アナザーワールド

2007/07/22 17:57 登録: えっちな名無しさん

「はい、動物病院です。」

「夜分に恐れ入ります。安藤です。シーズーのムクのことでお電話差し上
げたんですけれど、先生のご都合よろしいですか?お忙しければ後ほどで
も結構ですが。」

安藤さん。年の頃は 20 代後半であろうか。スレンダーな体を包み込む黒
いスーツで現れたかと思えば、次には淡いピンクのニットの上下。全裸を
越える体の線を正視することは難しい。薄化粧の一見冷たい顔立ちは会話
の間に八重歯を見せて屈託ない表情に変わる。長い髪が揺れるとほのかに
ローズの香りが漂う。電話を通した声にいつもながら胸が高鳴る。

「大丈夫ですよ。どうしました?」

「夕方、ムクが少し苦しそうにしていたんです。頸のリンパ節がまた腫れ
てきて息苦しい感じ。」

「他に変わったところは?」

「耳に手を当てると少し熱っぽい感じがしました。」

「今はどうですか?」

「今は落ち着いて寝てます。いつもより息の音がハーハーしてる気がしま
すけど。」

「まだ熱はあるようですか?」

「いいえ。夕方触った感じよりは下がったみたいです。」

「そうですか。えーと、こういうことは申し上げ....」

「はい?」

「いや、何でもありません。落ち着いているようであれば大丈夫です。今
日はもうこんな時間ですから、明日の朝まで様子を見て変わったことがあ
ればもう一度お電話下さい。」

「わかりました。夜分にすみませんでした。お休みなさい。」

「はい、お休みなさい。」

安藤さんの飼い犬ムク。1年間リンパ腫と闘った末、2週間前に9歳の生
涯を閉じた。飼い主をアナザーワールドに伴って。マンションの一室で暮
らしているだろうムクの亡骸と安藤さん。時折動物病院に繋がる命の電
話。異次元を繋ぐ一本の銅線。


出典:今は亡き雑文サイト
リンク:今は亡き雑文サイト

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