某Aさんのエロゲークリエイター体験記 第二部 「ライター編」

2007/05/17 03:18 登録: えっちな名無しさん

前編:某Aさんのエロゲークリエイター体験記 第一部 「就職編」
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■某Aさんのエロゲークリエイター体験記34

第二部「ライター編」 予告1

背骨ソフトに無事採用されたAさん。
出社前に、少しでも背骨ソフトの情報を集めておこうと、自宅のパソコンから2ちゃんねるに接続した。
エロゲー板に入り、背骨ソフトのスレッドを探す。

――な、なんじゃこりゃ……。

背骨ソフトのスレッドを見て、Aさんは驚愕した。

「修正パッチまだかよ」「糞ゲー」「地雷」「流石G先生のシナリオですね」
「一本目からこれじゃ先が思いやられるな」「次はもうないんじゃない?」

ネガティブな意見がこれでもかと踊っている。
荒らし、アンチ云々の話ではない。

どうやら、ここまで酷いのは背骨ソフトの出したソフトに重大なバグが見つかったのが原因らしい。
とあるヒロインのルートの途中で、いきなりOSを巻き込んで落ちてしまう。
おまけに重い。そして、OSが98では、プレイすらできない。

それでも一人ぐらいは、ゲームを評価してくれる書き込みがあっても良さそうなのだが、
その肝心なゲームの内容が、いかんせん平均点以下。
シナリオを書いたG先生――面接でも名前が出ていた――は、
経験豊富なベテランだが、これまで特にヒット作を出したわけでもなく、
無難なシナリオ、つまり当り障りのないシナリオしか書けないライターとして認知されている。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記35

第二部「ライター編」 予告2

なおかつG先生のシナリオの致命的なところは、エロが薄いこと。いくら萌えゲーだからといって、
いまどき10クリックで終わってしまうエッチシーンなど、うけるわけがない。
住人たちは、Gのことを侮蔑の意味をこめて“先生”と呼んでいる。

――えらいところに入社してしまった。

Aさんは、目を点にしながらも、別のエロゲーレビューサイトを開いた。
そこでも、背骨ソフトのデビュー作の評価は芳しくない。

ユーザーが一番腹を立てているのが、発売から半月も経つのに、
いまだに背骨ソフトが完全な修正パッチを出していないことだ。
日に日に、背骨ソフトの評判が下降していっているのは、業界に疎いAさんでもわかった。

――でもまあ、一本目にしてはなかなかいい評判を頂いてね。

D氏のあの言葉は、一体なんだったんだ。誰から頂いた評判だったんだよ――。

……。

翌日。ようやく修正パッチを出した背骨ソフトだったが、いまさらという感じは否めない。
大きな不安を抱えながら、Aさんは背骨ソフト初出社の日を迎えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記36

背骨ソフトに初出社の日を迎えたAさん。
前日D社長から電話で、事務手続きのためのハンコと筆記用具を持ってくるように言われた。
それはいいのだが、話の終わりしなD社長より、
「君には期待している」
「うちの会社は君にかかっている」
など散々プレッシャーをかけられた。

会社は、Aさんの家から電車二本乗り継いだところにある。
通勤時間は、一時間強。
出社は、朝の11時からだから通勤ラッシュに見舞われることはないが、
これから毎朝一時間もかけて通うのかと思うと、気分が憂鬱になる。

会社に向かう電車に揺られながら、Aさんはふとある疑問を抱いた。

――給料はいくらもらえるのだろう?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記37

面接のときも、昨夜の電話でも、その話は一切なかった。
いままで、そういう生々しい話は、自分のほうからしてはいけないのではという遠慮があったが、
勤めるとなった以上ははっきりさせておかなければならない。
Aさんのアパートの家賃は、都心から離れているため月五万円と格安だ。
バイトをしていたころは、月14万ほど稼げばなんとかやっていけた。
が、しかし……ゲーム会社の給料は安いと聞く。
最低賃金を下回ることなどあたりまえ、おまけにAさんは入社してから3ヶ月の間、
試用期間ということでバイト扱いになる。
交通費は払ってもらえるようだが、問題は手取りでいくらもらえるのかということだ。
まさか……10万切るってことはないだろうな……。
いや、ありえそうでこわい。

「………………」

会社近くの駅についた。
面接のときに、D社長と一緒にいた、瘠せたE氏と年配のF氏が迎えに来ていた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記38

「よろしくお願いします」

と、Aさんは頭を下げる。
E氏はボソボソと聞き取れない小さな声で挨拶してきた。

「では、会社まで案内します。道を覚えてください。そんなに難しい道順ではないですから」

F氏とE氏に案内され、Aさんは会社に辿り着いた。

――え。ここ?

会社というからには、オフィスビルもしくは、
それなりの佇まいをしているのだろうと勝手に期待していたAさん。
そのAさんの期待を裏切るように、F氏は木造アパートを指差した。
二階建ての……築10年以上はたっていると思われるレトロな佇まい。

「この二階になります」

と、F氏が唖然とするAさんの背中を叩いて、会社の場所まで案内した。
郵便受けには、なるほど「203号 (有)背骨ソフト」とある。
その隣には、「202号 D」
D社長の苗字があった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記39

F氏に聞くと、このアパートは、元は社長のD氏が借りていたアパートで、会社を立ち上げるにあたって、
ちょうど空いていた隣の部屋を事務所として借り受けたそうだ。
いまは202号室を開発室。203号室をD氏の自宅兼事務作業部屋として使っている、
とF氏はAさんに説明した。

「今日はちょうどみんないますし、Aさんを紹介できますね。
あと、A君と一緒に今日入社する“新人君”がいますけど……彼は、午後からだったかな?」
と、F氏はE氏に尋ねる。
「……秋葉でサイン会の打ち合わせを終えてから出社するそうです」

――サイン会?

Aさんは目ざとくE氏の言葉に反応した。

「そうだ。A君を、お手伝いとしてサイン会に借り出してはどうですかね? 
本来は、私たちの仕事ですが、いい勉強になると思うのです」
「……社長に相談してみましょう」

Aさんは、事務所である203号室に案内された。
「どうぞ」
中は意外と広い。
四畳半ほどのキッチンがあり、奥に六畳の和室が二部屋並んでいる。
その一つは、D社長の部屋。
もう一つが、事務室らしい。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記40

――なんだこれ?

入ってすぐ、Aさんの目に飛び込んできたのは、山と詰まれたエロゲー雑誌とゲームの山。
足の踏み場もないくらい、乱雑に散らかっている。

「ああ。これは、雑誌社や他所のメーカーさんから送られた物です。
他にも付き合いのある広告代理店などからも、次々とサンプルなどが送られてくるので……。
片付ける閑もなくて」
F氏は、スリッパを下駄箱から取り出しながら、苦笑した。
「…………この仕事をしていて、一つだけ得があるとすれば、それはエロゲー雑誌が読み放題なのと、
エロゲーがただでプレイできるということだ」
珍しくE氏が口を開いた。
「A君も、勉強のためにここにある雑誌は一通り目を通しておいてください。
ゲームは家に持って帰ってプレイしても良いですよ。その代わり、中古屋に流さないでね」
ははは、とF氏は笑った。

「おおう。A君。どうもです。どうもです。」
奥の部屋からD氏が巨体を揺らしながら出てきた。
「あ、よろしくお願いします」
「ごめんね迎えにいけなくて、昨日徹夜で作業してたものだから」
「社長。とりあえず、書類をA君に書いてもらって、それからみんなを集めて紹介しましょう」
「わかった。A君。ハンコ持って来た?」

奥の部屋に通され、色々手続きを踏まされた。
手続きと言っても、バイトで入る際の手続きと大差ない。
税金やら、保険やらの書類にサインしハンコを押すだけ。
その後、D社長から簡単な会社の説明があった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記41

「この会社は、一応は週休二日制。土曜と日曜。それと祝日はお休みになるのね。
勤務時間は、朝の11時から夜の7時まで、昼休みは適当にとってくれて構わないからね」
「いまのところは暇だから、時間どおりに出社して時間通りに帰ってもらって構わないです」
「まあ、忙しくなってきたら帰る暇もなくなるけどね」

Aさんは、いつ給料のことを聞き出そうかと、そのことばかり気にかけていた。

「そうだ。社長。A君の給料は……?」
「あれ? 俺話してなかったっけ?」
Aさんは首を振る。

D社長は、頭を掻きながらいままで、生活費がどれだけかかったか訊ねてきた。
Aさんは月14〜15はバイトで稼いでましたと答えた。

「そっか。いまのところ、A君は試用期間ということで、時給制にしてもらいたいと思ってるのね。
そうだね……1時間700円でどうかな?」
一時間700円なら、いままでしてきたバイトとたいして変わらない。
「正社員として採用が決まったら、とりあえず月13は出すから。それまで我慢してよ」

――13万……。多くはないが……まあ、普通だ。

ちゃんと給料が出ることに、Aさんはほっと胸を撫で下ろした。

「まあ、うちはまだ恵まれてる方ですよ。一本目がそこそこ本数出てくれたんで、
こうしてお給料も払ってあげられるんですが、
酷いところになりますと月五万しか貰えない会社もありますからね」

俺はまだ運がいいほうだったんだ、とAさんは安堵の溜息をついた。

「それじゃあ、みんなにA君を紹介しようか。隣の開発室に行きましょう」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記42

AさんはD社長たちと共に、開発室である202号室へと移動した。
元はD社長の自宅であった、202号室。
間取りは、203と全く同じだが、隣りの事務所と比べて、綺麗に片付けられている。
奥の二部屋に机が五つ並んでいる。壁には、エロゲーやアニメのポスター。

「おーい。一旦作業止めて集まって」

と、D氏が呼びかけると。奥の部屋から二人の女性がのそのそとやってきた。
一人は、背の高い細身の女性。
ぼさぼさの髪にこけた頬。ずんぐりと座った目が、怖い。
もう一人は、ぽっちゃりとした女の子。かなり年は若そうだ。
どちらも、ルックスは標準以下だが、Aさんは女性従業員がいることにまず驚いた。
「今日から、入ってくれることになったA君」
「……よろしくお願いします」

Aさんは、ぺこりとおじぎした。
背の高い女性は、背骨ソフトの原画。H子さん。年は、社長と同じ。
もう一人の女性は、Iちゃん。チーフグラフィッカー……。
驚くべきことにまだ二十歳らしい。

リアル女性に免疫のないAさんは、どぎまぎしながら二人を見比べた。
この二人が背骨ソフトのグラフィック部門の中枢(といってもこの二人だけだが……)
なのかと思うと、凄く不思議な感じがする。
男のためのエロゲーなのに、女性が……しかも、まだ二十歳そこそこのIちゃんが彩色を統括。
エロ絵をこのH子さんが描いていたなんて…。

一通り、紹介が終わるとH子さんとIちゃんは作業に戻っていった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記43

「あと、午後から来るJ君を入れて社員は全員揃うことになるね」
D社長に、F氏、E氏、H子さん、Iちゃん、そして午後から来るJという人。
それにAさんを入れて、全部で七人。
エロゲーメーカーとしては、多い方である。
しかし、これでも十分な人員が揃っているとは言い難い。

「A君は、ここで作業してもらうから。えーと。これ机」
と、D社長が指差したのは、まだ組み立てられていないパソコンラック。
「あ、そうだ社長。A君のパソコンまだ組みあがってないんですよ」
「そうなの? A君パソコン組み立てられる?」
お店で既に組みあがっているパソコンしか見たことのないAさんは、
D社長の言葉の意味がよくわからなかった。
「できないなら、組めるようになったほうがいいよ。
午後から来るJ君に教えてもらえばいい。それまで、A君は自分の机を組み立てといて」
そう言い残して、D社長とFさんは隣りの事務所に戻っていった。

残されたAさんはE氏に手伝ってもらいパソコンラックを組み立て始めた。
E氏は凄く無口だ。こちらから話題を振らない限り、滅多に口を開くことはない。

IちゃんとH子さんは、黙々と机の前で作業している。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記44

Aさんは、部屋の隅に置かれたダンボールに入った紙の束を見つけた。
「これなんですか?」
「それはですね。前回の原画です」
Iちゃんがタブレットをカチャカチャ動かしながら教えてくれた。
「見ます?」
「是非」
ゲームで見たキャラの立ち絵とイベント原画が、それぞれラフと清書と影指定の三枚を一束にして、
ダンボールの中にきっちりと収められていた。

――気が遠くなるほどの枚数だ。

「これでも、前回のゲームは規模が小さかったですから、少ない方なんです」
「これで少ない方なんですか」
これをH子さんは一人で全部描いたらしい。
凄いな…とAさんは素直に感心する。
原画家のH子さんは、机に向かってシャーペンを走らせていた。
机と上半身がほとんど並行になるくらい、紙に顔を近づけて黙々となにかの絵を書いている。
丸まった背中から、近寄りがたいオーラが流れていて、なにやら話しかけ辛い雰囲気をかもし出していた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記45

午後になって、今日からAさんと一緒に今日入社する予定のJ君がやってきた。

「始めましてJです。Aさん…ですか? よろしくお願いします」
どんな人かと思えば、滅茶苦茶礼儀正しい好青年だった。
なんでも、このJ君は、背骨ソフトに正社員として入社したのは今日だが、前回のゲーム製作では、
外注として背骨ソフトの営業をサポートしていたらしい。
だから、Aさんのようなまるっきり新人というわけではない。

「Aさんのこと聞いてますよ。なんでも、あの○○のライターを超える逸材だそうですね」
「だれがそんなこと言ったの?」
「社長です」
――あの社長……。俺の知らないところでそんなこといってたのか。

期待されて悪い気はしなかったが、過度な期待はプレッシャーになる。

「まあ、あの社長の言うことですから、間に受けはしませんでしたけど」
「そ、そうだよね。俺なんてまだ素人同然だから…」
「パソコン。まだ組み立ててないんですよね。じゃあ、やっちゃいましょう」
J君はAさんのパソコンの組み立てに取り掛かった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記46

このJ君。年は、Aさんの二つ下。
つまり、まだ二十三歳なのだが、この業界に入ってすでに五年のキャリアをもっている。
部署は一応営業になっているが、本職はプログラマー。
そのほかにも、ディレクターやプランナーの経験もあるという。

「え? J君ってここに来る前あの会社にいたの?」
「はい。そこで、○○のプログラムを担当してました」

Aさんが驚いたのも無理はない。
J君のいた以前の会社とは、昨年数万本売り上げた萌えゲーの超有名ブランドである。
そこの開発チームが解散し、新しいブランドを作るという流れになったが、
J君はそれに参加せずフリーになった。
色々な会社の手伝いをしていたところに、F氏に誘われ、この会社に入社する運びとなった。

「まあ、一応営業ということになってますけど、営業広報はFさんがいますし、
僕は主にプログラムを担当することになるでしょうね」
「J君が来る以前のプログラムは……?」
「社長です」
あのユーザーの怒りを買ったバグだらけのプログラミングは、社長自ら手がけていたのか。
「プログラマーとして僕が入っちゃうと、社長が臍まげちゃいますからね。
ですから、一応営業という肩書きで入社することになったんです。
あの人結構子供ですから。Fさんも色々と大変ですよ」
なるほど。ようするにJ君は、ヘルパーなのだ。
前回の開発で社長のプログラミング技術を見限ったFさんが、次回もこのままでは不味いと思ったらしく、
腕のいいプログラマーを雇うことを決めた。
そして、J君に頭を下げて来てもらったのだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記47

「ま、仕事ですから、お金さえ貰えばいいですけど」
「J君っていくらもらえるの? 俺、時給700円」
「僕ですか…? あんまりそういう話はしたくないんですけど…」
「ご、ごめん…」
初対面でいきなりそんな生い話をふられて困るのは当然だ。
Aさんは自分の質問を撤回する。
「謝らなくてもいいです。興味があるんでしたら、Aさんにだけ特別おしえてあげます。
僕の給料は、たぶん月20ぐらいでしょうね」
「20」
Aさんはぶっ倒れそうになった。
そして、これがプロの世界なんだと思い知った。
なんの実績もないライターのAさんと、実力と経験を乞われて入ったJ君。
それが、時給700円と月20万の差だ。

「できました。OSはXPです。あと、デバッグ用に2000も入れておいて下さい」
「デバッグ用?」
「そうです。前回のうちのゲーム、どうしてバグが出たか知ってますか?」
「いや…」
「簡単な話です。時間がなくてデバッグしてなかったんですよ」
「え!?」

「だってそうでしょ? 開発環境ではあらわれない特殊な事例だったら、仕方ないと思いますけど、
どんな環境でも発生するバグ――前回のゲームで言うと、ルートの途中で落ちるとか、
決まったOSではプレイできないバグとかは、デバッグをちゃんとしてれば、誰だって発見できたはずです。
それが…」
J君は、ベランダでタバコを吸っているH子さんを一べつした。
「はいはい。すいませんね……」
H子さんが、タバコをふかしながらやさぐれる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記48

「前回は、落ちちゃうルートのヒロインの絵が最後まで完成しなくて、
結局全ての絵素材がそろったのが、マスターアップの日の朝なんですよ」
「で、そのルートだけデバッグしないで製品を出したわけ?」

「社長の弁解は、一応そうですけど……」
J君は声を潜めた。
「これは僕の推測なんですが、多分社長は、バグに気付いていたと思います。
朝素材が上がって、それからでもデバッグする時間は十分あったはずです。
それに、絵が完成してなくても、ダミーで動かすことは出来ますからね。
…でも社長、バグに気付いたけど、それを治せなかった……。恐らく、それが真相でしょうね」

「……そんなのってありなの?」
バグがあるとわかってて製品を納品するなんて。
リンゴ農家がリンゴが腐ってるとわかってて問屋に卸すようなものだ。
「一作目ですからね。どうしても、発売日は伸ばせなかったんです。
ま、仕方ないですよ。一回発売日を伸ばせば、広告代や押さえた工場のキャンセル代やで、
色々と物入りになっちゃいますから。
それに流通やお店との信用も損なわれる。
お金のある会社だったら、発売日を延期することもできたのでしょうけど、うちはね……」
開発期間を伸ばすお金がないから、バグ入りとわかっていても発売せざるを得なかった、というわけか…。
「…………」
Aさんはショックで言葉を失っていた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記49

「あんな欠陥商品を出したら、普通の企業ならとっくに潰れています。
ところが、この業界はそうじゃない。
当たり前のことをしなくても、商品は売れる。会社は維持できるんです。
当たり前のことが、当たり前にできない。それが“エロゲークリエイター”なんですよ。
Aさんはそんなクリエイターにはならないでくださいね」
不敵な笑みを浮かべて、Aさんに視線を戻す。

――当たり前のことが、当たり前にできないのがエロゲークリエイター。

J君の言葉は、Aさんがほのかに抱いていたエロゲー開発者への憧れを粉砕するのに十分な破壊力があった。
「………………」

「Jよけいなこと、喋ってんじゃねぇよ」
Aさんたちの会話に、E氏が割り込んできた。

「すいません。Aさん、これでパソコンは完成です。あとはネットに繋いで、ドライバを一通り揃えてください」
J君は、出来上がったばかりのパソコンを起動させて、Aさんに必要なドライバを教えた。

「では、僕はFさんと打ち合わせがありますので」
「……」
E氏は、開発室から出て行くJ君を睨みつけた。
その視線を背中で感じたのか、J君は振り返って、

「Eさん。僕がきたからには、今回みたいなぶざまな真似はさせませんから」

そうE氏に言い放って、開発室から出て行った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記50

「…………」
唖然としているAさんに、E氏は声をかける。
「…Jの言ったこと、真に受けるな。
正論かもしれないが、あいつは、底辺でゲームを作ってるメーカーの現状を知らない……。
見ろ。
ここにあるパソコンや機材は全て、会社を立ち上げた俺たちが持ち寄った物だ。
何万もするOSやツールを一通り揃えることですら、どれだけ苦労するか、
大手メーカーでしか仕事をしたことがないあいつにはわかんねぇんだよ。
そういう苦労をいままでしてこなかったから、あんな青臭い口がきけるんだ」
E氏の口調に、だんだん怒りが篭っていく。
「俺たちだって、バグ入りのゲームを喜んで発売したわけじゃない。悔しくないわけないだろ……。
けどな、限られた時間の中で、最低の賃金と、最低の資金と、最低の機材と、最低の人員で、
いかにいい物を作るかが、俺たちの仕事なんだ。
最高の資金と人員と設備を揃えて、
心行くまでゲーム製作に取り掛かれるエロゲークリエイターなんて、一握りしかいない……」
E氏の顔は苦渋に満ちていた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記51

入社早々Aさんはへコんでいた。
J君と、E氏。どちらの言い分もわかる。
けど、ユーザーの立場から見れば、J君の言っていることが正しいのは、誰が聞いてもあきらかだろう。
Aさんも、バグ入りのゲームを掴まされて、メーカーにブチ切れたことは何度もあった。
だけど、バグ入りのゲームを喜んで世に送り出したいと思う開発者はいない。
バグ入りとわかっていて、それでも発売に踏み切らなければいけない様々な事情があるのだ……。
「ふう…」
Aさんは、これからお世話になる専用マシーンに向かって、地の底まで届きそうな、深いため息をついた。
これから、Aさんも開発者の立場に立つ。
当然、下手なゲームを世に送り出せば非難の嵐に晒される。
不安だった。 もう一つ、Aさんを落ち込ませている原因は、
いままで多少なりとも憧れを抱いていたクリエイターへの失望だった。
D社長のような人が、当たり前のようにこの業界内に跋扈しているのかと思うと、ヘコむどころの話じゃない。

「Aさんはそんなクリエイターにはならないでくださいね」
J君の忠告。それは、Aさんへの戒めもあったが、言葉の裏には、
「どうせあなたも、D社長のようになっちゃうんでしょ」
という、意味が含まれてたようにAさんは感じた。

――俺は一体どんなクリエイターになってしまうのだろう。
D社長のようになってしまうのか、それともJ君のように、なれるのか……。

背骨ソフトの人々

背骨ソフトの人々(平野風味)


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記52

「H子さんとA君いる?」
開発室の扉を開けて入ってきたのは、F氏だった。
「はい。なんですか?」
「そろそろサイン会だから準備して。A君も連れてっていいって社長の許可が下りたから。一緒に行きましょう」
Aさんは、言われたとおりに外出の準備にとりかかった。
H子さんも、握っていたシャーペンを置いて立ち上がる。
「サイン会って……原画家のH子さんがサインするんですか? まるで芸能人みたいですね」
Aさんは、尊敬の眼差しでH子さんを見た。
「そうね……馬鹿らしいことだと私も思うわ」
H子さんは、Aさんの期待とは逆の反応を返す。
「まあ、そう言わないで。これもファンサービスの一環だから……。
次回のゲームの売上に繋がると思って……ね?」
どうやら、H子さんはサイン会に乗り気じゃないらしい。
F氏はそんなH子さんを必死になだめる。
「はあ……」
と、H子さんは渋々といった感じで、外出する準備を始めた。

「Aさん」
Iちゃんが作業の手を止めてAさんを手招きする。
「なんですか?」
「ハンカチもってます?」
もってないAさんは、首を振った。
「じゃあ、これ持っててください」
Iちゃんは、チェック柄のハンカチをAさんに手渡した。
「?」
いまからサイン会に行くというのに、なぜハンカチを?
Aさんは、Iちゃんのハンカチを握ったまま疑問に思った。
「きっと役に立ちますから」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記53

「A君。行くよ」
「行ってらっしゃい」
Iちゃんに見送られて、Aさんたち三人は会社を後にした。

山手線秋葉原駅。
言うまでもなく、オタクのメッカである。
「いやー。相変わらず、いい街だねー」
と、改札を出たF氏はなぜか晴れ晴れとした表情で、秋葉原の街を見渡す。
平日だというのに、本当に賑やかだ。
確か今日は金曜日。エロゲーの発売日ということもあって、いつもより人通りが多い。
「…………」
H子さんは、そんな街並みには目もくれず、タバコケースから細長いタバコを取り出し口にくわえた。
「こらこら。H子さん。条例……知らないの?」
F氏に注意され、H子さんは舌打ちしながら、火をつけたばかりのタバコを投げ捨てた。
「……だから秋葉は嫌いなのよ」
「条例? ああ、なるほど」
タバコを吸わないAさんは、一瞬遅れてF氏の言葉に反応した。
千代田区の禁煙条例のことか。
Aさんには関係ないが、タバコを吸うH子さんにしてみれば、鬱陶しいことこの上ないだろう。
秋葉が嫌いになるのもわかる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記54

「さ、行きましょう。
会場は、ちょっと行ったところにある○○電気PC館ですから」
F氏の口から、大手家電販売店の名前が出た。
「……」
歩き出すF氏。
それに構わず、H子さんは立ち止まったまま、自分の右腕をじっと見つめていた。
「どうしたんですか? Fさん行っちゃいますよ」
「…ごめんなさい。行きましょう」
Aさんにうながされて、H子さんはF氏の後について歩き出した。

「サイン会みたいなイベントってよくあるものなんですか?」
Aさんは、イベント等にあまり詳しくない。
行くとしたら、精々コミケの企業ブースを覗くぐらいだ。
「頻繁にはありませんが、発売日直後はどこもこういうイベントをやるのが普通です。
サイン会以外にも、トークショーやライブ……
あと、コミケやキャラフェスにも参加したりと、そのときどきによって、色々ありますよ」
「そんなときだけ巣穴から引っ張りだされる私たちには、いい迷惑よ」
H子さんはあまり行動的な人ではないみたいだ。
わざわざ秋葉原まで連れ出されたことが、心底迷惑そう。
H子さんの言った巣穴とは会社の開発室のことだろう。
「おまけに、発売日直後でもないし……。一月も経ってからサイン会なんていまさらじゃない?」
「う…。いや、でも、予定に入ってなかったうちを、
J君が頭をさげてねじ込んでくれたんだからさ。そんなこと言わないで…」
「気が進まないわね…」
話しながら、サイン会会場まで向かう。
道中、F氏は嫌がるH子さんを必死に説得している。
Aさんは、二人の会話を聞きながら、むわっとする秋葉の風を肌で感じていた。

H子さん


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記55

「着きました。ここの八階です」
華やかなネオンに飾られた○○電気PC館。
秋葉原を見下ろすように聳え立つビル。
三人はエレベーターに乗って、八階まであがった。

「どうも、背骨ソフトです。本日はよろしくお願いします」
迎えに出た店員にF氏は慇懃に頭を下げる。
広い売り場スペースの隅っこに、会議用のテーブルとパイプイスが置いてある。
いかにも準備前と言った感じで、ダンボール箱と折り畳まれた白いテーブルクロスが、机の上に置かれていた。
「もしかして、あそこでサインするんですか?」
AさんはH子さんに聞いた。
――あれじゃあほとんど晒し者じゃないか。
軽い驚きがあった。
「……」
H子さんは、面白くなさそうにうなずく。
派手な売り場に、素朴なテーブルとイス。
まるで、コミケのサークルスペースをこの売り場にそのまま持って来たような違和感があった。
Aさんは、続ける言葉を失った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記56

「さ、H子さん準備して。人前に出るんだから、もう少し身だしなみを整えましょうよ。
A君は、準備するの手伝ってください」
「はい」
「余計なお世話よ。これでいいわ」
といいながら、H子さんはボサボサの髪を手ですいた。
せめて、目の下の薄い隈ぐらいは化粧で隠したほうがいいのでは、
とおせっかいながらAさんは思った。
「A君。このダンボール下におろして下さい」
F氏に言われたとおりに、机の上のダンボールを下に下ろす。
ダンボールは、八つ。
「背骨ソフトと描いてあるダンボールだけでいいですからね。
あ、でもテーブルクロスひかなきゃいけませんから、残りも下ろしましょう」
背骨ソフトともう一つ「猫殺ソフト」と記されたダンボールがあった。
「猫殺ソフト」というブランド名はAさんも聞いたことがある。
確か、西の大手メーカーが作った新しいブランドだ。

――猫殺ソフトのデビュー作の発売は今日だったような……。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記57

雑誌でもネット上でも散々期待の新ブランドとして取り上げられていたため、
Aさんも猫殺ソフトの名前は覚えていた。
「うちの荷物はこの二つだけです。あとは、猫殺さんの荷物ですから。なるべく触らないように」
「猫殺ソフトもここでサイン会を?」
「そうです。原画家のK女史のサイン会が、H子さんの後にあります。
このダンボールはその際の配布物が入っているのでしょう」
八箱あるダンボールのうち、背骨ソフトの箱は二つ。
あとの六つは猫殺ソフトのダンボールだ。
「ようするに、私のサイン会は前座なのよ」
H子さんが髪を手櫛で梳きながら、面白くなさそうに呟いた。

発売後一月も経って、ようやくサイン会なんて流石のAさんもおかしいと思ってた。
今日ここで有名ブランドの猫殺ソフトのサイン会があると知ってその疑問は簡単に晴れた。
つまりH子さんのサイン会は、今日ソフトを発売し、
ここでその記念にサイン会をする猫殺ソフトに便乗させてもらったのだ。
「J君がねじこんでくれた」と言ったF氏の言葉の意味はそういうことだったのだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記58

原画だけで二万本は売れるという、人気原画家K女史。
それに比べて、同じ新ブランドながら、H子さんが書いた背骨ソフトのゲームは四千本。
H子さんが前座に見られるのはしかたない。
「H子さん。どうしたんですか、さっきから右腕ばかり見ているようですけど」
しきりに右腕を気にするH子さんに気付いたF氏は、腑に落ちない様子で尋ねる。
「…ねえ、Fさん。今日、サインする物って、もしかして……色紙?」
「そうですよ」
と、F氏はダンボールを一つ開いて、中から真っ白な色紙を取り出した。
「チラシとか、テレカにサインするのじゃ駄目?」
「うーん。いちおう来てくださったお客様に、配布する下敷きは用意してありますけど――」
F氏はもう一つのダンボールを開いて、H子さんの描いたキャラの絵が印刷されている下敷きを取り出した。
「すでに『こちらの用意した“色紙”にサインします』とHPで告知してしまいましたからね。
いまさら変更は出来ませんよ…」
Aさんは、二人の会話が良く理解できなかった。

――サインするなら、色紙もテレカも一緒じゃないか。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記59

きょとんとしているAさんにF氏が教えてくれた。
「サイン会といっても、サインする物には色々ありまして、
いま言ったチラシやテレカなど、すでに絵が印刷されているものにサインする場合と、
真っ白な…このような色紙にサインする場合の二つのパターンがあります」
「…それは、どう違うんですか?」
F氏の変わりにH子さんが答えた。
「絵描きの私がサインするんだから、名前だけサインするんじゃ駄目でしょ?
絵も描いて、ようやく原画家のサインと言えるのよ。
けど、すでに絵が印刷されているものには大きな絵は描く必要はないの。
だけど…色紙だったら、ちゃんとした絵を描かないとお客さんは納得してくれないわ」
「時間が限られている場合や、お客さんが多い場合には、
簡単に済ませられるため、印刷物にサインして渡す場合が多いのですが、
それだとあまりありがたがられませんし…。
うちなんかの場合、そういうところで頑張らないと、ユーザーさんは振り向いてくれませんからね」
「配る整理券は何枚?」
「100を予定してます」
傍にいた店員が、H子さんに答えた。
「100枚か……」
Hさんは、ぐっと右手を握り締めた。
「手の調子でも悪いのですか?」
「マスターが終わった直後から、ちょっとね…」
F氏の顔が曇った。
「それなら早く言ってくださいよ」
「こんなこといままでなかったのよ。私ももう、年かもね」
苦笑しながら、筋張った手を何度も握り締める。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記60

「すいません。そろそろ、時間です…」
整理券を受け取ったお客さんが、エレベーターの近くに集まり始めていた。
「H子さん大丈夫?」
「やるしかないでしょ。それが私の仕事なんだから」
「…………」
心配そうな顔で、H子さんを見つめるF氏とAさん。
そんな二人を嘲笑うように、H子さんはボサボサの髪を掻きながら、
「今日は生まれて始めて、左手で絵を描いてみようかしら……」
笑えない冗談を言った。

サイン会が進む。
順番を待つお客さんをH子さんは次から次へと捌いていく。
Aさんは、サインを受け取ったお客さんに下敷きとチラシを手渡す役目を仰せつかった。
「ありがとうございます」
Aさんのすぐ傍では、机に座ったH子さんが物凄いスピードで、
色紙にゲームに登場したメインヒロインの顔と自分の名前を描いていく。
絵がどんどん出来ていく様子を傍らで見て、はじめてAさんはプロの凄さを知った。

――調子が悪いといっていたH子さんの右手も、なんとか大丈夫そうだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記61

「いい勉強になったでしょ?」
半分ぐらいお客さんがはけたところで、F氏がAさんに近づいてきてAさんに話し掛けた。
「凄いですね…。このお客さん、みんなH子さんのファンですか?」
「H子さんはね。うちの会社に入る前は、ずっと同人でやってきた人ですから、
熱心なファンが沢山ついてるんですよ」
それなのに、ゲームの売上は猫殺ソフトの足元にも及ばないとは…。
「私は、H子さんの絵はK女史に負けていないと思います。
でも、両者が原画を担当したゲームの売上は天と地ほどの差がある。
この違いはなんでしょう?」
「それは……内容ですか?」
F氏はAさんの言葉に頷いて同意した。
「そう。いくら絵が良くても、内容が良くなければ最近のお客さんは手にとってくれません。
いままで名作と呼ばれるゲームに何本も携わってきたK女史と、ずっと同人で頑張ってきたH子さん。
私は、なんとかしてH子さんをK女史を超えるような原画家にしてあげたい…。それが私の夢です」
F氏の言葉に力が篭る。
「そのためには、私たちが頑張らないと…。
Aさん。期待してますよ」
「は、はあ…」
F氏の熱い言葉に対して、Aさんはふがいない返事を返すのが精一杯だった。
「次のゲームこそは、H子さんの絵に見合うような内容のゲームを作って、
今日来てくれたお客さんを喜ばせてあげたいですね」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記62

……。

サイン会は無事終了した。
「お疲れ様でした」
イスに座ったまま、疲れきった表情を浮かべるH子さんをF氏が労わる。
右手が痛いのか、H子さんはずっと左手で右手首を押さえている。
「冷やした方がいいかもしれませんね。A君、ハンカチもってないですか?」

――あ、Iちゃんが渡してくれたハンカチって…。これを予測してのことだったのか。

ポケットの中にあるチェック柄のハンカチをAさんは握り締めた。
「持ってます。水で濡らしてきますね」
「悪いですね。お願いします」
Aさんはトイレに言って、ハンカチを濡らす。
「はい。H子さん」
「ありがとう…」
冷やしたハンカチをH子さんに手渡した。
そのとき、次のサイン会を行う猫殺ソフトの一行が姿を現した。
その中で、一番若い女の子がAさんたちに気付いて、歩み寄ってきた。
「H子さん。お久しぶりです」
「Kちゃん…」
懐かしい旧友にあったかのような表情を浮かべる。

――え? まさか、こんな若い子がK女史?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記63

Iちゃんほどではないが、J君と同じ年ぐらいではないか。

「Iちゃんはお元気ですか?」
「ええ。なんとかやってるわ」
「そうですか」
荷物を整理していたF氏が立ち上がって、
「では、そろそろ我々は…」
「じゃあ、Kちゃん頑張ってね」
「はい。お疲れ様でした」
Aさんたちは、すごすごと○○電気八階から撤退する。
入り口に並んだ――恐らく、K女史のサイン会を待っている――
お客さんたちは、H子さんのお客さんの軽く倍は超えていた。
駅に向かう途中、H子さんが、
「猫殺ソフトも色紙を用意してたわね」
ハンカチ巻いた右手を押さえながら、悔しそうに唇を噛んだ。
「整理券は、200配るらしいですね。それでも、あぶれるお客さんは出てくるでしょう」
H子さんの倍の数を、あのK女史はいまからこなそうというのである。
それなのに、K女史は浮かない顔どころか、終わったH子さんたちを気遣う余裕すらあった。
H子さんの口惜しそうな表情は、誰に対してでもない。
ふがいない自分に向けられたものだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記64

「H子さんとK女史は知り合いなんですか?」
「ええ。そうです…」
と、F氏はなぜか言葉を濁す。
「…昔ね。あの子と一緒にサークルやってたの。Iちゃんと私の三人で。五年も昔の話だけどね…」
「そ、そうなんですか」
衝撃の事実に、Aさんは驚きを隠せない。
「Kちゃんは、私たち三人の中で一番下手だった…。
いい子なんだけど、当時私は、Kちゃんには才能がないって思ってたの。
この子は一生絵で食べていくことは出来ないだろうって……。けど――」
H子さんは、手に巻いたチェック柄のハンカチを握りしめた。
「才能がなかったのは、私の方みたいね…」
「そんなこと……」
AさんがH子さんの言葉を否定しようとした。
その途中でF氏が、
「そんなことないですよ」
と、Aさんの台詞を食う勢いでH子さんの言葉を否定した。
H子さんを励ますF氏の言葉を聞きながら、AさんはF氏に言われた言葉を思い出した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記65

――次のゲームこそは、H子さんの絵に見合うような内容のゲームを作って、
今日来てくれたお客さんを喜ばせてあげたいですね

「……」

――俺は、H子さんの足を引っ張らないライターになれるのだろうか。

と、朧に霞む月を見あげて溜息をついた。

ふと、いま出てきたばかりの○○電気が目に入った。
あの八階では、いまもK女史が色紙を前に奮闘しているのだろう。
H子さんとK女史。
かつて同じサークルで絵を描いていた二人の女性は、
いまや完全に立場が逆転してしまった。
H子さんの胸の中には、釈然としないものがいまでも燻っているのだろう。
しかし、焦ったところでK女史との間に出来た差は埋めることは出来ない。
そんなH子さんの胸のうちを知っているからこそ、F氏は、
いい内容のゲーム、売れる企画のゲームの絵をH子さんに描かせてあげたいと願うのだ。
その思いは、入社してまだ一日目のAさんにも痛いほどわかった。

「……」
これからやっていけるのだろうかという不安は、Aさんの中でさらに大きくなった。
しかし、Iちゃんのハンカチを巻いたH子さんの右手を見て、
昼間抱いたエロゲークリエイターへの失望はほんの少し和らいだ。

サイン会後、帰路。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記66

 ――会社という組織を運営していく限り、資金は無限ではない。
   その限られた資金の中で出来うる限りの最高のものを作る。
   結果、十分な出来に相当するゲームをユーザーの元に届ける
   ことはできず、非難されたとしても、   
   一切言い訳は許されないのである(Aさんの親父談)

Aさんは眠りに就いていた。
「くー」
夢の中でテレビを見ていた。ニュース23。
筑紫哲也の威圧的な顔が、ブラウン管一杯に映し出されている。

〜多事争論〜 ゲーム開発

《満足行くまで製作に取り掛かれるちゃんとした環境さえあれば、
いいものはできるでしょう。
しかし、星の数ほどある背骨ソフトのような中小ソフトハウスのほとんどは、
同人サークルに毛の生えたような設備しか持っていません。
おまけに時間も資金も必要最低限しか与えられないのです。
当たり前のことを、当たり前にさせてもらえる十分な環境でないのが現状です――。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記67

例えば、背骨ソフトの前回のゲーム製作を例に出すと、

・制作期間  6ヵ月
・資本金   600万
・開発費  1600万
・人員 プログラム        D社長
    ディレクター        E氏
    音楽            E氏、および外注
    背景原画、彩色     背景スタジオ外注
    原画            H子
    彩色            Iちゃんおよび外注
    シナリオ          G先生(外注)
    スクリプト         D社長・E氏
    ムービー         D社長・E氏
    広報、営業        F氏・J君

以上の人員と資金と期間で、

シナリオ総量  900k
イベントCG  88枚
立ち絵     62枚
曲数      21曲(主題歌・エンディング曲込み)
女性ヒロインフルボイス

という規模のゲームを製作しなければいけないとしましょう。
Aさんのような、開発に携わったことのない人間ではピンとこないでしょうが、


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記68

シナリオライターの一月の平均作業量が 250k
原画家の一月の平均作業量が 20〜25枚(一日一枚)
彩色の一月の平均作業量が 20〜25枚(一日一枚)

という基準を参考に考えると、6ヵ月という製作期間では、
まず原画が間に合わないことがわかります。
一月の作業量20枚が限度であるH子さんでは、88枚のイベント画像と62枚の立ち絵、
合計150枚の原画を6ヵ月の期間であげることはなかなか難しいものがあります。
当然、期間内に仕上げなければいけないため、
本人の限界を越えた作業量を強いられることになります。
さらには上記の枚数以外にもキャラクターデザインの時間や販促物等の絵も必要となるため、
前回のゲームでマスターアップ直前まで絵が間に合わなかったのは、
しかたないことなのかもしれません。

シナリオについては6ヵ月で心配ないと思われるかもしれませんが、
上記の一月平均250kという作業量は単純にシナリオを書くだけの時間なのです。
シナリオを本格的に書き始める前に、まずフローチャート作成、
全体のプロットを組み立てる作業、
そしてCGや音楽の発注書を製作する期間があります。
それにまず一月はとられるでしょう。
そして、四ヶ月かけて無事にシナリオを書き終えたとしても、
あがったシナリオを台本化し音声を収録。
さらにスクリプト化、そしてデバッグ。
これらの作業をこなす期間は一ヶ月しか残らない計算になります。
おまけにスクリプト化と音声収録に携わったE氏とD氏は、
それ以外にもそれぞれの仕事(音楽、プログラム、ムービー)を抱えているのです。
そんな中で、デバッグとその修正に満足な時間が取れるかといえば、
答えはNOです。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記69

間に合わないからといって6ヵ月の制作期間をそれ以上延ばすことはできません。
人件費を含む会社の維持費として、一月に100万近く消えていくのです。
最初に用意した資本金は会社の維持だけで消えてしまいます。
おまけにJ君の言葉どおり、土壇場で開発期間を延長することになると、
告知した発売日を延期することになり、
さらなる広告費や、プレス工場のキャンセル代などがかかるのです。

とまあ、簡単ではありますが背骨ソフトのデビュー作製作における、
開発費とスケジュールを簡単に分析してみました。
6ヵ月という製作期間は、それぞれの部署が円滑に作業が進めば、
ギリギリではありますが、なんとかゲームが完成するスケジュールであります。
しかし、作っているのは人間。
予期せぬ事態、予期せぬ出来事というのは当然のように起こります。
たとえば、外注のグラフィッカーが仕事をサボったとか、突然社員が辞めたとか、
そんなことは日常茶飯事です。
かといって、8800円のゲームをこれ以上低い規模で作ったとしても、
いまのユーザーのニーズに応えられるかと言えば、答えはNOです。
ご紹介した背骨ソフトのゲームが、
恐らくいまのエロゲー市場での標準ライン(8800円のゲーム)の規模でしょう。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記70

6ヵ月という開発期間と1600万という開発費は、
まだ、恵まれているほうです。
いまあげた背骨ソフトよりもさらに劣悪な状況でゲームを
開発せざるをえないメーカーは沢山あります。
そんな中で、彼らは少しでもいいものをユーザーに提供するために
日夜努力しているのです。以上、今日の多事争論でした》

……。

「はっ!」 Aさんは、布団から飛び起きた。
「なんだ夢か…」
筑紫哲也がニュース23でエロゲーのことについて語るというおかしな夢だった。
時計を見ると、まだ夜中の2時だ。
「もう一回寝よ…」
Aさんはもう一度、布団に潜り込んだ。

これから、Aさんには様々な苦難が襲い掛かる。
それはなにも、ゲーム開発に限ったことじゃない。
エロゲーソフトハウスの現状というものを嫌と言うほど味わう
羽目になる……。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記71

背骨ソフトでは、週に一度、月曜日に社員全員を集めてミーティングが行われる。
Aさんも、出社早々事務所に集まるように言われた。
狭い事務所内に、Aさんを含む七人全員が集まった。
「おはようございます。ちょっと窮屈ですけど、手短に終わらせますので、我慢してください」
イスの数が足りないので、AさんはIちゃんと並んで事務室の入り口のほうに立たされた。
D社長の隣りに立つJ君がメモを読み上げる。
「えー。まず、それぞれの部署の現在の作業状況を報告してください」
F氏の言葉に真剣に耳を傾けるAさんに、Iちゃんが話し掛ける。

「このミーティング、会社を立ち上げた当時はやってなかったんですよ。
ですから前回の開発では、途中まで誰もお互いの作業状況を把握してなかったんです」
「…お互いの作業状況を把握してなくてもゲームって出来ちゃうものなの?」
Iちゃんは、首を振る。
「もちろん、ちゃんとした会社でしたら、作業の進行具合をチェックする役目の人はいます。
ですが、ゲーム開発って個人作業が主ですから、乱暴なこと言えば、
全体の状況を把握する人がいなくても、
それぞれがちゃんと作業を終わらせればゲームってできちゃうものなんです」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記72

なるほど、絵は絵。シナリオはシナリオ。
音楽は音楽で、それぞれ作業を進ませ部材(素材)さえキチンとそろえれば、
あとはそれを組み立てるだけ。
組み立てる作業なんて開発の一番最後だから、
それまではお互いの作業状況なんて知らなくてもいい。
「でも、やっぱりちゃんとしていたほうがいいですから、
いまのままじゃまずいだろうってことになって、
Fさんがミーティングの時間を取ることをみんなに呼びかけたんです。ほんとうでしたら…」
と、Iちゃんは腕組みしたまま居眠りしているD社長と、その隣りにいるE氏を見た。
「ディレクターのEさんか、社長のどちらかが率先して全体の状況を
把握することに勤めなきゃいけないんですけど、Eさんは、あんな感じでいつも無口でしょ?
社長は、自分のことにしか興味がない人なんで、二人ともディレクターには向いてないんです……」
Iちゃんの言ってることはAさんにもなんとなくわかった。
E氏は、いかにも職人といった感じの風貌と性格。
人に命令されて動くならば、E氏は能力を存分に発揮できるだろうが、
他人に命令することはあまり得意じゃないように見える。
反対にD社長のほうは、社長自身のプログラマーとしての技量が問われているので、
人に命令してる暇あったら、自分の仕事をちゃんとやってくださいと、みんな思ってる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記73

「この業界は、Eさんみたいな無口な人って珍しくないんですけど、
その人の下で働く私たちにとっては、無口な上司ってあまり好まれないんです。
D社長のようにおしゃべりな人はもっと嫌ですけど…。
Aさんも、将来ディレクターとか目指すんでしたら、覚えておいた方がいいですよ。
管理職に就く人で一番大切なのは、その人個人の能力よりも、
他人と上手くコミュニケーションする力が一番重用なんだと…」

――ディレクターか……。

映画で言うと監督。舞台で言うと演出家。
いわゆるゲームの製作現場における、柱である。
ディレクター次第で、企画が糞でもゲームは名作として完成する……こともある。
Iちゃんが言った「ディレクターに必要なのは他人とコミュニケーションする力」
の意味をもう少し詳しく言うと、
それぞれの進行状況を把握することも大切だが、
なによりまず、頭の中にあるイメージを的確に相手に伝えることが必要だということだ。
「私の仕事に限って言えば、たとえばH子さんの描いた原画をどういう雰囲気で塗ればいいのか、
淡く柔らかい感じに仕上げたいのか、シャープに鋭く仕上げたいのか。
それらのイメージを的確にわかりやすく指示してくれる人が、一番やりやすいディレクターですね。
ゲーム全体のイメージを把握しているのは、ディレクターさんだけなんですから、
末端で作業する私たちにまでイメージが上手く伝わっていないと、
ゲーム全体の出来がバラバラになっちゃうんです」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記74

なんか俺は、ディレクターにはなれそうにないな、とAさんは思った。
当面はライターとして、一人前になることが先決であり、
それより先のことをいま考えても仕方ないし…。
と、この後自分にどういう災難が降りかかるか知らないAさんは、
呑気にIちゃんの言葉を聞き流していた。

「しっ――」
Aさんたちの話を傍で聞いていたH子さんが、振り返って二人をとがめた。
Iちゃんは、すいませんと肩を竦めてH子さんに謝った。
ミーティングは、社長がJ君に次回作の企画の進行具合を報告するところまで進んでいた。
「…それで、Eと話し合って、企画のほうは大まかなところまで詰めることはできたのね。
後は企画書を作って、流通に持って行くだけだね。企画書は、A君にも手伝ってもらって、
今週中にも…A君聞いてる?」
「…は、はい」
突然話を振られて、Aさんは慌てる。

――えーと、いま社長なに話してたっけ? 確か企画がどうとか…。

「で、融資の確約が取れてから、雑誌に第一報という手順だね」
社長の隣りでE氏がうなずく。
「企画の内容、私は訊いてないんですけど、どういう内容なんですか?」
Iちゃんが手を上げて社長に尋ねる。
「時代は大正…。とある町にやってきた主人公は…巫女装束のヒロインと出会う…」
「ああ、月○炎ですね」
もったいぶった口調で語られる社長の企画案を、Iちゃんは一言で切り捨てた。
「ま、まあ…似てるといえば、似てるね」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記75

「いや、ぶっちゃけていうとIの言うとおりだな」
と、社長と一緒に企画を発案したはずのE氏が、他人事のように笑う。
「月○炎はともかく…巫女ものはいま流行りですから、手堅いところだと思いますよ。
いいんじゃないですかね」
E氏の代わりにJ君がフォローを入れた。

――巫女ものか……。

萌えゲーにあまり詳しくないAさんは、いまの流行といわれてもぴんとこなかった。
それに、この前まで1ユーザーだったAさんは、社長の企画にあまり新鮮味を感じなかった。
J君のいうとおり、最近のゲームでは――流行っているのかもしれないが――
巫女さんものがやたらと多い。
今年だけでも、もう4、5本は出ているように思う。
確か、猫殺ソフトのデビュー作も巫女装束のキャラがいたような気がする。
1ユーザーのAさんとして言わせてもらうなら、正直巫女さんキャラは過食気味で、
いまさら巫女物のゲームが出たところで、あんまり魅力的には感じない。

――でもまあ、J君が賛同するんだからそれでいいのかもな…。

発言力のないAさんは、とりあえず事態を見守るしか術がなかった。
「企画書が出来たらみんなにも配るから、雑誌に発表するまでいまの話、他言は無用ね」
「雑誌? OHPでの発表が先じゃないんですか?」
何も知らないAさんが、F氏に聞く。
「大体この業界では、ゲームの発表の第一報は雑誌社に提供するのが普通ですね。
発表してから発売するまでの期間、ずっとお世話になるわけですから、
いい情報は、まず雑誌社に提供するのが筋なんです」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記76

メーカーと雑誌社の付き合いというわけだ。
OHPでの発表は雑誌に取り上げられた後になる。
その後じゃないと雑誌社に先行して情報を提供した意味がない。
「うちみたいな小さいところでは、情報が漏れたところであまり痛手にはならないのですが、
大手になると発表前の情報の管理には異常に過敏になりますね。
発表するまえに、ネット上で情報が流れてしまうと、雑誌社の機嫌を損ねることになりますから…。
そうなると、メーカーとしては立場が悪くなるわけです」
だから社長は、他言は無用とわざわざ釘を刺したのだ。
「雑誌といえば…Fさん」
「ああ、そうでした。すっかり忘れてました…」
F氏とJ君が、目を合わせてほくそえむ。
「なに? なに?」
興味津々な様子で、Iちゃんが目を輝かせて二人を見る。
「これはまだ、正式な決定ではないのですが…H子さん」
「はい?」
「○○という雑誌から昨日連絡がありまして、うちに次回作の第一報を独占させてくれれば、
表紙をH子さんに飾らせてあげてもいいと言ってきてるんですよ」
「それってつまり…」
「はい。H子さんの絵が雑誌の表紙になって全国の書店に並ぶわけです」
おお! というどよめきがあがった。といってもどよめきをあげているのは、Aさんと、Iちゃんだけなのだが…。
当のH子さんは、いつものように平然としている…ように見えるが、
「そ、そうなの? ま、まあ…向こうから言ってきてるならやってあげてもいいわ」
満更でもなさそうだ。


会議風景


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記77

「それにしても、よく表紙取れたね」
とD社長。
「Fさんが、一日中雑誌社の前で土下座しましたから…。
僕、土下座したままFさんがミイラになるんじゃないかと思ってはらはらしましたよ。」
とJ君がF氏を見る。
「いやー大変でした。ミイラにはなりませんでしたけど、
土下座してる間に三回も警察官に職務質問されました」
「だからそんなに髪が薄くなったんですね」
みんな触れないようにしている話題を、Iちゃんがずばっと口にする。
「い、いや…ははは。苦労を背負い込む性分なんで」
Fさんは大人の余裕で、Iちゃんの毒舌を受け流した。 だがその禿げ上がった頭には、太い青筋が浮かんでいた。

「今日のミーティングはこれで終わりです。皆さん作業に戻ってください」
J君の言葉で、みな解散する。
「あ、ちょっと」
開発室に戻ろうとしているAさんたちを、F氏が呼び止めた。
「もう一つ、みなさんに伝えなければいけないのを忘れていました」
「何?」
「OHPの掲示板のことです。ご存知だとは思いますが、
前作のバグに怒りを募らせたユーザーさんたちによって、今現在見事に荒らされてます。
あのまま放置しておくわけにはいけません。
そろそろなんらかの手を打たないと、いけないと思うのですが…」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記78

F氏の言葉で、一気に事務所内の空気が重くなった。
「……」
沈黙を破るように、E氏が口を開く。
「だから俺は反対だったんだ。掲示板を置くのは…」
「今更言っても遅いですよ。もう、置いちゃった物はどうしようもないです」
メーカーのHPに置いてある、掲示板。
本来なら、ユーザー同士の交流の場として存在するはずなのだが、
地雷を生み出したメーカーにとってはただの無法地帯となる。
「閉鎖しちゃうのは不味いんですか?」
と、Iちゃんが提案する。
「それは出来ませんね…。反感を買うばかりでメリットが一つもない」
「治まるまで、待つしかないんじゃないの?」
社長のその一言で、その話は決着した。
というより、だれもそれ以上いい案が出せなかったのだ。
OHPの掲示板は、とりあえずこのまま放置することに決まった。
「E。ちょっと…」
開発室に戻ろうとするE氏とH子さんを、社長が呼び止める。
Aさんたちは先に、開発室へと戻った。
「……ふう」
パソコンの前に座り、Aさんは溜息をついた。

――っていうより、俺は一体なにをすればいいんだ?

具体的な仕事の指示は、誰からももらっていない。
何をすればいいのか聞こうにも、
ディレクターのE氏は、社長とミーティングをしている。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記79

入社早々無職となったAさんは、とりあえず掃除でもしようと、
箒とちりとりを出して、開発室の床を掃きだした。

「それにしてもH子さんよかったですね」
Iちゃんと、J君、F氏が、H子さんを囲んで談笑している。
話題は、もちろんF氏が取ってきた雑誌の表紙の件である。
「いやでも、H子さんの実力からいったら当然かと」
「ちょっと、やめてよ」
みんな嬉しそうだ。とくに同人時代からH子さんと一緒にやってきた
Iちゃんは我がことのように喜んでいる。
雑誌の表紙を飾ることは、その宣伝効果もさることながら、
原画家としての一種のステータスを手に入れたことになる。
なにしろ、特定のショップや家電販売店の片隅にしか置かれないエロゲー
とは違って、雑誌は一般書籍と共に全国の書店に置かれるのだ。
それはそれで問題があるとは思うが、
いまはそのことについては触れないことにする。
「雑誌の表紙となると、人目に付く度合いがいままでとは違ってきますから、
これまで以上に塗りにも気合を入れてもらって……」
「もちろん。まかせといてくださいよ」
やたらとはりきってるIちゃんを見て、H子さんは困ったように苦笑した。

そこに、ミーティングを終えたE氏と社長が開発室に戻ってきた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記80

D社長は、固まって談笑していたIちゃんたちに歩み寄り、
「あの…。OHPのスタッフ日誌が、一週間以上更新されてないのね。
誰か書く人いない?」
その社長のひとことで、それまで緩みきっていた開発室の空気が
一気に引き締まった。
「さ、仕事仕事…」
「そろそろ私、外回りにいく時間なので」
みんな、蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻っていく。
「誰も書こうって人はいないの? ねえ、J君…」
「僕は、そういうのはあんまり…。
あ、社長がお書きになればいいじゃないですか」
「あのね。最後に更新したのは、僕なの。だから、次は別の人が
書くべきだと思うのね」
社長がみんなを見渡す。すかさず社長から目を逸らす一同。
D社長は、はあ、と溜息をついた。
「Aさんに書いてもらってはいかがでしょう?」
「え!? 俺ですか?」
「それはいい。A君、まだユーザーさんにご挨拶してないでしょ?
いい機会だから、ご挨拶しておいたらいかがですか?」
F氏が巧みに、Aさんをその気にさせる。
「は、はあ…」
「じゃあ、A君で決まりだね。今日中に書いといて。
パスはJ君に教えてもらってね」
「でも、なにを書けば…」
「新人のライターですよろしくお願いします。
みたいな、簡単なご挨拶でいいと思いますよ」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記81

「Aさんのペンネームはどうします?」
Iちゃんの勧めでまずペンネームを決めることにした。
「Aさんは…そうですね。背骨戦闘員一号でどうですか」
「いいね」
J君の提案が一発で通った。
弱そうで嫌だ、というAさんの反論はあっさりと却下された。
「Aさんの初仕事ですね」
IちゃんがAさんの肩を叩いて励ます。
その後ろでH子さんが机に向かいながら、
「洗礼、洗礼」
と、意味深な笑みを浮かべながらつぶやく。
「…?」
他のみんなも、笑いを堪えながらそれぞれの机に向かう。

「じゃあいまから、Eと一緒に出かけるんで、みんな留守番よろしくね」
と、社長が外出仕度を整えたEさんを手招きする。
「どこに行かれるんですか?」
J君が社長に尋ねる。
「うん…ちょっとね」
言葉を濁す社長に、F氏が、思い出したように言う。
「そういえば、前のゲームを取り扱ってもらった『スター流通』の社長が、
今度お会いしたいと言ってました」
「…そう」
なんだか社長の様子がおかしかった。
怪訝な目で、D社長を見つめるJ君とF氏。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記82

「では、行ってくる」
E氏と社長が、開発室から出て行こうとする。
出て行く間際、E氏がH子さんの肩を拳で叩いた。
「痛っ。なにするのよ」
「…よかったな」
E氏の言葉に一瞬遅れてH子さんが反応した。
「ああ表紙のこと? 別に……仕事が増えて大変なだけよ」
「大変なのはこれからだ。お互い頑張ろうぜ」
E氏はもう一度、H子さんの肩を拳で叩いて、社長と一緒に出て行った。

……。

スタッフ日誌の掲示板のパスのありかをJ君から教えてもらったAさんは、
社員全員が共有できるフォルダが置かれているサーバーに接続した。
無数にならんだフォルダを一つ一つ開いて、Aさんはパスを探す。
「あれ? J君、どこにパスあるって言ってたっけ?」
サーバーの中は、乱雑に散らかっていた。
Aさんは散らかったフォルダの中から適当に、「A―356」の名前がついたフォルダを開いた。
「これじゃ…ないな。ん? なんだこれ?」
「企画」と書かれたフォルダが、その中にひっそりとあった。

――もしかして、次回作の企画がこの中に?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記83

――なぜG先生の企画書がここに?

誰も見ていないことを確認し、Aさんは企画書を開いた。
「…………」
完璧な企画書だった。概要どころか、背景やイベントCGの枚数までちゃんと指定してある。
だが、なぜスクール水着?
確か、次回作は巫女さんものだと今朝のミーティングで聞いている。
もしかして、これは没になった企画書が置かれているフォルダなのだろうか?
「…………」
考えていても、なにもわからない。
Aさんは、とりあえずそのフォルダを閉じて、スタッフ日誌のパスを探す。

「ふう…」
なんとかパスを見つけ、スタッフ日誌を更新することが出来た。
たかが日誌だとわかっていたのだが、初めて書き込むとなるとやたらと緊張した。
時計を見ると、もう昼だ。
「あのAさん。お昼に行きません?」
Iちゃんに誘われて、Aさんは快諾する。
「わたし留守番してるから……」
と、H子さんがペンを走らせながら言う。
H子さんの言葉に甘えて、Iちゃんと一緒に昼飯に出ることにした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記84

会社の近くにあるファーストフードでご飯を食べている間も、
Iちゃんはずっとニコニコしていた。
「H子さんが表紙を担当するのが、そんなに嬉しい?」
「当然です。だって、H子さんが有名になればゲームの売上にも影響しますし、
それに…」
ふと、窓の外に視線を移す。
「H子さんがいままでどんなに苦しんできたのか、それを知ってるのは、
Fさんだけではありません。うちの会社にいる人はみんな知ってます」
「俺も、この前H子さんから聞いたよ…」
同じサークルでやっていたK女史が、いまじゃH子さんと大きく差をつけて、
超売れっ子原画マンになっている現実。
それが、いまもH子さんを苦しめている。
「H子さん。Fさんに誘われてこの会社の立ち上げに参加する前、
実は…絵を描くことを辞めようって決意してたんです」
「ほんと?」
「はい。H子さんは、いままで何度も商業で活動する機会があったんですけど、
色々あって全部パーになって…。
その間に一緒にやってたKちゃんは、どんどん上に行っちゃうし、
H子さんと私のサークルは、いまひとつぱっとしないし…。
これ以上続けても、どうしようもないだろうって、二人で話し合って、
いつ、見切りをつけるか――この会社に入る前のH子さんは、ずっとそのことばかり考えてたんです」
でも、とIちゃんは続ける。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記85

「Fさんと社長の誘いを最後のチャンスと考えて、駄目もとでこの会社に入社して、
なんとか無事に前回のゲームを作り上げることができました。
売上は、Kちゃんのゲームに比べたらたいしたことないですけど…。
私は、嬉しかった……。
出来上がったゲームを貰った瞬間、いままでの苦労が全部報われたような気がして…
ようやくスタートラインに立てたような気がして…涙が止まらなかったです」
「……」
「H子さんの絵が、日に日にみんなに認められていくのが、いまは凄く嬉しいんです。
小さな一歩ですけど、これからどんどんH子さんの絵が認められて、
いつかKちゃんにも負けない原画家になる日がきっとくると、私は信じています。
それに…ああ見えて、一番喜んでいるのはH子さんなんですよ」
Iちゃんは、にぱっと弾けたような笑顔を作った。
その表情から、彼女がいかにH子さんのことを想っているのかAさんにはわかった。

会社に戻ったAさんとIちゃん。
まだ、社長とE氏は帰ってきていなかった。Aさんは、また仕事にあぶれた。
「どうしようかな。とりあえず、次の企画の資料でも探しておこうか」
なにかの役に立つかもしれないと思い、
Aさんはネット上から巫女さんの資料を拾い集めておいた。

夜。自宅に帰ったAさんは、久しぶりに2ちゃんねるに接続した。
背骨ソフトのスレッドには、既にアンチ勢力と化した一団が根強くふんばっている。
「ふっ…。ごくろうなこった」
ニヒルに笑うAさん。
レスを読んでいくうちにこんな書き込みが目に入った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記86

その書き込みは、今日更新された背骨ソフトのOHPのスタッフ日誌について、

「新しいライターが入ったみたいですね」
「日誌やっと更新かよ。一週間以上もほったらかしてなにやってたんだ」
「 『初めまして。新人ライターの背骨戦闘員一号です。今日からよろしこ。
   頑張っていきますのでよろしく応援よろしくです。お願いします』  」
「↑こいつが新人?『よろしこ』ってなんだよ。だじゃれ?」
「>頑張っていきますのでよろしく応援よろしくです。お願いします
 すでに日本語がおかしい。こいつがシナリオ書くなら次回作は回避だな」
「地雷ライターケテーイ」
「俺も回避します」
「戦闘員一号という時点で、センスが全く感じられないな」

マウスを持ったまま固まるAさん。
H子さんが「洗礼」と言ってた意味はこれだったのか…。
「〜よろしく応援よろしくです」の部分はギャグなんだよと必死にディスプレイ
に向かって訴えるも、彼らに聞こえるはずはない。
その日、Aさんは愛用していた専用ブラウザをPCからアンインストールして、
ベッドの中で泣いた。

AさんがブラウザをPC内から消去した二時間後の背骨ソフトのスレッドに、
こんな書き込みがあった…。

 819 名前: 名無したちの午後 [sage] 投稿日: 0○/0○/1○ 02:47 ID:
     背骨ソフトの次回作は、巫女さん系らしいね。舞台は大正。
     これって、月○炎のぱくりじゃない?
     それともただ単純に被っただけ?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記87

翌日、会社に出社したAさん。
出社早々、事務所に呼び出された。
行ってみると、社長とJ君。F氏。E氏の四人が、深刻な顔を突き合わせて、
臨時ミーティングを開いていた。
「おはようございます」
なにを言われるのだろうと、昨夜の2ちゃんねるの書き込みを知らないAさんは、
どぎまぎしながら事務所に入る。
「あ、Aさん。おはようございます。朝早くからすいません。
どうぞこちらに」
J君に促されてイスに座る。
Aさんは、集まった一堂を見渡した。
誰も暗い顔をしている。
とくにF氏は、いまにもぶっ倒れそうなくらい憔悴しきっていた。
「Aさん。昨夜、2ちゃんねるは見ました」
見た。とAさんは正直に答えた。
「書き込みは?」
「いいえ。見ただけです…」
そうですか、とJ君はうなずいて、Aさんに事の推移を説明した。
昨日の朝、ミーティングで出た次回作の企画の情報が露呈したと聞き、Aさんは驚く。
いまの時点で、企画の内容をしっているのは、
昨日のミーティングに参加した社員たちだけ。
「…つまり、社内の誰かが情報を漏らした…というわけですか?」
社長は、溜息をつきながら頷いた。

――誰がそんなこと…。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記88

そんなことをしても、誰も得する人なんていない。
自分の会社の重用機密を…2ちゃんねるに漏らすなんて…。
社員の誰かが犯人だと決め付ける社長の言葉に、Aさんは反発を抱いた。
「誰かが適当に書き込んだのが、たまたまあたっただけじゃ…」
「それもありえます。ですが、内容が細かすぎる…。
作品のコンセプトだけでなく、舞台設定まで漏れていました」
「A君じゃないのね…?」と、社長がAさんに訊く。
「も、もちろんです」
新人の自分を疑う気持ちは理解できるが、だからといって…。
Aさんは自分が疑われていると知って、悲しくなってきた。
「…………」
J君は、先ほどから一言も話さないE氏に目を向けた。
「2ちゃんねるに書き込まれたことが問題じゃないんです。
普通だったらあんなもの、適当に流しちゃうところなんですが…」
F氏がPCを開いて、背骨ソフトのOHPをAさんに見せてくれた。
「自社の掲示板の住人たちにも、昨夜の2ちゃんねるの書き込みの影響が出ているのです。
まあ、あそことうちの掲示板を荒らしている人たちは、ほとんど同一人物なのでしょうが、
ここまで事が大きくなってしまっては見過ごすことは出来ません」
「昨日のうちに、掲示板を閉鎖しておけばこういうことにならなかったのにね」
と、社長が呑気に言い放つ。

――治まるまで待とう、って言ったのはあんただろ?

とAさんを含むその場にいるみんながそう思った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記89

「はあ…」
F氏が深いため息をつく。そして、社長とE氏を睨みつけた。
「…?」
「社長…昨日は、Eさんとどこにいかれていたんですか?」
「昨日? ああ、新しいPCのパーツを買おうと秋葉に…」
「本当ですか?」
と、J君がE氏に聞く。E氏は、躊躇わずに社長の言葉に同意した。
「まあ…犯人の特定は不可能だろうし、そんなことをしても社内がごたつくだけだ」
「…そうですね。では、Aさんもう仕事に戻っていいですよ」
Aさんは、失礼しますと頭を下げて事務所を後にした。
その後、J君とF氏も事務所から出てきた。F氏は事務所から出るなり、
「ふう…」と、深いため息をついた。
「あの社長にも、参りましたね」
J君が、F氏を労わるように言葉を投げかける。
「ええ。流石に、今回ばかりは堪えました」
「まさか、ダミーの企画を用意してくるとは…」
「???」Aさんには、二人の言ってることがわからない。
きょとんとしながら、二人の顔を見比べる。
「すいませんねAさん。わざわざ呼び出しちゃって」
「いえ、いいんですけど。いまの言葉…どういう意味ですか?」
J君はいま出てきたばかりの事務所の扉が閉まっていることを確かめると、
声を潜めて、
「2ちゃんねるに企画の情報を流したのは、恐らくEさんです」
「はあ!?」
思わず、素っ頓狂な声をあげてしまう。
無理もない。なぜなら、一番犯人と遠いはずのE氏の名前が出てきたのだから。
「どうしてEさんが……」
「社長に命令されてでしょうね…。あの社長、こういうところにだけは知恵が回るんですから…」
J君とF氏は、目を合わせて苦笑した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記90

J君の言葉は、Aさんには到底信じられなかった。
社長が、自分で考えた企画をE氏に命令して、ネット上に漏洩するなんて…。
一体何のためにそんなことを…。
「表紙の約束を取り付けている雑誌社には、既に巫女もので行きますと伝えしまいました。
それにスター流通の営業部長にも…」
F氏が肩を落とす。
「Fさん。気を落とさないで下さい。落ち込んじゃったら、あの人たちの思う壺ですよ」
「ええ。わかってはいるのですが…」
「どういうことですか?」
Aさんには、J君たちの言葉がよくわからない。
社長自ら自社の情報を漏洩することによって得られる利益はなにもない。
むしろ会社の評判を落とすだけだ。実際、
「表紙の話は、飛んでしまうかもしれませんね」
「それが、社長とEさんの狙いでしょうね」
冷静に二人は言葉を交わす。
「恐らく、昨日二人が出て行ったのは、『ブラザー流通』の社長に会うためかもしれません」
「……」
恐らくそうでしょうね、とF氏は目でJ君に訴えた。
「???」
Aさんは、まだ、二人がなにを喋っているのか理解できない。
「僕、ブラザー流通に知り合いがいるので、探ってみますよ。二人が昨日向うに行ってるなら、
誰か知ってるはずです」
「わかりました。では、私は雑誌社に行って今回の騒動を弁解してきます。
あ、Aさん。できれば、この話…H子さんとIちゃんには内密にお願いしたいのです」
内密も何も、Aさんは二人の会話の内容が全くわからない。
唯一わかっていることは、社長が自社の情報を流したという不可解な疑問だけだ。
「わかりました」と、AさんはF氏に答えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記91

開発室に戻ったAさん。
H子さんと、Iちゃんがお菓子を食べながら談笑していた。
「あ、Aさん。Aさんもポッキー食べます?」
Iちゃんの申し出を力なく断り、Aさんは自分の席に着いた。
頭が混乱してなにも考えられなくなっている。
「はあ…」Aさんは、机に額を擦りつけて深いため息を吐いた。
「…?」
その様子を見て、Iちゃんが心配そうに近寄る。
「お腹でも痛いんですか?」
「い、いや。なんでもないよ」と、Aさんは無理矢理笑顔を作る。
「…………」
Aさんの様子を察知したH子さんが、二人の間に割って入り、
「A君。ご飯食べにいこうっか?」と、誘ってくれた。
Iちゃんが、一緒に行きますと主張したが、H子さんはやんわりと断った。
「ちょっと気合の足らないA君に説教してくるから、Iちゃんは残ってて」
説教、と聞いてIちゃんは慄いた。
「行きましょう。A君」
H子さんは、自分の机の上にあったファイルを掴んでAさんを促がした。
「H子さん…」
説教される覚えがないAさんは、開発室から出て行こうとするH子さんの背中を不安げに見つめた。
「ほら、早く行きましょう」
強引に引っ張り出されて、Aさんは開発室を後にした。
「………」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記92

席についたH子さんがコーヒーを口に運ぶ。湯気でメガネが少し曇った。
Aさんは、肩身狭そうに縮こまって、H子さんの様子を窺っている。
「このファイルを見て」
手渡されたファイルを開く。
それは、キャラクターデザイン指示書だった。
「…ヒロイン1 西出雲ゆう子(仮名)
外見:髪を後ろで結わえた古風な女性。服装:制服とスクール水着の2パターン――?
H子さん…これって?」
「昨日社長から手渡された次回作のデザイン指示書よ」
「え? だって、スクール水着って…」
次回作は確か、巫女さんもので行くと決まったはず。
なのに、メインヒロインにスクール水着の服装差分があるのはおかしい。
「おかしいと思うでしょ? 私も、昨日これをもらったとき、首をかしげたわ。
…どうやら昨日の朝、社長が言ってた巫女さんものの企画は…半日で頓挫した見たいね」
「どういうことですか?」Aさんは、我を忘れて身を乗り出す。
H子さんはそんなAさんの勢いを制すように、落ち着いた仕草でタバコに火をつけた。
「私にも詳しい事情はわからないわ……。
だけど、あの社長の考えることなんだから、なんとなくわかるけど」
「教えてください」
「いいわ。A君も、これからうちの会社でやっていくんだから、裏の事情を知っておいたほうがいいわね」
H子さんの目が鋭くなる。普段から、怖い目つきがさらに怖くなった。
「裏の事情…」ごくっ、と喉を鳴らす。
「裏の事情というか…この会社が設立されるまでのいきさつ…と、言った方が正しいかも」
H子さんは灰皿にタバコの灰を落とす。そして、
「まあ、そんなに重たい話じゃないと思うから、身構えずに聞いてよ」
「はあ…」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記93

H子さんの説明はこうだった。

背骨ソフトには、いま三人の取締役がいる。
一人は代表取締役のD社長。次に、取締役のF氏。そしてもう一人の取締役として…H子さん。
「H子さんが……取締役?」
「そうよ。この会社を立ち上げるに当たっての資金のほとんどは、私とIちゃんが同人で稼いだお金から捻出したの」
軽い驚きがあった。H子さんは、さらに続ける。

背骨ソフト設立の言い出しっぺはF氏だった。
H子さんは、以前から交流のあったF氏に誘われて、
最初はただの原画マンとして参加するはずだった…。ところが、
「Fさんはこの会社を立ち上げる前は、スター流通の営業マンだったの…」
「へー。じゃあ、Fさんは脱サラして、背骨ソフトを立ち上げたんですね?」
違う。と、H子さんは首を横に振った。
「脱サラはしてないわ。Fさんは、書類上ではスター流通の社員じゃないことになってるけど、
多分いまも、Fさんの机はスター流通に残ってるわ」
「え…ってことは…」
「そう。背骨ソフトは、スター流通自ら手がけた新規メーカーなのよ。
いわゆるオートクチュールメーカーってやつ? その割には規模が小さいけど……。
Fさんはただ会社から命令を受けて、このプロジェクトの責任者に就いたに過ぎないの…」
H子さんは、Aさんを見つめたまま、コーヒーをすする。
「でも、それは悪いことじゃない。そんなプロジェクトに参加できる私たちは、その幸運を喜ぶべきなのよ…。
だって、なんの話題性もない私たちのゲームが、いきなり4000本も発注を受けたのは、
スター流通の全面バックアップがあったからだし、本当は会社設立の資本金だって、全てFさんが用意する手筈だった…」
しかし、実際は資本金のほとんどはH子さんが用意した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記94

「当然、代表取締役にはFさんが就くものだと思ってた…だけど、実際にはD社長が代表の座についた。
なぜだかわかる?」
「わかりません…」
「背骨ソフトのプロジェクトがFさん主導で動き出したころ、スター流通と対を成す、
この業界のもう一つの大手流通『ブラザー流通』の横槍が入ったのよ」
いまのこの不景気、大変なのはメーカーだけじゃない。
流通も、利益をあげるために必死でいい取引先を求めている。
そこでブラザー流通が以前から目をつけていたのが、H子さんだ。
同人とはいえ、H子さんには固定ファンが付いている。
だから、彼女擁する新ブランドが立ち上がると聞いて放っておくはずがない。
「ブラザー流通も、スター流通と同じことを考えていたの。
でも、彼らはゲーム製作のイロハを知らないFさんのような素人を使わなかった…。
ブラザー流通が目をつけたのは、以前、コンシューマー会社でプログラマーをしていたDさん。
いや、D社長をFさんたちのプロジェクトに絡ませて、ゲーム製作面での実権を握らせようとしたの」
「随分、強引ですね」
人の企画に無理矢理割り込んできて、あまつさえD社長を使って会社を乗っ取ろうとさせるなんて…。
「ええ。けど、どこも必死なのよ。いまのご時世、厳しいのはメーカーだけじゃないのよ…」
「でも、そんな経緯があったなら、会社を立ち上げるとき揉めたでしょ?」
「かなり揉めたわ。一時は、背骨ソフトの立ち上げの話すら白紙に消えるところだった…」
そこで、間に入って双方を和解させたのがH子さんらしい。
「私たちはゲームを作るために集まった筈なのに、そんないざこざで白紙になっちゃうのは馬鹿らしいし……
それに、私もこれが最後のチャンスだと思ってたし…」
で、当初いち原画家として参加するはずだったH子さんが取締役に名乗り出て、資本金も全部H子さんが揃えて、
一応独立した会社としての体面を保ったのだった。
もし、H子さんが取締役として名乗り出なかったら、いまの背骨ソフトはなかった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記95

会社へ帰る道すがら、AさんはH子さんに聞いた。
「どうして、H子さんが代表取締役に就かなかったんですか?」
「私は…ただの絵描きよ。経営のことなんてわからないし、第一社長の器じゃないわ」
といっても、いまのD社長よりは、まともな社長になれたんじゃないかなとAさんは思った。
「適材適所ってやつよ。みんなD社長のこと悪く言うけど、あの人とEさんが一番ゲーム製作には詳しいし、
やっぱりゲーム会社なんだから、ゲームを知らない人が上に立つのもどうかと思うわ」
「それはFさんのことですか?」
「ええ。結構そういう会社多いのよ。レコード会社の社長が副業でやってるソフトハウスとかね…。
そういうのって私…中途半端な気がして嫌いなの。やっぱり、ゲームを作ってこそのソフトハウスだと思うから…。
野球をやったことのない監督に付いていく野球選手なんていないでしょ?」
「はあ…。でも、会社って難しいですよね…」
「そうね。だけど、いまのところは、いまの会社の体制がうまく嵌ってると私は思うわ」
対立するD社長とF氏。その間にH子さんが入ってなんとか組織として成り立ってる状態。
けど、それがいつまで続くか…。
社長が裏でなにやら画策してることを知っているAさんは、不安になってきた。
「今日の話は、Iちゃんには内緒ね」
「いいですけど……。どうしてですか?」
「あの子、難しい話をすると直ぐに眠っちゃうから」
「なるほど」
Aさんは地面に転がっていた小石をつま先で蹴り上げた。
それから二人は一言も言葉を交わさないまま、会社に戻ってきた。

J君が、アパートの前に立っていた。いま、外回りから戻ってきたところらしい。
「あ、お疲れ様です。あの…H子さん…」
「なに?」
「言い辛いんですけど……表紙の話。あれ、流れちゃいました」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記96

「そう。わかったわ」
H子さんは、J君のもたらした悪い話をあっさりと受け流した。
「社長…企画を挿げ替える気らしいですね。どうやら“本社”からの命令があったみたいです。
嘘の企画を掴まされた僕たちはいい迷惑ですよ」
「そう…。でも、いい迷惑なのは、あなたたちの派閥争いに利用されてる私でしょ?」
といって、H子さんは微笑んだ。
「まあ…。そうなんですけど…」いつもハキハキ喋るJ君が言葉を濁した。
「じゃあ、私は仕事に戻るから」
J君は苦々しい顔で、飄々と去ろうとするH子さんを見送る。
突然、くるっとH子さんが振り返った。
「喧嘩するのもいいけどさ。みんな、何しにここに来てるのか、もう一度ちゃんと考えてみたら?」
「…………」
J君は、言葉を返すことができなかった。

開発室に戻った途端、
「どうしてですかー!」
Iちゃんの泣き叫ぶ声が聞こえた。
目を潤ませたIちゃんに迫られて、中年のF氏がうろたえている。
「い、いや…ですから、企画が変わったので…表紙の話も白紙ということに…」
「納得できません! H子さんの絵のどこが不満なんですか!」
「いやですから…絵が悪いとかじゃなく、巫女ものの企画だから向うも表紙を描かせてあげると、
言ってくれてたわけで…それが流れたからには…」
「納得できません」
「私に言わないで…社長に言ってくださいよ」
泣きそうになるF氏。
よくよく考えれば、一番可哀想なのはH子さんじゃなく、F氏だろう。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記97

「H子さんが表紙を描けないなら、私この会社辞めます!」
「そういうこと言わないで…」
「決めましたから! 止めても無駄です」
そう叫んで、Iちゃんは開発室を出て行った。
「はあ…。困った物です…」F氏が、ハンカチで汗を拭う。
「あの。追いかけなくていいんですか?」Aさんが聞く。
「いいのよ。あの子が辞めるって言ったの、これで四回目だから」
「そ、そうなんですか…」
「お腹がすいたら戻ってくるでしょう」と、F氏が言う。

「いま、Iちゃんが出て行ったけど、なにかあったの?」
社長が開発室に入ってきた。
「いえ、なんでもないです。いつものアレですよ」
それだけで、社長は「ああ」と納得した。
「どうかされたんですか?」
普段は、隣りの事務室で作業している社長が、わざわざ開発室に来るとは珍しい。
「いやさ、決まってた企画、やっぱりG先生に考えてもらった奴のほうがいいと思って、
勝手に変えちゃったのね。Fさん黙ってて、悪かったね」
「いえ…。とんでもございません」
「今の時代、巫女さんはやっぱり流行らないよ。これからはスクール水着だよ」
ハハハ、とD社長は高笑いする。それにつられて、F氏も苦笑した。
当然、どちらの笑顔も本心から出てきたものではない。それぞれ、腹に一物抱えている。
本心を隠し、建前で人と接する大人たちを見て、Aさんはやっと本物の社会人になれたような気がした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記98

H子さんは、社長とF氏の対立を“派閥争い”と称した。
社長派には、E氏がついてる。F氏派は、J君。
中立の立場なのは、H子さんとAさんだけだ。Iちゃんは…まあ、H子さん派だろう。
たった七人しかいない会社で、派閥争いなど馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、それが会社なのである。
様々な事情を背負った大人たちが集まれば、どこだってこういう問題は起きる。

――ソフトハウスに起きる問題は、なにもゲーム製作に限ったことじゃない。

その言葉を、Aさんは今日、身をもって思い知った。

Iちゃんの帰りを待つため、AさんはH子さんと並んで会社の前に立っていた。
夕方になってもIちゃんは帰ってこなかった。
H子さんは、八本目のタバコに火をつけた。
そこに、E氏がやってきた。
「よお…。なにやってるだ?」
「ちょっと休憩」
E氏は、H子さんの隣りに歩み寄り、
「悪かったな。今回は…」そう、呟く。
「2ちゃんねるに情報流したんですって? 馬鹿なことするわね…」
ふふん、とH子さんは鼻で笑う。別段、怒ってる様子はない。
「命令とはいえ、自分でも馬鹿なことをしたと思ってるよ…。それより、タバコくれ」
「やめたんじゃなかったの?」
「吸わなきゃやってられねぇよ…」
H子さんからタバコを受け取り、E氏はそれを銜える。
「ふう…」
真っ白な煙を、夕日に向かって吐き出した


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記99

E氏は、自分で吐き出した煙を眺めながら、
「時々、何しに会社に来てるのかわからなくなる…」
と、力なく呟いた。その表情は、疲労し、萎れきっていた。
「俺たちはゲームを作りたいんじゃなかったのか…? そのために、この会社を立ち上げたはずなのに…。
いつの間にか、下らないことばかりに時間を費やして…いつの間にか本来すべきことを見失っていた…」
「その台詞。社長に言ってあげたらどう?」
「言っても無駄だ。あの人は…今回のようないざこざを楽しんでる。
俺もあれだけ図太くなれればいいが…、俺には無理だ」
はあ、と深く溜め息をついた。
「一体いつになったら、ゲームを作ることだけに打ち込めるんだ…? 
まあ…そんな日は、一生こないのかもな」
E氏は、吸殻を足元でもみ消した。
そんなE氏のしょぼくれた肩を、H子さんは拳で叩いた。
「いて。なにすんだ…」
「――大変なのはこれからよ。お互いがんばりましょ」
「…それ、昨日俺が言った台詞だろ」
さあね、と惚けてH子さんは開発室に戻ろうとする。
「あの…Iちゃんはいいんですか?」AさんがH子さんに尋ねた。
「お腹がすいたら戻ってくるわよ。それよりも、仕事仕事〜」
なんだかH子さん、やけに嬉しそうだ。
「なんなんだろうな?」
「さあ……」
Aさんは、空に浮かぶ夕日を見上げた。
そして、ふと、思い出した…。

――そう言えば俺、全然仕事してないな…。
これから、自分にいかなる災難が降りかかるのか知らないAさんは、呑気にそんなことを考えていた


一服中


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記100

入社してそろそろ一週間にもなるAさん。
今日も通勤電車に揺られながら、あくびを噛み殺した。
いまだ、まともな仕事一つ任せてもらえないことに不安を抱いていた。
いままで会社のためにやったことと言えば、OHPのスタッフ日誌を書くことと、
没になった巫女さん企画の資料を集めただけ。
もっと図太い精神の持ち主なら「仕事がなくてラッキー」ぐらいに考えるのだろうが、
残念ながらAさんはそれほど、神経の太い人間ではなかった。

なにより、Aさんのいまの身分は試用期間中のライターである。
試用期間中ということは、この期間内に「お、こいつ使えるな」と会社に思わせなければ、
試用期間が終ると同時に首を切られてしまう可能性は大いにありえる。
Aさんは、昨夜読んだ「新社会人の勤め方」という本にあった一文を思い出した。

――仕事がなくとも油断するな。みずから進んで、仕事を見つけるべし。

この言葉を実践するのは、今をおいて他にない。
たいしたことは出来ないかもしれないが、このまま会社のお荷物としてやっていくのは
とても辛い。
Aさんより、年下のIちゃんやJ君は毎日忙しそうに働いているではないか。
一刻も早く自分のなすべきことを見つけ、自分のポジションを確立しなければ、
ライターとしての寿命はたった三ヶ月で終ってしまう。
「よし…」
Aさんは燃えた。
確か、今日はG先生が組み立てた新企画についての打ち合わせがあるはず。
無理矢理にでもその打ち合わせに割って入って、自分の仕事を勝ち取らなければ明日はない。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記101

「おはようございます」
開発室に入り、机に鞄を置いてPCを立ち上げる。
昨日、「辞めます」と言って出て行ったIちゃんは何事もなかったかのように机に向かってる。
その隣りでは、H子さんが毛布を頭まで被って眠っていた。
泊り込みか…。
いったいなんの仕事をしていたんだろう。企画はまだ動き出してないはず。
ふと壁に掲げられたホワイトボードを見ると「12時から、ミーティングを始めます」
と書かれていた。どうやら、全員参加らしい。
12時までなにをしようかと、机に座るAさん。
ところが、突然、社長から事務所に来るように内線で呼び出された。

事務所には背骨ソフトの首脳陣(社長・E氏・F氏・J君の四人)が集まっていた。
「おはようございますA君。とりあえず、そこに座って」
言われた通りにイスに座る。なんだろうと疑問に思っているところにF氏が口を開いた。
「いきなり呼び出してすいません。実は次回作のシナリオの件でちょっとお話がありまして」
来たな。とAさんは思った。ようやく仕事らしい仕事をふられるのかと思い、安堵する。
「A君はさ、前作のうちのゲームはプレイしたんだよね? G先生のシナリオはどう思った?」
と社長。どう思ったと聞かれても…。
「はあ、まあ…普通じゃないかと」
他にどう答えればいいのかわからなかった。良かったですとは、お世辞にも言い難い。
かといって、俺のほうが良いシナリオが書けます、と宣言できるほど自信があるわけでもない。
「そんなに悪くなかったよね?」と社長が、J君とF氏を見ながらいう。
「“ライター”としてのAさんの正直な気持ちを話してください」J君が、Aさんに迫る。

――なるほど。
Aさんは、なんとなく状況を理解した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記102

G先生は恐らく、社長が連れてきたライターなんだろう。
で、社長は次回作を再びG先生に書かせたいのだ。
ところが、それをF氏とJ君に反対されて、一人でも多く味方をつけようと、Aさんを呼び出したのだ。

――どっちにつくべきだろうか……。

Aさんは悩んだ。社長に従えばいいのか、それとも自分の気持ちを素直に言えばいいのか。
社長ルートに進むのか、F氏・J君ルートに進むのか。ちょうどルートの分岐点に差し掛かってる。
Aさんの社内での今後の身のふり方は、いま現れてる選択肢のどちらかを選ぶことで決まってしまう。
考えた挙句Aさんは、
「ところで、俺はどうすればいいでしょう?」
どちらでもない選択肢を選んだ。
「どうすれば……とは?」
「いや、仕事です。まだ、入社してからなにもしてないんで……」
それにG先生なり、誰かがシナリオを書くとなれば、Aさんはますます何のために会社に来てるのかわからなくなる。
「うーん。とりあえずA君は、決まったメインライターさんの補佐をやってもらうことになるね」
「サブライターですか?」ま、当然だろう。未経験のAさんにいきなり全部書かせるほど会社は無謀ではない。
「メインのライターさんが決まって、発注書とプロットを作る段階にならないと、Aさんにふれる仕事もないので…」
だから、一刻も早くライターを決める必要があるのです、とJ君は言った。
「今回の企画はG先生に作ってもらいましたが、僕は正直、あの人のライターとしての手腕はどうかと思います。
できれば、G先生は企画だけ携わってもらって、
実際のテキストはAさんと別のライターさんに任せた方がいいと思います」
J君はしり込みせず、堂々と社長とE氏に言い放った。
当然、社長は面白くない顔をする。
「G先生は、そんなに駄目か?」
いままで一言も発言しなかったE氏が、言った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記103

F氏とJ君は顔を見合わせて、
「正直、僕もAさんの応募作品を読みましたが、Aさんの文章が10だとするとG先生は5か6」
「…………」
E氏と社長は、押し黙った。それはつまり、J君の言葉を認めたと言うことだ。
ではなぜ、この二人はそこまでして、G先生を使いたがるのだろうか。
彼らも、ネットでG先生がどういう評判を受けているか知ってるはず。
「前作よりも良いゲームにしたいと思うのでしたら、別のライターさんを起用すべきです」
J君が強い口調で二人に押し迫った。F氏もそれを後押しする。
「社長。ここは“しがらみ”はなしにして、本当にいいゲームを作ることだけを考えましょうよ」
暫く場は沈黙した。

――しがらみってなんだろう……。

AさんはいまのF氏の言葉を頭の中で繰り返していた。
やがて、社長が沈黙を打ち破るように重たい唇を開いた。
「…確かに、ゲームのことを考えたら、Fさんの言うとおりだけど、発注本数のことを考えたら…」
と、そこで社長は言葉を切った。
「それに、あの代理店との契約も残っている」
「そんなの反故にすればいいじゃないですか。
大体、製作のことなんてなにも知らない広告代理店なんかに、口出されるのは正直どうかと思います」
J君は一歩も引き下がらない。純粋なJ君は煮え切らない社長とE氏の態度が許せないようだった。
「おっと。もう十二時だ。この話はミーティングが終ってからA君も交えて再開しよう」
とりあえず、その場は解散した。
それぞれ事務所を出て、ミーティングのために開発室へと向かう。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記104

「あの……さっき言ってた“しがらみ”ってどういうことですか?」
開発室に移動する途中で、AさんはF氏に聞いた。
F氏の代わりにJ君が答えた。
「G先生は、前回うちの広告を担当してもらった代理店の社長に飼われているんですよ」
「…ええ。うちがG先生を使う代わりに、代金を安くするという口約束があったみたいなんです」
F氏が、補足する。
「じゃあ、その広告代理店の社長に紹介されて、G先生を前回のゲームのライターに起用したんですか?」
「はい。もちろん、中間マージンは取られましたけど」
たったそれだけの理由で、ゲームの根幹をなすシナリオを担当させるなんて…。
ライターになりたくて懸命に努力してきたAさんからみると、凄く馬鹿馬鹿しく思えた。
「まあ、G先生も元は某老舗メーカー出身ですから、多少の実績もあり、流通に安心感は与えることができます。
しかし、流通の上にいるお偉いさんたちには、G先生がユーザーからどういう評価を受けているか知らないんです。
ただ、老舗メーカーで仕事をしていたという取るに足らない実績だけでG先生を評価している。
馬鹿馬鹿しい話です。いまどきそんなの通用しないのに…」
辛辣なJ君の言葉に、流通出身のF氏は思わず苦笑した。
「ここはぜひともふんばらないといけないところですね。G先生を今回も起用したのでは、負けは見えてます」
「だから、社長を説得するためにAさんの力を貸してください」
「…………」
力を貸してくれと言われても、試用期間中のAさんにどれだけのことができるか…。
それに、社長に面と向かって逆らうのはいまのAさんにはむずかしい。
なにしろ、いきなり首を切られても文句は言えない立場なのだから。
――どうしたらいいんだ……。Aさんは心の中で頭を抱えた。
「あ、あと重要なことを一つ言っておくのを忘れていました」
「なんですか?」
「G先生を飼っている広告代理店の社長は、D社長の実のお兄さんなんです」
“しがらみ”とはそういう意味だったのかと、Aさんはやっと理解した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記105

次回作の企画ミーティングが開かれた。
参加しているのは、Aさん含む背骨ソフト従業員全員である。
G先生が作った企画書のコピーが全員に配られた。Aさんも企画書のコピーを受け取り、拝読した。
「…………」
以前サーバーの中でうっかり見てしまったスクール水着ものと内容はまったく同じだった。

1頁目にゲームの仮タイトルが目立つように書かれ、製作者の名前と製作日時。
2頁目にはいきなり、企画コンセプトが端的に判りやすく。
3頁〜6頁目まではゲームの概要とスペック等。
7頁〜10頁目までは、登場人物紹介と簡単なあらすじ。
最後の頁には、もう一押しとばかり、このゲームのコンセプトであるスクール水着ものの企画が、
いかにユーザーに売り込む力のある企画なのかが、かなり誇張して明記されていた。

さすが、プロの作った企画書である。
見出しや文章は、キチンとデザインされていて読みやすく、誰が読んでもゲームの内容が容易に
想像できるいい企画書だった。
恐らく、小売店や流通にこの企画書を持って行くことを想定して書かれているのだろう。
至るところに「この企画は売れますよ〜」といったオーラが漂う、魅力的な一文があった。
例えば、
「新進気鋭の実力派原画家H子が描く、可憐で淫靡なキャラクターたち」
「斬新な舞台設定と、萌え心を誘うシチュエーションの連続」
「新システム導入(考案中)により、業界に革命を起こす」
など、読んでるこっちが赤面してしまうほど、暑苦しくこの企画のポイントを訴えていた。
Aさんが就職用に作った企画書との一番違う点はやっぱりここだろう。
企画書の段階で、読んだ人間誰しもに「いける!」と思わせなければいけないのである。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記106

「いける!」と思わせなければいけないのは、流通や小売店だけじゃない。
製作に携わるスタッフたち全員にも、この企画は絶対に成功すると確信をもたせることが出来なければ、
現場の士気もあがらない。
そのため、多少(いや、多少どころではないが)の誇張はいた仕方ないことだと思う。
「質問です。企画書の3頁にある『新システム』ってなんですか?」
Iちゃんが手を上げて質問する。
「それは…こっちもわからないのね。G先生に聞いてよ」

――社長にすら聞かされていない『新システム』ってなんだ?

と、AさんもIちゃんと同じく疑問に思ったが、結局これはG先生のハッタリで、
最後まで『新システム』の具体的な構想が明かされることはなかった。

企画書ともう一つ別の書類が配られた。
それには、キャラクターの簡単なデザイン指示書(以前H子さんに見せてもらった)と、
背景、立ち絵、イベントCG、BGMなどの指定表らしきもの。
それに簡単な製作スケジュールが書かれていた。

ゲームの規模としては前回とほとんど同様である。
若干シナリオ総量が1.2Mと多いが、
これはAさんがサブライターとして入ることを前提として考えられた量だろう。
「…………」
具体的なゲームのあらすじは、企画書に1頁程度の内容しか書かれていない。
それはつまり、これから考えるということであり、
それは自分が作業に携わることになるのかと、Aさんは考えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記107

背骨ソフトの次回作「スクール水着(仮)」のゲーム規模は以下のとおり。

シナリオ総量  1200k
イベントCG  85枚(差分含まない)
立ち絵     56枚
(メインキャラ数5×ポーズ変え6=30+サブキャラ、その他服装差分。表情差分なし)
曲数      23曲(主題歌・エンディング曲込み)
女性ヒロインのみフルボイス

プレイ時間10時間〜15時間
攻略ヒロイン数5人(+おまけ1人)


以上の規模のゲームを、これから6ヵ月で作らなければいけないのである。
Aさんには、この6ヵ月という期間が長いのか短いのかわからなかった。
スケジュール表には6月から開始して、11月の終わりに「マスターアップ予定」と記されている。
6月からということは、予定の上ではもう既に製作は始まっている。
正味の開発期間は半年もないということだ。
「このスケジュールは…ちょっと不味いですね」
スケジュール表に目を落としながらJ君が呟いた。
「11月終わりにマスターアップということは、ゲームの発売はその数週間後。
つまり、12月の年末商戦にぶつかる可能性もあります。ただでさえ、人気ソフトがひしめき合う12月に、
あえて僕たちのソフトをぶつける必要はないと思うのですが」
「それはわかってるつもりなのね。だけど、一月早めるには、製作が間に合わないし一ヶ月遅らせるとお金が…」
「難しい所ですね」
と、F氏が腕組みして眉間に皺を寄せた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記108

「一月ずらして、1月発売ではだめですか?」
「ちょっとねぇ…」
社長は、開発室に揃った従業員の顔を見渡した。
従業員たちの給料や会社の維持費として、なにもしなくても一ヶ月に100万は軽く消える。
だから簡単に製作日程を延ばすことはできない。
かといって、人気タイトルとぶつかって、そのしわ寄せを食ってしまえば元も子もない。
中小メーカーの難しさがここにある。
「予定してる製作費は、前回とほぼ同額だからね。
これを何とか超えないように作らないと、ゲームは出来ても会社が潰れる可能性が多いにあるね」
「一月ずらした分だけかかる維持費が調達できれば問題ないですか?」
J君になにか妙案があるようだ。
「みんなでバイトでもするか?」
E氏がまぜっかえす。
「まあ、バイトみたいなものですけど…」
「なに? いい案があるの?」
自信ありげなJ君の様子に、みんな身を乗り出して耳を傾ける。
「H子さんが来月のサンクリで販売する新刊は確か、書き下ろしのCG集と聞きましたが」
「ええそうだけど…もちろん、その売上は今回のゲームの製作費の中に入れる予定よ。
まさか、もう一本CG集を作れっていうんじゃないでしょうね?」
H子さんの隣に座るIちゃんが不安な顔をする。
「違います。そんなことしてもらっちゃ、肝心のゲームの原画に遅れが出てしまいます」
「じゃあどうするの」
「CG集の原画はもう出来ましたか?」
「ええ、昨日徹夜してやっと」
今朝、H子さんが会社に泊まっていたのは、CG集の絵を今日までに仕上げるためだった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記109

確か…30枚のCGが入って2000円でしたよね?」
「そうよ」
「CG集一枚の量を15枚に減らして、二枚出しましょう。当然、値段は変えずに」
「なるほど。考えたね」
単純に計算して、H子さんのCG集で入る予定のお金は倍になる。
H子さんとIちゃんは、J君の提案に渋い表情を見せたが、社長とF氏は乗り気だ。
「これで、年末までマスターアップの時期を延ばすことができそうですね」
「H子さんたちは、心苦しいだろうけど、ここは一つ。ね?」
と、社長に頭を下げられてH子さんは渋々承諾した。
「じゃあ、決まりだね。マスターは12月末。半年強あるから前回よりもいいもの作れるね」
みんなの士気があがる。いよいよこれから、本格的に製作に入っていくのである。
Aさんも自然、気持ちが昂ぶっていく。
「ところで…同人ってそんなに儲かるんですか?」
と、Aさんが聞く。隣にいたJ君がにこやかな笑顔で、
「上手くやれれば結構ボロイよ」と、教えてくれた。

その後、それぞれのパートごとに作業を進めることになった。
といっても、プロットがまだ完全な物が出来ていないので、CGや音楽の詳細な発注書は作れない。
それができるまでは、H子さんとIちゃんは同人の方を。
E氏、社長、Aさんはプロットと発注書の製作に取り掛かることに決まった。

しかし、その前にメインのライターを決めなければいけない。
G先生で行くのか、それとも別のライターを連れてくるのか。
F氏たちと社長の意見は真っ二つに分かれている。
この人選を速やかに終らせないと、本格的な作業には入れない。
ミーティングを終えた後、Aさんは社長たちと一緒に再び事務所へと戻った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記110

話し合いは平行線を辿った。
G先生を起用したい社長と、もっと腕のいいライターを使いたいと譲らないF氏とJ君。
Aさんは、どちらの味方をするでもなく隅っこで肩身狭そうに、事態の推移を窺っていた。

…………。

三時間、論議が続いた。どちらも一歩も引かなかった。
新しいライターの選考は、明日に持ち越されるのかとAさんが思ったところで、
痺れを切らしたようにそれまで黙り込んでいたE氏が口を開いた。
「…こうしないか? G先生以外にもう一人、広告代理店の社長に飼われているライターがいる。
そいつを使うのはどうだろう?」
「誰ですか、そのライターは…」
E氏は、ちょっと間を空けて、
「以前、『自衛母胎』というブランドに所属していたライターのLだ」
「自衛母胎…」
Aさんたちは一斉に目を合わせた。
「確か昨年解散した、あのブランドですよね?」
自衛母胎は、たった二本しかゲームを出していないが、どちらもそこそこのセールスを得ていたはず。
自衛母胎のゲームの主軸となったのは、絵ではなくシナリオ。
そこでライターをやっていたのなら、腕は保証できる。
「そのL氏。代理店の社長に囲われているということは…いまはフリーなんですか?」
「そうだ。ちょっと性格に難があるが、いいライターだと思う…」
「いや、もしL氏を起用できるなら、それ以上の宣伝効果はないですよ。ね? Fさん」
自衛母胎のシナリオに惚れた一部熱狂的な「信者」と呼ばれるユーザーたちは、ブランドが解散したいまも、
「自衛母胎」に在籍していた三人のライターの同行を見守っている


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記111

J君の情報では、自衛母胎に在籍していた三人のライターのうち、
一人は、以前サイン会でかち合った「猫殺ソフト」に所属し、
もう一人は確か大阪の大手メーカーに行ったことはわかっている。
ただ一人、行方がわからなくなっていたのが、いま名前の挙がったL氏だ。
そのL氏がまさかこんな近くにいたとは……。
「ですが、話を持ちかけたとして、引き受けてくれるのですか?」
「そう言えば、EはL氏と親しかったね」と社長。
「親しいといっても、大学の同期生というだけです。もし、Lでいいなら、連絡を取ってみるが」
「もちろんです。彼ほどのライター、そうはいない…」
J君とF氏は、あっさりと承諾した。
D社長も、実の兄に囲われているライターなら角がたたないとE氏の提案に賛同した。
L氏のことをあまりよく知らないAさんだけが、一人蚊帳の外。

直ぐにE氏が、L氏に連絡を取った。
ちょうど、というか…自衛母胎が解散してから、L氏はまだなんの仕事も引き受けていないという。
こちらのゲームを担当してくれないかという要望に対し、とりあえず直接会って話そうということになった。
そして、週末。L氏が来社した。
社長、E氏、そしてAさんの三人が次回作のライターを要請するためにL氏に会った。
「…………」
来社したL氏は、酷く無口な男だった。
L氏に比べれば、E氏がおしゃべりに思えてしまうほどである。
「紹介する。こいつがA。うちの新人ライターだ」
事務所のイスに腰掛けたL氏は、指先を見つめながらこく、とうなずいた。
「…で、今日来てもらったのは他でもない。うちの社のシナリオを書いて欲しいのだが…。どうだ?
サブにこのAをつけることになるが、やってくれないか?」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記112

AさんとE氏は、L氏に視線を注ぐ。
「…………」
L氏は暫く考えた後、
「引き受けます」
とだけ答えた。
案外あっさりと引き受けてくれたことに、Aさん一堂安堵する。
「ところでギャラのことなんだが…」
E氏が、早速具体的な話を持ちかける。L氏は遠慮がちに指を二本突き出した。
プロットからフローチャート製作、そしてシナリオ……作業期間は約四ヶ月にも及ぼう。
それらを踏まえて、L氏は200万というギャラを提示した。
およそ、標準のギャラの倍である。
当然、社長は苦い顔をする。社長の顔色を察したE氏が、
「…ギャラの件はこちらで検討させて欲しい。なるべくLの希望に添うようにする」
L氏は、黙ってうなずいた。

L氏が帰ったあと、J君たちを交えて、ギャラの件について話し合った。
社長は、標準の倍というギャランティーが引っかかっているようで、L氏の起用に難色を示した。
しかし、
「L氏が担当してくだされば、宣伝効果は計り知れないものがあります。なにしろ自衛母胎のファンは、
いまだに根強くL氏の復活を願っています。僕たちのゲームでL氏の復帰が決まれば、
自衛母胎の信者を取り込めるだけでなく、業界の話題を一気にさらうことが出来ます」
J君とF氏は、熱くL氏の起用を主張した。
「もしかすると、一万という本数も夢じゃないかもしれません」
F氏のその言葉で、ようやく社長は首を縦にふった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記113

G先生の二倍のギャラをL氏に支払うとなれば、当然予定している製作費では赤字である。
が、採算分岐点を大きく超えてくれれば、その程度の赤字などどうにでもなる。一種の賭けであった。
社長が予測した3500本というペイラインギリギリの数しか受注がこなければ、L氏のギャラは払えない。
当然、会社の信用は地に落ちる。だが、J君たちは3500などという数字は、ゆうに超えると確信していた。
L氏は、それだけの対価を支払う価値のあるライターなのである。
名声も実績もないライターのAさんは、L氏の存在を頼もしく思うと同時に、軽い嫉妬を覚えた。
いつか自分もL氏のようなライターになるぞと、硬く心に誓うのであった。
「…………」
L氏の起用が決まって意気が上がる事務所の中に、一人浮かない顔をしている人物がいる。
L氏を連れてきたE氏である。E氏が浮かない顔をしている意味を、このときはまだ、誰も理解できなかった。

昼休み、AさんはE氏と一緒に昼食をとるために外出した。
「Lさんって、いつもあんな無口なんですか?」
と、AさんがE氏に聞く。
「まあな。大学の頃からずっとあんな調子だ。人付き合いが苦手らしく、ほとんど外にもでない。
人間として欠けている部分があることは確かだ。しかし、ゲームのシナリオを書かせれば一流だ」
「俺…うまくLさんの下でやっていけるのでしょうか?」
「心配するな。あいつとの連絡は、すべて俺が受け持つ。
Aへの仕事の指示は、全部俺から行くことにするから、大丈夫だ」
「お願いします」
正直L氏と上手くコミュニケーションする自信はAさんにはなかった。
あの無口なL氏と、どう接していいのかわからないのである。だがE氏が間に入ってくれるのなら、今回は問題はない。
「L氏みたいな人って、結構いるんですか? この業界に」
「…たまにいるな。俺もかなり無口な方だが、Lのように、なにを考えてるのかわからないような奴は、ごろごろいる。
そう珍しいことじゃない」
「…………」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記114

背景や、彩色の外注先も決まり、本格的に製作に取り掛かることになった。
一番の問題であった、メインのライターもなんとか決まり、後はガンガン作業を進めていくだけである。
Aさんも、ようやく仕事らしい仕事にありつけるのかと期待した。
だが…。
「Lの希望により、プロット、フローチャート。全て、向こうが受け持つことになった」
Aさんは、E氏の机の傍らに立ったまま、肩を落とした。
「ま、あいつは、一から全部やりたがるタイプの奴だし。
メインのライターはあっちなんだから任せておいたほうが無難だろ」
「では…俺はなにをすれば?」
「うーん。Lの製作したプロットとCGの指定にそって、発注書を起こしてもらう作業をやってもらうことになる。
だが、それはプロットが上がってきてから取り掛かってもらうことになるな…。だから、当面は…そうだな…」
と、E氏は自分の机を見渡してAさんになんの仕事をふろうか考える…。
音楽屋のE氏の机は、二つある開発室の片方の部屋をほとんど占領してしまうほど、
大量の機材に取り囲まれていた。
キーボードやスピーカー、コンソール、イコライザー、各種エフェクター、音源モジュールなど。
所狭しと機材が並べられている。

――まさか、音楽を手伝えとか言いうんじゃないだろうな…。

音楽のことなど全くわからないAさん。自慢じゃないが、カラオケにすらほとんど行ったことがないのである。
音楽的センスと知識は「0」に等しい。
が、その心配は杞憂に終った。
「Aも一応、G先生の企画書を元にプロットを書いてみるか?」
「え、でも…?」
「まあ、プロットを書いてもらったとしても99%没になると思う。だが、お前の勉強にはなるだろう。
それに、いい部分があればLと検討して採用してもいい。どうだ?」
E氏の言い分は至極もっともだ。どうせ、仕事はないのだし、勉強になるのならやる価値はある。
「やります」と、Aさんは、没になって当然のプロットの製作に取り掛かることになった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記115

本格的な製作が始まった。にも関わらず、社内の空気はまったりとしていた。
H子さんやIちゃんは、同人のほうの作業がやっと終わり、暫くお休みを取った。
社長ら首脳陣は、隣の事務室で一日中、広報プランやシステム仕様についてのミーティングを開いていた。
開発室で一人、作業に没頭するAさん。
「…プロットか」
G先生の企画書を元に、具体的なストーリーのあらすじを決める作業である。
シナリオの土台になるべき部分であり、ここで作ったプロットを元にCGや音楽の発注書が製作される。
一番の要といえる作業であろう。
にも関わらず、ここでだらだらと時間を費やしてはいけない。開発期間は、半年と決まっているのだ。
プロットが決まらないとライティング作業に入れないだけでなく、その他のパートの作業も進めることが出来ない。
だから会社によっては、プロットまでの作業を、企画が動き出す前に先行させて終らせてしまうところもある。
今回はメインのライターのL氏がプロットを組み上げるので、Aさんはそれほど気負う必要はない。
あくまで練習。Aさんが考えたストーリーが採用される確率は0%に近い。
だが、L氏が作ってくるプロットより少しでもいいものを書いて、
E氏や社長に力を認めてもらいたいという思いがあった。
「よし…」
気合を入れて、G先生の企画書を読み返す。
企画書内ですでに簡単なあらすじは指定されている。
それを元に、ヒロインごとにルートを区分けし、エンディングまでの具体的な道筋を組み立てていけばいいのである。
企画書に書かれているあらすじは至極簡潔で、とある女子学院水泳部のコーチとして招かれた主人公が、
部員たちを指導しながら、落としていくというありがな内容だった。
このままでは当然プロットとしては使えず、
ここからさらに捻って面白いストーリーににするのが、ライターの腕の見せ所である。
Aさんは考えた。

――まず、全体の流れを決めよう。
主人公の一日のタイムスケジュールのような物を作って、ゲーム全体の日を決める…。
ヒロインたちは水泳部だから、季節は夏。
そうだ、プレイ期間は夏休みの7月25日〜8月31日の期間がいいな…。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記116

そこまで考えて、Aさんはふと思い出した。

――確か、ゲームが発売されるのが、予定通りにいけば一月のはず。
なのにゲームの期間を夏休みにしてしまっては、季節はずれも甚だしい。

Aさんは頭を抱えた。
水着が似合う季節といえば、当然夏である。しかし、ゲームが発売されるのは冬。
「…………」
いきなり壁にぶち当たったAさんは、E氏に相談することにした。

「…季節なんて気にしなくていいんだよ。エロゲーの季節感は現実とは別物なんだ。
KA○ONは、6月に発売されたにも関わらずあんなに売れただろ?
第一そんなこと言い出したら、スクール水着の企画を採用した時点で間違っていたことになる。
どうしても気になるんだったら、ゲーム内の季節を冬にして舞台を室内プールにすればいい」
室内プール…。その手があったかと、Aさんは手を打って納得した。
だが、やっぱり冬に水泳の練習するのは違和感がある。
E氏の「季節なんて気にしなくていい」という言葉を受けて、
最初に考えたとおり、ゲームの期間を夏休みに設定することにした。

それからAさんは、一週間かけて5人のヒロイン全ルートのプロットを書き上げた。
出来たプロットをE氏に見てもらう。
「…長い」
第一声はそれだった。
「一日のイベント量が多すぎる。もっと削れ。
このままだと、2M書いても終らないぞ。それと、意味のない選択肢が多すぎる。
これじゃあ、ゲームの難易度が高くなる。
ユーザーに最後までプレイして欲しいのなら、もっとルート分岐を判りやすくしろ」
辛辣な感想が、次から次へとAさんに浴びせられる。肩を竦めて、E氏の言葉を聞くAさん。
「リテイク(やりなおし)」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記117

すごすごと自分の机に帰るAさん。
落ち込んだAさんに、Iちゃんが「ポッキ―食べますか?」と声をかけてくれた。
やんわりと断ってイスに座る。
「はあ…」
Aさんは、なかなかの出来だと思っていたプロットだったが、E氏はそれをけちょんけちょんに貶した。
ヘコんだ顔をしたまま、Aさんはプロットのリテイク作業に取り掛かった。

※以下Aさんの書いたプロットを一部抜粋したもの。

三日目

(9:00)
 朝。ヒロイン3に出会う。[選択肢] 一緒に登校する 一人で学校に行く
      ↓
(13:00)
 昼休み。今日は弁当を忘れた。[選択肢] 食堂に行く 部室で食べる
      ↓
(16:00)
 部活の前に職員室に寄る。ヒロイン2と出会う。
      ↓
(17:00)
 部活。誰を指導する? [選択肢] ヒロイン1を指導する ヒロイン2を指導する
      ↓
(21:00)
 帰宅。電話がかかってくる。ヒロイン4からだった。どうやら、部活のことで悩んでいるらしい。…。

といった感じで、背景やイベントCGが入ることを想定しながら、書いていくのである。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記118

――マスターアップまで、6ヵ月。

再度、書き上げたプロットをE氏に提出した。
「前よりはよくなっているが…。ヒロインごとのルートによって、もっとイベントの内容を色分けしろ。
これじゃあ、どのルートを通っても内容には大差ないだろ? それと、エロシーンを入れるタイミングがおかしい。
エッチシーンの数が多いのは結構だが、出会って二日目でHはいくらなんでも焦りすぎだ。
陵辱ゲームじゃないんだから、
もう少しヒロインとの関係を積み重ねてからHに持っていかせろ。それと…」E氏が眉をしかめた。
なにか不味いことを書いたかな、とAさんは身を縮こまらせる。
「『いやがるヒロイン3を教室で強引に…』これは絶対にやるな。うちのカラーじゃない」
「でもそういうのもHシーンのバリエーションの一つとしてあってもいいんじゃないかと…」
「駄目だ。うちのゲームを買うユーザーはそういうのを求めているんじゃない。
ヒロインは全員処女じゃないと駄目だ。とか、Hシーンは必ず和姦。とか、
いわゆる萌えゲーには、法則というものがある。
その法則から少しでもはずれたら、他がどんなによくても評価に響く。
ユーザーはこんな泥臭い展開など望んでいない。
あくまでも『ソフトに、柔らかく』これがうちのキーワードだ」
「そうなんですか…」
「ユーザーは敏感だからな。
こちらも細心の注意を払っていかないと、どこで足元をすくわれるかわかったもんじゃない。
気をつけろ。いいな?」
再びリテイクを貰い、Aさんは肩を落として自分の席に戻った。
「はあ…」
プロット一つとってみても、色々と決まりごとがあって難しい。
Aさんのような初心者は、こうやって一つ一つ勉強していくのである。
が、E氏のようにちゃんと真剣に教えてくれる人がいるだけ、Aさんはましである。
ひどい所になると、素人の書いたプロットをろくにチェックもしないで、通してしまう所もある。

――どの道、自分の書いたプロットは採用されないだろうから、
勉強のためだと思ってガンガンぶつかっていこう。

気を取り直して、Aさんは再びキーボードをたたき始めた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記119

――マスターアップまで、5ヶ月。

今日も定時どおり出社したAさん。机に座り、PCを立ち上げ、いつものフォルダを開く。
昨日E氏から受けたプロットのリテイク作業に入る。
「うーん…」
自分の書いたプロットを読み返して、Aさんは唸った。
20回も書きなおしただけあって、中々いいものができた。と自負している。
もうこれ以上手を加える必要はないのだが、これから21回目の直しに入らざるを得ない。
その理由は…。もう一月も経つのに、L氏から出来上がったプロット等が送られてこないのが原因であった。
始めは、実績のあるL氏だからと誰もが、呑気に構えていたのだが、プロットだけで一月もかけられると
こちらの作業に支障をきたしてしまう。
現に、完全に手があいてしまったH子さんとIちゃんは、退屈そうにネットゲームに興じていた。
「あ、H子さんのウイザードLV50超えてるじゃないですか。やりこみすぎですよ」
「だって暇なんだもん…」
そんなわけで、事務所では朝から首脳陣が集まって、L氏のことについて協議している。

昼になって協議を終えたJ君とE氏が開発室に戻ってきた。
「これから、Lの家に行ってくる」と、E氏。
「もし間に合いそうにない場合、Aさんの書いたプロットで行くしかないですね…」
「そうだな…。いいなA?」突然、話をふられてAさんは驚く。
「Aさんのプロットで行く場合、Lさんは『テキストライター』として参加してもらうことにしましょう」
と、J君は言った。
シナリオライターといっても色々と種類がある。
本来シナリオライターというものは、ゲームのプロットからフローチャート、それとテキスト、スクリプトまで……。
初めから最後までゲームのシナリオに携わる者のことを言う。
他人の起こしたプロットを元にして、ゲーム本編のテキストだけを書くライターは、本来なら『テキストライター』
と呼ぶべきなのだが、背骨ソフト内できちんと区別して呼び分けているのは、几帳面なJ君ぐらいである。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記120

「じゃあ、Lの家に行ってくる」
上着を着込み、E氏が開発室から出ようとしたところに、紙の束を持ったF氏が飛び込んできた。
「来ました。Lさんから、いまちょうどFAXが」
「なに?」
E氏が、F氏の持った紙の束を奪い取る。
「…心配させやがって、時間かけすぎなんだよ」
どうやら、いまようやくプロットが届いたらしい。
一瞬、自分のプロットが採用されるのか、と期待したAさんは、落胆した。
「よし、これを元に発注書を直ぐに製作するから、一週間待っててくれ」
E氏からプロットのコピーを手渡され、二人で発注書の製作に取り掛かった。

作らなければいけない発注書は、イベントCG・立ち絵・背景・システム画像の四種類。
音楽、プログラムは背骨ソフトに専属がいるので、当面はパス。
手の空いている外注とグラフィック部門の二人を動かすために、
急ぎ画像関係の発注書だけを先行させて仕上げなければいけない。
原画とシステム画像は絵コンテで。彩色と背景はイメージを書き出した字コンテで発注するのだそうだ。

原画――イベントCGと立ち絵は、キャラがどんな構図で、
なにをしているのかがわかればいいので、絵コンテだけの指示で簡単に済ませて
細部はH子さんと直接打ち合わせて決めることにする。

システム画像――タイトル画面や、セーブロード画面等のこと。
これも簡単なイメージがわかればいいので、絵コンテで。
今回、マップ移動やミニゲームなど、複雑なシステムがないので、
ほとんど前回使ったやつのデザインを変えて使いまわす。

彩色――CG彩色全般のこと。これは、どこから光源がきているのか。
夜のシーンの絵なのか、昼のシーンの絵なのか。
時間帯は? 天気は? など、そのときの状況を事細かに字で書き起こした物。
外注の人が読んでもわかるように、詳細に書く。

背景――ゲームの背景は、前作同様、原画から彩色まで、背景スタジオに任せることになっている。
字や絵コンテで発注してもいいが、写真などを添えてより具体的なイメージを伝えることにした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記121

いままで暇だったのが嘘のように、突然忙しくなった。
ネットで資料を拾ったり、E氏の指示に従い文章を書き出したり…。
プロットの遅れたツケがAさんたちに回ってきたのである。だが、ここで泣き言はいってられない。
すでに、予定のスケジュールから一月も遅れている。いまは一刻を争うのである。
「…………」
なんとか、一週間後に画像関係の発注書を製作することが出来た。
それをもとにH子さんが原画を書き起こし、Iちゃんが色を塗る作業に取り掛かる。
「キャラクターデザインと色はすでに決まってるから、これで最後までいけるな」
E氏の言葉に、Iちゃんは力づよく頷く。
「キャラクターデザインできてるんですか?」
Aさんはお願いして、ゲームのキャラを見せてもらった。
「おお!」
H子さんの書き起こしたらラフに簡単な着色がしてあるキャラを見て、
ようやくゲームの具体的なイメージが掴めたような気がした。

音楽とプログラムの発注も終わり、ようやくAさんも一息つくことができた。
「…………」
L氏の製作したプロットを読みながら、自分はどのキャラを担当することになるのだろうかと思いを馳せる。
プロットの出来は、正直言ってAさんが書いたものとそれほど大差ない。
スクール水着というありきたりな題材では、似たようなシナリオになってしまうのは仕方ない。
しかし、これだけのプロットに、なぜ一月もかかったのだろう……。Aさんは疑問を抱いた。

J君がやってきて、来月(8月の終わり)に雑誌に大々的に今回のソフトを発表することに決まったこと伝えに来た。
そして体験版を出すことを提案。体験版の締め切りは「10月末」だという。
いまのペースなら、ギリギリなんとか間に合いそうな気配だ。
全員一致で体験版の件を承諾。ホワイトボードにでかでかと「10月末 体験版締め切り!」と書かれた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記122

――マスターアップまで、4ヶ月。

気がつくと、8月。
夏の熱さを少しでも緩和するため、社内では朝からエアコンがフル稼働していた。
Aさんは今日も、黙々と机に向かっている。
ここ暫く、毎日定時に出社して、机に向かい、仕事が終ると家に帰るだけの単純な生活の繰り返しである。
しかし、そんななんでもない作業の日々を繰り返しながらも、ゲームは着々と完成に近づいてくのである。
今日はE氏の作ったゲームの主題歌のデモを聞かせて貰った。
明るいテクノ調のテンポのいい曲である。
「いいんじゃないですか。ゲームの雰囲気をよく表していると思います」
一緒にデモを聞いていたJ君が賛辞を送る。音楽のことはよくわからないAさんも、同意する。
そこにD社長がCD―Rを持ってやってきた。
「J君。君に任せたシステム実装。動かしてみたんだけど、これじゃあ使えないよ」
と、社長はE氏にRを手渡した。
「使えないって…。どこがですか?」
「前回のゲームで僕が組んだシステムを、更によくしてくれるのなら、文句も言わないけど、
悪くなってるのはいただけない」
「…ああ。バックログで表示される台詞をクリックすると音声が聴ける機能をはぶいたことですか?」
「それだけじゃないよ。 ウインドウの透過設定の機能も外したよね?
 他にも色々と設定できるところがなくなってる。
 仕様書、ちゃんと読んでくれたよね?」
「もちろん読みましたよ。ですが、積み込む機能が多すぎて、
 あの仕様書どおりに組んだのでは、正確な動作は保証できません」
「それを正確に動作させるために、J君をサブのプログラマーとして“使ってあげてる”んじゃないか」
社長の棘のある言い方に、J君は眉をしかめた。
「では、言わせて貰いますが…」
J君は社長に真っ向から反論した。暫く、E氏の机の周りでJ君と社長の言い争いが続く。
「はあ……」
E氏は、机に肘をついて深い溜め息を吐いた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記123

言い争う二人を見て、Aさんも「またか…」と、げんなりした。
J君と社長が仕事でぶつかるのは、これで何度目だろう…。
いいものを作るために、激しく議論を交わすのはいいことだが、どちらも自分の主張を譲らない。
バグのない安定したシステムを求めるJ君と、ユーザーの要望する実装を一つでも多く組み込みたい社長。
主張がぶつかるのは、ゲームのことだけじゃない。
本来だったら営業というポジションで社に所属しているはずのJ君が、みなの要望(おもにF氏)によって、
サブのプログラマーとして自分の下に就いて、仕事に口を出してくることが、社長は気に食わないのだ。
しかし、社長のプログラム技術に見切りをつけているJ君は、社長には任せて置けないと、
ずけずけと社長の仕事に口を挟み続けている。

社長「君は僕の部下なんだから、僕の言うとおりにやってればいいの!」

J君「社長に任せておくのは不安ですから、全部自分がやります!」

二人の腹の中を割ると、きっとこんな本音が飛び出すだろう。
だが、どちらも半端に“大人”であるから、中々本音を言わない。
二人の対立――というか最早「確執」と呼べる域にまで達している――は、終わりを見せない。
このまま最後までこの調子で行くんじゃないだろうなと、Aさんは不安になった。
「…………」
黙々と作業を続けていたH子さんとIちゃんが、言い争う二人とE氏を交互に眺めている。
E氏は、二人の視線に気付かないふりをして自分の作業に戻った。

――本当だったら、ディレクターであるE氏が二人の喧嘩を止めなきゃいけなんだろうな…。

だが、E氏は「我関せず」といった感じで、自分の作業に打ち込んでいる。
Aさんも、Iちゃんたちと同じく、不安げな面持ちでE氏を見つめ続けた。
しかし、E氏は最後まで二人の喧嘩の仲裁に入ろうとはしなかった…。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記124

仕事を終えたAさんは、帰宅の準備を整え開発室を出た。
帰る前に、事務所に寄って「お先に失礼します」と挨拶していくのが、背骨ソフト開発陣の慣例になっている。
Aさんは、いつものように事務所のドアを開いて、声をかけようとした。
「…L氏は、本当に大丈夫なの?」
中から社長の声が聞こえた。話している相手は、E氏らしい。
「プロットの遅れもそうだけどさ、シナリオもまだ1kも上がってきていないんでしょ?」
「明日、連絡を取ってみます」
「ま、信用していないわけじゃないけど…。どうも僕はね…」
どうやら、社長はL氏の仕事ぶりに不信感を抱いているようだ。
「…仕事は、ちゃんと最後までやらせますよ」
「ならいいけど」Aさんは、二人に気付かれないようにそっとドアを閉めた。

翌日、出社したAさんは、H子さんの机の周りに集まる従業員たちを見つけた。
「あ、Aさん。これ、見てください」
とIちゃんがエロゲー雑誌を持って、近づいてきた。
「もう、発表されたんだ…」
何気なく雑誌を手にとって、目を落とす。ぎょっとAさんは、目を見開いた。
「背骨ソフト新作 『スクール水着』 原画○○H子 シナリオ ○○L!!」
雑誌のトップ。おまけに見開きでデカデカと取り上げられていた。
「いやー各雑誌社とも、うちのソフトに注目してますよ。なにしろL氏の復帰作になるわけですから」
「そうですよね。二本目でこれだけ大きく取り上げられるのは、稀なことです」
J君とF氏、どちらも自分たちのソフトの注目の高さに満足している。
昨日あれだけJ君と言い争っていた社長も、昨日のことを忘れたかのようにJ君の肩を叩いて、
「これも二人の営業努力のお陰だよね」と、調子のいいことを言う。
H子さんや、Iちゃんも嬉しさを隠しきれないといった様子だ。
従業員全員の士気はいやがおうにも高まった。後はマスターアップに向けて突き進むのみである。
が…。
このときはまだ、この場にいる誰もが、この後どんな展開が待ち受けているか、思いもしていなかった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記125

――マスターアップまで、3ヶ月。

Aさんは、自分が担当するヒロインルートのシナリオの執筆を開始した。
といっても、いまだにL氏から送られてきた序盤と共通ルートのシナリオを読ませてもらって
いないので、書き出そうにも、どういう文体で、どんな雰囲気で書き始めればいいのかわからない。
E氏からは、いまだ一行も、L氏のシナリオが降りてこない。
絵や音楽は着々と作業が進んでいるのに、シナリオだけがほとんど手付かずの状態であった。
「Eさん。Lさんから連絡はありましたか?」
Aさんが、E氏に聞く。
「…いや」と、短い答えが返ってきた。
「いつごろシナリオの冒頭が送られてくるんでしょうか? それがないと、俺の作業も始められないので」
「Lに連絡をとってみる。Aは気にせずに、とりあえず書いてみろ。微妙な食い違いは後で修正すればいい」
「はぁ…」と気のない返事を残してAさんは自分の席に戻った。
とりあえず書いてみろといわれても、L氏の書いたシナリオと文体も雰囲気もなにもかも食い違ったら、
一から書き直しということもありうる。
それを考えると、中々作業にとりかかれない。プロット程度だったら、一から書き直しといわれても、
まだ我慢はできるが、丹精込めて書きあげたシナリオが、
総リテイクということにでもなったら、きっと泣いてしまうだろう。
モチベーションが保てない…。
Aさんも、D社長と同じくL氏に不信感を抱いた。
仕事を依頼してから、既に三ヶ月が過ぎようとしている。
それなのに、いままでこちらにちゃんと形で示した作業成果といえば、
プロットとフローチャートのみ。
通常の二倍ものギャラを要求しておきながら、この作業ペースは呆れ返るばかり。
思い返せば、L氏の仕事の遅れのツケが全部Aさんに回ってきている。
「…腹が立ってきた」
と、憤ったところでAさんにはなにも出来ない。ただ待つしかない。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記126

今日は週一回のミーティングの日である。お互いの作業状況を報告しあう。
「立ち絵の原画は、なんとか昨日までに全ての原画が揃いました。あとは、色を塗るだけです」
と、Iちゃん。
「イベント原画は、今日から取り掛かるけど…。時間内に間に合うかギリギリのところね」
「前回みたいに、マスターアップ直前までかかるのは勘弁してくださいよ」
J君が、H子さんに釘を刺した。
「シナリオのほうはどうなってるの?」と、社長がE氏に聞く。
「……まだ、全然です」まるで、他人事のようにE氏が答えた。
「全然ってことは、一つも進んでいないってこと?」
「Aが書いてる部分は進んでいるが、その他の部分は…」と、E氏は言葉を濁した。
「困るねそれじゃあ……。いまからでもG先生にヘルプをお願いしてみる?」
「社長、それは…」J君とF氏が会話に割り込んできた。
「せっかくL氏のネームバリューのお陰で盛り上がっているユーザーたちに、水を差す結果になります。
そればっかりは辞めた方がいいと思います。それよりも、Aさんにシナリオを割り振った方が、いいのでは?」
うーんと社長は渋い顔をした。自分の案にことごとく逆らってくるJ君たち二人を、面白くなそうに睨みつける。
「とりあえず午後から、Lの家に行ってみる。直接シナリオをあがっている分だけでも貰ってくるつもりだ」
「ここは、Eさんに任せましょう」
その一言で、とりあえずその場は治まった。

L氏の家に、Aさんも行くこととなった。
本当はJ君がE氏に同行する予定だったのだが、
「体験版の打ち合わせのために雑誌社に行かなければいけないんです…」
ということで、急遽AさんがE氏に同行せざるを得なくなった。
会社を出て、電車に乗る。
「…体験版の締め切りってたしか、来月の末でしたよね?」
「そうだ。それまでに、なんとかして冒頭部分のシナリオだけでも引っ手繰ってこないとな…」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記127

L氏の家に到着した。背骨ソフトのアパートに引けを取らないほどの、ぼろい建物だった。
この木造建てのアパートの一室に、L氏が住んでいる。
「確か…友達の家に居候してると言っていたな」
ドアをノックしながらE氏が言う。
「はい?」
と、言って出てきたのはL氏本人だった。
「よう…。いきなり押しかけて悪いな」
L氏は、Aさんたちを見ても、とくに気まずそうな素振りは見せず。二人を部屋の中に上げた。

部屋に入ってまず目に付いたのは、布団ので眠っているトドのような巨大な男だった。
「…こいつは、M。相棒だ」
と、L氏はぶっきらぼうに、眠っているその男を紹介した。
「相棒?」
「同人のな」と、L氏は棚の中から派手なパッケージのゲームを取り出した。
「サークル始めたのか。もしかして、シナリオが遅れていたのはこれを作ってたから?」
L氏は、うなずく。
「なっ…」Aさんは、詫びれもせずに、のうのうと遅れた理由を明かしたL氏を睨みつけた。
Aさんを制してE氏が、聞く。
「同人活動を始めたのは結構だが、うちの依頼しているシナリオは忘れていないよな」
「もちろん…」
と、L氏はPCを立ち上げて、中に入っていたテキストファイルをFDに書き込んだ。
「冒頭の共通ルート部分は、出来ている。後は、ヒロインごとのルートだけだ」
「そうか。じゃあこれは貰っていく。後の作業も頼むぞ」
と言って、AさんたちはL氏の家を辞した。
帰りの電車の中でE氏が、
「…ふざけやがって」
と、L氏から受け取ったFDを握り締めながら呟いた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記128

なんにせよ、L氏から多少とはいえ、シナリオが受け取れたことは大きな進展だった。
これで、シナリオの雰囲気もわかるし、なにより来月末締め切りの体験版の製作にも取り掛かれる。
「スクリプトは、社長と俺が受け持つから、Aは気にせずに自分の作業を進めてくれ」
というE氏の言葉に従って、Aさんは自分の担当パートの作業を進めることにした。
その前に、あれだけ名高いL氏のシナリオとやらを拝ませてもらおうと、サーバーの中のファイルを開いた。
「…………」
L氏の書いたシナリオを読みながら、Aさんは、目を点にした。
これが、あの高名な元自衛母胎のライターが書いた文章か、と思えるほど描写は稚拙で、おまけに、
ろくに推敲もしていないのだろう。誤字脱字が山のようにある。
更には、分量が予定の半分にも到達していない。Aさんは、慌ててE氏を呼んだ。
「…………」
E氏もシナリオを読んで、絶句した。
明らかに、L氏のシナリオは手抜きであった。はっきりいって商品として出せるレベルに達していない。
これならまだ、G先生のほうがましである。
「リテイクを出したほうが、いいのでは…?」と、Aさん。
「…………そうだな」長い沈黙の後、E氏がようやく言葉を発した。

そこに、青ざめた顔をしたJ君と社長、F氏が入ってきた。
三人の只ならぬ雰囲気に、開発室にいたAさんたちは、一斉に視線を向けた。
「すいません! 僕の勘違いでした」
と、開口一番J君が、両手を合わせて頭を下げた。
事情が飲み込めず、唖然としているAさんたちに、社長が溜め息混じりに言った。
「体験版の締め切り…今月らしい」
「え――!?」と一堂息を飲み込む。
開発室のホワイトボードには、デカデカと「体験版10月末締め切り」と書かれている。
いまは九月だから…。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記129

「今月末までに、作らないといけないってこと?」
H子さんが、F氏に聞いた。
「はい。申しわけありません。こちらの単純なミスです」額の汗を拭いながらF氏が答える。
「Eどうする? 雑誌の体験版は、なしにする? うちのOHPからのDLだけにする?」
E氏は暫く考えた後、
「I、冒頭のイベントCGは今月中にできるか?」
「はい…。急げば何とか。ただ…システム系のグラフィックが間に合いません」
「そうか…」と、腕を組んでもう一度考え直す。
Aさんたち一堂は、固唾を飲んでE氏が口を開くのを待った。
「雑誌はなしだな。いま無理をすれば、後の作業にも響く…」
「すいません」と、J君はもう一度頭を下げた。
「仕方ない…。それに、どの道、間に合わなかったかもしれない」
と、E氏はPC画面に映ったL氏のシナリオを見ながら呟いた。

J君のミス。それは、なんでもない単純な思い違いからきたものだった。
後で聞いたところによると、10月末締め切りだったのは、店頭に張るポスターデザイン案締め切りであり、
スケジュール帳のそこの欄に誤って「体験版締め切り」と書き込んでしまったことからきた勘違いだったらしい。
雑誌で体験版が発表できなくなったからといって、体験版が出せなくなったわけではない。
ネットや、イベント配布など、雑誌以外にも色々と方法がある。背骨ソフトにとってたいした痛手にはならないはず…。
なのに、日ごろからJ君のことを疎ましく思っていた社長は、
そのミスに付け込んで、J君を開発の重要なポジションから外した。
J君も今回ばかりは言い訳もできずに、素直に社長の要請に従うしかなかった。

さて…。Aさんにとっての問題は、そんな大人の醜い争いではない。L氏の書いたシナリオのことである。
「ちっ。電話にでねぇなあいつ…」
受話器を持ちながらE氏が舌を鳴らした。
「メールでリテイクの旨を伝えたらどうですか?」
「とっくにやってる。だが、返信をよこさねぇんだよ…」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記130

とりあえず、簡単な誤字だけでもAさんが修正することになった。
L氏のシナリオを直しながら、自分の受け持つパートも書かなければいけない。
「だめだ…全然集中できない」
L氏がちゃんと最後まで書き上げてくるのか不安だった。
いままでの作業状況から見て、確率は凄く薄いように思える。
だが、いまからG先生なり誰か助っ人を頼もうとしても、間に合わない。
なにしろ、もう、マスターアップまで時間がないのである。

――マスターアップまで、2ヶ月。

「あの…Eさん。Lさんから連絡は…?」
出社したAさんは、今日もE氏にL氏の状況を聞いた。
このところ、出社するごとに、毎日L氏のことを聞いているような気がする。
「…昨日、あいつの家に行ってみたんだが…なんど呼びかけても出てこねぇんだよ」
「ということは…」
「おい。まだ、その可能性は口にするな。逃げたと決まったわけじゃない。なんとかしてみせる…」
と言うE氏の言葉は酷く頼りなかった。
「A。Lのことは絶対に社長にも、Jにも漏らすなよ」
「でも…いつまでも隠しとおせないですよ」
なにしろ、シナリオが全然上がってきてないのである。
このままシナリオが送られてこなければ、ゲームは完成しない。
「いまあるシナリオは、どれだけだ?」
「確か…冒頭の共通ルートと、俺の書いたヒロイン5のルートだけです」
全体の半分も終っていない。今月末には、音声の収録を行わなければいけない。E氏は、暫く考えた後、
「とりあえず、来週のミーティングで、シナリオの進行具合はスケジュールどおりだと言っておく、俺に話を合わせろ」
「まずいですよそんなの…。嘘じゃないですか」
「…くそっ。参ったな…」E氏が頭を抱えた。
…後になって思えば、このとき何らかの手を打っておけば、まだどうにかなっていたかもしれない。
G先生に頼むなり、Aさんが代りに書くなりする時間はあったのである。
しかし、E氏は最後まで的確な判断を下せずに、悪戯に時間だけを浪費した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記131

翌週の月曜日。
Aさんは、疲れた身体を引きずりながら出社した。
「おはようございます」
休日中、ずっとL氏から送られてきたシナリオの修正に時間を費やしていた。
山のようにある誤字脱字、文法の明らかな間違い。それら全に手を加え、なんとか読める文に仕上げた。
休みを費やしてまで、なぜ自分が…という疑問はずっとAさんの胸に燻っていた。
本来なら、これはシナリオを書いた本人であるL氏の仕事である。だが、肝心のL氏は一向に連絡が取れない。
音声の収録は、三週間後に迫っている。それに間に合わなくては、アウトだ。
それなのに、シナリオは半分もあがっていない。
「あれ? Eさんは?」机にE氏の姿がないことに気付いた。
「風邪でお休みするそうです」泊り込みで作業をしていたIちゃんが目を擦りながら教えてくれた。

――どうするんだ? 今日はミーティングの日なのに…。

シナリオの進行状況を把握しているのは、E氏とAさんだけである。
E氏がいないのなら、社長にシナリオの進行状況を聞かれるのはAさんの役目になる。
今日のミーティングで、スケジュール通り作業が進んでいると嘘を言えとE氏から命令されている。
だが、このままでは収録に間に合わないことは確かだ。
一月以上も連絡が取れていないL氏から、今から残りのシナリオが
送られてくる可能性は…万に一つもないだろう…。そのぐらいは、素人のAさんでもわかった。
Aさんは悩んだ。嘘をつかずに、いまの状況を社長に報告すればなんとかなるかもしれない。
残り三週間で、Aさんと後一人、誰か別のライターさんに助けてもらって死に物狂いでやれば、
どうにかなるかもしれない。
しかし…。
社長に全てを打ち明けることは、E氏を裏切ることになる。
Aさんの心の中にはまだ、E氏になにか“秘策”があるのでは、という甘い希望が残っていた。
――今日休んでいるのは多分、E氏が遅れているシナリオを間に合わせるために、
知り合いのライターにでも会ってるんじゃないか。きっと…そうだ。
製作経験の豊富なE氏が、このままなす統べなく時間が過ぎていくのを指をくわえて見てるはずはない――。
なにか手を打つはず。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記132

そんなAさんの抱いた期待は、ものの見事に打ち砕かれることになるのだが、
いまのAさんはE氏を信じるしかなかった。
「よし…」
散々悩んだ上、結局AさんはE氏の命令に従うことにした。
その日のミーティングで、Aさんは言われた通り、嘘をついた。
Aさんにとっては考えぬいた上での結論だったが、
結局のところ、その嘘が将来どれだけ開発に支障をきたすこととなるのか、
初心者のAさんには見通すことができなかっただけである。
慣れた製作者なら、ここでE氏の命令に従い、嘘を言えば、どういう状況をもたらすかわかったはずである。
しかし、ようやく試用期間という身分の取れたAさんでは、
直属の上司であるE氏に従うしか道は見つからなかった。

翌日…。
その日もE氏は会社を休んでいた。
Aさんは、不安になりながらも、E氏が一刻も早く出社してくれることを祈った。
しかし、その次の日も、さらに次の日も…。E氏は、風邪と称して会社に現れない。
E氏がこないので、Aさんはなにをしたらいいのかわからなかった。
いままで仕事の支持はE氏からすべてもらっていた。E氏の言われた通りに仕事をこなすのが精一杯だった。
だから、命令をくれていたE氏が会社にこないのでは、Aさんはお手上げである。
足りない分のシナリオを、自分が書いてしまっていいものか…。
時間が押し迫っているのは十分わかっている。わかっているのだが、独断でシナリオを書き出して、
後で怒られるようなことにでもなったら…。そう思うと、手をつけられない。
Aさんはただじっと、E氏が来るのを待った。
その日の昼休みが終ってすぐ、社長とF氏がAさんの元にやってきた。
「A君…。ちょっと、事務所まで来てくれるかな」
と、F氏はいつもの穏やかな口調でAさんを呼び出した。
呼ばれる理由はわかっている。
「あ。いまあるだけのシナリオをFDに入れて持ってきて」
――やっぱり。
Aさん大ピンチである。社長とF氏、物腰は穏やかだが、いつもと雰囲気が違う。
Aさんは、ごくりと唾を飲み込んで事務所へと向かった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記133

社長とF氏は、穏やかな口調でAさんに本当のことを言うように告げた。
「シナリオが半分もあがっていないのに、どうしてミーティングで嘘をついたの?」
「E君になにか言われたのですか?」
二人の取締役に迫られては、Aさんも白旗をあげるしかなかった。
E氏の命令で、シナリオの遅れを誤魔化すよう命令されたこと、
L氏からはもう一月以上も連絡が途絶えていること。
など。Aさんは知っていることを全部ぶちまけた。。
本当は、月曜日のミーティングの時に話すべきだった。それが…E氏を期待したばっかりに。
胸の中に積もった、E氏への不信感を吐き出すように、Aさんは全てを社長たちに吐露した。
社長と、F氏は苦い顔でAさんの言葉を聞いている。
「それであの…。Eさんはいまどうしてるんですか?」
一番気にかかっていたことを、最後に社長に聞いた。社長は、暫く間を空けてから、
「今日は出社すると言ってた。そろそろ来るはずだけど…」
とりあえず、E氏が出社するときいて、Aさんは安堵する。反面、不安になった。
E氏の命令に逆らってしまったのである。きっと、怒られる…。
けど、これ以上自分一人で、重大な問題を隠しとおすことはできなかったであろう。
と、そこに、
「おはようございます」
いつもの調子で、E氏が事務所にやってきた。
社長とF氏は睨みつけるように、入り口に立つE氏を見た。
「…………」
事務所内の雰囲気を察して、E氏は申しわけなさそうに肩を竦めた。
「いま、A君から訊いたよ…。シナリオ、本当に全然あがってないんだね?」
E氏は別段怒った様子もなく、
「悪かったな。休んでて」と、Aさんに言った。
「いま、Lの知り合いの所に行ってきたんだが。あいつ本当に逃げたらしい…。
ここから先は、みんなを集めて話す」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記134

従業員七人全員が、事務所内に集められた。
E氏は、淡々とシナリオが酷く遅れていること、担当していたL氏との連絡がつかないこと。
包み隠さず、全てをみんなに話した。
E氏が言葉を終えた後も、みんな下を向いてうつむいたまま、一言も言葉を発さなかった。
「どうしてそんな重要なこと、いままで黙っていたんですか?」
と、まずJ君が社長に食って掛かった。
「…我々も、他所のメーカーから聞かされるまで、L氏が逃げたことは知らなかった」
F氏が社長の代わりに弁明した。
社長は「全ての責任はEにある」といわんばかりの目でE氏に視線を送った。
「Lが逃げた噂はもう、広まっているのか?」と、落ち着いた様子でE氏がF氏に聞く。
「我々以外にも、仕事を依頼しようとしていた会社があったようで…。そこから、漏れたみたいです」
ちっと社長は舌を鳴らした。IちゃんとH子さんは、先ほどから一言も喋らない。
「L氏には、もう連絡はつけられないのですか?」J君が聞く。
E氏は黙って首を横に降った。
「もう、いまとなったら…L氏の降板は決定的だね」
社長のその言葉は、Aさんの胸を締め付けた。
「降板!? それだけはだめです。雑誌やネットでL氏の名前をつかって散々煽っておきながら、
降りられたと世間に知れたら、僕等が終わりですよ」J君の語尾が徐々に強くなる。
「だが、もうLの手でシナリオを完成させることは無理だ」
「そうなるまで放っておいたのは誰ですか?」
「…俺の責任だ。それは認める」E氏は短くそう言った後、皆に向かって頭を下げた。
いまさらE氏が頭を下げたとしても、事態が好転するはずはない。
「どうしようかね…」社長が、太い身体を揺り動かして腕を組み、考える。
「…いまさら。L氏が降板したなんて口が裂けてもいえないですよ。なにしろ、流通や雑誌社には、
L氏の名前で、うちのソフトを押してもらっているんです。いまさら…」
だが、J君たちがいくら頑張っても、L氏に逃げられたのは事実である。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記135

「このまま、隠し通しましょう。L氏がライターを降りたことを世間に知られなければいいだけのことです」
熱くJ君は語る。
「でも、ゲームが出ればバレるだろ?」
いまあるシナリオのクオリティーでは、L氏が書いたと言っても誰も信じないだろう。
「ゲームを出す前にバレたら、それこそ、取り返しがつきません。初回の発注本数に響きます」
大抵のエロゲームは、初回で捌けて、後はほとんど売れない。
J君の作戦は、話題性のみでこのまま引っ張って、初回分を予定したとおりに売り切ろうというのである。
発売後、どんなにゲームが糞といわれようが、裏切られたといわれようがお構いなし。
兎に角、内容を知らないユーザーを騙し、売ってしまおうという乱暴な作戦だった。
「前作のバグの件もあります。ここでユーザーに見放されたたら、僕等は本当に終わりですよ。
L氏の名前なしじゃ、三千本すら届かないかもしれません」
誰もが押し黙った。反論する声は出てこない。
「このまま、L氏がライターということで押し通しましょう!」熱っぽくJ君がみなを説得する。

「あ――――」
その時、OHPを見ていたIちゃんが声を上げた。
「もう…手遅れかもしれません…」みな一斉に、Iちゃんが覗いていたPC画面に目を移した。

「――ライターのLさんが降りたってほんとうですか?本人のHPに書いてありました」
掲示板へのユーザーからの書き込み。
その後ぞくぞくと、L氏が降板したことについて問い合わせの書き込みがあった。
「どうして……」J君が悲痛に叫ぶ。
社長がIちゃんからマウスを奪い取って、L氏のHPを開く。
L氏のHP。これは、以前L氏の家に行ったときにやっていると聞いた同人サークルのHPだった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記136

「――背骨ソフト次回作 スクール水着 降板のお知らせ――
発売を楽しみにしていたユーザーの皆様もうしわけありません。
開発当初からライターとして参加していた私ですが、
残念ながら、今回は降板させていただくことになりました。
理由は色々あるのですが、やはり当初思い描いていた僕のイメージと、
製作側の提示するイメージがかけ離れてしまったことが原因です。
期待してくださっていたユーザーの皆様には本当に申し訳なく思っています。
次回、またこのような機会がありましたら、頑張りたいと思いますので、よろしくおねがいします。
L     」


                                            

みな、呆然としたまま画面を覗いていた。
L氏の言ってることは滅茶苦茶である。イメージがかけ離れたといっても、こちらからはほとんど注文を
出していない。全てL氏に任せていた。それなのに、この内容は一体どういうことか…。
「どこから更新してるんでしょうね?」
と、Iちゃんが言う。
「さあな。そんなこと、どうでもいい。これで終わりだ…」
呆れ果てたようにE氏が呟く。
重苦しい雰囲気がみなを包んでいた。
突然、Aさんの後ろにいたJ君が、その停滞した空気を打ち壊すように、
「くそっ!!」
傍にあったコーヒーカップを手にとり、床に叩きつけた。
いつも冷静で、我を失うことなどないJ君の激昂は、Aさんたちを驚かせた。
「…………ライターって、どうしてこういう奴ばっかりなんだよ!」
L氏のネームバリューで、ゲームを売ろうと打算していた自分を責めるように吐き捨てる。
そのままJ君は何も言わずに事務所から出ていった。
Aさんたちは、その後も暫く押し黙ったまま、「降板のお知らせ」を見つめていた…。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記137

背骨ソフトの開発を降板した(逃げた)L氏がその後どうなったかというと…。
ソフトの開発が終って暫くの間、社長たちがL氏に責任を求めようと探し回っていたが結局見つからなかった。
囲っていたD社長の兄が、匿っていたという話もあるし、海外に逃げていたという噂もある。
とにかく約一年。L氏は業界から完全に姿を消していた。その間、彼は同人活動など一切していない。
探そうにも、手がかりすら得ることができなかった。その間、どこに逃げていたのかは、本人にしかわからない。
L氏はそのまま業界から足を洗ったのかと背骨ソフトの誰もが思った。だが…違った。
ちょうど一年後、L氏は何食わぬ顔で他会社のエロゲーのシナリオライターとして起用されていた。
Aさんがそれを知ったのは、ライターとして雑誌のインタビューに答えるL氏の写真をたまたま見つけたからである。
その写真を見た瞬間、Aさんは腸が煮え繰り返りそうになったが、Aさんが怒ったとてどうなるものでもない。
エロゲー業界とは、そういう業界なのだから仕方ないと、諦めるしかないのである。

さて…。ここでL氏の逃亡が決定的になった所まで時間を戻す。
L氏の抜けた穴をどうやって埋めるかで、Aさんたちはその日深夜まで協議を続けた。
「やっぱり、いまからG先生にでも頼んでみようか?」
と、G先生にお願いしてみることに決まったが、
向うにも都合があるだろうし、もしかすると断られるかもしれない。
とにかく、G先生の件は社長が広告会社の社長である兄に話を持って行くことで決まった。
「問題なのは、開発期間ですね」と、F氏。
なにしろ、あと半分以上もシナリオが残っているのである。
G先生とAさん二人で音声収録までに書き上げられるか
といえば、かなり微妙だった。
二週間では、ヒロイン一人のルートを書き上げることすら難しい。
「延ばすか……」
ぽつりと、E氏が呟いた。
「やめたほうがいいでしょうね。L氏が抜けた噂がユーザーの元に届いた以上、本数はたいして見込めません。
この上開発期間を延ばせば、資金が回収できない可能性があります」
「かといって、完成しなかったら元も子もないだろ?」
「しかしですね……」
F氏は、延期にかなり反対のようだった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記138

延期すれば、当然ユーザーの不興を買う。
これ以上マイナス的なイメージを植え付けたくないと思うのは、誰でも当然。
だが、F氏が延期を反対していたのには、もっと別の理由があった。
「ペイラインに達しなければ、スター流通から借りた資金が返せなくなるから、でしょ?」
皮肉っぽく社長が呟いた。
F氏は、反論せずに押し黙ってしまう。

結局その日、開発期間云々の話は結論に達しなかった。
L氏が抜けたとしても…、いや、抜けたからこそ、
ちゃんとしたものを作りたいと思うのは開発者なら誰でも当然である。
だが、いまの状況では完成したとしても資金をすべて回収できる見込みは少ない。
「はあ…」
事務所のイスに腰掛けたまま、Aさんは深いため息を付いた。
なにか一つでもL氏の抜けた穴を埋める手立てがあればよかったのである。
けれどそんなものは簡単には見つからない。いまから、L氏並の知名度のあるライターを探すのは難しいし、
かといって製作者の実績に勝る「売り込み要素」など他に見つからない。
Aさんたちは沈痛な面持ちでその日は退社した。
帰り際、E氏から、
「これ…とりあえず今回の分の音楽全てが入ってる」
「え? どうして俺に渡すんですか?」
音楽、画像など素材を管理する役目はディレクターのE氏である。
「…いや、とくに意味はない。もしものときのためだ」
「はあ…」
Aさんは頼りない返事をしながら、E氏から受け取ったCD-Rを眺めた。
「初めての開発で大変な思いさせて悪いな…」と、E氏が労わるような言葉をかける。
「いえ。いいんです。でも、今回みたいなことってよくあることなんですか?」
「まあな…よくあることといえばよくあることだし、ないといえばない」
どっちなのかよくわからない返事だった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記139

「あの…いまからシナリオのことでちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「いいぜ。電車がなくなっちまうから、歩きながら話そう」
AさんとE氏は暗い夜道を歩き出した。
駅まで歩いていく間、二人はこれからのゲームのことについてじっくりと話し合った。
思えば、E氏とこうしてゲームのことについて話すのは、初めてのことである。
Aさんはこれから自分が書く羽目になったヒロインのシナリオのことについて、
不明瞭な点を色々とE氏にたずねた。
E氏は一つ一つ、丁寧に自分の描いていたイメージをAさんに教えてくれた。
それから、このヒロインの性格は…このルートのポイントはなど、
かなり詳細にシナリオを書くコツを教えてくれた。
E氏の話は、これから、ライティングの作業に入る上でかなり参考になった。
Aさんはその一つ一つを胸に刻み込み、次の日からの仕事に備えようと心に誓った。
「A。明日から、頑張れよ」
E氏はぽんと、Aさんの肩を叩く。
それだけで、胸に抱えていた不安が消し飛んでしまう。
会社としては状況は最悪である。しかし、末端従業員のAさんにはあまり不安はなかった。
いや、むしろ喜んでいたといっていい。本来なら、書かせてもらえるはずのなかったシナリオまで、
書かせてもらえることになったのだから。
かなり前向き過ぎる思考だが、それもAさんの至らないをサポートしてくれるE氏の存在があってである。
L氏が抜けたとはいえ、背骨ソフトの従業員は万全である。
全員が力を合わせれば、何とかこの苦境を乗り越えることができる
であろうと、このときAさんは考えていた。
「それじゃあな」
と、E氏と駅で別れた。
暗いホームに消えていく、細長いE氏の背中。


…それが、Aさんが見た最後のE氏の姿だった。


E氏の背中


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記140

AさんがE氏と別れてから、次の週。
開発室は、地の底よりも暗い雰囲気に包まれていた。
「どうして…?」
受話器を置きながら、H子さんが呟いた。
「繋がりました?」と、AさんがH子さんに聞く。H子さんは、呆然としたまま首を横に降った。
開発室には、E氏以外の従業員全員がいる。
「もう一度かけてみましょうよ」と、Iちゃん。
「無駄でしょうね」J君が苦笑しながら言った。
あの日以来、E氏は再び会社に出社しなくなった。おまけに、無断欠勤である。
何度も連絡を取ろうと試みたが、いくらかけても電話は通じない。家に行っても、出てこない。
L氏と同じパターンである。
「わ、わかんないな…。どうしてEからも連絡が途絶えるの? どうして?」
流石の社長も、戸惑いを隠せない。
その場にいる全員が、社長と同じ気持ちだった。
まさか、一番の開発責任者であり、
この会社の中核でもあったE氏が“逃げて”しまうとは誰も予想しきれなかった事態である。
「社長…E氏になにか言ったんでしょ? L氏の件での責任を取れとかなんとか」
温厚なF氏が語尾を荒げて社長に言う。
「言ってないよ。なにも言ってない…」
「じゃあどうしてですか?」聞きたいのは、誰もが同じである。
この中にいる誰もが、E氏が突然こなくなった理由を知るものはいなかった。
そして、それは最後までわからなかった。
今思えば、E氏がAさんにCD-Rを渡したとき、E氏は既に逃げることを決めていたのだろう。
その後、やけに優しかったのも…。最後だと思ってAさんに付き合ってくれてたのである。
「駄目よ。何度かけても繋がらない。もう…なんで! なんでEさんがいなくなるの!? 誰か教えてよ?」
決して弱音を吐かないH子さんが、頭を抱えて泣き崩れるように机に伏した。
もう、終わりだという雰囲気が開発室内に漂っていた。
Aさんは、E氏の机を見た。大量の音楽機材や私物はそっくりそのまま残っている。
もう、あの席に座るE氏の姿を見ることはできないんだなと思うと、涙が出そうになった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記141

E氏が来なくなってから、社内は火が消えたように暗く淀んでいた。
みなの顔に、諦めと絶望の色が見える。
理由はどうあれ、ゲームを指揮するディレクターが自分の仕事場を放棄して、勝手に退社してしまったのである。
社長は、E氏の机を整理しながら、
「裏切られたよ、Eには。ほんとうに、どうしようもないなこいつは……。
これから先も、似たようなことを繰り返すんだろうね」
と、いつまでも愚痴をこぼしていた。
Aさんは、PCの画面を見つめながら、ぼーっと放心していた。
シナリオを書かなくてはいけないのは、判っている。だが、いまはそれどこじゃない。
書いたとしても、見てもらうE氏はもういないのである。やる気が出ない以前の問題だった。
なぜ、E氏が突然逃げ出したりしたのだろう…。
いや、逃げたと確実に決まったわけではないが、連絡がないということは結果は同じある。
Aさんは、正直E氏の気持ちが理解できなかった。――わからない。というのが率直な感想である。

Aさんとは逆に、同じ開発室にいる二人の女性は違う感情を抱いていた。
「あーくそっ」
H子さんは、描き掛けた原画を乱暴に丸めた。Iちゃんは、ぶすっとした表情のままモ窓の外を眺めている。
H子さんも、Iちゃんも、かなりいらついている様子だった。
「いまごろ、どこの会社にいるんでしょうね」と皮肉っぽくIちゃんがH子さんに問い掛ける。
「ふん。どこに行こうと、もう、戻ってこないわよ」と、H子さんは髪を掻く。
「どういうことですか?」Aさんが、身を乗り出して二人に訊く。
「Eさんは多分、私たちを見捨てたんだと思います」
「Iちゃん」H子さんがたしなめるように言う。
「いいじゃないですか。Aさんにも知っておく権利があると思います」
珍しく、IちゃんがH子さんに反論した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記142

Iちゃんが言うには、土壇場で仕事を放棄する開発者のパターンは二通りあるらしい。
一つは、時間的や人間関係的なことで、自分の作業が間に合わなくなって投げ出してしまうタイプ。
言ってしまえば、L氏のような仕事の放棄の仕方だ。
もう一つは、開発途中で携わってるプロジェクトを見限るタイプ。
こちらはそんなに頻繁にあるわけじゃない。だが、ごく稀にある。
説明すると、ゲームの開発途中で作ってる側の人間が「あ、このゲーム売れねぇや」と感じ、
このまま最後まで製作に付き合ってても、
最終的には給料未払いもしくは倒産などの悲惨な結論に行き着くだろうと予測して、
早々に自分だけ戦線から離脱してしまうという。
超上級者向けの逃亡パターンだ。
「私たちは、Eさんに見限られたのよ」
つまりE氏は今作ってるゲームをたとえ完成させたとしても、売れない。
そして背骨ソフトは倒産もしくは開発続行不可能という結論に行き着くと考えたわけだ。
E氏をその考えに至らせた理由は、当然L氏の降板であろう。
「いくら見限ったからといって、責任を果たさずに途中で放棄してしまうのは当然許されることじゃないわ。
けど、Eさんのような経験豊富で、どの会社も欲しがるような人材なら、魔が差すということがあるかもね…」
Aさんには信じられなかったが、風邪と称してE氏が長い間休んでいたことを思えば…。

――もしかして、休んでいたときに自分の身の振り方を考えていたのかも…。

それにE氏はちゃんと自分の仕事(音楽だけだが)を終らせてAさんに渡してからいなくなってる。
それらを照らし合わせれば、E氏がこの開発を見限ったんじゃないか、
というIちゃんの予想もありえないことではない。
「あれで結構打算的なところあるからねEは」
社長が、そう呟く。元々、E氏を連れてきたのは社長である。この中では一番E氏と付き合いが長い。
その社長すらE氏の逃亡を察知できなかったのだ。人間とは不思議な生き物である。
「もしかして、もうどこかの会社に就職が決まってるかも」と、H子さんが呟いた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記143

「もし、どこか別のエロゲー会社に就職してるのなら、
その会社を探して、事情を話し、Eさんに会わせてもらうってことは出来ないんですか?」
まだ、納得のできないAさんは、社長に尋ねた。
「もちろん。Eも、Lも探して責任は問うよ。けどね…」社長は、頭を掻いた。
「逃げ出した人って、中々見つからないんだよね。
メーカーなんて星の数ほどあるし。その全部と交流があるわけじゃないしね。
それに、意外と横のつながりがあるようで、ないのよ。この業界」
「どこかの会社に逃げ込んだとしたら、最悪その会社が庇う可能性もありますしね」と、Iちゃんが補足した。
「一度仕事を放棄した人を庇うんですか?」
「あら、珍しいことじゃないのよ。逃げる人って。
だって、A君始めての開発なのに、二度もそんな事件に巻き込まれているでしょ?」
と、H子さんは回りくどい言い方で、L氏とE氏のことを指摘した。
「……」そう言われると返す言葉はなかった。
「まあ、政治家みたいな物ね。一度汚職で捕まった人でも、人気さえあれば議員として復活できる。
この業界も一緒よ。能力第一主義と言うか、
デキル人なら今回みたいなことを仕出かしても、ほとぼりがさめれば、また仕事につくことは簡単なのよ」
それはそれで問題はあるだろうが、
あのE氏とL氏なら、能力を欲している会社があってもおかしくはないなと、Aさんは思った。
「ま、それでも一度逃げた人はまた逃げるけどね」
ははは、と呑気に社長は笑った。
「で、また私たちみたいなバカが、L氏のような人を信じて仕事を依頼し、
逃げられて…被害を受ける。どこででもあることなのよ」
「多分。どの会社も一度は経験してるんじゃないですか?」
今回の件をまるで当たり前のように受け止めているIちゃんたちが、Aさんには信じられなかった。
すでにE氏の逃亡すら、交通事故にあっちゃった、
ぐらいの気持ちで半分泣き寝入りしているのが凄い不思議だった。
もっとこう……警察の力を頼るとか、法に訴え出るとか、いろいろとほうほうはあると思うのだが…。
「さて、この話はもうこれでお終い。これから、どうすればいいのかを考えましょう」
H子さんが吹っ切るように手を叩いて、言った。
「…………」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記144

「A君。ディレクターやらない?」
その日の会議中、社長が唐突にそんなことを訊いて来た。
「は? 俺が、ディレクターですか?」
「A君にはまだ無理よ。何しろ、自分の仕事で手一杯だろうし、それならまだ社長がやったほうがいいのでは?」
と、H子さんは言う。
「ま、そうだね。じゃあ、僕がEの代わりのディレクターを努めるよ。その代わり、A君にも手伝ってもらうね」
手伝うぐらいだったら、全然構わないのだが…果たして社長にちゃんとディレクターが務まるのか心配だった。
まだ、J君の方がいいのでは、と思ったが、
J君は体験版スケジュール勘違い事件により、営業に専念させられている最中だった。
…っていうか。
黙って社長の話を聞いてるJ君を見て、失礼ながら開発を途中で会社を見限るのはE氏ではなく、
J君のほうが「相応しい」と思ってしまった。
だが、実際は、逃げたのはJ君ではなくてE氏である。本当に、人間ってわからない。
「んで、開発期間を2ヶ月延長することにしました」と、社長は言う。
「2ヶ月も延長ですか!?」F氏がイスの上で飛び上がりそうなくらい驚く。
「せめて1ヶ月ではいかがですか?」
「そうしたいのは山々なんだけど…。
いまの現状を立て直すのと、シナリオの作業のことを考えたら一月じゃとても作れないね」
社長はそう突っぱねる。
「2ヶ月延ばして、ペイラインを超える目算はあるのですか?」J君が口を開く。
社長は、腕を組み暫く考えてから「ない」きっぱりそう言い切った。
「はあ。それじゃあ、駄目ですよ。いまでさえ、資金の回収は微妙なところなのに、2ヵ月も延ばしちゃったら…」
と、J君たちは抵抗して見せるが、彼らも一月では完成しないことを知っている。
だから、社長の言葉をあまり強く否定できない。
「うーん。こうなったら、うちの影の女番長に裁定を仰ぐしかないね」と、社長はH子さんを見る。
「番長どうします?」皆一斉にH子さんを見る。
「ったく。こういう難しい判断ばかり私に任せるんだから」そう言いながら、H子さんは考える。
一月延ばすか、二月延ばすか。それとも、開発を中止するか。選択肢は色々ある。
「二月……延長していい物作りましょう。それで逃げたあいつ等を見返してやりましょう」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記145

H子さんの威勢のいい言葉で、皆、…奮い立ちはしなかったが、落ち込んでいた士気はほんの少し上昇した。
しかし、たとえ完成したとしても元が取れる計算はほとんどない。
だが、ここで開発を中断するわけにもいかないし、かといって当初のスケジュールに沿って作ったのでは、
まともな物など出来はしない。
だから、二ヶ月開発を延長するとH子さんは決断したのだが、その決断は明らかな判断ミスだった。
売れる計算がないものを、これ以上お金をかけて作っても、泥沼にはまるばかりだ。
さらに、L氏が抜けたことによる、ユーザーたちの動揺を察知していたのは、J君とF氏だけだった。
H子さんは「いい物を作って逃げた人たちを見返してやりましょう」と言った。
開発の動機がこの時点で狂ってしまってる。
「ユーザーに楽しんでもらう」ためから「自分たちの意地」のためへと、目的が変化してしまったのである。
E氏に見捨てられた、AさんたちがH子さんと同様の心境に陥るのは仕方ないことだが、
ユーザー不在のゲームが受け入れられるはずもない。

H子さんの言葉に奮起したのは、社長とIちゃん。それにAさんだけだった。
J君とF氏は、互いに目を見合わせたまま、沈黙していた。

足りない分の開発資金は、流通に社長とF氏が頭を下げて捻出した。
これで流通からの借金は、1500万近くに上った。
これを返すだけでも、3000本近くゲームを売らなければいけない。
さらに外注への支払い、次回作製作のための資金の回収などあわせると、トータルで5000本以上は確実に
売れてくれないと、背骨ソフトは解散である。
それは社長たちもわかっている。
しかし、L氏の抜けた穴を埋める秘策など誰も持ち合わせてはいなかった。
その上で、開発延長など第三者から見れば、ほとんど自殺行為だ。
奇跡でも起こらない限り…背骨ソフトは…エロゲー業界の藻屑と消える。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記146

翌日、シナリオのピンチヒッターを努めてくれることになったG先生にAさんと社長は会いに行った。
G先生の腕前に関しては、Aさんもどうかと思っていたが、この期に及んではG先生にお願いするより他はない。
残る4ルートのシナリオのうち、Aさんがメインヒロインとサブヒロインの2つのルート。
G先生には残る2ルートをお願いすることになっている。
開発期間は、三ヶ月半残っている。そのうち、収録とスクリプトの時間を除けば二ヶ月ちょいしかない。
果たして大丈夫だろうかという懸念がAさんの中にあった。
出発前、D社長に訊いた所によると、G先生はいま別の会社の仕事を受けているらしい。
引き受けてくれるとは言ったが、どこまでやってくれるのか…。

喫茶店で、G先生が来るのを待った。
「よう。おまたせおまたせ」
と、Aさんたちが座っている席に背の高い男が近づいてきた。
黒のライダースジャケットに皮パン。髪をオールバックに流した、二枚目の中年男性。
「は、初めまして」と、緊張の面持ちでAさんは席を立った。

――この人がG先生か。よほどエロゲーのシナリオを書いてる人とは思えないな。

L氏に会ったときとは別の驚きが、Aさんの中にあった。
「君がA君? よろしく」と、G先生は握手を求めてきた。
「うちの期待の新人です」社長が言う。
一通り挨拶を済ませ、Aさんたちは席に着いた。
G先生のほうが、社長よりわずかに年は上らしいが、その風貌から見てどう見てもG先生のほうが若く見える。
座るなりG先生は開口一番、
「おい。デブ公。てめーなんで今回のシナリオ、初めから俺に頼まないんだ?」
「いえ、まあ、色々ありまして…」社長は少し緊張した面持ちで答えた。
いきなりデブ公はないだろ、とAさんは思ったが、どうやらこの二人はかなり長い付き合いらしい。


G先生


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記147

「Lなんかに頼みやがってよ。あんなど素人が、まともな仕事するわけないだろ。
初めから俺に頼んでおけば、今回みたいなことにならなくてすんだのによ」
と、G先生はおしぼりで手を拭きながら、吐き捨てるように言った。
「いや、もう…うちのJとFが強引に…」
「知ってるか? あのLって野郎のいた自衛母胎。
あそこが解散した理由も、開発の途中でLが逃げたからなんだよ」
「本当ですか!?」
Aさんは、飛び上がりそうな勢いで驚く。社長も同様。
「やっぱり知らなかったのか。
あいつほど名の通ったライターがどうしてフリーでいたのか、少し考えてみればわかるだろ?
一度逃げたライターだってことを知ってたんだよ、どのメーカーも」
「そんな話、初めて訊きます…ね、社長」
「う、うん。J君も、F氏もそんなこと一言も言ってなかった」
情報収集に余念のないあの二人が、その話を知らなかったとは思えない。
知っていて目を瞑っていた…いや、たまたま知らなかった可能性もある…。
「どんな高尚な文を書くのかしらないが、途中で仕事をほっぽり出すような奴はプロじゃないな」
「そうです。本当に…酷い目にあいました」
Aさんも社長の隣で頷く。
「まあ、任せとけ。いまやってる仕事と掛け持ちになるが、ちゃんと頼まれた分は期日どおり仕上げて見せる」
G先生は自信たっぷりにAさんたちに言った。
L氏とは全く対照的な人だな、とAさんは思った。性格も、外見も…仕事に対する考え方も全く違う。
ユーザーからバカにされながらも、G先生の元にいまでも仕事の依頼が次々と舞い込んできている理由がわかったような気がした。
人とのコミュニケーション能力があり、仕事を最後まできちんと終らせるG先生のような人こそが、
メーカーからは好かれるのである。
たとえ、ユーザーからの評価がえられなくても、Aさんたちのような切羽詰ったメーカーにとってはG先生は、
神様以上に頼りになる存在である。

Aさんの目には、G先生が滅茶苦茶格好よく見えていた。
自分も、将来G先生のようなライターになりたいとさえ、Aさんは思った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記148

シナリオの半分をG先生にお任せすることになり、一つ安心材料が増えた。

社長がE氏の残した素材を整理しながら、今後のスケジュールを組みなおした。
「えーと、グラフィック関係はいまのまま行ってもらって構わないからね。いまの調子で頼むよH子さん」
「ええ、任せといて」
「まあ、心配はしてないけど、ちょっとCGが遅れてるかな」と、Iちゃんを見る。
「…外注さんが、なかなかあげてくれないので、あげてくれるように催促してみます」
「うん頼んだよ」
Iちゃんは、グラフィックのチーフという立場ながら、自らも彩色をし、彩色外注の管理もしている。
その彩色のほうだが、スケジュールに若干の遅れが出ているらしい。
いま完全に仕上がっているのは、立ち絵だけ。
原画はこれからとりかかるところであり、背景に至ってはまだ一枚も外注先から送られてきていない。
延長した二ヶ月の作業期間を加えなければ、危なかった。
「私の原画が早く終ったら、手伝うから。それまでIちゃん一人で頑張って」
「え? H子さんが手伝ってくれるんですか?」
と、Iちゃんは嬉しそうな、困ったような微妙な表情を作った。
「…?」

ミーティングを終えた後、Iちゃんに、先ほど困った顔をした理由を教えてもらった。
「これ。H子さんが彩色した同人の絵です」と、フォトショップデータを開く。
「なるほど…」その絵を見てAさんは納得した。
H子さんの彩色のレベルは、Iちゃんに比べれば素人並。
陰影のつけかたはそれなりだが、色の使い方が悪く、Iちゃんが塗った絵と比べると立体感がまるでない。
「色々得手不得手は、誰にでもあるものですね」と、しみじみIちゃんが言う。
確かこの前、H子さんは「私は原画の作業より彩色作業のほうが好きなのよね」と、言っていたような気がする。
誰か早く気付かせてあげるべきなのだろうが、本人に自覚がないだけに中々言い出しづらいものがある。
Iちゃんも色々と気苦労があって大変だなと、Aさんは思った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記149

さて、ミーティングも終わり、G先生に割り振るシナリオの打ち合わせも終わり、
いよいよAさんも本格的にシナリオの作業に入ることになった。
もう一度、いま現在あるシナリオを整理してみると、

[シナリオ分量割り振り表]
・全1200k

共通ルートが400k

ヒロイン1 200k ヒロイン2 200k ヒロイン3 150k
ヒロイン4 150k ヒロイン5 100k

当初の予定はこういう割り振りで計算していた。
このうち、ヒロイン5の100k以外は全てL氏が受け持つことになっていたが、
そのL氏は、共通ルートの400kをたった半分の200kの分量で完成させた(おまけに手抜き)
のち、仕事を降りた。
共通ルートの部分は、Aさんが手を加え、なんとか300kほどの分量に増えたが、それでも、
完成しているヒロイン5の100kと合わせても全体の三分の一しかできていない。
ほかに細々としたおまけシナリオや、部分的なHシーンを加えても半分に満たない分量である。

そこであたらしく、AさんとG先生で残りのシナリオを振り分けることにした。
期間は二ヶ月。

ヒロイン1の200kとヒロイン3の150kはAさんが担当する。
ヒロイン2の200kとヒロイン4の150kはG先生にお願いする。

それぞれ、350kずつ。おそよ二ヶ月の作業期間内でなんとかなりそうな気配である。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記150

なにしろAさんは背骨ソフトの面接で「一月300kは書けます」と社長に豪語したのである。
二月で350kぐらい簡単に書き上げれなければ、あの言葉は嘘だったということになる。
社長も、面接のときのAさんの言葉を信じているらしく、まったく心配はしていなさそうだった。
それよりも、
「ねえ、A君。いまのプロットさ、もう一度見直してみない」
と、シナリオのストーリーに意見を言ってきた。
「どこか、気になるところでもありますか?」
「うん…。実は、前から言おうと思ったんだけど、L氏の書いたプロット…これ、よけいな部分が
多すぎるような気がするのね」
「よけいな部分?」
社長は、プリントアウトしたプロットの束を捲って指差した。

「たとえば、ここ。メインヒロインのルートの最後で、主人公が親密度の高いヒロイン1と、
ヒロイン2との間で、どちらのヒロインを選ぶか苦悩するシーンがあるよね」
「はい…。ここで、ユーザーと主人公が上手くリンクできていれば、最後の選択肢の意味がかなり
重くなります」
なにしろ、その選択肢において、主人公はどちらのヒロインを選ぶか決定するわけである。
Aさんはこのプロットを読んだとき、流石にL氏だなと関心した覚えがある。
スクール水着という単なるフェチ物に、ドラマ性を盛り込んでくるとは思いもしていなかった。
「でも、僕はそれがよけいだと思うんだ」
「はあ…」
「僕等が作ってるのは、エロゲーであって、テレビドラマや小説を作ってるんじゃないのね。
二人のヒロインの間で苦悩する主人公や、捨てられるヒロインのドラマなんかエロゲーで見たいと思う?
僕は思わないな。ユーザーが求めているのは、あくまで可愛い女の子とのエッチなシーンと、
女の子たちとの明るく楽しいやりとりなわけね。
エロゲーはあくまでも非現実の世界なんだから、ありがちなドラマ性なんて盛り込んでも、
ユーザーは喜ばないんじゃないかな?」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記151

「そうでしょうか…」
Aさんは、社長の言葉に同意しかねた。
ある程度のドラマ性はあってもいいと思う。エロゲーといっても物語を作ってるんだから、
物語を物語として収めるには、登場人物たちの感情に多少の起伏があったほうが、収まりがいいのではないだろうか…。
Aさんが首を傾げながら、社長にどう反論しようか考えていると、
「A君。僕等は、商品を作ってるんだよ。ユーザーが求めていないゲームを作ったって、ご飯は食べていけないよ」
その言葉は、Aさんの胸に深く突き刺さった。
「僕等は、ユーザーさんあってこその存在だからね。ゲームが売れなきゃ会社も維持できないし、みんなの給料も払えない。
それに…いま僕等は、かなり危機的な状況だからね。このゲームが売れなきゃ、会社は倒産だ。
だから、いままで以上に、ユーザーの方を向いてゲーム製作にとりかかるべきだと思うのね」
「…………」
社長の言葉に、Aさんは反論することができなかった。
結局、社長のいうとおり、プロットに手を加えることになった。
「そこもいらない。その代わり、ヒロインとデートにいくイベントをいれよう。で、夜は主人公の部屋でエッチ。これだ」
「え? でも、このシーン変えちゃうとイベントCGが…」
「そのイベントCGは、まだ出来ていないでしょ? だったら、発注しなおせばいいよ」
社長の言葉どおり、Aさんはプロットに手を加えていく。
社長の言葉は、確かにAさんにも理解できた。いまは、物語がどうだとか作家性がどうだとか、言ってる場合じゃない。
このゲームが売れなくちゃ、背骨ソフトは倒産してしまうのである。
しかし…Aさんの胸にはどこか釈然としないものがあった。

――ここも削るとなると…本当に起伏のない単調な話になっちゃう。本当にこれでいいのか?

社長の指示で変更したプロットは、どうみても面白くない。
ただ、Hシーンと、萌えシチュエーションがならんでいるだけの、なんの意味もないストーリー。
これじゃあ、プレイしたユーザーは、なんの感情もいだかないし、たんなるヌキのおかずとして終ってしまう。
だが、社長はこれでいいといってる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記152

Aさんも、エロゲーのエロが濃いことは賛成だった。
この会社に入る前は、エロの薄いエロゲーなど、どれだけ感動しようがなんの価値もないものだと思っていた。
しかし、深魂込めて折角作ったゲームがただの抜きゲーとして終ってしまうのは、なんとなく面白くない気がした。
どうせ作るんだから、ユーザーの心に少しでも残ってもらいたい…。
Aさんのこの心境は、Aさんだけじゃなく、H子さんもIちゃんも、L氏やE氏も、作り手が等しく持ち合わせている感情だった。
が、社長はそれがいけないのだという。
「エロゲーはあくまでも商品。買ってくれるユーザーがいてこそ成り立つ商売なんだ」
商品に、作り手の意向を反映させるのはいいことだが、それも全てユーザーのためであるべきであって、
作り手側の一方的な意地や思い込みを介入させるべきではない。
昔のAさんだったら、社長の言葉に素直に同意しただろう。
無駄なシーン入れるより、一つでもHなシーンを入れるべきだと、主張しただろう。
しかし、作り手側に回ったAさんは、いとも簡単に、昔抱いていた「エロゲーとはこうあるべき」という原理を見失ってしまっていた。
エロいシーンよりも、作品としてユーザーの心に残って欲しい物を作りたいと思うようになっていた。
それはそれで間違いではないと思う。Aさんの心情、社長の心情、どちらも間違っているとはいえない。
一ついえることは、どちらの意見が正しいのかを選ぶのはユーザーである。ということ。
最初のプロットどおりドラマ性を盛り込み、それで評価が受ければ、社長の言ってることは間違っていたことになる。
エロを増やして、単なるヌキゲーとして終っても、ユーザーがそれを支持してくれれば、その選択は正しかったことになる。
どちらも正論…ではなく、ユーザーに支持されたほうが正論なのである。
これ以上、明快な判断基準はない。
しかし、どちらの意見がユーザーに支持されるか判明するのは、ゲームが出てからということになる。
「うん。いいんじゃないかな。これなら、5000、いや6000本は売れると思うよ」
修正したプロットを見て、社長は満足そうに呟いた。
「L氏降板の穴を、これで少しは埋められればいいのですが…」
プロットに目を通した、F氏とJ君も納得の表情を浮かべた。
この二人が同意すると言うことは、ユーザーはこのプロットを支持する可能性が高いということなのだろうか…。
果たしてユーザーはこの決断にどういう判断を下すのか…それは、発売後になってからでないとわからない。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記153

H子さんに変更になったイベントCGの発注を掛けなおし、
それからAさんはシナリオの執筆作業に入った。
すでに1ルート書いているので、文体や、キャラ同士の掛け合いの温度など、
基本的なことは心得ている。あとは、兎に角手を動かすだけ。
「うぉぉぉぉ!」
と、叫びはしなかったが、まさにそれぐらいの勢いでAさんはシナリオを書き始めた。

まず始めに、メインヒロインのルートから書き上げようとAさんは考えた。
メインヒロインの設定は、水泳部のコーチとして赴任してきた主人公の従妹であり、
他のヒロインの中で唯一主人公の過去を知っている。
性格は、明るく、やや気が強め。コーチと生徒という関係よりも、生意気な妹と頼りない兄、
といった感じのやりとりがメインヒロインと主人公との間で交わされる。
だが、二人の関係に発展はほとんどない。
社長が主人公とヒロインの間で起こるストーリーをほとんど削ってしまったため、
二人の関係は――肉体同士の関係以外では――ゲームが始まってから終るまで、一切変化はなかった。
ストーリーとしては、凄く中途半端。というより、ないに等しい。
だけど社長はそれがいいという。
「ヒロインと主人公は、いつまでも、ぬるま湯のような関係を続けていくのが理想」
それが、ユーザーの求めている物だ。と、言われてしまえば、Aさんはうなずくしかない。

永遠に発展しない、一昔前のラブコメ漫画。要約してしまえば、その一言で収まる。
漫画と一つ違う所は、所々で主人公とヒロインがHすること。
それもなんの必然性もなく…。
「うーん」
ふと、書く手を止めて、Aさんはうなった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記154

――どうかんがえても、前のプロット(L氏が考えた)のほうが話としてはちゃんとしている。

社長の命令で手を加えたストーリーは、シナリオとはいえない…。
ただ、Hシーンと日常シーンを交互に繋ぎ合わせただけの散文だ。
途中まで書き終えたシナリオを読み返しながら、Aさんは納得できない顔で、ずっとうなっていた。
L氏が降りる前に書いたヒロイン5のルートはL氏のプロットをそのまま使ったので、まだ、シナリオに起伏があった。
ヒロイン5は、ほとんどお遊びのような水泳部の中で唯一真面目に部活に取り組んでいるヒロイン、という設定だ。
後半では、Hシーンそっちのけで、選手権出場を目指すヒロイン5と、彼女にほだされたダメコーチの主人公が、
二人三脚で夏休みの終わりに開催される県大会に向けて猛特訓を開始する。
といった感じの、ちょっとしたスポ魂物になっている。
こちらのほうが、まだ真面目にシナリオを書いているという気がしたし、なによりも面白いとAさん自身思っていた。
「う〜ん…」
二つのシナリオを読み比べてみて、もう一度Aさんは唸った。
そこに、H子さんと広報素材の打ち合わせをしていたJ君が、難しい顔をしているAさんを見つけ、近づいてきた。
「Aさん。そんな怖い顔してどうしたんですか?」
「いや…。実は――」
Aさんは、いま悩んでいることを全てJ君に打ち明けた。
ユーザーがなにを求めているのか、一番ユーザーに近い立場で仕事をしているJ君ならよくわかっているだろうと思い、
正直な意見を聞いてみたかったのだ。
「そんなことで悩んでいたんですか?」と、呆れた顔をしてJ君が言う。
「そんなの考えることじゃないですよ。いまの僕等のゲームがユーザーの目にとまるには、
HシーンのCGをバンバン雑誌やHPにUPして、無理やりにでもこちらを振り向かせるしかないんです。
うちのHPを開いてください」
言われたとおり、Aさんは背骨ソフトのHPを開いた。そして、「ゲーム紹介」の中の「ギャラリー」のコンテンツに入る。
「いまの所6枚ですね。紹介しているHCGの枚数は。これを発売直後までに、12枚まで増やす予定です」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記155

J君が言うには、発売前に紹介するCGは全てHCGのみにする方向で、今回の「スクール水着」は「萌え」から「萌えエロ」ゲームへと
営業方針を転換させたんだという。
「L氏の抜けた穴を埋めるのはこれしかないんです。H子さんの絵を全面に押し出し、なおかつエロが充実してますよと、
アピールする。これ以外にユーザーを獲得する手はありません」
だから、J君的にはもっとHなシーンを増やしてもらいたいぐらいだという。
「いっそのことHCG率80%! と、広告にデカデカと打ちたいぐらいですが、
それだと流石に詐欺になっちゃうんでやめました」
だけど、ゲームを売り込みに行くJ君たちからしてみれば、そのぐらいわかりやすいセールスポイントがあったほうが、いいと言う。
いまの苦境から逆転を狙うにはそれしかない、と。
「でもさ、J君。これ見てよ。社長に言われるがまま、Hシーンを増やしたためにストーリー性が全くなくなってるんだよ。
いまのプロットには。このプロットは、正直言ってまともなストーリーだとは思えないんだけど…」
Aさんの発言に、J君は少し驚いたような表情を作った。そして、一度咳払いしてから凄くいい辛そうに、
「あの…Aさん。こういっちゃぁなんですけど…」
「…?」
「L氏が降りた時点で、僕等のゲームにストーリー性なんて期待しているユーザーさんなんていませんよ。
多分、買ったお客さんのほとんどは、Hシーン以外はスキップしちゃうと思うんで、そんなに難しく考えることないと思いますよ…」
「ス、スキップ…?」
Aさんは、J君の言葉を疑った。
だが、冷静に考えてみればそうである。
初めてシナリオを書いた自分の文章をお客さんがまともに読んでくれるわけない。考えが甘かった。
お客さんは全部ちゃんと読んでくれるものだと勝手に思い込んでいた。しかしそうじゃない。Aさんにだって経験はある。
抜きゲーで、Hシーン以外のところはほとんどスキップして飛ばしてプレイした経験が…。
「でもまあ…全く無駄だとはいいません。日常的なシーンだってゲームの一部分なんですから、
力入れて書いてもらう分には一向に構いません。だけど、当然Hシーンのほうが重要ですから、そこだけちゃんと押さえて置いてくださいね」
そういってJ君は開発室から去っていった。
「…………」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記156

一ヵ月後。マスターアップの二ヶ月前。

G先生からシナリオが送られてきた。
まだ、一人目のヒロインだけだが、こちらの注文どおりの分量と内容でキチンと最後まで上手く収まっていた。
なんの迷いもなく、与えられた仕事を淡々とこなす――G先生のシナリオを読みながらAさんは初めてプロのシナリオに触れたような気がした。
だが、いつものG先生節は健在だ。
「あのさA君。手が空いたら、このHシーン書き足しといてくれないかな?」と、10クリックで終っているHシーンを示して社長が言う。
「わかりました。もう一本のルートのほうも、送られてきたら書き足しておきますね」
「悪いね。G先生もこれがなけりゃ、いいライターだと思うんだけどね…」
うんうん、とAさんは激しく社長の言葉に同意した。

先生と同じく、Aさんも昨日メインヒロインのルートを書き終えた。
色々と苦悩はあったが、J君の言葉で逆に吹っ切れることができた。
「うーん。A君のシナリオもさっき読んだけど、中々よく出来てるね。さすが僕が見込んだけのことはあるよ」
と、珍しく社長からお褒めの言葉をいただいてしまった。
なにしろ、社長の指示どおり、あの起伏のないプロットのまま書いたのである。不満に思われる点など生まれるはずもない。
「この調子で、もう一人のヒロインのほうも頼むよ」
「任せといてください」誉められてちょっと余裕が生まれたAさんは、自信たっぷりにそう答えた。

そして、更に一ヵ月後――。シナリオの締切日がきた。
「よし、これで全部だね」
G先生のシナリオと合わせて、全部で1Mちょい。当初の予定よりは少し分量が減ったが、全てのルートのシナリオは無事揃った。
後はこれを台本化し、音声を収録し、スクリプト化してゲームを完成させるだけである。
「ふう〜」
とりあえず、Aさんは一息ついた。本来だったら、Aさんの担当するシナリオは1ルートだけだったのだが、
予想外のハプニングにより3ルートも担当する羽目になった。
しかし、それも今考えてみるといい経験だったように思う。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記157

収録のためシナリオを台本化しなくてはいけない。
Aさんは書き上げたシナリオを会社にあるコピー機で印刷しながら、深いため息をついた。
「いったいどれだけ紙使うんだよ…」
会社にあったコピー用紙1000枚使ってもまだ終らない。
単純に1Mといっても、それらを全て台本化し印刷して吐き出すだけで、とてつもない量になる。
一部1200頁。
それが人数分だから…使用するコピー用紙は一万枚を超える…。
考えるだけで気分が悪くなってくる。
しかし、この作業が終れば音声の収録である。
声優とかあまり興味のないAさんだったが、そういう現場に行ったことがないので多少楽しみではあった。
「ふう。やっと終った…」
紙の束を抱え、Aさんは開発室に戻った。

「で、収録のスケジュールですが、現場に行くのは社長とAさんですか?」
「そうなるね。G先生も時間が空けば同行するって言ってた」
J君と社長が、打ち合わせをしていた。
「社長か、Aさん。どちらか一人スクリプト要員で残っていただけないでしょうか?」
「うーん。そっか。デバックの時間を取らなきゃいけないから、スクリプトは早めに終らせておく必要が
あるね」
社長が腕を組んで考える。
「あ、A君。ちょうどよかった。来週から音声の収録が入ってるんだけど…
A君は、スクリプトのため残ってもらえないかな?」
「はあ…」
台本の束を抱えたまま、Aさんは気のない返事を返す。
「今後のためにもスクリプトの勉強はしといたほうがいいよ。J君が全部教えてくれるから」
「では、収録は社長とG先生にお任せしましょう。Aさんは僕とスクリプト作業ということで」
なんだかしらないが、強引に決められてしまった。楽しみにしていた音声の収録作業は、おあずけとなった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記158

「いてて…肩が凝った」 Aさんは、キーボードから手を放し、肩を回した。長時間同じ姿勢での作業は、流石に堪える。
J君からスクリプトを習いながら、一つ一つシナリオに打ち込んでいく。
タグを覚えてしまえばあとは簡単。ちょっと複雑なHTMLみたいだった。

開発はいよいよ大詰めである。このスクリプト作業が終れば、後はデバックをし、完成となる。
マスターアップまでの1ヶ月弱、この期間にどれだけの完成度まで高めることができるかが勝負である。
ここ一週間。Aさんだけじゃなく、従業員全員が会社に泊まりこんで、作業を続けていた。
「ん?」
ふと、AさんはIちゃんたちのほうを見た。二人とも、まるで死人のような顔で机の前に向かっている。
どちらも、ここ半月ほど一度も家に帰っていない。理由は、H子さんの作業が遅れていることにあった。
「…ごめん。ちょっと夜風にあたってくる」
握っていたシャーペンを放り出し、H子さんはイスから立ち上がる。
「ダメですよ! さっきもそういって、一時間以上も外出してたじゃないですか!」
開発室から出て行こうとするH子さんを、Iちゃんが身体を張って止めた。
「…じゃあ、ご飯食べに行ってくる」
「さっき食べてましたよね? そんな嘘はいいですから早く作業を続けてください」
H子さんは、なにかと理由をつけて開発室から出て行こうとしてる。それを必死で止めるIちゃん。
H子さんがテンパッてる理由は、原画の遅れにあった。二ヶ月開発を延期した分、すでに終ってなくてはいけないのだが、
運の悪いことに、背景をお願いしていた外注スタジオが先ほど突然倒産してしまったのである。
そのせいで、出来上がっていない背景原画がH子さんの所に回ってきてしまい、H子さんの作業はどっと増えた。
「お願い、五分でいいから」
「ダメです。早く作業に戻ってください」
二人の微笑ましいやりとり(?)を目の当たりにし、本当に間に合うのか不安になってきた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記159

スクリプト作業も大詰めに入り、Aさんは今日も会社に泊まりこみで作業を続けていた。
時計は、夜中の四時を過ぎている。
「…くー」
Aさんは机に突っ伏したまま眠っていた。連日の作業で、疲労はピークに達していた。
「……うん?」
突然肩に毛布を掛けられて、目を覚ます。
「あ…ごめんなさい。起こしちゃった?」
「H子さん…。あ、いえ。ありがとうございます」
見渡すと開発室には誰もいない。Iちゃんも、今日は久しぶりに家に帰ったようだ。
Aさんは眠い目を擦りながら、机から身体を起こした。暗い開発室。
「H子さんは、まだ作業続けていたんですか?」
「ええ。今終ったところよ。眠ろうと思ったんだけど、目が冴えちゃって」
と、ポットのお湯をカップに注ぎながら、H子さんは答えた。
「原画のほうはなんとかめどが付きそうよ。A君にも迷惑かけちゃってごめんなさいね」
カップに注いだお茶を、H子さんは差し出す。Aさんはそれを受け取り、
「迷惑だなんて…」
「私、あまり書くの早いほうじゃないから、いつも周りに迷惑かけてばっかりなのよね。
一々フォローしてくれるIちゃんには申し訳ないと思ってるわ」
そういって、お茶をすすった。
「前から訊こうと思ってたんだけど、A君はどうしてライターになろうと思ったの?」
「俺ですか? 俺は…特に理由はありません。なんとなく…ですかね?」
と、頭を掻きながら曖昧に返答する。特にはっきりとした目標があってライターになったわけじゃない。
ただ、コンビニのレジを打つバイトに飽きたから…。理由と言える理由はそれぐらいだろうか。
「そう。私も似たようなものよ。はっきりと、原画家になろうと思ったわけじゃなく。
漠然と絵を描いて同人誌を作ってたら、いつの間にかこうなってたわ」
「そうなんですか。ちょっと意外ですね」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記160

「そうかしら。皆とは言わないけどだいたいの人はそうなんじゃないかしら?
ただ、絵を描くのが好きでとか、文章を書くのが好きでとか。
そういう人じゃないと、こんな仕事に就いたところで続けていけないと思うしね」
H子さんは、傍にあった布団に目をやった。
H子さんも、もう一月以上泊り込んでいる。ろくに家にも帰れないような仕事を「好きだから」という理由だけでは、
続けていけないと思うが…。
「やめようと思ったことはありませんか?」
今度はAさんが、訊いた。まともな生活を遅れないこんな仕事、いやになるときもあったはず。
H子さんは、カップを見つめながら苦笑した。
「毎回思ってるわ。締め切りが間に合わないときとか、思うように描けないときとか…。
実はね、前回の開発が終ったときも、本気でやめようと思ったの。でもそのたびに思いとどまってるわ」
そういて、H子さんは立ち上がり、押入れの中からはがきの束を取り出した。
「これ、前回のゲームのアンケートはがき。A君は見たことないか」
はがきの束を受け取ってAさんは目を通す。40枚ほどあるはがきには、ゲームの感想が書き込まれていた。
「前回の開発の後、私がやめずに続けたのはそのはがきのお陰なの。ほとんどが手厳し意見ばっかりだけど、
中には誉めてくれる人もいて…そういうのを見ちゃうと…ね」
H子さんの言うとおり、40枚あるはがきのうち、肯定的な意見がかかれているはがきは2、3枚しかなかった。
「ありきたりだけど、作ってる側としてはこういうのが一番“利く”のよ。
十人に否定されても、たった一人誉めてくれる人がいれば、その人のために『がんばろう』って思えちゃうのよね。
自分でも、なんて単純な思考回路してんだろ、って思うけど、そういうものなのよ…」
「なんとなくわかるような気がします…」
はがきに目を通しながら、AさんはH子さんの言葉にうなずいた。
「今回のゲーでも、一人でも多く買ってよかったと思ってくれる人がいれば、いまの苦労なんてたいしたことじゃないって思えてくるわ」
「だといいですね…」
H子さんの言葉にうなずきながら、果たして自分たちの作ったゲームがどう評価されるのか、Aさんは心配になってきた。
それこそ、一人も評価してくれないかもしれない。逆に、大絶賛される可能性もある。
そして、Aさんたちはマスターアップの日を迎えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記161

マウスをクリックする音が開発室内に響く。みな疲れきった顔で、パソコンの画面を睨んでいる。
社長がふと顔をあげて時計を見た。
「時間だ。…みんなお疲れ。ここまでだね」
ふう、とみんな一斉に魂が抜けたようにイスの上で脱力する。
マスターアップ。
八ヶ月にも渡る開発からようやく解き放たれたみんなの顔は、疲労の中にも晴れ晴れとしたものがあった。
「お疲れ様でした。みなさんよくここまで頑張ってくれました」
と、F氏がみんなの労をねぎらう。
「あー眠い。私ももう年かしらね」
と、H子さんが早くも帰り支度を始めた。
「マスターは、僕とFさんが会社に持っていきますので、社長も今日は休んでください」
「うん。頼むよ。J君も、お疲れ」珍しく社長が、J君に優しい言葉をかけている。
「それにしても、今回は重大なバグがなくてよかったですね」
「まだわからないよ。けど、デバックの時間もちゃんと取れたしね。前回みたいなことはないんじゃないかな?」
自信たっぷりに社長は言う。一通りのOSで試したところ、ゲームの途中でいきなり落ちてしまうなどというバグはなかった。
恐らく大丈夫であろう、というのがみんなの見通しである。
「さ、みんな今日はゆっくり休んで。次回の開発に備えて」
「もう社長、終ったばかりで次の開発の話なんてしないでよ」
そう言って、H子さんはそそくさと帰宅した。J君たちも、焼いたマスターを届けに会社を後にする。
残ったのは、Aさんと社長とIちゃんだけ。
「A君、次の企画のことなんだけどさ。なんかアイディアない?」
と、社長はすでに次回作のことで頭が一杯のようだ。その後ろで、Iちゃんがまだデバックを続けていた。
「Iちゃん、もう帰っていいよ。二週間も泊り込んでるからお母さん心配してるんじゃない?」
「あ、はい。でも、ちょっと気になることがあって…」
「気になること?」
「はい。実は…この回想シーンなんですけど、最後のHシーンを何度見ても表示されない気が…」
「え?」Aさんと社長は、同時に表情を強張らせた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記162

10分後…。
「やっちまった…」
Iちゃんのいうとおり、最後のHシーンだけ回想シーンに映らない。単純なスクリプトミスだった。
「いまから修正は無理なんですか?」と、Aさんが社長に訊く。
「無理だね。多分もう、J君たち向うに着いちゃってるよ…」
「修正パッチを出すしかないですね…」はあ、と社長は深いため息を吐き出した。
結局、回想シーンの件は諦めるより他なかった。それ以外に目立ったバグは特になかったのが唯一の救いだ。
Aさんは、その日久しぶりに家に帰り、疲れた身体を布団の上に横たえた。

その日、Aさんは夢を見た。
終ったばかりの修羅場に、再び身を投じている夢である。
作っているゲームは、Aさんが企画し、シナリオを書いた背骨ソフト第三段「トラック娘」
みんな死に物狂いで、それぞれの作業に没頭している。
それをすべて指揮しているのは、Aさんである。
気が狂いそうなほど忙しかった。だけど、みんなの顔に疲労や焦燥はみられなかった。
前作のスクール水着が評判を呼び、背骨ソフトは一躍中堅メーカーに踊り出た。
今回の第三段「トラック娘」は背骨ソフトが社運を賭けて発売する大作アドベンチャーゲーム。
前評判も上々で、この一作がもし売れれば、背骨ソフトは一躍大手メーカーの仲間入りを果たす。
目が回るような忙しさの中で、Aさんは充実した日々を送っていた。
背骨ソフトの従業員同士、喧嘩し時には励ましあいながら、ひとつの目標に向かっていくことの楽しさ。
ゲームが完成したときの喜びや、達成感を分かち合う人がいることの幸せ。
辛いことも多いが、それ以上に毎日が充実していた。

「…………」
しかし、それは夢である。
目を覚ましたAさんは、なんだ夢かよ…と落胆しながら布団の上で肩を落とした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記163

マスターアップから二週間後。
昨夜家で考えた次回作の企画のアイディアを持ってAさんは出社した。
今回のゲームで、萌えというものが多少理解することができた。きっと、社長も自分のアイディアに賛成してくれる
だろうと期待し、開発室のドアを開いた。
「おはようございます…。ってあれ?」
開発室には誰もいなかった。もう、出社時間は過ぎているはずなのに…。
ふと、会社のホワイトボードが目に入った。
「出社した者から全員、事務所に集ること」
なんだろう、と首を傾げながらAさんは事務所に向かった。

事務所内では、社長とJ君、そしてF氏が暗い顔をして座っていた。
その時点で、Aさんはなにがあったのか理解した。
やがてH子さんとIちゃんも出社して、ミーティングが開かれた。
「……それじゃあJ君」と、社長は隣にいたJ君をうながした。J君はうなずき立ち上がる。
「はい…。えー、みなさん。昨日、スクール水着の受注本数が決まりました」
と、切り出すJ君の言葉は酷く力ない。
「……」
みんな一斉に息を飲む。この受注本数が5000本を下回れば、今回のゲームは赤字。
上回りはしなくとも、5000本のラインに到達してくれれば、次もまたゲームを作ることができる。
J君は、手に持ったメモを読み上げる。メモを持つ手が震えているのが、Aさんの目に入った。

「に…2500本。これが、リミットだそうです」

事務所の中の空気が凍りついた。
「嘘…………」と、H子さんの口から言葉が漏れる。
「もうしわけない!」J君の隣にいたF氏が、床に額を擦りつけんばかりの勢いで頭を下げた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記164

2500本。 それが、お店や流通が提示した「スクール水着」の評価だった。
Aさんたちの努力も空しく、5000本というペイラインの半分もクリアできなかったわけである。
みんな死んだように固まっていた。
「まだ…発売前だけど…。従業員のみんなを、今日で解雇させてもらいたいと思ってるのね…」
「そうですね。後始末は、我々取締役が行うとしてA君やIちゃんには、申し訳ないのですが…」
ペイラインに到達しなかったということは、今回の開発につぎ込んだお金が返ってこないということである。
会社の経済状況は、黒字から一気にマイナスへと転じた。
その中でAさんたちの給料など払う余裕はどこにもなかった。
「今日中ですか?」
と、Aさんは社長に訊いた。
「そうだね。私物は全部今日のうちにもってかえってくれるかな」と、事務的な口調で社長は答えた。

開発室に戻ったAさん。まだ、解雇されたという実感が湧かなかった。
一緒に戻ってきたIちゃんは、一言も言葉を発さず、机の上を片付け始めた。
「……」
Aさんは黙ってIちゃんを見つめていた。やがて、Iちゃんが机の上のPCを開きながら涙をこぼした。
その涙を見て、…本当に終わりなんだなとAさんは実感した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記165

Aさんはパソコンを開いて中のデータを整理し始めた。なんともあっけない幕切れである。
鞄の中にある次回作の企画のアイディアが凄く虚い物のように思えた。
「Aさん」
と、荷物を整理していたIちゃんが近づいてきた。
「あの…お疲れ様でした。お先に、失礼します」
「え? Iちゃん荷物それだけなの?」と、肩から下げた鞄を指差して訪ねる。
「大きい荷物は、夜に車で取りにこようと思います。あのこれ…」
といって、以前H子さんのサークルで出したCG集を手渡された。
「もしよかったら貰ってください」
「ありがとう。Iちゃんはこれからどうするの?」
「私は…多分、H子さんと一緒に同人に戻ると思います」
「そう。そうだよね…」
「今度、イベントに参加するときはAさんにも知らせますので、遊びに来てください」
Iちゃんは、もう一度ぺこりと頭を下げて開発室から出て行った。
入れ違いに、H子さんが開発室に入ってきた。
「あ、A君。ごめんね。こんなことになっちゃって」
「いえ…。仕方ないですよ」
「本当は就職の斡旋とかしてあげればいいだろうけど、こっちもそれどころじゃなくって」
「…気にしないで下さい。こうなったのは、俺にも多少は責任あるんですから」
H子さんは、申しわけなさそうに目を伏せた。
「A君。シナリオ…これからも続けるんでしょ?」
Aさんは首を振った。
「わかりません」
「同人でもいいからやりなよ。たった八ヶ月でライターやめるなんてもったいないわよ」
考えてみますと、Aさんは答えた。H子さんはうなずいて、手を差し出した。
「お疲れ様でした」
硬い握手を交わして、H子さんと別れた。


最後の握手


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記166

「あ、Aさん。まだ残っていたんですか?」
ダンボールを抱えながら、J君が入ってきた。
「J君も、いまから片付け?」
「はい。僕は、荷物が少ないので楽なんですが…。H子さんたちは大変でしょうね」
と、開発室の中を見渡した。ここにあるPCや機材は全て会社を立ち上げたH子さんたちが持ち寄った物だ、
とE氏が言っていた。
社員の給料が払えないということは、ここの家賃も払えないということである。
「ねえ、J君。どうして2500本しか、発注が来なかったのかな?」
と、Aさんは思っている疑問を素直にぶつけた。
「う〜ん。むずかしいですね。一番大きかったのは、L氏降板でしょうが、それ以外にも原因はあるような気がします」
「企画が悪かったとか?」
「それもあるかもしれません…。でも、いま、エロゲー業界に限らずどこも景気が悪いですからね。
一昔前だったら、こんなことにならなかったのかもしれませんが、いまは…ね」
J君も、発注本数が半分しか満たなかった原因がよくわからないようだった。
「この業界、先行きくらいですよ。背骨ソフトようなメーカーはこれからどんどん増えていくでしょうね」
「……」
「あ、そうだ。言い忘れてましたけど、今回のAさんの書いたシナリオ。僕は好きでしたよ。
エロに固執してるところなんか特に…」
にやり、とJ君はいやらしい笑みを浮かべる。
固執しているといっても、あれは社長の命令で書いただけで、自分で書きたくて書いたわけじゃない。
「こんなことになるのなら…自分の思い通りに書かせもらいたかったな」
と、Aさんは今更ながらそんな本音を漏らした。
「気持ちはわかります。ですが、好きなように書いて食っていける人なんてほんの一握りですよ。
大方のプロのライターは自分を殺して物を作っているんです」
「たった、八ヶ月のプロだったけどね…」背骨ソフトに入社してから今日までの日を思い返すようにAさんは呟いた。
「また、機会があれば再会できる日もくるでしょう。それまでお元気で」
H子さんの時と同様に、J君とも硬い握手を交わして、Aさんは開発室を後にした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記167

最後の挨拶を済ませるため、Aさんは隣の事務所へ顔を出した。
「A君…」
社長とF氏が申しわけなさそうな顔で、Aさんを見た。
「ごめんね。こんなことになっちゃって。折角A君に入社してもらったのに、たった八ヶ月で解雇しちゃうなんてね…」
「A君が、一番頑張ってくれたのに…こういことになって、本当に…」
と、二人ともかなり憔悴した様子で、言葉を紡ぐ。
そんな二人を見て、Aさんの心の中にあった怒りや不満、というものはあっさりと払拭された。
「いえ…こっちこそ、至らない所ばかりで。ご迷惑をおかけしました」
「A君が謝ることないよ。こういう事態を招いたのは、全部僕等の責任だ」
「A君に罪はありません」二人が口を揃えて言う。
そう言ってもらうと、多少なりとも胸のうちがすっきりした。
「あ、そうだ」
と、なにかを思い出したように社長が一度奥に引っ込んでいった。そして、ゲームを一本持って来た。
「これ、今回のゲームのサンプル。一本しかないけど、A君にあげるよ」
「いいんですか?」
「うん。A君のデビュー作だからね。記念に…」
デビュー作…。Aさんは躊躇いながら、社長の手から「スクール水着」を受け取った。
ずしり、と重い。他のゲームと中身はたいしてかわらないはずなのに…どうしてこんなに重たいのだろう。
「今日までの給料はちゃんと振り込んでおくから心配しないでください。
あと、失業保険の手続きのための書類を後日送りますので、届いたら最寄のハローワークに行ってください」
「わかりました。それでは、どうもお世話になりました」
頭を下げて、Aさんはその場を後にした。
「……」
振り返って、出てきたばかりの木造アパートを見上げる。
F氏とE氏に案内されて、初めてここに来た時のことを思い出す。あれから八ヶ月…。
もう、二度とここに来ることはないんだなと思うと…本当に、終ったんだなという実感が湧く。
あまりにもあっけない幕切れだった。
まだ、心の半分で担がれているんじゃないかという思いがある。しかし、背骨ソフトが解散したのは事実である。
Aさんにはどうすることも出来なかったし、いまの事態を招いたのは自分にも多少責任がある。

未練を断ち切るようにAさんは、その場から立ち去った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記168

それから…。
Aさんは実家のある岡山に帰っていた。
背骨ソフトが解散したあと、ライターとしてこのままでは終われないと思い、他社に応募しようと頑張っていたが、
その願いは叶わなかった。
ゲーム製作に対する意欲はあった。
しかし、業界が低迷している中で、Aさんのような半端な経験者を雇ってくれるところなど、見つからなかった。
他の就職口も見つからず、Aさんは諦めて実家に戻り、地元の小さな工場に勤めた。
Aさんの部屋には、社長からもらったスクール水着のサンプルと後で届いた製品版が、並んで机の上に飾られていた。
背骨ソフトのOHPも閉鎖してしまった今、Aさんがエロゲークリエイターだった証は、それしか残っていない。
「あー、疲れた」
慣れない仕事から帰ってきたAさんは、自分の部屋の机の前に座った。
カレンダーを見ると、いつの間にか三月になっていた。もう、あれから一年も経つんだなと、感慨深げに天井を見上げる。

――みんな何しているんだろうか…。

実家に戻ってきてからというもの、エロゲー、または業界に関する情報を意識的に遮断していた。
ゲームもほとんどプレイしていない。新しい仕事に追われ、そんな時間がとれなかったということもあったが、
なによりも、いまだライターという仕事に対する未練があった。
その未練を断ち切るように、Aさんはこれまであえてエロゲーに関する情報を遮断してきたのである。

たった八ヶ月…。完全燃焼できたわけではない。
できれば、もう一度ライターとしてどこかの会社に就職したいという思いはある。
しかし、現実問題Aさんは岡山に居て、新しい仕事に就いてしまっている。


岡山の工場にて


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記169

色々と(実家の)事情があるため、おいそれと上京するわけにもいかないし、上京したからといってツテがあるわけでもない。
せめて、ライターとしての腕は鈍らないよう毎日コツコツと作品は書いているものの、
いまの仕事に追われ、どれも今ひとつ物になっていなかった。

何気なく、ネット上を徘徊していると、ふとAさんたちが作ったスクール水着のレビューが目に入った。
それはAさんがいままで特に意識して遠ざかってきた情報だった。
だが、ユーザーがあのゲームに一体どういう評価を下したのか、気にならないといえば嘘だった。
しかし、たとえ良い評価を受けていたとしても、背骨ソフトはもうない。
暫く悩んだのち、Aさんはためらいながらレビューの項目をクリックした。
「……」

「スクール水着 背骨ソフト」
総合 55点
絵  60点
シナリオ 50点
音楽 60点
システム 60点
総評:可もなく不可もなく。絵が可愛い。シナリオも、システムも平均点かそれ以下。

悪くはなかったが、特にいいところもなかったというのがそのレビューサイトでの評価だった。
あれほど社長が「ユーザーのため」と言って、増やしたHシーンも、このレビューサイトの管理人には効果がなかったみたいである。
Aさんは他にもスクール水着をレビューしているサイトを見て回った。
が、どこの評価もほとんど同じだった。
一昔前なら、萌えに特化したゲーム。エロに特化したゲームは「鉄板」といわれ、ある程度のレベルに達していれば、
それなりの評価を得ていたはずである。Aさんの目から客観的に見ても、スクール水着はそれほど酷い出来ではない。
しかし、陵辱ゲームや萌えエロゲーが「鉄板」と呼ばれていたのは、昔の話。
いまのユーザーは、そんな一元的なゲームでは飽き足らなくなっている。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記170

業界が低迷している。と、J君は言っていたが、低迷しているのは業界ではなく、作り手側なのかもしれない。
ユーザーの要求に応えられるもの。ユーザーから評価を得られるもの。
それら、8800円という値段に本当に見合った質のゲーム作り出せないクリエイターは、
Aさんたちのように淘汰される時代に来たのかもしれない。
約一年ぶりに外にいる者の立場から見たエロゲー業界は、いま重大な岐路に立たされている。
そんな時に、なす統べなくネットで情報を得るしかない自分の立場をAさんは酷く悔やんだ。

――J君たちは、いまもどこかでエロゲーを作っているんだろうか。

ますます、他のみんなの動向が気になった。
が、もう分かれてから一年が経つ。その間、Aさんの方から連絡するようなことはなかったし、向こうから連絡が来るようなこともなかった。
背骨ソフト最後の日に貰ったH子さんたちのサークルのCG集に書いてあるHPのアドレスに接続してみた。
「……あれ?」 だが、HPは既に閉鎖されており、H子さんたちのサークルはすでに解散した後だった。

――もしかしてH子さんたちも、自分と同じように、諦めて別の仕事に就いたのか…。

考えたくはなかったが、その可能性は十分にありえた。
自分はともかく、背骨ソフトの中ではH子さんが唯一、プロとしてやっていくだけの腕と資格があると思っていた。
そのH子さんがまさか…。
きっといまもどこかで外注の原画なり、同人活動なりしているはずだと、Aさんはその夜血眼になってH子さんたちの行方を追った。
「見つからない…」
唯一、H子さんの絵に似たそれらしい人がある同人サークルのゲームの絵を描いていたが、PNが違う。
それに、そのサークルは背骨ソフトでやっていたころのカラーとは全く正反対のゲームを作っていた。
「『天瑶海百』和風伝奇物か…。ようやく製作に取りかかったばかりみたいだな」
H子さんの絵によく似た絵描きさんのいるそのサークルは、つい一月前にHPを開設したばかりのようだった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記171

翌日、2ちゃんねるを見ていたAさんは、ある噂を目にした。
元背骨ソフトの原画だった、Hがいま同人で活動しているらしいと…。
やっぱり、あのサークルはH子さんたちがやっているサークルだったのかとAさんは、確信した。
「頑張ってるな…」
恐らくIちゃんもH子さんにくっついてサークルに参加しているのだろう。HPのTOPに飾られている絵の彩色は、
どう見てもIちゃんの塗りだった。
Aさんはなぜか無性に嬉しくなった。しかし、嬉しくなる反面、ますます実家で燻っている自分が情けなく思えた。

その時、ふとある2ちゃんねるのスレッドが目に入った。
それはエロゲネタ・業界板にある「業界関係者に質問しよう♪ その12」
そこには、一年と八ヶ月前のAさんのように、これからエロゲ業界を目指そうと燃えている顔も知らない誰かが、
熱心に就職に関する疑問を住人たちにぶつけていた。
一連のスレを見て、Aさんは思い立った。
自分が会社に勤めた経験を「体験記」という形に文章にまとめれば、
これから業界に入ろうとしている若い人たちの参考になるのではないだろうかと。
脳裏にその思いが過ぎると同時、Aさんの指は自然とキーボードを叩いていた。
誰もいない部屋で一人、熱心にキーを打つAさん。一年前、体内で燃えていた情熱が再びAさんの体を覆う。

画面の中のテキストエディターに映る、第一行目。
それは、これからAさんが書き出そうとしている体験記のタイトルである。
Aさんは、背骨ソフトに初出社したときにJ君が業界にいる人々を皮肉って言った、あの蔑称を自戒と尊敬を篭めてあえてタイトルに使った。


 ――某Aさんのエロゲークリエイター体験記


                        [完]







某Aさんのエロゲークリエイター体験記 あとがき

彼らは、ただ絵を描くことが好きで、文章を書くことが好きで、ただゲームが好きなだけの普通の人間でありますが、
ゲームを作ることで、クリエイターという輝かしい衣を纏うことができるのです。
エロゲーごときでクリエイターなどと笑う人もいるかもしれませんが、
彼らが『エロゲー』という物を全くの無から創造していることは確かなのです。

この体験記は、いまなおゲーム製作に携わりつづける愛すべきクリエイターたち全員に捧げます。


出典:某Aさんのエロゲークリエイター体験記
リンク:http://www.geocities.jp/bouasan2004/

(・∀・): 795 | (・A・): 222

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