先輩の最後の試合

2007/01/10 19:03 登録: えっちな名無しさん

俺、小学校の頃ってめちゃくちゃ泣き虫でした。
なぜだか分からないけど、毎日のように涙が溢れてた。
女の子にも泣かされた気がする(笑)

イジメとか、痛みとかで泣くんじゃなくて、
なんていうのかな、
多感というか繊細というか神経が細いというか、
子供時分にありがちなちょっとグサっと来るような無遠慮な言葉や、
はやし立てるような言葉とか、そういうので泣いてたな。

一番ひどいエピソードなんて、家庭科の授業でね、
針の穴に糸が入らなくて、焦れば焦るほど入らないワケ。
自分1人が残されて、でも糸は舐め過ぎてもうヘロヘロ(笑)、
「後はダイゴロウ君だけですよー」って皆の視線が集まると、
何となく、好奇だったり面白おかしく見られたり、はやし立てられたり、
そうなると涙がジワーっと浮かんで、針の穴さえ歪んで見えちゃう、みたいな(苦笑)

俺は小5からサッカー始めたけど、仲間は3年生からやってて、
試合には割りと早く出してもらえたんだけど、
シュート外すと練習中にコーチに1人だけ呼ばれて怒られて、
みんなはシュート練習続けてて、なんかその取り残された絵がまた、
自分の情けなさだったり惨めさだったり悔しさだったり、
そういうのが入り混じっては、こぼれそうな涙をこらえる、
そんな小学生時代だった。

でもなぜか、不思議と、中学生になったらピタっと涙が止んで、
ホントに全く泣かなくなって、
アレ?、俺、涙出過ぎて、こりゃ枯れたんだな、と思った。
高校生になっても、それは変わらなかったし。

俺の高校は、県下有数と言われる進学校だった。県立だけどね。
1つ下のランクとされる高校は2年前くらいに選手権に出場していて、
迷ったんだけど、俺は結局、そこには行かなかった。
オヤジからは、「高校は4年間(浪人含め)でいいから、
サッカー思いっきりやっていいぞ」と言われていた。

オヤジは、「俺もそうだったから」という理由で俺を、
中学生を卒業した春休みから、いきなり車でその高校へ連れて行くと降ろして、
「よし、今日から部活、やってこい」と放り出しやがった(笑)
で、そこから俺の高校サッカーが始まった。

そしたらこれが、強かったんだ。
その年、県で2位になって関東大会に出場、
インターハイ予選はベスト8で負けちゃったけど、
なんと選手権予選は208校の中、優勝。
選手権でも2回勝って、3連戦目で負けちゃったけど、熱い冬だった。

でも俺、控えにも入れず、正直、悔しかった。
3年生の引退後は当然、次はレギュラー取って俺も全国大会へ、と思うよね。

俺、すぐその冬の新チームでレギュラーになれたんだ。
で、出来すぎのように、最初の試合で3得点。
全国出たばっかりだし、チームも他校の注目浴びてる中で、
最高のスタートだなーって思ってた。

その年、関東大会予選はベスト8、インターハイ予選はベスト4と、
実力差はほとんどないけど、勝ちきれずに時間は過ぎた。

うちの高校は一応は進学校だから(運動部なんて普段は勉強全然しないけど)、
3年生はインターハイ予選で引退することも出来る。
その年もほとんどの3年生は引退して、残ったのは5人の先輩だった。
また1つ、チームのエースFWとして、自分の責任が重くなったような、
そんな心持ちがしたのを覚えている。

選手権の予選は、実は夏休みから始まる。
真夏の灼熱の下だ。
1次予選の3試合、苦戦もしたけれど俺は、全ての試合でゴールを奪い、
先輩たちからも「さすがうちのエースだ」と、
初めてそう言ってもらえたのもこの時だったんだ。
「ひょろっと背が高くて、線の細かったダイゴロウがなー、
俺たちの最後の試合を1つでも伸ばせるように、また頼むぞ」って、
そう言ってくれた。
めちゃくちゃ嬉しかったから、よく覚えている。

夏休みを越え、秋になり、いよいよ勝負の2次予選が始まる。
相手は、インターハイ予選でもPKまでもつれた大清水東高校だ。
勝ちはしたけど、3年生が引退もしていない、苦戦が予想される相手だった。

俺は、夏休みの最後から、プッツリとゴール欠乏症に陥っていた。
理由なんかないハズなのに、なぜかシュートが決まらない試合が続くうちに、
自分でもスランプを意識して、ドツボに嵌まっていた。
居残りでシュート練習しても、あるいは逆にリフレッシュしても、ダメだった。

正直、俺はかなり焦燥していた。

具合の悪いことには、その時、決戦の試合のある週の月曜から木曜まで、
修学旅行が組まれていたんだ。

色々考えたけど、俺はその修学旅行には行かないことを決めた。
以前、ハドボール部が同じような境遇にあったとき、
部員全員で旅行をあきらめた例があると聞いていたし、
俺は顧問の先生のところへ行って、自分の考えを伝えた。

自分は調子がとても良くない、だから修学旅行には行かず、
残って練習をしたい。
そう告げた。

監督の答えは、否だった。
「高校生の部活動は、学校生活の大きな枠の中の1つなのだから、
お前の気持ちはわかるが、定められた中で最大限の努力をしろ。
行かないつもりなら、お前は試合で使わない」と、
そんなようなことを言われた。

もう、日が落ちて暗くなってボールが見えなくなっても、
ひたすらボールを蹴り続けるしかなかった。
旅行前に蹴れるだけボールを蹴り込むしか、
もう他にやれることがなかった。

「球出し、してやろうか」
先輩たちが寄ってきてくれたのは、確か出発の前日だったと思う。
そこで俺は言われた。

「ダイゴロウ、お前、修学旅行には行かないって言ったんだって?」
「調子、全然あがらないし、このままじゃいられないですから、俺」
「行ってこいって、旅行。お前の気持ちは嬉しいし、大丈夫だよ」
「夜更かしだけし過ぎなきゃいいんじゃないか。後は楽しんでこいって」
「でも俺、本当にヤバいんすよ…」
「なら、俺がもっといいパス出してやっから、だから行ってこい」
「お前が決められないなら仕方ないさ、お前、うちのエースなんだから」

俺はただただ、申し訳なかった。
でも必ず、点を取りたいと思った。
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不完全燃焼みたいなくすぶった気持ちで、俺は旅行へ行き、
同級生を交代で捕まえては基本練習の相手にして、
夜は軽いランニングで体を動かし、
騒ぐクラスメイトたちから一人離れ、早寝して旅行を過ごした。

そして、戻ってすぐの日曜日に、大清水東高校と対戦した。

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結果は、0対3の完敗だった。
俺はやっぱり調子が悪くて、シュートチャンスはあったものの、
得点は遠かった。

勿論、俺がゴールしたからってどうにかなる点差じゃないし、
相当、予想以上に、劣勢のまま終わった試合だった。

それでも、先輩たちは必死に最後まで、走っていた。
勝てない、それが明らかになる最後の10分くらいは、
「もう涙でボール見えないかもしれんよ」と既に半分涙声で笑っていた先輩が、
俺にパスを出そうと、最後までボールを奪いに懸命に、
歯を食いしばって走っていた。

でも、俺たちは1点も取れずに負けた。
俺は何もできなかった。

試合後、俺はグッタリと疲労感を感じたまま、
冷たいコンクリートに座り、背中を壁にもたれかけて、思っていた。
「ちくしょう、カンペキに負けたなー」って。
「やっぱり、点取れやしなかったしなー」って。
不甲斐なくもあり、どうにも無力で。
悔しさを通り越したように脱力して、そんなことを考えていた。

「ダイゴロー」
気がつくと、先輩がいた。
「ありがとな、今日まで、本当に」
感謝しなければならないのは俺の方なのに、
俺は、ありきたりの言葉しか口に出来なかった。

「俺こそ、ありがとうございました。すみません、本当にすみませんでし…」
気がついたら、や、気がつくよりも早く、涙が溢れて止まらなかった。
枯れ果てたと思っていた涙が、どうしようもなく溢れていた。

俺は、顔をあげることが出来なかった。
しゃくりあげるように、途切れながら、「すみません」を何度も繰り返した。

「来年、勝てよ。頑張れな」
先輩のその言葉に、また涙が溢れていくのがわかった。


出典:自作
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