カールの写真

2007/07/21 02:03 登録: えっちな名無しさん

カールはジャーマン・シェパード、ちょっと小柄のいい男である。父方のお祖父さん
は数え切れないほどの武勲を立てた警察犬だったそうだが、カールは生まれてしばら
く経ってからペットショップに売りに出された。家柄が大切な仕事の世界である。き
っとお父さんかお母さんが警察犬向きではなかったのであろう。誰にでも向き不向き
はあるのだし、警察犬になることが幸せかどうか人間には決められない。

家電メーカーのサラリーマンである大竹さんは課長に昇進した秋に庭付き一戸建て住
宅を購入した。通勤時間が倍の2時間になろうが、とにかく念願かなって一国一城の
主になったのである。同時に中学生の娘との約束を果たす機会がやってきた。犬を飼
うことである。それまでの住まいは会社が借り上げた賃貸マンションだったのでペッ
ト厳禁のお達しには従う他なかったのである。ある小春日和の土曜のこと、大竹さん
一家は近所のホームセンターの一角にあるペットショップに向かった。そのペットシ
ョップで何があったかは知る由もないのだが、大竹さん一家はジャーマン・シェパー
ドの仔犬の持つオーラに惹かれたらしい。シーズーやテリア犬には目もくれず、とに
かくジャーマン・シェパードと犬小屋と引き綱と食器とペットフードを買った。初め
て犬を飼うというのにいい度胸である。ジャーマン・シェパードの仔犬は血統書から
三文字とってカールと名付けられ、まだほとんど植木のない新居の庭で家族ともども
記念写真を撮られたのであった。

カールは大竹家の一員になって数日後にひどい咳と下痢をし始め、40℃を越す熱に
悩まされた。地元の獣医さんの懸命の治療と大竹さん一家の献身的な看護により命は
助かったのだが、顔と前脚にチックが出て止まらなくなった。私とカールを含む大竹
さん一家が出会ったのはその頃である。カールの太い脚は自分の体を支えるのがやっ
とであり、大きな耳はチックでピクピクと震えていた。カールの診断はすぐについ
た。彼の口腔粘膜や赤血球に犬ジステンパーウイルスの見事な封入体が見えたからで
ある。封入体はウイルスの固まりであり、これが見えれば感染が起きたのは確定的で
ある。犬のジステンパーウイルスは人間の麻疹(はしか)ウイルスと近縁で、仔犬に
感染すると肺炎や腸炎や脳炎を起こす。肺炎や腸炎の治療はできても脳炎に効果的な
治療はない。人間にも麻疹脳炎という類似の病気があり重い後遺症を残す。大竹さん
一家にカールの病気のことを伝え、いくつかの処置をし、かかりつけの獣医さんに
日々の治療をお願いしたのだがカールの神経の異常は重くなることはあっても軽くな
ることは期待できなかった。

次にカールと会ったのはその4日後であった。カールは自力で立ち上がれなくなって
おり、顔と前脚に加えて後脚にもチックが出始めていた。ヒゲはウニの棘のように規
則正しくうごめいていた。ジステンパー脳炎では犬が横だおしになったら予後不良だ
といわれている。カールの脳もほぼ絶望的である。端から見れば余りにも不幸である
状況をごく普通の家庭が乗り越えられるのか。それとなくカールをペットショップに
返して新しい犬を飼うよう勧めてみたのだが、大竹さん一家は首を縦に振らなかっ
た。

次にカールと会ったのはその3日後であった。カールは横倒しのまま手足を小刻みに
動かしており、物音をたてると痙攣を始め、抗痙攣薬を注射すると昏睡してしまっ
た。脳どころか命も危うい状況である。それとなく安楽死を勧めてみたのだが大竹さ
ん一家は首を縦に振らなかった。餌も水も薬も口から摂ることが出来ないカールを入
院させるように勧めたのだがやはり大竹さん一家は頑として首を縦に振らなかった。
しかたなく補液と注射のレクチャーをし、必要な器材を1週間分渡して帰宅してもら
った。成長期の仔犬は補液だけでは生きていけないのだが、私の意識のなかではカー
ルはもはや死体であったのだ。

次にカールと会ったのはきっちり1週間後であった。カールは昏睡していたが死体で
はなかった。脱水症状もなく毛も綺麗である。尿の黄ばみすら無い。ヒゲだけは相変
わらずうごめいていたが、丁寧な世話を受けたらしいことは明らかだった。大竹さん
一家の表情を窺いながらカールの胃にチューブを入れることに決めた。麻酔をかけて
内視鏡を胃に届かせ、胃から脇腹に突き抜けるチューブを設置する小手術である。こ
れで少なくとも成長に必要な流動食と水を与えることは出来る。もっとも胃に入れた
流動食を一度でも嘔吐してしまえば窒息死は免れないだろう。首を振ることすら出来
ないのだから。

次にカールと会ったのは1ヶ月後であった。うかつにもカールの存在を忘れていた。
カールは口ヒゲを動かしつつチック症状を示していた。1ヶ月の間に2回ほど嘔吐し
たのだが、その度に家族に命を救われたらしい。胃へ流動食を届けるチューブは確実
に消毒されていたのだが既に必要なかった。大竹さん一家はカールの口から餌と水と
薬を与える方法を見いだしたのだ。舌の上に小さじ1杯ほどの流動食を乗せておくと
カールは数分に一度嚥下するというのである。成長期の大型犬に必要な栄養を与える
にはざっと見積もっても半日以上かかる。だが大竹さん一家がカールに何をしようが
勝手である。無言でカールからチューブを取り外して傷の始末をした。

さらに1ヶ月後、大竹さんのご主人がひとりで現れた。てっきりカールが亡くなった
報告だと思い慰めのコトバを探したのだが、それは大きな勘違いであった。1ヶ月分
の流動食と抗痙攣薬をくれと言う。かかりつけの獣医に流動食と薬を求めに行ったと
ころ気違い扱いされて喧嘩別れしたとのことであった。しかしカールを育てるほうが
非常識であることは確かだった。

次にカールと会ったのは最初の出会いから1年後であった。カールは体重25キロの
立派なオトナになっていた。仔犬の面影はどこにもなかった。床ずれ一つない体は横
倒しのままピクピクと痙攣しており、ヒゲは相変わらずうごめいていた。大竹さんが
セカンドバッグから庭で撮った家族全員の写真を取り出した。写真の中のカールはピ
ンクの布団に寝かされてあらぬ方向を向いていた。大竹さん一家は爽やかな笑顔を浮
かべて写真に収まっている。
「おかげさまでカールも1歳になりました。」
「いや、私は何もしてませんよ。大竹さん頑張りましたね。」
「頑張ってなんかいませんよ。カールが来てから家の中が明るくなりました。」
「....」
「嬉しいと痙攣するし嫌だとウンチするし可愛いもんですよ。薬も必要なくなりまし
たしね。」

それから毎年初冬になると大竹さん一家はカールを連れて定期検診に訪れるようにな
った。カールは二度と立ち上がることはないであろうし、ヒゲはカールが死ぬまでう
ごめき続けるであろう。小春日和の週末に大竹家の庭で撮影される記念写真は今冬で
5枚目になった。カールは毎年色違いの布団に寝かされ、毎年あらぬ方向を向いてい
る。大竹さんの娘と桃の木は着実に成長している。毎年大竹さんが来院する時期が近
づくと私は音楽も聴かないし映画も見ないし小説も読まない。カールの診察は若い獣
医に任せ、結果を聞いてから大竹さん一家にカールの一病息災を告げるのみである。
そうでもしなければきっと泣き出してしまうだろうから。


出典:今は亡き雑文サイト
リンク:今は亡き雑文サイト

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