「良治さん」という叔父がいた。親父の3歳下の弟だ。 うちの近所に住んでて、俺が小さい頃からよく遊び相手になってくれた。 親父よりずっと背が高くてイケメンのスポーツマン。 優しくて物知りでユーモアもあって、俺の理想というか憧れの存在だった。 休日にはキャッチボールとかの相手をしてくれたし、自転車の乗り方も教わった。 小学校に上がると、たまに勉強も教えてくれるようになった。 学校の先生より100倍分かりやすい。良治さんは普通の会社員だったけど、 教職に就いてたらいい先生になっただろうな、と今でも思う。 うちの親父は面倒くさがりで、休日もほとんど部屋から出ない人だったから、 俺と一緒に過ごした時間は、もしかしたら良治さんの方が長かったかもしれない。 実際、親父よりずっと頼りになった。俺が母に怒られて落ち込んでると、 近くの公園とか良治さんの家に連れて行って慰めてくれた。 奥さんは痩せた小柄な人で、料理がとても上手だったのを覚えてる。 良治さんは半べそをかいてる俺を慰めながら、なぜ親が俺を叱ったのか、 そして両親がどれだけ俺を愛してるか、優しく噛み砕いて諭してくれた。 それを聞いてると、あれだけ厳しく俺を叱った母に無性に申し訳ない気になり、 良治さんに連れられて家に帰って、泣きながら謝ったもんだ。 こう書くと俺の親の立場がないが、特に母は良治さんに絶大な信頼を寄せていた。 俺がワガママ言ってると「良治君に言っちゃおうかな〜」とか。 今から思うと教育上どうかという気もするが、少なくとも俺には効果絶大だった。 子供の頃には誰でも一度はあるらしいが、 小学生の頃、「俺がうちの子じゃなかったら」とか考えたことがあった。 俺の場合、口うるさい母、子供にほとんど無関心な親父じゃなくて、 優しい良治さん夫妻の子供だったらよかったのに…だったが。 一度、親にこっぴどく叱られた時、良治さん本人にそう言ったことがある。 良治さんは少しだけ厳しい顔になって、それでも優しい口調で言ってくれた。 「俺が優しいとしたら、それはユウキ(俺)の親じゃないからだよ」 「俺がユウキの親だったら、やっぱり厳しく叱ると思う」 「だってユウキを立派な人間に育てる責任があるから。親だからね」 一瞬「俺、良治さんにも怒られちゃうんだ」と意味不明の絶望感に襲われたが、 言いたいことは子供心にも理解できた。結局、いつも通り帰って親に謝ったが、 それより俺を諭す良治さんのやたら寂しげな表情が強く印象に残った。 うちの祖父母は伯父(親父の兄)夫婦と同居してたんだが、 一度、良治さんがどれだけ頼りになるか、祖母に話したことがある。 祖母は「良ちゃんのとこは子供がおらんからね。 ユウキのこと、自分の子供みたいに思えるんだろうね」と言った。 良治さん夫妻には子供がいなかった。奥さんが若い頃に病気で子宮を摘出して、 結婚した時から子供を望めなかったと、これは後から母に聞いた。 奥さんはもともと病弱な人だったらしく、俺が小学生の時に若くして他界。 良治さんなら引く手あまただったと思うが、その後も再婚しなかった。 俺も中学に入ると一人前に好きな女子ができたりするわけだが、 恋愛のアドバイザーも良治さんだった。といってもアドバイスは簡単だ。 「『思わせぶりなつもり』じゃだめ。好きならはっきり伝えろ」 「その子に惚れてもらえる『最高に格好いいユウキ』を目指せ」 「『格好いい』かどうか判断するのは、ユウキじゃなく女の子の方だ」 2番目のは、誰かのマネじゃなく「自分が最高に素敵になった状態」を イメージして、それに少しでも近づくよう努力しろ…ということ。 最後のは、自分目線の独りよがりな格好良さを追求するんじゃなく、 相手の子(つまり他人)の視点に立って自分を客観評価しろ…ということ。 改めて解釈すると、そういうことなんだろうな、と思う。 これはある意味、今でも俺の恋愛観の礎というか支えになってる。 もちろんアドバイスをもらったからって万事うまく行くわけじゃなくて、 初めて告白した3年生の先輩女子には壮絶に振られたけど。 それでもその後、同級生の子に告白されて付き合ったりもした。 中学生というと恋愛にしろセックスにしろ、親には絶対相談したくない年頃だ。 といって友達はしょせん子供。良治さんのアドバイスは本当に役に立った。 思春期になって「叔父離れ」するどころか、ますます依存していった気がする。 恋愛に限らず、やはり中学生になると親がますますウザくなる。 特に、普段は子供のことなんてほったらかしのくせに、 自分の気が向いたときだけ偉そうに命令する親父とは口も聞きたくなかった。 良治さんが俺の愚痴を聞いて、親父の態度をかみ砕いて解説してくれたけど、 それがなかったら親父とは完全に精神的な「絶縁」状態に陥ってたと思う。 母もこの頃になると、さらに良治さんに頼るようになっていた。 俺が親に対してどんな思いを抱いてるか、良治さんの方がずっと詳しかったし。 母の態度を見てると「あ、良治さんに何か言われたな」と思うことも多かった。 俺が反抗期になっても母とそれなりに良好な関係を保てたのは、 良治さんがずっと「いかに義姉さんがユウキを愛してるか」、 事あるごとに俺に説き続けてきたからだろうな。これは本当に感謝してる。 さすがに高校生になると、俺の反抗期も収まった。 恋愛やセックスを含め俺もいろいろと経験を積み、少なくとも気分の上で、 ある程度は親を等身大で見ることができるようになったからかもしれない。 良治さんとも今までみたいな「大人と子供」じゃなく、 もっと分かり合える成熟した仲みたいなのになった…つもりでいた。 もちろん、今から思えばまだまだ餓鬼だったけどな。 そんな良治さんが亡くなった。 ジョギング中に心室細動とかいう心臓の異常を起こしたそうだ。 前の日に電話で話して、次の休みにサッカー観に行こうと約束したばかり。 いつも通り優しい声で、普段と何の変わりもなかったのに。 通夜ではショックというか魂が抜けた感じで涙も出なかったが、 葬式の時は自分の体内にこんなに水分があったのかと思うほど涙がこぼれた。 葬式の後、親父は伯母(父の姉)と一緒に伯父の家に泊まった。 よく分からないが良治さんの財産処分とか、その手の話をしたのかもしれない。 俺は母に連れられて家に戻った。 夜、床に就いても良治さんの笑顔が浮かんで涙が止めどなく溢れる。 泣き疲れて喉が渇いたのか、台所で何か飲もうと部屋を出たら、 両親の寝室から薄明かりが漏れてるのに気付いた。小さく声も聞こえる。 何だか気になって、足音を忍ばせてドアの隙間から寝室を覗いてみた。 母の背中が震えてるのが見えた。泣いてる。 ベッド脇の机に突っ伏して、嗚咽を上げていた。 母方の祖父が亡くなった時も涙を見せなかった母が、大泣きしていた。 というか生まれてこの方、ここまで悲しむ母を見たことはなかった。 親の責任放棄かよ、と言いたくなるくらい、母が良治さんに見せた信頼感。 時には自分の用事を犠牲にしてまで、俺の相談に付き合ってくれた良治さん。 良治さんが家に来るたび見せたうちの両親への気遣いと、抑えきれない笑顔。 てっきり俺に会えて嬉しいんだ、と思ってたけど…。 いろんなことが一気につながった気がした。 俺はむせび泣く母に言葉をかけることもできず、黙って寝室のドアを閉めた。 出典:もうすぐお盆 リンク:お帰りなさい |
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