夢をあきらめた先にあった世界 (泣ける体験談) 23482回

2013/08/25 19:08┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:名無しの作者
「新体操」と「バトン」、夢をあきらめた先にあった世界

2013.8.24 18:00 (1/4ページ)[スポーツ写真館] 
「新体操」の本多里香さん(左)と、「バトン」の石原比佐恵さん(右)。2人が夢をあきらめた先にあったのが、チアだった

 プロ野球12球団で『チアチーム』を抱えているのは10球団。そのうち2球団の『キャプテン』が、高校時代の同級生という“奇縁”で結ばれていた。

 オリックスの『Bs Dreams』でキャプテンを務める石原比佐恵(22)と、中日の『チアドラゴンズ』でリーダーを務める本多里香(21)は、ともに愛知県内の同じ高校に通い、比佐恵はバトントワリングで、里香は新体操でそれぞれ世界大会に出場した真のアスリート。

 その後、比佐恵は大阪で、里香は地元愛知で、それぞれの目指す道を歩んだ。高校卒業から3年後の昨年、2人はプロ野球球団のチアとして再会。今季はオールスターの舞台で“共演”を果たした。2人の『同級生物語』を、5回にわたって、つづってみた。



 それは一体、どれくらいの確率なのだろうか。

 高校の同級生がプロ野球のチアとしてグラウンドに立つ。しかも、同じ年に、それぞれが『主将』の大役を担っている−。

 「想像もつきませんでした。まずあり得ないことですよね。同じクラブでもなかったですし、卒業して会ったのも、比佐恵がチアになってからで…。でも、同じ年に一緒にリーダーができる。すごくありがたい経験ですし、奇遇ですよね」

 里香の“驚き”も、当然のことかもしれない。

 比佐恵と里香の出会いは高校の入学式だった。13クラスあった学年で、2人は隣のクラスだった。

 比佐恵は、1人の女の子に目を奪われたという。

 「すごくきれいな子がいたんですよ。私、つい“3度見”してしまったんです」

 それが、里香だった。

 「もう、比佐恵…。話、盛り過ぎだよ」

 比佐恵の“第一印象”を私が伝えると、里香はそう言って笑った。

 それでも、当時から里香の存在は有名だったという。新体操で日本のトップクラスの実力を誇っていた活躍ぶりを、比佐恵も聞いていた。比佐恵が入部したダンス部に共通の友人がいて、里香も比佐恵とその友人がいる隣の教室に顔を出すようになり、2人は次第に、会話を交わすようになった。

 里香が「すごく印象に残っている」と高校時代の一番の記憶に挙げたのが、比佐恵が大事そうに、学校に持ってきていた“銀色のスティック”。それは比佐恵の相棒ともいうべき『バトン』だった。幼稚園のころから比佐恵はバトントワリングに魅せられ、年を追うごとに、戦いのステージが着実にステップアップしていった。

 日本バトントワリング選手権大会の東海大会で、第28回から34回までのダンストワール部門で個人7連覇。高3で迎えた第30回世界バトントワリング選手権大会日本代表選考会では、ペアシニア部門で3位に輝き、世界大会の切符を手にしている。オーストラリアで行われた「第5回WBTFインターナショナルカップ」では、ペアシニア部門で4位。比佐恵はバトン界で日本を代表するトッププレーヤーだったのだ。

 世界レベルでの戦いを続けながら、比佐恵は高校の部活動として「ダンス部」に入っていた。ジャズダンスやクラシックバレーも習うことで、バトントワリングにも生きてくる、よりしなやかな体の動きを身につけようとしていたのだ。

 ダンス部でも、比佐恵は高3の時に「全国高等学校ダンスドリル選手権大会」の個人戦にあたる「ミスダンスドリルチーム」の部門で東海大会1位となり、全国大会への出場権を獲得している。

 ところが、ダンスの全国大会とバトンの世界選手権との日程が重なり、比佐恵はダンスの全国大会を棄権することになった。やむを得ない状況だったとはいえ、そんな選択を迫られるプレーヤーなど、めったにいるものではないだろう。

 一方の里香も、幼稚園時代から素質を見いだされ、名古屋市内のクラブチームでエース級として活躍していた。ジュニアレベルで国際大会にも出場するなど将来を嘱望され、自らも「五輪が夢」と公言していた。しかし、高校3年秋の最後の大会前に、思わぬアクシデントに見舞われ、膝に大けがを負った。左膝には、今でもその傷跡が残っているほどだ。

 競技レベルでの新体操を続けるには、入院して手術を受けた上に、きっちりとしたプログラムに基づいた、長く厳しいリハビリをこなす必要があった。

 「自分がやっちゃったけがなんですけど、いろいろな気持ちが、混ざっちゃって…。一回、新体操を離れて、いろいろやってみたいと思ったんです」

 高校を最後に、里香は新体操の世界から離れることを決意した。それはイコール、五輪という最大の夢を絶つことだった。

 比佐恵も、高校卒業を機に、バトントワリングに区切りをつけ、進学のために愛知を離れて大阪へ。大学では創作ダンスのクラブに入部したが、全国大会出場後の1年夏に退部した。

 続いて、チアリーディング部の門をたたいたが、組体操の要素が入った「スタンツ」と、アクロバティックな動きを組み合わせた『競技チア』という種目の性格になじめず、ここも1年間で退部している。

 「競技チアって、組体操のようにカチッとした動きが多かったんです。どうしても、自分の中で物足りなくて…。私は、踊りたかったんです」

 大学2年の夏。比佐恵は帰省した愛知の実家で「だらだらと…」初めて“何もしない夏”を過ごしていた。バトントワリングのように、もう一度、心から真剣に打ち込めるものを見つけたい。そんな渇望感が心の中で、日増しに大きくなってきた。

 何か、きっかけをつかめれば…。そんな漠然とした思いを胸に、比佐恵がインターネット上で見つけ出したのが、オリックス球団のチアチーム『Bs Dreams』のページだった。

 そういえば…。

 ふと思い出したのは、ナゴヤドームのスタンドから見た、里香の姿だった。

=敬称略

(喜瀬雅則)


【オリチア&チアドラ リーダーは同級生(2)】
オーディションで味わった敗北感…だが「中日」「オリックス」球団は違うものを見出し、評価した
2013.8.25 18:00 (1/5ページ)[westライフ] 

 関西での生活を始めたばかりの石原比佐恵のもとに、ある日、妹から1通のメールが届いた。

 「(お姉ちゃんの同級生だった)里香ちゃんが、チアドラになっていたよ」

 メールに添付されていた写真には、チアドラの華やかな衣装に身を包んだ同級生の姿が映っていた。

 中日球団の本拠地・ナゴヤドームの最寄り駅にあたる名古屋市営地下鉄の「ナゴヤドーム前矢田駅」の東改札を通り抜け、ドームへ向かうための地下通路、通称ドラゴンズロードには、左右の壁面に中日の選手たちの顔写真や球団の歴史を伝える写真が貼られ、観戦に向かうファンの心を躍らせる演出が施されている。

 そこには『チアドラゴンズ』のスペースもある。チアドラのメンバーの顔写真と名前が、選手と同じように紹介されている。

 『本多里香』−。

 比佐恵の妹は、新体操から新たな世界へと転身した里香を“発見”すると、携帯電話のカメラで撮影し、すぐに姉に送ったのだ。

 バトントワリング時代の先輩も、チアドラのメンバーになっていた。比佐恵はある日、ナゴヤドームへと足を運んだという。

 左膝の大けがで、里香が新体操の第一線から“引退”していたことを、比佐恵も「聞いていました」。その里香が、新たな世界で、再び躍動していた。

 「こういう世界があるんだな…と思いました」

 比佐恵の心は揺さぶられた。





 2012年冬。

 大阪で行われた オリックス球団のチアチーム『Bs Dreams』のオーディション会場で、比佐恵は戸惑っていた。

 「何のことだろう?」

 そこでは、ダンスの専門用語が、当たり前のように飛び交っていた。

 「クロスフロア」

 「ターン」

 その指示に従って、他の受験者たちは次々とパフォーマンスを繰り広げていく。コーチが踊るのに合わせ、同じ動きを取る「振り合わせ」は2人1組。初めての体験に、比佐恵は目の前のコーチではなく「隣を見てしまいました」という。

 コーチが見本を見せ「じゃあ、まねしてみて」と声が掛かると、受験者たちは自らの実力と存在をアピールするため、踊りながらどんどん前に出ていった。それが、プロのパフォーマンス集団に必要な“ショーマンシップ”なのだろう。

 経験のない比佐恵は、空気に完全にのまれてしまった。あろうことか「私、後ろにいっちゃったんです…」。テンポを取り、応援のムードを高めるために、ダンスを繰り広げながら、それぞれが大きな声を出す。チアの基本的なことすら、できなかったという。

 「踊るときに声を出す。それがホントに恥ずかしくて…。バトンでは、みんなの前で声を出したりしないですから。踊り方も独特で、もちろんバトンとは全く違う動きでした」

 比佐恵は挽回するための“切り札”を用意していた。オーディションを前に、球団に電話で問い合わせたという。

 「会場の天井の高さはどれくらいありますか?」

 フリーの演技で、バトンの技を披露しようと思っていたのだ。球団からの返答は「5メートルくらいですね」。

 それなら、バトンのパフォーマンスを披露するのには十分な高さだ。ところが会場に立ってみると…。

 がく然とした。

 「見上げても、3メートルくらいしかなくて…」。これでは、バトンが頂点に達する前に、天井に当たる…。

 「私、これで挽回しようと思っていたんですよ。すごく練習していたのに、とうとう、見せ場もないまま終わっちゃって…」。今となっては、笑い話だが…。

 実は、初めてのオーディションで、比佐恵が抱いた“違和感”を、里香も感じていた。初めてチアドラのオーディションに挑戦した2010年1月。当時のことを振り返った里香の言葉は、比佐恵の思いと奇妙なほどに“一致”していた。

 新体操のトッププレーヤー。しかし、プロのパフォーマーとして要求されるダンスの動きとは「全く逆だったんです」と里香は振り返った。それを細かく“解説”してもらった。
 「新体操は、かかとを上げることで、体全体を上に引き上げるんです。だから、体がぴーんとなっているんですよ」

 ところがダンスは「みぞおちを落として、手足をぶらぶらさせるんです」。要求される動きは、新体操と180度違っていた。

 「新体操って、きっちりと決められたことを踊るんです。何をやっても、ぴしっ、ぴしっ。十何年もその動きをやってきて、ダンスはこうやるんだよと言われても、うまくできなかったんです。染みついていたものがあって…」

 足を高く上げたり、ジャンプをするのは、もちろんお手の物だった。ところが「次、リズム取り」と合図があっても、全く反応できなかったという。

 専門用語も知らない。ダンスの動きができない。比佐恵も里香も、『デビュー戦』は散々たる出来で「もちろん、オーディションには通らないと思いました」。2人の抱いた“敗北感”も同じだった。

 ここで、採用する側の意見を聞いてみた。中日のファンサービス部課長で、チアドラゴンズが発足した1997年当時から活動を熟知する石黒哲男は「根性の違いでしょう」という。

 「やっぱり、アスリートって、根性が座っているんです。里香のようにダンスの経験がなくても、世界の舞台で戦ってきたとか、そういう実績のある子は、すぐに変わっていくんですよね。それが、プロの世界では、大事なことなんじゃないかと思いますよ」

 里香もチアドラになると、自宅でステップや振りの練習に取り組んでいたという。今の自分にこれが足りない。だから、もっと練習しないといけない。その思いを、即座に行動に移せる。それが、アスリートの本能でもあり、日々の努力を結果につなげてきた“成功体験”が生む、高いモチベーションなのだろう。

 比佐恵も里香も、完全な別世界からチアの世界に飛び込んできた。しかし、採る側のプロの目には、2人の持つ“伸びしろ”が見えたのだろう。オーディションで“失敗”を繰り返したはずの2人だが、それぞれが、初挑戦で『合格』を勝ち取ったのだ。

=敬称略


(喜瀬雅則)


=続く


出典:http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/130824/wsp13082418010007-n1.htm
リンク:http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/130825/wsp13082518000016-n1.htm
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