病弱だった妹
2004/09/06 12:14 登録: えっちな名無しさん
妹が死んだ。15歳だった。
昔から病弱な子で、季節の変わり目にはすぐ風邪を引くような子だった
いつも私の後をついてきて、私の真似ばっかりするような子だった。
そんな妹が選んだ高校は、私の通っている高校だった。
これでお姉ちゃんと一緒と学校に行けるね、ずっとお姉ちゃんと一緒にいられるね、
と言った妹の顔が忘れられない。
だけど、その妹は制服を着ることはなかった。
お姉ちゃんと一緒の制服と着れると言って喜んでいたのに。
入学する前に私の妹は倒れた。
医者に、年は越せないでしょうと言われた時には何にも考えられなくなった。
病室に行くたびに妹はすごく喜んでくれた。
夜も遅いから、もう帰るね、というとすぐ泣きそうになる。
そんな妹がたまらなかった。
でも、ある日そんな妹に耐えられなくなった。
病室に行くたびに、痩せていくのがたまらなく辛くて、見ていられなかった。
すぐ良くなって一緒にこの制服を着て学校に行くんだ、と話しかけてくる妹。
もう二度と着ることができないのに。
その事がわかったとたん、妹に顔を合わせられなくなった。
その日から病院に行くのを辞めた。
妹の事を考えるのがたまらなく辛かったから。
親から、容態が悪くなったと聞いても見舞いにも行かなかった。
医者の言うとおり、妹は年を越せなかった。
細くなった体で無理に笑う妹をもう見なくて済む、と思う自分がたまらなく嫌で、
どうしようもなく情けなくなった。
葬式にて、棺に入る妹の死に装束は高校の制服だった。
なんでも遺言らしい。
一度でいいからみんなに制服姿を見てもらいたい、お姉ちゃんにも見てもらいたい、
と言っていたらしい。
これを聞いて初めて泣いた。
葬式の時も泣けなかったのに。
馬鹿な姉だった。
結局、自分が辛くなるのが嫌で妹から逃げていただけだった。
最後に妹に謝りたかった。
でも、もう妹はいない……… 「お姉ちゃんはわたしの誇りだよ」
私が聞いた、妹の最後の言葉だった。
今年の夏のように、暑い日だったことを覚えている。
妹の事を思い出すと、この言葉と笑い顔、そしてヒグラシの鳴き声を思い出す。
あの日まで毎日会っていたはずなのに、思い出すのは決まってこの情景だ。
そしてふと思う。妹は、最後まで私のことを誇りに思っていたのだろうかと。
葬式が終わり、遺品整理をしていた時、妹の日記を見つけた。
入院してから、妹が毎日書いていたものだ。
妹がどんな事を思っていたのか気になり、読んでみる事にした。
日記にかかれていたには私の事が書かれてあった。
持っていった本について、交わした感想について。
私が話した学校の話。友達の話。ドラマの話。
日が過ぎるごとに、見ている方が苦しくなるほど体調が悪くなっていたのに、
恨み言、愚痴がいっさい書かれていなかった。
私が見舞いに行かなくなってから、日記の内容は私への手紙になっていた。
いずれ、私が読むとわかっているような書き方だった。
今までの思い出。どんなに私に感謝しているのかなど。
見舞いに行かなくなった事を非難するような文章は一行すらもなかった。
妹は自分がいずれ死ぬという事を分かっていたのだろうか?
知った上で、恨み言も言わず私に接していたのだろうか?
今まで姉ぶっていた私が受け入れられなかった死を、
泣き虫だった妹は受け入れていたのだろうか?
日記の最後のページにはこう書かれていた。
「今までありがとう。お姉ちゃんの妹で本当によかった」
と。
私は姉として、どのような姉でいればよかったのだろう?
今考えても遅いが、いまだに答えが出せないでいる。

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