家族の絆
2007/01/20 12:00 登録: ナナシ
誰も今からの未来なんて想像出来ない。
だからこそ面白いこともある。しかし想像しえない未来によって悲しい思いをすることも多々ある。
…俺は1年前、まだ高校生だった頃には、こんなことになるなんて想像をしなかった…。
高校生の時というのは、親と一緒に行動することを嫌がる。
友達や知り合いに親と行動している姿を見られると恥ずかしいと思っていたからだ。
友達と行動する方が数倍楽しいし、気を使うこともない。
実際俺は、友達と遊んだり酒を飲んだりと、夜遅くに帰ったり朝帰りなんて度々あった。
最初の頃は、両親共に心配して「早く帰って来いよ」などと言うのだが、当然聞く気など無かった。
こんな俺に呆れたのか徐々に心配する言葉をかけることも無くなっていった。
こういったように自由気ままに生活出来るのは、日頃から何不自由なく生活出来ていたからだ。自分の家は裕福なんだ。そんな事も思い始めていた。
通っていた高校が工業高校だったために、クラスのほとんどが就職という道を選ぶ。俺もあまり気は乗らなかったが、就職することに決めていた。
しかし今まで遊びほうけていたせいか、なかなか就職先が決まらなかった。
ほとんどの人が就職先を決めていく中で、やっとの思いで俺も就職内定をもらうことが出来た。決して大きい会社ではない。地元の小さな工場だった。
就職が決まってからは、学校に行く気が全くしなくなっていた。
内定を取り消されるのは嫌だったので、しょうがなく学校へ行き、ほとんどの授業を寝てすごし学校が終われば友達と夜まで遊ぶ。毎日この繰り返しだった。
そして卒業式を迎えた。俺は全く泣かなかった。学校に思い入れなんてなかったし、友達も会おうと思えばいつだって会える。
卒業してからは家にいる時間が増えた。冬で外に出る気がしなかったというのもあるが、もうじき就職するんだと考えると、残りの時間をゆっくり過ごしたいと思っていたからだ。一日中家にいると、家族が帰宅する様子を見ることが出来た。
一番最初に帰ってくるのは中学生の弟だ。いつも決まって「腹減った〜」と言いながら帰ってくる。次に帰ってくるのはスーパーでパートをしている母だ。いままで母が帰宅してくる様子をあまり見たことが無かったが、改めて見てみると、心の底から疲れたような顔をして帰ってくる。レジを打つ仕事なので肩こりが酷いらしく、よく俺に「ちょっとでいいから肩揉んで」と頼んでくる。
しかし毎回面倒くさいという理由で断っていた。
最後に帰ってくるのは親父だ。親父は会社の中でも偉い身分らしく、会社のことで多く悩みを抱えていた。親父は帰ると会社でどんなことがあった等の愚痴を決まって母に話していた。そんな両親を見て、なぜか妙に安心したのを覚えている。
そして俺が入社式を迎える日、親父は立派なスーツを買ってくれた。工場勤務なのでスーツを着ることなんて滅多にないのに、入社式はお前の晴れ舞台だ。とか言ってわざわざ高いスーツを選んで買ってくれた。
生まれて初めての入社式。いままで味わったことのない緊張だった。常に喉がカラカラになるほど緊張していた。
入社式も無事終わり、まだ車の免許を持ってなかった俺は、親父に迎えに来てくれと頼んだ。しばらくして親父が来ると、親父の車に乗った途端入社式がどうだったとか、社長が怖かったとか、他愛もない話を親父に話していた。親父は俺の話を聞いて、ただ「そうかそうか」というだけだった。しかし、そんな相槌でも嬉しかった俺はそれからもどんどん止まることなく話し続けていた。
親父とこうやって話をするの久しぶりだな。とふと思った。
家に帰ると母も入社式はどうだった?と聞いてきた。
もう親父にだいたいの事を話していたので、同じことを二回話すのは面倒だったので、「まぁ緊張したよ」とだけ話した。
いざ働きはじめると、毎日こんな仕事辞めたいと思うようになっていた。
慣れない三交替で体を壊すこともあった。辞めたいと親父に相談しても、母に相談しても、決まって「もう少しがんばってみろ」と言われた。
初めての給料をもらった日、いままでもらった事のない金額に、驚いてしまった。
大した額ではないのだが、学生時代には考えられないような収入だった。
俺は初任給で両親を飯に連れてってやった。なにをすれば喜ぶか悩んだけど、こんなことしか思いつかなかった。
しかし親父も母もすごく喜んでくれた。笑っているのか泣いているのかわからない顔で「ありがとう」と何回も言った。
初任給をもらった日から親父も母も俺に金を貸してくれと頼むようになった。
最初は絶対嫌だと断っていたのだが、日を追うににつれ深刻な感じで頼みこんでくるので、憎まれ口を叩きながら結局貸してしまった。
ある日親父になぜ二人共こんなに金に困っているのか聞いたことがある。
親父曰く、若い頃に子供が出来てしまって、貯金もないまま結婚してしまったからだという。母に同じことを聞くといままでサラ金に手を出したこともあるらしい。
サラ金に手を出したと知ったのはこの時が初めてだ。
その事実を知ってからというもの、両親共に悩みを俺に相談するようになっていた。
いかにして今まで俺たち子供が苦労せずに生きて来れたかが分かった。
というより両親が苦労して何不自由ない暮らしをさせてくれていた。
急に親に対しての感謝の気持ちが芽生え始めた。いままで俺がどれだけ親不孝だったか、いままで両親がどんな気持ちで「早く帰ってこい」と言っていたのかを考えるといたたまれなくなった。
しかし両親共に俺に愚痴をこぼすの親同士の会話が急激に少なくなっていた。
そのことが心配になった俺は、初めてのボーナスが出たら家族で旅行に行こうと誘った。そのことには家族全員が喜び、賛成してくれた。
数ヶ月後、ボーナスが出たので家族で温泉旅行に出かけた。
親父も母も日頃の疲れを癒せたのか旅行中はとても生き生きしていた。
そして旅行中は両親同士も沢山会話をしていたので、すごく安心していた。
無事に旅行も終わり俺も目的が達成出来たので、とてもいい旅行だったと思った。
家族のみんなもありがとうと言ってくれた。
また来年も行こうと親父が言うので、金があればねと弟が言ったのでみんなで笑った。
この時とても幸せだと感じた。
友達と遊んだときにはない、なにか胸いっぱいになる思いがこみ上げてきた。
しかし旅行から帰って来て数日が経つとまた両親の会話がなくなっていた。
そしてある日決定的な出来事が起きた。
母が突然家を出て行ってしまったのだ。親父になにかひどい事でも言われたのかと思い親父を問い詰めた。しかし親父は「何も言ってない」の一点張りでなにも教えてくれなかった。
母が家を出て行って三日がたったある日、親父の携帯に母から電話がかかった。
その場にいた俺と弟は親父の発言に聞き耳をたて、有り得ないくらい緊張していた。
すると親父は突然俺たちに「あいつが家族で話がしたいから、いまから家に帰ってくるって」と言った。俺たちは久しぶりに母に会える嬉しさと、いまからなにを言われるのかという、緊張、不安でおかしくなりそうだった。いや、もうなにを言われるかは想像出来ていたかもしれない。
しばらくすると家のインターホンが鳴り母が家に帰ってきた。
その手に握られた紙を見て俺は感づいた。
母は神妙な面持ちでこう切り出した。
「実はわたしね、あなたの他に好きな人が出来たの。その人お金持ちでわたしの借金も苦にしないような人なの。だから別れてほしい。」
そう言って母は手に持った紙を親父に差し出した。離婚届だった。
もう母の名前は書かれておりあとは親父の書くところだけが残されていた。
となりでは弟が嗚咽をもらして泣いていた。
俺もいままでの事を思い出すと、泣けてきた。
あの日の旅行は意味なかったのかよ。借金なんて俺も払うから。
そう言いたかったけど、口に出せなかった。
俺たちの目の前で親父は離婚届を手に取り名前を書き始めた。
俺たちはその姿をみて耐えられなくなり二人とも大泣きだった。
なぜ母はこの話し合いに俺たちを呼んだのか、それを考えると最後まで俺たちのことを考えている母に対して涙がこぼれた。
親父は名前を書き終え母に渡した。話し合いの結果、俺は親父に引き取られ、弟は母が面倒を見るらしい。離婚届ってなんだよ。なんでこんな紙切れ一枚で家族が引き裂かれないといけないんだよ。家族の絆ってこんな紙切れで崩れるようなもろいもんだったのかよ。この紙のせいで大好きな家族に会えなくなる。会えなくなるってわかったら、いままでもっと親孝行してあげれば良かったと後悔した。あの時肩を揉んであげれば良かった…
いままで親父と一緒に何不自由なく暮らさしてくれた母にお礼が言いたい。ありがとう。もっと早くありがたみに気づいて直接言ってあげれば良かったんだけど、俺バカだからこうなるまで気づかなかったよ。そしてかわいい弟にも言いたい。いままで俺ばっかり遊びまわっててあんまり遊び相手になってやれなくてごめんな。昔一緒に遊んでたの思い出したらまた泣けてきたよ。今度の親父は金持ちらしいね。もう腹減ったなんて思わず思い切り好きなハンバーグが食べれるね。それくらい俺が食わしてやれたら良かったんだけど、兄ちゃん自分のことしか考えてなくてごめんね。二人ともいままでありがとう。
続編:親子の絆
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出典:オ
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