3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』 (泣ける体験談) 24390回

2011/05/16 18:59┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:達也さん
3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』


前日の夜中に愛子小学校に連れて来られ、まだ目の前で起こった事が信じられないのと、体を突き刺す寒さでほとんど寝る事ができないまま朝を迎えた。

震災が起きてからまだ家族に連絡がつかない・・・
しかし明け方に運良く会社の社長と連絡がとれ、そこから避難場所である愛子まで迎えに来てもらえ、着替えを借り名取市役所に向かう事できた。

市役所はみんな情報を求めてすごく混雑してたが、いとこの叔父・同級生・知り合いとかに会い、お互いの状況を話しながら少し元気を分けあった。

依然として家族の安否が分からない中で行く場所もなく、情報も市役所に集まるということだったので、叔父と行動を共にしながらずっと市役所にいた。
市役所内のテレビには津波の被害が映っていて、若林区で200〜300の遺体がすでにあり、閖上小・中含め至るところで避難した人が孤立しているということだった。
それを見て不安で不安で仕方なかったが、それと同時に何もできない自分にも腹が立った。

午後になり、自衛隊の方達の懸命な作業により閖上小学校・中学校に避難した人達を市内にある別の小学校・中学校にバスで移動させるという情報が入ってきた。
そして夕方にバスでの移動が始まったが、誰がどこの小・中に行ったのか分からない・・・

移動した人達の名簿がまだ市役所に集まってないのだ。

「早くしてくれ!」
と、どうしようもないイラ立ちの中、時間だけが過ぎていった・・・

その時、親戚の人に声をかけられた。
『お母さん“達”と子供たちは中学校にいて無事だったよ。』

ガソリンが無い中わざわざ見てきてくれたみたいだ。その言葉を聞いてみんなが無事だと思い、安心して体の力が抜けた。それと同時にまた親戚の口が開き、地震や津波以上の絶望感が俺を襲った・・・

『お母さんと“婆ちゃん、叔母さん”、子供たちは無事だったけど、いーちゃん(嫁)は津波に流されたみたい・・・』

耳を疑った・・・

そっちの“達”だったのかよって思った・・・

そしてすぐ、去年家族で近くのプールに行った時の嫁の言葉が頭をよぎった。

『あたし、泳ぐの苦手なんだよね・・・』

その瞬間発狂しそうになった。
パニックというより、頭が割れそうになるくらい痛くなった。
けど、それに気付いた叔父に子供たちを迎えに行こうと言われ、必死に気持ちを抑えつけ子供たちの避難場所に向かった。

避難場所に着き、まず母と響(下の子)・いとこの叔母、婆ちゃんを見つけ再会の喜びで涙を流した。

響は今年3歳になるまだ小さな子供で、俺よりもずっと怖かったはずなのに、それにも関わらず俺が涙を流してる時に俺の頭をなでて笑ってくれた。

それで余計涙があふれ、
『無事で良かった・・・あの時、側にいてやれなくてごめんな。』
と言いながら響をギュッっと抱き締めた。

少し落ち着いてから一緒にいた母に

『ひかり(上の子)は?』

と聞いたら、どうやら移動するバスが別々だったらしくどこにいるのか分からないらしい。
ただ分かった事は、ひかりは母の友人と一緒にいるとのことだった。

どこにいるのかという不安な気持ちの中、叔父や母とこれからどうやってひかりを探そうか話合っていた時、同級生のTがひかりと母の友人を俺のとこに連れて来てくれた。
そこで再び涙を流した。

T本当にありがとう。
あの時、俺はTと友達で本当に良かったって思ったよ。
ひかりを連れて来てくれて本当にありがとな。

少し落ち着いて母から地震当日の話を聞いた。

当日は嫁や子供たちと一緒に避難してたらしく、嫁は上の子を母の友人に、下の子を母に先に預けたらしい。
そして母と下の子はいとこの家、上の子と母の友人は小学校に避難したらしいが、嫁もいとこの家にあとちょっとでたどり着くというところで母の目の前で津波に流されてしまったらしい・・・

母は泣きながらひたすら俺に謝った・・・

けど、
『まだ死んだって決まった訳じゃないし、きっと生きてるって』
と言って母に負担を与えないようにした。
ホントは俺自身不安で不安で仕方なかったが、それがその時言えた自分なりの精一杯の言葉だった。


夜になり、いとこの知り合いが働いてる市内の会社でお世話になることとなり、その夜は嫁の事を心配しつつ、子供たちと一緒に少しだけ寝た。


13日からは絶対嫁が生きてると前向きに気持ちを切り替え、子供たちにこれ以上不安を与えないよう普段以上に明るく振る舞おうと心に決め、嫁探しを始めた。

3月13〜18日は午前中は子供たちと遊んで少しずつ笑顔を取り戻し、午後からは保育所で行方不明者の手続きを済ませたり、閖上へ行って変わり果てた景色を見ながら自分の家があった場所を見たり、いとこの家の片付け、市役所に行って情報収集したり、遺体安置所に行ったりした。

テレビの取材も3社受けた。絶対生きてると信じた嫁に、俺や子供たちが元気であることが届くようにと願いを込めながら・・・

そして、友達・知り合い・YBCのみんな・市役所で会った人達・・・俺が知ってる人達みんなに嫁を探してもらえるようお願いをして、さらにそこから俺とは全く繋がりのないみんなの友達、知り合いにも連絡をしてもらえた。

テレビを見た地元の人達からも協力すると声をかけられ、地元の顔見知り程度の人達からも協力すると言われた。
その言葉がすごく嬉しく、さらに前向きな気持ちになれた。

この時程、友達や仲間、地元の繋がりのありがたさを実感したことはないし、こんなにも素晴らしい人達に会わせてくれた閖上に生まれて本当に良かったって心の底から思った。


よっぺのブログを通して申し訳ないけど、あの時協力してくれたみなさん。本当にありがとうございました。
みなさんにご協力してもらえたおかげで、前向きになれ、毎日頑張る事ができました。
本当にありがとうございました。



そして震災から8日目の3月19日。
探していた嫁と再会することができた・・・


出典:ゆりあげの復興支援ブログ
リンク:http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/archives/51726717.html
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