ちょろの思い出

2006/11/24 23:46 登録: えっちな名無しさん

俺が小学生に入るか入らないかの時にうちで犬を飼い始めた。
ちっちゃくてちょっと茶色がかった白い雑種の仔犬で
オヤジがちょろと名付けた。
友達が少なかった俺は学校から帰ると毎日ちょろと遊んだ。
一緒に河川敷まで散歩に行き、ボールを投げて遊んだ。
ちょろは馬鹿なのでボールを持ち帰る可能性は低く、
時にはボールを咥えたまま走り出し、
また、ある時はボールとはまるで逆の方向へすっ飛んでいく始末だ。

しかし、それでも逃げ出して行方不明になってしまうことはなく、
帰りは一緒に帰った。
たまに、いなくなってさんざん探し回った挙句、
一旦帰ってから探そうと思って帰宅したら自主的に帰っていることもあった。

中学になって陸上部に入ってからは朝晩、自主トレとして
川の土手の道を毎日5kmぐらい走るのに付き合わせた。
最初のうちはちょろも喜んで付き合ってくれたが、
走ってる途中で立ち止まってしまうようになった。
それからはちょろは留守番になり、部活で友達も出来た俺は
ちょろとあまり遊ばなくなってしまった。

その後、高校受験・大学受験があったこともあり、
たまに庭で相手をしてやるぐらいで、母親がちょろの世話をしていた。
でも、中間・期末テストの勉強の合間にチョロをなでているだけでも
ずいぶん癒された。

地元の大学に進学し、今度は勉強よりも遊びで忙しくなり、
犬よりも大学の友達との付き合いを優先してちょろはたまに散歩に
連れて行くぐらいだった。この頃になると、もうだいぶ弱っていて、
子供の頃よく遊んだ河川敷に来て放しても昔のように走ることはなく、
俺の足元をうろうろするだけになっていた。
だからあんまり面白くなくて滅多に散歩に行くことはなくなった。

そして大学を卒業して地元の会社に就職した。
その頃にはすでにちょろは、今思えばすごい高齢だったはずだが、
自分にしてみたらちょろがいるのは当たり前だったし、
とくになんとも思わなかった。
人並みに会社勤めをして、残業や飲みで遅く帰るようになったが
どんなに遅くても、ちょろは小屋から出てしっぽを振ってお迎えしてくれた。
ところが、だんだん億劫なのか寒いからなのか起き上がらずに
しっぽを振るだけのお迎えになってきた。
俺は「お前、怠慢だぞ」とか思いつつ、まあ、年寄りなのでしょうがないか、
と思っていた。
そしてついにはいつ見ても寝たきりという状態になってしまった。
会社に行く時も寝たまま、帰っても寝たまま。
下の方も緩くなって糞尿もところかまわず垂れ流し。

そうなってからようやく、ちょろがもう長くないことを改めて認識した。
毎朝会社に行く前に必ず「ちょろ、今日も元気でがんばるんだぞ!」
と声をかけてから出勤するようになった。
ちょろは聞こえてるのか聞こえてないのか、分からないが、
私が会社に行くというのは分かるみたいで、
軽く顔を動して声には反応してるみたいだった。
たぶん、目も耳もろくに機能していないに違いないけど、
とにかく無反応ではなかった。

ちょろに毎朝「がんばれよ!」と声をかけて出勤するのが習慣になっていた。
そして帰宅すると「よしよし!今日もよく頑張ったな!」と褒めてやった。
それがちょろとの日課だった。
ところがある朝、ちょろの様子がいつもとは違い、
息遣いが荒く、呼吸も同じリズムじゃなくていかにも辛そうだった。
もう危ないかな?と思ったが、社会人なら誰でも分かってもらえると思うが、
犬の調子が悪いからと言っていきなり急に会社を休めるわけもなく、
あんまり辛そうなので、いつものように頑張れとは言わず、
「ちょろ、よく頑張ったな。でも、もう頑張らなくていいんだよ。。。」
とだけ言って出かけた。

その日、帰宅したらすでにちょろは亡くなっていた。
もう動かなくなったちょろに「よく頑張ったな・・・」と言いながら
撫でていると、不思議と子供の頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。
ボールを咥えて一目散に私から逃げ出している馬鹿犬っぷりや、
一緒に朝練として走り込みをしたこと、受験勉強の合間の息抜きなどなど・・・
ちょろは火葬にしたが、お墓をつくるほどの余裕も土地も無かったため、
骨は一緒に遊んだ河川敷に埋め、粉みたいに残った一部は川に流した。
それが一番ちょろも嬉しいだろうと思った。

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