1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:31:46.19 ID:gMn0CNvy0 うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた 絵は上手じゃない ただ、どうにかして形に残したかったらしい ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた 絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで 小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた 友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした 破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた 翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた 「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」 申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:36:47.57 ID:/0aDQdt00 おいやめろ おい 23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:44:17.02 ID:z0w9PiuII 腹違いの兄貴が居る。 俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。 一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。 大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。 俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」 兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。 姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。 兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」 俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。 お返しだ。ザマミロ。 姪っ子の結婚式の時、 「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」 って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。 26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:44:57.31 ID:NJDw35QJ0 娘が6歳で死んだ。 ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。 直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので 病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。 葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、 もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。 初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。 とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。 6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、 とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。 ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。 女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、 服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。 学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし 成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。 女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、 必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。 28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:47:13.07 ID:m3f1ZZBA0 かみさんが ゴルァ っていうやつ 31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:48:43.75 ID:NJDw35QJ0 >>28これ? どうしてがいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ! どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ! どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ! どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ! おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ! 長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ! 病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ! こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ! 正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ! それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ! もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ! あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ! そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ! それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ! 生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ! 37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:55:21.37 ID:m3f1ZZBA0 >>31 それそれ ありがとう 39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:00:18.85 ID:gmj82TBC0 >>37 続き 元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ! 病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! 病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ! どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ! 医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ! こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ! それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ! バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ! 忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ! 死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ! こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ! あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ! 何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ! そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ! 生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ! 子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ! たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ! ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ! そんなあんたが死んで5ヶ月... 子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ! 元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ! 目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ! どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ! 私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ! あんたも遠くから見守って居てください。 57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:42:05.44 ID:m3f1ZZBA0 >>39 全編ありがとう 58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:44:13.38 ID:GQuQN72B0 >>31 これだけはダメまじで泣ける 30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:48:10.89 ID:QuIJ6Ogq0 京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。 事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。 片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。 片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。 母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。 片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。 生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。 カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。 最後の親孝行に片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、 2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は 「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は 「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。 この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。 冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。 肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。 裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。 殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。 目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。 42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:04:35.71 ID:eD6GLDI80 >>30 この事件知った当時、マジ泣きしたわ 59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:45:01.01 ID:g+yxo6r80 >>30 何度見ても泣ける 35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 21:50:29.38 ID:b1hMQa760 ベトナム戦争から家に帰る前夜、青年兵士は自宅に電話した。 「明日帰るんだけど、他に行くところがない友達を連れて帰りたいんだ。 家で一緒に住んでもいいかな?」 息子の帰還報告に狂喜した両親は、勿論!と泣きながら答えた。 「でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだ。 彼は地雷を踏んでね、腕と足を失ってしまったんだよ。 でも、僕は彼を家に連れて帰りたいんだ。」 その台詞に、両親は押し黙ってしまった。 「数日ならいいけれど、障害者の世話は大変よ。 家にいる間に、そのお友達が住める所を一緒に探しましょう。 あなたにも私たちにも自分達の人生があるのだから、 そのお友達 の世話に一生縛られるなんて無理よ。」 やっとのことで母親がそれだけ言うと、息子は黙って電話を切った。 翌日、警察から電話があり、青年兵士の両親は 彼がビルの屋上から飛び降りて死んだことを知らされた。 死体と対面した両親は絶句し、泣き崩れた。 135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:37:42.85 ID:z9cSHfM10 >>35 これって自分のことを言ってたんだな 今気づいたわ 48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:12:14.67 ID:b1hMQa760 別に泣いてないけどグっときたヤツ 552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt 子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。 それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。 それほど簡単なことを私はしてこなかった。 50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:24:04.31 ID:lBCs/hge0 お前ら最近いつ涙流したよ? 51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:24:38.12 ID:b1hMQa760 >>50 アデューの本当の意味を知って昨夜泣いた 52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:26:24.14 ID:TJpZD1pO0 >>51 kwsk 54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:34:39.20 ID:b1hMQa760 >>52 妹が今年の夏に亡くなったんだけどすごいハイテンションな子だった。 ある時から急に別れ際「アデュー」しか言わなくなったの。 妹らしい可愛いおふざけだなーって思ってたら その後1ヶ月もしないうちに病院で静かに息を引き取ったのさ。 そして昨夜ネットでなんとなくアデューの意味調べた。 フランス語でバイバイの意味だろ。って思ってたら違ったんだよ 「次、いつ会えるか分からない時のあいさつ。 長い別れを告げるあいさつ。」 あぁ妹は覚悟してたんだな。ってその時はじめて知って泣いた 78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:09:14.92 ID:TJpZD1pO0 >>54 つらいのにありがとう、泣いたわ・・・ 64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:54:13.62 ID:y7QDeFoIO 病気の母が作った弁当捨てたやつ 66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:56:17.79 ID:UAy3BMOjO >>64 なんだそれ 67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 22:58:38.98 ID:b1hMQa760 >>66 私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、 母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。 友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。 ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。 私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。 すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、 とても食べられなかった。 家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。 私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので 「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。 母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。 それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。 母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。 中を見ると弁当のことばかり書いていた。 「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。 後悔で涙がこぼれた 69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:01:43.37 ID:y7QDeFoIO >>67 それだ!有難う 71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:02:09.16 ID:J//osCu40 >>67 つか、これキツ過ぎる 75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:05:19.68 ID:NJDw35QJ0 105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10 4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、 どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。 ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。 「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、 「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」 と書いてあったそうだ。 旦那は去年、交通事故で他界した。 字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・ 受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。 「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」 最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。 娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。 77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:07:05.67 ID:2/eK36k10 カーチャンの七不思議 夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる 夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる 俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる 俺が逆切れしても困ったように笑ってる 俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる いまだに俺の誕生日祝ってくれる 俺より長生きしてくれない 80: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 []:2011/12/14(水) 23:13:35.51 ID:GFoznpRU0 母が死んで3年経ったのか。早いな。このスレ破壊力すげー 82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:14:31.68 ID:9G+eoyuiO バカこんなスレ立てんなよ。 実家帰りたくなったじゃねえか。ほんとバカ 83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:15:04.27 ID:TJpZD1pO0 僕はご主人様に拾われました。 毎日、おいしいご飯をくれました。 外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。 いつも、いっぱい遊んでくれました。 たまに、イタズラして怒られました。 けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。 ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。 そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。 いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。 いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。 病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。 家に帰っても、ご主人様は泣いてました。 だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。 そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。 数日後…僕は体が動かなくなりました。 ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。 ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。 僕は…少し眠くなりました… ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。 ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。 僕は…少し眠くなりました… ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。 ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。 ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。 僕はすごく幸せです。おやすみなさい。 僕は…眠りにつきました… 90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:28:07.88 ID:Squ8gowQO なぁ、信じられないだろ? もういい歳なのに>>83のコピペ見たら涙が止まらないんだぜ… 91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:28:10.82 ID:WsuKk0vS0 >>83 去年死んだ犬思い出して泣いちまったよ 98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:45:48.31 ID:Zjmhy3rz0 >>83 泣けるね・・・先月亡くなった猫との思い出を 振り返ってしまい、涙がこぼれたよ。 86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:18:25.45 ID:FkoTnkOs0 ビデオレターの話を頼む 母親が死んで、娘に三本のビデオレター遺す話 100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:47:22.50 ID:TJpZD1pO0 サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。 その時、サキちゃんはまだ2歳。 「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」 まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。 そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。 (ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される) 「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」 サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。 「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ! ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」 そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。 新しいママが来た日のサキちゃんに 101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:47:47.00 ID:TJpZD1pO0 >>100続き そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。 3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。 なつかしいママの顔が映し出された。 「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。 …… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 …… サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る) ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。 あなたの成長を見つめていたい…。 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。 それは、『ママを忘れる魔法』です。 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」 そこでビデオは終わった。 しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。 ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。 そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。 天国のママに見てもらうために 111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2011/12/14(水) 23:57:03.66 ID:+N5ocKOJ0 >>101 泣いちまった 121:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:07:49.31 ID:0JUQbALe0 >>101 泣いてしまったわクソッタレッ 137:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:50:40.87 ID:chwTHwMg0 >>101 リアルに泣いたじゃねーかちくしょう 96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:44:32.20 ID:TJpZD1pO0 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった 母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた 土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。 娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに 遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。 ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。 野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは 招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、 母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。 俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。 新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて やることもできた。 そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように 「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。 119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2011/12/15(木) 00:06:39.60 ID:jEBFnPnnO >>96はいつ見てもうるっとくる 125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:23:52.15 ID:7+sBTQ0i0 俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。 特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて 誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。 高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが 家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の 「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・ 会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。 モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。 何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると 「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。 それが最後の言葉だった。 「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に 母の炊き込みご飯が食べたくなる。 126:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:25:23.21 ID:t3+2NOqVO みんなカーチャンの事好きなんだな… 127:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:28:56.06 ID:7+sBTQ0i0 865 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 14:26:35 ID:eRNXPqx/ 自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、 夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。 大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、 しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。 その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも 「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。 が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。 当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。 寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。 そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。 やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、 私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。 ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。 しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、 こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。 それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。 嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。 内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど−してくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、 父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。 130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:33:48.47 ID:dOWPkJaQ0 妹「ねぇ・・お兄ちゃん最近嬉しそうだね」 家に帰ると、帰りを待っていたかのように妹が嬉しそうに言った。 俺「うっせぇな・・何も無ぇよ」 妹「あ・・ひょっとして彼女でも出来たの?」 からかう妹を無視して俺は自室に直行する。 机の上のPCを立ち上げ、すぐに自身のブログをチェックする。 『NEW!新しいコメントが届いています』 131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:34:01.21 ID:dOWPkJaQ0 一ヶ月ほど前に親にお願いしてPCを買ってもらった。 妹「えー・・いいなぁお兄ちゃんばっかり羨ましい」 俺「お前も高校生になったら買ってもらえよ」 妹「ちぇー・・・ケチ!」 その後拙い知識を総動員させ、何とかブログを立ち上げる事が出来た。 と、言っても個人のブログなんて誰も見ないから最初の一週間は訪問者ゼロの状態だった。 変化が起きたのは丁度一週間後。いつもの様に学校であった不満、愚痴をブログに書こうとすると 『NEW!新しいコメントが届いています』のポップが表示された。 嬉しさと期待と不安でコメントをチェックする俺。 132:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:34:18.95 ID:dOWPkJaQ0 『日記拝見しました^−^b凄く面白い内容でした。これからも色々な日記で楽しませて下さいね♪´∇`』 可愛らしく書かれたコメントに俺は興奮し、それから毎日の様に身の回りの写真やその日あった出来事などを面白可笑しく書いていった。 たまに荒らしっぽいコメントも来た。しかし好意的なコメントをしてくれる人は毎日、日記の下にコメントを送ってくれた。 暫くすると荒らしのコメントも消えていった。自然と俺の中でコメントをくれるその人を喜ばせる事が幸せになってきた。 その人はいつも俺の事を影から見守ってくれてる感じだった。 俺が学校のテストが悪かった事を日記で書くとコメントで『そんな日もあるかもね・・でもあんまりしょげちゃ駄目だよ´・ω・`』などと慰めてくれたり 体育の授業でDQNチームに圧勝した事を書くと『凄い!!私もそれ見たかったなぁーwー=3』などと返信してくれた。 その人とのやり取りが楽しかった。 別に会えなくても何処かで繋がっている・・・そんな気がした。 133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 00:34:32.89 ID:dOWPkJaQ0 しかしその一方である時疑問に思った。いつもほぼ同じ時間・・学校から帰って日記を書こうとする大体一時間前にその人はコメントをしている。 一体、どこの人なんだろう・・・もしかしたら近所に住んでいたりして・・ 好奇心が沸いた俺は、ホストの権限を使って書き込みをしてくれている人のIPアドレスをチェックしてみた。 愕然とした。いつも俺を励ましたり・・時には応援してくれていたりしたそのコメントは・・・ この家にあるこのPCから発信されていた。 俺は泣きながらブログを閉鎖させ、PCの電源を落とした。 139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 01:04:17.55 ID:7+sBTQ0i0 俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。 見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。 俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、 母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。 当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。 母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は 特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり 無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。 しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、 まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。 普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、 人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。 今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。 祖父、祖母、母、妹、俺・・・。 その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、 崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。 140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 01:13:47.48 ID:+QNnwILw0 >>139 。・゜・(ノД`)・゜・。 142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 01:15:21.80 ID:OwxZMQwc0 >>139 父ちゃん.. 103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/14(水) 23:52:30.64 ID:Zjmhy3rz0 何だか今日は泣けるな 出典:いくつか既出あると リンク:思うけどごめんな |
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