかったんだ」
「再確認?」
「うん。姉さんが紡いだ命の結晶。春香ちゃんをさ。いい子だよ春香ちゃん。元気だし見てるだけで
幸せな気持ちになる。今頃姉さんも旦那さんの雄介さんと旅行楽しんでると思うよ。最近疲れた顔
してたしさ」
「うん・・・・」
「春香ちゃんがいる限り姉さんはずっと幸せだ。少なくとも8年前のあの日よりずっと幸せだ」
「うん」
「それを確認できたから。俺ももう本当の意味で自由になれた気がする。8年かかったけどさ」
「そっか・・・・・・そっか」

気が付くと北川は泣いていた。それが俺の話に同情したからなのか、もしくは自分の母親の事に重ね
合わせたからなのかは分からない。でも、こいつは他人のために泣いてくれた。

「北川お前・・・・・・優しいんだな」
「女を泣かすなばか」
「ちょ、別に泣かしたつもりはないんだけど」
「ていうか、今日はさ本当は偶然会った訳じゃないんだよね・・・・」
「へ?どう言う事?」
「車でつけてきたの。あんたのアパート行ったらどっか出かけようとしてんだもん」
「何か用でもあったの?あ、会社のアレか?休み明けまでに仕上ないといけない書類の・・・」
「ちがうって!何で休みの日まで仕事しなくちゃいけないの。言いたい事があってさ」
「言いたい事?」
「うん」

そういうと北川は手を胸に当て、大きく息を吸い、そっと吐いた。

「あたしさ、武が好き」
「へ?」
「良かった。言えた」

満面の笑みで北川はそう言った。

「俺の事が好き・・・・・?」
「うん。それ言いに来たの。決めたらすぐの人だからあたし」
「嬉しいけどさ・・・・俺のどこがいいわけ・・・・・?」
「今日一日一緒にいて改めて思ったけど、とても単純な理由なんだけどさ」
「うん」
「武は人の幸せを心から願い、人の不幸を心から悲しむ事が出来る人だから。
簡単な事だけど、とても大切な事なの」
「・・・・・・・・・・・・そっか」

北川が語った理由。それが見た目ではなく、人間の本質に関わる事だった。
嬉しかった。

「あ、返事はすぐじゃなくていいから。武の心が落ち着いたらさ、返事聞かせて」
「それでいいのか?」
「いいさ。でもいい返事聞かせてよね!」
「お前ポジティブだよな」
「まあね」

やがて観覧車が一周し、俺は春香ちゃんを背に乗せゆっくり下りた。
沈んでゆく夕日の中、北川は歩きながら忘れられない一言を俺に言った。

「今度はさ、あたしと2人で生きていこう。一緒に」
「え?」

そう言うやいなや、北川は振り返らずに走っていった。
姉さんの台詞と重なる。俺の心の奥に深く突き刺さる言葉だった。

春香ちゃんをおんぶし、遊園地を後にした。車の助手席に乗せる。
シートベルトを締めながら春香ちゃんの寝顔を見て俺は小さく笑った。

「姉さんをよろしくな。春香ちゃん。幸せいっぱいにしてやってくれ」

帰りに行きがけ通った海岸線を通る。夕日が反射して海が真っ赤に染まっていた。

アパートに戻ると17:30をさしていた。春香ちゃんは眠ったままだ。
ソファーに寝かせ、掛け布団をかけてあげた。
姉さんもそろそろ旅行から帰って来るはずだ。家に帰る途中に春香ちゃんを引き取りに来るはずだ。

18:00を時計がさした頃、インターホンがなった。

玄関を開けると姉さんがいた。

「姉さん」
「ただいま。楽しかったよ旅行ありがとう」
「いや、俺こそありがとう姉さん」
「へ?何が?」
「いや、何でもない」
「春香は?」
「あ、疲れて寝ちゃってる。今日遊園地に行ったからさ」
「そうなんだ。春香メリーゴーランドばっかり乗ってたでしょ」
「そうそう、全部で10回は乗ってたよ。そういえば雄介さんは?」
「車で寝てる。疲れちゃったみたいでね。あたしが運転してんの」
「ふふ、そっか。春香ちゃん車までおぶろうか?」
「寝てるんでしょ?ねえ、ちょっと散歩しない?」
「いいけど」

近くの川辺をゆっくりと歩く。姉さんがそっと俺の手を握る。

「やめろよ、みっともない」
「いいから。たまにはいいじゃない」
「姉さん8年前覚えてる?こうして川辺を一緒に歩いたね」
「うん」
「あの時姉さんに思いっきりビンタされたな」
「ごめんね?あの時は」
「いいって。いい思い出だよ。今日春香ちゃんと一緒にいてさ俺楽しかった」
「あたしも旅行楽しかったよ」
「姉さん今幸せ?」
「あたりまえじゃない」
「そっか」
「やだ、何泣いてんのよ」
「俺は姉さんのその一言が聞きたかった」
「何で?」
「いいの。俺の問題だから」
「武もいい加減彼女作りなよ?」
「あ、そう言えば今日告白された」
「ええ!?ほんと?やったじゃん!どんな子?」
「姉さん急にテンションあがり過ぎ」
「何て言われたの?」
「あたしと2人で生きていこうって」
「なにそれ、プロポーズみたいじゃない」
「へ?」

よく考えるとそう取れなくもない。俺はてっきり付き合ってくれという意味だと思ったんだが。

「いい子?」
「うん」
「そっか」

川辺に蛍が2匹いた。8年前も見た気がする。
風に揺れる姉さんの髪と横顔が綺麗だった。

「じゃ、あたしも帰るから。武もしっかりね」
「ああ。春香ちゃんによろしく」
「うん」

車の運転席に乗って、春香ちゃんと共に姉さんは帰って行った。
色々な意味で今日は忘れられない一日になった。

とりあえず初めにやる事は決まっている。

電話をかける。

「あ、北川か」
「うん。どうした?」
「今日のあれだけどさ、告白?それともプロポーズ?どっち?」
「やだ、ばかあ!!」

電話を切られた。何だばかあって。
今度直接会って確かめるか。もう答えは決まってるけどな。


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