エロゲーより抜粋
2007/05/06 13:01 登録: えっちな名無しさん
『夜が怖い』と、彼は言った。
新都玄木坂四番地、蝉菜マンション十一階二号室。
それが彼の部屋だった。
彼の名は―――そう、仮にA氏としよう。
A氏は二十歳になったばかりの学生で、春先に新しく入居してきた。
生まれて初めての引越し、生まれて初めての一人暮らし、生まれて初めての知らない街。
内向的な性格をしたA氏は新しい生活に戸惑いながらも、冬木の町に少しずつ順応して言った。
もとよりA氏は一人でいる方が気楽な性格で、友人が少ない事も、周りが『知らない誰か』である事も、
そう苦痛ではなかったそうだ。
むしろそちらの方が有り難い。
部屋に引きこもりがちなA氏は、誰にもーーー友人にも家族にも干渉されない新生活を、
いたく気に入っていたらしい。
A氏の生活に不満はなかった。
ただ二つ。
玄関までの長い廊下と、
一ヶ月前隣に引っ越してきた家族の、度し難いまでの浅慮さをんぞけばだが。
春に引っ越してきたときからその不満ーーーいや、不安はあったのだと思う。
両親に用意させたマンションは月○×万の4LDKの部屋だった。
広さは申し分ない。
孤独を好んでいる訳ではない。
住居は広ければ広いほどいい。
外界を嫌う彼にとって、ここは要塞なのだ。
要塞は広く堅固でなければならない。たやすく辿り着いてはならない。
深くなければ安心できない。
そう。
A氏は一人を好んでいたのではなかった。
彼は他人が傍にいる事。
自分以外の何かが侵入してくる事を、無意識に恐れていたのだ。
そんなA氏が蝉菜マンションを選んだ要因に、もうひとつ、付け加える事がある。
玄関から居間までの距離。
一番初めにして最後、内部に侵る(入る)為に、外に出る為に、
絶対に通らねばならない廊下の長さである。
居間から玄関までの四メートルもの直線で、途中には物置も浴室もない。
マンションにしては珍しい長廊下だが、その長さがA氏の気にいったのだろう。
理想的な広さ、理想的な侵入路。
入り口を遠く隔つ(へだつ)、中とも外とも言えないあいまいな境界。
その廊下こそが本当の“玄関”なのだと訴えるような、それは不自然な路だった。
…………が。
実際に生活を始めてみると、この廊下がどうも気に掛かる。
こんなにも素晴らしい長さなのに何が気に掛かるのか、
と彼は首をかしげ、数ヶ月経ってようやく思い当たった。
単純な話だ。
その長い廊下には、電灯が付けられていなかった。
構造的な欠陥らしく、つけるスペースそのものがないらしい。
他の世帯の廊下には付いているのだが、この十一階二号室だけ付け忘れたというのだ。
間の抜けた話だった。
電灯を付け忘れた業者がではない。
数ヶ月も暮らしておいて、そんな事に今さら気が付く自分がおかしかった。
―――振り返ってみれば。
そんな事に気が付かない時点で、彼は既に踏み外していたのだろう。
秋になって、隣の部屋に入居者がやってきた。
何処にでも見かける幸福な家族。
若い夫婦に三歳ほどの娘が一人で、入居時に軽く挨拶をした程度の関係だった。
A氏が知っているのはその家族の苗字が××という事、娘が*#という名だという事だけだ。
蝉菜マンションはワンフロアに二つの世帯しかない、L字型の建物である。
L字の中心がエントランスで、縦と横の線がそれぞれの世帯となっている。
エントランスにはエレベーターと非常階段に通じる扉があり、A氏はエントランスで××夫夫と遭遇する事もあるのだが、
まれに*#だけと出会う時もあった。
「お兄ちゃん。ボタン、押してくれる?」
出会うたび、少女はそう言った。
エレベーターのボタンは少女の背丈よりやや高い位置にある。
手を上げれば押せない高さでもないのだが、どうしてか、少女は肩より上に手を上げようとはしなかった。
まだ三歳の少女が一人で外に出る、ということに違和感を覚えながらも、A氏は少女の頼みをきいてやった。
少女とは十一階のエントランスだけではなく、一階のエントランスで会う事もあった。
少女はエレベーターの前にうずくまっていて、A氏が帰宅、ないし外出する為に玄関から出ると顔をあげ、
上目遣いに、
お兄ちゃん。ボタン、押して
そんなやりとりを何度かするうちに、A氏は少女の名前を知ったのだ。
もっとも、A氏hが少女を名前では記憶していなかった。他人には興味がなかったからだろう。
いつも赤いフードを被っていた事から、A氏は少女を「赤ずきん」と名付けていた。
繰り返すが、A氏は内向的な青年である。
彼は自らの生活が脅かされない限り、外界に関心を持つことはなかった。
それは例えば、壁越しに聞こえてくる隣室の口論の声だったり、
二日に一度の割合で聞こえてくる少女の泣き声だったり、もはや悲鳴とさえ呼べない女の叫びだったり、
少女の腕があがらないのは骨折したまま放置された後遺症のせいだったり、
赤いフードを被らされていたのは顔のアザを人に見られないように父親に言い含められていたからであったりと、
まぁ、そういった他人事にである。
玄関から一メートルほどの隣室の騒ぎなのい、と言うなかれ。
A氏の玄関はとにかく長い。
何メートルか越しの悲鳴なのだから、テレビ画面を眺めながら聞き流していたとしても仕方のない事だ。
ただ、その夜はひときわ騒がしかった。
ガラスを割るような叫び。
サイレンのような泣き声。
エントランスから響く、乱暴に開けられるドアの音。
ドンドン、とA氏の部屋に響いてくる何かの音。
時刻は午前二時。一人静かに深夜放送を楽しんでいた彼も、その夜だけは癇に障った。
常識をわきまえろ、と講義しようと腰を上げる。
腰を上げて、すぐ下ろした。
―――まぁ、すぐに収まるだろう。
隣室の家庭環境がそうなっているかなど、A氏は知らない。
面倒なので考えないようにしている。ここで出しゃばって関わり合いを持つのはよくない。
何事も自己責任だ。
自分たちの問題は自分たちで解決すべきなのだ、とA氏はテレビのコントローラーを手に取り、
ボリュームを五つほど上げた。
夜更かしの末に、テレビを消して眠りに付くコロンは、いつも通りの静かな夜に戻っていた。
翌日、隣室の住人が一家心中によって名kなったことを、A氏は知った。
警察から事情聴取を受けたのは初めての経験だった。
昨日の深夜、××■■(妻)は××■(夫)を口論の末刃物で殺害。日一人娘である*#を刃物で切りつけた後、
自ら命を絶ったという。
昨夜の事を尋ねる警官に、A氏は「眠っていたからわからない」と答えた。
警官は礼儀正しく去っていく。その背中に、A氏は一つだけ質問をした。
「あの、一人娘はどうなたのでしょう?」
警官はわずかに眉をよせて、
『凶器には血液反応が残ってますから、刺された事に間違いはありません。血痕からして致命傷であたと考えられます』
ただ、と
居心地が悪そうに、若い警官は呟いた。
「痛いがないんですよ。何処にも。
部屋にも逃げ出した後のエントランスにも」
話は簡単だった。
少女(赤ずきん)は母親に刃物で斬りつけられた後、エントランスに逃げ出したらしい。
だが、そこから少女が移動した形跡はない。
血痕はエレベーターの前で途絶えていたという。
『なぜエレベーターを使わなかったんでしょうね。
いえ、そもそもどうして隣室の貴方に助けを求めなかったのか。いくら錯乱していたからって、
チャイムを押すぐらいはできたでしょうに』
お兄ちゃん。ボタン、押して
A氏には、少女にはどちらのボタンも遠すぎたからだ、とは言えなかった。
警察が去り、玄関に一人残されたA氏は想像する。
午前二時。錯乱した母親から逃れてエントランスに出たものの出口はなく、
崩れかけた泣き顔で、必死意A氏のドアをノックし続ける少女の姿を。
結局。
少女の遺体は、最後まで発見されなかった。
それから数日。
深夜、ある時間になると決まって妙な音が聞こえる事に、A氏は気づいた。
物音自体はとても小さい。意識しなければ聞こえないほどのボリュームだ。
それが何であるか、A氏はしばらく考えもしなかった。
風が窓を揺らしているのだろうと納得することにした。
音は毎晩やってくる。
どん、どん。
消え入りそうなほど小さいクセに神経に障る音。
それが窓からではなく減kんから響く音だと気づいて、
A氏は、
夜が怖い
長い廊下を歩いて、玄関に足を運んだ。
どなたですか、とインターフォンに呼びかける。
返事はない。
あれだけ小さかった音は、A氏が玄関に着いた途端、
覗き窓から外を調べる。
丸く歪んだ視界。こぎれいなエントランスには誰もいない。
ただ、クリーム色の床に赤いマダラが、
鼓膜が破れそうだった。エントランスにh誰も居ない。
音は止まらない。A氏は覗き窓に眼球を近づける。誰も居ないのではない。
この角度では見えないだけだ。音が止まらない。覗き窓のすぐ下。
視界の底になにか、
あけて
赤い布をかぶった何かが、扉にぴったりと張り付いて―――
長い廊下を逃げ帰る。
時計は午前二時を指していた。
深夜の訪問は定番になった。
音は毎晩やってくる。
A氏は決して扉を開けなかった。
今夜も音はやってくる。
気のせいだと無視できるほどの小さな音。
夜が怖い
だが、それはもう脳髄にしみこんで離れない苦痛であり、
神経を削っていく刃物のようだった。
日を増すごとにA氏の神経は追いつめられていった。
秋の終わり。
もう、何時であろうと音を聞いてしまうようになった彼は、
その夜、決意した。
扉に張りついたモノを、確かめるのだと。
長い廊下を歩いていく。
玄関のわずかな磨り硝子からエントランスの明かりが漏れている。
長い、明かりのない廊下を渡って、彼は
あけて
あけて
あけて
玄関を押し開けた。
そこには何も、誰もいなかった。
耳障りな、頭蓋に反響するノックも聞こえない。
当然だ。こんなバカげた話がある筈がない。初めから、
音も赤い布もなかったのだ。
はは、は、は。
笑いと安堵が混ぜこぜになる。
冷え切っていた体が急速に温度を取り戻していく。
ただの幻聴だ。
どうやら思いの外、自分はあの事件を気にかけていたらしい。
気づかないうちに罪の意識でも感じて、身勝手な被害妄想を生んでいたのだ。
それももうない。
この扉を開けた時点で、すべては終わったのだから。
ふう。
額の汗をぬぐって玄関を閉める。
鍵を閉めて顔をあげる。
目の前には、
気に入っていた、長い廊下が、
瞳孔が拡大する。
廊下の真ん中に、なにか
赤いフードを被った、
見覚えのある死体が、
それは何かを懇願したいようだった。
理由もなく、聞いたら死ぬ、とA氏は確信した。
闇に沈んだ唇が開く。
ナイフでくり抜かれたスイカみたい。
赤ずきんは、血まみれの声で、
「お兄ちゃん、ボタン―――」
出典:というか『Fate/hollowat araxia』
リンク:から無断転載(ダメジャン

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