妻の性(第二部) (ジャンル未設定) 29452回

2012/02/11 10:10┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:ほぼ実話
妻の性2.1 
ほぼ実話 3/30(火) 00:57:03 No.20100330005703 削除
長らくお待たせしました。
書き始めれば早いのですが、どこからどう書けばいいのか分からず、ずるずるとしてしまいました。

第2部を始めるに当たって、まずは何回かに渡って、その後の妻と西脇の関係をお話ししておこうと思います。
今までの、会話スタイルは時間がかかるので、数回は妻の語ったことを要約して書いてしまいます。


妻の浮気の詳細な告白で勃起しインポは治ったかのように見えましたが、結局、根本的にインポが治ったのか治ってないのかというと、難しいところがありました。
妻の告白の後、吹っ切れたように、セックスの時は毎回、妻が私の寝取られ願望をくすぐるような話をして私が勃起していたのです。

セフレになった後の妻が西脇とどんなセックスをしていたのか、2人の関係が終わるまでの話を、根掘り葉掘り聞きました。
私の勃起を確かめながら、私が耐えられる範囲を見極めつつ、徐々に徐々に、妻は話しました。

一度だけ浮気を過ちでしてしまったと思っていた恋人、今の妻は、完全に寝取られ、セックス漬けにされていたのです。
私が何も知らないままに・・
その後の過程は驚くような話ばかりでした。



最初の浮気の後、西脇と別れるまでの間で私がセックスをした妻は、常に、西脇に徹底的に犯されて汚された直後に、私とセックスをするように指示されていました。
初回こそ、中出しされたあそこだけは、私に舐めさせませんでしたが、2度目から後は、何度も私に舐めさせたと言います。
いえ正確に言えば、寝取られた後、妻が西脇と別れるまで、それ以外の状態では、妻の性器を舐めたことも、挿入したこともなかったのです。
感じている証と私が勘違いしていた白濁した愛液はいつも精液の混じったものだったのです。


浮気の告白があった後、次にホテルに行ったとき、妻はあそこの毛を剃ってしまっていました。
私には、西脇のケジラミなどの性病の噂が心配だからと言っていました。
その後もずっと無毛のままでした。
妻が自分から、もう2度と浮気できない様に反省の気持ちも込めてそうする、と言っていたのです。
その時は、けなげな感じがして嬉しく思いました。
これが、その後の浮気を疑うこともなかった原因の一つでもあります。
しかし真実は、あの日の夜、私に浮気の告白した後に、あいつの部屋でされたことでした。
セフレになるという誓いを立てた証に、自ら剃らされたのです。

彼女の陰毛がない事を知った日のうちに、私も毛を剃ることになりました。
最初の理由は、ケジラミが私に伝染っていたらいけないから、と云うことでした。
ピンポン感染という医学用語を初めて知りました。
「ごめんね」と謝りながら私の毛を剃る妻の前で勃起は萎えませんでした。

発覚から1ヶ月、その時、すでに私には寝取られた事への興奮があったのは、認めなければなりません。
ヤリチンの巨根男に恋人を「喰われた」上に、性病までうつされたかもしれないのですから、悲惨なものです。
そんな被害者の私が、陰毛を失わなければならない、敗北の屈辱を思うことが勃起をより硬くしたのです。
さすがの彼女もまさか私がそのような変態的な興奮の仕方をしているとは思っていなかったそうです。

浮気を告白されてからそれまでの一ヶ月は気の狂いそうな時間でした。
失意と驚きの中で何も聞けないままで、告白のあった日のセックスは終わりました。
しかし自宅に帰り一人になった瞬間から、激しい苦悩が襲ってきました。
屈辱と嫉妬、怒りそして・・・興奮です。
サークルの中での噂で幾度となく聞いていた西脇の女たらしの巨根伝説が、突然、我が身を襲ったのです。

私に不釣り合いな彼女ですが、しかし恋人です。
私の童貞を優しく受け入れてくれ、唯一セックスをしたことのある女性です。
恋愛経験のほとんど無い私には「恋人の浮気」などは、言葉では聞いたことがあっても、想像がつかなかったのです。
そのラブラブだった彼女がいとも簡単に「喰われた」・・・
いくら飲み会で酒が入っていたからといっても、簡単に「お持ち帰り」をされてしまうような弱い女ではなかったはずです。
サークルの中でもはっきりと物を言い、自分の意見を通す彼女です。
聡明でクールな、そして二人の時はちょっとエロい、「かっこいい彼女」でした。
その、いつも私をリードして、私が尻に敷かれがちだけれども、間違いなく愛し合う彼女が「やられた」と思うと、無性に興奮してしまうのも事実でした。

彼女が処女でなかったのは、はっきり、伝えられていました。
付き合う前には、あけすけな打ち明け話も、聞かされていました。
しかし、現実感はありませんでしたし、目の前の彼女の存在、肉体がすべてを打ち消してくれていました。
ベッドで抱き合うときには、「愛してる」と、お互い、囁きあい続けていました。
こんなに誰かのこと好きになったのは初めてだと、彼女は言ってくれていました。

そんな風に恋愛に浮かれていた私には、あまりになまなまし過ぎるセックスの現実でした。
愛し合っていたって、セックスは無惨に純情を打ち砕く・・・

彼女とのセックスはセックスであっても恋愛の一環でした。
しかし彼女の浮気は、「女」の本質、彼女が「メスであること」を私に初めて教えたのです。
愛や恋とは関係なく、性欲やセックスが存在するという、私にとっては残酷な事実を認識することになりました。
ところが、繰り返し何度も考えるうちに、その感覚に、次第に欲情していく私がいました。
あんなに愛し合っている心を裏切る肉体が存在する。
彼女の美しい肉体は強いオスを求めるメスの肉体なのだという認識です。


しかし当然、同時に、怒りも激しいものでした。
今度、セックスについて話せる機会・・・つまり、ホテルに行ったら、話そう・・・。
何で、どうして、あんなやつと浮気なんかしたんだ・・・

一人になるとこみ上げてくる、屈辱感や怒り、悩みは、日増しに強くなりました。

西脇を思いきり殴ってやりたい、股間が使い物にならなくなるように蹴ってやりたい・・
殺してやりたいとすら思いました。

しかし、それが不可能なことは疑いようもありませんでした。
背は170センチにも満たずひょろっとした私と、190近くあり、体育会系のごつい肉体の西脇とでは、けんかにもなりません。

そもそも、私が彼女の浮気を知らされたことを、あいつが知っているかどうか分かりませんでした。
むしろ知らないと思っていました。
大所帯のサークルですし、元々、あまり付き合いもない同期ですが、いやでも、大学で顔を合わせることはあります。
以前と何も変わらない様子で、「よっ」などと手を挙げられると、思わず、何も知らない振りをして「やぁ」などと応えてしまっていました。
今思えば、たぶん私の表情からいろいろな感情がにじんでいたと思います。
抑圧された怒りや、屈辱、おびえ、・・・
情けない話です。


きっぱり別れたい、けれど別れられないほど彼女が好きで、西脇に彼女を取られたくない・・・
あいつのせいで別れるなんてくやしすぎる・・・
自分だって浮気してやる・・・
他の女の子とセックス出来たらいいのに・・・
この怒り、わだかまりを少しは静めることが出来るのに・・・
しかし私にはそんな度胸も器量もありません。
それでも、仕返しに風俗に行きたいなどとはよく考えました。
一度でいいから、他の女性とセックスすれば、この屈辱が薄まるのに、と思いました。
しかし、奥手でうぶだった私には浮気どころかソープに足を運ぶ度胸すらありませんでした。
お金もありませんでしたが、何より風俗で勃起しない可能性やペニスの小ささを馬鹿にされることを想像するだけで、すでに萎縮していました。


彼女への怒りと西脇への怒り。
悶えるようにそれらを抱えたまま1ヶ月を過ごし、次のセックスの時がきたのでした。
ホテルに入っても、どういう風に彼女に浮気のことを問い詰めるべきか、考えていました。


しかし、二人でベッドの上で抱き合うと、もう言い出せませんでした。
このまま西脇に奪われてしまうのかも知れない、そう恐れていた私は、やはり自分の恋人のままでいる裸の彼女を確認すると、無性に深い喜びがこみ上げました。
彼女の裸の胸に顔を埋めると、あっけないほど簡単に、彼女を問い詰めたいという怒りのエネルギーが薄められてしまうのでした。
同時に、浮気を気にし続ける小さな男と思われ、軽蔑されることを恐れました。
・・・浮気のことなど忘れたかのように振る舞うほかなかったのです。

そんな中で、彼女が陰毛を剃ったことを知り、真剣に医学的な説明をされ、不思議な興奮の中で、私も剃毛することになりました。
怒りの埋み火を強引に靴底で押しつぶされたような感じです。

1ヶ月ぶりのセックスが済み、冷静になると、しかし、やはり、後悔もしました。
無毛の股間など恥ずかしくて、浮気も出来なければ、風俗にも行けないことに気がついたのです。
私の関係することの出来る女性が「浮気をした彼女」だけになってしまったという屈辱的な状況の中に、間接的に西脇によって閉じ込められたことを、少しずつ認識するようになったのです。
しかしその認識は、怒り以上に、秘かな興奮を私にもたらしました。


その後もセックスの時には妻が私の陰毛を剃っていました。
妻がそっちの方が入れたときに気持ちいいしフェラもしやすいから、と言うのでそうしたのです。
実際、無毛の性器と性器が直にベチャベチャと触れ合う感覚はとても気持ちのいいものでした。
フェラチオもより卑猥でしつこいやり方をしてくれるようになりました。


私たちには、浮気という言葉や西脇という名前はタブーになっていました。
私も、妻も決して口にしない言葉でした。
しかし、私の陰毛を剃るときに、毎回、妻が「ごめんね」と言うのは、その事を言っているのが分かっていました。
毎回、私は彼女の目を見ることも出来ずに、ただ、うなずくだけでした。

私にとって、妻の毎回の謝罪は同時に浮気の記憶をそのまま蘇らせるものでした。
妻にとっての謝罪はたった一回の浮気に対するものではなく、その後も浮気相手の性欲に肉体を捧げ、自らも快感を貪り続けることへの心の中での謝罪でした。
同時に「ごめんね」という言葉で、私が、浮気のことを思い出すだろうことは妻には分かっていたと言います。
しかしその言葉を繰り返し、そのたびに私が何も言えずにいることは、妻にとっては自分が浮気を続けていることに、私が気付いていないことを確認する方法でもあったのです。


また、生のままセックスをさせてくれるようになったのも、明らかに西脇との浮気の後からのことでした。
私はてっきり浮気のお詫びのような感じで私に制約のないセックスをさせてくれていると勘違いしていたのです。
ただ、快感と同時に、いつも、以前とは変化したセックスのスタイルを意識しないではいられませんでした。
その変化をもたらしたのが西脇との浮気であったことも、お互いに口には出さないものの、はっきりと意識していました。
恋人とセックスをする度に、忘れようにも忘れられない浮気の屈辱が、呼び起こされるのです。


しかしそれらはすべて妻が西脇に指示されてしていたのです。
ケジラミという言い訳も西脇の入れ知恵です。
あの男は、関係が終わるまでの長い間、寝取った女もその恋人の私までも子供のような股間にして、楽しんでいたのです。

実は、そのような、私への辱め以外の意味もありました。
それは、私の浮気を封じ込めることで、性病などを妻を介して自分がもらわないようにする、という現実的な目的もあったのです。
寝取られた男がする行動パターンまでも西脇は熟知していたのです。
恋人の浮気を知らされた私が、仕返しに風俗に行ったり浮気をしたり出来ないようにしたいという目的では妻と西脇の思惑は一致していたのです。
そんなことを、まさか妻が考えていたとは、想像だにしませんでした。
何という狡猾さでしょうか。

私とコンドームをつけないセックスをさせたのも、万が一、妊娠しても、私がその責任を負うようにしておいただけのことです。


西脇だけではないのです。
いくら、セックスの快感で絡め取られ、浮気を脅しのネタにされたとしても、妻もまた、共犯でした。
西脇が確認するはずもないのに、わざわざ、私を剃毛するように仕組んだのですから。

敗者の証のように無毛にされ、それでも寝取られた恋人に欲情し、みじめに勃起する私の局部を、けなげでありながら、いとおしいものと感じて興奮したと言います。
私の子供のような勃起を見ては、勝者である西脇の巨根を女性器にくわえ込みながら、私の小さい無毛の子供のチンコでは満足できないと言わされた事を思い出していたと言います。


妻からこの告白をされた時に勃起していた私は、焦らされた射精と引き替えに、10年ぶりに剃毛されました。
あの頃の光景がそのまま蘇りました。
しかし何より違ったのは、妻が謝罪ではなく、はっきりと「恋人を寝取られた小さな弱いペニスだから剃毛されるのよ」と口に出して言ったことです。
そして今に至るまで、そのままです。
毎回、私の弱さをいたぶる言葉を耳元でそっと囁いたり、笑いながら大きな声で言い放って、屈辱を与えながら、まさにその屈辱で勃起するペニスをもてあそび、剃毛します。
10年以上も前の敗北を、彼女の言葉によって反芻させられ続け、いまだに自らの肉体に刻印され続けているのです。
今では「寝取られマゾチンコは裸でいなさい」などとという侮辱的な言葉が、甘美ですらある興奮を二人に与えてくれます。

妻の陰毛のある性器の前で自らの無毛の性器を晒すと、興奮します。
愛液で陰毛がベットリと濡れ、いやらしい形に変形した大人の女性器と、それを満たすことの出来ない子供のペニス、という対比が卑猥に感じられます。

妻の性2.2 
ほぼ実話 4/14(水) 00:01:52 No.20100414000152 削除


私は妻の告白まで、10年以上、西脇と妻とのその後の関係を知りませんでしたが、その頃の妻と私とのセックスは、頻度も内容も西脇によってすべて管理されていました。
私との行為の詳細も西脇の部屋に帰る度に、報告させられていました。

「私としかしたこと無かったでしょ。
どれだけ私のことを愛して、執着しているか・・・言ったの。
その方が、彼、興奮してくれるから。
私が浮気のこと告白した後も、たーくんがそれを話題にすることも、なじることも出来ずにいることも、言ったのよ。
セックスの度に私にあそこの毛剃られちゃって、私が謝ってあげるたびに、浮気のことを思い出してたでしょ?
それでも、何も言えないで我慢してたでしょ?勃起させちゃって・・・
そういうの、その度に西脇君に話したのよ。」

そんな風に妻は私に話しました。

私は奥手でしたので、自分の手でするオナニーの仕方も、その頃、妻に教えられたぐらいだったのです。
それまで私はズボンの上から擦るというオナニーをしていたのです。
回数は週に1度か2度のことでしたが、小学生の頃からの癖でした。
中2で精通してからは、まずパンツの中に何枚もティッシュを広げたまま入れてからしていました。

西脇の指示で妻が私に尋ね、私が恥を忍んで妻に告白したその事も、妻は西脇に言っていました。
それを聞いた西脇はおもしろ半分で、私にオナニーの仕方を教えてやれよと、妻に命じたのです。
妻を介して、西脇に、私は「普通の」オナニーの仕方を教わった事になるのです。
直に手でこするオナニーは鮮烈でした。
彼女とするときの快感がそのまま自分の手で味わえるのです。
はじめは強すぎる刺激におっかなびっくりでしたが、次第に慣れました。
こんなに気持ちがいいものなのかと、感動しました。
恋人とのセックスを奪われ、その代わりに、「正しい」オナニーを教えられ、サルのようにオナニーをし続けることになったのです・・


妻は、オナニーをするときは私のことを思ってしてね、とロマンチックな「お願い」をしていました。
夜の電話などでも、今日は何回してくれた?などと聞かれました。
私は教えられたオナニーを実践する様子を正直に彼女に語りました。
西脇の巨根を膣に埋め込まれたまま、私に電話させられている恋人に、そんな告白をしていたのです。
右手でしたとか、左手でしてみたとか。
彼女の浮気のセックスを妄想していることを除いては正直に素直に告白していました。
愛情表現のつもりでした。
減ってしまったセックスのせいで私が覚えたてのオナニーを頻繁にするようになっていることも西脇は知っていたのです。
妻は、何も知らない私が、恋人を寝取った浮気相手にオナニーの方法までも教えられているという、私の惨めさに、秘かに興奮していたといいます。

夜の電話などでは、私のオナニーの話は何気ない話題になっていました。
「来週セックスしようね、だからそれまで自分でしたらダメ。禁止よ」、などと言われれば忠実に従いました。
彼女が飲んでくれたり中に出させてくれるようになっていたからです。

オナニーの禁止も西脇の気まぐれのせいです。
セックスを奪われた彼氏にオナニーまでも禁じさせておきながら、その寝取った恋人に好きなだけ中出しをするというプレイに興奮するような男なのです。
同時に彼女も、そのような辱めを秘かに私に与えては、興奮するような女なのです。


発覚から3ヶ月後に私と沖縄に旅行に行った際にも、彼女が西脇にセックスを禁じられているせいで、一度もさせてもらえませんでした。
生理が始まりそうだから、と言われて諦めていました。
期待しまくっていた私が、旅行中、ちょっと妻の体に触れたりするだけで勃起しては、それをおさめることが出来ず苦しんでいた様子も報告していました。
妻も、私を欲情させるために、冬が近い東京ではしばらく見ることの無かった、胸の形がくっきりと出るTシャツを着たり、私の膝の上にジーンズの股間を乗せて座ったり、いろいろしては楽しんでいました。
旅行の最後の夜に妻が口でしてくれると言って、妻の前で露出してそっと触られただけで射精してしまったときのことも西脇に話したと言います。

そしてときどき許されるセックスの最中のこともです。
毎日のように西脇の巨根に精液を注がれ続けている恋人の性器を、月一のセックスに飢えた私がどんなに貪欲に舐めしゃぶったか・・・
言いつけ通りオナニーをせずにいたせいで、多量の精液をため込んでいたこと。
私がそれを妻に飲んでもらいたがっていたこと。
しかしせっかく溜めた精子も、興奮しすぎた私が手でされている途中で出してしまい、彼女に飲ませることが出来ず、悔しそうにしている様子。
挿入しても、長さも太さも西脇の半分にも満たない私のペニスが、西脇の巨根に拡張され続けた妻の性器ではどんなに小さく感じられたか・・・

私とのホテルの後で西脇の部屋に帰り、西脇に犯されながら、こんな事を報告させられ、私を貶めては、激しく興奮したと言います。


妻は一人暮らしではなく親元から大学に通っていましたが、行くではなく帰るという言葉が適切なほど西脇の部屋に入り浸りでした。
私にはいろいろな巧妙な嘘をつきました。
沙季ちゃんの部屋に飲みに行く、家庭教師のアルバイト、お茶や着付けの教室、英会話などと言っていました。
それらは殆どすべてが西脇の部屋に行く口実でした。
沙季ちゃんも西脇のセフレでしたから口裏を合わせるのは簡単です。
アルバイトなどしなくても妻は十分なお金を親から小遣いでもらっていたのです。
習い事など、私が確認するチャンスがあるわけがありません、疑いもしませんでした。
その頃の私は、急にアルバイトの時間が増えたりいろいろな習い事をするのも、浮気という消えることのない大きな罪を犯してしまったことの嫌な記憶を消すために、積極的に外に出て気を紛らわしているのだろうと思いこんでいました。
それらの時間をすべて西脇の部屋で精液にまみれながら過ごしていたと知ったときの衝撃は凄まじい物でした。


私の前では殊更に無毛の股間を恥ずかしがってみせる彼女の演技は、私に浮気の疑いを抱かせないだけの十分な効力を持っていました。
恥ずかしがって部屋の明かりを消してするのがほとんどでしたが、本当は暗闇の中に隠していたのは、陰毛のない少女のような慎ましい性器ではなく、直前まで徹底的にかき回された性器だったのです。
太く激しすぎるピストンで赤く腫れ、奥からジクジクと精液をしたたらせていたのです。


避妊のことも聞きましたが答えは簡単でした。
ピルを飲むように言われ、自分で産婦人科に通っていたそうです。
西脇の巨根を生挿入して中出しを繰り返すセックスをされ、その快感をいやと言うほど味わった妻の肉体が拒否できるはずはありません。
熱い巨大な肉棒で、生のまま、欲情して濡れそぼった膣肉をえぐられる快感を得るためには、ピルを飲むことなどには何の躊躇いも無かったようです。
膣奥に中出しをされる事自体が快感で、妻の方から求めたと言います。
中出し後も萎えることなく突きまくられて、精液と愛液でグチャグチャになった西脇の巨根を舐めさせられるのも快感であったと言います。
事実、西脇は妻にはコンドームを使ったことが一度もなかったそうです。
ピルまで飲ませておきながら、私に月に一回は中出しをさせる事で予防線を張っておく周到さは悪魔的ですらあります。

妻の性2.3 
ほぼ実話 4/29(木) 03:47:40 No.20100429034740 削除

セフレになると妻は誓わされたと言いますが、妻と西脇の関係は、ただのセックスフレンドではありませんでした。
セフレではなくセスレと言った方が近いでしょう。
Sex Slaveです。

その巨根に慣れ親しみ、私とは出来ない気持ちの良いセックスをただ楽しんだと言う単純な浮気ではありませんでした。
じらされ、屈辱を与えられ、それでも圧倒的な絶頂を毎回のように与えられ、再び、強制的な禁欲に閉じ込められ・・・
私に嘘をつき、何も知らない私をもセックスプレイに巻き込む、私との裏切りの関係を続けさせられ・・・
肉体的にも精神的にも、常に限界まで追い込まれていたと言います。
愛している私には嘘を隠し、西脇にはすべてをさらけ出しながらも、性欲のはけ口のセフレの一人としてしか扱われない、そんな孤独はどうしようもなく辛かったと言います。
途中からは別れられるものならば本気で別れたいと思った、というのは本当のようです。
同時に私と別れることは本心から一度も考えなかった、それぐらい私のことは愛していたし、今も愛している、と言います。

妻と西脇が破綻を迎えるまでのこともいずれ書きます。


何よりも妻を苦しめ、告白を聞いた私を驚かせたのが、妻の性器へのピアスでした。
それこそが、妻をセフレの一人として従属させ、同時に妻と私とのセックスを「管理」する道具だったのです。
私と勝手にセックス出来ないように、そして膣のオナニーも出来ないように、両方の小陰唇に自分では簡単に外せないピアスリングを付けられていました。
そしてそれら左右のピアスリングをつなぐように小さな南京錠で膣口を閉じられていたのです。

もちろんピアスだけでも私とのセックスを禁じることは出来たのです。
しかし、それ以上に、膣のオナニーを物理的に禁じることで妻の肉体は慢性的に欲求不満に悶えさせられていました。
先ほど強制的な禁欲と書いたのは、そのことです。


西脇の策略は巧妙です。
最初の浮気から1ヶ月ほどで、すでに西脇の言いなりになっていた妻に、まず、はじめに西脇はピアスだけを施しました。
それをされてしまえば、私と自由にセックスが出来なくなることは分かっていても、言いなりにならざるを得なかったといいます。
初めてピアスをされたのは、浮気をしてから初めて私とホテルに行った日の夜のことだといいます。
関係ありませんが、私が妻に初めて剃毛された日です。

同時に、西脇は妻に巨大なバイブを与えました。
太いものでオナニーをすると、感度が上がって、膣が鍛えられ、よく締まるマンコになると言われたのです。
西脇には「ほとんどしていない」と言いながらも、言われたとおり、自宅で激しいオナニーを繰り返したと言います。
数日で電池が無くなるほど繰り返し、したそうです。
オナニーをすればするほど、西脇は
「膣がよく濡れていやらしく締まるようになった、本当はかなりオナニーしてるでしょ」
と、誉めてくれるのです。
ピアスをされてから2ヶ月の間に西脇とのセックスだけでなく、オナニーもが完全に妻の日課になっていました。
言われるがまま、そして欲望のおもむくがまま、深夜に自宅に帰ってからもその西脇サイズの極太長大なバイブでオナニーを繰り返した妻の性器は、常時発情するようになっていました。
巨根願望を隠し持っていた妻が、巨根中毒へと堕とさせるのにそれほど長い時間はかかりませんでした。
膣肉をパツンパツンにしてしまう太さや、膣奥の狭い部分や子宮を剛直でえぐられる快感に完全に目覚めさせられて、巨根中毒になっていったのです。


頃合いを見計らった西脇は両側のピアスをつなぐように小さな南京錠をかけました。
ちょうど私たちが沖縄旅行に行く前の週だったと言います。
巨根が与える性感の高みに登らせておいて、快感だけを奪い、梯子を外したのです。
淫らに熟し切った巨根を求める肉体を解放できるのは、西脇のマンションで、西脇の性器が挿入されたときだけになってしまったのです。

ピアスだけされていた時もすでに私とのセックスの自由は奪われていました。
自分では外せないピアスを両側の陰唇に付けたままでは私とセックスできないのは当たり前です。
しかし、左右の陰唇を錠前でつながれてしまっているという、その物理的な直截さは、ピアスだけの時とは比較にならないほど、彼女のマゾヒスティックな興奮を煽ったようです。
その錠前は、あからさまにセックスの自由を奪われているという感覚を、四六時中、常に彼女に与えました。
私とデートしている時や、何よりホテルに行こうという私の誘いを断るときに、その南京錠をきわめて強く意識したと言います。
それはそうでしょう。
恋人である私が彼女とのセックスを切実に求めているのに、スカートの下のその性器は金属錠をぶら下げ閉じられているのです。
そのマゾヒスティックな感覚に欲情が高まると、すべてを告白して、そのままの状態を私に見せつけ、舐めさせたいとすら思ったと言います。


しかし、肉体的には、私とのセックスを禁じられたことよりも、むしろ、膣のオナニーを禁じられたことの方が辛かったと言います。
それまでは、西脇に焦らされたまま放置され、沙季ちゃんとのセックスを見せつけられたりして不満の残るセックスであっても、家に帰ればオナニーで解消することができたのです。
しかし、錠をされた後では、自宅に隠してある巨大なバイブはむしろもどかしさを募らせるばかりです。
膣口の前をふさぐように左右の陰唇がピアス同士で合わされているために、太いものは挿入できないのです。
最後まで挿入をおあずけにされて焦らされたまま、錠をされて家に帰されたときなど、身の置き所のない欲求不満で爆発しそうだったのです。
クリトリスでのオナニーは出来たものの、膣奥まで太さに埋め尽くされ、こじ開けられてかき回される快感を開花させられた肉体には、焼け石に水のようなものだったそうです。
西脇はそんな妻の反応をも十分に予想した上で、巨大なバイブを与えていたのです。
合わされたピアスリングの上下の隙間から膣に指を入れることは出来ても、膣壁をえぐるような太さに慣らされ、それを求める性器には役に立ちません。
肉体の疼きは止むことが無く、浅い眠りの中でうなされるように悶え、繰り返し卑猥な夢を見たそうです。

もどかしさに駆られて巨大なバイブをえずくほど、のどの奥深くまでしゃぶったそうです。
そのような苦しみさえもが、快感を掴めぬ焦燥感をやわらげたのです。
禁じられる事の辛さを西脇に訴えると、西脇は、替わりにアナルに入れれば必ずいつか気持ちよくなれると、「指導」したそうです。
西脇に言われたとおり、それまで西脇にも数えるほどしか入れられたことがなかったアナルにバイブを入れながらクリトリスでオナニーをしたと言います。
確かに、徐々にアナルの性感にも目覚めていったと言います。
それが目的であったかどうかは分かりません。
しかし結果的には、膣のオナニーを禁じられたせいで、もどかしさが原動力になって、妻が自分から勝手にアナルセックスにすら快感を感じるようになったのです。

妻の性2.4 
ほぼ実話 5/6(木) 00:57:37 No.20100506005737 削除

だいたい月に一度、私とセックスをすることを許すときだけ、ペンチでピアスのリングを切って錠前を外してもらっていたそうです。
私とのデートでのセックスが終わり、西脇の部屋に帰ると、すぐに再びピアスをされたと言います。

小さな南京錠はピアスに掛かっているだけですから、もちろん、自分でペンチを購入してそれらを外すことは出来たのです。

錠をされた2週間後、一度だけ、自分で切ったことがあると言います。
しかし、その行為は結果的には、妻が西脇に決定的に隷従するきっかけになりました。
その年の12月の事です。
自分で切ったものの、結局は西脇の元に戻り、謝罪し、罰を受けました。
その経験で妻は、自らの意志で西脇から逃れようとしても、結局は逃れられないという事を知りました。
それは肉体に刻み込まれた西脇とのセックスの快感の深さを妻が認識せざるを得なかったからです。
そして、戻った後に与えられた罰の苦しみを思い出せば、日頃の禁欲の辛さなどは耐えられたと言います。


その日は、沙季ちゃんも西脇のマンションに来ており、西脇は徹底的に妻を焦らしていじめたのです。
そこまでするのは初めてだったと言います。
どうしてその日に限って、それほどまでにサディスティックだったのかは、分からないと言います。

沙季ちゃんと西脇の性器を、交互に、舐め、しゃぶり続けさせられたあげく、一度も妻の錠を外すことなく、西脇は沙季ちゃんにしか挿入しなかったそうです。
前日も錠をされたままのアナルセックスのみで帰され、くすぶり続けた膣の性感は限界になっていました。
次は入れて貰えるかもしれないと、期待を抱いて、言われるがままに、バックで犯される沙季ちゃんの股間の下に潜り込んでクリを吸ったり、西脇のアナルを舐めさせられたりしたそうです。
事が終わるたびに、淫汁まみれの西脇の巨根をしゃぶらされ、陰茎に残った精液をすすり、沙季ちゃんの膣から精液を吸いだしたといいます。
沙季ちゃんの意志とは関係なく、西脇が次のセックスを始めるまで、沙季ちゃんの性器を舐めしゃぶり、感じさせるよう強制させられました。
敏感になった沙季ちゃんの体は、妻の舌にも、腰を震わせながら鋭く反応しました。
自分はただの一度も、挿入してもらえず、いく事も出来ずにいるのに、沙季ちゃんは思う存分巨根を味わい、休む間もなく、妻の舌で快感を味わっているのです。
何時間もそんなことを続けられれば気が狂いそうになるのも当然です。
一秒でもいいから入れて貰えれば、何時間も興奮させられ続けて、小さな痙攣を繰り返す膣は深いオーガズムを感じることが出来るはずでした。
ピアスと錠で閉じられた性器からおびただしい量の愛液を太腿まで垂らして、涙さえ流しながら挿入を、せめてオナニーをさせて欲しいと懇願したといいます。
しかし西脇は残酷です。
後ろ手に縛り、妻には自らの指で性器を触ることすらも許しませんでした。
沙季ちゃんの脚に股間を擦りつける事さえも見逃さず許しませんでした。
ときおり、大きく張りつめたクリトリスに指を這わせ、妻の欲情を確認し、ため込まされた欲求不満をあざ笑うかのように、濡れそぼった性器を指でもてあそぶだけです。

最後に妻に与えられたチャンスは、イラマチオに耐えることでした。
一度でも亀頭を口から出したらそれでおしまい、西脇を射精させることが出来たら、挿入して貰えると言われて、それは始まりました。
凄惨な現場になる事を分かった上で、西脇はベッドの上に何枚もバスタオルを敷いたと言います。

地獄のような時間でした。
舌も唇ものども使って、何とか射精させようと全身全霊で、フェラチオをしました。
妻の性欲を煽る言葉を投げかけながら、西脇は妻を生殺しにし続けました。
苦痛の限界に近づくと、挿入を浅くして、足の指でクリトリスを的確に弾きました。
徐々に深く挿入し、涙と唾液、そしてこみ上げる胃液にまみれさせながら、西脇は咽を執拗に犯し抜いたのです。
しかし、それを耐えようとする程に、挿入を、生の肉の圧倒的な太さを、彼女の性器は求めて飢えていました。

嘔吐する物さえなく、えづき続けながらも、歯を立てないように唇をすぼめ舌で亀頭や裏スジをなめ回しました。
限界まで開き続けなければならない顎関節の痛みにも耐えました。
「そこが気持ちいい」と言われれば、のどの奥の肉さえをもすすんで亀頭にこすりつけました。
中毒とはそのようなものなのでしょうか。

亀頭だけでも口腔に余るほどのモノの圧倒的な存在感は、その苦しみに耐えた暁に与えられるはずの快感を予感させました。
この太いモノが待ちわびた自らの膣をこじ開けてくれるだろう、と思えば、必死で耐えました。
苦しさにくじけそうになる妻の心を見透かしたように、西脇は「気持ちいい、ああ、もういきそうかも」などと希望を芽生えさせる言葉を口にするのです。
何とか射精に至らせる事が出来れば、入れてもらえる・・・

唇が3分の1も咥えきれないその長さは、力強く、西脇の陰毛の生える付け根まで、目の前に伸びていました。
静脈の浮き出た太い陰茎に、根本近くまでへばりついたままの沙季ちゃんの白い愛液は、強烈な嫉妬心を煽りました。
「沙季のマンコにはここまで入ってたんだよ」と言われれば、そこまで口に、のどに、くわえ込みたいと、自分から顔を押しつけさえしました。
締め付ける対象も与えられぬまま、欲情で収縮しよじれ続ける膣壁を、恋人の私では決して届かない最奥まで一気に串刺しにしてくれる長さです。
さっきまで沙季ちゃんには深く挿入されていた長さです。
服従と恭順を示すかのように、西脇に頭を掴まれ、腰を打ち付けられるがままに、嘔吐反射を繰り返しながらも、のどを差し出しました。

窒息する寸前まで深く入れ続けた後には、口腔までペニスを引き、鼻呼吸を許します。
低酸素のために朦朧とした脳に酸素が送り込まれます。
必死で鼻で荒い息を繰り返しては次の強制的な無呼吸に備えます。
その間も、上顎と舌で亀頭を押しつけ、唇で雁のくびれを刺激します。
染み出るカウパー腺液にもわずかな希望を感じました。
喜びも束の間、再び頭を髪の毛ごと掴まれ、再び深い出し入れが始まります。

リズミカルに激しく頭を振って西脇のペニスを口とのどで刺激するときには、自分の陰唇にぶら下がった小さな南京錠が揺れるのを感じます。
これを外してもらう・・・
これを外して、入れてもらう・・・


西脇は射精するつもりなど元々無かったのでしょう。
最後は過呼吸のためか、妻の意識が先に飛びました。
そこまで落とすつもりで、焦らし、嬲りながら、待っていただけなのでしょう。

射精させることが出来ないままに亀頭は口から離れました。

重い肉棒でしたたかに顔を張りつけられて正気に戻った妻の顔の上で、西脇は四つん這いになった沙季ちゃんに挿入したのです。
西脇の下腿に両肩を組み敷かれ、重みで動けないまま、目の前で、自分が待ちに待った巨根が親友の女性器を貫く様子を見せつけられました。
自分に挿入してもらうために、あれほどの苦しみに耐えながら奉仕した、西脇の巨根が沙季ちゃんの小さな性器を押し広げ、陰唇をめくり返し、激しい出し入れが繰り返されるのを見させられました。
沙季ちゃんの下腹の中で、沙季ちゃんの膣の最奥と子宮を打ち付けているのが、透視できるように分かりました。
私が妻に出来なかったのと同じように、中島が快感を与える事の出来なかった沙季ちゃんの性器の最奥が、西脇の巨根にめったうちにされていました。
沙季ちゃんは決してそんな状況を望んでいないのは、分かっていましたが、妻と同じようにその快感にも逆らえないのも明らかでした。
沙季ちゃんは自分の性器が串刺しにされる様を、妻に見られていることすら、意識できない程に、乱れていきました。
彼女の悲鳴やあえぎ声、呻き声は妻の心をかきむしりました。
興奮で煽られながら焦らされ、精神的にも肉体的にも限界に追い込まれていた彼女は、少女のように悔し泣きをしたと言います。
射精がすむと、西脇は、沙季ちゃんに妻の顔面に騎乗するよう命じ、妻はクリトリスを西脇の指で嬲られながら---それだけで意志に反して従順にさせられ---沙季ちゃんの犯されたばかりの膣から再び精液を吸い出させられました。
西脇が妻から離れると、錠を付けたまま服を着て走って西脇の部屋を飛び出たそうです。
東急ハンズでペンチを買い自宅でピアスを切りました。
泣きながらオナニーをくりかえしては、絶対に絶対に別れると心に誓ったのです。

妻の性2.5 
ほぼ実話 5/30(日) 01:30:18 No.20100530013018 削除

しかし、そんな決意も数日も持たなかったと言います。
濃厚な麻薬のようなセックスに慣らされた体は、ひとりでに西脇に抱かれることを強く求めていました。
どんなに激しく、性器を痛めつけるようなオナニーをしてもたどり着けない快感を肉体と脳が覚えていたのです。


逡巡したあげく、やはり今はまだ別れられないと思ったそうです。
飛び出た日の夜にはすでに、西脇のマンションのそばまで行ったそうです。
しかし思い直して自宅に帰ってオナニーに耽りました。
2日目の夜も同じことを繰り返しました。
肉体の奥でくすぶり続ける、生の巨根への飢えや渇きを焼き尽くす事が出来ればと、与えられていたバイブを必死で駆使しました。
しかし3日目にはもうだめでした。


どうしても、あれを入れられたい・・


それは、肉体だけの問題ではありませんでした。
あれを入れられるとは、生意気で高飛車な女子部員という仮面をはぎ取られ、マゾとして嬲られ、辱められ、いじめられながら、される事なのです。
高い身長や細く長い脚、そして怜悧な美貌が、彼女に与えていた優越感の高みから引きずり下ろされる事なのです。
プライドを奪われ涙を流しながら犯される事であり、何より、強制的に私という恋人を裏切らされることだったのです。
それをされながら、いかされたかったのです。

少なくとも今は、まだ今は、その快感の魔力には逆らえない、それをはっきり認識しました。

3日目の昼前、シャワーを浴びて再び西脇のマンションに行きました。
一切のプライドを捨て去り、謝罪までしたと言います。
完全な陥落であり、二人の上下関係が決定しました。

しかし、本当の地獄はそこから始まりました。


謝罪とともに再びピアスと錠を付けられた彼女は2日に及ぶ放置プレイを受けました。

自分でピアスを切ったことへの罰です。
「この2日間の罰の辛さは本当に私という人間を変えた、人間が調教されるという事の意味を知った」とは妻の言葉です。

同じベッドの上で裸にされ、後ろ手に縛られ、乳首にはローターを貼り付けられたまま、西脇と沙季ちゃんのセックスを見せつけられ続けました。
目をそらすことすら許されませんでした。
西脇が沙季ちゃんに与える激しい快感をベッドの軋みを通じて感じさせられるのです。
ベッドを通して伝わってくるその振動が女性器にどのような衝撃や快感を与えているのかをよく思い知らされていたからです。
腰を打ち付けられる度に、恥骨でクリトリスがひしゃげ、太い全長が膣壁をえぐりあげ、最奥の子宮口を押しつぶすように亀頭がなすりつけられているのです。
しかし悲鳴を上げながらその感覚を享受しているのは彼女ではなく隣で西脇に組み敷かれている沙季ちゃんなのです。
妻の肉体は、舌なめずりをしながら、愛液をあふれさせ、膣が空虚な収縮をすることしかできませんでした。
今度は、フェラチオはおろか、二人の体に触れる事も許されない、放置プレイでした。

二人が寝るときになるとトイレを済ませた後、暖房をつけた別の部屋の椅子に縛り付けられ、ヘッドホンをつけ、アダルトビデオを見させられたそうです。
充たされない欲情と、肉体の疼きで一睡も出来ませんでした。

同時に、肉体に触れる事もない放置の孤独は、絶望的な焦燥感をもたらしました。
フェラチオでもいい・・沙季ちゃんのあそこをなめるのでもいい・・
体温への飢えは妻の思考を焼いてゆきました。

翌朝には不安とストレスで気が狂いそうになり縛られたまま大声で助けを求め叫んだそうです。
寝室から起きてきた西脇に一度だけ縛られたままの姿勢で抱きしめられました。
何時間ぶりかに感じた体温によって、身体が溶けだすような、感覚に包まれたと言います。
涙があふれ、ここぞとばかりに謝罪を繰り返しました。
しかし西脇はまだまだ終わりにするつもりはありませんでした。
水分補給とトイレを済ますと「もっとお仕置きがいるね」と言われプレイは続きました。
ボールギャグを咬まされ、新しいビデオを見せられたと言います。

今度のビデオは妻自身が西脇とセックスするところを、写したものでした。
初めて見るものの、身に覚えのあるものでした。
以前に、西脇が沙季ちゃんに撮らせたものでした。
延々と西脇にフェラチオし、挿入され、いかされ続け、中出しされ、叫び声を上げる自分がいました。
挿入部分のアップでは、白濁した粘液が、西脇の勢いよく出入りする巨根にまとわりついていました。
自らの性器が圧倒的な太さで変形しながら、肉をくわえ込んでいる様子は、見たことのない情景でした。
自分のあられもないよがり声は、映像と共に、その時の快感を、容易に思い出させました。
この瞬間は、膣の狭いところを亀頭が貫いたとき・・・
この声は、今、奥に当たってるんだ・・・
ヘッドホンを付けられ、四肢を固定された椅子の上で、腰がひとりでに、痙攣するようにひくつき続けるのを押さえられませんでした。

耐えられない・・・
本当にあれが欲しい・・・
触るだけでも・・・フェラチオだっていい・・・


昼過ぎに、再び寝室に連れて行かれ、再び沙季ちゃんと西脇のセックスを見せつけられました。
その間、繰り返し何度も何度も、ピアスを切ったことへの反省と謝罪の言葉を言わされ続け、2度と切らないことを誓ったと言います。

少なくともその時は、自分でも、ピアスを切ったことを本当に後悔したと言います。
ピアスを切って自分でオナニーしていた間、絶対に別れたいと思っても、結局は西脇から離れられない自分の身体を思い知っていました。
もしも再び、切ったとしたら、こんな罰を受けるのです。

再度、切ったことが西脇に分かってしまうと、写真を私にばらして、すべておしまいにすると脅しをかけられていました。
しかし実際は、写真がばらされることよりも、凄まじい快感を与えてくれる爛れたセックスを失うことを怖れる気持ちが強かったのです。
何より妻の方がその悪魔的なセックスの中毒になっていたのです。

その罰として焦らされ続ける時間の辛さが、完全に脳に染みこんだ感じだったと言います。
もう二度と決して自分で切ろうとは思わなかったと言います。

それでも、罰は終わりませんでした。
夕方には、再びビデオの前で椅子に大股開きで両手両足を固定され、ギャグを咬まされ、二人で外出したそうです。
部屋がビデオの映像の光以外真っ暗になる頃には、あまりの疲労で、意識が薄れるようにして眠りが訪れました。
しかし眠りは浅く、卑猥な夢や、ビデオの中の自分自身の嬌声に目を覚ましました。

ビデオの自動リピートが何回繰り返されたかも分からない深夜に帰宅した西脇は、再度沙季ちゃんとのセックスを見せつけた後で、すべての縛めを解き、妻にイラマチオを行いました。
30分だったかも知れないし、1時間だったかも知れないと言います。
妻の顔と口、そして咽を性器のように扱い、地獄のような嘔吐反射を繰り返させました。

それをされながら何の抵抗もしないでいること、物理的に拘束されていないのに挿入が欲しいがために拒絶することが出来ないでいることを、言葉にして告白させられました。
苦痛と屈辱を受け入れているのが妻の自らの意志である事を、言わされました。
事実、西脇の身体に触れて良いのは口だけと言われたとおりに、縛られているわけでもない両腕を背中の後ろで互いにきつく握りしめて、必死で耐えていました。

西脇のセックスから逃げられない心と体であることを思い知らせ、閉じ込めました。
完全な洗脳です。

限度を超えたストレスでトランス状態のようになった妻はイラマチオを受けながらも、肉、それも生の男根の暖かみを感じるだけで、体中で快感を感じていたと言います。
いつの間にか失神し、横たわった妻ののど深くに西脇は射精し、妻は精液を気管に誤嚥しながら、激しく咳き込み、嘔吐し、意識を取り戻したと言います。
呼吸が落ち着くと、ようやく、南京錠も外してもらい・・許されました。

西脇のマンションに通い始めてから初めての本格的な抵抗は、西脇のセックスのエネルギーの前にいとも容易く封じ込められ、その代償の重さを妻の肉体がまざまざと感じさせられる事になったのです。


そして・・・
激しい鞭打ちの後の飴は至上の甘美さをもって与えられました。
沙季ちゃんを帰したのち、二人だけになりました。
求めていた巨根を優しく激しく膣に味わわせてもらい、全身を愛撫され、全身にキスマークと歯形を刻み込まれました。
数え切れないほど上り詰め、絶頂から降りて来られぬうちに、きつく締まった膣壁をえぐりあげられ、より高い絶頂に押し上げられました。
射精を性器の奥深くで受けながら本当にそのまま死んでしまう事を夢見たと言います。

西脇にお持ち帰りをされてから3ヶ月、私たちが大学3年生の12月のことです。
気が強く高飛車で、怜悧だった彼女が、その高いプライドを完全に西脇に打ち砕かれた夜でした。
この出来事を境に、西脇のサディズムはより激しいものになり、妻の服従は逃げ場のない本格的なものになっていきました。
その頃の私は、その前の週に妻と行った沖縄旅行でかなりのお金を遣ってしまっていて、バイトに明け暮れていました。

妻の性2.6 
ほぼ実話 6/20(日) 03:01:39 No.20100620030139 削除

あと、2,3回以内には、大学の頃の話は書き終えようと思います。



余程明るいところでじっくり見ない限り、ピアスの穴は分からないものなのでしょう。
その頃の私は、何も知らずに、西脇にさんざんかき回された直後の妻の性器を舐めていましたが、一度も変だななどとも思いませんでした。

ただ、味や匂いが微妙に変わったということには気が付いていました。
セックスをする頻度が減ったせいで、前戯も長くなったし彼女のあそこも興奮しやすくなって、味が変わったのかな、などと思ったのです。
見当違いもいいところです。
それは、これから行われる私とのセックスに期待して彼女の性器が分泌した液ではなかったのです。
何時間もの浮気のセックスで搾り出され、他の男の巨根にへばりつき泡だった、淫らな汁と、そして精液が混じった味だったのです。
妻の浮気相手、そして私の同期の男の精液の匂いだったのです。

しかし、当然、自分の精液を舐めたこともない私にその味が何なのかが分かるはずもありません。
匂いにしても、発情したメスの蒸れた匂いに混じると、そう言われなければ分かるものではないのです。
童貞上がりの経験のほとんど無い私に、自分の恋人が、浮気の経験があるとはいえ、中出し精液を滴らせたまま私とセックスをするなどということは、完全に想像を超えたものでした。
一度として疑った事すら有りませんでした。

妻は、中出しされた精液の味がどんなものなのか、私が知ることがないように、私が自分で射精した後のあそこは舐めさせないようにした、と言います。
私が自分の中出しを舐めて「精液の味」がこういうものなのだと知ってしまったら、いつも私に舐めさせる自分の性器が精液で汚れていることがばれてしまうからです。

繰り返すうちに、次第に、妻自身が自分で驚くほどそのような変態的な行為に興奮することを知っていったと言います。
初めは、西脇の部屋を出たあとで、私とホテルに入る前にトイレで中に残った精子を掻き出したり拭き取ったりするようにしていましたが、次第にそんなことさえ、しないようになっていったと言います。
部屋さえ暗くすれば、どんな状態でも大丈夫だったから・・と。

確かに、妻はその頃、剃毛したままの陰部を恥ずかしいと言い、真っ暗な中で行為を始めるのが常でした。
いきなり私に舐めさせることはしませんでしたが、シャワーは浴びませんでした。
長いキスをして、指で触り合い、濃厚なフェラをしてくれ・・・
そうしていると、すっかり発情し濡れそぼった、妻の性器には不信感は抱きませんでした。
卑猥な匂いも長くなった前戯のせいだと思っていました。

「エッチな味する?」

「する・・」

「きたなくないの?」

「だって美歩もしてくれるから」

お互いシャワーを浴びないままの肉体を舐め、貪り合うのは、「そのこと」があった後からでした。
かえって、それ故か、シャワーを浴びずにすることが、二人のセックスの進歩のように感じていました。
一皮むけた私たちは、卑猥な「大人のセックス」をすることが出来るようになったのだ、というつもりでした。
シャワーを浴びる前の女性のあそこの味や匂いなのだと思っていました。
愛する彼女が、私への欲情で濡らしたあそこを舐めさせたいのだろう、一種の愛情表現なのだろうと思っていました。


西脇との浮気までは大体週に1回はホテルに行っていましたが、その後は頻度がかなり減っていました。

その頃の私は、それは、浮気をしたことなどで妻も心が傷付いているせいだ、という風に解釈していました。
傷付き、以前より気楽にはセックスをしなくなったような恋人が、まさか、いまだに浮気相手の男のセフレにされて、毎回必ず汚された肉体のまま私とセックスさせられているなどとは想像もしませんでした。

しかし、真実は正反対でした。
二日と間を開けることなく、ほぼ毎日のように、西脇とセックスを繰り返していたのです。
同時に私と毎日顔を合わせて、頻回にデートしていても、ほとんどいつも性器は西脇の鍵で閉じられたまま管理されていたのです。
西脇の気まぐれで、私にその「おこぼれ」を与えようと云うときだけ、セックスが許されていたのです。
妻の心と肉体をいじめ抜き、口も性器も肛門も精子まみれにしたあとで、ピアスを切り、直接私とのデートに向かわせたのです。

普段は、私たち二人ともが、あの男によって子供のような股間にされたまま、子供のような清純なデートをしていました。
そしてゼミや授業の後も、デートの後も、サークルの後も、妻は西脇の部屋に行ったのです。
沙季ちゃんなどの友達と会う、アルバイトや習い事に行く、と言いながら。
傷付いた心を癒すのに必要なのだろうと思っていたそれらの時間は、すべて西脇との生々しいセックスに費やされていたのです。

私と別れた後に西脇の部屋に行き、小さな南京錠を外してもらい、思う存分に膣奥まで太いモノをねじ込まれる快感はどうしても忘れられないと言います。
私との時間はすべて西脇とのセックスの前戯のようなものだったのです。

時には1時間にも及ぶフェラチオをさせられ、アナルも使われたといいます。
次第に、焦らされた後では、アナルセックスさえも、自分から求めたといいます。
西脇の気分次第で錠をはずしてもらい、翌日の授業に起きられないほど犯されたといいます。
初めてされたときから5,6ヶ月の間は、新しく手に入れた獲物に対する西脇の性欲は凄まじく、生理の間も含め、ほぼ毎日西脇の精液が妻の肉体のどこかに注がれたそうです。
私は、数少ないセックスの機会に良いところを見せようと禁欲してみたり、募る欲求不満に耐えられず、虚しくオナニーを繰り返すばかりであったその間に、です。


皮肉なことに、その頃すでに浮気された事に倒錯した禁断の興奮を感じていた私のズリネタは、妻が西脇にされた一夜のセックスの様子でした。
浮気のセックスについて詳しいことは何も聞けないままでいましたが、その分、想像力だけがたくましく膨らみました。
合宿の風呂などで見たことのある西脇の凶器のような大きな一物が、自分の恋人の性器に突き刺さり彼女をよがり狂わせている情景を想像しては、オナニーをしていました。
自慰を終えると、毎回、賢者の鬱が始まりました。
その時コンドームを使ったのだろうかと、気にしてみたり、実はあの巨根は彼女の膣には挿入できなかったのではないか、フェラチオをしただけで彼女が浮気をしちゃったと言っているのではないか・・・などと、儚い希望を抱いたりしていたのです。
しかし、実際はそんなウブな私の想像を遥かに超える卑猥な性行為が、現在進行形で昼夜を問わず繰り返されていたのです。


浮気の事件が私たちに持ちあがる前は、妻は経験の少ない私をちょっとからかうような所もある、あっけらかんとしたセックスでしたが、その事件の後のセックスは私にとってはかなり濃厚な激しいものになっていっていました。
先ほど書いたようにシャワーを浴びずにするようになりました。
(私は気を遣って出来るだけデートの直前にシャワーを浴びていたのに、彼女は完全に反対のことをしていたのです。)
フェラチオなどは、ペニスだけでなく睾丸までも口の中に入れてグチャグチャと音を立ててしてくれました。口の中に射精することも許されるようになりました。
新しいレパートリーが加わる度に彼女は「今度の、気持ち良かった?」などと訊いてくれるのです。
何の抵抗もなくシックスナインもするようになりました。
1時間以上にもわたり私の顔全体がベトベトになるほどクンニをするようになりました。

口には出さないものの、それらの変化が、浮気のあとに起こったものであることは、お互い分かっていました。
私からするとそれは、浮気のおわびにという気持ちが込められているような気がしていました。
正直に浮気を告白したことで、セックスで、より多くをお互いにさらけ出せるような関係になっていると勘違いしていました。


彼女は私と会う前だけではなく、私とセックスした後も、必ずその足でそのまま西脇のマンションに帰ることを要求されていました。
私とのセックスに満たされず、欲求不満のままオナニーをすることも禁じるためです。
時には西脇の部屋に行くとすぐに、リングだけでなく錠前も付けられ火照ったままの肉体を焦らされることもあり、それを怖れて、私と別れた直後にデパートのトイレで指をねじ込んでオナニーすることもあったそうです。

しかし、私とのセックスの後に彼女をすぐに戻らせるのは、彼女を焦らし禁欲させることだけが理由ではありませんでした。
彼女が私とのセックスのあとは普段以上に性欲が高まり乱れることを、西脇は見抜いていたのです。
彼女もそのことを何度も西脇に指摘されるにつれて、次第に正直に認めるようになっていったそうです。

私という恋人がいる事を、肉体で思い出させることは浮気への罪悪感を煽りました。
そういう意味では妻は堕ちきってはいなかったのです。
しかし罪悪感は彼らのセックスを刺激するスパイス程度のものだったのでしょう。

そして、私を辱めること自体への興奮も妻の持つ性欲の一側面です。
恋人である私のペニスやセックスに自分が満たされないことを確認するのが好きだったと言います。
もしかするとそれは自分の浮気への言い訳になるからだったのかも知れない、とも言っていました。
しかし何より直接的に、彼女を愛し彼女に執着する私という恋人が、性的には、浮気相手のセックスフレンドに比べて無力であること・・・その悲劇が彼女を興奮させるのです。
浮気相手の指図で、股間を無毛にされ、恋人とのセックスの回数を月にたった1回ほどに制限されている弱い私が、好きだったのです。
浮気セックスの汁を滴らせたままの彼女の性器を、彼女の求めるままにいつまでも舐め続ける従順な私に興奮したのでした。
その弱い人間が西脇の半分にも満たない小さなペニスを勃起させて必死になっている姿に彼女は欲情したのです。
しかしその欲情は私では解消することが出来ないのです。
私がどんなに頑張ってピストンを繰り返しても、西脇のペニスの半分の太さもなく、西脇の半分の深さも突くことが出来ずにいて、自分の肉体の欲情が満たされないこと自体に、欲情していたのです。
このジレンマのせいで彼女は私とのセックスのあとは西脇のセックスに激しく乱れました。

ラブラブな恋人とのセックスのあとで、逆に余計に欲求不満を高まらせた女を抱くというのはどんな感じなのだろうと、純粋に憧れます。
「彼氏とは全然違う」と叫びながら、絶頂を繰り返す女のあそこの締め付けはどんな味わいでしょうか。
恋人が決して届くことのない、膣の奥深くまで挿入し、子宮を打ち付け、オスとしての強さの違いを、弱いオスを見た直後のメスにまざまざと感じさせるのは、どんな気分なのでしょうか。

私には分かりません。
しかし、それが、西脇が「直後の」妻にこだわった理由の一つなのでしょう。


それならば何故、西脇は月にたった1回しか私とのセックスを許さなかったのか、疑問に思い聞いたことがあります。
答えは、シンプルなものでした。
「私とさせてもらったあなたが、大学で、何となく嬉しそうな顔をしているのが西脇君は嫌いだったのよ。
私だけでなくて、たーくんのことも、いたぶるのが好きだったのよ」
と言います。

同時に、セックスを完全に禁じて私が耐えられず、また訝り、二人を別れさせるのも面白くないと思ったのでしょう。
公然の恋人だった私たちが結婚することを楽しみにしていたのかも知れません。
10年以上経った今となって、結婚した後で、こんな過去の話を聞かされ苦しむ私をも想像していたのかも知れません。



思い出すと、ホテルに誘って断られることも、頻繁でした。
次第に私から誘うことも躊躇われるようになっていったのですが。
生理、そんな気分じゃないの、危ない日だから・・・その理由はその時は様々でしたが、実際はただひとつ、浮気相手に性器にピアスリングをはめられ南京錠をぶら下げていたからなのです。

ぶら下げていたというのが比喩的でないこともあったそうです。
パンツを穿けば南京錠もパンツが支えてくれますが、パンツを穿かせて貰えずスカートで、文字通り「ぶら下げたまま」、授業に出たり、私とデートしたことも、しばしばあったそうです。
彼女とのセックスが減り慢性的に欲求不満だった私は、彼女のスカートに浮き出るパンティーのラインなども実によく見ていました。
今日は普通の、今日はTバックだな・・させてくれないのかな・・・そんなことを考えていました。
しかし、妻が言うには、その頃Tバックはほとんど穿かなかったそうです。
私がパンティーのラインがないと思った日の妻は、ノーパンのまま錠前を「ぶら下げて」いたのです。
両側の小陰唇にそれぞれピアスリングが掛けられ、それらをその小さな南京錠がつないで、スカートの下で揺れていたのです。
場合によってはその錠には、西脇の精液が滴っていたのです・・・私の隣で、爽やかな笑顔をふりまいたり、冷たい不機嫌で私を心配させたりしながら。

そんなことを繰り返していればピアスの穴は大きくなります。
それが私に分からないように、2ヶ月に一回、部位を変えて、新しい穴を開けられたそうです。
今見てももちろん孔は分かりません。
しかし、初めて彼女のあそこを見た頃の整った形状のラビアでないことは確かです。

クリスマス、誕生日、バレンタイン、付き合い始めて何年目という記念日など、あらゆる大事な日も、「着けたまま」だったと言います。
大事な日に生理になりやすい、と2人で笑っていました。
しかし笑っていたのは西脇でした。

聞けば聞くほどすべてです。
沖縄旅行の時は、初めて南京錠をされてから1週間も経っていませんでした。
その年のクリスマスは鎌倉のホテルでした。
その時も。
せっかく予約で取ったホテルで抱き合いながら眠るだけの私たちでした。
私は勃起を収めることも出来ず欲求不満に悶え、妻も欲求不満と背徳の興奮で南京錠を濡らしていたのです。
フェラチオだけさせるなどと言うことは私からは言い出せるような関係ではありませんでした。
しかし、事情を知ってしまうと、フェラチオぐらいしてくれてもよかったと、今更ながらに憤ります。
彼女も、フェラチオをしてあげてもよかったんだけどと言います。
だけど、自分は舐めさせることも出来ないのにエッチな気分になっちゃうとあそこが辛いの分かっていたから、と言います。

翌年のバレンタインでは銀座の有名チョコレート店などを沢山一緒に歩きましたがその時もです。

私の誕生日に恵比寿でデートでしたが、その時も。
4年生の6月の大会の試合で彼女が個人戦で優勝したときも。

毎日されていたのですから当然なのですが、
思い出すことの出来るその頃の思い出の中の妻は、いつも、性器を西脇に管理され調教されていたのです。


4年生の夏のサークルの海旅行も下着や水着の下は「着けたまま」でした。
その時は夜明け前まで続いた宴会のあと、早朝に待ち合わせて、旅館の離れの宴会場の脇のトイレで中出しをされたそうです。

今、自宅のリビングには何枚かの写真が飾ってあります。
その中の1枚は、その夏の海旅行の時のものです。
私と妻が一緒にいるところを下級生が撮ってくれたものです。
旅館の玄関の脇の大きな石に2人で腰掛けています。
一泊が終わり出発する前です。
妻は白いタイトスカートにブルーのタンクトップです。
風呂に行く振りをして部屋を抜け出して西脇にトイレで犯された時のままの服だったと言います。
このブルーのタンクトップをずり上げられ、こぼれ出た乳房をトイレの壁に押し付けられながら揉みしだかれていたのです。
その白いタイトスカートはまくり上げられて、バックから挿入されたのです。
強い陽射しに2人とも眩しそうですが良い笑顔です。
とても数時間前に浮気相手に中出しをされて、再び性器に錠もかけられているようには思えません。
しかし、パンツは穿いていたけれど、間違いなくこの時も錠をされていた事を憶えていると言います。
とても気に入っていた二人の写真までもが西脇の精液で汚されていたことを知ったときは激しく憤りました。

その告白の後、「そこに置いておくのが耐えられなければ、どこかに仕舞っても、捨てても、いいわ」、と妻は言いました。
しかし、結局はそのままにしました。
その頃の思い出の写真、思い出の服、プレゼント・・すべてが、西脇のセックスにまみれ、絡め取られていた妻との間の事なのです。
西脇に関わったもの、すべてを否定し取り去ってしまえば、いったいどれほどの物が我が家か失われるのか・・・
大学時代の思い出なんか何も残らなくたって良いと言えばいいのです。
しかし、すべての写真、服、物、を捨て去ったとしても、その不在は、存在と同じように、その事実を私に何度も思い出させることでしょう。
また、物をいくら消し去っても無駄のようにも思えます。
今でも変わらず、彼女が好んで私に舐めさせるその性器が、人生の一時期において、あの男が好きなように巨根をねじ込み精液を注ぎ続けたのだという認識・記憶は、眠っている間を除き、一瞬たりとも私の脳裏を離れないからです。

同時に、よく考えると、そういう事を少し許せる自分に気付くのです。
今はこの写真を見るだけで、興奮がこみ上げてきます。
むしろ、彼女が、その写真の中の、犯された後の自分と何も知らないでいる私が一緒にいる姿を、私に見せつけ続けては興奮を感じること自体に私が欲情するのです。

またそれは、私からの緩やかな復讐のつもりでもあります。
10年20年30年・・まだいませんが子供が生まれ成長してゆく中で、または、彼女が老いを感じる頃、なお、それがそこにあることにどう感じるのか・・
彼女は自分の人生の汚点と感じるのでしょうか。
これまでの長い間、無神経に、または、意識してもなお、その写真を身近に置き続けることの出来た彼女の精神は、びくともせずにそんな記憶さえも良い思い出にしてしまうのでしょうか。
・・・分かりません。


ちなみに・・
その服も妻は今もまだ持っています。
夏になると妻はその白いタイトスカートとブルーのタンクトップをたまに着ます。
その服を着たまま、私を跪かせて、あそこを舐めさせられることもありました。


さて、そんな調教を受けて私とは比較にならない濃厚なセックスの虜にされていながら、どうして私としたいと思ったのか?
客観的に考えると、理解できませんが、それはそれで興奮して実際楽しんでいたようです。

簡単に言えば、半分は悲劇のヒロインのような気持ちだったそうです。
悪い男に脅され恋人とのセックスを禁じられているかわいそうな自分・・・
ときおり許されるセックスで、哀れな私にせめてもの償いに肉体的な快感を与えるために奉仕するけなげな女の子の自分、という役回りに興奮していたのです。

そして残りの半分は・・・これが真に妻の倒錯した部分なのですが・・・私に対するサディスティックな性的興奮です。
寝取られた恋人が浮気相手の巨根の奴隷にされているのも露知らず、陰毛までも奪われた私の惨めさに欲情していたと言います。
私が、減らされたセックスのためにひ弱なペニス勃起させ、睾丸に精液を溜め込んでいることに、秘かに喜びを感じていました。
ようやく彼女の肉体にありついた私に、西脇の精液や汗で汚れた肉体を舐めさせるのは、西脇とのセックスとは違う快感を彼女にもたらしていたのです。
浮気相手の精液を滴らせ無惨にゆるめられたままの性器に、私が必死でむしゃぶりつき、子供のようなペニスを出し入れをしている事に、妻は興奮したのです。

妻の強すぎる性欲や巨根願望は、それ自体、私にとってある種の苦痛ですが、同時に、ある種の喜びでもあります。
しかし、それとは別にこのように私に向けられる、強いサディズムや攻撃性は、二人の間で了解された後、今現在に至るまで私をひどく苦しめることになっています。

こう書くと少しまどろっこしいのですが。
簡単に言えば、彼女は自分の肉体で強い男と浮気をすること自体に快感を感じるのですが、それと同時に、その浮気を私に認識させ、私に惨めな思いをさせること、他の男に受けた屈辱をそのまま今度は自分で私に与えることで、さらに強い快感を感じるのです。
私に対して嫉妬を煽って苦しめる、禁欲を強いる、限界を超えて焦らす、屈辱的な体位を取らせる・・・
そして今では、普通の夫婦ではあり得ないような、もっと激しい事もします。

もったいぶるわけではないのですが、徐々に書いてゆきます。
妻と私の関係が変わっていった過程は、その時その時の、他にはどうにもならないような、必然性があったように感じるのです。
それを、理解してもらいたいし、自分で書きながら納得したいのです。
自分と妻の持つ変態的な嗜好への言い訳なのですが、言い訳は言い訳として筋の通ったものでありたいのです。

しかし彼女の性欲の高まり方次第では、それは私が苦痛なほどに、激しく・・・執拗です。
たぶん、それは彼女が過去に受けた暴力的なセックスの快感や屈辱のトラウマによるものなのだろうと思います。
彼女が西脇にされたことを、なぞって消してゆくように、痛みや屈辱を彼女は私に与えて、少しずつ解消してゆくかのようです。

それは、そんな彼女と別れられない私の性癖の責任でもあるのですが・・・

妻の性2.7 
ほぼ実話 8/3(火) 01:55:10 No.20100803015510 削除


今回でその後の西脇と妻の話はおしまいにします。
あまり面白くない話ですが、ご容赦下さい。


西脇とのセックスの話をするときは、相変わらず淫らにあそこを濡らして話しました。
しかし、関係が終わる前の話は痛々しいほどでした。

今まで書いてきたようなことをされていたと云うことを知っても、妻が西脇と別れた後は、浮気はしていないという告白を信じられました。
それは、妻が西脇のセフレの一人として過ごした日々は、壮絶な快感にまみれていましたが、最後はあまりに屈辱的で狂おしい日々だったからです。
私に隠れて、西脇の気まぐれによって支配され、私とのセックスだけでなく生理やオナニーまでも管理され、日々、自分より若い西脇の彼女やセフレの悶える声を聞かされ続ける生活だったと言います。
次第に、性的に嬲られ、焦らされる事ばかりが増え、滅多に性的な満足は与えられないという、SMを超えたような扱いになっていたのです。


何事にも限界があります。
妻の性欲やマゾ気質についても同じ事です。
西脇のサディズムは妻の付き合いきれるものではなかったのです。


西脇の新しい彼女が終わりの始まりでした。

西脇との関係が半年になる頃、西脇も含めて私たちは4年生になりました。
その頃、妻は要領よく就職先も内定をもらっていましたが、私はバイトと就職活動と残った単位でいっぱいいっぱいでした。
西脇は父親の会社にそのまま入るつもりでしたので、ありあまる時間を「女」に使うことが出来ました。
その年に入学したサークルの新入生、恵子と西脇は付き合い始めました。
情報に疎い私も、このことは知っていました。
やっぱ一番いい女の子持って行っちゃったと、噂でした。
4月のことです。

もちろんすぐに彼女も西脇のセフレたちのことも知りましたが、遊び慣れた彼女は初めのうちは、妻や沙季ちゃんは先輩たちでもあり黙認という形でしたが、5月も終わる頃には、妻や沙季ちゃんと一緒の時も西脇と性行為をするようになったと言うことです。

しかし、自分の「セフレではない彼女」という立場からすれば、彼氏にセフレがいるのは、当然、面白いはずはありません。

私も恵子のことは覚えています。
美人だけど気が強そうだな、という印象でした。
西脇と付き合っているらしいということも知っていました。
若く美人で頭も切れスタイル抜群の彼女に西脇は惚れきっていたといいます。
恵子の要求は何でも、言うとおりになりました。
私が言うのもおかしいのですが、妻も同じようなタイプだと思います。
しかし、西脇がセフレではなく彼女にしたいと思ったのは、何故なのか。
多分、妻は西脇の前では完全にマゾにされましたが、恵子はそうではなかったのです。
その差かも知れません。
恵子は徹底的にサディストでした。

だんだんと妻や沙季ちゃんなどのセフレに不躾な態度をとるようになり、意地悪をもするようになったと言います。
特に西脇のお気に入りだった妻への陰湿ないじめはひどいものでした。

彼女のせいでというべきか、彼女のおかげでというべきか・・・
妻と西脇の挿入を伴うセックスの回数は減っていきました。

それまでの半年間、妻の肉体に西脇の精子が注がれなかった日は殆どありませんでした。
生理の時でもフェラチオはしていたと言います。
しかし、恵子が関わり始めてから、膣への挿入が減り、肛門への挿入ばかりになりました。
西脇が恵子に熱を上げていたのもあり、恵子は、西脇が他の女とセックスすることを、はっきりといやがり始めたからです。
アナルセックスならば本当のセックスではないし、手っ取り早く射精できるので、文句を言う恵子をなだめるには、その方が面倒がなかったのです。
また、恵子は妻が苦痛に顔を歪めるのを小気味いいとも、思っていたようです。
しかしそんなアナルセックスでも、挿入に飢えた肉体には喜びであったと言います。

けれども、妻と西脇のアナルセックスさえ恵子がいやがるせいで、次第に口内射精ばかりが増えました。
自然な流れで、妻がフェラチオだけをさせられ、射精もないまま、恵子に挿入するようになります。
本当は自分に入れて欲しいのに、他の女に挿入するために、ペニスをフェラチオで勃起させるのは辛かったのでしょう。

妻が性欲を満たしてもらえないでのけ者にされることが増えていきました。
のけ者といっても、西脇の管理から解放されたわけではないことが、悲劇でした。
いまだに妻に未練のある西脇は、完全に妻を切ることはせず、それまでと同様に自分のマンションに妻を呼びました。
妻の方も未練がありました。
あまりに西脇との濃厚なセックスに慣れ親しんでいたのです。
嫌な思いをすることはわかっていても、習性のような感じで西脇の元に通うのをやめられなかったといいます。
しかしいくら西脇の部屋に行ったところで、そこには毎回のように、自分よりも優先順位の高い恵子がいたのです。
恵子は、妻と西脇のセックスを、他の女性とするより、嫌いました。
西脇の妻への執着、妻とのセックスをやめさせたい恵子の希望、そして恵子の意地の悪い性格は、結局、妻へのサディスティックなプレイに収斂していきました。


西脇の執心を上手く利用した彼女によって、ほんの2、3ヶ月の内に、寝室の支配者は王から王女――むしろ女王というべきかも知れません――に変わってしまいました。

恵子は、はじめは妻をマンションに来させないように西脇に頼みました。
しかし、西脇の妻への執着が勝り、強引に妻は二人のセックスプレイに巻き込まれ続けました。
縛り付けられ、セックスを見せつける事から始まりました。
西脇の趣味です。

オナニーも出来ず、恋人の私とも、西脇ともセックスを奪われた妻は、身の置き所のない性欲の疼きと、屈辱に耐えかね抵抗しました。
しかし恵子のサディズムは、西脇の影響もあり次第に自発的なものになっていったといいます。
縛られ、セックスを見せられた後の妻をローターや指でいたぶっては、放置するのです。

妻が泣いて嫌がっても、恵子の「お願い」の前にはかなわず、西脇の腕力でねじ伏せられました。
そしてそれは、妻のマゾヒズムの欲望を煽って、西脇の部屋に通い続けさせる程度には、エロティックで快感を伴うプレイでもあったのです。

恵子の危険日には、射精直前に西脇があそこから抜いて、彼女の愛液でベットリと濡れたペニスから妻の口や性器、アナルに射精だけされたといいます。
恵子は、西脇がするかわりに自分がすると言って、ペニスバンドを用意して貰い、妻を組み敷いて自分で犯したそうです。
機嫌が悪いと、錠を着けさせたまま、装着した疑似ペニスを長時間フェラチオさせました。
妻は縛られたまま失神するまでイラマチオをされたこともあると言います。
咬まれる心配が無いせいで、西脇よりも過酷な責め方をしたそうです。
「この女は私が死んでもいいと思っているんじゃないか」と思うほど、残酷にいたぶることもあったようです。

恵子にはアナルも犯されたそうです。
西脇は男ですから快感を与えようと気を遣いますが、彼女はそんな気など遣いません。
普段自分を指導する先輩の顔が苦痛で歪む顔を見つめながら激しく腰を振り立てました。
特に西脇とセックスをした後の妻を許すことはなかったと言います。
妻ともセックスをしたがる西脇への恵子からの交換条件は、その後で思うがままに自分の手で妻を痛めつけ嬲り抜くこと、その補助を西脇がする事でした。

西脇が射精し無関心になった後で、凄惨な性的リンチを一人で嬉々として妻に加えました。


もちろん恵子は、妻や沙季ちゃんなどの錠前のことを知っていました。
西脇がセフレと自由にセックスをすることを嫌がり、6月頃には鍵を自分で持ちたいと言い、妻の鍵も、もちろん彼女が持ちました。
焦らされただけの妻の肉体が、太い挿入を求めて悶えていること、その鍵が膣のオナニーすらも妻から奪っている事を、よく知っていました。
見せつけるようにネックレスにぶら下げていたと言うことです。
練習中でも意味ありげに触って見せたりするのです。

妻が沙季ちゃんと仲がいいのも気に喰わず、沙季ちゃんには少し優しくして、差別したそうです。
妻の前で、自分のネックレスから「先輩、オナニーするときは外してください」と言って、沙季ちゃんだけには鍵を渡して上げたりもしたそうです。
時には、わざと妻もいるときに西脇と沙季ちゃんにセックスをさせ、自分は縛った妻を嬲っては楽しんだと言います。
自分と同じタイプの「かっこいい系」の女性である妻には徹底的に対抗心を燃やしていました。


恵子にとってセフレは自分の彼氏を寝取っているメスネコたちで、憎いのです。
当然の心理かも知れません。
恵子自身が西脇とのセックスに溺れていくにつれ、妻への嫉妬や攻撃は過激なものになったと言います。

夏になると、妻が西脇とセックスできるのは、週に1回が限度だったと言います。
それ以外の日は、縛られ焦らされたまま禁欲を強いられるか、恵子のペニバンで犯されたそうです。

欲求不満を溜め込まされて、彼女の疑似ペニスにすら快感を与えられる妻に、恵子はいらだちを覚えるようになりました。
彼女の責め方は陰湿なものになっていきました。

例えば、いく直前で挿入を抜き去り、南京錠を着けてしまうのです。
そして、後ろ手に縛り同じベッドに寝かせたままのこともあれば、手首をロフトの手すりにひもで縛り付け、両腕を挙げて立たせたまま、自分たちのセックスを見せつけたのです。
もちろん、実際に腕力をふるうのは西脇です。
セックスに飽きるとラビアのリングや錠前に重い物、例えば、ローターや妻の化粧ポーチ、携帯電話などを吊していたぶりました。
いたぶりながらも、クリトリスにローターやバイブをあてて、欲求不満を煽ることも忘れないのです。

ネックレスに下げた鍵を見せながら、妻を西脇の部屋から送り出すときの彼女の顔が忘れられないと言います。
「先輩、クリでばっかりオナニーしたらクリがおっきくなっちゃうから気をつけて下さいね」などと言われるのです。

その子のせいでまた何日も妻の膣奥は太さに飢え続けなくてはならないのです。
いつ与えられるかも分からない生挿入と中出しのためにピルを飲み続けるのです。
しかし、それが与えられたときの快感を思いだすと、関係を終わりに出来なかった、と言います。


恵子はサークルでの指導ペアの変更を求めました。
通常1年生とペアになって指導する上級生は3年生で、入部当初からからペアになっていた3年生がいましたが、彼女はいろいろと理由を付けて4年生の妻に変更させました。
女子の中でも発言力のある妻が提案するように要求したそうです。

サークルとはいえ準体育会というほどの、真面目な活動をしていましたし、妻はテニス自体大好きだったので、一生懸命でした。
高校までの水泳は親が小さい頃から半ば強制的に練習をさせていたので、半ば義務のような感じでしたが、テニスは自分で決めて始めたスポーツだったからです。
体格にも運動神経にも恵まれた妻は、サークルの中でも経験者に負けない実力を身に付けていました。
高校からテニスをしていた私を追い越すのには、1年もかからなかったほどです。
西脇との関係が始まった後は、セックスにまみれた日々でしたが、サークルの活動自体は欠かさず真面目に参加し、自主的なランニング、ジョギングも変わることなく続けていました。
(彼女が西脇につけられた錠前をしたまま、ジョギングをしていた姿を思い浮かべると、それはそれで、興奮させられます。
彼女はいったい何を考えながら走っていたのでしょうか・・・)
西脇との関係がどんどん深みにはまっていく中で、唯一、健常な生活とのつながりを維持しているように自分に納得させるためだったかも知れない、と言います。

彼女にとって残された聖域であったサークル活動が、恵子と指導ペアを組むことで徐々に侵食されていくのは辛かったと言います。

練習中などサークル内では従順なそぶりで振る舞っていました。
私も不自然に感じたことなど一度もありませんでした。
しかし、妻の態度や指導の仕方が気にくわなかったりすると、不機嫌な顔になり、シャツの下に隠れていた妻の性器の南京錠の鍵のペンダントを誰からも見えるように、シャツの外に出していじって見せたりしたそうです。
彼女がヒステリーを起こすと、誰もいないトイレに連れ立ち、目の前でネックレスから外して便器に投げ込んだり、「体育館のあたりでネックレスごと落とした」と言うのでした。落とし物の届けが庶務に出るまで妻は不安な時間を過ごさせられたりしました。


時には妻も従順になれないこともありました。
しかしそういう時は、後でその仕返しを、西脇のマンションで行うのでした。

繰り返し行われ、屈辱的で忘れられないプレイは、両方の手首をロフトに縛られ立たされたまま、嬲られることでした。
先ほど書いたように、二人のセックスを見せるだけでなく、時間をかけてあらゆる種類の、いたぶり方をされたそうです。

初めて、その姿勢をとらされたときにされたのは、テニスラケットの柄を入れられたことでした。
わざわざ、試合用のユニフォームの上下を着させた上で、スコートをまくり、インナースパッツとショーツを膝上まで下げさせて、したそうです。
恵子は、妻の目を見つめながら、憐れみの微笑みさえみせて、自分の先輩に両足を開くように命じ、妻自身のラケットのグリップをゴムもつけずにねじ込んだそうです。
そんな挿入すら、ぬめった性器で受け入れてしまう程に、焦らされていたのです。
恵子のラケットにはコンドームを被せ、前後に入れられることもありました。
案の定、膣に2本とも入れられもしたそうです。

好きなだけ膣をかき回すのに飽きると、グリップは性器に突っ込んだまま、膝まで脱がせかけたスパッツとショーツにフレームの部分を引っかけるように乗せて、放置したそうです。

思い出すと、白いテニスウエア姿の妻はとても凛々しくて素敵でした。
卒業後は一度もテニスをすることもウエアを着ることもありませんでしたが、清潔でキリッとしたあのウエア姿のまま、辱められる姿を見ることが出来ないのが残念でなりません。

テニスボールも道具に使われたそうです。
テニスボールにコンドームを被せ、妻に挿入して放置するのです。
ローションを使っても4個は無理で3個がギリギリの限界だったそうです。
鏡で見させられると、丸く伸びた膣口から、コンドームに覆われた黄色いテニスボールが少し顔をのぞかせていました。
3個入れられた後で、小陰唇をいつものように閉じられ、合わせ目の部分に引っかけるようにローターを置いて、ぶら下げるのです。

テニスボールの話を聞いた私は興奮して、妻に許可を得て実際にそれを作ってみましたが、1個でも想像を超える大きさでした。
そんなものを3個も膣に埋め込まれたまま、一晩中放っておかれたら、どんな気持ちになるのでしょうか。
現実的に性器はどのような状態になるのでしょうか。

テニスの道具をプレイに使用することは本当に屈辱的だったようです。
ある意味では、自分のまっとうな生活のすべてであった、テニスを新入生に嬲られる道具にされるのです。
しかし、妻自身のマゾ気質とそれまでに仕込まれてしまっていたセックス中毒、巨根中毒は、そんな責めにさえ快感を感じさせました。

きつい合宿の前日や、大事な試合の前に、一晩中、両手を上に縛られ、立たされたまま責め抜かれたこともありました。
膣には3個のテニスボールと隙間を埋めるように入れた複数のローター、そしてクリにも乳首にもローターを張りつけられて、立ったまま耐えさせるのです。

耐えるというべきなのでしょうか。
立ったまま、全身を見られながら、一人でオーガスムを迎え、笑われる。
いった後の不感期の後、間隔を置いて、またいってしまう・・・
またいった、と笑われる。

立たされたまま、ボールギャグを咬まされることが多かったそうですが、太いバイブを口にくわえ続けさせられることもあったそうです。
バイブの柄の部分に紐を結びつけ、それを股間のピアスにもくくるのです。
手を縛られた状態で口から落とせば、ピアスの部分に激痛が走るのですから、必死で咥え続けたそうです。
ピアスや南京錠にものを吊すのは恵子の好きなプレイでしたから、切れたりしないように、より太いピアスをよりラビアの付け根に近い部分に穴を開けられてつけられていたそうです。
口から落とした後は、再び咥えるか、そのまま股間から吊すか、自分で選ばされたそうです。
再び落としてラビアの千切れるような衝撃を受けることも怖いけれど、重く太いバイブを何時間もピアスに吊されるのもどうしても避けたい・・・
多くの場合は、咥えたそうです。
落とした瞬間気をつければ、何とか腿や膝を曲げて当てることで、落下の衝撃をもろに小陰唇で受けないように出来たからです。
しかし、妻が咥える方を選んでばかりいれば、「吊す」ほうが恵子にとっては魅力的な選択肢になります。
そして、そんなことを繰り返すうちに、結局は、咥えさせたまま別のもう1本を吊す、という風にエスカレートするのです。

頭上に上げた両腕のだるさ、紐が食い込む手首の痛み、ボールギャグから胸そして股間に垂れるよだれの惨めさ・・・
立ったまま、いき続けると太腿の疲労はひどいものです。
快感と痛みや辛さに、うめき声を上げながらバイブを咥え続ければ頭痛がするほど顎が疲れます。
何より、膣に埋め込まれたボールの圧迫感は消えることはありません。
いくたびに、3個のボールを膣が喰い締めるのが分かります。
縛られ立たされたまま何度でも気をやる姿を後輩の女子に見られる惨めさに涙も流したそうです。
涙を流しながらも快感に飲まれてゆく姿を晒さなければならない、そのことにも興奮もしていたそうです。

そんな責めの翌日には、寝不足と全身の疲労で辛そうにしている妻に恵子は平然と「大丈夫ですか〜」と声をかけてきたそうです。
深夜には、責めるのにも飽きて、自分は隣の部屋で寝ていたのに。

恵子への反感こそ消えることはなかったものの、そのような屈辱的なSMプレイは、しかし、妻のマゾヒスティックな願望を虜にし始めていたのも事実だったと言います。
反感を感じ、憎いと思いながら、自分より年下の美しい女の子に責め抜かれることは、快感をももたらしました。

コンドームを被せたテニスボールを入れられたまま、ゼミに出たこともあるそうです。
もちろん、錠をされ、自分では出せないのです。
長時間立ったり座ったり歩いたりするには、1個が限界だそうです。
2個入れたままでは、とても苦しいそうです。
恵子はわざわざ、妻を西脇の部屋から送り出す前に自分でスカートをめくらせ下着を降ろさせて、ボールを入れたコンドームの端を左右のピアスにキュッと縛るのが好きだったと言います。
そんなときは、本当に優しそうに「先輩、夕方まで頑張ってくださいねっ」とキスをするのだそうです。

肉体的な快感で、セフレたちを「飼っている」事を承知している西脇は、ときどき、妻や沙季ちゃんが完全に別れようとする意志を持とうとする前に、二人だけの時間と自分のペニスを与えました。
久しぶりに与えられる快感の鮮烈さは、日頃の屈辱、恥辱を耐えさせました。


妻の口から語られると、私にとっては光り輝く宝物のように思えるこれらのエピソードですが、それは妻をして語るのに10年以上の歳月を必要とした思い出なのです。


4年生の10月、最終的に妻が別れることを決意した時のいじめには邪悪なものを感じます。

妻はピルを飲んでいましたが、恵子から、個人輸入で安く買えるから分けてあげますよ、と言われそれを恵子が飲んでいるのも見てついうっかり信用し、それまでのものから、恵子のくれたものに変えました。
しばらくして、3日ほど恵子が来ない日がありました、西脇が妻とセックスすることは計画どおりだったのです。
喜んだ妻は、恵子に邪魔されることなく何ヶ月ぶりかに長い時間をかけて、西脇にされたそうです。

しかし、久しぶりに恵子が戻ってきて、それまでのように、妻を縛って、西脇とセックスを始めた後でとんでもないことを言い始めたのです。
あのピルは、ただのビタミン剤だ、と言われました。自分は別のちゃんとしたピルも飲んでたよと。
そして、恵子がいなかった、この数日間は避妊薬を飲んでいないとしたら、完全に危険日でした。
その間に何回西脇に中出しされたことか・・・呆然としました。

緊急避妊のことを知っていた妻は、早くその薬を処方してもらうために、クリニックに行きたいと懇願しました。
遅くとも72時間以内でなければ、ピルの内服による緊急避妊は出来ないからです。

泣き叫んで狂ったように暴れましたが、恵子は、後で堕ろせばいいじゃない、とのみ言って、取り合いません。
ボールギャグを咬まされると、叫び声もよがり声も同じようなものです。
本気で暴れるので、何度も縛り直され、プレイのレベルではない、犯罪のようだったと言います。

悔しさは今までのプレイでのものとは比べものではありませんでした。
涙も怒りも枯れ果てたと思うほどの苦痛でした。
妊娠を恐れていたからこそ、たまにしか西脇とのセックスが出来なくてもピルを飲み続けたのでした。
しかしそれがこんな年下の女の策と暴力のせいで、自分の肉体が今まさに取り返しの付かない傷を負わされ、自分が胎児を殺すことになる。

絶叫を繰り返し、どれだけ自分が本気か、こんなのはプレイじゃない、もう全部おしまいにしたい、そう訴えようとしましたが、二人ともせせら笑うだけです。

西脇は、縛られたまま、焦りと怒りにのたうつ妻を平気で組み敷いて、レイプしました。
ローションが必要な状態だったと言います。
それでも激痛が走りました。
本当にレイプだと思うと、言いました。
ローションついでだからと、肛門も犯されそうになりましたが、あまりの絶叫に中断したそうです。
それでも縛めが解かれることはありませんでした。

別室に放置され、怒りと諦めとの間を彷徨い続けました。
翌朝あっけなくそれは終わりました。
眠そうな目を擦りながら妻の前に現れた恵子は、「ビタミン剤っていうの嘘だから、安心して、って今更遅いか、あはは」と言ってトイレに行きました。

言葉は出なかったと言います。
何をどう言えばいいのか、分からなくなっていたのです。
ギャグもロープも解かれたあと、服を着て家を出ました。
家で小陰唇のピアスを切り、南京錠と共に捨てました。
この時ばかりは、ついに、西脇から別れるという決意は揺らぎませんでした。


一晩中感じた、苦痛や激しい怒りや絶望感は、しかし彼女自身の中で、ある意味で正常な思考をもたらしました。

何故こんな目に遭っているのか?
よく考えればそれは明らかでした。
自ら、自分の恋人を裏切り、他人の恋人とのセックスを楽しもうとしたからです。
あの女は憎い、けれども、もっとひどいことを自分は自分の恋人にしている。
西脇のことも憎いと感じたそうです。
しかし、その感情も的外れなものであることは、分かっていた、と言います。
いつでも自分は逃げられた・・・のに逃げなかった。
自分は単に負けたんだ。
セフレに飽きられたっていうことでしょ・・・

言葉の上ではそう解決して見せても、しかし、1年にも及んだ異常なセックスにまみれた二重生活が彼女に残していた爪痕は大きなものでした。

肉体的にも精神的にも西脇と恵子は妻の限界を責め苛み、そして、結局は破綻したのです。
マゾヒストとしての快感を通り過ぎ、心に傷を負わされたのです。

そのせいで、もう二度と男の言いなりになるようなセックスはしない、と決心したと云います。
ひどい心のトラウマになっていたのです。
とくに、西脇との最後のセックスが、激痛を伴った強姦のような状態だったことは彼女を深く傷つけたようです。

そう言われれば、私と結婚したのも、肯ける選択と言えるでしょう。
私のことはセックスをあまり意識させない中性的な男と感じていたのです。

心の傷が癒え始めたのは私と結婚して3年以上経った頃と言います。

心の傷とは、具体的には、西脇と切れてからも、性に関しての心のバランスが崩れていたのです。
摂食障害の人が過食と拒食を繰り返すように、数週間おきに、激しい性欲と妄想に突き動かされ一日中オナニーを繰り返す日々があり、ふとしたタイミングで、全くの不感症になって数週間が過ぎるという、不思議な症状だったと言います。
一番変わったのが、挿入に対する嫌悪感・恐怖感でした。
オナニーでは、挿入はせず、クリトリスのみでしたそうです。
挿入は怖かったと言います。

私とのセックスは普通にしていたのですが、そのことを尋ねると
「嫌だったけど・・・たーくんのだからね・・・分かるでしょ?」
とのことでした。
彼女が恐怖感を持ったりフラッシュバックを起こすような、「男のペニス」とは感じなかった、ということです。

結婚した後に、一度だけ、性欲がおかしいほど高まってしまったときに、私以外の男と寝ようとした事があったそうですが、いざ事になると、猛烈な動悸と吐き気が襲い、何も出来なかったそうです。私より前に付き合っていた彼氏だそうです。

そんな、心の失調にも気付かないほど私は鈍感だったのです。

私が気が付かないなんておかしいとおっしゃる方もあるかも知れません。
しかし、妻の感情の起伏が激しいのはもともとでしたし、意志の強い性格ですから、私に自らの心的トラウマやセックス中毒を隠し通すぐらいのことは出来たのだと思います。

心の傷が癒え始めたとは、そういう意味では、元の通りの巨根願望や挿入を焦がれる気持ちが戻ってきたということです。
しかしそれでも、私のモノよりも大きなバイブや、私以外の男とするのは怖かったそうです。
また、オナニー狂いのような時期と不感症のような時期がそれぞれ薄まって、「持続的な性欲」が戻ってきたそうです。


・・・・・・


さて、妻の大学時代のことは、もうこれくらいでいいでしょう。

私の寝取られマゾの発覚後、妻とのセックスはとても刺激的なものになっていました。
正直に自分の暗い願望を妻に打ち明けたことは、間違っていなかったと思っています。
妻にとっては過去のセックスを私に語ることは自分のトラウマを修復する過程でもあったようです。

毎回のように、嫉妬で煽られ、焦らされて、SMのようなプレイで屈辱を受けても、それは私も望んでいたことでした。
妻により科せられた禁欲に忠実に従い、その後で与えられる快感に身を委ねることは、日課のようになっていました。
同時に妻にとっては、自らが受けた屈辱的でサディスティックな辱めを、今度は自分が私に与えることは、過去の鬱憤を晴らし、西脇や自分自身を許してゆくために必要なことだった様です。

そのような日々に、このサイトに「妻の性」を書き始めたのでした。

これから書く話はこのサイトに投稿するようになった頃に始まりました。

出典:妻物語
リンク:http://homepage3.nifty.com/tumamono/index.htm
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