1:名も無き被検体774号+[sage]:2013/07/09(火) 14:33:33.64 ID:U+40U13m0 出会いは小学校低学年の時、俺が幼馴染みが住む街に引っ越してきたとき。 第一印象は「明るいけど不細工な子 」だった。 引っ越してきた理由は親の離婚。物心ついた時には既に不仲で、家の中は常に険悪な雰囲気だった。 おかげで表の自分と裏の自分が周りに比べて、随分早い時期に出来上がったように思う。 これが後々問題になってくる。 そんなこんなで、新しい生活が始まったわけだが、幼馴染み…不細工な子とは家が近くて通学バスが一緒だった。(これからは幼と書くことにします) それから話は飛んで高学年になった頃…女の子が恋愛に興味を持ち始める時期。 幼も例に漏れず好きな子が出来たらしい。 思い当たる節がある人も多いと思うが、その時期は、やれ誰が誰を好きだの嫌いだのって異様に盛り上がる。 恋愛相談とか何とか言って、放課後に男女混じってよく話をしていた。 そのなかに自分と幼もいた。 その時に幼に好きな子がいることを知った。 その子をS君としよう。 男の子にしては成長が早く、周りより垢抜けた感じの子。 第一印象は不細工だった幼も、その頃にはぽっちゃりだったものの可愛くなっていた。 高学年の時期に告白するのは大抵が女の子。 幼も告白を決心したらしく、自分を含めた周りで応援することになった。 そこでS君と仲の良かった自分が、恋のキューピッドをすることに…。 当時、携帯を持っている子は少なかったが、自分とSは持っていた。 そこで、幼なじみも携帯を買ってメールをし、仲良くなってから告白する。という作戦が立てられた。 自分がSとのメールでさりげなく幼なじみの話題を出して、二人のやりとりのお膳立てをすることに。 その為に幼なじみとアドレスを交換した。 最初のやりとりを取り持った後も、幼なじみとメールは続く事になる。 恋愛相談とかそんな内容。 自分と幼なじみには、この(メール)というツールがかなり重要になってくる。 一応書いておくと、この頃自分は幼なじみの事を何とも思っていなかった。 しばらくして二人は付き合う事に。 どういうわけか、付き合い始めても、幼なじみは自分にメールをくれた。 それも日に1、2通じゃなくて、何通も。 そのくれたメールに対して、あぁ。とか、うん。としか返信しないのにも関わらず…。 そんなこんなで、小学校卒業までもうちょっと。というときに幼なじみとSはは別れた。 ここまでの約二年間、ほぼ毎日自分とのメールのやりとりは続いていました。 さすがに二年間もメールをしていれば、自分も適当な返信はしなくなりました。 この頃です。自分が幼なじみを気になりだしたのは…。 しかし、決定的ではありませんでした。 単純に、メル友くらいの感覚です。 なのにメールが来ないと不安で、自分から送る事もありました。 人を好きになる理由としての、単純接触の繰り返し。 これが自分と幼なじみにおいては(メール)という事だったのでしょう。 そんな曖昧な感情だった自分が、好きだ!と意識したのが、小学校を卒業する三日前のこと。 学校が終わって通学バスに乗り込んだ時に、幼なじみが後ろの方の席に座って、窓の外を見ている横顔を見たときです。 あのときの、胸が締め付けられるような何とも言えない感覚…。 きっと恋をした事がある人にはわかる思います。 好きだと気付いたものの、すぐに春休みです。 引っ越してきてから、バスと学校にいる間は近くに居たのに、急に会えなくなった。 この会えない期間が、更に好きだということを自分に意識させたんだと思います。 さて、春休みが終わって中学生になりました。 幼なじみとは同じクラスに。 先にも書きましたが、自分は表と裏の違いが激しい性格です。 好きだと自覚していても、そんな気はないよ!というほんとの感情は表に出さないように接して いました。 それは幼なじみに限ったことではなく、誰に対してもそう。所謂、クールぶってる感じです。 実際は、ぶってる訳ではなく、自分が周りにどう思われてるか、思ってる事を言ったら空気が悪くてなるんじゃないか? そんな事を極端に気にしての事でした。 話は変わりますが、中学生と言えば部活です。 ある部活に入る事になるのですが、それを幼なじみに話すと、自分も入ると言います。 正直、小躍りしたいくらい嬉しかったのを覚えています。 その部活は、人数が少なく男女一緒に練習するような部活でした。 ここでも、単純接触の繰り返しになります。 家が近い事もあって、登校〜下校まで四六時中一緒です。 好きな子とこれだけ一緒にいて、我慢出来るはずかありませんでした。 それはどうやら自分だけではなく、幼なじみも同じだったようです。 あるとき近所の公園に呼び出されて告白されます。 しかし、あくまでクールな自分。 所属している部活が恋愛禁止だった事もあって、ほんとは嬉しいくせに断ります。 これが中1の夏の出来事。 断ったのにもかかわらず、メールのやりとりは続いていました。 そのまま冬まで特に変化はなく進みます。 クリスマスシーズンになると、周りにはちらほらとカップルが誕生し始めます。 そんな雰囲気に当てられた自分…。 しかも幼なじみが自分の事を好きなのは明白です。 一大決心をし告白しました。 答えは勿論OK。 ですが、あくまでクールな自分。 ほんとは女々しい男のくせにです。 後から、自分のどこが好きなのかと聞くと、クールなところと言われます。 ほんとはそんな人間じゃないのに…。と思いながらも、今までだって偽ってきたんだから余裕だろ。 そう思っていました。 しかし、幼なじみと接する度に、細心の注意を払うのも限界がありました。 結局、三ヶ月弱付き合って、進級前に別れます。自分から別れを告げました。 上に書いた事も別れようと思った理由になりますが、その他にも家が貧乏だった事もあります。 離婚して、母に付いてきた自分です。母子家庭で裕福なところは限られてくると思います。 それに比べ、幼なじみの家庭は当時の自分からすれば裕福な家庭。 ピアノの習い事などもしていました。 そういった劣等感に耐えられませんでした。 はっきり言えば、逃げたのです。 明るくてニコニコしている幼なじみ…。 一方、性格がねじ曲がって貧乏な自分。 ほんとに馬鹿です。 この頃、後々関係してくる、バイクに離婚した父の影響で、興味を持ち始めます。 バイクと言っても、中高生が興味を持つ、暴走族といった類いのものではなく、サーキットを走るようなバイクです。 たまの休みに父とサーキットに行って走る。時期的にはまだ寒かったですが、どんどんのめり込んでいきます。 幼なじみとは相変わらず、学校と部活で顔を会わせますが、全く知らないふり。 嫌いになって別れた訳ではないので、かなり辛かったです。 ここで小学校から続いていた、メールが途切れます。 月に300通?もう少し多いかもしれません。そのメールがです。言葉にしがたい不安に襲われました。 ここまでが中1の話です。 ここから一気に中3の春まで飛びます。 約一年間、会話もメールもなし。ときたま幼なじみからメールが来ていましたが、一切返しませんでした。 ここである出来事がおきます。 それは、自分がサーキットで転んで入院することになりました。怪我は骨折と肺挫傷。 自分の中で、まだ好きだった幼なじみが来てくれるかな?なんて思っていたところ、同級生の中で誰よりもやはく来てくれました。 隣の県の病院にもかかわらず…。 病室に入るや否や、大泣きされて看護婦さんまですっ飛んでくる始末…。 この時ほど「後悔」をしたことは今までの人生でありません。 話しかけてくれても無視していた事、メールも返信しなかったことなど…。 それから前のようなメールのやりとりが再開します。 怪我も治って一ヶ月弱で退院。 肺と足を怪我したので、しばらくは松葉杖を使った生活。 学校に居るときも献身的に支えてくれて、母子家庭で帰りが遅かった母が帰って来るまで家に居てくれたりもしました。 これで落ちない男はいないと思われます。 しばらくして部活も引退しました。 あれから、ぐっと距離が縮まった気がして、以前のように必死に取り繕う事はしなくなりましたが、それだもまだ接する時は表の顔でした…。 この時、夏間近。 ここから、友達以上恋人未満な関係が続く事になります。 なんやかんやで、お互い好きだと伝えているものの、あと一歩が踏み出せませんでした。 この関係がお互い気楽だと分かっていたのだと思います。 そのまま冬になりました。 ここであることが判明します。 幼なじみを好きだという男が現れます。 その男をD君とします。 自分はDに詰め寄られます。 幼なじみと付き合っているのかどうか…と。 間違いなく、幼なじみと一番仲のいい異性だと自信はありましたが、付き合っているわけではなかったので、NOと答ました。 それから、Dの幼なじみへの猛アタックが始まります。 勿論、幼なじみから相談を受けます。 ですが、前回逃げたのと同じような理由で、今回も逃げます。 最初は、自分よりも良い男じゃない?付き合ったら?とかそんな感じでしたが、段々と突き放し始めます。 劣等感に耐えられず、突き放せばそのうち寄って来なくなるだろ…。 なんて、訳の分からない事を考えての事でした。 幼なじみの事を大好きなくせに。 ほんとは誰にも渡したくないのに…。 やはり馬鹿です。 これが原因で再び疎遠になっていきます。 そのまま卒業を迎え、幼なじみとは別々の高校に進学することになりました。 結局、Dとは何もなかったようですが…。 ここから約三年間は、幼なじみとの接触はほぼありませんでした。 さて、自分は16歳になりました。 当然の如く、普通自動二輪の免許を取ります。 サーキットを走っていた自分です。 暴走族ではなく、所謂「走り屋」の世界にのめり込みます。 高校の部活は帰宅部で授業中は寝ている。 早朝に峠に行ってから学校に行く。 帰宅後はバイトか再び峠に…。 晩飯を食べて高速を流す。 そんなバイク中心の生活です。 高校では相変わらず、上部だけの友達付き合いで、親友なんてものは居ませんでした。 その代わりバイク仲間…いや、走り仲間が沢山出来ます。 学校なんかの狭い世界ではなく、大人の世界です。 16歳のガキが憧れないはずがありません。 幸い、サーキットを走っていただけあって、速いねぇーと声をかけられる事が多々ありました。 16歳やそこらで、大人の走り屋を負かす。 しかも、大人が乗っているのは、そのままサーキットを走っても大丈夫なバイク。 自分は400ccのツーリングバイクで…。 当然、調子にのります。ほんとに馬鹿です。 もっと速く誰よりも速く。 それしか考えて居ませんでした。 心のどこかで、いずれ転ぶな…とは思っていましたが止められず、この生活を続けて行くことになります。 過去に戻れるなら、足を切断しててでも止めさせます…。 結局、何事もなく高3の冬になりました。 この間も幼なじみとは一切連絡はとっていません。 風の噂で、彼氏がいる事は聞いていましたが…。 あるとき、滅多に立ち寄らないコンビニに入りました。 何気なく会計をしていると、どうも聞いたことのある声が…。 そう思ってネームプレートを見ると、幼なじみでした。 マスクをしていて髪型も変わっていましたが、間違いなく…。 幼なじみは気付いていたようで、目しか見えませんでしたが、昔と変わらずニコニコしていました。 嬉しさがこみ上げてくると同時に、どうしてこのタイミングで…という思いでした。 どうして…というのは、彼氏がいると聞いていたので、この三年間連絡もとらずに、ただただ耐えていたのに…。 卒業後の進路も決まって、心機一転新しく頑張ろうと思っていたのに…。 という心境からです。 その後、バイト終わりの幼なじみからメールが来て、前ほどでは無いものの、メールのやりとりが再び始まります。 聞くとやはり彼氏がいるようでした。 付き合いは長いらしく、それを聞いて諦めがついた自分がいました。 月に2、3通程度のメールをしているうちに、卒業になりました。 それを機会に自分はアドレスを変更しました。 勿論、幼なじみには教えずに…。 これですっきりした。 そう思って新生活を始めます。 進学先は隣の県の自動車整備専門学校。 一人暮らしも始めて、意気揚々と勉強にバイトに頑張っていました。 もう、幼なじみの事なんか忘れた…と思っていました。 いや、思ったつもりでした。 そんな生活も長くは続きませんでした。 察しの言い方は予想がついているかもしれませんが、夏休みに事故を起こしまします。 いつものように、峠を走っていての単独事故です。 怪我の程度は重傷。多発外傷でICUに二ヶ月入りました。 入院期間の合計は半年をこえます。 記憶は曖昧ですが、意味不明なことを喋りながら、必死に幼なじみの名前を呼んでいたそうです。 あとから看護婦さんに聞きました。 聞いた時に思ったのが、忘れたつもりだったのか…です。 無意識下で呼ぶようであれば、確信しない訳がありません。 自分はまだ幼なじみが好きなんだと。 そう確信したのもつかの間、暴走の代償は予想以上に深刻なものでした。 骨折はかなりしたものの、時間がたてば治ります。 しかし、自分は神経をやられていました。 左足の麻痺。 こうなると、将来は真っ暗です。 生活の中心だった、極端な話、生き甲斐と言っても過言ではなかったバイクにはもう乗れません。 長い入院生活もあって、精神的に弱っていた自分は、医者に殺してくれと懇願します。 当然、殺してもらえるはずもなく…。 そこで考えたのが自殺でした。 腰椎と胸椎も骨折していた自分は、電動のリクライニングベットに寝ていました。 頭のところの手すりにシャツの袖を結びつけて…。 意識が遠のいた後に、心拍数などを図る機械が異常を知らせた為、看護師さんが来て助かります。 その後は手をしばらく拘束されました。 どうしようもなく、ただ入院生活を過ごして、松葉杖で歩けるようになったところで退院しました。 その間も死ぬことしか考えていませんでした。 今考えると、ただの甘えです。自分より不自由な生活をしている人は沢山いるのに…。 当時はそう思えませんでした。 しばらくは家で大人しくしていましたが、車に乗ることを挑戦した結果、一人で乗り降りまで出来ることが分かりました。 若干の自由を手にいれて考えた事が、幼なじみに会いに行く。でした。 そう考えたものの、連絡手段がありませんでした。 迷ったあげく、幼なじみがバイトしていたコンビニへ…。 一日、二日、三日…。しばらく通いましだが会えず、今日行って会えなかったら諦めよう。 そう思って行った日に会うことが出来ました。 店に入って姿を見つけた時に、明らかに心拍数が上がるのを感じました。 平静を装ってレジへ…。 幼なじみは気付いていないようです。 自分は、マスクをして帽子を被って、昔はかけていなかった眼鏡をして…。 当たり前です。 このまま声をかけずに帰ろうかとも思いましたが、ちっぽけな勇気を振り絞って声をかけました。 最初は、え?みたいな顔をしていましたが、目があって誰だか分かった様子。 バイトが終わるのを待って、車で話をすることになりました。 車でお互い質問攻めのあと、アドレスを交換して別れました。 この時はまだ死ぬつもりで、最後に話が出来たら良いなぁ、ぐらいのつもりでした。 再び始まったメールで、彼氏がいないことを知り、今度遊びに行くことに。 何度か遊ぶうちに、幼なじみと一緒にいたい。そう思い始めました。 ですが、以前のように自分に嘘をついて付き合うのは嫌です。 クールなところが好きだと言っていた、幼なじみに自分の素を白状しなければなりません。 女々しい自分を受け入れてもらう事になります。 それに加え、障害者という自分もです。 勝手な話ですが、小学生から好きな女性です。 付き合うなら、結婚して幸せにしたい。 親が離婚している自分は、半端な恋愛はしたくないのです。 そうなると、例えOKをもらったとしても、幸せにできるのか?障害者の自分が…。 そう考えました。 結局、悩んだあげくに全てを告白することに決めました。 呼び出して、 小学生から好きな事、 中学の時は、家庭環境の違いや、自分の自信のなさを理由に逃げ出したこと、 事故を起こして、改めて好きだと気付いたこと、 つい最近まで死のうと思っていたこと、 これからも一緒に居たいこと…。 自分でも何を言っているのか分かりませんでしたが、ただ黙って聞いてくれました。 そのあとは、彼女の方からも色々話してもらいました。 お互い胸のうちを白状したあと、二人で声をあげて泣きました。 声が出るほど泣いたのは、後にも先にもあの時だけです。 結果的にはOKを貰えました。 一度は人生を諦めましたが、彼女に「一緒に生きたい」と言ってもらい、生きる決心がつきました。 その後、ほとんど行かなかったリハビリにも通うようになり、資格の勉強も始めました。 僅かながら、将来に希望を持てるようにもなりました。 近いうちに、プロポーズをしようと思うので思い出して書いてみました。 出典:幼馴染みのおかげで生きる決心がついた話 リンク:http://novelhiroba.com/?p=7396 |
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