雪女 (ジャンル未設定) 8635回

2016/10/17 13:16┃登録者:えっちな名無しさん◆UokxQKgo┃作者:名無しの作者


 わたしは、冬山で拾われた。
 氷点下二十度以下の激しい吹雪の中で、たった一枚産着(うぶぎ)を羽織った女のあかちゃんが火の出るように泣いていたらしい。それを見つけたのは、わたしを育ててくれた父。登山中に遭難して、偶然わたしを見つけ保護した。そのあと、なぜか雪はやみ、父は無事下山した。
 わたしが、なぜ冬山にいたのかは分からない。もしかして、自殺しようとした産みの親が、わたしを置きざりにしたのかも知れないけれど、本当のところは分からない。いずれにせよ、わたしは誰かに捨てられたのだ。
 わたしの首には、ペンダントが掛けられていたと聞いた。どこにでも売っている安物のイルカをかたどったそのペンダントは、たぶん産みの親が気まぐれにくれたプレゼントかも知れないけれど、わたしにとっては大事な手掛かりとして大切に持っている。
 この話を両親から聞いたのは、小学校に入る前日だった。わたしは、なんの驚きもなく、悲しみもなく、それを聞いた。
 そのことを学校に入って友だちに話すと、変だと言われ、わたしは泣いて家に帰った。母は、大丈夫よ、大丈夫、と言って、わたしの不安を和らげてくれた。
 幼いわたしに捨て子だと教えたのは、大きくなってから知るよりも心の傷が浅いと思ったかも知れないけれど、それは当たっていた。そのご、わたしは何のわだかまりもなく、すくすくと育った。わたしを、そんなふうに育ててくれた両親に、口では言えないけれど、深く感謝している。

 そして、わたしは11歳になり、女の子である証、初潮を迎えた。両親は祝ってくれたけれど、わたしには心配なことが、ふたつできた。
 まずひとつ目は、初潮を迎えた翌日に窓を息で温めようとしたが、なぜか凍りついてしまったことだ。冬なのでそうなったのかと思ったけれど違った。なんでも息を吹きかけると、凍ってしまったんだ。
 わたしは、怖くなって学校をお休みした。そんなわたしを心配して、友だちが顔を見にきた。息を吹きかけないように手を口に当てて話す姿は、きっと友だちには奇妙に映っただろう。風邪が移るといけないからと、それらしい言い訳はしたけれど、とても苦痛だった。死にたいと思った。けれど、死は簡単には手に入れられない。そのことが、自分の首を絞めてみて初めて分かった。そんな11歳。
 ふたつ目の心配というか悩みだが。それは、笑えなくなったことだ。もしも、わたしに好きな人ができても、キスをするときに相手を凍らせてしまわないかってことを考えると、わたしは男の子に近付けなくなってしまった。もう、誰も愛せないと思うと心が凍りついてしまい、わたしはしだいに無表情になっていった。そう、雪女のように……。




 高校初日の朝、わたしはものうげに家を出た。生理が始まって5年目、わたしの表情は明るくなることはなかった。両親は始めは心配していたけれど、次第に慣れていった。それでも、前と同じように優しくしてくれることに、感謝している。
 四月になったばかりで、さくらの花もまだ咲いていないほど寒いここ札幌では、スカートの下に厚いタイツを履かなければならないのがわずらわしい。母はわたしが履かないときつく怒るところを見ると、どうやらまだ見限られていないようだ。こんな娘を育てさせて、すまないと思う。
 わたしが下向いて歩いていると、中学からの知り合いがニコニコして声をかけてきた。
「おはよう。雪さん」
 なにがうれしいのか、向井秋は手を振った。けれど、わたしはそれに返しはしないし、表情を崩すことはない。これで、普通の人だったら腹を立て、わたしのことをシカトするのだけれど、秋はいくら無視しても駄目だ。どこがいいのか、わたしを好きだとアピールしてくる。
「今日もきれいだね」
 鼻歌まで歌い出した。わたしの好きな曲、いきものがかりの『SAKURA』。春になって別れていくふたりを歌った悲しい歌だけれど、妙に耳に残る声が今のわたしの気持ちを慰めてくれる。そして、秋の声はどことなくその歌手に似ていて、わたしを夢の世界へと連れて行ってくれる。
 そんな秋を見て、わたしは思い出していた。いつだったか、わたしがイジメられていると、秋がかばってくれた。わたしがイジメられるのは、自分が人と話をせず、話しても冷たい顔で接していることが原因だって分かっていた。それなのに、わたしのことをかばってイジメの標的になることもいとわない秋は凄い。そんなにわたしのことが好きなんだと思うと、胸がせつなくなった。秋とだったら、わたしはきっと上手く笑えるかもしれない。すべてを捧げてもいいとさえ思う。そう、秋とだったら……。
 だが、そんな素振りは見せない。もしも、ふたりが愛し合ったら、きっと彼を殺してしまうから。
 わたしは、悪ぶって言った。
「ねえ、そんなにしたいの、わたしと?」
「ふふふ。本心はそりゃしたいけれど、俺ら高校生になったばかりだよ。きっと、サルになっちゃうよ。だから、楽しみは高校卒業まで取っておくんだ」
「馬鹿ね。誰が、あなたとなんかするのよ」
「えーーー! 雪さーーん。しくしく」
 嘘泣きまで可愛くて、わたしの胸はキュンとなってしまった。でも、無表情で先を歩いていく。彼に期待させないよう、これ以上わたしを好きにならないよう、わたしが彼をもうこれ以上好きにならないように。
 秋はきっとわたしのことは忘れて、いつか元気な女の子を愛する。わたしのような雪女は、今直ぐに忘れてしまえばいいのに、もう知り合って三年にもなってしまった。お願いだから、これ以上わたしを好きにならないでという願いは、いつか叶えられるかしら。いなくなったら、きっと悲しむのに。
 わたしは、心乱しながらもいつものように無表情で校舎に入っていく。

 初日、わたしたちは自己紹介をさせられた。わたしの番がきたとき、みんなは眩しそうに見ていたけれど、直ぐに興味をなくした。わたしが無表情だから。そんな失望のときを、中学の時と同じように秋に見られずによかった。彼は、違うクラスだったから。
 そうして、わたしの高校生活が始まった。




 高校に入ってから三度のさくらの開花を見た。そのたびにいまいましい冬が終わったんだとほっとした。今年も、蝉もなかない夏が来て、あっという間に去ってしまう秋が過ぎ、また気が重い長い冬が来た。その年の積雪はあまりにも多くて、札幌市は予算が足りないと悲鳴をあげていた。わたしも除雪の手伝いに毎日のように駆り出された。
 そして二月になった。あと少しで冬が終わる。なにも起こらない、なにも起こさない高校生活も、あと、残りわずかになってしまった。そう、それでいいのよ。わたしは、心の中でつぶやく。本当は、いつもとは違う日常を求めていたのに。
 だが、その日はある意味でいつもとは違った。
 学校が終わってからいつものように、父の経営するコンビニを手伝っていると、突然覆面を被った男が押し入ったのだ。手にナイフを持って。
 わたしは始めはただ震えていたが、父の手を切られたとき全身の毛が逆立った。わたしの髪は白くなり、口からは冷たい息が出ていた。そこまでだ、覚えているのは。
 気が付くと覆面を被った男は倒れていて、わたしの腕を父がつかんでいた。なにが起こったか、直ぐには分からなかった。けれど、悪い男が気が付いて、わたしを見たときの恐怖におびえる顔で、全てが分かった。わたしが、やったのだと。
 わたしは、いたたまれずに店を飛び出して雪の降る中、夜の闇に身を隠した。もう、ここにはいられない。どこへ行くかもしれぬ電車に飛び乗った。

 電車が着いたところは小樽だった。その小さい路地裏にわたしは身を隠した。
 最初の日、明らかにわたしの身体が目当ての、いやらしい目付きをした中年の男が声を掛けてきた。わたしは、あわててその場から逃げた。そんな風に誰かに声を掛けられ、そのたびに逃げた。まさか、凍らせるわけにはいかないから、非力なわたしは逃げることしかできなかった。
 わたしが段ボールにくるまって寒さをしのいでいると、白い毛並みの猫が近づいてきて足をなめた。だっこをすると猫はゴロゴロと喉を鳴らし、わたしに甘えてきた。懐に入れるととても暖かで、そのまま眠りに落ちた。
 猫の力を借りてなんとか持っていたが、ろくな食べ物もとることができなかったわたしは、しだいに体力を消耗していった。ひもじくて、寒くて、心細くて、もう駄目だってあきらめたとき、わたしに手を差し伸べてくれる人がいた。
 その人の首には、わたしと同じイルカのペンダントが掛かっていた。それはわたしと同じ物ではあるけれど、どこにでも売っているものだったから、ただの偶然だとそのときは思った。けれど、そのペンダントがわたしに安心感を与えてくれた。精も根も使い果たしたわたしは、その人にわが身をあずけた。
 おんぶされて、どこかの建物の中に連れいかれた。温かい食事を与えられ、そして暖かいモーフに包まれ、わたしは三日ぶりに熟睡した。それは、もう深い眠りだった。
 目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。時計を見ると五時過ぎ。拾われたのが昼ごろだから十七時間ほど寝ていたことになる。わたしは久しぶりの熟睡に、しばらく頭がボーっとした。
 ようやくベッドから起き上がり、部屋をそっと出てると廊下だった。突き当りの窓から外を見ると、ここは二階のようだ。昨日は眠ったままここへ連れてこられたので分からなかった。
 廊下には閉じられたドアが多くみられた。どうやら住居のようで、かすかに寝息が聞こえてくる。
 階段を降りると、厨房らしい場所に出た。ひとつだけ灯っている照明の中に、わたしを拾った人が一人でいた。なにを作っているか近付いて見ようとしたけれど、制止される。
「君。シャワーを浴びてきなさい。それからだ、探検するのは」
 そう言って、彼は笑った。わたしは、恥ずかしくなって浴室に飛び込んだ。そこには、洋式のバスタブがあり、お湯が出るのを確かめたわたしは、ゆっくりとお湯に浸かってしまった。全身泡だらけで、まるで映画に出て来るヒロインのようだった。
 お風呂から上がり、なにかわたしに合う服がないかクローゼットを探してみると、男ものの下着と調理用の白衣があったので、それを借りて再び厨房へ行ってみた。
「お! 中々似合うじゃないか、君。あ、名前は?」
「はい。わたしは、相原雪です」
「僕は冴島ユウ。よろしくね、雪ちゃん。ところで、身体は大丈夫?」
「はい。もうじゅうぶんに休みましたから大丈夫です」
「よかった。だいぶ疲労してたみたいだったから」
「若いですから」
 わたしの言葉にはなんの意図もなかったが、彼は少しだけ気に障ったようで乾いた笑い声がした。
「ははは。さっそくで悪いけど、そこのおイモの皮をむいて」
「はい」
 こうして、わたしはレストランに雇われた。それも、住居付き、三食の食事付きという好待遇だった。お給料は、十五万円に少し足りなかったけれど十分だった。わたしは、一生懸命働いた。
 でも、特別な技能がある分けではないので、主に掃除、ウエイトレス、下ごしらえのお手伝いだった。掃除といってもただきれいにすればいい分けではなかった。すみずみまで掃いて、きれいな雑巾で拭いていく。そして、少しでも雑巾が汚れれば直ぐに水洗いをして、また拭いていく。はっきりいって、大変な作業だけれど、拭き終わったときはとてもいい気持になる。わたしは、毎日が充実していた。
 けれど……、わたしを拾ってくれたマスター冴島ユウの働く姿を見るたびに、心が揺れた。わたしの身体を目当てに拾ったんではないことは、出会ったときにしていた。なんの後ろだてもないのに、住居と仕事を与えてくれた。わたしには神にさえ見えた。ずっと一緒にいたいと思った。少し前では、向井秋が好きだったのに、その心移りに戸惑いつつも、わたしはマスターを好きになっていった。
 始めは安心感から、次に優しさに触れ、それにも増してマスターの指先が堪らなく愛しい。あの、料理をするときにみせる器用な指の使い方に、わたしはあこがれと同時に愛おしさを感じずにはいられなかった。
 わたしになにか感じて救ってくれたと思い聞いてみたのだけれど、マスターの言うには若い頃家出をして困っていたときに、女の人に助けられたそうだ。その恩送りとして、困っている人がいるときには手助けをしているという。
 恩送りとは、恩を受けた人に返すのではなく、違う人に恩を返すことと教えられた。そうすると、その女の人にわたしは救われたことになる。そして、わたしが恩送りすると人の絆は永遠に繋がっていくように思える。
 けれど、わたしには恩送りをする自信はないし、人を愛することもできはしない。

 わたしは仕事が決まると、せめてあの猫に恩返しをしようと迎えに行った。
 けれど、いくら探しても猫を見つけることはできなかった。とても重い気持ちで寮に帰った。それでも一生懸命に働かなければならない。猫はきっと誰かが飼ってくれたんだと思うことにした。
 その夜、わたしはぐっすりと眠った。夢の中で猫がミルクの皿をペロペロなめていた。久々にいい夢だった。




 翌朝、わたしは誰よりも早く起きて皆の朝食の支度をした。まだ日が出ておらず小鳥のさえずりも聞こえない。シーンと静まった中で朝刊を配達するバイクの音だけが耳にひびく。わたしは初めての労働で身体はふしぶしが痛かった。それでも、眠たさをこらえて台所に立った。辛いがこれくらいしないといけない。わたしは新人なのだから。
 朝ごはんは、クロワッサンに目玉焼き、カリッカリに焼いたベーコン、スライスしたトマト、ブルーベリー・ヨーグルト、そしてカフェオレをいれた。それほど手間がかかるメニューではないが、なにせ五人分だ。結構重労働だ。わたしはこれを毎朝用意することになる。
 皆が食事にくる前に厨房へ行って掃除を始める。掃除が終わったころ皆が厨房に入ってきて「おはよう」と「朝食、ごちそうさま」と言ってくれる。わたしはそれだけで朝の疲れが取れた。
 レストランには三人の先輩たちとマスター、それにわたしがいた。皆この寮に住んでいる。コック二人のうち一人が女性で、ウエイトレスが一人いた。手間の掛かる下ごしらえ作業は、わたしも含めてウエイトレスがコックを手伝う。
 この皆でやる下ごしらえの時間が、わたしは好きだ。皆で輪になって、ワイワイ言いながら進める作業だ。量が膨大なので黙ってしているとキツイが、この世界では珍しく皆で下ごしらえをするのは、やはり仲間だという気持ちが強いからなのかも知れない。
 先輩たちは、マスターが皆拾った人たちだった。多くは語らならかったけれど、それぞれわたしと同じように、心に傷を隠している。
 虐待。ネグレクト。過保護が原因と思われる心の障害。理由は、さまざまだけれど、きっと原因は一つだ。子供を、一個の自立した個人と認めていないためだ。子供は、親の所有物ではなくて、ちゃんと心を持っている一人の人間であることを、分かってほしい。
 そのことを一番分かっているのがマスターだ。彼は、決して仕事をしている者に手助けをしない。じっと待って、仕事を完了する喜びを教えて、同時に責任の重さを分からせてくれる。だから、先輩たちからマスターの悪口を一度も聞いたことがない。ますます、心寄せてしまうわたしだった。
「また見てる」
 ウエイトレスの先輩、糸田真理子さんが、わたしの気持ちを分かってからかってくる。だが、決して人には言わずにいてくれた。皆、決して自分がやられて嫌なことはしない。それだから、わたしはますますここへの愛着が湧くのだ。



 レストランに勤めて一か月。だいぶ仕事にも慣れて、身体がようやく楽のなってきた頃。わたしに好意を持ってくれる人がいた。一番年長でコックの一之瀬ワタルだ。彼は、身長が高く189cmもあり、肩幅も広くて、さっぱり短髪で決めている。はっきり言って男前だ。彼は、皆にも分かるくらいにあからさまに、わたしに好意を示した。
 嬉しかったが、わたしはしょせん雪女だ。人に好かれからといって付き合うことなどできない。お断りをしようとしたが、返事は一週間後にくれと言われ、わたしはその間ワタルを意識するようになってしまった。
 そのやり取りを誰かが見ていたのだろう。翌日からイジメが始まった。
 始めはクツにガムを入れるという些細なことだった。でも次にはクツを燃やさせた。これはレストラン内で問題になった。だって、燃やされたクツはマスターから支給してもらったものだったから。
 皆に注意周到がなされたあとにされたのが、わたしのペンダントが盗まれたことだった。不注意にも、シャワーを浴びるときに外してしまった。偶然それを見ていたのがワタルで、犯人がウエイトレスの先輩、糸田真理子だった。
 彼女は、皆がいる前で座らされて、しばらく口を閉ざしていた。だが、突然せきを切ったように話し始めた。
「雪ちゃんが悪いのよ。色んなひとに気のあるふりをしてワタルさんを虜にして。それなのに、一週間も考える時間をもらっていい気になって。わたしなんて、二年以上も前から好きだったのに」
 そう言って真理子さんは声をあげて泣いた。告白ともいえる自供に、わたしはすごく羨ましくなった。わたしは、今まで一度も告白はおろか、そんな素振りをすることさえ許されることではなかった。高校時代、好きだった向井秋にさえ、わたしの気持ちは伝えられなかった。彼を思って何度も自慰をしていたくせに。
 わたしは、真理子さんのことを応援したくなり、今思っているワタルさんへの気持を言った。
「わたしは、ワタルさんのことは好きですけれど、それはいい先輩としてであり、恋人にしたいというものではありません。わたしの好きな人は……」
 そこで止まってしまった。でも、この場を誰も傷付けることなく収めるには、言わなければならない。皆が見守る中、わたしは精一杯の勇気を出して言った。
「わたしの好きな人は、マスターです!」
 言ってしまった。それも、本人がいる目の前で。マスターはしばらくの間、目を泳がせていたけれど、わたしの目をちゃんと見て言ってくれた。
「ごめん。僕は、雪ちゃんには相応しくないよ。だって、僕は今年で35だよ。だから、僕にはもったいなさ過ぎて……。ごめん」
 マスターがそう言うだろうことは薄々分かっていた。だから、わたしは告白したのだ。
「わたしの方こそ、ごめんなさいね。気にしないでくださいね。勝手に思っているだけですから」
 そう言って、わたしは笑い飛ばしたけれど、不意に涙が零れてしまった。
「あれ? おかしいなー。一体なんだろ。あははは」
 いたたまれず、その場を駆け出して、自分の部屋に閉じこもった。
 泣きながら、これではわたしが居づらくなってしまうと心配したが、真理子さんが謝りに来てくれた。
「雪ちゃん、ごめんなさい。わたしったら変な勘違いをしちゃって。でも、いまさら許されないわよね。わたし、ここを出て行くわ」
 その言葉にあわてたわたしは、「真理子さんが辞めたら、わたしも居づらくなります。だから、辞めないでください。お願いします」と言った。
 ワタルさんもあとから謝ってくれた。「一週間待つと言ったのは、そのあいだ僕を見ててくれという気持ちからだった。君の気持ちを考えないですまないことをした」と言った。
 そうして、この問題は誰も辞めることもなく落ち着いた。けれど、こうなった原因は、わたしが誰とも付き合っていないことにあるのは明らかだったし、その原因を解決することは永遠に無理なことは分かっていた。ますます、無表情になるわたしだった。




 マスターに拾われてから二年、わたしは二十歳になっていた。皆は、わたしの成人を盛大にお祝いしてくれた。誕生日も過ぎていたから皆にすすめられて初めてのお酒、シャンパンを御馳走になる。一杯で止めておけばいいのに、三杯も飲んでしまった。天井がまわって気持ち悪くなってしまい、わたしはトイレに連れていかれ、もう少しで吐くとこだった。
 便器に寄り掛かって休んでいるとマスターが現れお姫様ダッコして、わたしを部屋まで運んでくれた。わたしが酔って抱き付くと、マスターは優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。
 その時、ようやく気が付いた。わたしの息は人を凍らせてしまうことを。わたしは、マスターの腕を引き剥がし言った。
「ご、ごめんなさい」
 わたしの態度に一瞬驚いたが、マスターは直ぐに優しい顔になって謝った。
「こっちこそ、ごめんな。雪ちゃんを見ていたら、なんだか自分の子供に思えてきて、つい抱きしめっちゃったよ。あははは」
 その時、わたしは分かった。マスターのことが好きだって思っていたけれど、実は本当の父を思うように慕っていたことが。
 ようやく自分の気持ちに気が付いて心があったかくなった時、なぜかマスターは昔話を始めた。

「あれは今から21年前だった。当時僕は親と折り合いが悪くて反発していたが、ある日ついに家を飛び出した。でも、僕はまだ16歳になったばかりで、どこにも居場所なんてないことにようやく気付いた。町のゴミ箱をあさっていたがついに力尽きるときがきた。薄れゆく意識の中にはたくさんの御馳走が並んで、ああこれは幻覚だ。もう直ぐ僕は死ぬんだと思った。
 その時一人のきれいな女性が、僕に声をかけておんぶしてくれた。一生懸命に僕をおんぶして運ぶ姿に、思わず涙が零れて止まらなかった。その時に御馳走になった食事は、今も覚えているよ」
 マスターは、そう言って笑みをたたえた。そんなに素晴らしかったのかと思い、次の言葉を待っていると、彼は言った。
「たくあんが二切れ乗ったお茶漬けだった。なーんだと思っただろう? でもね、一週間もろくに食べていなかった僕には、この上ない御馳走だったんだ。
 それから僕は彼女の家を拠点にして、アルバイトに漕ぎついたんだよ。最初にしたバイトが新聞配達だった。始めは朝起きるのがきつくてね、その女性に毎朝起こされたいたんだ。でも、それにも慣れて高校に行くことができた。
 その女の人に、なにかお礼がしたいって言ったら……」
 マスターはここで言い及んでしまった。なにかを隠して話しているのだろうが、わたしには分からなかった。辛抱強く次の言葉を待った。
 時計の音がみょうに響いた。窓の外をのぞくと、いつの間にか雪が降り出していた。雪は、静けさをより際立たせた。
 マスターは、ようやくなにを言うか整理が付いたのだろう。再び口を開いた。
「わたしを抱いてくれって言ったんだ。あなたの子供がほしいからだって言った。初めは耳を疑ったよ。でも、彼女の目は真剣だった。なぜだって聞いても彼女は訳を話してくれなかった。それは言えないって。
 僕は彼女に大変な恩を感じていた。しかも、彼女はそれはきれいな人だった。長い黒髪を後ろで丁寧にまとめ、一重の切れ長の目は誰をも虜にするだけの魅力があった。正直言えば、僕は毎日湧き上がる衝動をなんとか抑えつけて、彼女と同じ家に暮らしていたんだ。
 だが、そんなことを言われて、若い衝動はもう限界だった。僕は彼女の申し出をありがたく受けたんだ……。
 その時の子供が雪、君じゃないのかな? だって、君は二十歳になって彼女に驚くほど似てきたし、それにそのペンダントは僕が初めてのアルバイト代で買ったお揃いのものかも知れないんだ」
 そう言ってマスターは、わたしにイルカのペンダントを見せた。
 そのペンダントのことは知っていたので特別驚かなかったけれど、わたしがマスターの子供だっていうことには、驚いてしまった。
 けれど、わたしには産みの母のことは全く分からないのだ。なにせわたしは雪の中に捨てられたのだから。
 それでも、わたしの特異体質が知らせていた。わたしは雪女だと。
 そうして考えてみると母が人間界に新たな血を求めて、それに若かったマスターが選ばれてわたしを生んだと考えられなくもない。けれど、そうするとなぜわたしが捨てられたのかが分からない。
 わたしは、このことを言っていいのか少し考えた。けれど、それを話すとわたしが雪女だと知られてしまう。どうみても普通の人間であるマスターに知られていい分けはない。
 申し訳ないが、わたしはマスターに嘘を付いた。
「すみません。母は身長が155cmのぽっちゃりタイプです。どうしたってマスターがいう女の人とは思えません。それに父はいます。正真正銘の父です。義理の父じゃないです」
 わたしは精一杯語気を強めて言った。今言ったのは育ててくれた親のことだが、申し訳ないが使わせてもらった。
「そうか、全くの僕の思い込みか。すまないが、今僕が言ったことは忘れてくれないか」
「分かりました」
「きょうは色々悪かったね。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」

 マスターがわたしの部屋から立ち去ると、わたしはベッドの布団を深くかぶりため息を付いた。
 まさか、マスターがわたしの父だなんて。そして、わたしの母が雪女でマスターに種をもらったなんて。簡単には信じられないことだけれど、イルカのペンダントとマスターの話、そしてわたしが雪女であることから、どうしても本当としか思えない。
 けれど、わたしは母に会いたいという気持ちよりも、わたしの中に流れる雪女の血を呪った。なぜ、わたしが雪女などという呪われた血を引かなければならないのか、ただその一点が理不尽に思えてならかった。そのために、わたしは好きな人に告白できずに一人寂しく生きているのに。
 その夜は、お酒に酔って眠くなるはずなのに、わたしは色々考えてしまって中々寝付けなかった。
 再び窓の外を見ると、雪はしんしんと降り続いていた。それをしばらく眺めていた。




 1月24日、あの人は突然やってきた。長い黒髪を後ろでまとめ、一重の切れ長の目をして。
 その女はレストランの一番暖房が当たらない場所を選ぶと、メニューを一通り見て言った。
「すみません。冷たいサラダと冷たいビシソワーズ、そしておまかせカナッペをお願いしますね。あ、それに適当な赤ワインを一杯。値段はそうね、千円くらいでいいわ」
 そう言ってその女は、わたしに微笑み掛けてきた。冬なのに全部冷たい料理を頼む人を初めて見た。普通なら、お腹が冷えないだろうかと心配するのだが、容姿を見て直ぐに気が付いていた。その女は雪女だと。
 厨房に注文を伝えに行くときに、ポケットに紙が入っていることに気が付いた。見るとお話をしましょうと書いてあって、電話番号が記されていた。
 そっと様子をうかがうと、女は他のウエイトレスや時々顔を出すコックの姿を見て微笑んでいた。幸運にも、マスターはこのとき現れなかった。もし、姿を現したらどうなっていたか、想像もできない。
 女が、マスターのことを知っていてここに来たのなら、それなりのアクションがあるはずだが、のんびりと従業員をみていることから、やはりマスターの存在に気が付いていないと思った。
 女は、そのまましばらく周りを眺めていたが、食事がくると美味しそうに冷たい料理を食べていた。そして、食べ終えると静かに出て行った。
 ほっとして肩の力が抜けたのが分かった。わたしはそのあとも仕事を続け、店が終わると直ぐに電話をかけた。

 女は喫茶店の一番暖房が効かない席に付いていた。わたしが来たことに気が付くと、読み掛けの小説にしおりを挟んで言った。
「わたしが誰だか分かる?」
 冷たい微笑は、まさに雪女のそれだった。わたしは肌寒さを感じて、マフラーを脱がないで席に座り、極力平静に言った。
「ええ、おかあさんでしょ?」
「ふふふ、さすがわたしの子供だわ。感がいいわね」
 そう言って、女はタバコを取り出して火を付けた。煙が女の鼻孔から吐き出される。けれど、その匂いは意外に優しかった。
 その時ウエイトレスが注文を聞きにきて、わたしはメニューを見ずにコーヒーを頼んだ。
 静かな時間が流れて、わたしはにらみ付け、女は嬉しそうにわたしを見ていた。喉がかわいているのに気付き、わたしは水を一口飲んで言った。
「それで、どういったご用件でしょう?」
「まあ怖い。そんなに怒らないで。久しぶりに人間の里に下りて来たから、疲れているのよ」
 そう言って女は、また煙草を深く吸い込んで吐き出した。見ている方が胸が苦しくなりそうだけれど、先ほど思ったように女の煙はそんなに嫌じゃなかった。
 なにも塗らない爪を、きれいに伸ばしているが目に入った。見とれていると、女は長い髪をほどき、指で掻き上げた。その姿は、清楚で美しかった。
 そう、女は40前後のはずだけれど全く老いを見せていなかった。まるでわたしと同じ年齢みたいに若々しかった。
「それでね、あなたは今の生活が気に入っているんでしょう? さっきのお仲間たちを見て思ったわ」
「ええ、ここはわたしのオアシスみたいなところなの。だから、じゃまはしないで、おねがい」
 わたしに必死の願いを受け入れたのか、女は両の掌(てのひら)をわたしに見せて言った。
「分かったわ。なにも無理やり連れに来たんじゃないから。もしも、雪女の生活がいいようだったら連れて行こうとしていただけ。でも、人間の生活が気に入っているみたいだから、それはなしね」
 やっぱり思った通りだ。この女はわたしを雪女の世界に連れて行こうとしていたんだ。けれど、わたしに選択をさせてくれた。
 わたしは、ほっとして今までずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「おかあさん。あなたは、なぜわたしを捨てたんですか?」
 わたしの言葉に、女は急に真顔になった。ふいに女の目から涙が零れ落ちそうになった。
「あなたを捨てたのは悪かったわ。でも、人間社会に受け入れてもらうには仕方がなかったのよ。
 あなたは、生まれた時とてもかわいいあかちゃんだった。それはもう、溢れるような笑顔をたたえてね。だから、わたしは人間にあずけることを選んだのよ」
 わたしは、その言葉を聞いて涙が溢れてきて止まらなかった。けれど、女の胸を借りようとは思わなかった。それをしてしまうと、雪女の世界に連れていかれそうで。
 ウエイトレスが新しいオシボリをくれた。わたしは頭を下げてそれを受け取った。
 雪女はしばらくわたしを見守っていたが立ち上がって言った。
「ああ、それから好きな人とキスをしても、相手を凍らせてしまうことはないから安心してね。がんばるのよ。それじゃ、元気でね」
 女は、泣いているわたしを置いて行ってしまった。わたしは、そのうしろ姿を見えなくなるまでずっと見送った。やがて女は雪に隠れるように消えた。




 次の月曜、店は定休日でわたしは育ての両親が住んでいる町へ行った。けれど、どうしても両親と会う気にはなれなかった。なにせ、父が見ている前で、わたしは力を使ってしまったのだから。きっと両親も、わたしとは会いたくないだろう。
 けれど、高校の同級生だった向井秋に会いたい、そして高校の時に告げられなかった思いを今伝えたい、その思いでわたしはここへ来たんだ。
 家業の酒屋を継ぐと言っていた彼は、きっと元気に働いているだろう。わたしは、そっと店の中を覗いた。
 レジにはお腹が大きな女の人がいた。まさかと思ってしばらく見ていると、その女は秋のことを”あなた”と言った。わたしは自分の耳が信じられずにしばらく呆然とした。けれど、その女は再び秋のことを”あなた”と言った。
 わたしは、とても信じられなかった。少し前まで彼はわたしの虜だったはずだ。わたしとシタイと言っていた。なのにどうして……。
 なにかが、わたしの中で砕け散った。女が商品の補充をしようと店の奥に引っ込んだ時、わたしはそっとうしろから近付いた。
 次の瞬間わたしは力を使ってしまった。あんなに自分の力を忌み嫌っていたのに。
 突然のことに声も出せずに驚愕している女に、息を吹きかけた。みるみる凍り付いていき、女の命が尽きようとしたとき、不意にわたしの腕をつかむ人がいた。顔を見ると秋だった。驚いたわたしは力を閉じた。
 彼は、わたしの顔を悲しそうに見つめこう言った。
「もう止めてくれ、雪」
 彼は、すごく辛そうだった。
 彼の今の言葉で、わたしは気付いた。わたしが雪女だということが知られていることを。
「秋は、知っていたのね?」
 秋は、その言葉に目を伏せてうなずいた。目には涙をためて、手は悲しみに震えている。
 わたしは、いたたまれずその場から逃げた。
 きっと、わたしがイジメられときに、わたしの発する冷気が秋に感じられたのだろう。知られた原因は、それ以外には考えられなかった。あんなに気を付けていたのに。
 わたしは、必死で逃げた。追ってくる訳はないのに、全力で秋の前から、そして全ての人間から逃げた。

 どれくらい時間がたったのだろう。周りはすでに暗闇で、わたしは目的地も定まらないまま、ただ歩いていた。誰にも踏みしめられていない雪の上に、わたしの足跡だけ残して。
 すると、遠くに人影が見えた。人恋しくなったわたしは、おそるおそる近付いていくと、それは雪女だった。
「おかあさん、わたし……」
 雪女は黙ってわたしの肩を抱きしめてくれた。そして泣き止むまでそうしてくれた。
 おひさまが顔を出すころ、わたしが泣き止むと雪女は優しく言った。
「行こうか?」
 わたしは、この時全てを悟った。わたしが、いていい場所はここじゃないって。
「連れてって」
 雪女はこくりとうなずくと、わたしの手を引いてはるか遠くの山を目指して歩き始めた。わたしは、一度だけ振り向いたが、それを最後にもう振り返らなかった。ただ、雪女の歩みに歩を合わせた。



(終わり)

出典:オリジナルフィクション
リンク:http://slib.net/a/18416/
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