10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/04/16(木) 20:04:49.73 ID:okCjfRgL0 493 名前:なご[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 02:48:14 ID:G82vSG150 文芸春秋で自衛隊の面白い話が載ってた 自衛隊員A(以下A)「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」 自衛隊員B(いry「うえ、この間アブグレイブでイラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」 A「それが、どうも支援デモらしいぞ」 B「は? 支援デモ? 私怨じゃなくて? そんなデモ聞いたことね?よ」 A「俺もね?よ。ま、一応、本当に応援だった時の為に飲み物とアイスでも用意しておこや。暑いし」 デモ隊参上 彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」 B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」 デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。 自衛隊員見かねてゴミを拾う、すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。 そんなこんなで後日 米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」 自衛隊「あれ?」 米&英「あれだよあれ、支援デモ」 自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」 米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」 自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」 と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。 小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw 22 :1/3 :2009/04/16(木) 20:43:57.02 ID:okCjfRgL0 31 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:13:22 ID:pTwC+efk ぶった切って失礼します。 カンボジアPKOの話が出たので、ROMってた者だけど書いてみる。 自衛隊がカンボジアに行った年の翌年、観光に足を伸ばした印度のある町で。 その町から日帰りで行けそうな、目当ての遺跡のある町への鉄道チケットが 取れないかと、ツーリストインフォメーションでいろいろ聞いていたところ 後ろから声を掛けられた 「日本人か?」 振り返ると背丈190cmはあろうかと思われる、サングラスにワイシャツ・綿パン、 オールバックで髭まで生やした印度の偉丈夫。 「○○まで行きたいのか?」 …てっきり観光地によく居ると噂に聞いた ヤウ゛ァイ人…にしては英語が丁寧で、様子も良い御仁。 「ちょっとこっちについて来なさい」 インフォメーションをちらりと見ると、係の兄ちゃんが 「んだんだ、そうすっとええだ」みたいなスマイル。 半信半疑でついて行くと、駅のチケットオフィスへ。 当時まだ、外国人用と自国民用で切符売り場は分けてあったのだが ずんずんと脇のドアからチケットオフィスの内側へ。 24 :2/3 :2009/04/16(木) 20:45:41.63 ID:okCjfRgL0 732 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:15:33 ID:pTwC+efk 承前。 その印度の偉丈夫は何やら中年の駅員と話している。 すると駅員がこちらを見て 「明日の朝7時に出る急行がある。 帰りは特急で向こうを16時発、ざっと6時間は見物が出来るだろう…○○ルピー」 予想より遥かに安く、予約も入れていないのに急行+特急で発券してしてくれた。 謝意を呈すると偉丈夫氏、にこやかに 「まあ、明日無事に帰ったらにしておくれ」 翌日、目的の遺跡を堪能して戻ると、 インフォメーションの兄ちゃんの横に居た偉丈夫が微笑んで待っていた。 改めて謝意を呈するとはにかんで 「いや、実は去年カンボジアに行っていてね…」 この偉丈夫氏は地元の警察官。 印度からカンボジア派遣の文民警察官として行っていた際ににわかに虫垂炎に襲われて苦悶する羽目になった。 最寄りに駐屯しているのは日本の自衛隊。 電話で照会するとわざわざ車輛で迎えに来てくれた。 自衛隊の軍医による手術は成功、その後しばらく 自衛隊のところで御世話になっていたらしい。 25 :3/3 :2009/04/16(木) 20:47:36.45 ID:okCjfRgL0 733 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:19:07 ID:pTwC+efk 「ジャパンのアーミーは、素晴らしい連中ばかりだった… 臥せっている、ゆかりも無い外国人の自分に、必ず誰かが付き添ったり、 話をしに来てくれた。嬉しくて、特に親しくなった隊員に自分の○○ (残念ながら、この品物が何だったのかは忘れました)を贈ったところ、 彼はいつも掛けていたサングラスを呉れた… 以前冗談で、サングラスを誉めて借りて掛けてみた事があるんだ… 『御礼にお返しは必要ありません、あなたの、いつも使っているものでしょうに!』 と言うと、 『御礼の品は受け取れませんが、 我々の友情の印に、御互いの愛用品を交換させて頂けるなら嬉しい』と彼は言ったんだ。 『他に出来る事はありませんか』と聞いたら、 『貴方がもし、日本人が困っているのに遭遇したら親切にしてあげて下さい』 と言っていた… だから、君を見た時に何か出来ないかと思ってね… こんな事では返しきれない友情を、日本の友人は示してくれた、だから御礼なんて」 必死に単語を並べ立てて、御礼を言ったおいらにその人は最後にこう言った。 「それじゃあ、日本で印度の人間に会ったら親切にしてやってくれ、 そしてそいつには『次に会った日本人に、そうしてやってくれ』 と伝えて欲しい…」。 その後、帰国して印度の人とは何人か縁もあったが、 そう伝える事になった人はまだ居ない。 けれどもこの約束を果たすのには、やぶさかではないつもりでいる。 …長々、昔話で相済みません。 33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/04/16(木) 21:09:52.88 ID:okCjfRgL0 さすがに疲れてきた 437 名前:おさかなくわえた名無しさん :2005/04/23(土) 08:12:56 ID:Rj0ZuJrP 1999年の台湾大地震の際、いち早く救援に駆けつけた 日本の国際救援救助隊に関して 彼らは大地震が発生したその日のうちに台湾入りし、災害現場に急行するや 不眠不休で生存者の捜索に尽力してくれたのである。 瓦礫を掘り起こし、最新鋭機材を駆使して懸命に生存者を捜索する日本の 救助隊の献身的な姿は人々の胸を打ち、そして皆は心の中で手を合わせた。 こうした光景を目の当たりにした年配者は「やっぱり日本だ!」と目頭を熱く するのだった。そして続々と台湾へやってくる日本の民間ボランティア、多くの 台湾人が頼れる“友人”が誰であるかを再認識したのである。 台湾人が心から信用できる国は“日本”なのだ。 35 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/04/16(木) 21:15:57.13 ID:okCjfRgL0 292 名前: 名無し三等兵 投稿日: 01/11/19 22:28 ID:DqKlcZCE 泣けるかどうかはわからないが、良い話であると思うエピソードを1つ。 戦後、自衛隊の発足に伴い、自衛艦に掲げる自衛艦旗をどうするかが問題となった。 結論は簡単に出ず、そこで米内光政海軍大将の親戚で海上警備隊(海自の前身)の良き理解者でもあった画家、米内穂豊画伯に旭光をモチーフにした新たな旗の製作を依頼した。 米内画伯はこれを快諾したが、画伯が提出したのは帝国海軍の軍艦旗と全く同じ図柄だった。米内画伯は、 「旧海軍の軍艦旗は、黄金分割による形状、日章の大きさ、位置、光線の配合等実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがありません。 それで、旧軍艦旗そのままの寸法で1枚描き上げました。これがお気に召さなければご辞退いたします。 ご迷惑をおかけして済みませんが、画家の良心が許しませんので……」 と申し出たという。 その後、この旧軍艦旗と同じ図案に関して議論が重ねられたが、吉田茂首相に最終的な判断を仰ぐことになった。説明を聞き終えた吉田首相は次のように述べた。 「世界中で、この旗を知らない国はない。どこの海に在っても日本の艦であることが一目瞭然で誠に結構だ。旧海軍の良い伝統を受け継いで、海国日本の護りをしっかりやってもらいたい」 かくして、昇る太陽をかたどった旭日の軍艦旗は、今日も護衛艦の旗竿に堂々と翻っているのである……。 36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/04/16(木) 21:17:14.18 ID:okCjfRgL0 426 :専守防衛さん :05/01/22 00:27:07 死者6433人、重軽傷者43792人。被害額約10兆円。 「若者の代表としてひとつだけ言いたいことがあります・・・」 焼け野原に立つ避難所の一角で、その青年は拡声器を握り締めて話し始めた。 真っ赤に泣きはらした瞳から流れる涙をぬぐいながら、搾り出すように、しかしハッキリと話を続ける。 「これから僕らがこの神戸を立て直していかなければなりません。その後ろを押してくれたのが自衛隊の人達です」 周りにいた大人達も涙を流し、そして思わず、今日別れることになった陸自・災害派遣部隊の人々に駆け寄る。 「長い間、ありがとうございました!」 青年はそう叫ぶと、ひとりの自衛官の胸に飛び込み、そして声を出して泣き出した。 自衛官も頼もしい腕で抱きしめ、共に泣いた。 ”自衛隊さん、ありがとう” そう書かれた横断幕が風で揺れる中、自衛隊最大の任務はここに幕を閉じた。 38 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/04/16(木) 21:21:15.77 ID:okCjfRgL0 163 名前: 日出づる処の名無し 投稿日: 2006/01/29(日) 12:08:14 ID:3PfVpgbE 昨年10月8日に起きたパキスタン地震の被災者を支援した 陸上自衛隊のヘリコプター部隊の本隊約百三十人が12月1日、 北海道・帯広に帰還した。10月中旬に現地入りし、約一カ月 半にわたり、イスラマバード近郊の空軍基地から、約130キ ロ離れた同国北部のバタグラム地区に陸自ヘリ6機で約百回往 復し、援助物資約40トンと緊急患者など約720人を運んだ。 パキスタン軍の現地旅団長は、「日本隊だけが休まず、毎日 来てくれた」「物資を運んだだけでなく、村人に希望と勇気を 与えてくれた。おかげで笑顔が戻った」と称賛したという。支 援のためにヘリを派遣した国は、日本に加え、米英独など六カ 国だ。日本は「真心支援」と名付け、現地の人たちと同じ目線 に立ち、住民の信頼を勝ち取った。イラク・サマワでの陸自の 人道復興支援活動とも相通じる。誠実、勤勉な「自衛隊流」が、 ここでも現地の人々の心をとらえた。 ムシャラフ大統領が11月12日、陸自部隊を突然訪問し、 「私をはじめ、パキスタン人は日本に特別の思い入れがある。 日本は偉大な国であり、尊敬している」と述べた。現地の有力 紙も報道し、両国のきずなは深まった。(産経新聞、H171203) 42 :1/2 :2009/04/16(木) 21:31:34.41 ID:okCjfRgL0 237 :専守防衛さん :04/04/17 20:27 地下鉄サリン事件時、築地駅の除染に出動した101化学防護隊+32普連の混成部隊「築地中隊」。 最先任だったK.M一尉(当時)は、完全防護の部下と共にサリンの除染を完了した。 しかし史上初の¨化学兵器成分の除染¨。完全に排除できたかどうか?には疑問がつきまとった。 空気中に除染しきれなかった、気化した残存成分が残っているかもしれず それを恐れて、駅員からの「もう安全ですか?中に入れますか?」との質問に答えあぐねていた。 空気中の気化物質を測定するには、専用の警報機が必要。しかし警視庁に優先貸与してしまい 手元にあるのは、液体しか測定できない「検知紙」しかなかった。 …K一尉は、決断した。 43 :2/2 :2009/04/16(木) 21:33:09.48 ID:okCjfRgL0 238 :専守防衛さん :04/04/17 20:40 『私が、行きます』 近くにいた、防護服を来た消防隊員を二名指名し 「協力願います。もし自分が倒れたら、すぐに担いで外へ出してください」と要請。 除染が済んだ地下鉄のホームへ再び下りていった。 Kはホームに立ち、防護マスクの首の部分を瞬間的に開いて再び閉じ マスク内で深呼吸した。…異常はない!。 Kは最後の勇気を振り絞り、マスクを脱ぎさった。 そして、さらに深く深呼吸する。 完全防護の消防隊員は、防護マスク越しにKを見つめる。 そして、Kの笑顔を見て安堵の笑みを漏らし、三人は頷きあった。 K一尉の「もう大丈夫です!」の叫び声ののち、周囲からは一斉に歓声があがり、拍手の渦となった。 という記述のある本が新潮文庫から出てますが(氏名は当方で伏字に) …本当に、自衛隊の皆様。ご苦労さまですっ 12 :1/6 :2009/04/16(木) 20:15:02.43 ID:okCjfRgL0 587 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:34:31 一昨年の夏、私は息子(5歳)を連れて家から車で1時間のところにある、 自然博物館の昆虫展に向かっていました。 ムシキングの影響で息子はとても楽しみにしていました。 あと数キロと言う地点で渋滞の最後尾に。 止まった瞬間、ものすごい衝撃に襲われました。 後方から来た大型トラックに追突されたのです。 一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、 すぐに追突されたと判断できました。 即座に助手席に居た息子の安否を確認しようしたのですが、 そこには息子の姿がありませんでした。 子供の名前を叫ぶと、助手席の足元から「痛い」という声が。 息子は衝撃でシートから足元にずれ落ち、挟まれていました。 正直半狂乱になってしまいました。 あのときの私は完全に冷静さを失っていました。 13 :2/6 :2009/04/16(木) 20:28:54.94 ID:okCjfRgL0 589 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:44:13 半狂乱の私も足を挟まれて動けない事に気づきました。 動けない私は叫ぶしかなかったのです。 追突から時間にして1〜2分でしょうか。 いきなり運転席側の変形したドアを無理やり開けてくれた人たちが居ました。 緑色のヘルメットに迷彩服の数人の自衛隊員。 私の足が挟まれているのを知った後、何やらバールのようなもので運転席をこじって、 後ろにずらし私を出してくれました。 「息子が助手席の足元に挟まれてます!助けてください!」 お礼の前にそう叫んでいました。 すると若い隊員さんは運転席同様、助手席シートを無理やりはずし、 潜り込むように助手席に入っていきました。 他の隊員さんと大声で作業指示しながら懸命に救助されていました。 数分でしたが私にとってはとんでもなく長い時間に感じられました。 そして息子は挟まっていた車体から外に助けていただきました。 14 :3/6 :2009/04/16(木) 20:31:33.38 ID:okCjfRgL0 590 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:53:28 と同時に救急車と工作車が到着。 息子は救急隊の方にゆだねられました。 私も両足が痛くて立てなかったのですが、 せめてお礼だけはと思い、その隊員さんのもと這って行きました。 私「本当にありがとうございました!ありがとうございました!!」 自「いえいえ、当たり前のことをしただけです。怪我は治ります。 命が無事でよかったです」 その隊員さんをよく見てみると、右肩付近が黒く濡れている。 私「もしかして怪我されているんじゃ?」 自「え?ああ、潜ったときにチョット何かが刺さったみたいです」 隊員が体をひねって右肩を見せようとしたところ背中はさらにベッチョリと 濡れていました。普通に考えたら大量出血です。 それでもその隊員さんは笑いながら「チョット痛いだけです。大丈夫です」と。 その後私は息子と共に救急車で運ばれていきました。 15 :4/6 :2009/04/16(木) 20:33:18.57 ID:okCjfRgL0 591 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:00:20 息子は両足の骨折、私は右足の骨折でした。 治療が終わって息子のベットに行きました。 「よく泣かなかったね、がんばったね」 と声を掛けてやると、息子は 「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたよ」 冷静さを失っていた私は聞こえませんでしたが、 隊員さんと何やらムシキングの話をしていたそうです。 その為、息子は安心したらしく痛くても我慢できたそうです。 嬉しくて有難くてそこで初めて涙を流しました。 593 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:05:08 その後、救援に来ていただいた消防署に出向き、 その隊員さんの所属を教えていただきました。 駐屯地の場所をネットで探し出しました。 そのページを見ると「記念行事」なるものが2週間後にあることが判明。 怪我の治療状況と相談し、記念行事にお邪魔する事にしました。 16 :5/6 :2009/04/16(木) 20:36:18.81 ID:okCjfRgL0 595 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:13:21 初めて入る駐屯地。 意外と来客も多くビックリしました。 どこに行けば良いかも判らず、車椅子に乗せた息子とウロウロしてしまいました。 そのうち式典や訓練?が始まり、大砲や戦車の音にビックリ。 なんだか息子も私も楽しんでしまっていました。 午後になっても結局ウロウロ・・・。 と、その時1人の隊員さんが声を掛けてきました。 大怪我をしてまで息子を助けてくれた隊員さんでした。 ニコニコした笑顔に私は男ながら涙がこぼれてしまいました。 「あの時は本当にありがとうございました!」 この一言がどれだけ言いたかったか、息子の回復振りを見てもらいたかったか。 色々とお話を聞かせていただきました。 背中の怪我は何かが刺さったのではなく、車体の金属部分で切った事。 17針縫った事。助けられて自分の子供のように嬉しかった事。 私にとっても息子にとってもそこに居たのは正にヒーローでした。 17 :6/6 :2009/04/16(木) 20:37:39.37 ID:okCjfRgL0 597 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:20:28 その後その隊員さんは普段訓練で乗られている緑色のバイクを見せてくれました。 足が完治していない息子を抱き上げ、一緒にバイクに跨ってくれました。 そのときの息子の顔はとても嬉しそうで、一緒にバイクに乗っている隊員さんは まさにテレビに出てくる戦隊物のヒーローに見えました。 その時一緒に撮らせていただいた写真は、息子の宝物になっています。 ムシキングよりも自衛隊のお兄ちゃんの方が大好きみたいです。 599 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:23:48 長々と書いてしまってスミマセン。 もちろん実話です。 自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、 少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。 たった1家族の小さな力ですが、私たち家族は自衛隊の皆さんを応援します。 出典:自衛隊の良い話 リンク:http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1239879630/l50 |
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