ハマの番長 (泣ける体験談) 24769回

2007/12/28 12:08┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:名無しの作者
プロ野球人の社会貢献活動を表彰する、報知新聞社制定「ゴールデンスピリット賞」の第9回受賞者が5日、横浜・三浦大輔投手(33)に決定した。
05年から横浜市内の小学校などを訪問して、子どもたちと夢について語り合う「星に願いを」プロジェクトを企画。
また、社会福祉協議会にシーズンシートを寄付したり、障害者を自費で球場に招待するなど、積極的に社会福祉活動に貢献した。
表彰式は15日、東京・虎ノ門のホテルオークラで行われる。

受賞の知らせに自慢のリーゼントヘアが乱れた。「えっ、オレが?」横須賀市内にあるベイスターズ球場での秋季練習後に届いた朗報。
賞をもらうつもりなどでやってきたわけではないけど、でもうれしいです」驚きと喜びを同時に表した。
「偉そうなことは言えない。でも、子どもたちに夢を与えるきっかけは作れる」幼いころから学校の先生になることが夢だった三浦は常々、こう語ってきた。
その思いを実現するため05年から横浜市内にある複数の小学校を訪問、子どもたちと触れ合った。
三浦の行動を中心に、横浜選手会全体の動きとなったのが「星に願いを」というプロジェクト。
プロのプレーヤーになるという夢を実現した選手と児童が夢について語り合い、子供たちに夢を持つことの大切さを実感してもらう「訪問授業」だった。
「シーズン中に行くことに意味があると思う。昼間来た選手が夜、テレビの中で戦っている。
子どもたちに新鮮に映るし、記憶にも残る。おれが行くことで、すごく喜んでくれるんだ」三浦は労を惜しまなかった。
社会福祉協議会にシーズンシートも寄付した。横浜スタジアムに来た子どもたちに、抽選でサイン入りのグラブもプレゼント。
「『枕元に置いて寝てます』なんて手紙をもらうと、本当にうれしいし、ありがたい」

活動の中で、三浦の大ファンだという緒方大和くん(当時6歳)と出会った。急性リンパ性白血病を患っていた。
「おれが出来ることは何だろう?」と、自問自答。試合前に都内の病院に足を運んでは広場でキャッチボールをした。
横浜スタジアムに招待した時は、電光掲示板に名前を入れ、リリーフカーにも一緒に乗った。「将来、ここで野球をやるんだぞ」そんな言葉で勇気づけた。
しかし9月17日、大和くんは再発を重ね7歳でこの世を去った。
10月20日、都内の病院で行われたお別れ会に三浦は参加。そこは大和くんと初めてキャッチボールをした広場だった。
ツーショット写真やプレゼントしたウイニングボールが飾られ、担当医師からは「大和くんは本当にがんばった」と聞いた。
「おれは逆に大和に感謝しないといけない。ありがとう。今ごろ天国で練習してるよ」番長と言われる男の涙が止まらなかった。
大和くんとの出会い、そして別れで三浦は、改めて心に決めたことがある。

「子どもたちが喜んでくれるなら、どんなことでもやる。それが三浦大輔のイメージにあわないことでも、何でもトライしていく」

 ◆三浦 大輔(みうら・だいすけ)1973年12月25日、奈良県生まれ。33歳。高田商から91年にドラフト6位で大洋(現横浜)に入団。
98年にはエースとしてリーグ優勝と日本一に貢献。04年のアテネ五輪では日本代表として銅メダルを獲得。05年は最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを獲得。
通算365試合に登板して117勝112敗、防御率3.55。183センチ、88キロ。右投右打。妻と1男1女。


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