女体改造産婦人科病院 II 「ある日突然に」
2007/08/06 18:34 登録: えっちな名無しさん
女体改造産婦人科病院 II
女性化短編小説集「ある日突然に」より
(一)ゲイバーにて
美麗美男求む。
高額給与保証。
「腹減ったなあ……」
ここ三日、まともな食事をしていなかった。
職探しをしていた目に、求人広告の文字が飛び込んで来た。
とある風俗店の壁に貼られた求人ポスター。
そこがいわゆるゲイバーということは知っていた。
しかし、もう職を選んでいる余裕はなかった。とにかく何でもいい。仕事を与えて
くれるなら土下座だってしよう。それくらいピンチなのだ。生活費を手に入れるため
に借りた消費者ローンは膨らむばかり、返済する為にまた借金を重ねるという悪循環。
家賃はもう六ヶ月滞納していて、今月支払えなければ、追い出されてしまうのだ。
「ゲイバーってことは、ドレス着て女言葉使って、客接待しなきゃならんってことか
……」
顔には自信がある。
「決めた! とにかく当たって砕けろだ」
店はまだ閉まっていた。夜を待って再び来店することにする。
数時間後。
マネージャーという女性と対面していた。
(きれいな女性だな……やっぱりゲイなのかな……)
マネージャーは、僕の顔をひとしきり眺めてから口を開いた。
「当店がゲイバーということはご存じですよね」
その声は、きれいな女性的なものだった。高い声が出せるようにボイストレーニン
グしたか、それとも手術で声帯を改造したか。どちらにしてもかなりの努力を要した
に違いない。もちろん彼女がゲイだったらだが……。
「はい。知ってます」
「当店の従業員のみなさんの多くが去勢手術をされていますが、あなたはなさってい
ますか?」
いきなり核心を尋ねてきた。ゲイバーだから当然のことなのだろう。
こりゃ、だめかな……。美麗美男だけじゃだめということか。
少し諦めの心境になった。
「い、いえ」
「そうですか……。では、女装の経験はありますか?」
「高校時代に、しょっちゅうお姫さま役に駆り出されていました。男子校だったもの
で、イベントがある度に女装させられていました。友人に言わせると、何でも校内一
の美人だそうです」
「なるほど……。まったく経験がないというわけではないのですね。見た目にも中性
のマスクですし。ちょっとお化粧すれば、それなりに見えるでしょう。それで、その
女装させられた時の、気分はどうでしたか?」
「はあ……。最初は嫌でしたけど、きれいなドレスを着ていると、何というか……気
持ちいいというか。こう……スカートの感触がとても良くて、癖になりそうでした。
こんなドレスを着れる女性が羨ましく思いました」
マネージャーは、メモを取りながら聞いている。
「ふふ……。どうやら、この道の素質は十分あるようですね。いいでしょう。採用し
ます」
マネージャーは言った。
「ありがとうございます」
まさか採用されるとは思わなかった。
女装するのには抵抗があるが、しばらく働いて金を貯めたらやめればいいのだから。
「では、雇用契約書です。内容を良く読んでサインしてください」
就業時間 午後6時から午前2時までの間で2時間以上。但し、お客様の入りによ
っては残業有り。
時給 ¥2〜4000
休日 月曜日
(時給が¥4000として、8時間働いて¥32000。¥2000でも¥1600
0か、ゲイバーって、そんなに儲かるのかな……。確か普通のクラブだと¥2500
前後だよ。女装しなきゃならないけど、これなら我慢してでも続ける価値があるよな)
契約書にサインをして返した。何せ、今夜の食事代にも事欠く状態なのだから、選
り好みはしていられない。
「結構です。まあ、お茶でも飲みながらお話ししましょうか」
従業員が運んできたお茶に手をつける。
「先程も申しました通り、当店はゲイバーですから、お化粧してドレスを着てお店に
出て頂きます……取り合えずのドレスはこちらで用意しますが……お給料が入ったら
……」
(どうしたんだろう……。なんか……急に、眠気が……)
目蓋を開けていられない。
(い、いかん……面接……中だぞ……)
「どうしましたか?」
マネージャーが覗いている。
「いえ……。なんでも……」
しかし、それきり意識がなくなっていった。
(二)去勢!
目が覚めると見知らぬ部屋のベッドの上だった。
「ここはどこだ?」
あたりを見回してみると、大きな鏡のついたドレッサーに、淡いピンク色した衣装
ダンス、明るい緑色のカーテンと同系色の壁紙。
どこを見回してもやさしい女性的な装飾品が並んでいた。
ベッドから起きようとする。
「痛い!」
股間に鋭い痛みを生じて、布団を跳ねのけてみる。
女物のネグリジェを着ていた。
何故?
とは思ったが、股間の痛みの方が先決である。
ネグリジェの裾をまくしあげるようにして股間を確認する。
「こ、これは?」
自分の股間にはガーゼがあてがわれていた。
「なぜ、こんなものが……?」
ガーゼを取り外して、少し血の滲んでいる箇所を調べてみる。
「う、うそ……」
なんと股間にぶら下がっている袋の中身がなかったのだ。
去勢手術!
「ど、どうして。こんなことに?」
思い出してみる。
最後の記憶はゲイバーでの面接であった。
その時出されたお茶に睡眠薬でも入っていたのであろうか?
そして眠っている間に球を取り出す手術をしたのだろう。
ゲイバーで働く人の中には球抜きする者も多いという。
しかし何故? 無断でそこまでする必要があるのか。
その時、部屋の扉が開いて一人の男が入って来た。
「おお。目が覚めたようだな」
そのがっしりとした体格の男が言った。
「ここはどこですか? 僕の身体に何したんですか?」
その男に食ってかかった。
「ここは、おまえが面接を受けた店の従業員寮だ。身体の方は、見たんだろ? そう
いうことだ」
「僕に無断でなんでこんなことをしたんですか?」
「結論から言えば、おまえが面接を受けたあの店に釘付けにして、他には行けないよ
うにした」
「あなたは一体何者なんですか?」
「まあ、簡単に言ってしまえば、オーナーというというところだろう」
「オーナー?」
「ともかく契約書にもとづいて、君にはあの店にでてもらう。逃げようなどと考えな
い方がいい。何故なら、おまえの身体には発信器が埋め込んである。どこに隠れてい
てもすぐに探し出せるからな。今、証拠を見せてやる」
といって、男が小さな機械を取り出して、部屋の中を動かしてみせた。
「こっちの壁に向けるとこんな音しかしないが……」
と言いながらそれをこちら側に向けると音が急に大きくなった。
「どうだ、便利なものだろう。手術して取りだそうとしても無駄だ。皮膚を切開して、
空気に触れたりすると、猛毒が出る仕掛けになっている。一瞬に即死する猛毒がな」
「猛毒……」
思わず身体を見回してみて、どこに仕掛けられているのかと勘繰る。
「無駄だよ。仕掛けられた場所が判ってもどうしようもないだろう。まあ、そんなわ
けだから。おまえはあの店からは逃げられないというわけだ」
「うっ……」
「とはいえ、おまえの行動の自由は、保障されているから安心しろ。定期的に店に顔
を出してくれさえすれば、いつでもここを出ていっていいんだぞ。ただ、元の自宅に
は戻れないだろうからな。当分はこの部屋で暮らすといいだろう。部屋の中にあるも
のは、自由に使っていい。慣れてしまえば、ここも楽園かも知れない。おまえと同じ
境遇の奴がいくらでもいるから、お友達にでもなるんだな。気晴らしにはなるだろう。
おまえはもう男としての機能はないんだ。今後は、女として生きるしかないというこ
とを自覚しろ」
そう言って、男は出ていった。
後を追うようにドアの所に行く。
鍵は掛けられていなかった。
ドアを開けると、明るい廊下の両側に同じ様なドアの列が続いている。
従業員寮の一室であることは確かだった。
行動の自由は保障されているという男の言葉は正しいようだ。
(そんなことを言ったって。発信器を体内に埋め込まれてちゃ、結局籠の鳥と同じじ
ゃないか。自分の居場所を四六時中監視されているんだから)
部屋に戻り、室内を調べてみることにする。何にしてもネグリジェのままというわ
けにはいかないだろう。何か適当に着れるものを探すことにした。
「この部屋は自由に使っていいと言ったもんな」
衣装ダンスには、きらびやかなドレスが並んでいた。おそらくあの店に出る時に着
ていくために用意されているのだろう。その下側の引出を開けると、女物の下着が入
っていた。ブラジャーにショーツ、スリップ、ガーターベルト、ストッキング。女装
に必要な衣類はすべて揃っていた。
「女物しかないじゃないか!」
豪華なドレス以外は、ツーピースにワンピース。どれも女物ばかり。
どこかにズホンがないか探したが無駄だった。下に着れるものは、スカートしかな
かった。
「まいったなあ……。これじゃ、外に出たくても出れないじゃないか」
(三)マネージャー
どうしようかと悩んでいると、ドアがノックされた。
「誰ですか?」
「あなたが面接を受けた店のマネージャーです」
「え?」
あわててドアを開けて確認すると、確かにあの女性マネージャーであった。
自分をこんな身体にした張本人の登場だ。
「入っていいかしら」
玄関で微笑みながら尋ねる。
「ど、どうぞ」
もちろん断るはずがない。
事の成り行きを聞く必要がある。
マネージャーは部屋に入ると、
「お茶を入れましょう」
というとまるで自分の部屋であるかのように、お茶の葉や急須類を取り出してきて、
テーブルに並べた。どうやらこの部屋の事はすべて知り尽くしているようだ。
「ああ、おいしい」
と一服に感嘆する。
「あなたがおっしゃりたいことは判ります。今から、それを説明しましょう」
ことりと音を立てて湯飲みをテーブルに置いて、
「まず、あなたの身体の現状についてです。あの日、お出ししたお茶には睡眠薬を入
れてありました。眠ったところで待機していた医師によって、睾丸摘出の手術を施さ
れました。そして終了後、この部屋に運びこまれたのです」
「やはり睡眠薬が入っていたのか……」
「この業界ってのは、その系統の雑誌の取材も多いの。店としても、絶好の広告と収
入増になるから断り切れない。しかし、店子が人気投票のランクに載ったり、表紙を
飾ったりなんかすると、スカウト合戦が始まって、より高給な店に取られてしまいま
す。お客の接待というものは、一朝一夕で身につくものではないわ。手取足取り教え
ながら十二分に時間を掛けて教育し、やっと常連客がついたと思った頃に、その客ご
と他店に持っていかれたら、元も子もない。わかるでしょ」
「何となくわかります」
「雑誌の人気投票のランク付けに入りながらも、せっかく育て上げた店子を、絶対に
他店に引き抜かれないために、これはという店子には発信器をつけて他に行けないよ
うにしているの。あなたのお顔がとっても素敵だったから、いずれ店一番の売れっ子
になると思いました。だからぜひ当店に欲しかったし、他の店に取られたくなかった。
だから、手術しました。あなたには悪いと思いましたが」
悪いもなにも最悪の行為じゃないか。まるでおもちゃを扱うように、人の身体を無
断で勝手にいじりまわして、二度と元に戻らないようにしておいて、おまけに逃げ出
さないように発信器を埋め込む。悪いじゃ済まされる問題じゃない。
「もちろん給与はちゃんと支払います。この店に来た時に契約した額をです。ただし、
この部屋の賃料と衣装代は差し引きます。衣装ダンスの中は見ましたか?」
「ああ、ドレスと下着類が入っていた」
「衣装は自由に使ってください。お店に出る時のドレスと、外出用のスーツが入って
います。もちろんその衣装代は月割りにしてお給料から差し引かせていただきます。
これがその明細です」
といって明細書をくれた。
「ところで、この薬代というのは何ですか?」
「ああ、それはですね……」
といいながらバックからまた何かを取り出した。それを手渡しながら、
「これを毎食後に飲んでください」
「これは?」
「女性ホルモンです。毎日飲んでいれば、胸が膨らんでくるし、脂肪が沈着して女性
らしい身体つきになります。実はその薬以外にも、すでに女性ホルモンの筋肉注射を
してあるんです。あなたは若い、半年も飲んでいればそれなりの大きさに成長するで
しょう。そうですね、胸が出来上がるまでは、この特製パッド入りブラジャーを着け
ておくといいでしょう」
そういって持参してきた箱を手渡した。開けてみるとまさしく女性の乳房を型取っ
たシリコン製の特製パッドと、それを入れて着用する専用ブラジャーが入っていた。
触ってみると適度な弾力と硬さをもっており、トップでCサイズになるくらいのボリ
ュームがあった。
「もし飲むのを拒絶したら?」
「それはあなたの勝手ですが、睾丸を摘出してしまった今、急激な男性ホルモンの欠
如で、更年期障害に似た症状に、生涯苦しむことになるでしょうね。女性ホルモンを
飲んでいればそれは防げます」
「女性ホルモンじゃなく、男性ホルモンを飲んだらどうなる?」
「睾丸もないのにですか? いくら男性ホルモンを飲んだとしても、睾丸がなかった
ら笑われちゃいますよ。プールにも銭湯にも入れないでしょうね」
「そ、それは……そうだ。ゴムボールでも入れたら?」
というと、マネージャーはくすりと笑って言葉を続けた。
「男性ホルモン、つまりテストステロンは、非常に強力で即効性があります。それだ
けにその摂取量は厳密に医者の監視下になければ処方されません。ゆえに、男性ホル
モンを入手するのは非常に困難です」
「そうか……難しいのか」
よくスポーツ選手がテストステロンを使って筋肉増強をし、薬物検査で入賞を剥奪
されるというニュースを聞いている。何とか手に入るのではないかと思ったが……。
マネージャーが嘘をついている風には見えなかった。
「その点、女性ホルモンは個人輸入で誰でも簡単に手に入れられます。作用がおだや
かで、定期的に定量を飲んでいれば、効果は十分に現われます。もちろん当方で仕入
れてお分けいたします」
たんたんと女性ホルモンについて語るマネージャー。
「しかし、だいたいが他人の身体を勝手にいじくりまわしておいて、女性ホルモンを
飲みなさいというのは、本末転倒じゃないですか」
「そうね……そう思うのは当然よね」
マネージャーはお茶を一口すすってから静かに語りだした。
「手術を決断したのは、この店の主治医である医師なんです。店子達の健康管理を見
てもらっています。体調に合わせて各人の女性ホルモン摂取量を処方してくれます」
「主治医?」
「はい。あの日、丁度お店にいらしてたんです。監視モニターで様子を見ていたらし
いですが、お茶を入れる時に『この子は、女として生きるのがもっともふさわしい』
とか言って、睡眠薬を入れて、そして手術されました。先生は独自のポリシーを持っ
てらっしゃって、数多くの性転換手術などもなさっておいでです」
しばらく沈黙が続いた。
重苦しい雰囲気が漂っていた。
「ねえ。前向きに考えませんか? あなたの身体は元に戻りません。面接の時にも申
しましたが、あなたのお顔は結構可愛くて、お化粧すれば女性にしか見えないでしょ
う。さらに女性ホルモンを飲んでいれば、より女性らしい姿になっていきます。諦め
て女性として生きる道を進んではいかがでしょうか」
「女性として?」
「お店で働いてくださるなら、一切の面倒はこちらで致します。将来的に性転換手術
をなさる気になったら、先程言った主治医が格安で処置してくれます。あ、これは内
緒ですよ。先生は気に入った方しか手術はしないんです」
「そうは言っても、逃げられないようにって、身体には発信器が埋め込まれているん
だ」
「うふふ。それは冗談ですよ。発信器なんて埋め込んでませんよ」
「しかし、探知機が反応しましたよ。自分の方に向けると大きな音が出て」
「あれはインチキです。実は一種の羅針盤のようなもので、北の方角に向けると音が
なる機械なんです。その時、あなたは北側にいたのでしょうね」
「なんだ……心配して損した」
「まあ、あれはあなたが逃げ出さないようにとの配慮だったのですが……。でも、あ
なたとお話していて、その必要はないと感じました。策略を巡らさなくても、ちゃん
と私達のお店で働いてくださると確信しています。こうして私の話しを立腹もせず、
真剣に聞いていらっしゃるのがそれを現しています。だからこうして事実を申し上げ
たわけです」
「信頼してくれるわけだ」
何にしても、火だるま借金地獄から脱却するためにも、働くしかないのは確かだ。
たとえどんな悪略な行為がなされてもだ。このまま借金を返せなくなって、暴力団や
取立て屋の手によって、生命保険が掛けられた上に、どこぞで首吊り死体となって発
見されるってことにもなりかねない。
「どうでしょう? すでにあなたとは雇用契約を取り交わしていますが、契約通りに
お店で働いては頂けないでしょうか?」
「そうですね。元々からして他に働き口がなくて、しようがなくあの店を尋ねたので
すから。お世話になるしかないのは確かですし、女装して働く覚悟はできていました
から。こちらからもお願いしますよ」
「ありがとうございます」
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「お店の人って、みんな僕のように強制的に手術を施されているんですか?」
「いいえ。お店で働きたいと希望してくる方は、根っからの性別不適合の方や女装マ
ニアの方です。性別不適合つまり女性の心を持ってらっしゃる方は、大概去勢手術を
なさっているか、予定しているかしています。あなたのようにこちらで手術する必要
はありません。興味本意や高給というだけでいらっしゃる女装マニアの方は、丁重に
お断りしています。ゲイと女装マニアは根本的に違うからです。ただし、相当の美人
の方は、あなたがされた処置を施して、引き止めることもあります」
「わかりました。それで、いつから店に出ればいいのですか?」
「とにかく傷口が治ってから、お店に出て頂ければ結構です。その判断はお任せます、
早いに越した事がないということは言っておきます。すべてはあなたの身の為にもな
るということを覚えておいてください。お店に出る時間になればマイクロバスが迎え
に来てくれますので、ロビーに出て待っていてください。お店に出る日数は自由です
が、曜日を決められた方が、常連客様が付きやすいですよ。それと、この寮の管理人
が美容師を兼ねていまして、化粧やヘアメークして貰えることになっていますから、
自分で化粧できるようになるまでは、やってもらえばいいでしょう」
(四)心機一転
それから数日間。
従業員寮での生活は、みんなが店の仕事を終えて寝ている午前中に、出入りして用
をたしていた。もちろん女子寮に男子が出入りしては変に疑われるので、女装し管理
人に化粧してもらってである。店に出るための心の準備も兼ねていた。女装した状態
で、他人の前に出る勇気を培う為である。
マネージャーの言ったとおり、髪を整え化粧していると、女装しているとは誰にも
気づかれなかった。ランジェリーショップで下着を選んでいても、女子トイレで並ん
でいても、そばにいた女性達はみんな、自分を同性としか見ていないらしく、何のも
めごとも起きなかった。何せ高校時代から女装させられるほどの美形を誇っていたか
ら、それなりの自信はあった。
ただ声だけはどうしようもなかった。男性としては高い方だが、明らかに女性とは
違うと判る。
ボイストレーニングをすることにする。本屋で小説を買って帰り、出来る限り高い
音を出すようにして朗読する。
今日までの生活費は、入店祝い金という形でマネージャーが出してくれていたが、
いつまでも好意に甘えているわけにはいかない。
傷もほとんど完治して痛みもなくなったので、店に出る決心をつけた。
マネージャーに連絡して今夜から出る事を伝える。
「ありがとうございます。やっと、決心してくださったのね。今夜時間前にお迎えに
行きますから、お部屋でお待ちになっていてください」
というわけでその夜の、従業員寮のロビー。
目の前に着飾った女性達が並んでいる。自分も衣装ケースにあったドレスを着てい
る。
送迎バスが来るまでの合間を利用しての自己紹介である。
「ご紹介します。新しく入った『ひろみ』さんよ。みんな仲良くしてあげてね」
ひろみ、というのは店で使う源氏名である。マネージャーが名付けてくれた。
「よろしくお願いします」
マネージャーが一人一人を紹介していく。
「あらあ、さやはまだ付いているのね。でも、たまたまはしっかり取ってるのね」
いきなり一人が股間を触った。
「な、なにするんですか」
「大丈夫よ。ここのお給料は高給だし、支払いもしっかりしているから、手術代もす
ぐにたまるわ」
「手術って?」
「まあ、とぼけちゃって。おちんちんを取って女のあそこを造る手術よ。球抜きして
るくらいだから、もちろんやるんでしょ?」
彼女達にとって、おちんちんは忌み嫌うものでしかなく、一刻も早く取り払って、
性転換手術を行って、より真の女性に近づきたがっているようであった。
別の一人が言った。
「忠告しておくわ。たまたま取っちゃうとおちんちんや袋が縮んでくるけど、そうな
らないように、毎日皮を引っ張って無理にでも伸ばすようにした方がいいわよ。手術
の日までね」
「皮を伸ばす?」
「そおよ。膣を造るのには、その皮が必要なの。だから皮が縮んじゃうと膣の内径や
長さが足りなくなる可能性があるわけ。そうなるとどこからか皮膚を移植したり、腸
の一部を切り取って代用するんだけど、術後があまり芳しくないのよね。だって皮膚
移植は取った箇所がケロイド状になったり、腸を使う場合は身体の中にあったものを
表に持ってくるんだもの完璧にはいかない。わかった?」
「う、うん」
そうこうするうちに送迎バスが迎えに来た。
ぞろぞろバスに乗り込む従業員達。
「さ、あなたも乗ってください」
マネージャーに促されてバスに乗る。
やがてバスはゲイバーに到着する。
「さあ、あなたの再出発よ。頑張りましょうね」
マネージャーがやさしく言ってくれた。
開店時間となった。
とにかく初心者で何も判らないので、ベテランのそばについて客の前に出る。
「君、はじめてなのかい?」
固くなっている自分を見て客が尋ねてきた。
「はい。今日がはじめてです」
「そうか、初々しいねえ。いいよ、きみぃ」
客も初心者ということで、やさしくしてくれている。
一人、また一人と、入れ代わりで客の接待が続く。
そんな中には、当然のように胸を触ってくる客もいる。
「なんだ作り物か、まあいいや。可愛いから許すよ。はやくお金を貯めてボインにす
る手術するんだね」
こんな時は、騙されたと怒りだす客もいるそうだが、若くて可愛い初心者というこ
とで大目にみてくれる。
(五)常連客
このようにしてゲイバーでの仕事ははじまった。
右も左も判らない、客の接待もままならぬズブの素人だったが、
『うぶで可愛い女の子』
という評判を得て、ちょこちょこと指名されるようになった。
風俗接待業というものは、やはり若々しさが一番のようであった。
その点ではこの店一番の若さゆえの人気を取りつつあった。
とにもかくにもゲイバーの仕事を続けていき、数ヶ月が経った。
そんなある日。客待ちの時間に同僚に聞いてみた。
「手術している人って何人いらっしゃるのですか?」
何かにつけて話題に上ることなので知りたくなったのだ。
「そうねえ……」
といいながら、説明してくれた。
まず、女性ホルモンは全員が服用していた。こういう仕事だからより女性らしい容
姿であることが肝心だからである。薬は店の方で、大量購入して安価で分けてくれる。
睾丸摘出 二十二名。
豊胸手術 七名。
喉仏手術 三名。
肋骨切除 二名。
そして、性転換手術(性別再判定手術)は四名であった。
一人が手術をしたと告白すれば、他の者が追従する。病院を聞き出し、外国で手術
したとなれば渡航手続きまでして行く。何せ身近に経験者がいるので、手術結果は一
目瞭然、間違いなく安心していられるというわけだ。睾丸摘出者がかなりいるのはそ
のためだろう。
性転換した四名には全員パトロンがついていて、高級マンションに住み高価な服飾
品を身に付けていた。
類は類を呼ぶという通り、この店の全員が最終段階の性転換手術を希望していた。
手術など金を掛ければ掛けただけ収入が増え、元はすぐに取り戻せるというわけであ
る。
もちろんパトロンがつくには、若くて美しいという必須用件がある。
手術するならより若いうちにというわけである。
といってもパトロンがそう簡単につくわけがない。
まずは常連客を集め、より多くの指名を受けるかが当面の問題である。店は儲かり、
店子は指名料が入る。
一番簡単な方法がある。
触らせること!
である。
女性ホルモンの効果で、わたしの胸はBカップを越えてCカップまでに近づいてい
た。服の上からもその膨らみがはっきりと判るほどに成長して、ブラジャーなしでは
過ごせなくなっていた。それは店に来る男達の羨望の的ととなり誰もが触りたがった。
むろんそれを拒絶することはできなかった。自由に触らせることで、客は喜び、やが
て常連となってくれるからである。
まずは胸元の大きく開いたドレスを着て、ちらりちらりとチラリズムで胸を見せ付
ける。やがて興奮した客が胸元に手を入れてくるが、簡単に触らせてはいけない。
出来る限りの可愛い声で、
「いやん! 社長さんのエッチィ」
とか言いながら、一度は小さな抵抗を見せるのがコツだ。同じ意味合いにスケベと
いう言葉があるが、陰湿なイメージがあるので禁句となっている。できるだけさわや
かに明るく、「エッチィ」と言うのだ。
あくまで純情に、時として小悪魔的に振る舞うことが大切だ。
「今度触ったら、一万円よ」
客の機嫌が良ければ、巧くすると財布を開いてくれる時がある。
「そうか、そうか。一万円あげれば触ってもいいんだな」
金額は高くも安くもなく、常連客が日頃どれくらいの飲食代を払い、いつもどれく
らいの金額を財布に入れているかを、よく把握して決めることだ。五千円か一万円く
らいが打倒であろう。
「もうしようがないわねえ。一度だけよ」
と許してあげても、おおっぴらには触らせない。ちょっとずつ、ちょっとずつであ
る。相手をじらすことも肝要だ。
こうしたお金は全額自分のものとなり、店に拠出する必要はない。これが結構金に
なるおこづかいとなる。
収入増はいかに上得意の常連客を集めるかにかかっている。
もう一つ大事なことは、客を楽しませ飽きさせない巧妙な会話術である。
例えば客の好みや趣味などを聞き出し、その事を話題にあげること。もちろん十分
な下調べや勉強も必要になる。客が車好きなら車の事を話し、切手収集が趣味なら切
手の話しをすることだ。
一度女装してみたいという客がいた。女装者達のドキュメンタリーを書いている記
者で、実際に自分で体験してみないと、本物の記事が書けないだろうということだっ
た。彼がゲイバーに出入りしていたのも、女装者の体験談を集めていたのである。
まずは手始めに、自分の女装経験を話してあげた。はじめて女装して街を歩いた時
の気持ちなどである。そして、彼を店から連れ出して、女装会館へ連れて行ってあげ
たのである。一人では恥ずかしくてできないことでも、経験豊富なものがついていて
あげれば安心というものである。女装会館では、下着の選び方からはじまってドレス
の借りだし、そして女装談話室での相手と、手取り足取り一緒に付き合ってあげた。
店の営業時間中に、客と一緒に外へ出る場合は、デート扱いとなり規定の時間ごと
のデート料を支払わなければならないが、彼は快く承諾してくれた。なおデート料は
店と折半することになっている。
その後、彼は上得意の常連客となった。
わたしの懇切丁寧な対応が気に入ってくれたようだった。
(六)化粧品
今日は金曜日、休養日である。
店に出れば、どうしても酒を多量に飲まなければならなくなる。肝臓に負担が掛か
るので、土日火木を出勤し月(定休日)水金は休肝日にして休むことにしている。
休みの日は、商店街に出てウィンドウショッピングなどして、時間を潰すことにし
ている。時にはデパートなどの化粧品売り場に立ち寄って、いくらかの化粧品を買う
こともある。ついでに最近流行の化粧のポイントを教えてもらったりもする。
始めて化粧品売り場を訪れた時は、ばれないかと冷や冷やものだった。何せすぐ間
近眼前三十センチメートル以内までに顔を近づけてくるのだから。
美容師を兼任している管理人も、
「素敵なお顔していますね。男性とばれることはないでしょう」
と保証してくれていたものだったが、男性相手の化粧ばかりしていて、女性の相手
をしたことがない、というのではいまいち信憑性に欠けていた。
しかし余計な心配だった。
店員は女装していることに全然気づかないようで、普段通り女性に対するように、
化粧の仕方を教えてくれた。ボイストレーニングの効果で、女性の声を出せるように
なっていたのも幸いしている。
以来、安心して化粧品売り場を訪れるようになった。
一度でも女性として応接し顔を覚えてもらうと後は楽である。刷り込み現象で女性
と思い込んでしまうと、後は一切疑うことはしないものだ。だからこの店をいつも利
用していて、その店員とは顔馴染になっていた。
「今年の流行として……」
その店員は、親切丁寧に化粧を施しながら、ポイントを教えてくれている。
「お化粧もだいぶお上手になられましたね。はじめてお会いした時は、ちょっと濃い
かなと思いましたが、今はお肌の調子に合わせて適切にお化粧されてらっしゃいます」
「うふふ。あなたに親切丁寧に教えてもらったおかげですよ。感謝してます」
「恐縮いたします」
ただ化粧品を売るだけでなく、しっかりとした化粧術を教えてくれるので、本当に
感謝しているのだ。管理人の施す化粧は、お店に出る時の夜の化粧術だったのだ。
素人の化粧は、雑誌の化粧記事や写真を見ただけでは覚えられるものではない。完
璧な化粧をするには、プロの美容師に直接、実際に化粧品や道具を使いながら、教え
て貰わないとなかなか身につかないものだ。
「毎度ありがとうございます。しめて五万三千円になります」
化粧してもらった後で、今回使った化粧品を購入する。ブランド物の化粧品なので、
ちょっとばかり値が張るが、親切丁寧に教えてもらった教習料を含んでいると思えば
安いものだ。その人の髪型・顔の形・肌の具合、そして季節に合った適切な化粧術で
ある。
「ひろみさんじゃありませんか?」
後ろから源氏名を呼ぶ声が聞こえた。
思わず振り返れば、店の常連客の、あの女装ルポライターだった。
ここは一階。各ブランドごとに、化粧品や婦人靴売り場がずらりと並んでいる女性
(女装者含む)オンリーのフロアである。
まさかねえ……。
「女装はあの日だけだよ」
とは言っていたが、味をしめて……。
がしかし、よくよく見ればきっちりとした背広を着ており、テナント店員を示す名
札を付けていたのだ。その後ろには同僚と思われる数人の店員もいた。
「あはは、まさか昼間に、こんな所でお会いするなんて奇遇ですね」
「黒沢さんは、ここで働いていたのですか?」
以前に、ルポライターというのは副業で、他に本業があると聞いており、黒沢英二
という名前も教えてくれた。
「いや。ここで働いているというわけじゃないんだ。とある製薬会社に務めていてね。
事業の一つにブランド化粧品があって、それを扱っている直営店舗の視察をして回っ
ているところなんだ」
「視察ですか?」
「沢田君。このご婦人と話しがあるんだ。済まないが、後を頼むよ。用が済んだら携
帯に連絡を入れてくれ」
と言いながら、後ろの店員に胸の名札を外して手渡す。
「かしこまりました」
(七)黒沢英二
一旦デパートを出て、すぐ近くの喫茶店に入る。
「視察だとおっしゃってましたが、よろしかったのですか?」
「僕が視察に同行したのは、このデパートの上層部に挨拶に伺うためで、その用事は
もう済んだから、後のことは部下に任せていればいいんだ」
「へえ……結構地位のあるお方だったのですね」
視察というからには、相当の地位にある事が推測できた。少なくとも部長クラスで
はないだろうか。連れていた部下は、四十代くらいで課長クラスのようだ。最近の会
社は年功序列から能力主義に変わってきているので、二十四歳の黒沢が上司となり、
四・五十代の課長連中を部下に持つ事も不思議ではない。
「ま、まあね……そんなわけで、昼間は会社務め、夜はルポライターに変身するとい
うわけさ」
「そんな生活してて、お休みになる時間はあるのですか?」
「うーん。それが悩みの種なんだよな。ついつい昼間に居眠りしてしまうことがある」
「それじゃあ、本末転倒じゃないですか。本業は大切にしなくちゃ、首になっちゃい
ますよ」
「ははは、首か……。いっそのこと首になったほうが、いいかもな。文章書きに専念
できるというものさ」
「でも、羨ましいですわ。打ち込めるものがある方って。わたしなんか、ただ生きて
いるためだけに働いているって感じですから」
「そうかな。僕は、逆に君の事感心して見ているんだよ」
「どういう具合にですか」
「うん。こんなこと君に言っては失礼かと思うけど、あえて言わせてもらうよ」
「……?」
「こうして君と会って話していると、本当の女性のような気がしてならないんだ」
「へ、変なことおっしゃらないで下さい。わたしは」
「だめだよ! そこから先を言っちゃ」
顔の前に人差し指を立てて左右に細かく振りながら、
「そう……。君の口から言ってはいけないよ」
とわたしの顔をじっと見つめている。
「君があの店で働くようになった事情は知らないし、過去のことも一切聞きたくない。
少なくとも僕は、君のことを本当の女性だと思っているんだ。僕の前にいる時は、あ
りのままの姿であって欲しいな。そう……今の君のようにね」
黒沢の言葉が胸を打った。
本当の女性と思っているなどとは、これまでに一度だって言われたことがない。
きれいだ、可愛いとは耳にタコができるくらい聞かされている。
嘘を言っていないと感じた。
「ところで、携帯電話持ってる?」
「はい」
それは、店との連絡用に、マネージャーが与えてくれたものである。休養日などに、
予定していた店子が多く休んでしまった時や、予想外に数多くの客が来店して応援の
ために、臨時出勤を依頼する為に使われる。或は逆にこちらが風邪引いたりして休み
たい時の連絡用だ。料金は店側が払ってくれるが、一定金額内なら、個人的な私用に
使っても良いことになっている。もっとも掛けるべき相手はいない。あの日を境に、
友人・知人はすべて失ってしまったからである。
「もし良かったら番号を教えてくれないか」
「え?」
どうしようかと悩んだ。客に番号を教えてしまったために、連日連夜デートの誘い
が掛かってきて困ったという話しをよく聞いている。
しかし黒沢が、そういう人間ではないことは知っている。常連客として良く来店し
てくれるが、これまでに一度だってわたしの身体に触ったことがないからだ。
わたしと一緒に酒を飲む時間を楽しみに来店している風であった。
「他の誰にも教えないでくださいよ」
「もちろんだ」
自分の携帯電話に、わたしの教えた番号をメモリーする黒沢。
入力が終わった途端に電話が掛かってくる。
「おおっと、部下からだ」
液晶画面を確認してから電話に出る。
「私だ……そうか、わかった。車の所で待っていてくれ。すぐに行く」
携帯を閉じ、ポケットに収めながら、
「次の店舗に移動しなきゃならない。済まないが、今日はここまでだ。君はゆっくり
していくといいよ。機会があったらまた会おう。お店以外の場所でね」
立ち上がり、伝票を取り上げてレジに向かう。
わたしを女性として扱っている以上、支払わせるわけにはいかないというところか。
好意は無碍にしてはいけない。
相手は仕事中なので、付いていくわけにもいかず、居残って飲み残しのアイスコー
ヒーのグラスを開ける。
(八)生演奏
喧騒な店内を、ピアノの音が静かに流れている。
何を隠そう、弾いているのは、このわたし。
ある日の事、とある客が店に置いてあったピアノを弾きはじめた。
猫ふんじゃった、という曲である。
最初の数小節なら、誰でも一度くらいは弾いたことがあるかも知れない。
「お上手ですよ」
弾き終えた後で、軽く手を叩きながら誉め言葉を言う。
「おせじは結構だ。お、そうだ。君、弾いてみろ」
ということで弾かされるはめになってしまった。
自慢じゃないが、これでも高校時代は音楽部ではピアノ担当だったのだ。腕前は、
かなりのものがある。
客のご所望とあれば弾くしかない。
深呼吸してから、ピアノを弾きはじめる。
ピアノソナタ「月光」の曲である。
店の中にいたものが、一斉に振り向く。
おお!
皆は一様に、こんな場所で、ピアノ鑑賞ができるなどとは、思いもしなかったとい
う表情をしている。
演奏を終えると、店内に拍手喝采が湧きあがった。
「ピアノ、お上手だったわよ。ひろみさん。あなたにこんな特技があったなんて知ら
なかったわ」
客が帰り、マネージャーが寄ってきて言った。
「せっかくの腕前が惜しいわね……。そうだわ、指名がない時は、ピアノを弾いても
らいましょう。ピアノの生演奏ありのゲイバーというのも新しい宣伝文句に使えそう
よ。どうかしら」
ありがたい申し出であった。
ピアノを弾いていれば客接待しないで済む。酒を飲むこともなく肝臓を休めさせら
れるというものである。
「はい。こんな腕前で良ければ、いいですよ」
「決まりね」
というわけで、その日からピアノの生演奏がはじまったのである。
数日後。
黒沢がピアノの縁に片肘ついて、グラスを傾けながら、ピアノの演奏に耳を傾けて
いる。丁度弾いている時に来店してきて、わたしを指名した後に、そのままピアノの
そばに寄ってきたのである。
弾き終わるののを待ってから、言葉をかけてくる。
「へえ。君がピアノを弾けるとは、ますますもって惚れ込んじゃいそうだよ」
といいつつ、グラスを差し出す。
「ありがとう」
とそれを受け取って一息に飲み干す。
「ああ! おいしい。丁度喉が乾いてたの」
「いい、飲みっぷりだよ」
「お席の方に移動しますか?」
「いや。もうしばらくここで君の演奏を聞きたいな」
「それでは……」
次の曲を弾きはじめる。
目を閉じ、うっとりとした表情で聞き入っている。
「クラシックがお好きなんですか?」
曲を弾きながら尋ねてみる。
「好きというほどでもないけど、それなりに聞いているよ。君こそ、ピアノを弾き慣
れているみたいだけど、何歳頃から弾いているの?」
「はじめたのは三歳頃からです。情操教育とかで、母に連れられて稽古事に通ってい
たようです」
「しかしピアノのお稽古とは……もしかしたらお母さん、君の性格を見抜いていたの
かもな」
「性格?」
「小さい頃からピアノを習わせるくらい、おとなしくてやさしい性格じゃなかったの
かな。やんちゃ坊主だったら、とても無理なことだからね」
「またあ、黒沢さんたら、すぐそんな事言うんだから」
「そうやって頬を赤くするところが、また可愛いんだよな」
「もう……」
会う度に、可愛いとか女性らしいとか言われ続けている。しかし少しも嫌味なとこ
ろがなく、紳士的に接してくれている。
(どうしてかな、黒沢さんといると、なぜか自然に女らしく振る舞っている。女らし
いなんて言われると、嬉しくて涙が出ちゃいそう)
(九)好き!
二年ほどの年月が過ぎた。
以前のアパート家賃、消費者ローンなど、借金のすべてを完済していた。
従業員寮を出て、アパート暮らしを始めていた。
表札には渡部由香里という名前が記されている。マネージャーが保証人になってく
れて、由香里という名前を付けてくれた。「ひとみ」はあくまで店で使う源氏名だ。
女性としての生活にも慣れて、近所の人々はまさか男性とは気づくはずもなく、お
だやかな日々が過ぎていく。
黒沢英二とのデートも回数を重ねていた。
普通の恋人達のように、普通のデートコースを選んでの日々が過ぎていく。
いつしか彼の事を「英二さん」と呼び、彼も「由香里」と呼び会う仲になっていた。
明らかに黒沢英二を好きになっていた。
自分でも信じられないが、純然たる事実だ。
それにしても、どうしてこんな事になってしまったのだろう。
去勢されて女性ホルモンを投与し続けたから?
いや。それだけで簡単に男性を好きになるはずがない。
もっと大きな要素があるのではないか。
マネージャーの話しから、店の主治医が言ったという、
「この子は、女として生きるのがもっともふさわしい」
という言葉が思い出された。
さらには英二の言葉もある。
「しかしピアノのお稽古とは……もしかしたらお母さん、君の性格を見抜いていたの
かもな」
「小さい頃からピアノを習わせるくらい、おとなしくてやさしい性格じゃなかったの
かな。やんちゃ坊主だったら、とても無理なことだからね」
高校時代にも女装されたりはしたが、ちっとも嫌がっていなかったような気がする。
却って女装を楽しんでいたように思う。
去勢された時も、結局流されるままに今日までに至っている。
何事にも従順で、物事を素直に受け止めてしまう女性的な性格。
本当の女性になりたいと思った。
人工的な造膣術を施しただけの、偽者ではない真の女性にである。
そうでなければ英二だって納得しないだろうと思う。
「目が覚めたら女の子になってたなんて、漫画とかでは良くあるんだけどな……」
そんなことありえないとは思いつつも、夢見る毎日であった。
(十)性別再判定手術
そんなある日。
「ひろみさん。ちょっと来てください」
マネージャーに呼ばれて事務室を訪れると、見知らぬ恰幅の良い中年男性が立って
いた。
「紹介するわ。こちらの男性は、とある製薬会社の社長さんで、医師の資格も持って
らっしゃいます」
「医師?」
まさかという嫌な予感がした。
「気がつかれたと思いますが、あなたの手術をしたのが、この方なのです」
「あなたが?」
やはりと思った。
「今日はあなたに素敵なお話しをお持ちしたのです」
「素敵な話し?」
「あなた、本当の女性になりたいと思ったことはありませんか?」
「本当の女性ですか……。ありますよ。今の姿は見せかけのものです。どんなにきれ
いに着飾っても所詮は、男でもなく女でもない中途半端な姿ですからね」
「先生は、性別再判定手術の権威なのです。あなた次第で、手術をしても良いとおっ
しゃってます」
「手術! 性転換手術ですか?」
「その通りです」
主治医が口を開いた。
「私がやる性別再判定手術は、陰茎を取り去った皮を使って人口の膣を形成するとい
う普通の性転換手術とは違う。本物の女性の内外性器、子宮や膣そして卵巣や外陰部
などのすべてを移植して、男性との性交はもちろんのこと、妊娠し出産することので
きる、真の女性に性転換する手術だ。中途半端は嫌いだからな」
「移植?」
「もちろん臓器を移植するには、拒絶反応の問題があるから、誰でも簡単にできると
いうわけにはいかない。免疫型の一致したもの同士でしか移植は成功しないからだ。
君の睾丸摘出の際にも、免疫型を調べて移植できる臓器があれば、同時に性転換手術
までするつもりだったのだ。が、残念ながら適合する臓器はなかった。取り敢えず睾
丸摘出だけに留めて、適合する臓器が見つかるのを、今日までずっと待っていたのだ」
「じゃあ、見つかったのですか?」
「その通り。君が望みさえすれば、明日にでも完全な女性の身体になれるということ
だ」
「しかし臓器が見つかったって言いましたが、臓器移植ネットでもあるのですか?」
「ふふ……これは組織に関わることなので、くわしくは言えないが、まあいいだろう。
少し教えてあげよう。闇の臓器密売組織というものがあるんだ」
「臓器密売?」
「裏組織では、毎日のようにたくさんの人間が死んでいる。自殺、殺人……遺体は裏
から闇へと、新聞ざたにならないように処理されている。もちろん臓器は摘出されて、
臓器移植を望んでいる患者の元へ運ばれているというわけだよ」
「ひどい……じゃあ、わたしに移植されるというのも」
「誘拐殺人でこの世を去った十八歳の女性のものだよ。なんとバージンだよ。ものは
考えようだよ。死んだ人間は生き返らない。しかし臓器は他人を生かす役に立つのな
ら、死しても生きるというものじゃないのかな。特に今回のように女性の内性器を移
植する場合は、その女性の子供を産み育てることができるというわけだ。その女性も
浮かばれるというものじゃないか。どうかな、若くして逝ったその女性の為に、子供
を産んであげようとは思わないか」
「子供をですか?」
驚いた!
わたしの考えていた性転換手術というものは、人工的な膣や外陰部を作り上げる手
術だ。あくまで見た目や、ある程度のセックスを可能にするだけで、生殖能力のこと
は一切考えられていない。
だいたいからして長い間、男として生きてきたのだ。女装や球抜きはしているもの
の、子供を産み育てるという思想や概念がまったくなかった。
子供を産むことができるようにはなるかも知れない。しかし、子供を育てるという
のは、並み大抵のことではないかと思うのだ。幼児虐待が増えている最近の現状をみ
ても、このわたしが子供を育てられるか心配なのだ。果たして母性本能の片鱗でもあ
れば……。
「そうだ。完璧な移植手術を施して、子供を産める身体にしてやる。事情が事情なだ
けに、手術代はいらん」
「先生の手術の腕前は保証するわよ。実は、私も先生に完全な女性にしてもらったの」
「う、うそ?」
「ほんとよ。移植した内性器はちゃんと機能して、女性特有の毎月の生理は訪れるし、
セックスも愛液がちゃんと分泌されるから潤滑剤なしにスムーズにできるわ。最初の
うちはね、性転換した身体という気持ちがあるせいか、精神的にしっくりこなかった
んだけど。そのうちに毎月生理がくるようになって、『ああ、本当に女性になったん
だな』と確信できたら、自然に女として自覚できるようになったの。男だったという
わだかまりは一切なくなったわ」
「そういうわけだ。君も手術すれば、身体的にも精神的にも完全な女性になれるさ。
子供を産む事にも、何のためらいも感じなくなるよ。事実、このマネージャー以外に、
何例も手掛けた性別再判定手術者の中には、結婚して子供を産み幸せに暮らしている
者もいる」
「結婚できるのですか? 女性として?」
「もちろんさ。君は子供を産み育てることに不安を抱いているだろうが、前例をみて
もその心配はない。愛情や母性本能は、子供を育てていく過程で自然に生まれ身につ
いてくるものなのだ」
医師は、わたしの心の内を見抜いていたようだ。前例があるというのなら少しは安
心する。
「ちゃんとした法の手続きをとって、戸籍の性別や名前を変えてもらえることができ
る。昔は、死んだ女性の戸籍を無断拝借することも行っていたけどね」
「どうです。いいお話しでしょ。真の女性になった限りには、このお店も退職しても
らいます。ゲイバーにはふさわしくありませんからね。もちろん再就職先も斡旋しま
すよ」
「ほんとうですか?」
これまでにも、英二のために性転換手術を受けようかと思った事も何度かあるし、
そのための貯えは十分にある。しかし、ふんぎりがつかないでいた。英二が手術して
くれとでも言われれば、していたかも知れないが……。手術しても所詮はまがいもの
の身体でしかない。男でもなく女でもない。中途半端な身体。
ところが子供も産める完全な女性にしてくれるという。あまつさえ戸籍まで変更ま
で可能だという。
英二と結婚することができる?
夢が正夢になろうとしている。
答えは、一つしかないではないか!
医師の次の言葉が、決断を促した。
「言っておくが、手術を延ばすことはできないからな。手術の準備はすでに整ってい
る。後は君に病院に来てもらうだけだ。臓器は生物だ、明日に延ばすことはできない。
今日の日を逃せばもう二度とチャンスはこないだろう」
最後のチャンス……。
「わかりました。お願いします。手術してください」
「うむ。よく言った。私に任せてくれれば、完璧な女性に生まれ変わらせてやる」
「女性として生きるために必要な戸籍などの法的な手続きは任せてね。ちゃんと結婚
できるようにしてあげるわ」
「はい。お願いします」
「今日は店に出なくていいわ。早速入院の準備しましょう。着替えとかもろもろね」
「はい。あ……。でも、英二さんになんて言えばいいのかな」
「そうねえ。二三日すればお店にいらっしゃるだろうから、私の方から説明しておく
わ」
「何て?」
「正直に入院したと言うわ。病院名や病名は聞かなかったということでね」
「携帯で連絡してきたら?」
「病院は携帯電話の使用禁止よ」
「あ、そうか。でも公衆電話でなぜ連絡してくれないんだ。といわれそう」
「ベッドから動けなかったからでいいんじゃない。やさしい人なんでしょ。何にして
も許してくれるわよ。何たって、彼のために手術を決断したんだから。ね、そうでし
ょ?」
(十一)新たなる性へ
そして夕刻。
その医師の執刀による性別再判定手術が無事終了した。
翌朝。麻酔から覚めたベッドサイドに医師が立っていた。
「手術は成功したのですか?」
「もちろんだ。どうだい、新しい身体の感想は?」
「何か変な気持ちです。身体の中に異物が入っている感じです」
「だろう。今まで何もなかった所に新しい臓器が入ったのだからな。たぶんその感覚
は、膀胱に乗りかかるような位置に子宮があるからだよ。子宮の重みで膀胱が圧迫さ
れてそんな感覚になる。最初はそれが異物感となるが、いずれ慣れてしまえば感じな
くなるよ。例えば女性ホルモンで胸が膨らみはじめたころは、取ってつけたような感
覚があったはずだ。ブラジャーをしててもしっくりとこない。しかし今はどうだろう
か、大きく膨らんで邪魔なくらいだろうけど、すっかり馴染んでしまっているはずだ」
「そうですね」
「ともかく、手術したばかりだ。しばらくじっとしていて身体を動かさないでくれ。
特に身体をよじる動作は厳禁だ。そうしないと移植したばかりの内性器が、正常な位
置からずれてしまうかも知れないんだ。子宮を体腔内に固定している靱帯の縫合箇所
が切れたら、また開腹手術しなきゃならん。だいたい二週間くらいすれば、臓器の再
配置が落ち着いて、縫合した箇所も癒える。新しい性器を見たいだろうし触りたいだ
ろうが、ぐっと堪えて我慢してくれないか。何かしたいことがあったら何でも看護婦
に言ってくれ。完全看護体制になっている」
それからさらに数週間。
ベッドに釘付け状態の日々が続いた。内臓に負担の掛からないように、起き上がっ
たり、身体をよじったりすることを厳禁され、食事も排泄もベッドの上で看護婦の介
護のもとに行われた。汗や垢に汚れた身体は水拭きできれいにしてくれる。
「よく頑張ったね。そろそろ起き上がっても大丈夫だよ」
というわけで、やっとのことで起き上がることを許され、移植した外性器を見せて
くれることになった。
ベッドの縁に腰掛けて、看護婦が鏡を持って、股間が良く見えるようにしてくれた。
そこには、かつてぶら下がっていたものは影も形もなくなって、代わってピンク色
の割れ目があった。まさしく性体験のない初々しいものであった。
「傷口はきれいに治っている。しばらくはしっくりとこないかも知れないが、いずれ
馴染んでくるさ。生理もはじまるから、女性になったことを実感できるようになる。
どれ少し説明してあげよう」
というと、その割れ目を指で広げながら各部の説明をはじめた。
「この小さな突起がクリトリスだよ。女性の一番の性感帯だな。そのすぐ下には、ち
ょっと判りにくいが、小水の用をたす尿道口が開いている。さらにその下、この孔が、
女性のもっとも女性らしい部分ともいうべき膣だ。男性を受け入れ、その結果である
子供を生み出すところだ。そしてそれらの大切な部分を覆い隠しているのが、この大
陰唇と小陰唇というわけだ」
「これが女性の性器なんですね」
女性の性器など写真や図解でしか見た事がなかった。しかし目の前にあるものは本
物の女性の性器なのだ。それが今、自分の股間についている。
「ああ、そうだよ。君は完全な女性になったんだ」
「ありがとうございました」
さらに数週間が経った。
身体を動かした時の腹部の痛みも失せて、異物感もほとんどなくなっていた。
とうとう退院の日が来たのだ。
そして今、医師の父親が経営する産婦人科病院の前に、医師とマネージャーと共に
立っている。
「先生。ありがとうございました」
「うん。今日からは一人前の女性として、清く正しく生きてくれたまえ」
「はい」
「戸籍変更の手続きはもう少し掛かりそうよ、間違いなく許可されると思います。そ
うすれば『渡部由香里』という女性が誕生するわけです」
戸籍関係の法的手続きはマネージャーがやってくれていた。
「お手数掛けました」
「ふむ。それから君の就職先の紹介状だ。この病院と取引のある製薬会社だ。今日、
その足で面接を受けたまえ」
退院に際し、マネージャーが、面接にふさわしいスーツを用意してくれていた。
ぴったりと身体にフィットしたミニのタイトスカートのスーツ。
「わかりました」
「相手も忙しい身でね、今日しか面接できないそうだ」
「もし何かあったら、いつでもわたしのところにいらっしゃい。何でも相談にのって
あげますからね」
「はい、ありがとうございます」
「英二はどうしているかな……」
手術のことはまだ話していなかった。
黙っていて、驚かそうと思ったから。
電話しようかなとも思ったけど、まだ仕事中だよね。
「メールならいいかな」
英二さん、お元気してますか?
由香里はやっと退院できました。
また会いましょうね。
では。
メールを送ってすぐだった。
トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル。
いきなり電話が鳴ったのだ。
液晶画面には英二の名前が出ている。
「うそー! まだ仕事中じゃない」
あわててフックボタンを押す。
『メールもらったよ。退院したって本当? いったい今までどうして連絡くれなかっ
たんだよ。いったいどんな病気だったの? あの店も辞めちゃったというし、心配し
てたんだぞ』
矢継ぎ早に質問を浴びせてくる英二。
「ま、待って。そんなにいっぺんに聞かれても。今度会ったら説明しますから。今、
お仕事中なんでしょ」
『ああ、そうだな。じゃあ、また後で連絡するよ』
「はい。待ってます」
ふう!
思わずため息をついてしまう。
心底から心配している口調が、電話を通して伝わってくるのが嬉しかった。
やっぱり事前に相談すれば良かったかな。でも時間がなかったし……。
(十二)英二、再び
その製薬会社は、病院から商店街を抜けた駅前のビル街にそびえ立っていた。
受付けに紹介状を渡して面接を受けに来た事を伝える。
ネームプレートに、『倉本里美』と記された美しい女性が対応した。
「渡部由香里様ですね。お待ちもうしておりました。早速面接会場へご案内いたしま
す」
先に立って案内する受付嬢の後に続く。
(きれいな女性ね。さすが、受付嬢だわ)
「由香里!」
背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。
「英二さん!」
振り返ると、驚いたような表情で英二がたっていた。
どうして、英二さんがここに?
そう言えば、製薬会社に務めているって言っていたけど……。じゃあ、ここが英二
さんの会社?
「やっぱり、由香里だ」
「専務。お知り合いだったのですか?」
受付嬢が尋ねる。
専務!
うそ、英二さんが専務?
信じられなかった。
「まあね……で、この子が会社に何の用事かな」
「はい。面接です」
「面接……? こんな時期にか」
「はい、そうです」
「おい、ちょっと紹介状を見せてみろ」
受付嬢から紹介状を受け取って、食い入るように見つめている。
「これは親父の紹介状じゃないか! ということは……。由香里さん、そういうこと
だったのか」
英二は一人で合点したように言うと、わたしの顔をじっと見つめている。
「専務。面接の時間に遅れます」
「そうだな。里美さん。社長の面接が終わったら、俺のところにも連れてきてくれ。
一緒にな」
「かしこまりました」
「由香里。後でな」
「は、はい」
そして面接も終わり、専務室に案内された。受付嬢の里美も一緒である。
にっこりと微笑んだ英二が、豪華な椅子に腰掛けたまま語りかけてくる。
「僕は、君のすべての事情を知っているから、安心して聞いてくれないか。ともかく、
就職おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「親父に会ってびっくりしただろう?」
「はい。わたしを手術してくださった先生が、まさかこんな大企業の社長だったなん
て。そしてあなたが専務ということも」
「あはは、親父の副業が産婦人科医、そして僕はルポライター。似た者親子ってとこ
ろかな」
確かにそうかも知れない。この親にしてこの子ありって感じ。
「それにしても、君が連絡を絶った理由は判ったが、こんな大切な事、僕にも相談な
り連絡して欲しかったな」
「ごめんなさい。先生が、手術を急いでいたもので、相談する時間が取れなかったん
です」
素直に謝る。
「まあ、いいさ。要は、僕のために決断したんだろうからな」
およそ半年が過ぎ去った。
自分と同じように性別再判定手術を受けた、磯部響子や倉本里美と同じ受付に配属
されて、会社案内の任務をそつなくこなす日々が続く。
受付嬢三人娘の一人として社の内外で有名になっていた。
会社の方針で昼休みは、二十四時間体制の海外通商部や警備部を除いて、全社一斉
に休憩時間となり照明も落とされる。
だから受付嬢としても、三人揃って屋上で弁当を広げられるというわけだ。受付係
りは秘書課に属していて、同年代の女性はいないから、三人が集まるのは自然だった。
「どう、身体の方は馴染んできた? 生理は順調にきてる?」
三人の中では一番の古株で、里美に女性らしさのいろはを教えた響子が尋ねてきた。
「ええ。もうすっかり、自分の身体って感じよ。生理も毎月あるわ」
「良かったわね。社長の腕は完璧だから」
三人の中で一番の美人な里美が言った。
「やあ、三人揃って昼食かね」
「専務!」
背後にいつの間にか英二が立っていた。
わたしも他の二人も驚いた。
屋上は、いわば穴場みたいなもので、わたし達三人しか食事場所としていなかった。
ビル内には安価なメニューの社員食堂があるし、外に出ればすぐ繁華街が広がってい
る。食事時に上がってくる者はほとんどいない。
あ、そう言えば。英二さんにお昼は屋上で食べてると話したことがあったわ。
「ああ、由香里。これ、弁当箱返しておくよ。おいしかったよ」
「おそまつさまです」
弁当箱を両手で受け取って手提げ袋にしまう。
「へえ……由香里ってば、専務の弁当作ってあげてるんだ」
「いつも外食だっていうから、栄養が偏っちゃいけないと思ったから。それにお弁当
一つ作るのも二つ作るのも、たいして手間は変わらないもの」
「愛妻弁当か……。わたしも誰かに作ってあげたいな」
お弁当箱なら食後に、いつもこちらから取りに行ってるのに、今日に限ってどうし
たんだろ……?
何かわけがありそうだった。
「ところで、君達三人共。今夜開いているかい?」
「え? あ、開いてますけど」
わたしが答えると、他の二人も首を縦に振った。
「じゃあ、仕事が引けたら玄関先に出ていてくれないか。車で迎えに来るから」
「わかりました」
「じゃあ、後で」
「ええ」
階段口から階下へ消える英二。
「三人揃ってとは、どういうことかな」
「由香里だけなら、デートなんだろうけど……。由香里、何か心当たりはない?」
「わからないわ」
(十三)プロポーズ
とある高級レストランでディナーを頂く英二と三人娘。
「本当は、由香里だけでもいいんだが。他の二人にもぜひ聞いてもらいたくてね」
「なんだやっぱり、本命は由香里だったのね」
「わたし達は付け足しなのね」
「そういうわけではないのだが……」
頭を掻きながら、言い難そうにしている英二。
その表情は専務・重役というものから、恋仲の純情青年に戻っていた。
「実は、これを受け取って欲しいんだ」
と、小さな箱を取り出した。
受け取り開けてみると、
「これは?」
「まあ! 指輪よ」
「素敵ね……。ダイヤモンドよ、これ」
「英二さん……?」
指輪を見つめ、そして英二に視線を移すと、やさしく微笑んでいる。
「どうだろう。この僕と結婚してくれないか?」
「結婚? 冗談はよしていただけませんか。わたしは……」
「昔は、男だったからと言いたいのか」
「はい」
「確かにそうかも知れないが、君は立派な女性に生まれ変わったんだ。何をためらう
ことがある。君の身体の事はもちろんのこと、その心の中のある女性的な感情を、僕
が見抜かないわけがないだろう。これでも親父の息子なんだよ。例えば、里美さんを
見ればわかるはずだ」
「里美さん?」
突然名指しされ、きょとんとしている里美。
「里美さんも響子さんも、君と同じように親父の手術を受けている。彼女とはじめて
会った時、どう思った?」
「とてもきれいで女性的な雰囲気が漂っていました」
「そう。誰も、彼女が男だったなんて気づかない。もちろん響子さんもそうだ。身も
心も女性そのものなんだからな。心の中から溢れ出る女性的な感情が、彼女の仕草か
ら言葉使いまで、やさしく包容力のある女性を形作っている」
「専務。あまりお誉めにならないでください。恥ずかしいです」
顔を真っ赤にしてうつむいてしまう里美。
「そういうところが、女性的だと言っているんだよ」
「もう……」
「ああいう親父だが、女性的な感情を見抜く洞察力は本物だ。手術を受けたすべての
女性が幸せに暮らしている。そうだろ、響子さん?」
「はい」
恥ずかしがりながらもはっきりとした口調で肯定する響子。
「もちろん君達を、あらゆる面で他の女性達と区別したことはない。当然のことだが、
更衣室やトイレもみな女子用を使ってもらっている」
「専務。変なこと、おっしゃらないでください」
響子があせったように言った。
「じゃあ君は、男子トイレに入れるか?」
「入れるわけないじゃないですか。女子制服着てますのに。それに今はもう女性にな
っているんですから」
「いや、違うだろ。女子制服を着ているからじゃなくて、女性の心を持っているから
じゃないかな」
「それは……」
「由香里はどうかな。例えば男装したら、男子トイレに入れる?」
「ど、どうかしら。去勢されたあの日以来、もう長い間男子トイレに入ってないし
……」
男装という言葉に、違和感を覚える。もはや女装という言葉は使えない、
「そんなに悩むことではないだろう。少しでも男性の心が残っていたらな」
「そ、それは……」
即答できなかった。仮に男装しても平常心では男子トイレに入れないだろうと思っ
た。
「そうなのだよ。三人とも、男子トイレに入るのも躊躇してしまうほど、女性的な感
情を持ち合わせている。男性だった頃からもともと持っていた女性的な感情に、その
後の女性ホルモンの影響と、毎日の女性としての生活していくうちに、より女性的に
なってしまったのさ。もはや男性的な感情は消え失せてしまっているんだよ」
確かに女性ホルモンの影響もあるかも知れないが、もっとはるかに女性らしさを意
識させずにおけないものがある。
生理である。
男性には決して理解することのできない、毎月訪れる女性特有の現象。人造性転換
者には絶対にありえない、正真正銘の女性である証。体内に介在して、自分が女であ
ることを強烈に意識づけするもの。その日のたびに、男性である感情を一つ残らず流
し去ってしまったのかも知れない。経血と共に。
「さて、話しが長くなってしまったな。由香里、最初の僕の質問に答えてくれない
か?」
「あ、あの……」
「ん?」
「あの……。こんなわたしで良かったら」
「よし! 決まったな」
まさか男性から結婚を求められるなんて思いもしなかったことだった。しかも自分
の過去を知り尽くしたうえである。
思わず涙が溢れてきてしようがなかった。
他の二人ももらい泣きしている。
こうしてわたしの第二の人生がはじまった。
一人の女性として会社に勤務し、やがて結婚し子供を産んで育てるという将来が待
っているのだ。
出典:ナンパしようぜ♪ナンパ!
リンク:http://erika.girly.jp/syosetsu/joseika/joseika1.html

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