ゾンビバスター (恐怖の体験談) 24086回

2011/09/28 15:08┃登録者:痛(。・_・。)風◆pvNbTqv.┃作者:名無しの作者
自分で言うのも何だが、俺は超真面目な高校生だった。学校にきちんと通い、将来について考え、堅実な人生設計をたてて生きていくはず……だったのに、何の因果か戦場に放り込まれた!! 誰か、助けてくれー!! 



・・・・
・・






1話:就職先は戦闘部隊
 どうする、どうすれば良い? 考えるんだ、俺!

 心臓は胸板を突き破って飛び出しそうなほどバクバクしている。
 パニックに陥らないよう、必死で自分に言い聞かせるが、不安と焦りは治まらない。
 落ち着け、落ち着け、と呪文のように唱え続ける。
「なんで二度目の実戦でいきなり単独行動なんだよぉ……」
 我知らず恨み言が漏れていた。

 今、俺が身を隠しているのは、廊下の曲がり角。
 必死で追跡者を振り切り、ここに逃げ込んだのが数分前のことだ。
 背中を強く壁に押し付けながら、「このまま壁と同化したい」なんて非現実的なことを切望する。
 この建物に入った瞬間から、ジメッとした空気のかび臭さと、強い消毒液の臭いに囲まれていた。
 それが焦りに拍車をかけた。自慢じゃないが俺の嗅覚は人一倍鋭い。いつもなら奴等(やつら)が近くにいれば臭いで分かるのだが、今回はそれが通用しないのだ。
 気づけば敵の接近を許し、苦戦した挙句に逃走せざるをえなかった。

 一度、外の仲間の下へ戻るべきか……

 他に良い案は浮かばない。逃げ回っているうちに、かなり建物の奥まで入り込んでしまっていたが、何とか戻るほかなさそうだ。
 肩越しに廊下の様子を伺っていると、突然「危ない!」という大声が響き渡った。
 驚いて振り向き、咄嗟にしゃがみこむ。考えるよりも先に身体が動いていた。
 医療用のメスを持った敵の手が、俺の身体のあった場所を空(むな)しく通り過ぎた。
 その背中に何発もの銃弾が撃ち込まれる。
 倒れてくる敵の身体をかわすために、俺は慌ててダッシュした。
「よぉボーズ。生きてるか?」
「……おっさん……」
 ニヤリと笑う悪人面の隊長(おっさん)を見て、安堵した。安堵した自分に腹が立った。そもそも俺がこんな所にいるのは、このオヤジのせいなのだ……!

***

 三ヶ月前まで俺は、定時制高校に通うごく普通の高校ニ年生だった。
 周囲が進学や就職で慌しくなっており、俺自身も自分の進路をどうしようか悩んでいた。
 と言っても就職先をどこにするか悩んでいただけだ。
 身寄りの無い俺が大学に行けるわけがなかったし、行きたいとも思わなかった。 
 ある日、俺の通っていた高校で「就職説明会」が行なわれることになった。
 色々な企業の採用担当者がやって来て、事業内容や採用についての説明会を行なうという。
 参考のために俺も参加してみることにした。
 しかし肝心の説明会の日に、普段から夜型人間だった俺は寝坊してしまったのだ。
 慌てて会場である体育館に向かうと、ドアの外でタバコを吸っているオヤジが居た。

 誰だコイツ?

 開け放したドアの向こうで、何人もの採用担当者が学生相手に熱心に話しこんでいるのが見えた。
 皆ビジネススーツに身を包み、真面目そうな顔に笑顔を浮かべている。
 だが、このオヤジは。
 着古したTシャツにジーパン姿で、無精ひげを生やした顔に浮かんでいる表情はお世辞にも愛想が良いとは言えない。
 と言って父兄でもないだろうし、不審者なら教師(せんせい)たちが黙ってるわけないだろう。
 全くもって、この場に似つかわしくない存在であった。
 そいつは俺を見つけると、値踏みするような目つきでガンを飛ばしてきた。
 気が短い俺はムッとして睨み返したが、外から見てもこのオヤジが筋骨隆々であることは明らかだったので、何も言わずに黙っていた方が得策だろうと判断した。
 しばらく睨みあっていると、ふいに奴が近づいてきたので俺は緊張で身を硬くした。
 ところがそのオヤジは俺の肩に両手をバーンと−−思わずよろけてしまうほどの力強さで置くと、「決めた!」と笑顔で叫んだのだ。
「はっ?!」
 混乱して唖然としている俺の目の前で、オヤジがニヤリと笑った。

 笑顔ですら胡散臭ぇ……!

 俺がそう思った次の瞬間、下腹部に重い衝撃を受けて視界が揺れた。
 一瞬遅れて痛みが全身を貫(つらぬ)き、急速に意識がブラックアウトしていった。
 殴られた、そう理解する前に俺は失神したのだ。

***

 俺が拉致され、強制的に入隊させられたのは、ある国の政府の機密機関だった。
 主な仕事内容はゾンビの駆逐。
 ZO・N・BI。
 俺は自分の耳を疑ったね。宇宙旅行ツアーが企画される現代にあって、ゾンビですか? と。
 隊長は疑っている俺を、「実際に見りゃ早ぇだろ」といきなり西アメリカの小さな島に連れて行った。
 そこで嫌というほど現実を体験させられたのだ。ゾンビは実在した。
 俺の初めての海外旅行。初体験の思い出はゾンビで埋め尽くされた。
 腐りかけた肉体の甘ったるく酸っぱい思い出だ。

 この機密期間−−「S」と呼ばれていた−−には八十名弱の隊員が居た。
 志願して入隊した者、スカウトされて入隊した者。
 そして隊長が「政府関係の採用担当者」という名目で就職説明会等に潜り込み、見込みがありそうな若手を拉致してくるケース……つまり俺と同じ経緯で入隊した隊員も数名居た。
「あんたドコでもそんなことやってんのか!」
 思わず突っ込んだ俺に、隊長は
「あほぅ。『やぁ、ゾンビ倒さない?』なんて言って、ついて来る奴がいると思うか」
 と、しれっと答えた。
「それに一応、この隊の存在は国際的機密事項、ってことになってるからな」
 
 ……どーでも良いように付け足されたことの方が、重要な気がするのだが。

 まあ確かに以前の俺だったら、初対面の胡散臭いオヤジにいきなりゾンビの話なんかされたら、間違いなく通報していたと思う。
 しかし、拉致なんてことをしていて問題にならないのだろうか。というか犯罪だろう。
 他の隊員に聞いてみると、拉致した人間の家族にはもっともらしい嘘の就職話をしたり、多額の金品で決着をつけているらしい。
 また、拉致した人間が適性なしと判断された場合は離隊させることもあるそうだが、その際は口止め料としてかなりの金額が渡される。えげつない脅し文句と共に。
「まぁ、どこの国の政府もゾンビの存在は知ってるからね。離隊した人間が拉致されたことを訴えても握りつぶされちゃうのさ」
 アフリカ系アメリカ人のエリックは、コンピューター・ルームでエクレアにかぶりつきながらそう教えてくれた。
 ただ、隊長の強引なやり方は度々上層部でも問題になっているらしく、時々事務官だかの人が頭を悩ませているらしい。
 残念ながら俺は「適性あり」と判断された。
 身寄りがなかったので、面倒な裏工作をしなくて済むということも歓迎されたようだ。
 それからハードな毎日が始まった。
 戦闘訓練はもちろんのこと、外国語や社会情勢なんかについても、みっちり教え込まれたのだ。
 敵、つまりゾンビについてはマリアさんが教えてくれた。金髪碧眼の知的美人な女医さんだ。
 なんとこの人、隊長の元・奥さんらしい。
 なぜこの今世紀最大のミステリー夫婦が誕生したのかは、考えても永遠に分からないだろう。
 そういった問題は放置しておくのが俺の主義だ。
 マリアさんの話によると、ゾンビと言うのは何種類かタイプがあるらしい。

 一つ目は「死後、誰かに操られる」という映画に良く出てくるパターン。
 呪術者が死者の国から霊魂を召喚し、埋葬されている遺体に下ろす。
 そして意のままに操るというものだ。
 大抵、術者を倒すことで操られていたゾンビ達も解放される。

 二つ目は「死後、身体を乗っ取られる」というもの。
 他の人間の霊魂だったり、動物霊が死者の身体を乗っ取り行動する。
 こういう場合は身体と霊魂と、別々の方法で倒すことが必要になってくる。
 身体の方は簡単だ。中に入っている霊魂さえ居なくなれば、ただの腐乱死体に過ぎないのだから。
 問題は霊魂の方だ。とりついている身体がダメになると、別の死体にとりつこうとする。
 取り逃がしたり放置しておくと、次から次へと死体を渡りあるいてしまうのだ。
 そういう場合にそなえて部隊には聖職者が何人か所属していた。
 彼等は霊魂を浄化させるため、現場に結界をはり聖句を唱え続ける。
 普段、隊員たちのカウンセラーを穏やかな笑顔でこなしている神父や僧侶たちも、いざとなれば実働部隊と共に戦闘現場へ駆けつけるのだ。

 三つ目は「自らゾンビ化する」場合だ。
 これはよほどの執念を抱いて死んだ人間が、稀に引き起こす現象らしい。
 普通、恨みを抱いて死んだとしても、死んだ瞬間に霊魂というものは肉体から離れるのだ。
 ところがこの三つ目のケースの場合、離れるはずの霊魂が留まり続け、死ぬ前と同じように肉体を動かし続ける。
 「死人(しびと)がえり」「黄泉(よみ)がえり」と呼ばれることもある現象だ。
 ひどい時には、周囲の人間もそいつが死んでいることに気づかない。
 ただし、あくまで肉体の生体機能はストップしているので、徐々にではあるが異変に気づき始める人間も出てくるのである。
 実は倒すのが最も難しいのが、このケースなのだという。強い執念を抱いて死んだ、つまり現世への執着が異常に強い霊魂を浄化するのは並大抵のことではなく。
 聖職者グループと、武力グループの双方が死力を尽くして戦うのだという。
 経験の浅い俺には、それがどんな物か想像がつかない。願わくば自分がそんなケースに当たらないように祈るだけだ。

「ゾンビが発生する主な理由はこんなところだけれど。これが全てでは無いわ。まだ分かってない原因も存在すると思う」
 眼鏡を拭きながらマリアさんは溜め息をついた。
 しかし研究を進めている間にも、世界各地でゾンビは発生し続けている。
 ようやく部隊での訓練にも慣れてきたころ、とうとう俺にも出撃命令が下された

2話:俺の弱さと隊長と
 今回の要請は、I国という独立軍事国家からだった。
 廃墟となった病院の中で、ゾンビが異常発生しているという。
 一度に数十体以上のゾンビが発生するなんて、今までに無いケースだった。
 そのため依頼を受けた本部は、原因究明とゾンビの駆逐のために、経験年数の高い隊員ばかりの精鋭チームを組みI国へ派遣した。
下っ端のペーペーである俺には関係のない任務だった。
 それに俺の目から見ても「最強」なんじゃないかと思えるほど頼もしいチーム編成だったから、気楽に「頑張ってください」なんて送り出すことが出来たのだ。

 そのチームからの連絡が途絶えた。

 本部は騒然となった。
 あり得ない−−毎日、施設の中をバタバタと政府関係者や上層部が行き交い、皆が口々に同じことを呟いていた。
 そしてついに、緊急命令(エマージェンシー)が下された。
 全ての実働部隊が全力でI国での作戦に参加する。原因究明とその解決、全てのゾンビの駆逐が終了するまで帰還は許されない。
 ことの重大さに、部隊の中に異様なまでの緊張感が漂った。
 俺だって、ニ度目の実戦でいきなり最大規模の作戦に駆りだされるなんて、気分が悪いどころの話じゃない。
 いや、最初の実戦は、ただ隊長にくっついて、守られて、圧倒されて。
 見ているだけしか出来なかったのだから、実質的にはこれが初めてと言える。
 不安で胃液が逆流しそうな俺に、漂う緊張感も全く意に介してない隊長が、あっさり言った。
「今回は全員、単独行動だからな」
「はっ?!」
 今までのケースと違い、今回はゾンビの発生原因や失踪した隊員の行方等、調査する対象が多い。
 なにしろ情報が少ないのだ。
 原因を探るには人手を使って広く探る方が効率が良い、ということらしい。
 おまけにゾンビの数が尋常じゃないぐらい多い。
 全駆逐が作戦の目的でもあるので、一体でも多くのゾンビを倒すため人海戦術で行くと。
 それにしても俺に単独行動は早すぎる、と必死で抗議したのだが。
 隊長は冷たい目で俺を見た。
「緊急命令(エマージェンシー)の意味を理解してないな、ボーズ。ま、平和ボケした国からやって来たお前じゃ無理ないかもしれんが。甘えるんじゃねぇ。『全てが終了するまで帰ってくるな』……つまり、任務の遂行のみが目的であって隊員の生死は二の次なんだよ。今、残ってる隊員の面(つら)ぁ見てみろ。組んで仕事できるほどチームワークの良い奴がいるか?」
 俺はショックを受けた。
 自分では冷静に自分の実力を評価して「単独行動は無理だ」という結論を出したと思っていたのに、隊長に「それは単なる甘えだ」と切り捨てられ。
 改めて自分が「戦闘部隊」というものに所属していることと、部隊の厳しさと非道さを実感した。
 隊長は、呆然と立ちすくむ俺を残してプイと言ってしまった。
 しかしその夜、自室のベッドの上で膝を抱えていた俺を訪ねてきた。ミネラルウォーターを持って。
 多分、俺が未成年でなかったらビールでも持って来るつもりだったんだろう。
「……恐いか」
 隣に座った隊長の方は見ないまま、無言で頷く。
「日本に帰りたいか?」
 俺は即答できなかった。しばらく足の爪先を見つめたまま考え込んでしまう。
 なかなか答えを出せない俺に、隊長は更に質問を重ねてきた。
「あのまま日本に残っていたとして、お前はどんな人生を歩もうと思っていた? やりたいことはあったのか」
 やりたいこと。
 そんなものは無かった。
 ただ、真面目に学校に通って、就職して、堅実な人生を歩む。
 それが幸せなんだと思っていたし、俺を育ててくれた孤児院の先生たちへの恩返しになると思い込んでいた。
 だけど「帰りたい」と即答できるほど、自分の国に執着が無くて。
 自分の人生にすら執着が無かった。
 隊長に言われるまで気づかなかった。
 もしかして俺は昼間のように、自分では自身を冷静に判断しているような気になって、その実、楽な方へと逃げているだけなんじゃないのか。
 「真面目」で「堅実」な生き方は、それが最も楽だから選ぼうとしていただけで、「恩返し」とか単なる言い訳なんじゃないのか。
 悩む俺の頭を一撫(ひとな)ですると、無言で隊長は出て行った。
 翌朝になっても、俺は答えを出せていなかった。
 流されるままに入隊してしまったが、ここに居る以上は自分に与えられた任務をこなそう。どうせ他にやりたいことがあるわけでは無いのだから、と思う気持ちと。
 自分が望んで入隊したわけでは無いのに……と隊長や本部に反抗する気持ちの両方を抱えたまま。
 とりあえずその問題は後回しだ。
 これから向かうのは戦場。「生」か「死」しか存在しない場所だ。
 余分なことを考えていると、命取りになりかねない。
 俺は腹をくくると、I国へ向かうヘリへと乗り込んだ。

 そして今に至る。

***

「お? ボーズ、武器はどうした」
 ショットガンを肩にかついだ隊長は、俺を見て訝しげに眉をひそめた。
「……襲われた時に落とした」
「落としたぁ?」
 気まずくて思わず視線を逸らしてしまう。
 部隊から支給されたのは二十二口径の拳銃だった。
 といっても、撃っただけでゾンビを倒せるわけじゃない。なんせ死体を相手にしているわけだから。
 一番手っ取り早いのは火炎放射器なりで焼きつくすことなのだが、コストもかかるし足回りも遅くなる。
 今回のように大量のゾンビを相手にしなければいけない時は尚更だ。
 そこで通常は、拳銃を使用する。
 物理的衝撃を与えることで相手の動きをしばらくの間止めることが出来るので、その間に逃げたり、ゾンビが発生する原因……例えばコントロールしている術者を倒したりするわけだ。
 隊員が使用する武器は基本的に二十二口径の拳銃だ。
 だが、それぞれの得意な武器を使うことも許されている。たとえば隊長のショットガンのように。
 他にも、フェンシングが得意なアレックスはサーベルを使っていたりするし、怪力自慢のライノはトマホークでゾンビを一刀両断する。
 こうまでされては、さすがのゾンビも行動不能に陥る。
 もちろん、俺は部隊で射撃訓練を受けている。
 ただ、訓練と実戦はやはり別物だ。弾を撃ちつくし、新たな弾を装填しようとした所を襲われ銃を落としてしまったのだ。
 そこから逃げ続けていたので拾いに行く余裕なんてなかった。
「……で、それがお前の武器か」
「ああ」
 逃げる途中で、俺は床に落ちていた鉄パイプを拾っていた。
 無数の敵に囲まれているのに、無手(むて)というのは非常に心もとない。こんなものでも多少は役に立つかと思い、拾い上げたのだ。
 だって、他にどうしろと言うんだ。
 「さすがサムライの国から来ただけあるな」と笑う隊長を、少し膨れっ面で睨みつけた。
 急に隊長が真顔になり、明後日の方向を見ながら顎を掻き、ポツリと言った。
「……銃が奴等(ゾンビ)に拾われてないと良いけどな」
「弾は込めてねーよ」
「ここに弾がないと、なぜ言い切れる」
 俺は言葉に詰まった。
 この病院が閉鎖されたのは、かなり昔の話だということだ。
 その後は格好の肝試しスポットとして地元の住人の間では有名だったらしい。
 それが最近になって突然、ゾンビが異常発生するようになったのだという。
 そこまではI国から送られてきた資料で認識していた。
 かつて肝試しに訪れた人間の中に、銃を持っている奴が居なかったとは限らない。
 その時の銃や弾が残っていないとも限らない。
 行方不明になった隊員の武器を、ゾンビが手にしていないとは限らない。
 隊長はそう言っているのだ。
「気づいたか?」
 隊長が横目でこちらを見ながら問いかけてきた。
「何を」
「奴等、メスを『使って』た」
「ああ」
「白衣を着てた奴も居た」
「ああ。でも、ここは元病院なんだから不思議じゃないだろ? 生前は医者だったとか」
「確かに。だがな。『白衣を着て埋葬される人間』って居るか?」
「……」
 俺は黙り込んだ。
 隊長の言うことは分かる。
 大抵ゾンビという奴は、墓から出たままの姿で攻撃してくる。
 故人が埋葬される時の服装は遺族次第だ。しかし一般的に白衣を着せて埋葬するのは普通じゃないと思う。
 よほど後世に名を成した医者とか。かなりの仕事好きだったとかなら分かるのだが。
 この建物の中で、俺が出会ったゾンビの中には、明らかに「ゾンビとして蘇ってから着替えた」と思われるほど、綺麗な服を着ている奴が居た。
 また、武器を使うゾンビというのはかなり珍しい。
 肉体が朽ちかけているが故に、ゾンビの側に武器を使うだけの筋力が無かったりするからだ。
 そのため素手で掴みかかってくるゾンビがほとんどだ。
 ……まあ、それだけでも一般人にとっては身の毛もよだつ光景なのだが。
「つまり……?」
 俺よりも経験豊富な隊長である。
 ひょっとして今回の事件の原因が分かったのかと、密かに期待しながら聞いてみたのだが。
 隊長はひょいと肩をすくめた。
「分からん」
 何とも頼もしい言葉だ。涙が出そうになってくる。
 しかしながら、俺はこのまま隊長にくっついて一緒に行動させてもらうことにした。
 鉄パイプ一本で外まで戻る自信は無かった。
 悔しいが、隊長と一緒であれば、ここよりもっと奥に進んでも何とかなるだろうと思える。
 もしかして、またさっきみたいに助けてもらえるかもしれない、なんて淡い期待を抱く。
 そんな俺の気持ちを見透かしたのか、ついてきても良いが自分の身は自分で守れよ、と言い捨てて隊長はズンズンと建物の奥へと進んでいった。
 俺は慌ててその背中を追いかけた。

3話:パーティー結成
「ここは?」
「……礼拝堂のようだな」
 隊長と一緒に辿り着いたのは、今までとは違う感じのする部屋だった。
 病院の建物は、より多くの患者を収納するために天井が低い構造になっていることが多い。
 人間が不安を感じるか感じないかの、ぎりぎりの閉所。それが病院という場所の間取りだ。
 ただでさえその影響で息がつまりそうなのに、廃墟の病院という不気味さがそれに拍車をかけている。
 しかしこの部屋は、建物の外側に増設されたような造りになっているせいか天井が高かった。
 なんだか今まで感じていた圧迫感がすっと引いていくようで、思わず天井を見回して息をつく。
 高い位置にある窓にはステンドグラスがはまっていて、通路の突き当たりには祭壇があった。
「こんな部屋まであるんだ」
「でかい病院だからな」
 そう。この病院はかなりの大きさだった。しかも無計画な増改築を繰り返したかのように、非常に入り組んだ造りになっていた。
 この礼拝堂は、中庭に突き出すような形で作られている。
 ここで、どんな人間が祈ったのだろう。
 患者の身内が家族を想って祈りを捧げたのか。亡くなった患者のために医師や看護士が祈ったのか。それとも、神にすがりたいと思った人間が自ら祈りを捧げたのか。
 油断なく構えながら辺りを探っている隊長とは裏腹に、俺はそんなことを想像していた。
 突然、静まり返った空気の中にバイブレーターの音が響き渡り、思わずビクッとしてしまう。
 外の仲間からの通信で、俺と隊長の通信機が同時に振動しただけなのだが。
 隊長がマイクをオンにしたので俺はイヤホンに集中した。
 隊員同士の通信は、全ての隊員の通信機に自動的に流されるので、俺までマイクをオンにしなくても隊長と通信係の会話さえ聞いていれば済む話なのだ。
「どうしたスタン」
『よう、ニール』
 通信係のスタンがニヤリと笑う様子が目に浮かぶ。ちなみに隊長のことを「ニール」と気安く呼べるのは、マリアさんを除けばスタンだけだ。
 詳しくは知らないが、この二人は古い知り合いらしい。
『そこに坊やも居るんだろ? 奴の発信機をお前が装着してるんなら別だが』
「ああ」
『じゃあ坊やもマイクのスイッチ入れな。面白いこと聞かせてやるから』
 何だろう。この人を喰ったオヤジと会話するのは疲れるのだが……と思いながら、しぶしぶマイクのスイッチを入れた。
「俺だよ」
『どうやらまだ逃げ出してないみたいだな、ボーズ』
 カラカラと笑うスタン。
 俺は知っている。
 部隊の中では密かに、今回の作戦で俺が逃げ出す時間が賭けられていたが、その賭けの胴元がこのオヤジだった。
「別に。逃げようとしたら戻れなくなっただけだよ」
 ブスッとした調子で告げた俺に、スタンはまた豪快な笑い声を響かせた。
 奴はヒーヒーと笑いすぎて咳き込みながら、話しかけてくる。
『やっぱ面白いなぁ、お前。ボーズに今回の調査で分かったことを教えてやるよ』
「それはどうも」
 めいっぱい疑わし気な声で返事をした。
 このオヤジは隊長に負けじ劣らじ胡散臭い。
 類は友を呼ぶ、とはこう言うことだろう。
『実はな……』
 劇的効果を狙っているのか、急に真面目そうな声になり、声を潜めるスタン。
 気づけば隊長が俺の隣に来て、耳をそばだてていた。
 別に側にくる必要は無いのだが……と突っ込みたい気持ちを抑えて、俺も息を殺してイヤホンに意識を集中する。
『その病院が潰れる前に院長やってた男。つまり最後の院長なんだがな……』
 続く沈黙。スタンの演出だと分かっていても、思わず固唾を飲んで聞き入ってしまう。
『……オカマだったらしいぜ』
 
 ……。

 石よりも重い沈黙。俺は脱力した。ああ、重力が重い……。
「で、要件は何だ?」
 また隊長は隊長で何ごとも無かったようにスルーしてるし。
 本当に疲れるな、このオヤジコンビは。
『やっぱニールだとつまんねーな。リアクション薄くて』
「いいから、さっさと話せ。ゾンビが近づいてきてる」
 隊長の言葉に、俺は慌てて立ち上がると辺りを見回した。
 依然として周囲は静寂に包まれているし、臭いに変化もない。
 だが隊長が「近づいてきている」と言えば、それは間違いないと思う。
 鉄パイプを握る手に力をこめた。
『実はさ。調査してて驚いたんだよ』
「何に?」
『情報が少ない』
 またしてもスタンのジョークかと、呆れてゲンナリしてしまう俺。
 だが、気のせいか隊長の顔が少し険しくなったような気がした。
『ボーズ。多分お前にゃ分かってねぇんだろ』
「何がだよ」
「……つまり、情報が統制されているということだ」
 スタンと俺とのやり取りを見ていた隊長が、静かに教えてくれた。
 これだけの規模の病院にしては、情報が少ない。
 情報部隊が本格的な調査を行なっているにも関わらず、大した成果が上がらない。
 それは大掛かりな情報統制が行なわれている可能性が大きいということだ、と。
『情報部隊随一の実力者スタン様が調べてるのに、得られる情報が少なすぎる。なぁーんかキナ臭いぜ今回の任務は』
 そう言いながらも、スタンの声にはどこか面白がっている響きが感じられる。
 性格には少々難があり付き合うのに疲れるオヤジではあるが、その実力は本人が言っているように情報部隊のナンバーワンである。
 そのスタンが調べても見つからないほど、完璧に情報を隠せる存在。
 それほど大掛かりな情報統制を行なえる存在。
 最も疑わしいのは「軍隊」や「情報部」であり、つまりその先にある「国家」だ。
「……と、すると依頼主のI国を調べにゃならんな。できるか? スタン」
『この天才的ハッカーの俺様に任せときな』
 「天災」的ハッカーの間違いだろう、と俺は心の中で呟いた。

***

「さて。俺たちは俺たちで情報を集めないとな」
 スタンとの通信を終えた隊長が、こちらを向いた。
 俺は言い知れない不安を胸に、ただ頷くことしか出来なかった。
「そんなにビビるな、ボーズ」
 俺の頭に手を乗せて、隊長がいつもとは違う、こちらを気遣うような笑顔を見せた。
 こういう時は、この人もなかなか魅力的に見えることを認めざるを得ない。
 きっとマリアさんも昔、ここに惹かれたんだ。
 隊長の後について礼拝堂を出ながら、そんなことを考えた。
 隊長は再び通信機をONにすると、メンバー全員に情報収集を最優先とさせる命令を出し、単独行動から数人ずつのグループ編成に切り替えた。
 そしてそれぞれのグループを、情報が残っていそうな場所、例えば院長室等の捜索に割り当てた。
「情報統制がされているなら、そんな所に証拠なんか残されてないだろうがな……」
 苦虫を噛み潰したような顔で隊長が呟くと、仲間の隊員は苦笑して通信を切った。
 それからしばらくの間は、隊員同士がお互いの位置情報を交換し、合流するための通信が交わされた。
 俺と隊長は引き続き行動を共にして、他に情報部隊から1人と、実働部隊から1人が合流することになった。
「マリア。聞こえるか?」
『ええ』
「医療チームからも何人か回してくれ。医学的な情報が出てきた時は、専門家に見てもらった方が良い」
『了解。私が何人か連れて行くわ』
 隊長は、眉を寄せて苦い顔をした。マリアさんを危険な場所に来させたくないのだ。
 別れたとは言え、まだ愛しているのだろう。
 普段からこの元夫婦は、どちらかというと隊長がマリアさんに気兼ねしている空気を漂わせていた。
「実働部隊。医療スタッフ2名につき1人ずつ、護衛として付き添ってくれ」
 そう言うと隊長は通信を切った。

***

 俺たちが居た礼拝堂にはドアが2つあった。
 病院の内部とつながっている側が、入って来たときのドアで。
 今、出てきたドアは中庭につながっていた。
 庭はコの字型に病院の建物で囲まれている。そして唯一、建物が無い場所は高いフェンスが立っていた。
「うわっ……」
 フェンスから下を覗き込んだ俺は、思わず声を上げた。
 外側に続くのは切り立った崖だ。視界が悪いせいを差し引いても、下が見えないほど高い崖だということが分かる。
 実は高所恐怖症気味である俺は立ちすくんだ。
「この病院は山の上に建てられてるからな」
 墓石に寄りかかりながら地図を眺めていた隊長が言った。
 中庭の隅に墓地を見つけた俺たちは、そこを仲間との合流地点にしたのだ。
「たいちょぉ……俺の国だと墓石に寄りかかったりするのはタブーですよ。死者に敬意を払ってない、罰が当たるって」
「そうか? 俺の国じゃあ、墓地を散歩したり、子供が墓石の上に座って遊んだりするのは普通の光景だったがな。夜になりゃあ、墓石の上でヤッてるカップルも居たぞ」

 ……っこのエロ親父!!

 俺が赤面して睨みつけていると、隊長が「あれ?」という顔で俺を見た。
「まさかお前、どーて……」
「はーっい。お待たせしましたーっ」
 間一髪、隊長の質問をさえぎって飛び込んできたのは、情報部隊のナターシャだった。
 赤毛のショートカットで小柄な彼女は、弾むような足取りで近づいてくる。
 アーモンドのような形の目も相まって「猫みたい」という初対面の印象は、今も変わらない。
 その裏からゆっくりと歩いてくるのは、実働部隊のイサミだ。
 俺と同じ日本人。でも「同じ」というのが失礼なぐらい容姿端麗だ。
 長身で、雪のように白い肌。漆黒の髪の下から切れ長の目が射るようにコチラを見つめている。
 感情を表に出すことがない、クールビューティー。
 隊服よりも黒いスーツが似合うよな、きっと。どこかの大企業の有能な秘書、とか。専属SP、とか。 そんな感じになって……
「くぉら」
「どぅわ!」
 ぼーっと考えごとをしていた俺の頭に、隊長がモバイルPCをたたきつけた。
 しかも角を垂直にゴスッと。
「あああ! 隊長、私のポピー君を手荒に扱わないで下さい!」
「こいつがボーッとしてるからだ。大体、情報端末機に名前なんてつけてんじゃねぇ」
「くっ……こんな攻撃にあったのは中学時代に広辞苑の角で殴られて以来だ……」
「……壮絶な思い出だな」
 PCを持った隊長の腕にぶら下がりながら抗議するナターシャ。
 頭を抱えて呻く俺を見下ろしながら呟くイサミ。
 気づけば、とても戦闘中とは思えないような、のどかなコントが繰り広げられていた。
「イサミ。ここに来るまでに、どのくらいゾンビを倒した?」
「二十体ほどでしょうか。聖職者たちの応援部隊も到着して、霊魂が逃げ出さないように敷地全体に結界を張っています」
「そうか」
 頭をさすりながら隊長とイサミの会話を聞いていた俺だったが、背後で突然「きゃあ」と歓声が上がったので振り向くと、フェンスの側でナターシャが飛び跳ねていた。
「すごーいすごーい。私、高いところ好きなのよ」
 やはり猫か。猫娘かお前は。
「でも」
 クルリとこちらに向き直ったナターシャが、小首を傾げる。
「普通の病院って、こんな山奥に作らないよね? 患者も職員も通いにくいもの。療養施設とかなら有りかもしれないけど」
 その言葉にドキッとした。
 陽気で天真爛漫な姿を見せたかと思うと、急にこんな的確な意見を吐いたりする。
 そんな時は彼女の緑色の目までミステリアスに見えてくる。
 本当に、猫みたいだ。
「ああ。で、俺たちがまず調べる場所なんだがな」
 隊長はグイッと顎をしゃくった。
「この墓地だ」

4話:交戦
 俺は生まれ育った日本の墓地しか知らない。
 似たようなデザインの墓石が並び、皆、表面に「何々家乃墓」と彫ってあるような奴だ。
 だから目の前の光景は、とても不思議な感じがした。
 ほとんどの墓石は、黒くて平べったいプレートだ。それが地面に埋め込まれている。
 ほぼ地面と一体化していて、周囲の丈の高い草に覆い隠されてしまっていた。
 プレートに彫ってあるのは名前と死んだ年のみ。
 実にアッサリしている。
 何枚ものプレートに取り囲まれるように、墓地の中央に石碑が立っていた。さっき、隊長が寄りかかっていたのがコレだ。
 文字も何も書いていない、これまたシンプルな石碑だった。
 地面に片膝をついてプレートを眺めていた俺に、イサミがこの国での埋葬方法を教えてくれた。
 墓穴(はかあな)は縦に長く掘り、布でくるんだ遺体を垂直に埋めるらしい。
 やはり土葬なのか。
 俺にとって「葬式=火葬」というイメージが強かったのだが。部隊に入ってから、むしろ世界的には土葬にする国の方が多いことに驚いた。
 実は日本でも、少ないながら土葬にする地域もあるらしいのだが。

 ……待てよ。土葬?

「ゾンビが出てきた跡が無い……」
 俺がつぶやくと、他の三人の視線がこちらに集中した。
 墓地は草が一面に生えている。もしゾンビがこの中から現れたならば、地面が掘り返されているはずだ。
「明らかにゾンビの数に比べてお墓の数が少ないしね」
 ナターシャも俺の側に来てしゃがみこんだ。
 病院の中には、ざっと数えただけでも五十体以上のゾンビが居たように思う。
 だが、墓石の数は彼女が言うとおり少ない。せいぜい四十個程度では無いだろうか。
 一体どこから来たんだ? あのゾンビたちは。
「それだけじゃねぇ。他に気づいたことは?」
 石碑の側に隊長とイサミが立ち、こちらを見下ろしている。
 俺とナターシャは目を見合わせた。何だろう?
 明らかに年長者ニ人は答えを知っていて俺たちを試している。
 ナターシャは小首をかしげて答えを待っていたが、俺は何となく試されているのが面白くなくて、目の届く範囲の墓石のプレートを読み始めた。
「西暦を見てみろ」
 イサミがヒントをくれたので、彫ってある数字のみを拾い読みする。
 そうして五分ほど経っただろうか。俺は一つのことに気がついた。
 全員、同じ年に死んでいる……!
 墓石に彫られている年はどれも、二十七年前の同じ日だった。
「I国が送ってきた資料によると、この病院が閉鎖されたのはもっと前のはずだったよな?」
 石碑に寄りかかりながら隊長がタバコに火をつけた。
「それだけじゃないよー。そのお墓の人たち全員、戸籍が消されてる」
 いつの間にかモバイルPCを開いていたナターシャが、地面に座り込みながらキーボードを叩いている。
「二十七年前と言えば、まだ戦争中でしたね。この国は」
 流れてきたタバコの煙にイサミが目を細めた。
 いつの間にか真剣な顔つきになり、意見交換を始めた先輩達に気後れする俺。
 新人だから仕方ないと思いながらも、取り残されたような気になって少し寂しかった。
 だから、無線機が仲間からの交信を受信した時は何だかホッとした。
『隊長。ちょっと良いですか?』
「どうした」
 交信は聖職者グループの護衛をしている仲間からだった。
『妙な話なんですけどね。神父様たちが言うんですよ。霊魂の存在が感じられない、って』
 俺たち三人は、思わず隊長に注目した。
「あぁ? どういうことだ、そりゃぁ」
 隊長も怪訝そうな声で聞き返す。
 どんなゾンビだろうと、倒すと霊魂が肉体から抜け出てくる。
 その霊魂が逃げたり、他の死体にとりつかないよう結界を張り続けるのが聖職者たちの役目だ。
 しかし普段なら結界内に漂い続ける霊魂の存在が、今回は感じられないという。
 困惑した彼等は、このまま結界を張り続けるべきか否かを隊長に問いかけてきたのだ。
 通常では考えられない事態に困惑したのは俺たちも同じだった。
 だが、念のために聖句を唱え続けるよう彼等に命令すると隊長は通信を切った。
 そのまま宙を見据えて考え込んでいる。
 ナターシャとイサミはそんな隊長を無言で見つめていたが、俺は何となく病院の方を見つめていた。
 すでに実働部隊が大方(おおかた)のゾンビを倒したのだろう。いつの間にやら銃声が止んでいた。
 それにしても、霊魂が無いゾンビだとは。
 本当にただの死体じゃないか。
 そもそも霊魂があるからこそ、死体はゾンビとして動くわけだろう?
 誰かに操られるにせよ、自ら動くにしろ、霊魂の意志の力があるからこそで。
 意志の無い肉体のみが動くなんて一体どういうことなんだろう。
 俺は電話したり、考え事をする時にグルグルと歩き回る癖がある。
 今も、この無限ループのような謎を考えながら無意識のうちに庭の中を歩いていた。
「いやぁっ!!」
 突然、鋭い悲鳴が背後から突き刺さる。
 驚いて顔を上げると、ほんの数メートルしか離れていない位置でマシンガンを構えたゾンビが立っていた。

***

「……っ!」
「バカ! 何やってんだ!!」
 頭が真っ白になり硬直してしまった俺に、隊長がタックルしてきた。
 ニ人の身体が滑った後をマシンガンの弾が追いかけ、石礫(いしつぶて)を跳ね上げさせる。
 俺は隊長に抱きかかえられるような格好のまま、繁みの中まで転がった。
 ナターシャとイサミの応戦する音が聞こえ、すぐさま隊長も身を起こしてショットガンを構える。
 今の衝撃で俺は身体中を地面にこすられ、特に頬を嫌というほど引きずられたはずなのだが。
 眼前で繰り広げられる戦いに恐怖し、あまりのショックと緊張で痛みなど感じなかった。
 ただ患部に、どことなくしびれたような灼熱感があるだけだった。
「これを使え」
 ゾンビを見据えたまま、隊長はアンクル・ホルスターからステンレス製のオートマチックを外して俺に差し出した。
 ずしりと重い銃を受け取った俺は、息を殺して身を低くする。
 低木の隙間から伺うと、いまやゾンビは礼拝堂の影に隠れたナターシャとイサミに注意を向けていた。
 ゾンビと言っても、まだ死んで間もない感じだ。遠目に見れば生きている人間と遜色ない。
 だからこそ、まだマシンガンを操れる筋力が残っているのだろう。
 俺と隊長は、繁み伝いにナターシャとイサミの居る場所まで移動することにした。
 敵の隙をついて攻撃する役は、隊長に任せる。俺のオートマチックは元々隊長が護身のために持っていたもので、予備のマガジンが無いからだ。
 撃っては移動し、撃っては移動する。
 そうしてジリジリとニ人との距離を縮める俺たち。だが、距離が縮まれば縮まるほどゾンビにとっては狙いやすくなる。
 そして敵の警戒心も強くなる。
 俺たちの攻撃を受ける度、ゾンビの服は流血に染まっていく。だが、膝を撃ち抜かれ、両膝をついている状態であっても奴の上半身はマシンガンを構え、油断無く辺りをさぐっていた。
 痛みを感じないがゆえ、最後の瞬間まで闘い続けることが出来るゾンビ。
 見た目よりも何よりも彼等の恐怖を感じさせるのが、この、倒しても倒しても立ち向かってくる姿だ。
 俺と隊長は墓地の石碑の影に隠れたまま、奴が隙を見せる瞬間を狙っていた。 
 ここまで来れば礼拝堂までは数メートルだ。
 息詰まるような緊張感。隊長の額には玉のような汗が浮かび、俺は浅い息をつきながら、耳の奥でガンガン響く鼓動で視界が揺れるほどだった。
 イサミが礼拝堂の影から顔を出し、ゾンビに向けて銃を撃った。
 奴の意識がそちらに向いた、その瞬間。
 俺と隊長は石碑の影から飛び出した。
「だ、わぁっ!」
 だがスタートダッシュを切ったはずの俺の足が地面に沈み込む。
 足元の地面が崩れ落ち、俺の下半身が飲み込まれたのと、驚いた隊長がこちらを振り向いたのは同時だった。
「わああああああああああ!!」
 とっさに伸ばした手が空(むな)しく宙をかき。
 俺の身体は突如現れた穴の中を滑り落ちていった。
 口の中に砂利が入り、崩れ落ちてきた土と小石が容赦なく顔を叩く。
 出来るだけ腕をたたんで顔をかばうと、そのまま落ちていくことしか俺には出来なかった。
 ひたすら痛みに耐えながら、どのぐらい落ちたのだろうか。
 急に穴が大きくなり、壁が土ではなく人工的なツルツルとしたものに代わった。
 後から考えてみればそれは、巧妙にカモフラージュされたトンネルだったのだ。
 しかしその時の俺は、身体を小さくし、落下の衝撃を和らげることしか考えていなかった。
 現れた時と同じように、穴はいきなり終わった。
 宙に舞う俺の身体。数秒間の浮遊状態。続く落下と、口から内臓が飛び出しそうなほどの重力。
 硬い床に投げ出された時、俺の意識も飛んでいた。

5話:病院の地下にあったもの
「う……」
 夢の世界を彷徨っていた俺は、寒さを感じて意識が現実の世界へと呼び戻されるのを感じた。
 目をこするために腕を持ち上げようとして、身体に走った激痛に息が止まる。
 急速に五感が研ぎ澄まされていく。暗くて辺りの様子は全く分からない。胎児のように丸まって横たわる俺の左半身は、固くて冷たい地面に押し付けられ痺れていた。
 つめていた息をゆっくりと吐き出し、今度は慎重に、そろそろと動き出す。
 どうやら打撲だけで出血はしていないようだ。
 まだ少しフラフラする頭を抱えながら、俺は胸ポケットから小型ライトを取り出した。
 細い光で周囲を照らしていると、離れた場所に通信機があったので拾い上げる。だが落下の衝撃で壊れでもしたのか、イヤホンからは何の音も聞こえなかった。
 自分がどのぐらいの時間、失神していたか分からない。おまけに仲間と交信することもできない。
 だが仲間たちは……少なくとも隊長は、俺が穴に落ちるところを見ていたはずだ。
 こんな時は下手に動き回らず、じっとしているに限る。
 俺は痛む身体をなだめつつ体育座りをすると、膝の間に頭を埋めて眠ることにした。

「……待たせたな、ボーズ」
 再び目を覚ました時には、それほど時間が経っていなかったはずだ。
 顔を上げると、シュアファイヤーという強力な懐中電灯を持った隊長がロープ伝いに降りて来るところだった。
 その姿を見たとたん、不覚にも俺の目には涙が浮かんできた。慌てて俯くと指先でこっそりと目尻を拭う。
「怪我はないか?」
 すぐ側に来た隊長を見上げて無言で頷くと、差し出された手にすがって立ち上がった。
「上は……どうなったんですか」
「ほとんどの隊員は病院の外で野営の準備をしている」
 野営。では、外はもう夜になっているということか。
「じゃあ建物内のゾンビは、あらかた片付いたんですね」
 しかし俺の問いかけに、隊長の顔には妙な表情が浮かんだ。
「それが、ちっとばかり妙なことになってな……」
 歯切れの悪い口調とは裏腹に、その顔はどこまでも真剣で、険しい。
 答えを催促して見つめ続ける俺の前で、隊長は上を向いて瞳を閉じた。
「襲ってきたゾンビの中に……ダンクが居たんだ」
「ダッ……!」
 俺は驚愕して目を瞠った。
 ダンク。ダンカン=マクドゥーガル。
 それは当初、この病院に送り込まれた精鋭部隊の仲間。
 四十半ばの彼は故国イギリスに妻子のある身で、「俺にも同じ歳の息子が居るからな」と俺のことを気にかけてくれる存在だった。
 この任務に出かける前に見せてくれた、父親らしい頼りがいのある笑顔が脳裏に浮かぶ。
「なんでダンクが……!」
「分からん。だが、もしこれが人為的なものであるなら……俺はそいつを許さない」
 呟く隊長の目には、部下を殺されゾンビにされたことへの怒りがたぎっていた。
 その厳格なまでの険しさは近寄りがたい冷たさを纏っており、俺は思わず息を飲んだ。
「ところで……ここは何だ?」
 急に隊長が顔を戻し、周囲を見回す。それにつられて隊長の手の中のライトが、穴の中をゆらゆらと映し出した。
 穴の中は左右に続くトンネルになっており、どこからか冷たい空気が流れ込んできていた。
 その幅は大人二人が並んで歩いても余裕があり、どこに続いているか分からないほど長かった。
「……行ってみるか」
 隊長はポツリと呟くと、懐中電灯をベルトに挟みこんだ。
 無線機のマイクを口元に引き寄せ、穴の外に居るであろう仲間の隊員たちに話しかける。
「俺だ。しばらくこの穴の中を探索してみる。一時間経っても戻らなかったら外に戻れ」
 そして油断なく銃を構えると、廊下を歩き出そうとして「ああ、そうだ」と俺を振り返った。
「ほら」
 手渡されたのは、使い慣れた二十二口径の拳銃だった。
 その重みに何となく安心した俺は、数歩先の隊長の後を追いかけた。

***

「行き止りだ」
 廊下の角を曲がると、すぐに行き止まりになっていた。
 しかし壁があったわけじゃない。廊下の先には何も無かったのである。
 そこだけ四角く切り取られたかのように、ぽっかりと穴が空いた向こう側に星空が見えていた。
「うわぁ……」
 穴の縁に立ち、恐る恐る下を見た俺は本気で腰が抜けそうになった。
 深い谷と、谷底を流れる川。下から吹き付ける冷たい風の勢いは、面食らってしまうほど強かった。
 どうやらこの穴は、崖の途中に空いているらしい。
 慌てて後ずさると、平気な顔で谷を覗き込んでいる隊長の背中を見つめた。
「すげぇな、これは……」
 感心したように呟くと、顎を押さえて何やら考え出す隊長。
 だが俺は、ここから立ち去りたくて仕方がなくなっていた。
「隊長、早く行きましょうよ……」
 我ながら情けないほど震える声で懇願する。
 こちらを振り返った隊長は、何だかビックリしたような変なものを見たような表情を浮かべていた。
 だが苦手なもんは仕方ない。何と言われようと仕方ない。
 高所恐怖症の俺が、命綱も無くこんな所に居られるもんか。
「あ、ああ。分かった」
 隊長は頷くと、驚いたような表情のまま穴の側を離れた。
 俺はその目つきが何だか気になったが、とにかくこの場から離れることで頭の中はいっぱいだったので、気にせず隊長の後を追いかけた。

 崖の穴から離れるにつれ、俺の心は段々と落ち着いてきた。
 廊下に響く足音の質が変わったことに気づき視線を落とすと、いつの間にか足元は、土ではなく人工的に整備された床に変わっていた。
「行くぞ。気をつけろ」
 曲がり角まで来た隊長が低い声で警告し、俺は無言で頷く。
 壁に背中をつけ、角の向こう側の気配を探っていた隊長は、意を決すると銃を構えて飛び出した。
 緊張の一瞬。だが、隊長がフーッと息を吐き出して身体の緊張を解いたので、俺も止めていた息を吐き出した。
 人差し指をちょいちょいと動かして俺を呼ぶ隊長に続き、角を曲がると、廊下の少し先に簡素な扉が現れた。
 開け放たれた扉の向こうに、病院内と同じような廊下と壁が続いている。
 俺と隊長は目顔で頷き合うと、扉の内部へと歩を進めた。

 その建物の中は、冷え冷えとした空気が満ちていた。
 白で統一された廊下と壁は、衛生的と言えば聞こえは良いが、病院というよりは何かの実験施設のようだった。
 窓も無く行き詰るような細長い空間が、どこまでも続く。
 十五分ほど歩いた時だっただろうか。ようやく目の前に、これまでとは違う光景が広がった。
 行き止まりの左手側に階段があり、上から微かな明かりが差し込んできている。
 そして俺たちの右側には、ガラス窓のはめられた実験室が現れたのである。
 見たところ室内には誰も居ない。
 隊長に続いてドアをくぐった俺は、呆然とその場に立ち止まった。
 俺に専門的な知識があるわけではないが、所狭しと並べられた実験器具が、比較的新しいものだということは分かる。
 部屋の奥に目をやるとドアのついた壁があり、その向こうに手術室や滅菌室があるのも見えた。
 だが俺の足を止めたのは、この室内に充満する濃厚な……血の臭い。
 あらゆるところに残っている「誰かが居た」痕跡。
 間違いない。この部屋はつい最近に使われている。
 俺を残して部屋の中を探っていた隊長が戻ってきた。
「科学的な証拠や、医療的な証拠は応援を呼ぶしかないな。だが、あの手術室に染み付いた血の臭いは……尋常じゃない」
 そこで口を閉ざした隊長が、じっと俺を見つめる。
「床の片隅に地下への入り口があった。……行くか?」
 俺の顔は青ざめたままだったが、隊長の瞳を見つめるとしっかりと頷いた。

 蓋も何も無い、地下への入り口。
 実験室の床下には牢獄が広がっていた。
 どうやら今は誰も収容されていないらしい。だが試しに動かしてみると、鉄の扉はスムーズに動く。
 今も現役で使われていることは疑いようが無かった。
 息を殺し、無言で歩く俺と隊長はやがて、牢獄の奥に黒塗りのドアを見つけた。
 ドアノブに手をかけて回してみる。鍵はかかっていない。
 俺は何かに吸い込まれるようにドアを開けた。
「おい!」
 隊長が慌てて止めに入る。何か罠があったらどうする気かと。
 だが俺は構わなかった。ここにそんなものは無いと、直感で理解していた。
 目の前の光景に、隊長ですら声を失って立ち尽くす。
 正方形の小さな部屋の中を、炎をたたえたロウソクが立ち並び、中央の祭壇を取り囲んでいた。
 祭壇に置かれているのは、蓋がガラス張りになった小さな黒い棺桶。
 その中には二歳前後と見られる少女が瞳を閉じて、静かに横たわっていた。
「……ロザリア・ロンバルド……」
 俺の口から掠れた声が漏れた。

6話:マリアさんの告白
「……ロザリア・ロンバルド……」
「あぁ?」
 俺の呟きに、隊長が声を上げる。
 ロザリア・ロンバルド。
 それは、イタリアにある、世界一美しいミイラの名前。
 彼女の肉体は朽ちることなく生前の姿を保っており、まるで眠っているだけのように見える。
 科学的には「死蝋(しろう)」と呼ばれる現象で、様々な要因が重なって出来た偶然の産物なのだが。
 死蝋化した遺体を「神に選ばれた聖人」として祀(まつ)りたてる輩も少なくない。
 半ば無意識に隊長に対して説明しながらも、俺は目の前の光景から目を離すことが出来なかった。
「じゃあイタリアにあるはずの死体がここにあるってことか?」
「いや……これはロザリア・ロンバルドじゃない。ただ、死蝋化した遺体であることは間違いないと……思う」
 そう。目の前の少女はロザリアではない。では一体これは誰なのか。
 黒い棺桶の中に横たわる、無垢な少女。
 だがその純粋さとは裏腹に、少女を祀る祭壇も周囲の空気も、禍々しいことこの上ない。
 俺は気分の悪くなってきた胸を押さえて、その場にうずくまった。
「おい、どうした……おい!」
 隊長の声が遠くに聞こえる。
 身体から冷たい汗が噴き出し、堪えるように目を閉じた瞬間、俺の意識は遠のいていった。

***

 ひんやりとした手が額に乗せられ、俺は再び目を覚ました。
「気がついた?」
「マリアさん……」
 俺を覗き込んでいた美しい顔が、慈愛に満ちた顔でニッコリと頷いた。
「貴方が自覚している以上に疲れてたのよ。身体は正直ね」
 起き上がった俺は、首を振って頭をはっきりさせようとした。
 白衣を着たマリアさんの、スマートな後姿を見つめる。白衣の裾から覗く美脚がまぶしい。
「あの、隊長は……」
「貴方を担いでここまで来た後、医療班と科学班をつれて例の実験室に行ったわ。私も行こうとしたら、ダメだって言われちゃった」
 肩をすくめて笑うマリアさんの顔は、どこか苛立っているようにも見えた。
 俺のことは放置していくつもりだったのか?
 物言いたげな俺の視線に気づいたのか、マリアさんが慌てて弁解する。
「ち、違うのよ。貴方は私がついていなくても大丈夫……じゃなくて、休息をとれば大丈夫だって分かってたから……テントの中で温かくして寝ていれば回復するし……えーと、つまり……」
 言えば言うだけドツボにはまると気づいたのだろうか。
 最後の方はもごもごと意味不明な言葉を呟いて口ごもったマリアさんは、真っ赤になって俯いた。
 意外と可愛いな、この人。
「マリアさん、何で隊長と別れたんですか?」
「えっ……」
 俺の質問に、完全に不意をつかれたマリアさんが顔を上げた。
 戸惑ったように視線を彷徨わせ、陰のある表情で俯く。
 俺も自分自身に驚いていた。なぜ急にこんなことを聞こうと思ったのだろう。俺に何の関係がある?
 他人のプライバシーに踏み込むなんて、いつもの俺からは考えられないことだったし、やってはいけないことだと普段から思っていたことなのに。
 返事がなくても当然だ。怒られても仕方が無い、と覚悟を決めていた俺は、マリアさんが返事をした時には心底意外に思った。
「……あの人、子供を欲しがらなかったの」
 小さくて弱々しい声。力なく微笑んでいたものの、その声には苦悩が込められていた。
 俺は何と言って良いか分からなくて、ただ「そうでしたか」と答えただけだった。
 だが、彼女の次の言葉には息を呑んだ。
「そもそも私と結婚したくなかったの、あの人」
「……」
「私から懇願して結婚してもらったのよ」
「……なぜ」
 マリアさんほどの美人であれば、引く手あまただったろうに。なぜ懇願してまで、結婚したがらない男と一緒になろうと思ったのか。こう言っては何だが、あの隊長はそこまでの魅力がある男とも思えない。
「理屈じゃないのよ。どうしようもなく惹かれてしまって……一緒になりたいと、思わずには居られなくなってしまったの」
 それはおおよそ、冷静で理性的なマリアさんらしからぬ台詞だった。
 恋、いや愛ゆえなのだろうか。
 俺には、今までの人生で、恥も外聞もないほど……理性的な考えを打ち消してしまうほどに、感情を高ぶらせたことが無い。
 経験もないのに簡単に相槌を打つことも許されないような気がして、黙ってマリアさんの話を聞いていた。
「私、知っていたのよ。あの人が私と結婚したがらない理由も、子供を欲しくない理由も。こんな仕事をしていると、いつ死んでもおかしくないでしょう? ……残された妻や子供に、夫と父親を亡くす悲しみを味あわせたくない。彼はそう考えているの」
 本当は優しい人なの、と微笑むマリアさんを見ながら俺は隊長を思い出していた。
 口が悪くて、ぶっきらぼうで、胡散臭いオヤジ。とても厳しくて、でも部下全員に対して正面から向き合ってぶつかるからこそ、厳しいんだということを俺は知っている。
 短い間、隊長と過ごしただけの俺でも知っているんだから、マリアさんがそれを知らないはずがない。
「そこまで知っていてどうして……」
 離婚なんか、と続けようとした俺の台詞は、再びマリアさんが口にした言葉に遮られた。
「理屈じゃないの」
 頭では分かっている。隊長の気持ちも、想いも。だけど自分の感情を納得させることは出来なかった。子供が欲しいという気持ちを抱えながら、その気持ちをどうにか抑えようと毎日を葛藤して過ごすことに耐えられなかった。
 俺はマリアさんの寂しい笑顔を見ながら、彼女の心を読み取っていた。

***

 テントの入り口に足音が聞こえ、俺とマリアさんは振り返った。
 幕を上げて上半身を覗かせたのは、ナターシャだった。
「良かった。目が覚めていたのね。……これから無線車の中で緊急会議なの。マリアにも来て欲しいんだけど」
 マリアさんが頷く。だが、俺はナターシャの顔を見て眉を潜めた。
 いつもの元気で明るい彼女らしくない。何か心に引っ掛かっていることでもあるのか、そわそわと落ち着きが無いし、顔色も悪い。
 血の気の無い顔は、赤毛のせいか紙のように白く見えた。
「ナターシャ。大丈夫なのか?」
 思わず疑問を口にした俺に一瞬ビクッとした彼女だったが、とってつけたような笑顔を浮かべると、わざとふざけた口調で言い返した。
「病人に心配されるほど落ちぶれちゃいないわよ。それよりスタンにからかわれるから、覚悟しなさい。倒れたことはもう、部隊中に知れ渡ってるんだからねっ」
 そう言うと彼女は出て行った。
 だが俺にはどう見てもカラ元気にしか見えなかった。
 俺はベッドから降りると、ブーツに足を突っ込んで紐をきつく締めなおした。

***

 マリアさんと一緒に無線車へ行くと、すでに主だった仲間たちが集合していた。
 その中心で、隊長が腕組みをして椅子に座っている。
「……来たか。座れ」
 俺たちは入り口に近いところに腰かけた。
 無線車の中に入るのは初めてだ。かなり広い車の内部は、様々な機器が所狭しと置かれていて、その隙間に隊員たちが窮屈そうな様子で収まっていた。
「ではこれより、あの実験室で俺たちが見つけたものについて情報交換をしたいと思う」
 隊長が重々しく口を開き、俺は慌てて意識を集中させた。
「科学班と医療班に、あそこにあったデータや器具を調べてもらった。そこで俺たちは、ある記録を見つけた。紙ベースのものからコンピュータに入ったものまで、膨大な量だったために持ち出すことはかなわなかったが複製はとった」
 隊長が高性能小型カメラを掲げ、科学班のエリックが数枚のMOを広げて見せる。
「これらの中身を確認し、総合的に判断して、俺たちは一つの結論にたどり着いた。これは……人体実験の記録だ」
 いつの間にか降り出した雨が、無線車の屋根を叩いていた。

7話:人体実験
 車内は重苦しい雰囲気が充満していた。
 それを破ったのは、マリアさんの声だった。
「人体実験? どんな?」
「……死者を思いのままに動かす実験だ」
 俺とマリアさんが息を呑み、他の隊員たちの顔がキュッと険しくなった。
「そこから先は俺に任せてくれねーかぁ?」
 緊張感のかけらも無い、間延びした声を発したのはスタンだった。
 無線車に全員が集まったときから、このオヤジだけはいつもと変わらない皮肉な笑みを漂わせており、両足をテーブルの上に乗せて、膝に置いたPCを操作していた。
「政府の機密情報にゃ、がっちりプロテクトがかかっててなぁ。さすがの俺様も骨が折れたぜ」
 もったいぶった様子でウインクするスタン。
「いいから、さっさと報告しろ」
「へーい」
 隊長に制され、肩をすくめる。
「初めに言っておきたいのは、これが政府主導の実験だったということだ。ことの起こりは三十四年前。当時この国は、長引く戦争に疲弊していた」
 隊員の顔を見回すスタン。この場に居る全員が、本部を出発する前に確認しておいたI国の歴史を思い返しているに違いなかった。
 約四十年前、I国に内乱が起こった。
 領土は狭いけれど豊富な資源を有するI国は、隙さえあれば攻め込もうとする国々に狙われていたため、強力な軍隊によって統治されていた。
 だが、その圧制に耐えかねた対抗勢力が、ついにクーデターを起こしたのである。
 それを好機と見た周辺諸国が侵攻したことにより、内乱は大きな戦争へと発展して行った。
「戦争が始まって六年。人口は激減し、軍隊は深刻な兵力不足に陥っていた。これが、当時のI国の人口データだ」
 スタンがPCをテーブルに乗せて、皆の方へ反転させる。
「見ろ。この人口ピラミッドと人数を。これじゃ持って三年だったろうな。戦況維持できたのは。ところが実際はこの後何年も戦争は続いた」
 I国の戦争が終了したのは二十五年前。実に十五年も戦争が続いたことになる。
 クーデターを起こした勢力は潰され、周辺諸国とは和平交渉を結び、I国は再び軍事政権によって支配されることになった。
 兵力が不足している状態で、なぜ更に九年もの年月、戦争をすることができたのか。
 それが……
 俺の思考を読み取ったのかのように、スタンが目を細めて頷いた。
「政府軍が考えたのが、死者の兵力化だった。いわゆるゾンビだな。……奴等は、捕らえたクーデター軍の兵士や敵国の捕虜を使って人体実験を行なった。国際法違反だな」
 俺は衝撃的な話に生唾を飲み込んだ。だが、スタンは相変わらず淡々と話を続けている。
 もっとも俺は、このオヤジに道徳的観念があるかどうか、以前から疑わしく思っていた。
 ある意味、予想通りの反応と言おうか。
「I国は廃墟になっていた病院をこの地に移し、実験の拠点とした。実験データを見ると、どれだけ政府が必死になっていたかが分かるな。科学者たちはオカルト的な手法まで取り入れている」
 フン、と馬鹿にするように鼻を鳴らしたスタンが、再びPCを自分の方へと引き寄せた。
「とにかく、奴等はある方法で死者をゾンビとして操ることに成功した。それが死体を死蝋化させ、脳に電極を埋め込む方法だ。手足など身体の末端組織にも超小型リモートコントロール装置を埋め込む。戦争で破損した部位は人口筋肉や人口組織に取替え、再び戦場に赴かせる。……あっという間に大量で再生可能なゾンビ兵の出来上がりってわけだ」
 不気味なほどの沈黙が辺りを支配した。
 静まり返った車内。しかし隊員全員の身体から、静かな、激しい怒りの炎が立ち上っていた。
 国際法違反どころではない。生きている間のみならず、死者の人権と尊厳まで踏みにじる行為に、皆が憤っていた。
 俺たちの仕事は死者と関わる仕事だ。だから尚更、死者の尊厳というものを尊重する。否、死者の魂を尊重する。
 己の身体を人体実験に使われ、死してなお安らかに眠ることを許されない人々。
 彼等の魂は、どれほど苦しんだことだろう。
「……だが、戦争が終わったのは二十五年前だろう。なぜ今更ゾンビが?」
 イサミが横目でスタンを見ながら尋ねた。
 面倒くさそうな顔でスタンがそちらを見て、これみよがしな溜め息をつく。
 彼が口を開くよりも先に、隊長が話し出した。
「二十七年前。戦争は終結に向かっていた。内乱は制圧し、周辺諸国とも和平交渉の席を設ける方向へと進んでいた。戦争が終わり、これまでの非人道的な実験が明るみに出ることを恐れた政府は、実験に携わった科学者全員を抹殺した。戸籍上の存在まで消し去るという徹底ぶりだ。……中庭にあった墓石は、その科学者たちのものだ」
 ナターシャがパッと両手で口を覆うと、大きく目を見開いた。
「おかしいと思わねーか?」
 再び口を開いたスタンに、隊長以外の全員の視線が集中した。
「そんな形で葬った奴等のために、わざわざ墓石を建てるか? 俺だったら穴掘って死体を放り込むね」
 スタンの言葉に沈黙する。
 では、誰かが後から墓石を建てたと言いたいのだろうか。だが、誰が?
「政府の機密情報では、科学者全員の抹殺が完了したと記録されている。だが、しばらく軍の中ではある噂が根強く囁かれていたらしい。……抹殺した科学者のリーダーは、実は別人だったという噂が」

***

 再び車内に沈黙が訪れた。
「その男ってのは? もう調べてあるんだろう?」
 噛みつくような口調で聞いたのは、ライノだった。
 隊長が頷き、「ナターシャ」と声をかける。
 彼女は少し飛び上がるように身を震わせ、「は、はい」と返事をすると『ポピー君』と呼んでいる愛用のモバイルPCを開いた。
「男の名前は、ビスコ=デファルジュ。生化学の権威でした。生きていれば現在、六十五歳になります」
 そこまで言うとナターシャは、躊躇うように目を伏せた。
「ビスコは自ら志願して、政府の実験に関わりました。彼が一心不乱に実験に打ち込む様は、鬼気迫るものがあり、同僚や政府関係者の間でも噂になるほどだったそうです。怪しげな呪術であっても手を出し、一見無駄と思えるような実験さえも試さずには気が済まない。躊躇無く捕虜や兵士たちを実験に使う。その態度には、政府関係者でさえ眉を潜めるほどだったそうです」
「だがゾンビ化に成功させたのはビスコだった。それで誰も奴に逆らわなくなったというわけだ」
 スタンは細巻き葉巻に火をつけると、煙を吐き出した。
 煙草嫌いなイサミが、漂ってきた紫煙に眉をしかめる。
「その、ビスコなんですが……戦争が始まってすぐの時に、妻子を亡くしています」
 ナターシャがゆっくりと口を開いた。
「彼の妻子は市街地での銃撃戦に巻き込まれ、命を落としました。彼の妻と……当時二歳だった娘が」
 稲妻のような感覚が身体に広がり、俺の胸の動機が早くなった。
 顔を上げると、俺と隊長の視線がぶつかった。
 お互いに相手の考えを確認しあう。同じ事を考えているのは間違い無かった。
 俺は首だけを巡らせてナターシャを見据える。
 開けた口からは掠れた声が漏れた。
「それが……実験室で見つけたミイラ……か?」
 目を伏せたナターシャが「恐らく」と呟いた。
「ビスコの娘の名は?」
「リザベス=エレン=デファルジュ。正確には二歳と三ヶ月で亡くなっています」
 飛び交う隊員たちの会話を、俺はしかし聞いていなかった。
 死蝋化した娘の遺体。人体実験。死者の再生。一心不乱に実験に打ち込む父親。
 ああ……そうなんだ。
 俺はある結論に辿りつき、上を向くと目を閉じた。
 あまりに単純で、それゆえに複雑で、歪んだ感情。
 ビスコは「娘を生き返らせたい」という狂気にとり憑かれた、優秀な頭脳を持つ、ただの父親だったのだ。

8話:スタン・カブレイ
 仮にビスコが政府軍による抹殺の手を逃れていたとしても、その後どうしていたのか。
 病院内に居たゾンビたちを生み出したのが彼だとして、なぜ今なのか。
「今はまだ、証拠が少なくて憶測の域を出ないが……全員、今夜はもう休め」
 隊長の声に、隊員全員が溜め息をついて立ち上がった。
 俺は身体の調子を取り戻すのが先決だということで、見張りの任務は免除された。
 他の仲間たちが見張りのローテーションを話し合っている間に無線車から出ようとした俺は、鼻先に銃口を突きつけられて後ろに飛びのいた。
 すぐ後に続いていたマリアさんにぶつかりバランスを崩し、更に椅子に引っ掛けて無様に倒れこむ。
 車内に響き渡った轟音に、全員がこちらを振り返った。
「お初にお目にかかる……かな。Sの諸君」
 開け放たれたドアの向こうには、銃を構えた軍服の男たちが車を取り囲むように立っていた。
 テントの中に居たはずの他の隊員たちが、銃を突きつけられ両腕を上げて雨の中に立っていた。
 黒い軍服を纏った屈強な兵士たちを従えて、くすんだ赤い軍服を身に着けた老齢の男。
 短く刈り込んだ白髪の下から、鷹のように鋭い眼光を放つ目。
 軍服につけられた幾多の勲章を見るまでも無く、その場の全てを圧倒する威圧感が「この場のリーダーは彼だ」と物語っていた。
「これはこれは。将軍閣下のお出ましとは恐れ入ったねぇ」
 相変わらずの憎まれ口を叩いたスタンの声に、俺は自分が床に転がったまま目の前の男を見上げていたことに気がついた。うろたえながら立ち上がり、脇にどく。
「私の顔を知っているということは……本日、我が軍のコンピュータに不正アクセスしたネズミは君のようだね?」
 目を細めて顎を上げた将軍の前で、みるみるスタンの顔が歪んでいく。
「くそっ。見つかっていたか……」
「我が軍の技術者たちを甘く見ない方が良い。君が侵入した当初からこちらは君の動きに目を光らせていたよ」
 悔しそうに歯をむき出して唸るスタンの傍らで、隊長が無表情で口を開いた。
「それで? 俺たちに銃を突きつけている理由は何だ?」
「それで、だと?」
 将軍は不愉快そうに口を曲げると、尊大な態度で告げる。
「国家の機密情報に不正アクセスし情報を入手した。……それだけで立派に処刑の言い訳は立つと思うがね」
「I国は依頼主だ。俺たちは依頼主の要望通り、ゾンビを駆逐する。だが依頼主が誤った情報を俺たちに与えた場合、依頼主に忠実である必要は無い、というのが俺の持論でな」
 両手の指で三角形を作った隊長が、その上に顎を乗せ静かに告げた。
 隊長と将軍。睨みあう二人の間で静かな炎が燃え上がる。
 車内の隊員は皆、緊張で身体をこわばらせていた。
 やがて重々しく口を開いたのは、将軍の方だった。
「……君たちの任務は終了した。つい先ほど国政会議で、この病院を建物ごと焼き払うという合意が得られたのだ。後の始末は我々に任せて帰りたまえ。報酬は契約通りに払おう」
 聞きながら俺は眉を潜めていた。
 なぜ突然? 焼き払うのであれば、元々外部組織である俺たちになんか依頼せず、さっさとそうすれば良かったではないか。機密情報まで見られるような事態にはならなかったはずだ。
 それとも……今まで、焼き払うことが出来ない理由があった?
「断る、と言ったら?」
 片眉を上げた隊長が尋ねる。
 将軍が無言で片手を上げると、後ろに控えた兵士たちの銃口が一斉にこちらを向いた。
 隊員たちが己の銃にサッと手を伸ばし、そのまま双方の睨み合いが続く。
 俺はとっさにマリアさんを背中に庇いつつ、腰の銃にそろそろと指を伸ばした。
 チラリと背後に視線をやると、彼女の顔は青ざめていた。だが俺は、その白くて華奢な手が銃を握り締めているのを見て目を丸くした。
 FNファイブセブンとか言っただろうか。訓練の時に見せられた銃に良く似ているそれは、スライドとグリップ部分に繊細な装飾が施されていた。
 花と蔦と……イニシャル? 明らかに特注品だ。
 戦闘とは無縁の世界に見える彼女の容姿とは不釣合いな、鈍い色の鉛の塊。
 一体この白衣のどこに隠し持っていたのだろう。
 自分の危機的状況も忘れてそれを見つめていた俺は、再びスタンの声で現実に呼び戻された。
「ちょーい待ち。アンタら、俺のハッキングに気づいたんだよなぁ? じゃあ置き土産の方は見つけたかい?」
 スタンが声を上げると、将軍は戸惑った顔で「置き土産……?」と呟いた。
 ニヤリと笑ったスタンは心底嬉しそうで、まるで歌うように言った。
「俺様のコンピューター・ウイルス。じ・げ・ん・ば・く・だ・ん」
「なっ……」
 細く口笛を吹くライノ。将軍は目に見えて狼狽していた。

***

「あと百時間でウイルスが活性化するようになってるんだよねぇ。そうしたらアンタらの機密情報、全世界に流れちゃうぜ」
 ニヤニヤ笑いながら言うスタン。
 だが、さすが年の功と言うべきか。将軍はすぐさま冷静さを取り戻し、落ち着き払って口を開いた。
「……仮にそれが本当だとしても、我々が君にウイルスを取り除かせればいいことだろう。仲間の命がかかっている状況で、それを拒否するかね?」
 その言葉に、兵士たちの銃がそれぞれ近くの隊員たちに狙いをつける。
 ああ。しかし。俺には分かっていた。そんな脅しが何の意味も持たないことを。
「俺にゃ関係ないね」
 ……ほらな。
 あっさりと言い切ったスタンの言葉に、将軍が怯んだ。
「なに?」
「俺にとっちゃ自分の命の方が他人の命より大事なわけ。仲間を殺すってんならどうぞ」
 驚く将軍とは対照的に、隊員たちは顔色一つ変わらない。
 皆、スタンのこういう性格を熟知しているから、彼の言葉を平然と聞き流していた。
「し、しかし、自分の命も狙われていることを忘れているのではないか?」
「俺を殺したら、正に自殺行為だね。他にウイルスを取り除ける奴は居ないんだから」
 将軍はそこで口を閉ざすと、フッと口元に笑みを浮かべた。
「見くびるな。我が軍にはいくらでも優秀なプログラマーが居る。貴様を殺したとて、ウイルスの除去など自力でやってみせるわ」
「俺の仕掛けたウイルスに気づけなかったような奴等に?」
 馬鹿にしたようにスタンが言うと、将軍はキッと口を引き結んだ。
 しかし彼は、あくまで自軍のプログラマーの方がスタンより上だと信じているようだ。
 その頑固な様子にスタンはやれやれと首を振った。
「あ、そー。そう思うなら殺(や)ってみれば? で、必死になってウイルス探し出して除去するんだね。このスタン・カブレイ様が作り出した『ルーシー』を」
 指を突きつけて挑発するように言われ、怪訝な表情を浮かべる将軍。
 しかし背後の兵士たちから悲鳴じみた声が上がり、ギョッとして振り返った。
「スタン・カブレイ?!」
「あのウイルス・メーカーか!」
「馬鹿な! 奴は一匹狼だ。組織に所属するはずがない」
「まさか……死んだと言われていたのに」
「それに『ルーシー』だと?!」
「十五年前に生み出されて以来、未だにワクチンの作られていない、アレか!」
 ざわざわと騒ぎ出す兵士たちを、驚愕の瞳で見回す将軍。
 その後ろでスタンが「死んでねーよ」と憮然として口を尖らせている。
 将軍はこちらに背を向けたまましばらく無言で立ちすくんでいたが、ようやく振り返ったときにはその表情が今までとは違っていた。
 警戒するような用心深い表情になり、畏怖と疑いのこもった瞳でスタンを睨みつけながらゆっくりと口を開く。
「……貴殿なら、そのウイルスを解除できると?」
 下手にスタンを刺激しないよう、慎重に言葉を選んでいるのが伺える。
「というより俺じゃないと無理だ」
 キッパリと言い切ったスタンの顔は、自信と嫌味に満ちていた。
「諦めた方が良いだろう」
 沈黙した将軍に対して、静かに声をかけたのは隊長だった。
「この男はうちの組織で随一のコンピュータ・スペシャリストだ。その情報処理能力、ハッキングともにずば抜けているが、中でも特に長けているのがウイルスに関すること……『他人に迷惑をかける』ことに関しては、本人の趣味もあるんだろうが……世界中の誰も適わない」
 若干、呆れたような疲れたような声で苦々しく言った隊長の言葉に、その場に居合わせた科学班の隊員たちが揃って頷いた。
 皆の顔に諦めの表情が浮かんでいるのを見て、俺は何だか可哀想に思った。
 将軍も、どう反応して良いのか分からないような困惑した顔で一同を見回している。
 言われたスタンの方は、相変わらず不遜な笑みを浮かべたまま立っていたのが印象的だった。

9話:ウィリアム将軍の告白
 長い長い沈黙の後、将軍は溜め息をついた。
 その目は「気に入らない」とでも言うように細く歪められている。
「それで、どうしろと?」
「まずそちらの作戦を中止してもらおうか」
 隊長が口を開いた。
 この病院を焼き払うという作戦の中止。だがそれを聞くと将軍は、左右に首を振った。
「それは無理だ。すでに国政会議で決定された事項に反対する権限は、私には無い。……だが作戦の決行を遅らせることは出来る」
「どのぐらい?」
「……ウイルスが動き出すまでの百時間は、保たせよう」
 隊長が横目でスタンを見ながら頷くと、彼は肩をすくめた。
 つまり、あと百時間で俺たちは調査を終了し、事件を完結させて帰らなければならないということか。
 先ほどは「今夜は寝て、後は明日」という雰囲気だったのだが……この分だと徹夜仕事になりそうだ。
「君たちが病院内で調査を行なっている間は、我々はここに居よう。そしてスタン殿を見張らせてもらう。万が一ウイルスを時間より早く作動させないか監視するためと、調査終了後に確実にウイルスを取り除くか確認するために」
「あーそりゃ無理だ。ここの機材じゃウイルスは仕掛けられても、解除はできねぇ。本部のコンピュータじゃないとな」
 あっさり言い放ったスタンに、将軍が口を閉ざす。
 スタンの話は尚も続いた。
「大体よぉ。それだと俺がウイルスを取り除いた後、テメェらに殺されることだってあり得るじゃねぇか。実働部隊もろともよ」
 将軍が口を引き結んだ。
 自分がそんな卑怯なことを考えていると疑われて怒っているようにも見えるし、もしかしたら、密かにその計画も視野に入れていたことを見抜かれたゆえのポーカーフェイスかもしれない。いずれにしろ、そこから何の感情も読み取れなかった。
 だが彼はスタンの言葉を否定はしなかった。
「つまり、君たちが調査を終え、無事に帰還するまでこちらには黙って見ていろと……こう言いたいのかね?」
 相変わらず感情のこもらない声で言う。
 隊長が答えるよりも先に、スタンが「平たく言えばそのとーりだな」と言った。
「……良かろう」
 葛藤の後でそう口を開いた将軍に、背後の部下が「将軍?!」と咎めるような声を上げた。
 振り向きもせずに片手を上げてそれを制した後、将軍は隊長を真正面から見据えながら「出来れば内密な話がしたい」と要求してきた。
「そう言えば雨の中にずっと立っておられる。どうぞ車内(なか)へ」
 片眉を上げた隊長が、掌を上に向けて無線車の入り口を指し示す。
「……」
 だが将軍は無言で隊長の指先を見つめている。心なしか顔つきが険しくなったような気がしないでもない。
 いや、それはそうだろう。「どうぞ」と言われたところで、扉を閉めてしまえば外界と遮断される無線車の中へ、しかも複数の敵が武器を所持して待ち構えている中に入ることを、どうして躊躇わずにいられるだろう。
 俺は隊長の挑戦的ともとれる申し出に、ハラハラしながら事の成行を見守っていた。
「……この中へ入れと?」
「ご不満かな?」
 緊迫した睨みあい。だが隊長が折れるはずが無いことは、俺が知っている。
 しばらくすると将軍は後ろを振り向き、部下たちに向かって「下がれ」と命令した。
 先ほどから敵意をみなぎらせて隊長を睨んでいた兵士たちだったが、将軍の言葉に何も言わず、車内の会話が聞こえない位置まで後退した。
 将軍は再びこちらを振り返り、腰のピストルを外すと無造作にそれを地面に放り投げた。
「扉は開けたままにしてもらおう」
「構わない」
 ズシリ、と重々しい金属音を響かせて将軍のブーツが車のタラップにかけられた。
 隊員全員が彼に敬意を払い、直立不動の形をとる。
 一人出遅れた俺は、慌てて椅子を引き寄せると将軍に勧めた。
 どっかりと座ってなお、少しも威圧感の衰えない彼は、座ったまま車内をぐるりと見回した。
 そして何やら言いたげな視線で隊長を見つめる。
 隊長も隊員たちに視線を巡らせる。ほとんどの気の利く隊員が、その場を離れて車外へと出て行った。
 だが俺は出て行かなかった。後から考えれば隊長の目配せの意味も推察することが出来たと思うのだが、とにかくその時はそんなことに気づく余裕は無かったのである。
 残ったのは俺と隊長とスタン、イサミだけになった。
 将軍がイサミを見て不満げな顔をしたが、彼は腕を組んで座っており、その瞳は固く閉ざされたままだ。どうあっても将軍の視線に気づくつもりはない、と言うことか。
 俺は将軍の背後に居るせいなのか、それとも若輩者だからなのか、全く意識されていないようだ。
 日本の学校生活で身に着けた、影が薄くて目立たない存在という雰囲気がこんなところで役に立つとは。
 将軍は苛立たしそうに鼻を鳴らすと、諦めたのか隊長に向き直った。
「これからここで話すことは、内密にしていただく」
「いついかなる場合も調査で得た依頼主の機密情報を漏らすことはしない。最初に交わした契約書に明記してあったと思うが」
「私は紙の上での契約を全面的に信用はしない。否定もしないがな。だが本来、契約というのは相手の人となりを見て行なうものだと思っている」
 昔気質(むかしかたぎ)、という言葉が俺の頭に浮かんだ。だがアナクロと言ってはいけないほど、その言葉には重みがあった。
 彼はこの言葉で、戦争を、人生を生き抜いてきたのだ。
 その言葉の重みがそのまま彼の人生の重み。俺ごとき若造の人生の重さでは、及びもつかない。
「……分かった。俺が改めて約束しよう。ここでの話は一切、外には漏らさない。同席する隊員については俺が全責任を負う」
 ややあって隊長が口にした言葉を、将軍は険しい顔で受け止めた。まるでその言葉を噛み締めているかのように、唇は一文字に引き結ばれている。
 その状態のまま数分が経過した。
 不意に将軍の身体から力が抜ける。張りつめた空気が霧散して初めて、俺は自分の肩に力が入っていたことに気がついた。
 そして驚いたことに、威圧的だった将軍が−−目に鋭い眼光をたたえていた将軍が、今はその鷹のような目に苦悩の色を浮かべて、低い声で語りだした。
「では君たちを信用して教えよう。この私、ウィリアム・バクスターと……ビスコ・デファルジュのことを」

***

 私とビスコは幼馴染だった。それこそ物心つかないうちからの付き合いだ。家が同じ地区だったし、父親同士も学友だったのだ。
 ビスコは昔から勉強のできる奴だった。私は義務教育終了後に軍隊に入隊し、彼は進学した。
 それでもお互い休暇で帰省したときなどは会って親交を深めていた。私たちの友情に変わりは無かった。彼が結婚してからも。
 実を言うとビスコに彼の妻ソフィアを紹介したのは私なのだよ。学問に集中すると周囲の世界も何もかも忘れてしまう彼を心配してね。正直、上手く行くとは思っていなかった。ビスコは女性と付き合ったことなど無かったから、彼女の前でおかしなことをするんじゃないかと不安だった。
 だがソフィアはビスコを気に入った。どこがそんなにウマが合ったのか、とにかく傍(はた)から見て不思議なほどに仲睦まじい、理想的な夫婦だったと言えるだろう。
 世間知らずのビスコをソフィアは上手く支え、無理なく彼の世界を広げることに成功したのだ。彼女のおかげで随分と彼は明るく社交的になったよ。
 そして彼等の間にリザベス=エレンが生まれ、幸せの形が完璧になった……その時に、あの悲劇が起こったんだ。
 ある日、ソフィアは娘をつれて買物に出た。まだ彼等の住んでいる地域にまで内乱の火の粉は飛んでおらず、比較的安全だったんだ。−−−−あの日までは。
 クーデター軍の凶弾により、ソフィアは即死。彼女は娘を庇うために、娘の身体を抱えて地面に倒れた。……クーデター軍の兵士やパニックに陥った住民たちがその上を走り……リザベス=エレンは圧迫死してしまったのだよ。

10話:ウィリアム将軍の告白2
 ウィリアム将軍は言葉を切ると、苦痛に歪んだ顔で溜め息をついた。
 あまりにも悲劇的な話に、俺は呆然と立ちすくんでいた。
 他の隊員たちも、真剣な顔で微動だにせず話に耳を傾けている。あのスタンですら今は神妙な顔つきで将軍を見つめていた。
 けれど彼等の顔を眺めているうちに、俺は違和感を覚えた。
 隊員の目に浮かんでいたのは、同情でもなく、悲痛な色でもなく、探るような気配。その視線がじっと将軍に注がれている。
 ウィリアム将軍は隊員たちの視線に気づかない。自分の膝に置いた両手を、伏し目がちに見つめる彼は、もはや自分の思い出の中に入り込んでいた。
 目を閉じて大きく溜め息をついた将軍が、再び口を開いた−−−−。

***

 ソフィアと娘を失ったビスコは、まさに抜け殻のようだった。
 私は上官にビスコを化学者として推薦し、軍の宿舎につれてきた。そうしなければ彼は遅かれ早かれ死んでしまっただろう。
 一日中、宿舎の部屋の中で身動きもせずに、座って宙を見据えているんだよ。時折口を開いてソフィアと娘の名前を呼ぶ。私が部屋に入っていくと、こちらを見て言うんだ。「ビル。ソフィーとリズの笑顔が見えるんだよ」と……たまらない気持ちだった。
 だから軍が「死者の兵力化」計画を打ち出したとき私は、真っ先にビスコに声をかけた。この技術を完成されることが出来れば、ソフィーとリズも復活させることができるかもしれない、と。
 言った私ですら、そんなことは信じていなかった。ただ彼にもう一度、生きて欲しかっただけなんだ。
 妻と娘を亡くして以来、初めてビスコの目に光が戻った。そして彼は真っ先に、二人の遺体を掘り起こしに行ったんだ。私も同行した。
 リズの遺体を見たときは、信じられなかったよ。ソフィアの方はもう、その姿を保ってはいなかったと言うのに。だがビスコは言うんだ。これこそが、自分がこの実験をするよう運命づけられている証だと。リズを蘇らせるのは自分だと。
 彼は常にリズの遺体を傍らに置き、昼夜を問わずに実験に打ち込んだ。
 そう、ビスコはどんな時であっても娘の遺体を側に置いておく。つまり……彼はあそこに居る。

***

 病院へ目を向けた将軍が、そう言って話を終わらせた。
 あの中にビスコが……では、俺と隊長がリズのミイラを見つけたとき……もしかしたら彼はすぐ近くに潜んでいたのだろうか。
 思わずゾッとした俺は隊長に視線を戻し、その眼光の鋭さに息を呑んだ。
「俺たちが聞きたいのは、その先だ」
 鋼鉄のように固い声で隊長に促され、将軍は戸惑いながら見つめ返した。
「先……?」
「軍がビスコの暗殺命令を出した時、彼を逃がしたのはアンタだろう。わざわざ替え玉まで用意してな。その後はビスコが実験を続けられるように密かに援助していたんじゃないのか?」
 将軍の顔がキッと険しくなった。
 無言で隊長を睨みつける。しかし隊長もスタンも、まるで怒っているかのように目に力を込めてその目を見つめ返していた。
「あの施設を見れば、つい最近まで実験が行なわれていたことが分かる。軍の内部にいたアンタだったらビスコを逃がすことは簡単だったろう。記録上、科学者全員の抹殺が終了したところで彼をここに戻したんじゃないのか? そして実験の継続を手助けした。戦争で随分と昇進し、権力を手にしていたアンタだ。誰にも知られずに便宜をはかることなんて容易だよな」
「実験用の死体は、アンタが調達したんだろう」
 隊長とスタンの言葉にも、何の反応も見せない将軍。
 否定もせず、肯定もしない。
 しかしその目は鋭く冷え切っていた。何かのきっかけで、控えている兵士たちの銃撃が始まってもおかしくない。まさに一触即発という状況だった。
 それを打破したのは、イサミ。
「……我々は貴方を責めているのではない。事実を確認しているだけだ」
 静かな声で告げると、切れ長の瞳でじっと将軍を見つめる。
「俺にもかつて、良き宿敵(とも)が居た。貴方の気持ちは分からないでもない」
 相変わらず腕を組んだままだったが、不思議と尊大な感じはせず、その目には将軍への理解が浮かんでいた。
 それを見て態度を和らげる将軍。イサミの方を見つめたまま再び口を開いた。
「−−−−その通りだ。ビスコの暗殺命令が出たとき、私は密かに彼をかくまった。だが彼は実験を継続させてくれと申し出たのだ。ゾンビ化の実験に成功したとはいえ、あくまでそれは兵士として使うことを目的としたものだった。娘を蘇らせるためには、もっと実験が必要だと。私も、ゾンビ化の実験を続けることは軍にとっても有益だと思った」
 将軍は舌で唇を湿らせた。
「その頃には私の軍での地位は、かなりのものになっていた。だから私は、本来取り壊す予定だったこの建物を残すことにして、こっそりビスコに明け渡した。実験のための備品や遺体は適当な理由をつけて軍から持ち出した。もちろん、ここの管理費も」
 俺は将軍の話を聞きながら情報を整理していた。
 ということはつまり、戦後、この病院の処置についてはウィリアム将軍が一手に担っていたはずだ。
 彼でなければ手を出せない建物。
 その建物を焼き払うことで国政会議が決定を下した。もしこれが、将軍の意向を無視して下された命令ならば、彼はビスコと実験データを安全なところに移しただろう。
 だが将軍は建物の中にまだビスコが居ると言っていた。それに、俺たちという外部組織にゾンビ駆逐の依頼を出したことも気にかかる。
 いつもなら歩き回りながら考えるのだが、今はそれが出来ないので、苛々と貧乏ゆすりをしながら考える。
 つまり……今回のI国の作戦は、将軍が「焼き払う」ことに同意したために決定した?
 ゾンビの駆逐を軍がやってしまうと、自分がこっそりビスコを援助していたことが露見してしまう。だが外部組織に依頼しなければいけないほど、事態は深刻だった。ということは、この建物の内部で起こっていることが、もはや将軍の手には余る事態になっていたということか?
「……ビスコに何があったんだ」
 俺の疑問は、我知らず小さな呟きとなって外に漏れていた。
 その場の全員の視線が、一斉に俺に注がれて思わず怯んでしまう。特に将軍は初めて俺に気づいたかのように、ギョロ目で凝視してくるので腰が逃げそうになった。
 不安げに隊員たちの顔を見回すと、隊長が俺を見ながら頷いた。
 相変わらず無表情で無言のままだったけれど、何だか励まされたように感じた俺は、口を開くために気合を入れなおした。
 声が震えないように、一言ずつしっかりと発する。
「将軍。戦後から今までずっと実験を続けてきたビスコに、何があったのですか? 今になって俺たちに依頼を出すほど問題化したゾンビたち。そして貴方はビスコもろとも、この病院を焼き払うことに同意した。彼に……そしてこの病院に、何が起こったのですか」
 俺の問いに将軍の目が見開かれた。その顔から血の気が引いていく。
 思い出したくもない事実を、思い出してしまった……そんな顔で自分の掌に視線を落とした将軍は、その口から掠れた声を絞り出した。
「ビスコが……彼が、ゾンビになってしまったのだ……」

***

「ビスコがゾンビに?」
「ああ。私は定期的にビスコに会いに来ていた。食料や実験材料を持ち込むためであったり、純粋に様子を見るためであったり。会えば二言三言、他愛も無い会話をしたものだ。だが、しばらく前のことだ。いつものようにここに来た私は、突然、ビスコに襲われた。思わず反撃してしまったのは身体に染み付いた条件反射のせいだ。すぐに私は親友を撃ってしまったことに狼狽した。しかし……彼は死ななかったのだ」
 青ざめ、わなわなと震える将軍。
「そして病院内に居たゾンビたちが次々に私を襲ってきた。私はここから逃げ出しながら、急に悟ったのだ。彼は……ビスコは自らゾンビになってしまったのだと」
 自らゾンビ化する−−−−それはよほどの執念を抱いて死んだ人間が、稀に引き起こす現象。
 確かにビスコは娘の復活に対して異常なまでの執着を見せていた。彼が自分の死期を悟り、自分の肉体を死屍化させ、ゾンビになった……あり得ない話ではない。
 だがそれならば、将軍を襲う理由は何だ?
「なぜビスコはゾンビになってしまったんだ?」
 両手に顔を埋めて俯いてしまった将軍を見ながら、隊長が静かに聞いた。
 肩を震わせる将軍の指の隙間から、涙が一粒、顎に伝って落ちる。
 しばらくして顔半分を両手の上に覗かせた将軍の目元は赤くなっていた。
「彼は知ってしまったんだ……ソフィアを殺したのは私だということを」

11話:名前
 遠い空の向こうで、重く響くあれは雷鳴だろうか。
 俺の脳はあまりのショックに現実逃避を起こしていた。将軍の姿を見つめながらも、俺の視界は遠ざかっていく。
 目の前の光景が見えてはいるが、視えてはいない……どこか遠くからこの場を眺めているかのように、ぼんやりと車内全体を見つめていた。
 うなだれた将軍。何を考えているのか分からないスタン。無表情で将軍を見下ろす隊長。腕を組んだイサミ−−−−イサミ?
 何となく隊員の顔を見回していた俺は、イサミが薄く目を開けて何かを警戒していることに気がついた。
 一体何を、と思ってその視線の先に目をやると、遠くにいる兵士たちが今にも飛びかかってきそうな勢いでこちらを睨みつけている。
 その時になって急に気がついた。車内の会話が聞こえない位置にいる彼らにとって、ここでの光景は将軍が急に狼狽し憔悴したようにしか見えないのだ。
 敵意むきだしの兵士たちとイサミをオロオロと見比べる。
 将軍、顔を上げてくれ! 兵士たちが限界を超える前に……!
 そんな俺の願いが通じたのか、将軍は再び背筋を伸ばして座りなおした。だが背後の様子には一切気づかずに、隊長に向かって語りだす。
「私も最初は、信じられなかった……信じたくなかった。あの暴動が起こったとき、軍部は鎮圧に乗り出し、その作戦に私も動員されたのだ。その時はまさかソフィアがあそこに居るとは思わなかった。鎮圧が終了し、収容された遺体を見たときはショックを受けた……だが、その身体から取り出された弾丸が軍の……しかも私の銃から発射されたものだと知った時……気が狂いそうだった」
 大きな溜め息をつき目に深い悲しみを宿した将軍の顔は、一気に老け込んで見えた。
「私がビスコの面倒を見たのも、罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない……そうすることで己の罪悪感を少しでも紛らわそうとしたんだ。分かっている……そんなものは自己満足に過ぎない。親友を騙し続けている自分は卑怯な偽善者だと、何度も苦しんだ。だが、どうしてもビスコに真実を告げることが出来なかったんだ……」
 虚ろな目をした将軍が、ゆっくりと語り終えた。
 それは勢いの強くなった雨音にかき消されそうなほど小さな声だったが、俺たちは皆、彼の声を聞き取っていた。
 スタンは首の後ろを掻きながら苦い顔をしているし、隊長は痛ましいものを見るような目つきをしているし、イサミは何かを達観したような静かで落ち着き払った顔をしていた。
「おっさんよぉ……アンタ、ソフィアって女に惚れてたんだろ」
「なっ……!」
 投げつけるようなスタンの言葉に驚いたのは、俺も同じだった。
 将軍が勢いよく椅子から立ち上がり、彼に詰め寄ろうとした瞬間。
 隊長が「止めろ、スタン。今回の任務には関係ない」と厳しい声を出し、将軍とスタン双方の動きを止めた。
「将軍、どうぞ椅子にお掛け下さい。−−−−イサミ、お前もだ」
 隊長の声に将軍が毒気を抜かれたような顔でフラフラと椅子に戻る。
 イサミは、将軍が立ち上がったのと同時に自分も立ち上がり、両手で二丁の銃を構えると車外の兵士に照準を合わせていた。その動作は滑らかで無駄が無く、恐ろしいほど素早い動きだったにも関わらず、強烈で鮮明だった。
「病院内に居たゾンビはほぼ片付けた。これより俺たちの目的はビスコ・デファルジュを倒すことに切り替わる。彼の実験データは我々の事後処理のために持ち帰らせてもらう。もちろん、内容が外部に漏れることは無い。ウィリアム将軍、貴方はビスコと共に実験データも闇に葬るつもりだったのだろう?」
 隊長の言葉に将軍が弱々しく頷いた。
「我々が本部へ帰る時間も含めると、約六十時間が作戦のタイムリミットだ。これから六十時間後までにこちらの作戦が終了しなかった場合……貴方は命令どおり、ここを焼き払って下さい」
 俺は目を丸くして隊長を見つめる。将軍も僅かに身をたじろがせた。
「だが……」
「もちろん、スタンはここに置いて行く。ここに残ることを希望する隊員も。もし我々が戻らなければ、彼等を本部に帰して下さい。スタンは本部に到着次第、ウイルスを解除する。だが我々が戻ってきたら、貴方は我々がここを去った後で、病院を焼き払う」
 有無を言わさぬ隊長の口調に、目を見開いた将軍が生唾を飲み込んだ。
 圧倒されたように「わ……分かった」と声を絞り出す。いまや隊長と将軍の立場は逆転していた。
 隊長は力強く頷くと、椅子から立ち上がり口を開いた。
「アンディを呼べ」

***

 ウィリアム将軍は待機していた兵士たちに指示を出し、野営の準備を始めていた。
 そして彼と入れ替わるように無線車に入ってきたアンディ。
 茶色の巻き毛に甘いマスク。常に微笑みを絶やさない彼は、戦闘部隊の隊員というより俳優かホストの方が似つかわしい。
 しかし彼は、なんとスタンの弟であり聖職者である。
 普段は隊員のカウンセリングを行なっている。俺は一度だけ彼のカウンセリングを受けたことがあるが、かなりいい加減な内容だった。さすがスタンの弟だけある。血は争えないと思った。
 けれど彼の外見についてはもう、遺伝子上の突然変異としか思えないほどスタンとはかけ離れている。
 この兄弟の親の顔が見てみたい。
 そんなことを考えながら眺めている俺の前で、アンディは額に指を当てて隊長の話を聞いていた。
「……つまり、ビスコは『意志持ち』のゾンビになってしまったのですね」
 将軍との約束どおり、隊長はビスコと将軍との軋轢については語らずに、ただビスコがゾンビの中でも最も倒すのが難しい『自らゾンビ化した』相手であることを伝えた。
 聖職者たちはこれを『意志持ち』と呼ぶ。
 俺が本部の食堂で、マリアさんに教わったゾンビの区別を復習している時、アンディは「そう言えば日本にはイシモチって魚が居るよね」と寒いジョークを飛ばしてきた。
 不本意ながらどうでもいい思い出を蘇らせてしまった俺は、生ぬるい視線で彼を見つめる。
 その俺の視線に気づいたアンディは、何をどう勘違いしたのかこちらにウインクをしてきた。
 それは、例えば彼が結婚詐欺師だとして、そのことを知っている女であっても一瞬クラッとしてしまうであろう魅力的なものだったが……俺はぐったりと脱力した。
「それで、ビスコが病院のどこにいるか分かっているのですか?」
「先ほど将軍から、可能性がありそうな場所を三箇所ピックアップしてもらった。隊員を三班に分けて突入しようと思う。聖職者たちは何人ずつ振り分けられる?」
「そうですね。ここに残る人数が私の予想通りだとすれば、一班に対して二人ずつでしょう。交戦になったところで全員がそこに集合すれば、意志持ち一体には充分かと」
「ビスコだ」
 将軍の言葉に、アンディの顔に不思議そうな表情が浮かぶ。
「彼の名前はビスコだ。『意志持ち』ではない」
 静かな隊長の声に、背筋を正したアンディが「失礼しました」と敬礼をする。
 俺も唇をキュッと引き締めた。
 かつて、マリアさんに同じ事を言われたことがある。
 死者もかつては生きていた。
 自分の時間を生きていた。
 だから隊員は、ゾンビの名前が分かった場合、できるだけ名前で呼ぶようにする。
 死者を「ゾンビ」「敵」「死者」という代名詞で呼ぶと、彼等が生きてきた時間も存在も、その言葉の影に追いやられてしまう。
 他の死者と一緒くたにして、彼等の人生そのものを無かったことにしてしまう。
 そうしないためにも、名前で呼ぶ。人の名前には、それだけの力があるのだと。
 もし彼等が、死んでからも己の人権を主張できるなら……きっと自分の名前を無視され続けることに我慢ならないだろう。
 だから隊員は、死者の尊厳を守るために、彼等の名前を呼ぶのだと。
 そのことを思い返していた俺は、ふとあることに気づいて愕然とした。
 
 俺は、部隊に入ってから一度も、隊長に名前を呼ばれていない……!!

 隊長が俺を呼ぶときは「ボーズ」か「お前」だった。そう呼ぶときの隊長の声には、俺への気遣いが間違いなくこめられていた。部下に対する愛情、心配、叱咤、励まし……。
 だが、このとき俺の胸の中に「自分の名前を呼んで欲しい」という願望が沸きあがった。
 そして「隊長を名前で呼びたい」という欲望も。
 俺もまた、部隊に入ってから一度も隊長の名前を呼んだことが無かった。「隊長」か「おっさん」と呼んでいた。
「ニール隊長」
 誰にも聞かれないよう、小さな声でこっそり呟いてみた。
 ニール隊長。今回の作戦中に、俺はそう呼ぶことができるだろうか。 

12話:作戦開始
 隊長の説明を受けた後、病院内部に突入する隊員は十五名になった。
 実働部隊九名、聖職者六名。科学班の隊員は全員、隊長の判断で残ることになった。
 俺の班は、隊長とイサミとアンディ。そしてもう一人、初めて見る女性が居た。
 長い髪を黒く染めているが、根元は金に近い色をしている。いわゆる「逆プリン」状態だ。
 美人と言っても良いぐらい整った顔をしていたが、すだれのような前髪が目をほとんど覆い隠していて、陰鬱な雰囲気を纏っているせいで台無しだ。
 名前はイシス。すぐに偽名と分かるが、俺に彼女の本名を追求する権利も必要も無い。
「この人数なら間に合いそうですね」
 アンディはメンバーの顔を見渡すと、俺たちの乗ってきたヘリから何かを運んできた。
 渡されたのは、拳銃。口径はいつも使っているものと同じようだが……?
「俺の銃に似ているな」
「あれが基本になっていますからね」
 イサミの言葉に、アンディが胸を張った。そう言えば彼は聖職者でありながら、武器をいじるのが趣味だったと思い出す。
 ということは、これはコピー品だろうか。
 アンディは「俺はいつものコレでいい」と言った隊長と二人の隊員−−ライノとアレックスに、「ダメです」ときっぱり言い切った。
「……なぜだ?」
「それはですね」
 アンディが口を開いたその時、「私も行くわ」と声がかけられた。
 皆が振り返ると、マリアさんが車内に入ってこようとしていた。
「マリア」
「私にも行かせてちょうだい」
 隊長の目の前に立ち、その顔を見上げるマリアさん。
 見つめ合う二人の雰囲気は、何か、邪魔をしてはいけないような感じがして、俺は固唾を飲んで見守っていた。
 だがその空気も「ダメですよ」とアンディによってアッサリと打ち砕かれる。
 マリアさんが眉間に皺を寄せて、咎めるような表情でアンディを見た。
 けれどアンディは、無言の抗議に臆することなく言葉を続ける。
「だってマリア、あなたはその銃以外は使わないでしょう?」
 彼女の右手には例の特注品の銃が握られていた。
「今回の作戦には、私が用意した銃以外は要りません。それともその銃を置いていきますか?」
 アンディの言葉にマリアさんが、ゆっくりと自分の手の中へと視線を落とした。左手を持ち上げ、そっと銃を撫でる。
「……マリア」
 奇妙なぐらいに無表情になった隊長が声をかけると、マリアさんが顔を上げて、二人の視線は一瞬だけ絡み合った。
 ぱっと踵を返したマリアさんが、つかつかと車の外へと出て行った。
 俺の脇を通り過ぎるとき、彼女が歯を食いしばって涙を堪えているのが見えた。   
「ああ、隊長。いつものショットガンだけじゃなくて、護身用のベレッタも置いていって下さいよ。ちゃんとコレを使ってください」
 演技なのか素なのか。気まずい雰囲気など無かったことのように淡々と話すアンディが、隊長の手をとってその上に例のコピー銃を乗せた。
 マリアさんの後姿から意識を戻した隊長が怪訝そうに眉を潜める。
「……なんだか軽くないか?」
「さすが隊長ですね。普通は気づきませんよ。弾丸が銀製なんです」
「銀?」
「ああ、だから普通の弾より軽いのか」
 後ろでライノが納得した声を上げた。
 アンディが頷く。
「銀は昔から魔除けとして有名でしたので、以前からゾンビに使えないかと研究していたんです。驚いたことに意外と効果があったんですよ。特に中に入っている霊魂に対して」
 だから今回はこの銃を使ってください、と念押ししたアンディの前で、ライノとアレックスが気まずげに顔を見合わせた。
 彼等は普段、トマホークとサーベルを使っている。それが最も得意であるからだが、反面、銃は不得手なのだ。
 隊長もそれは知っていた。その時点で二人は実働部隊から外され、人数は十三名になった。 
「これがビスコの潜んでいそうな場所だ」
 病院内の地図が広げられる。三箇所に赤いチェックがついていた。
 一つは俺と隊長が発見した実験施設。もう一つは院長室。地図には載っていないが、ウィリアム将軍によると実験施設と院長室は隠し階段で繋がっているらしい。
 最後の一つは小児科病棟の一室。ビスコはその部屋を、リズが蘇ったときのために飾り立てていた。また、部屋の窓からは中庭の墓地が見下ろせた。ビスコの妻の遺体は、そこに移動されているらしい。
 俺たちの班は、小児科病棟を調査することになった。ここからは最も遠く、更にビスコの潜んでいる可能性が最も強い危険な場所だ。
 いつものように隊長は、一番危険なところを自分の受け持ちにした。彼と同じ班に居る限り、俺の身の危険も大きくなる。だけど今回は、自分から隊長についていきたいと強く思っていた。足手まといにならないようにしなければ。俺は気を引き締めた。
 実働部隊が自分の銃とアンディのコピー銃を交換し、ベルトに差し込む。隊長は言われたとおりアンクルホルスターから護身用の銃を外してアンディに手渡したが、彼が見ていない隙をついてこっそりスタンのベレッタを借り受けていた。
 どうしても足首に銃が無いと落ち着かないらしい。
 聖職者たちが防弾チョッキを身につけ、全員に充電済みの無線機が行き渡ったところで作戦は開始された。
 タイムリミットは六十時間。

***

 無線車を出た俺たちは、病院入り口から建物内部に入ることになった。
 班のメンバーたちの一歩後ろからついていった俺は、イシスが手ぶらであるのを見て驚いた。
 流派や信仰にも寄るのだろうが、大抵の聖職者たちが現場に向かうときは道具を手にしていた。
 聖書であったり十字架であったり。聖水、数珠、それに神主がお祓いが使う大麻(おおぬさ)など色々なケースを見たが、これまで手ぶらの人間は見たことがなかった。
「イシス……は、何も持って行かなくて良いのか?」
 遠慮がちに声をかけた俺を、イシスがチラリと振り返った。
「必要ない」
 彼女の答えは、表情と同じく全く愛想のないものだった。
 俺はそれで納得するしかなかった。そもそも俺に宗教的知識は皆無だ。
「彼女はチャネラーなんですよ」
 前を歩いていたアンディが笑顔で振り返った。
「チャネラー?」
「そう。霊と交信できる人です。えーと……日本ではイタコと呼ばれる人々に近いかな」
 イタコ。
 俺はまじまじとイシスの後姿を見つめてしまった。
 恐山、という単語が頭に浮かぶ。
 昔テレビでイタコが「口寄せ」をするところを見たことがある。高齢の女性が白装束に身を包み、テレビタレントの祖母の霊を呼び出す、というものだったが。
 恐らくイタコという言葉を聞いて俺が思うイメージと、世間一般の日本人が抱くイメージは同じはずだ。
「イシスに出会ったのは、数年前のある作戦に参加した時でした」
 頼んでもいないのにアンディが彼女との思い出を語り始めた。
「圧巻でしたねぇ。あの降霊術! まるで指揮者のように何体ものゾンビを自由自在に操るんです。イシスのせいで実働部隊と聖職者部隊の半数が全治四ヶ月という苦戦を強いられたものです」
「ちょっと待て」
 遠い目をしながらうっとりと当時の思い出を語っていたアンディに、思わず俺が突っ込む。
「イシスは……敵だったってことか?」
 おや、という顔でアンディが振り返った。
「ご存知ありませんでしたか」
「いや、イシスに会うの今日が初めてだし……」
「そう言えばそうでしたね。おっしゃるとおりイシスは以前、我々の討伐対象でした。しかしその霊力と実力の高さを目の当たりにして、私自らスカウトしたのですよ」
 にっこり笑ったアンディがイシスの肩に手を置いた。
 心なしか、俯いた彼女の頬が赤く染まっているように見える。
「……」
 言葉をなくし、無言で歩く俺。
 この部隊の隊員は、実に様々な経歴の持ち主が多い。
 人間関係の複雑さも、もはや何を聞いても驚かないと思っていたのだが。
 改めて思った。一体この組織は何なのかと。
 しかしそれは、決して俺がその一員だということを嫌に思う気持ちではなかった。
 ああ。本当に。退屈とだけは無縁で居られそうだよ。
 俺は苦笑しながら皆の後をついていった。

13話:小児科病棟潜入
 俺が気絶したり地下をさまよったりしている間に、激しい銃撃戦があったのだろう。病院の内部は、最初に侵入したときよりも派手に荒れていた。割れた窓ガラスがブーツの下でジャリジャリ音を立てる。
 ほとんどのゾンビは倒したと言っていた通り、建物の中は静まり返っていた。俺達の足音が暗い廊下に反響しているが、今のところ襲ってくる敵に遭遇してはいない。
 目的の小児科病棟まであと半分、というところまで来た時だろうか。地下へ向かった仲間から通信が入った。
『――隊長。応答願います』
「どうした」
 その場に立ち止まり、即座に返答する隊長。アンディとイシスを囲むようにして、俺とイサミは周囲を警戒しつつ無線機から聞こえてくる声に耳を傾けていた。
『地下の実験室にたどり着きました。先ほど隊長が見つけたというリザベス=エレンのミイラなのですが……今は消えています』
「消えた?」
『はい。祭壇はありますが、ミイラがあったと思われる中央のスペースが空いています。ロウソクの火はついたままですし、そう時間は経っていないと思われますが』
 俺達は黙り込んだ。リザベス=エレンのミイラが消えた。ウィリアム将軍の言っていたことが事実ならば、ビスコは常に娘の遺体を側に置いておく。
 ビスコは娘を連れてどこへ移動したのか。
「分かった。引き続き何か手がかりが残っていないか調査してくれ。いいか、油断するんじゃねーぞ」
『了解(らじゃー)』
 ぷつ、と通信が切れた音がして、俺達は再び沈黙の中に取り残された。
 実験施設にビスコは居ない。残るは院長室か……俺達の向かう小児科病棟。
「……うっし。行くか」
 気合を入れ直した隊長の言葉に、俺達は無言で頷いた。

***

 この病院はいくつもの棟がある。ウィリアム将軍の話によると、元々が総合病院だったために大きな施設だったのだそうだ。そこに軍事施設として利用され始めてからの増築が加わり、さながら迷路のような作りになってしまったのだという。
 渡り廊下を抜けて小児科病棟へ通じる入り口を開けようとした俺の手を、イサミが押さえた。
 ほっそりした手に不似合いな力で急に手首を握られ、驚いた俺が顔を向けるとイサミは唇に指を当てて首を振った。
「え……?」
「敵が居る。恐らく三体だろう。俺がやるから、アンディとイシスの警護を頼む」
 思わず生唾を飲み込んだ。身体中から冷や汗が吹き出るような緊張感が、一気に全身を襲う。
 俺は慌てて頷くと、イサミにその場を譲りアンディたちの側へと下がった。
 イサミは扉に手をかけて、突入のタイミングを測っている。じっとりとした汗が滲み出る手の平に、銃のグリップが冷たく吸い付いてきた。
 全ては一瞬の出来事だった。
 イサミが勢い良く扉を開けた次の瞬間、三発の銃声が響き渡った。あまりに動きが早すぎたせいで、俺は、彼が体勢を立て直して引き金を引くその姿をしっかりと捉えることが出来なかった。
 銃声の余韻と硝煙の匂いの中で、息を張りつめて立ちつくす一同。
 やがて肩から力を抜いたイサミが銃を腰のホルスターに戻した。それと同時に俺の金縛り状態も解ける。
 恐る恐る扉の向こうに目をやると、腰骨を打ち抜かれ、立ち上がろうとうごめくゾンビが床の上に倒れていた。その手に銃が無いことを確認して、ほっと一息つく。滅びるまで闘争本能の衰えないゾンビは、地面に這いつくばった状態であっても寝たまま銃を撃とうとする。イサミが三発だけで攻撃をやめたのは、恐らく彼等が飛び道具を持っていないことを確認したからなのだろう。
 ゾンビたちは腕の力だけで身体を引きずり、俺達の方へと近寄ろうとしていた。腐った肉体から糸を引く液体が、粘着質な音を立てる。
 俺達は足早にその脇を通り抜けた。今、ここで彼等に構っている暇は無い。
「そう言えばですねぇ」
 歩く速度は上がっているのに、口調だけはのんびりしたままでアンディが言った。
「銃に装填してある特製の弾丸なんですけど、装填してあるだけが全部でストックは無いんですよ。だから大事に使ってくださいね」
「……そういうことは、もっと早く言え」
 前を行くイサミが、やはり歩くスピードはそのままで振り返って言った。珍しく眉間に皺を寄せて苛立たしげな表情をしている。
 だがアンディはそれを涼しい顔で聞き流した。やはりスタンの弟だ、こいつは。
 俺はチラリと隊長を見た。恐らく隊長も今、自分の足首にあるベレッタのことを考えているのだろう。
 銀製の弾丸を、ビスコを倒すためにとっておかなければいけないならば、通常のゾンビへの攻撃は隊長の……正確に言えばスタンから借り受けたベレッタを使うのが望ましい。
 しかし、ここでそれを言い出せばアンディに黙って銃を持ってきたことがバレてしまう。恐らく隊長は、次にゾンビが現れるまで自分の銃のことは隠しておくだろう。
 俺はふと疑問が頭に浮かび、背後を振り返った。
「イシスは銃が使えるのか?」
 今は聖書を持っているので手が塞がっているが、アンディは銃を改造するぐらいだから、もちろんその扱いにも長けている。
 彼に限らず聖職者の中には、射撃訓練をしたり護身術を身につけている人間も少なくない。イシスもいざとなれば攻撃する側に回れるかと思ったのだが。
「ああ。彼女は完全な非戦闘タイプです」
 口を開いたイシスが声を発するより先に、アンディが答えた。彼女は開いた口を静かにまた閉じた。
 ……なんだかこの二人の場合、イシスへの質問すべてに彼が答えているような気がする。
「そうすると、誰か一人を護衛専任にしないといかんな」
 隊長がポツリと言った。
 そのチームに所属する聖職者が戦闘もこなせるタイプだった場合、実働部隊の隊員は攻撃に専念できる。いざとなれば聖職者たちが自分で自分の身を守れるからだ。
 けれども非戦闘タイプが居る場合は、実働部隊のうち誰か一人を護衛専任に回さなければならない。それはつまり、攻撃力が減るということでもある。
 隊長の言葉にアンディが頷く。
「今回は特に、ビスコが意志持ちのゾンビになってしまったということがありますから。彼を抑えるための結界は、普通のものよりも聖職者(わたしたち)の体力を奪うのです。応援に来た聖職者が戦闘タイプだったとしても、聖句を唱えながら攻撃も……というのは難しいものがあります」
 そういうものなのか、と思いながら俺は不安を感じて隊長を見つめた。
 このチームの実働部隊は、俺と隊長とイサミ。この中の誰かを護衛専任にするということだが……それが俺になりませんように、と思っていた。はっきり言って俺にそんな実力はない。
 だが俺の視線に気づいた隊長が、呆れたように言った。
「ばーか。お前にゃやらせねぇよ。てめぇのことすらマトモに守れねぇだろうが」
 ぐっ、と言葉に詰まりながらも、ほっと胸をなでおろす。
 その俺の隣で、イサミがすっと前に出た。
「私がやりましょう。先ほどの戦闘で弾も減ってしまいましたし」
「ああ、そうしてくれ。いよいよ危なくなったらアンディは放置すればいいからな」
「わかりました」
「あらー。私、放置ですか? ひどいですねぇ隊長」
「……顔が嬉しそうだぞ」
 確かにアンディの顔は何だか嬉しそうだった。そういえばスタンも、状況が苦しくなればなるほど嬉々として問題に取り組むタイプだ。逆境に強いと言えば聞こえが良いが、どうもこの兄弟の場合、人格に難があるせいか「変人」としか思えない。
 俺たちは隊列を組み直し、再び小児科病棟の中を歩きだした。
 ビスコが娘のための用意した部屋は、最上階の個室。フロアの半分ほどの大きさの病室は、元は特別待遇の患者を収容するために作られたものだった。

14話:交戦。そして……
「驚いたな」
「驚きましたね」
 アンディとイサミが頷き合っている。
「予想外の出来事でしたね。まさかビスコが実の娘を利用するなど考えもしませんでしたよ。屈折しているとは言え、深い愛情を注いでいた娘ですよ?」
「アンディ、てめぇは悠長に喋ってないで聖句を唱えてろぉーっ!!」
 俺の絶叫が響き渡った。

 目的の部屋に辿り着いた俺たちを待っていたのは、七体のゾンビ。武装した兵士風のゾンビが五体。そして白衣を着た男と、その男が肩に手を乗せている少女――リザベス=エレン。
 彼女は俺を見てにっこりと微笑んだ。二歳の少女らしい、無邪気であどけない笑顔。そしてまるで抱っこをせがむようにして俺に両手を差し出す。
 俺はその笑顔につられて、思わず足を踏み出した。
「リザ……ぇぐっ!」
 声をかけようとした俺の喉に痛みが走り、視界が急激に流れ去る。
 目に涙を浮かべ咳き込みながら、肩越しに隊長を振り返った。俺の首ねっこを掴み、自分の腕の中へと引き寄せた男。
 文句を言いたいのだが、まだ苦しくて咳き込むことしかできない俺は、せめてもの抵抗で下から睨みつけた。
 しかし隊長の視線は俺の頭上を通り越している。その険のある眼差しに戸惑い、振り返った俺は目を見開いた。
 銃を構えたまま笑っている白衣の男。先ほどまで俺が立っていた場所に目をやれば、床に残る弾痕。
「ビスコ……だな?」
 俺を抱えたまま隊長が唸った。
 ニヤリと笑ったビスコはその問いには答えずに、娘を見下ろし「リズ」と声をかける。
 可愛らしく振り返ったリザベスは、「パパと一緒に居たいだろう?」と聞かれて頷いた。
「あの人たちは悪い人なんだよ。あの人たちが居るとパパと一緒に居られなくなるんだ」
 リザベスは目を丸くしてこちらを見ている。
「悪い人にはどうするか、覚えているね?」
 こくりと頷いたリザベスが、近くの机に駆け寄ると引き出しを開けた。振り返った彼女の手に握られていたのは……銃。
 リザベスの指が引き金を引く一瞬前に、俺たちはその場から飛びのいた。
「イサミ!」
 隊長がアンクルホルスターからベレッタを外してイサミに放り投げる。
 ソファの影に隠れ、聖句を唱えているアンディとイシスに向かって、五体のゾンビがジリジリと近寄って来ていた。
 銃を受け取ったイサミが流れるようにそちらを振り返り、同時に発砲する。ゾンビたちは膝と肘を打ち抜かれ、床に崩れ落ちた。
 がら空きになったイサミの背中にビスコとリザベスが銃口を向ける。俺と隊長はそちらに向けて発砲した。
「きゃっ……!」
 俺の撃った弾はサイドボードの扉に当たり、その影に隠れていたリザベスが小さく悲鳴を上げる。それは紛れもなくいたいけな少女の声で、俺は奇妙な罪悪感に狼狽した。
 手の中の銃を隊長に撃ち落されたビスコが、憎々しげな視線でこちらを睨みつける。
「アンディ!あれは……あれは本当の、リザベス=エレンなのか?」
 信じたくない――そんな想いで叫んだ俺の声は、我ながら情けないほど揺れていた。
「――ええ。魂は確かに存在しています。どうやってだか分かりませんが、ビスコは反魂の術を成功させたようですね」
 聖句を中断させて答える、静かなアンディの声。
「それはつまり、意志持ちと言うことか?」
 隊長が油断なくビスコとリザベスを警戒しながら疑問を口にした。
 本人の肉体に本人の魂……それが通常の意志持ちゾンビだ。しかしそれは、本人の魂が自らの意志で留まった場合の話。
「いえ。彼女の場合、魂は浄化されていたはずです。それを父親によって無理やり降ろされたわけですから……意志持ちではなく、全く新しいケースです」
「なるほど。だが死者の肉体に、留まるべきではない魂が入っていることに変わりは無い。となればビスコと同様、聖句と物理的攻撃の二段構えで対応できるのでは?」
 先ほど撃ったゾンビたちが、床を這ってアンディたちに近寄ろうとするのを蹴散らしていたイサミが冷静な声で言った。
 そうしている間にも彼はゾンビを担ぎ上げて、その肉体を遠くへと放り上げる。
「でも、聖句が効いてないような気がするんだが……」
 俺が呟くと、ソファの影から顔を覗かせたイシスが舌打ちをした。
「なんて想いの強い奴なの」
「どういうことだ?」
「聖句は効いてるんですよ。さっきから私とイシスの二人がかりでビスコに聖句を唱えています。ただ、それを上回るほどに彼の執着心が強いので……応援が来れば少しは違うと思いますが……」
 ちらり、と入り口のドアに目をやるアンディ。その近くの床には、イサミによって放り投げられたゾンビたちの身体が折り重なって倒れていた。
 そこにまた一人、イサミがゾンビを投げつける。ゾンビの身体はびちゃりと音を立てて壁に激突すると、ずるずると床に崩れ落ちた。
 不意に視界を横切って、何か透明なものがゾンビたちの方へと飛んで行った。鋭く響く隊長の声。
「伏せろ!」
 俺は反射的に床に伏せ、イサミと、イシスを抱えたアンディが俺たちの方へとダイブする。
 直後に響き渡る轟音と地響き。
 容赦なく吹きつけた爆風が俺の身体をさらい、嫌というほど床に背中を打ち付けた。
「……っ!」
 肺への衝撃で一瞬、呼吸が止まる。
 声が出ないまま視線を巡らせてみれば、入り口があったはずの場所には瓦礫の山が道を塞いでいた。辺りに立ち込める異臭がツンと鼻をつく。
 黒い煤が放射状に広がっている。爆発の中心部から離れるにつれ、吹き飛ばされたゾンビたちの肉片が冗談のように転がっていた。
 イサミたちの足元に黒く焦げた木片のようなものが転がっていると思ったら、その木片の先には人間の爪がついていた。
 荒い息をつきながら呻き声を上げ、身体を起こした俺の肩から何かがズルリと滑り落ちた。鉛色の柔らかい塊を手に取り、それが人間の腸であると認識した瞬間に俺の胃の中のものが逆流した。
 止めようとしても止められない。自分の意志とは関係なく食道を逆流するもののせいで息を吸うことが出来ない。嘔吐が自然と止まった後、俺は肩で息をつきながら涙目になって口元を拭った。気づけば俺の銃はどこかに飛んで行ってしまっている。
「たい……ちょ……」
 掠れた声で呟いた俺は、顔を上げて隊長の姿を探した。
 床に伏せ、目を閉じたままピクリとも動かない隊長。けれど俺の声が聞こえたのか、隊長の肩がかすかに上下した。
 思わずホッと息をついた俺の耳に聞こえた、小さな音――銃の撃鉄(げきてつ)を起こす音。
 どこだ?
 慌てて見回した俺は、身体を丸めてうずくまるビスコの姿を目に留めた。
 爆発の影響から娘を守ろうとしたのだろう。その腕の中にしっかりとリザベス=エレンを抱えている。
 その腕の隙間から覗いている、ぱっちりとしたリザベスの茶色の瞳。
 伸ばされた彼女の手は拳銃を握っており、その銃口はまっすぐに隊長に向かっていた。
「ニール……隊、長!」
 考える間もなく俺は立ち上がると、隊長の側に駆け寄ろうとした。だが、ふらつく足元がもつれる。ダメだ。間に合わない。
 バランスを崩して再び倒れそうになる自分の身体に苛立ち、歯を喰いしばると、ありったけの力を込めて足裏で床を蹴った。勢いをつけて隊長の身体の前に躍り出る。
 一発の銃声。衝撃と、それに続く焼けつくような激痛。
 俺の身体がぶつかったせいで隊長が目を覚ました。
「くそっ……ボウズ? おい……おい!」
 背後から俺の肩を掴み、揺り動かす隊長。
 そんなことより、隊長……リザベスはまだ銃を構えて……!
 俺は、激痛に顔をしかめながら腕を上げ、白く霞む視界の中で彼女の方を指差した。震える指の先がガクガクと上下する。
 そのメッセージに気づいて動いたのは、いつの間にか意識を回復していたイサミだった。
 再び銃を構えていたリザベスは、黒く焦げたゾンビの腕をぶつけられて銃口が逸れ、宙に向けて発砲する。
 その隙に隊長は俺を抱え、他の隊員たちと一緒に物陰へと退避した。
「顔色が真っ青よ」
 唇がひび割れ、脂汗が流れる俺の顔を見てイシスが呟いた。
「まずい。大動脈から出血しています」
 俺の腿の銃創(じゅうそう)を調べていたアンディが、いつになく真剣な顔で言った。
 だが俺にはもう、二人の声は周波数の合わないラジオのように、聞き取りづらい言葉の羅列でしかなかった。
 意識も視界も白い靄の中に沈んでいく。傷口の血管が脈打つリズムだけが俺の頭の中を支配していた。
 突然、腿に引きちぎられるような痛みが走り、背中が大きく仰け反った。アンディが傷口の上からタオルで強く圧迫してきたのだ。
「くっ……ぁあっ……!」
 思わず悲鳴が漏れ、暴れるように手を動かすと、隊長が背後から俺の身体を抱え込み、ぎゅっと俺の手を握りしめた。
 その厚い胸板に頭を預ける。汗で髪が首筋に張りつき、呼吸するたびに胸が上下する。
「隊長……さむ……い……」
 汗が身体を冷やしたのだろうか。襲ってきた寒気に俺はガタガタと震えだした。再び意識が遠のいていく。
「おい、おい……! 死ぬな、響(ひびき)!」
 痛いぐらいに隊長が俺を抱きしめた。
 初めて隊長が名前を呼んでくれた……薄れていく意識の中で俺は、そのことだけを考えていた。

15話:終焉
 白く眩い光に満ちた世界に俺はいた。
 どこまでも広がる、何もない白い世界。
 上空も足元も白一色で、自分が立っているのか横たわっているのか、それすらも分からない。圧縮された空気の塊に包まれているかのように、俺の意識も身体も宙を漂っていた。
 俺は虚ろな目で、ただぼんやりと見つめつづける。目に映る光景は、脳の中には届かない。知覚も視覚も嗅覚も……全てが鈍く、全てが働かない。意識はあっても思考を刺激しない。
 ただそこに存るだけ。ただ流されるだけ。俺にできることは、それだけ……。
 そのままどのぐらい経っただろうか。俺は、何かに気がついた。俺を取り巻くように伝わる空気の振動。それがやがて音となって聞こえてくる。けれど感覚の無い俺の耳は、音を音として認識しない。俺の身体の上を素通りする、意味の無い声。
 それでも声は消えてなくならない。何度も何度も聞こえる音に、俺の意識は徐々に引き上げられる。
 ……び……ひ……き……びき……ひび……
 ――――――響。
 それが俺の名前だと分かった時。誰かが俺の名前を呼び続けていたと分かった時。
 俺の眼球は力を取り戻した。目に光が戻ってくる。ゆっくりと目だけを動かして見回せば、俺の隣にかがみこんでこちらを覗き込んでいる一人の女性が見えた。
「母さん……」
 開いたままの俺の口から、小さな声が漏れた。だが俺の舌が取り戻した力は、その一言を呟くだけのもの。それ以上の言葉は話せなかった。
 母さんは優しく微笑むと、俺に向かって頷いて見せた。
 ――響。あなたはまだ、この世界に来てはダメ。あんなにも、あなたのことを待っている人が居る。
 母さんがそう言うと、それまで聞こえなかった声が聞こえてきた。どこか遠くから必死に俺を呼んでいる、複数の声。誰の声か分からない。聞き分けることが出来ない。なのになぜか、とても懐かしい。
 母さんの顔を見つめたままの俺の目から、涙が零れ落ちた。自分も泣きそうな顔をした母さんが、それを指でそっと拭ってくれる。
 ……せっかく、母さんに会えたのに……。
 そんな俺の思いを察したかのように、母さんが苦笑した。
 ――あなたはもう、ずっと前に親離れをしたはずよ。自分が望んでそうなったわけでは無かったけれど。でも強さを身につけた。誇りに思っているわ。
 母さんが俺の頬を撫でる。
 ――私はいつでもあなたを見ているわ。戻りなさい。あちらへ。そしてこの人を……助けてあげて。
 いつの間にか母さんの傍らに、一人の女性が佇んでいた。茶色の瞳に茶色の髪。どこかで見たことのある顔立ち。ひどく悲しげな顔をしている。
 急に俺の身体を奇妙な感覚が襲った。自分の意識と肉体が液体となって、背後に吸い取られていく。見えないどこかに強制的に引きずり込まれる恐怖に、パニックになる。
「母さん!」
 伸ばした俺の手を、母さんは一瞬だけ両手で掴んで、離した。
 ――大丈夫。行きなさい、響。あなたを待つ人の所へ。私はいつも……。
 母さんの最後の言葉は聞き取れなかった。耳が、顔が、伸ばした指の先が液体となって吸い込まれていく。
 そうして俺は、白い世界から弾き飛ばされた。

「響!」
 痙攣する瞼をやっとの思いで引き上げると、至近距離に隊長の顔があった。相変わらず視界は白く霞みがちで、はっきりと見ることが出来ない。それでも隊長が、ひどく焦った顔をしているのだけは分かった。
 目が合うと隊長は一瞬、ホッとしたようだった。だが俺の目が虚ろで、薄目を開けるのがやっとという状況を見て、再び険しい顔に戻る。
「アンディ!」
「やってますよ……ですがこれは……一刻も早く外へ連れて行くしか……」
 足元から聞こえた声に視線を移すと、歯を喰いしばったアンディが全体重をかけて俺の傷口を圧迫しているのが見えた。けれど俺の脚は、何も感じない。
「――隊長。弾丸は残り一発です」
 少し離れた所から聞こえたイサミの声は、苛立ちを抑えきれていなかった。
「くそっ! 応援部隊はまだか!」
 隊長が声を張り上げると、戸口の近くからイシスが「まだ小児科病棟の入り口です」と答える声がした。
 イシス。そうだ、彼女だ……。
 俺は瞼を閉じた。今まで目を開けるために使っていた力を、今度は話すことに使うために。
 僅かに開けた口から声を出す。今の俺が渾身の力で繰り出した声は、驚くほど小さく、消え去りそうな呻きにしかならなかった。
「……シ……シィス……」
「何だ、どうした?」
 気づいた隊長が、俺の身体を抱えなおす。聞き取りやすいように、自分の耳を俺の口元に持ってきた。
「イシス……」
「イシス!」
 俺が呟くと、隊長がそれを彼女に伝えてくれる。
「降霊……チャネ……リング」
 見えなくても、隊長の戸惑っている様子が伝わってきた。
「降霊?」
「ソ……ソフィアのた、ましい……」
 そこまで言うと、俺の意識は再び堕ちていった。全ての感覚が遠のいていく。
 なぜか俺には分かっていた。ここで意識を手放しても、もうあの白い世界に戻ることはない。あそこには二度と入り込めない。
 隊長が俺の身体をそっと横たえるのが、最後の記憶だった。

 次に俺が意識を取り戻した時、目の前にあったのはマリアさんの顔だった。
「気がついた?」
「ここは……」
「移動ヘリの中よ」
 本部から俺たちを運んできた、移動ヘリ。その座席に俺は横たえられていた。
 自分の身体が、自分のものでないような感覚。緩慢な動きで首を巡らせてみれば、俺の頭のすぐ側にスタンが座っていた。
「よぅ」
 なぜかブスッとした顔で右腕を押さえている。
「スタンの血液をあなたに輸血したの。一刻を争う状況だったし……」
 マリアさんが囁いた。
 俺は驚いた。確か彼は予防接種でさえ大げさに拒否するほどの注射恐怖症だったはずなのに。
 見つめる俺の視線に、スタンは気まずそうに顔をそむけてしまった。どこか照れているようにも見える。
「気分はどう?」
 優しく尋ねてくれるマリアさん。
「……スタンの血だと変態がうつりそうだ」
「おいこら。それが命の恩人に対する態度か!」
 スタンがこちらを振り返って吠えた。残念そうな顔をしたマリアさんが頷く。
「その可能性は否定できないわ。枕元輸血の問題点でもあるのだけれど」
「マリア……」
 この人は大真面目な顔を崩さないから、冗談なのか本気なのか分からない。
 恐らくスタンもそうなのだろう。なんとも微妙な顔でマリアさんの顔を見つめていた。
「この調子なら大丈夫そうね。もう来ても良いわよ、ニール」
 マリアさんが呼ぶと、隊長とイサミが俺の近くにやって来た。その背後で窮屈そうに立っているのはアンディとイシスだ。
 ああ……良かった。皆、生きていたんだ……。
 俺は安堵のため息をついた。
 隊長は俺の手を両手で握りながら、何が起こったかを話し出した。

 あの爆発は、援軍の到着を阻止するためにビスコが起こしたものだった。負傷した俺の身体を抱えて全員が物陰に隠れた時、俺たちの手元にあった銃は一丁だけ。
 囮になるために、イサミはその銃を手にビスコとリザベスの近くへと移動した。アンディと隊長は俺の応急手当に当たり、イシスは入り口の瓦礫を少しでも取り除こうとした。そして応援部隊が来るのを待っていた。
 けれど援軍はなかなか到着しなかった。ビスコの爆発によって何かのトラップが発動したのか、病院内には新たなゾンビが発生したのである。彼らに阻まれて、隊員たちは苦戦していた。
 さらに、応援が到着したとしても瓦礫を取り除くという問題があった。それまで俺の身体がもつ可能性は限りなくゼロに近かったのである。
 皆が次第に絶望的な気分になり始めても、隊長だけはずっと俺の名前を呼び続けた。そして一瞬だけ俺が意識を取り戻した、あの時。
 俺の言葉を聞いたイシスは、すぐに降霊を始めた。ソフィアの魂はすぐ近くに来ていたと言う。
 ――――あなた。
 ソフィアの魂を降ろしたイシスが呼びかけると、ビスコは雷に打たれたように身体を震わせた。限界まで見開いた目で、呆然とイシスを……ソフィアを見つめる。
 ――ビスコ。ああ、あなた。困った人ね。私もリズも、あなたが来るのをずっと待っていたのよ。
 ソフィアが微笑みを浮かべたまま、拗ねたような口調で言うと、ビスコは「ソフィー……」と掠れた声で呟いた。
 リザベスが不思議そうな顔でソフィアを見上げて「ママ……?」と呟いた。
 にっこりと慈愛に満ちた笑顔を浮かべて、ソフィアが二人に両手を差し伸べる。
 ――いけないパパですねぇ? リズを起こしたりして。いらっしゃいリズ。おねむの時間ですよ。
 リザベスは嬉しそうにその手を握りしめた。ビスコは座り込んだまま放心状態でソフィアを見上げている。
 ――あなた。待ってるから、早くいらして下さいね。
 彼女はそう言うと、ビスコの頬にキスをした。
「……ああ。ああ、もちろんだよ、ソフィア……」
 ビスコが銃を自分のこめかみに当て、引き金を引くのと同時にソフィアとリザベスの魂は還って行った。

選択。そして、始まり。
「それと同時に建物内のゾンビは全て動かなくなった。応援部隊が到着し、瓦礫を取り除いた俺たちは急いでお前をマリアの下に運び込んだというわけだ」
「そうでしたか……」
 マリアさんの緊急手術のおかげで、俺は一命を取りとめた。
 ウィリアム将軍は、片手で目元を覆ったまま無言で隊長の報告を聞いた。しばらくして彼は、口を開いて「……感謝する」とだけ言ったそうだ。
「お前のおかげで助かった。こうして生きて帰れたわけだしな。どこか痛いところはあるか?」
 今までに見たことがないほど優しく、労わるような目で隊長が俺を覗き込んだ。
 何だか気恥ずかしくなって思わず目を逸らせてしまう。
「なんか……胸が」
「ああ、レントゲンを撮ってみないと正確には分からないけれど、多分、肋骨にヒビが入っていると思うわ」
 俺の言葉にマリアさんが、思い出したような顔で返事をした。
「肋骨?」
 隊長がひょい、と俺の服をめくり上げた。
 咄嗟のことで何も反応できなかった。いや、身体の自由が利かないのだから、元々どうすることもできないのだが。みるみる自分の顔が赤くなっていくのが分かる。
 俺の服を掴んだまま固まっている隊長の手に自分の手を重ねて、マリアさんが小さな咳払いとともに服を戻してくれた。
「……ひびき?」
 奇妙に上ずった隊長の声に俺が視線を戻すと、どこか焦点の合わない瞳がこちらを凝視していた。その額に汗が浮かんでいる。
「おま……お前、女だったのか?」
「は?」
 全員の声が重なった。皆、目が点になっている。
 それは俺だって、と言うか、何を今更……。
 信じられない気持ちで隊長を見つめていると、スタンとマリアさんが顔を見合わせてため息をついた。そのまま二人とも遠い目で宙を見つめながら口を開く。
「……本気、なんだよな?」
「ええ。相変わらず大切な所が抜けてるわね」
「あいつ、自分で気づかなかったのか? いつも野郎相手にはあそこまで構わないだろう。俺はてっきり女だからだと」
「多分、無意識のうちに気づいてはいたのよ。自覚していないだけで」
「……救いようがねぇな」
 非難がましいマリアさんとスタンの口調に、バツが悪そうに視線を逸らす隊長。
 その様子が何だか可愛らしくて、俺はぷっと吹き出した。
「いいですよ。見られたって大した胸じゃないし」
 俺の言葉に隊長が、申し訳なさそうな顔で振り返った。
「俺、口も悪いし。胸も無いし。間違われるのは慣れてます」
「隊長が部下の性別も把握してないってーのは問題だと思うぞ」
 せっかく俺がフォローしているというのに。スタンの一言は隊長の痛いところをグサリと突いたらしい。
 そこにマリアさんが追い討ちをかける。
「そうね。管理者としてどうかと思うわね」
 まあ俺も正直、そう思わないでもないのだが……。
 見るからに落ち込んだ隊長を前に、気の毒に思う気持ちの方が強かった。
 手を伸ばして、そっと隊長の手を叩く。
 がっくりと頭を垂れていた隊長が、顔を上げて俺を見た。
「隊長。俺、やりたいことが出来ました」
 ふと隊長の顔が真面目になる。
「日本に居たら俺、きっと平和で真面目な生き方をしたと思います。それが楽で、良いとされているから。……でもそれは、俺が良いと思った生き方じゃなくて、世間から良いと思われている生き方だったと気づいたんです」
 他の隊員たちも俺の言葉に聞き入っている。
「この部隊に居ることも、正直、良い生き方だとは思いません。常に命がけで、いつ死ぬか分からない。俺を育ててくれた人たちは、この仕事を知ったらきっと悲しむし、心配する」
「響……」
「でも」
 俺は口を開いた隊長の言葉を遮った。
「ここにも、俺のことを想ってくれる仲間が居る。そして俺は……この世界にゾンビが居ることも、それに苦しんでいる人たちが居ることも知ってしまった」
 隊長は黙って俺を見つめている。
「ここで目をそむけて日本に帰っても、ずっと……うまく言えないけど……後ろめたさみたいなものを感じて生き続けると思う。この部隊のこと、心のどこかで気にし続けると思うんです」
 だから、と俺は言葉を紡いだ。
「誰かが良いと決めた生き方をするよりも、自分の気持ちに目を逸らさないで生きたい。皆のことを気にしながら生き続けるぐらいなら、側に居て皆と共に生きていたい」
 想いを言葉にするのは苦手だ。隊長に……皆に伝わるように、言葉を選びながら話したせいで、ぽつりぽつりと途切れがちになってしまった。俺は自分の胸の内を、伝えきることが出来ただろうか。それでも、部隊に残りたいという想いだけは伝わったと思う。
 話し終えた俺は、じっと隊長と見つめ合った。
 俺も、皆も、固唾を飲んで隊長の返事を待つ。
 やがて隊長の目元がふっと和らいだ。その笑顔にドキンと俺の胸が高鳴る。
「お前には、一つ借りがあるからな」
 それを返すまで、側に居ろ。
 隊長がそう言うと、なぜかマリアさんとスタンが「あ〜あ」と苦い顔で呟いた。
「……またやったぜ」
「そうね」
 二人の呟きは無視して、俺は隊長の顔を覗き込んだ。
「隊長。俺、もう一つやりたいことがあるんです」
 優しい顔で、言ってみろと促す隊長。
「隊長を守れるぐらい強くなって……あなたの側に居たい」
 ギシ、と再び隊長が固まった。
 俺は悪戯っ子のような表情を浮かべて、マリアさんに視線を移した。
「負けませんよ?」
「受けて立つわ」
 楽しそうに宣戦布告する俺たちを見て、スタンが低く口笛を吹いた。ニヤリと口元を歪めて人の悪そうな笑顔を浮かべている。
「おや、イサミ。どうかしましたか?」
 アンディの声に視線を巡らせると、なぜか不機嫌そうな顔をしたイサミが、「……別に」と不愛想に答えてそっぽを向いた。
 俺は改めて皆の顔を一人一人眺めていった。
 母さんが言っていた、俺のことを想い、待っていてくれる人たち。大切な俺の仲間。
 この部隊に入って俺は、知らなかった世界を知った。この世にはゾンビが存在する。霊も存在する。死してなお残り続ける想いが存在する。
 もしかしたらもっと色々なものが待ち構えているかもしれない。
 ――いいさ。この仲間とならば、何が起こったってきっと、最後には皆で笑い合える。
 俺は微笑むと、再び目を閉じて睡魔に身を任せた。
 
 皆が笑顔を浮かべているからと言って、誰もが楽に生きているわけじゃない。
 苦しい過去があって、それを乗り越えて笑っている人も居る。
 ゾンビが死体だからと言って、彼らが生きてきた時間を無視することはできない。
 彼らにもかつては夢や希望、感情があった。そして、死してなお衰えない強い想いさえあった。
 他人の上辺だけを汲み取って生きていくのは、楽で簡単だ。けれどそれは、時として他者の感情を無視して通り過ぎてしまうことでもある。
 俺は俺に向けられる、全ての人の感情と向き合いたい。たとえそれが憎しみや恨みであったとしても、真摯に受け止めたい。一人で受け止めきれない時は、仲間が支えてくれる。そう思えるから。
 そうすることが、俺にとって「生きる」という意味であると思うから――。

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