昭和の「ダフニスとクロエ」 夏編 (オリジナルフィクション) 2584回

2018/04/02 12:25┃登録者:霧海 裕◆k5/x7OUI┃作者:霧海 裕
 昭和の「ダフニスとクロエ」 夏編

[梅雨]

 6月にはいるとすぐ梅雨が始まった。例年だと6月中旬から始まるのだけど、今年は早く始まった。梅雨は人々にとって実にイヤな季節で、身も心も滅入ってしまう。気温は25℃を超えるのに、毎日ジトジトと雨が降り、湿度が100%近い日が続くのである。こんな状況を一番喜んでいるのはカビである。当時はジャーなど無かったから、朝、ご飯を炊くと夜には腐っていた。だから気温が低くなる夜にご飯を炊き、食い残したご飯をザルに入れて涼しい場所につるし、朝ご飯で食べ尽くしていた。それでも食い残した時には、ご飯は昼や夜までもたないので、新聞紙で作る袋のノリや和服をばらして洗い張りするときのノリに使用していた。
 カビは何も食物や木材だけでなく、シラクモやミズムシ、インキンタムシのように人間の身体にも繁殖した。聡も小学校低学年から左足がミズムシになり、いまだに悩まされている。

 カビ以上に梅雨を喜んでいるのは農民であった。稲作の水田は大量の水が必要で、空梅雨になんかなれば、大凶作になるからである。K県を始めとする瀬戸内海沿岸地方は、年間降雨量が他地域の半分の1、500个靴なく、梅雨と台風は農業と水道の救いの神であった。
 梅雨時になると水田の田植えが始まり、10月に米を収穫し、牛鋤で土を起こして大麦を植え、翌年の五月に麦を収穫し、麦株ごと牛鋤で土を起こし、水を張って梅雨時に又、田植えするという2毛作がこのあたりの農業であった。連続して2毛作をやると土が痩せるので、適当な間隔で麦作を止め、レンゲやナタネなどの肥料草を植えて草ごと土を起こして土地を肥やしていた。
 聡が小学6年ぐらいまで聡の家の裏に1町歩(約1如砲阿蕕い凌綸弔あったが、そこに簡易保険局の建物が建ち、今では1反(300坪)ぐらいの水田が残っている。中心街から少し離れた住宅街の中にもまだ水田が残っていた。聡や遊び仲間は水田でゲンゴロウやタガメ、メダカなどを捕ったり、タニシや食用ガエル(牛ガエル)を取って食ったりしていた。牛ガエルという名は、鳴き声がでかくて「ウォーンウォーン」と牛の鳴き声みたいなので名付けられた。

[立体音楽堂]

 今日(日曜日)は午前11時から30分、聡の家でNHK第1放送と第2放送の2チャンネルを使っての立体放送(ステレオ放送)を聴くことになった。「立体音楽堂」という番組名であった。橘かおりと渡辺美香子を誘ったが、橘かおりは「立体音楽堂」という名前に興味を示しOKだった。渡辺美香子はあまり興味がないらしく、「二人で仲良く聴きなさい」と断った。
 「立体音楽堂」の番組は、聡が小学校高学年のときに始まったのだが、そのときは聡はクラシック音楽にあまり興味がなかったので、そんな番組があるのも知らなかった。中学に進んでクラシック音楽が好きになり、姉も強烈なクラシック好きで、普段はレコードで音楽を楽しんでいたのだが、ためしにラジオの「立体音楽堂」を一緒に聴いてみるかということになった。姉の持っているラジオと茶の間にあったラジオを持ち寄り、向かって左を第1放送、右を第2放送に合わせて聴いてみた。しかし、このラジオがひどいラジオで、並3再生式ラジオといって、スピーカーもマグネチック・スピ−カーを使用し、雑音はひどいし音質も悪く、聞けたものではなかった。それで「立体音楽堂」の放送を聴くのを止めてしまった。ところがその後、5球スーパーラジオなるラジオが普及し始め、スピーカーもダイナミック・スピーカーになり、雑音もなく音質もすばらしく良くなった。そこで姉は5球スーパーを買い込んでクラシック音楽番組を楽しんでいた。そして姉はまたもや「立体音楽堂」の番組を聴きたいということで、居間のラジオを廃棄し、聡が5球スーパーを作ることになった。

 聡は小学校高学年からラジオ作りに熱中していた。最初は鉱石ラジオで、コイルとバリコン(バリアブル・コンデンサー 可変蓄電器)、鉱石検波器、マグネチック・レシーバー(今で言うマグネチック・ヘッドフォン)の4部品で作るという、電源部がない誰が作っても失敗しないラジオであった。次ぎに並3、並4を作り、中学3年生になり自分の部屋と机が出来たので、ベッドラジオ風の低周波増幅部を省いた4球スーパーを作り、机の上に置いて、クリスタル・レシーバーを耳に突っ込んで、ながら勉強をしていた。このラジオは電源部を別にして机の下に置き、4芯コードで本体につなぎ、本体はミニチュア管(MT管)3本で作ったため、横20僉奥行10僉⊇庁記僉∩蹈▲襯濱修糧鷯錣縫灰鵐僖トなラジオが出来た。
 姉の依頼で作る5球スーパーは、音質を重視するため木の頑丈なケースに収めることにした。

 並3、並4、スーパーの違いは、並3は検波、低周波増幅、交流を直流に直す整流の「真空管を3本使った並のラジオ」の略で、並4は並3の検波管の前に高周波増幅管を加えたラジオである。再生式とは検波した電波をもう一度検波管のプレートからグリッドに、自己発振ギリギリまで返してラジオの感度と音量を上げる方法である。再生式並3や並4は聡が中学2年生ぐらいまで、一般の家庭ラジオの主流であった。
 これに対して並3に代わって普及し始めたのが5球スーパーであった。スーパーラジオは、正式に言うとスーパー・ヘテロダイン(ギリシャ語で「異なる力」)方式を使ったラジオのことである。聡が作ろうとしている5球スーパーを例に説明すると、LC(コイルとバリコン)回路で受信した放送波、例えば1000kc(キロサイクル、現在はキロヘルツ)を受信すると、自動的に局部発振回路で1455kcの電波を発振させ、ST管の6WC5という周波数変換管で混合すると1455kc−1000kc=455kcと、1455kc+1000kc=2455kcの中間周波が6WC5のプレートに流れる。その2つの中間周波を、455kcしか通さない中間周波トランス(IFT)に通して2455kcをカットし、6D6という中間周波増幅管で増幅し、またIFTに通して6Z−DH3Aという2極・3極管の双極管で検波・低周波増幅し、6ZP1でさらに低周波増幅してダイナミック・スピーカーを鳴らすのである。もう一個の真空管は、12Fという整流管で、家庭の100Vの交流を電源トランスで昇圧し200Vの直流に整流する真空管である。もう一つ真空管を使ったが、それは6E5というマジック・アイで、管の頭頂部内部に蛍光を発する金属と中心に丁度、瞳に似た円形の光を遮る金属があり、その下側に逆扇状の蛍光を発しない部分がある。電波をきっちり同調すると、その逆扇の陰がすぼまり、完全に同調すれば陰が一直線になるという表示管である。あれば便利だが、なくてもラジオの性能には関係ないので、この表示管を使っても6球スーパーとは言わないのである。

 作る手順は、まずアルミのシャーシーにドリルやリマー、シャーシーパンチ、鉄ノコギリで電源トランスや真空管、IFT、平滑コンデンサー、バリコン用の穴をあけて取り付け、ハンダゴテで配線をハンダづけし、少し厚めの木製ケースに入れ、裏は放熱用の穴をあけたベニヤ板を取り付けた。正面は、見てくれは関係なかったので面倒な帯状の周波数表示は止め、大きめのバーニア・ダイアル(バリコンに直結し、バリコンの180度の回転を360度のバーニアの回転で操作する)にした。

 作った後、ラジオが正常に動作することを確かめ、テスト・オッシレーター(任意の高周波を発振する機械)とテスターで455kcの電波の感度が最大になるようIFTを調整し、1000kcの電波を受信したとき局部発振が1455kcの正確な電波を発振するようバリコンに付属するトリマーを調節した。
 聡が作ったこのラジオは、中波専用のAMラジオで、家庭用のラジオは全てこのタイプであった。因みにAMとは変調形式の名前でAmplitude  Modulation(振幅変調)の頭文字で表したものである。したがって中波(Medium Frequency 300kc〜3000kc)の一部を受信する一般のラジオをAMラジオと言っているのは間違いである。何故なら、短波や超短波でもAMを使っているからである。今でもラジオのカタログで、受信周波数範囲をAM、SW(Short Wave 正格にはHigh Frequency HF 短波 3Mc〜30Mc)、FM(Frequency Modulation 周波数変調)と称して変調方式と周波数範囲をごたまぜにしている。正しくはMF、HF、VHF(Very  High  Frequency超短波 30Mc〜300Mc)である。
 聡はこの後、高校時代にHF帯5バンドの8球通信型ダブルスーパーラジオを自作した。ダブルスーパーとは、455kcの中間周波を第2混合管で50kcの中間周波にする方法である。

 大体、一週間ぐらいで5球スーパーは完成した。

 姉と一緒に2台のラジオを、一方をNHK第1放送に、他方を第2放送に正しく受信できるように調整しているときに、橘かおりが到着した。姉とかおりは初対面だったので、聡は姉にかおりを紹介し、かおりに姉を紹介した。かおりは姉に
 「橘です。よろしくお願いします」
ときっちり挨拶した。姉は
 「よろしく。聡にはもったいない子ね」
とよけいなことを言った。

 いよいよ「立体音楽堂」の放送が始まった。放送される曲目はベルリオーズの幻想交響曲第5楽章であった。演奏はNHK交響楽団で指揮者は知らない人であったが、弱奏で始まる不気味な出だしでさえ今までラジオやレコードで聴くモノラルの「幻想交響曲」とはまったく別物であった。鐘が鳴り響く「怒りの日」の部分では危うく涙が流れそうになった。ラジオのうしろの壁面一杯に交響楽団が現れ、それぞれの楽器の位置が一目じゃない一聴瞭然で、この曲の大オーケストレーションの荒波に翻弄された30分であった。

 曲が終わると姉は
 「うーん」
と言ったきりで、かおりは
 「すごーい!」
と言った。聡は感激のあまり一言もしゃべることができなかった。姉は
 「こんな立体レコードができないかしら」
と言ったが、当時は「ステレオ」と言う言葉はまだ普及していなかったが、翌年、米国に続いて日本でも45-45方式の「ステレオ・レコード」が発売された。

 当時、聡や姉が聴いていたレコードはLP(Long Playing)レコードであった。それ以前のレコードはSP(Standard Playing)レコードであり、片面演奏時間は10吋盤で3分、12吋盤で5分であった。したがって交響曲やオペラなどは一曲十数枚のSPレコードが必要であった。これらの曲はアルバムのようにして発売されたため、今でも「アルバム」という字がLPレコードやCDに残っている。SPの材質は何かよく分からなかったが、重くて堅く、もろく、床に落とすと割れた。回転数は78rpm(1分あたり回転数)でLP(331/3rpm)の倍以上の回転数であった。普通、回転数が高ければ音質が良いはずなのだが、材質のせいであまり音質は良くなかった。このSPレコードは聡が高校時代になって、ステレオ装置とステレオ・レコードが普及するまで健在であった。
 聡は、SPレコードを鳴らす蓄音機の楽しい思い出がある。聡の母方の祖父は戦前から土建屋を営んでいた。空襲で家も事務所も丸焼けになったが、戦後いち早く土建屋を再開し、かなり羽振りの好い生活を送っていた。その家に大型のコンソール型電気蓄音機(電蓄)があった。SPレコードの溝をサウンドボックス(今で言うカートリッジ)の鋼鉄針でトレースして拾った音を鋼鉄針に直結したアルミやジュラルミンの振動板で鳴らし、その音をバックロードホーンで電蓄の下半分の部分から音を出していた。駆動部は普通ゼンマイであったが、この電蓄は電動モーターであった。
 聡は小学校低学年のころから、この祖父の家に遊びに行き、SPレコードをよく聴いていた。クラシック音楽はなく、浪曲と歌謡曲があったが、浪曲はご免こうむって歌謡曲を聴いていた。聡が今でも覚えている曲は、並木路子の「リンゴの唄」、田端義夫の「かえり船」、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」、近江俊郎の「山小屋の灯」、藤山一郎の「青い山脈」、岡本敦郎の「白い花の咲く頃」、津村謙の「上海帰りのリル」などであった。祖父母は聡の電蓄にかじりついている姿を見て、聡の父母に「聡は音楽が好きなんだねー」と言っていた。
 もう一つは、三味線の師匠であった祖母が持っていた携帯型蓄音機であった。小さなトランク状の形で、縦にふたを開けるとターンテーブルとサウンドボックスがあった。駆動は手巻きゼンマイで横腹にクランク状のハンドルがあり、それを回してゼンマイを締めていた。一回締めると、SPレコード裏表一枚演奏出来た。この蓄音機を使ってお弟子さんに、今習っている小唄や端唄、長唄のレコードをかけてしっかり曲を確認させていた。
 聡も三味線の手ほどきを受けたとき、ちょこっとレコードを聴いた。曲名は、初心者用練習曲の端唄「梅は咲いたか」と「梅にも春」であった。今でも「うめーはーさいたーかー、さくらーはーまだかいな・・・・」と「・・・・こいちゃができたらあがりゃんせ、ささもっといで」という歌詞と旋律を覚えている。そのほか、長唄「越後獅子」「元禄花見踊り」「勧進帳」などの有名な旋律部分を聴いた。

[かおりの誕生会]

 7月4日、かおりの誕生会に聡は渡辺美香子と一緒にかおりの家に行った。行く前にお祝いに何を贈るか美香子と相談した。
 「誕生石のルビーを贈るか?」
 「二人で出し合った200円で買えるわけないでしょう!それは伊吹さんがかおりと婚約したときに贈りなさい!」
 「婚約って何だ?」
 「そのうち分かるわよ」
 7月の誕生花であるユリをあげることにした。ただ、ユリは種類が多く、何ユリにしようかと迷ったが、一番ポピュラーで値段も安いテッポウユリにした。花屋さんは「7月4日はテッポウユリではないようだが・・・」と言ったが、「ええーい、かまうものか」でテッポウユリを買った。花言葉は「純潔」で、何となく良さそうであった。

 かおりの住んでいるアパートに到着した。聡は少し緊張し始めた。女生徒の家に行って両親に会うのは初めての経験だったからである。そして昨日、かおりから
 「私の父親も、私が伊吹さんと付き合っていることを知っているようなの。気を付けてね」
と耳打ちされ、
 「何をどう気を付ければいいんだ?」
 「さあー、ともかく気を付けて」
の会話も、聡にいやが上にも緊張を強いた。
 玄関に入り、かおりにおめでとうという言葉とユリの花束を渡した。かおりは
 「ありがとう。うれしい」
と喜んだ。かおりの案内で居間に入ると、かおりの両親が大きめの座卓に座って聡達を出迎えた。かおりが
 「伊吹聡さんです」
と両親に紹介し、聡に両親を紹介した。聡はきちんと正座し、
 「伊吹聡です。どうぞよろしくお願いします」
とカチカチになって挨拶した。それでもかおりに、
 「渡辺さんを紹介しないの?」
と小声でかおりに聞くと、かおりは
 「美香子はしょっちょう家に遊びに来ているので両親に紹介する必要がないの」
と言った。父親は
 「まあまあ、そんなに堅くならず気楽にして下さい。二人の勉強会にかおりを参加させてもらって本当にありがとう。おかげでそれまで暗かったかおりがいっぺんに昔の明るい子になりました。二人に感謝してもしきれません。本当にありがとう。何にもありませんが、みんなと一緒にかおりの15才の誕生日を祝ってください」
と、さすがに堂々とした大人の挨拶をした。
 かおりは小さなケーキの上に飾られた15本のロウソクを一息で吹き消し、みんなの拍手に、
 「ありがとうございます」
と恥ずかしそうに言った。
 誕生会のメイン料理はにぎり寿司(江戸前寿司)とバッテラ寿司(押し寿司)であった。バッテラ寿司は聡も普段食べ慣れていたが、にぎり寿司は聡も美香子も見るのも食べるのも生まれて初めての食べ物であった。にぎり寿司は関西では食べる習慣がなく、T市でも、にぎり寿司屋は関東からの転勤者や観光客用に数店あるだけであった。
 にぎり寿司やバッテラ寿司を食べながら和やかに話し合った。かおりの両親は、もっぱら始めてきた聡のことをいろいろ知りたがっているのが聡自身にも分かった。聡は両親の色々の質問に答え、店の手伝いや趣味のこと、兄弟のことなどを適当にユーモアを交えながら話した。かおりの父親は特に聡の兄弟のことや趣味、特に空手のことに興味を示した。母親はピアノに興味を持っていた。
 聡はかおりの父親に、本屋で立ち読みしてにわか勉強をした投資のことを質問したが、懇切丁寧に優しく説明をしてくれたが、ちんぷんかんぷんであった。父親が
 「どうだ、少しは分かった?」
と聞いてきたので、
 「いえ、ちんぷんかぷんです」
と答えると、皆いっせいに笑った。父親は
 「なかなか正直でよろしい。やはり理解するのは中学生には少し無理なようだね」
と笑いながら言った。

 いろいろ楽しい話にはずんだが、そろそろ終わりの時間になった。かおりの父親が
 「それでは今日はこれまでだが、実は我が家ではちょいちょい一家で外食をしているのだが、今度から2人も一緒に外食したいのだがどうだろうか?」
と言った。聡と美香子は
 「万難を排して出席します」
と答えた。かおりは
 「父さん、ありがとう!」
と顔を輝かせながら言った。

 聡と美香子が帰った後、父親はかおりに
 「二人ともいい子だね。特に伊吹君は父さんや母さんに気後れしないで堂々と受け答えしているのには正直びっくりしたよ」
と言うと、かおりは
 「多分、店の手伝いで注文聞きや配達をしていて、毎日小母さんとやりとりしているからじゃないかしら。伊吹さんは、小母さんはおっとろしいと言っていたわ」
 「なるほど。それで納得できるな。しかし、いまだに店の手伝いをするというのは感心だね」

 聡と美香子はかおりの家を出た後、少し話しながら歩いた。美香子は
 「伊吹さん、第二審査をパスして良かったね」
と言った。
 「その第二審査って何さ?」
と聞くと美香子は
 「かおりのご両親の伊吹君に対する審査よ。かおりの誕生会に招かれるというのは第一審査パスで、今回の初めての面接は第二審査だったのよ。これも無事パスしたようね」
 「えー、渡辺さんは何でも分かるんだなー!」
 「こういうことには女は敏感なのよ」

[期末試験勉強会でのおしゃべり]

 10日後に期末試験が迫っていた。例によって聡の家で試験勉強会が始まった。今回は前回(中間試験)の経験があったので余裕があった。何をどう勉強すればよいか分かっていたので、自然とおしゃべりが多くなった。

 「いかんいかん、勉強勉強」
と言っても、すぐおしゃべりが始まっていた。

 「こないだの誕生会、おもしろかったな。にぎり寿司なんて生まれて初めて食べたし、橘さんのご両親ともやさしくて、最初は緊張したけど、その後はあまり緊張しなかったな」
 「そうね、わたしもにぎり寿司は初めて食べたけど、かおりの家ではよく食べるの?」
 「うん、わたしの父さんは会社のえら者さんなので、いつも仕事や接待で夜遅く帰ってくるの。その罪滅ぼしか、暇なときはちょいちょいにぎり寿司を持って帰ったり、外食をするの」
 「わあー、いいわねー、わたしのとこなんか外食などしたことないわ。伊吹さんとこはどうなの?」
 「小学校時代は、映画好きの父さんがたまに映画に連れて行ってくれて、映画を見る前に外食していたな。今はほとんど無いけど」
 「へー、どんな映画を見ていたの?」
 「父さんはディーン・マーチンとジェリー・ルイスの底抜けコンビのフアンで、二人が出演する映画はかかさず一緒に観ていたな。それから、『バッテンボー』の歌で有名なボブ・ホープの映画もよく観たよ。今はもう行かないけど」
 「伊吹さん自身はどんな映画を観ていたの?」
 「小学校時代は、NHKラジオで放送していた新諸国物語を映画にしたのを観ていたな。『笛吹童子』『紅クジャク』『七つの誓い』『オテナの塔』などで、中村錦之介や東千代之介、高千穂ひづる、大友柳太郎、月形竜之介がいつも出ていたね。そのほか映画教室で『ゴジラ』や『シェーン』なんかも観たな」
 「『ゴジラ』や『シェーン』はわたしも観たわ」

 「それはそうと、こないだ『立体音楽堂』の放送を聴きに行ったとき、伊吹さんのお姉さんと一緒に聴いたでしょう?伊吹さんのお姉さん、美人ねえ!」
 「そうなんだ。僕が小学校時代なんか姉は高校生だったけど、知らない男子高校生から『姉さんに渡して』としょっちゅうラブレターを持たされたよ」
 「へー、それで姉さんに渡したの?」
 「いや、破り捨てたり燃やしたりしていたよ」
 「男子高校生に、なんか言われなかった?」
 「うん、『姉さんに渡した?』と聞かれたけど、『はい、渡しました』と言うと、黙って帰っていったよ」
 「伊吹さんもそうとう悪ね」
 「いや、そうではないんだ。姉は真面目で気性が激しいから、多分、手紙を渡したら、その手紙を持って男子高校生に会いに行って、『こんな手紙、金輪際弟に渡さないでください!』と言って、目の前でビリビリと手紙を破ってしまうのが目に見えているんだ。その男子高校生、可哀相だろ?だから姉に手紙を渡さなかったんだ」

 下から聡の母が
 「聡、冷たい飲み物を用意したから取りにおいで」
と声がかかった。
 「はーい」
と返事をして下に降りると、飲み物はラムネであった。
 ラムネを飲み、ゲップをしながら話は続いた。

 「実は、僕の兄弟姉妹の中で僕に一番影響を与えたのは、姉なんだよ」
 「へー、どんな影響なの?」
 「一番分かりやすいのは音楽だよ。僕はみんなも知っているように、音楽が大得意なんだけど、その原因は姉なんだ。姉は強烈なクラシックファンで、レコードを聴くだけでなく、『楽典』とか『音楽史』『和声学』『音楽形式』『対位法』などの音楽理論の本や『N響名曲辞典』などを買い込んで本棚に飾っていたよ。姉がそれらの本を読んでいるのを見たこと無かったので、代わりに僕が小学校の時から読んでいたんだよ」
 「あー、だから音楽の試験は満点だったのね」
 「そうなんだ、普通男子生徒は音楽は不得意なんだけど、その点、僕は得をしているんだ」
 「そうよね、音楽が得意な男子生徒など聞いたことがないわ」

 「音楽以上に影響を受けたのはいろんなことに立ち向かう姉の姿勢だったよ」
 「へえー、どういうこと?」
 「姉は興味があることに真剣に立ち向かうんだ。例えば、フランスの服飾に興味が向くと、服飾店に教わりに行き、フランスの『ボーグ』という服飾雑誌を買って、その本を読むためにフランス語を勉強したり、そのほかピアノや油絵なども真剣に練習していたな」
 「へー、すごいわね!」
 「但し、どれもものにならなかったけど、そのものごとにあたる姿勢だけは尊敬に値したな」
 「そうよね、だから伊吹さんは姉さんに見習っていろんなことをやるのね」

 下から聡の母親が、
 「今度はジュース飲まないかい?」
と声が掛かった。
 「うん、貰いに行くよ!」
と聡は返事し、ジュースを持ってきた。

 聡は話を続けた。

 「姉の行動力はすごかったよ。K銀に就職すると、毎日、友人と夜遅くまで遊んで、最後は繁華街にあるS堂という洋菓子製造と販売、カフェで締めくくり、用心棒としてしょっちゅう迎えに行ったよ。そのときに食べさせて貰うショートケーキと紅茶が楽しみだった。
 それと遊び仲間の男の人のところへ、新しいLPレコードを聴きに行くときも、用心棒として一緒に行ってたよ。姉に『邪魔にならないの?』と聞くと、『アホ!単なるボーイフレンドの1人よ!』と言って、『そもそも独身女性が1人で男性の部屋に行ってはダメなんだよ!?聡もそういうことは絶対にしてはダメよ!!』って道徳教育を受けたんだよ」

 「そうか、だからかおりと2人だけで勉強会をするのを嫌がってわたしを誘ったんだ」
と美香子が言った。

 「それと深夜映画を姉と一緒に観たことがあるよ。その映画はヨハン・シュトラウスの喜歌劇『こうもり』をそのまま映画にしたもので、こんな映画、少数のオペラファンしか観に来ないので、普通の映画が終わった10時過ぎから始まるんだよ。そして僕がおなじみの用心棒で一緒に見に行ったんだ」
 「すごい行動力のあるお姉さんね!。ビックリするわ。私も見習わなくっちゃーー!」

 「それと下の兄貴の影響もすごく受けたよ」
 「どんな影響なの?」
 「下の兄貴は遊びの天才だった。山に行って木の実を取ったり、パチンコや空気銃で鳥を撃ったり、
海に行ったら潜ってモリで魚を捕ったり、海藻を採ったりしていたよ」
 「あー、だから伊吹さんは山に詳しいのね」
 「そうなんだ。兄貴が山や海に仲間と遊びに行くときはいつもくっついていたよ」

 「おしゃべりしているうちにもう時間よ。続きは明日、明日」
美香子はそう言って帰り支度をし始めた。


 今年の梅雨明けは、かおりの誕生日だった7月4日に明けた。通常は7月10日前後で、今年は少し早い梅雨明けであった。
 梅雨が明けると、お天道様が「待ってました」とばかり、ぎんぎらぎんと光り輝き、朝から気温は30℃を超え、昼には33、4℃になった。これから盆明けまでの1ヶ月以上、狂乱の灼熱地獄に突入するのである。
 6月1日の衣替えで聡は黒の学生服から霜降りの学生服に替え、女生徒は紺のセーラー服から白の長袖ブラウスに替えた。この合服(あいふく)は梅雨が明けるまでであり、梅雨が明けると男女とも白の半袖を着て灼熱の夏に備えるのである。
 この夏服も10月1日の衣替えで合服に戻り、11月下旬から冬服に着替えるのである。

 この頃はエアコンはあまり普及してなく、大金持ちか大会社、デパート、喫茶店、パチンコ屋、映画館ぐらいしかエアコンはなかった。聡たち悪童連中は、海水浴に飽きたらたまに三越デパートに遊びに行った。冷房がよく効いていたからである。デパートに行く商店街の道すがら、無料で入れるパチンコ屋や銀行で涼をとりながら行った。喫茶店や映画館に寄ったら、金がいくらあっても足りないからである。

 本試験が終わり、いよいよ夏休みに突入した。本試験の結果は通信簿に書かれていて、3人組は10番ずつ上がって30番代になっていた。3人とも通信簿を渡されるとき、担任の先生から
 「順調にいってるな。このままの調子でいけばT高校合格間違いないからがんばれ」
と言われた。

[テングサ採り]

 夏休みが始まってすぐの7月下旬、聡はかおり達を誘って遊び仲間と一緒にテングサ採りに行った。テングサは紅藻類の海藻で、トコロテンやカンテンの原料である。採集場所はT港の赤灯台がある防波堤の外側である。
 皆の服装はポロシャツに短パン、ゴム草履、麦わら帽子、網製のズタ袋で、かおり達二人は短パンで歩くのは恥ずかしいと言って、短パンの上からスカートを着ていた。何故ゴム草履かと言うと、テングサが生えている場所は堤防外側の大きい捨石に生えており、その捨石にはフジツボやカメノテ、カキがへばりついていて、素足では足の裏を切るからである。

 皆でぞろぞろ北に歩いて15分でO海水浴場に着いた。そこを右(東)に曲がって海岸と平行に10分ほど行くと小さなヨットハーバーがあり、ヨットハーバーの東端がT港の防波堤に接している。防波堤を北に行くと大きく右(東)に湾曲し、突端に赤灯台があった。
 赤灯台の手前100mに防波堤外側に降りる、防波堤に彫り込んだコンクリート階段があった。
 かおりと美香子はスカートを脱ぎ短パンになった。すらりと伸びた両足が聡にはまぶしかった。
 そこから皆、海に降りていった。堤防から5mぐらいの幅で大きい荒く削った角石の捨て石がずっと続き、その捨石の表面に目指すテングサが生えているのである。干潮を見計らって来たので、捨石の所の水深は30僂阿蕕い靴なかった。

 コンクリート階段から捨石に渡るとき、少し隙間と段差があったので、かおりが渡るとき聡は手をさしのべてかおりの手を握り、サポートした。かおりはほおを赤くして恥ずかしがった。次に美香子に手をさしのべると、美香子は
 「ダメ!あとでかおりに殺される!!」
と、大声で叫んだ。
 遊び友達3人が
 「わーーーー!!」
と、歓声を上げ、2人をからかった。
 2人とも顔が真っ赤になった。

 「かおり!あなたの手を貸して!伊吹君、ぼやぼやしないで、かおりが引っ張られないよう、かおりの腰を両手でしっかり確保して!」
 お言葉に甘えて聡はかおりの腰を両手でしっかりつかんだ。聡はビックリした。
 「なんだーー、この柔らかさはーー、男と全然違うーー!」
と、小さくつぶやいた。
 「恥ずかしいーー」
と、かおりも小さくつぶやいた。二人とも耳まで真っ赤になった。

 「わーー、いいぞいいぞーー」
と悪童連中が騒ぎ立てた。

 「さあさあ、かおり、伊吹君、行くよ、よいしょ!」
と美香子は捨石に飛び降りた。

 聡はかおりと美香子にテングサとその他の海藻の見分け方を教えた。
 「テングサ以外の海藻は緑色とか褐色だけど、テングサはこのように紅色をしているから、すぐ分かるだろう?」
と、テングサとアオサ、ホンダワラを捨石からはぎ取って見せた。
 「本当だ。色ですぐ分かるよね。これなら簡単に採れるわ」

 テングサは水深の深いところには育たず、普通、水深3〜5mのところで育ち、テングサの代表的産地である伊豆地方では、海女さんが潜って採集している。
 この防波堤の捨石は干潮のとき、手前1/3は海面から出ているが、残り2/3は水深30〜50僂阿蕕い如∩膿佑任睛動廚縫謄鵐哀気鮑僚犬垢襪海箸できた。

 皆、海中に手を突っ込んでテングサをもくもくと採っていった。自家用のトコロテンを作るためだけなので、あまり大量には採らなかった。
 1時間半ぐらいテングサを採った後、引き揚げることにした。

 捨石からコンクリート階段に移るとき、聡とかおりはまた耳まで真っ赤になり、悪童連中にからかわれた。

 赤灯台のところに行き、港を出入りする連絡船やフェリーを見たり、乗船客に手を振ったりして遊んだ。

 かおりと美香子が
 「今日、誘ってくれて本当にありがとう。最高に楽しかったです」
 「いやいや、テングサ採りは年中行事だから、来年も行こうね」

 美香子が
 「おまけに、今日はかおりの最高の日だったしね!?」
と言うと、かおりの顔が真っ赤になった。
 聡もつられて真っ赤になった。

 収穫したテングサは真水でよく洗い、スノコの上に広げ、4〜5日天日で乾燥させると紅色が抜けて真っ白になる。それを適当な量の水で煮て煮汁をこして型に入れ、冷ませばトコロテンになる。
 余談だが、このトコロテンを冬季夜凍結させ、昼解凍を繰り返して乾燥させれば(今で言うフリーズドライ)カンテンになるのである。

[海水浴]

 聡は海水浴が大好きであった。暑い年は5月の連休明けから、遅くとも梅雨明けから泳ぎだした。
 聡が泳げるようになったのは、小学校に上がる前からであった。すぐ上の兄が、父が漁師をやっている友人に誘われて、漁の合間の船(伝馬船)が使われていない時間に友人達と船遊びするのに、聡は兄に引っ付いて船遊びに潜り込んだ。その時、兄の友人達が兄に
 「弟に水泳を教えてやれよ」
と言ったので、兄は
 「よっしゃー!」
と言って、いきなり聡を、服を着たまま海に放り込んだのである。
 友人連中は
 「おうー、お前の弟、泣きもせずゆうゆうと海に浮かんでいるぞ。『おーい、弟、ゆっくり手足をばたつかせてみろ!』、ああ、前に進み始めたぞ。もう大丈夫だ。しかし、お前の弟は泳ぎ感がいいな」
ということで、聡は泳ぎを覚えたそうである。聡自身は全然覚えていなかった。

 小学校5年生の夏休みのとき、聡は市教育委員会主催の小学生遠泳大会に参加した。泳ぐ距離は5劼杷ぐ媚臆辰任△辰拭参加者は小学4年以上が100人ぐらい参加した。女生徒がちらほらいたのにはビックリした。
 遠泳の出発点はT市の西にあるO崎沖からであった。100人の参加者以外に数人の先生が伴泳し、周りに伝馬船5隻とポンポン船(焼き玉エンジンで走る船)1隻が伴走した。
 泳ぐ距離が5劼箸い辰討眥流にのって泳ぐので、実質は2劼阿蕕い世隼廚Α
 聡は完泳し、完泳賞をもらった。

 また、聡は泳ぐだけでなく、水中眼鏡をかけて潜るのも好きだった。何m潜れるのか、正確には分からなかったが、大体10mぐらいは潜れたようだ。潜る時間も正確には分からなかったが、2、3分は潜れたようだ。
 潜って何をするかというと、モリを持って魚を突きにいくのである。もりを持っていかないときはサザエとムラサキウニを採っていた。

 聡の海水着は、幼児期はフリチン、小学校2〜3年ぐらいまでは3角フンドシ、中1ぐらいまでは6尺フンドシ、それ以降はブリーフ型海水パンツであった。

[M島海水浴場]

 8月の第一日曜日に、かおりの両親が聡と美香子に、毎年、かおり一家が行っている海水浴に誘ってくれた。
 海水浴場はT市の沖にあるM島海水浴場であった。聡は小さいときから家族や友達と一緒によく行った海水浴場であった。この海水浴場は、渚から10mぐらい沖に離れると、もう背が立たない絶好の海水浴場であった。
 遠浅の海岸が良い海水浴場と思われるが、それは間違いで、遠浅で良いのは潮干狩りぐらいなのだ。遠浅海岸は、海水浴をするために背の立たない所まで行くのにイヤになるぐらい歩いて行かなければならないからである。こういう所は泳げない幼児とその親ぐらいしか喜ばない。
 泳ぎたい人は背の立たないところで泳ぐので、遠浅の海岸を嫌うのである。
 聡も海水浴に行くと、まず渚から50mくらい沖に行って泳いでいた。水が冷たいときはボートを借りたり、浮き輪を持って沖に行き、疲れたり足がつったらボートや浮き輪につかまって休んでいた。

 美香子と一緒にかおりの家に集まり、かおり一家と一緒にT港に行った。T港からM島行きの連絡船に乗った。連絡船と言っても、本来の連絡船はちゃんと屋根や座席があるのだが、2隻しかなく、海水浴シーズンには漁船が動員されていた。
 我々はその漁船に乗ってM島に向かい、20分で到着した。船着き場は海水浴場の端にあった。

 海水浴場は渚に添って500mぐらい海水浴場として利用されていた。渚から50mぐらい奥に丸太とよしず張りの二階建て海の家がずらっと並んでいた。海の家と渚の間は白砂で、海の家の後ろは松の大木が茂り、まさに「白砂青松」の海水浴場であった。

 一行は海の家の2階、腰ぐらいの高さのよしずで仕切られた一画を借りた。かおりの両親はすぐゴロゴロして、後から泳ぎに行くと言っていた。
 聡たち3人は海の家の裏にあるトタン造りのシャワー室兼着替え室で水着に着替え、聡は2人よりも早く波打ち際に行き、準備体操をしていた。
 しばらくすると2人は麦わら帽子をかぶり、肩にバスタオルをはおり、ゴム草履を履いて波打ち際に来た。帽子とバスタオルとゴム草履を置き、
 「さあー、泳ぐぞ」
と言うので、聡は
 「準備体操しなきゃダメだろう」
と言うと2人はしぶしぶ準備体操を始めた。

 聡は準備体操をしている2人を見ているうち、あれっと思った。かおりのワンピース水着の胸の部分に丸っこい飾りのようなものが二つ付いていたからで、美香子の水着には付いていなかった。

 「橘さんの胸にひっついている2つの飾り物はなんだい。体操と一緒にプルンプルン動いているんだけど?」
と言うと、かおりはキャッと言って両手でその物を隠して顔が真っ赤になった。

 「これこれ伊吹君。これはかおりのおっぱいだよ!」
と美香子が言ったので、聡は
 「エッ、渡辺さんと全然違うじゃないか!?」
 「そうなの、わたしのは平均で、かおりは着痩せしてセーラー服のときは分からないけど、水着ではモロに分かる・・・ジャーン!デカパイなのよ!!」

 聡はびっくりしてまじまじ見ていると、かおりは
 「そんなに見ないで・・・」
と恥ずかしそうに言った。
 「これこれ伊吹君。そのうち、このオッパイは伊吹君のものになるんだから、今からがつがつしないの!!」
と美香子が言った。

 「うーーん、なんかよく分からないな」
 聡はつぶやいた。

 3人一緒に「わあーーーい!!」と言いながら海に飛び込むように入った。
 しばらく飛び込み台の近くで泳ぎ、疲れたら飛び込み台の柱につかまったり、台の上に寝そべったりしていた。

 泳ぎにも飽きてきたので海から上がり、砂浜でビーチボールで遊んだり、穴を掘って全身砂に埋まったりしていると、かおりの両親が水着姿で現れた。

 2人、手を繋ぎラブラブで、母親もデカパイであった。

 「かおり、両親ラブラブだね!」
 「うん、母さんが高等女学校を卒業してすぐ、女学校時代から付き合っててた父さんにプロポーズされ、両親に許可を得に行ったところ猛烈に反対されて、そのまま駆け落ちしたんだって。なんか母さんの両親は母さんが美人だったので、医者に売り込み中だったらしいの。だから今でもラブラブなんだ」
 「へー、そうだったの。ロマンス小説の世界ね。だけどかおり、そんなにラブラブなのに、なぜ子供はかおり1人なの?」
 「うん、実は私を生んですぐ、母さん卵巣膿腫になり、卵巣を全てとってしまい、子供を産めなくなってしまったのよ。
 両親はすごく辛かったようだけど、最近、伊吹さんと美香子が現れて、子供2人増えたと喜んでいるわ」
 「そうだわね。だけどわたしと違い、伊吹君は近い将来、本当の息子になるよね!?。いひひひ・・・」
 「美香子ったら、もーーー・・・!!」
 かおりは真っ赤になって美香子の背中を力いっぱい叩いた。

 聡は何とか話題を変えようと
 「橘さんのお母さん、橘さんに似て美人でデカパイだね!?」

 「これこれ伊吹君。あなたはそこだけしか見ないの!?それに母さんがかおり似じゃなくて、かおりが母さん似なのよ!!」
 「あっそーか。ごめんごめん」
 「あはははは・・・」

 昼ご飯は全員で海の家の食堂で、うどんとおでんを食べた。
 海の家で少し休んで、聡達はまた泳ぎに行った。両親は泳ぐのを止め、海の家で昼寝すると言って着替えに行った。

 波打ち際で聡がふと沖を見ると、不思議な光景が眼に飛び込んできた。なんと500mぐらいの沖で4、5人の男女がビーチボールで遊んでいた。かおりや美香子に知らせると
 「わあー、あんな沖で背が立つところがあるんだ。ねえー、わたし達も貸ボート借りて行こうよ」

 貸ボート屋に行き、オヤジに聞くと
 「干潮になったら、あそこは背が立つようになる。あと1時間ぐらいで満潮になってくるんで、それまでに帰ってきた方が良いよ」
と教えてくれた。

 3人はビーチボールを持って貸りたボートに乗り、その浅瀬に向かった。
 浅瀬に着くと一部砂が海上に出ていた。

 3人は30分ぐらい浅瀬で遊んでボートに乗って帰っていった。

 午後3時に連絡船に乗って帰路に就いた。かおりの両親はあまり泳いでいなかったので2人仲良く並んで座り、ぺちゃくちゃしゃべっていた。
 聡たちは美香子、かおり、聡の順に甲板の荷物の上に座り、かおりと美香子はすぐ海水浴の疲れでこっくりし始め、美香子がかおりの左肩に頭を乗せ、かおりは聡の左肩に頭を乗せて眠り始めた。
 聡も眠かったのだが、2人の体重が左肩にもろに掛かり、右手を壁に突っ張り、必死に2人を支えていた。

 この様子をかおりの両親は面白そうに見ていた。
 「アレごらん、聡君が半分眠りながら必死になって2人を支えているよ」
 「ホントに微笑ましいわね。かおりを聡君にまかせても、もう大丈夫ね。
 思い返せば、今のかおりと同じ年齢の15才のときに、わたしはあなたから交際を申し込まれたのよ。
 わたしはもう嬉しくて、舞い上がっていたのを憶えているわ。かおりもそんな年になったのね」
 「本当にそうだな。君が俺の交際申し込みを即決快諾してくれて、俺も舞い上がってたなーー。かおりに伊吹君というすてきな彼氏ができたのも、俺たちのことを考えれば当然のことだな」
 「ただ、私が心配しているのは、あなたと違い伊吹君は相当のおくてだってこと」
 「そりゃあそうだよ。君とつきあい始めたときは俺は大学生だったからな。まあ、渡辺君が、かおりのことを伊吹君にプッシュを掛けてくれていることだし、気長に見守ろうよ」
 「それもそうね。かおりも伊吹君に負けず劣らず、相当のおくてだしね」

 3人にとっても、最高に楽しい海水浴であった。

[天神さんの夜祭り]

 海水浴の後、聡はかおりと一緒に聡の家の近所にある小さな天神さんの夜祭り見物に行った。美香子は気を利かせて参加を断った。

 かおりは薄い青色の地にきれいな花を散らせた浴衣を着てきた。そして、うっすらと化粧をしていた。すれ違う人達が思わず振り返るほどきれいだった。セーラー服よりも格段と大人っぽくなっていた。
 聡は思わず
 「わあーー!すごくきれいだなーー!!」
と言うと。かおりは
 「ありがとーー!。だけど、はずかしいーーー!」
と顔を赤くして照れていた。

 金魚すくいや輪投げなどして遊び、最後に無料野外映画を観た。丸太を組んで布のスクリーンを吊したものに映画を上演するのだが、表の方は観客でいっぱいだったので、聡たちは裏側から観た。
 映画は大河内伝次郎主演の「丹下左善・こけ猿の壺」であったが、画面が逆だったため左善は本来、右腕と右目が無いので「左善」なのだが、裏から観ると左腕と左目がなく、
 「これでは、『丹下右善』だなーー」
と言って、2人とも大笑いした。

[蓮見(はすみ)の茶会]

 海水浴に行った次の週の日曜日、「蓮見の茶会」がR公園の物産奨励会館の大広間で開かれることになった。
 これはT市の茶道関係者が主催し、一般市民に薄茶をふるまう行事で、蓮の花が開花する午前6時から始まる茶会であった。

 かおりの母は茶道の先生をしており、毎年、この茶会にかおりを連れて市民をもてなす役目をしていた。
その「蓮見の茶会」に、聡と美香子が誘われた。聡は、茶会というと圧倒的に女性が多いということを知っていたため、出席をためらっていたのだが、かおりから
 「ねーねー、行こうよ!!」
美香子から
 「かおりの超美しい晴れ姿を見れるよ!!」
の声で快諾した。

 朝6時から茶会が始まった。聡は5時に起き、ご飯を食べて会場に歩いていった。R公園は聡の家から歩いて15分ぐらいであった。R公園は日本の名園で、入場有料であったが、聡は小さい頃からS山の麓から無料で潜り込んで遊び場にしていた。
 かおりとかおりの母は茶会の用意のため5時に到着していた。かおりは和服を着て半東(はんどう・お茶や茶菓子を運ぶ役目)の役を仰せつかっているらしい。

 6時少し前に会場に着くと、美香子がすぐ聡を見つけて一緒になった。参加者は300人ぐらいいて、その9割は女性であった。聡のような中学生男子は皆無であった。

 会場にはいると、会場整理や案内の小母さんが大勢いて、客の接待にあたっていた。たまたま聡たちの接待をしていた小母さんが、
 「あなた達、ひょっとして橘さんの娘さんの友達かしら?」
と聞いてきたので
 「ええ、そうです」
と2人が答えると、
 「ああ、やっぱり。実はわたし、かおりさんのお母さんと仲が良くて、今朝もお母さんと話していたら、『茶会にかおりの彼氏がくるので、かおりは朝っぱらからうきうきしているのよ』と言っていたので、もしかしたらと思って声をかけたのよ。
 そうか、君がかおりさんの彼氏か」
と聡の顔をまじまじと見つめて、
 「かおりさんを大事にしてね。あんないい子はいないんだから」
と言って離れていった。
 美香子が
 「T市中に噂が拡がってるようだね!?。いひひひひ・・・」
とさとしをからかった。

 かおりはすてきな和服を着て薄茶や茶菓子を運んで優雅に立ち振る舞っていた。2人をすぐ見つけて軽く手を挙げて、にこっと笑った。
 無茶苦茶に綺麗だった。
 美香子が
 「どーお、かおりを惚れ直したでしょう?」
 「うーーん、もう完全な大人の女性に見える。衣装が替わればあんなに変われるんだな。女の人っておっかないなー」
と聡が言うと、美香子は
 「何を言うの、素材が良くなければあんなにきれいに変身できないよ」
と言った。
 
 茶会が終わって後片付けしていたかおりを待ち、3人一緒に蓮の花を見てまわり、家に帰った。

 聡は、これまでの夏休みとは段違いの最高の夏休みを味わった。


 盆過ぎから3年生全員、午前中補習授業があった。授業と言っても1、2年生の授業のテストばかりであった。
 テストが終わるとすぐ、横に座っている奴と答案用紙を交換し、先生が読み上げる正解を元に点数をつけ、点のついた答案用紙を集めて先生に渡すだけであった。

 いよいよ、聡の運命を決定づける2学期が始まるのであった。

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