さくら (泣ける体験談) 3782回

2018/10/28 15:21┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:あでゅー
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 さくらの花びらが散る庭園で、夜空に舞う天女をみました。

 その出で立ちは薄衣を羽織って、下にはなにも身に着けてはおりませんでした。襟足ほどの髪は、美しい銀髪で、所々はねておりました。白い肌に真っ赤な口紅。それは、この世のものとは思えないほど美しい姿でした。私は、ただそれを見ておりました。なにかに取りつかれたように……。


 やがて、その女性は屋敷の中へと消えてしまいました。そして、その跡には濡れた花びらが、幾重にも折り重なっておりました。その香りをかぐと、なんとも言えない甘い蜜の味がします。ひとひらの花びらを手に取ると、真っ赤な色に染められました。ああ、これがうわさに聞く蜜蝋で出来た口紅なのだな。私は、暫しの間その香りに酔っておりました。




 私が、楡家(にれけ)にお世話になったのは、まだ終戦の影が色濃く残る昭和二十一年の春の頃でした。
 その時分は、いたる所でバラックが立ち並び、人々は食料を求めて右往左往していました。何かを焼いた焼肉屋、何かを入れた饅頭屋、物煮込み屋、たこ焼き屋等、どれも真面な食材では作ってはいませんでした。けれど、人々はそれを知っていても買いに来るのです。それは、真面な食材だと途方もない値段、闇値で売っているからです。
 例えば、一杯飯屋(食堂)で銀シャリ(白いご飯)にみそ汁とサンマの塩焼き、それに御新香を付けると、およそ百円です。それは、一か月の給料の十分の一、今のお金で三万円程でしょか。その位、食料が不足していたのです。
 一応は、配給制度もありましたが、それはごく限られた物で、そればかりを当てにしていると栄養失調で死にます。現に、何処かの裁判官がそれで死にました。それ程、戦後の食料難は深刻だったのです。
 その為、汽車に乗って農家に買い出しに行く人が多くいました。沢山お金がある人は途方もない値段で、お金がない者は上等の服等を食料に代えて貰うのです。そして、何も差し出す物がない場合は身体で払う者もいました。全く酷い時代でした。思い出したくもありません。

 そんな中、異様に重いリュックを背中に背負って颯爽と歩く私は、きっと買い出しに行った帰りと思われたでしょう。しかも、参謀本部の軍服まで着ていましたから、皆道を開けてくれました。
 すると、目の前で小さな男の子が大人に突き飛ばされて転びました。
 私が、手を差し出してその子を助け起こすと、男の子は「有難うございます」と言いました。
「大丈夫か。随分酷い奴がいるもんだ。気を付けなさい」
 と私が言うと、男の子は「はい、有難うございます」ともう一度礼を言いました。
 粗末な身なりに似合わぬ、素直な敬語。
 私は、その子を何処かの坊ちゃんだったが、親が空襲等で死んで孤児になったのではないかと、えらく不憫に思いました。
 悩んだ末、私はリュックの中から缶詰十個を取り出して分け与えました。全部、サバの味噌煮の缶詰です。
 その男の子は、目を輝かせ、有難う、有難うと丁寧にお辞儀をして去っていきました。
 私は、ほんの出来心でそうしたまで。えらく照れたのを覚えています。私は、その笑顔に満足して手を振ってお別れすると、踵を帰して目的地に向かって、また歩き始めたのでした。
 しかし、十メートルも行かないうちに、キャーと言う女の悲鳴が上がりました。私が驚いて振り向くと、人だかりが出来ていました。嫌な予感がして、急いで人を掻き分けてその場に立つと、やはりさっきの男の子が倒れていました。
 抱かかえると、男の子はもう既にこと切れた後だったのです。その時、気が付きましたが、頭に陥没したような痕がありました。きっと、鈍器で殴られたのでしょう。
 その男の子の手には、缶詰はありませんでした。きっと、殴れて奪われたのです。
 私が、缶詰をあげなければ、その男の子は死ななかったのです。私は、悔しさから雄たけびを挙げました。
 そして、私に今できることは、と考えました。
 犯人を見つけて、裁きを受けさせることか。
 いや、それは違う。元はと言えば、私が缶詰を与えたから、この男の子は殺されたのだ。そう思うと、とても犯人を捕まえようと言う気にはなれませんでした。
 それに、犯人も生きるのに必死で、つい思わず殺してしまったんだろう。折角、戦争を生き抜いた命なのに、それを奪う権利など私にはない。
 そうして、私は首を垂れ男の子の亡骸をかかえ、ただ悲しんでいました。
 この時、何故警察に届けなかったのかとお思いでしょう。けれど、そんなことをしたって、警察は迷惑がって真面に相手をしてくれないと分かっていました。それに、ろくに供養もしてくれなくて、ただ無縁仏の墓の中に投げ込まれるのも知っていました。だから、とても警察に届けようという気にはなれませんでした。

 色々考えた結果、私はその男の子を墓に入れて上げようと思いました。それで、気の良さそうなおじさんに寺の場所を聞いて、男の子の亡骸を抱かかえて寺に向かいました。初めて抱える死体の重さは、異様に重かったのを覚えています。その重さを感じ、私は歩を進めたのです。
 寺に着くと、年配の女性が出ました。事情を話すと、それは困ったことですねと言いました。そこで、リュックを背中から下ろし、これをお布施代わりには出来まいかと言った所。年配の女性はたいそう喜んで、これならば墓まで立てて上げますと言われました。リュックの中身は全部サバの味噌煮の缶詰でした。
 私は、お礼を言って住職の帰りを待ちました。その間、男の子の身体を拭き清めました。私にとっては初めてのことでした。
 今度、生まれかわってくる時は、平和な国でありますように。そう、祈りながら男の子の身体を引き清めました。そして、ごめんよ。と謝り続けました。
 住職が帰って来て、年配の女性が事情を話すと、それは大変良い行いですと言われました。
 男の子が命を失う原因を作ったのは、この私なのに。そして、その原因となった缶詰をお布施に使う。何処か間違っている。けれど、今は缶詰を差し出すことしか出来ない。住職に褒められるような人間ではないのです、私は。
 そう言いましたが、住職は私の肩に優しく手を置くだけでした。そして、住職に男の子の供養して頂きました。
 お経を読んで頂く間、ふと私の頭に疑問が沸きました。果たしてこの住職は、ちゃんと男の子を墓に入れ供養してくれるのか。
 しかし、私には信じることしか出来ません。きっと、彼は男の子をちゃんと供養はしてくれないでしょう。こんな時代ですから。
 しかし、私のこころの中には、供養の為に代償を支払ったんだ、と言う事実は残ります。まるで、自分のことを供養したように。そう、親子供のいない私が無縁仏となって取り壊される墓の主の様に、肌寒く感じました。私は、暗い気持ちで目的地へ向かいました。




 私が楡家の辺りに付いた頃、もう既に日が暮れていました。街灯がまだ整備されていませんでしたが、月明かりで容易に道は進めました。街灯がないのは、戦争の傷跡でしょう。空襲で、殆どの家が燃えてしまったのです。
 なんとか目的地、楡家のお屋敷に着きました。ここは、何故か戦火を逃れてお屋敷は無傷でした。
 大分遅くなったと思い、懐中時計を懐から取り出して見ると、もう夜の八時をとうに過ぎています。私は、申し訳なく思い、玄関の呼び鈴を押すのをためらっておりました。数分、悩んだでしょうか。
 その時、一階の窓が開きました。居間ではなくて、どうやら一階の誰かの部屋のようです。電気は付いていません。
 白いカーテンが風になびきました。
 次の瞬間、現れたのです。あの天女が。
 呆然と見つめる中、五分ほどでしょうか。踊り続けて、一階の何処か部屋に帰って行きました。
 私は思わず駆け寄り、天女の去った後のさくらの花びらを手に取りました。花びらは赤く染まっていて、鼻に近づけ匂いを嗅ぐと、何とも言えない……、そう蜜の匂いがしました。その匂いは、私の鼻孔に刷り込まれて今も微かに匂います。
 暫く、膝を付いてその匂いを嗅いでいましたが、決心しました。今、呼び鈴を鳴らそうと。あの天女に会いたい。その一心でした。他のこと、遅くて申し訳ないと言う気持ちは、はっきり言って思い浮かびませんでした。その位、私はこころ奪われたのです。
 一日で二度衝撃を受けたのです。初めは、私のちょっとした出来心で死なせた男の子に。もう一つはこの世の者とは思えないほど美しい者に。
 しかし、最初の悲しみなど私は忘れていました。今思うと申し訳なく思います。しかし、私はあの時最も大事であろう、リュック一杯の缶詰を、供養の為に寺へ納めたのです。あの男の子も、きっと許してくれるでしょう。自分勝手な理屈ですが、そうして、呼び鈴を鳴らしました。
 呼び鈴は、静かな夜の闇に高らかに鳴り響きました。それは、まるで天国への階段を登る時に聞こえる、祝福のような響きでした。暫くすると、玄関の扉が開き、エプロンを付けた女の人が、恐るおそる顔を出しました。
「はい。どなたでしょう?」
 この時代は夜に尋ねて行くなんて、酔っぱらった進駐軍か、押し込み強盗ぐらいな物でしょう。この時、私はこんな時間に訪問して、本当に申し訳ないと思いました。
「夜分、遅くすみません。自分は、佐伯(さえき)と言う者ですが」
 そこまで言うと、物陰から人が出てきた。手には、ゴルフのアイアンを握っている。私は、思わず身構えた。しかし、アイアンの主の顔は満面の笑みだ。
「いやー君か、佐伯君。良く来たね」
 そう言って、楡中将は私の手を取り強く握手をしました。目尻に涙まで浮べています。私は、襲われなかったことにほっとしました。
 その時、この家は何か人に恨みを買っているのではないかと、勘ぐりました。応接室に通され、この時代貴重品のウイスキーを出され、更にその考えは強まりました。
 楡中将は、軍部の人間は皆無事か等と仲間の消息を尋ねられていたが、遂にその話に至りました。
「実は最近、音も葉もない噂に悩まされていてね」
 楡中将の話では、誰かが楡中将が天皇陛下(敬礼!)の玉音放送を妨害しようとして、その御声を録音したレコードを奪おうとしたと言うのだ。その話は、会議で出ていたが楡中将は断固反対したそうだ。それはそうだろ。恐れ多くも天皇陛下(敬礼!)のご決断を、一軍部の人間が阻止して良い分けはない。天に唾を吐く様なものだ。一体何処のどいつがその様な戯言を言っているのかと、私は大変腹を立てた。
 それで、私にその噂の防波堤になってはくれまいか、と仰られました。そう言う事情でしたら、私をことを思う存分お使いください、と勧諾致しました。

 私は、楡中将に挨拶をしたら、郷里の札幌に帰って、叔父のお世話に成るつもりでした。叔父は唯一の身よりです。
 私の父は、この戦争で見事散りました。母も、その後を追うように心臓の病で亡くなりました。兄弟はいません。母の身体が悪かった為、父が子供を産ませることをしなかったのです。その時代には考えられないことです。それ程、父は母を愛していたのです。
 きっと、父は沈みゆく駆逐艦の船橋(ブリッジ)で母の写真を抱いて、最後の別れを言って逝ったのだろうと思います。
 私は、直ぐに電話をして叔父に事情を話し承諾を得ました。叔父は、そう言うことだったら納得がいくまでお仕えしろと言ってくれました。大変ありがたい言葉です。楡中将も、私が承知したと言うと破顔して喜んでくれました。そこで、家の皆さんを紹介してくれることとなったのです。
 皆さん、顔に安堵と喜びがあります。それはそうでしょう。今までは、周りの人々には逆賊扱いをされていたのです。それが、突然降ってわいたかのような援軍が現れたのです。多分、楡中将がその様なことを言ったのでしょう。皆さんの気持ちは分かります。
 横一列に並び、楡中将が順に紹介してくれました。まず、黒髪が美しくて鼻筋が通って眉目秀麗な(失礼、本来なら男性に使う言葉ですがあえて遣わさせて頂きます)和佳子お嬢様。同じく黒髪が美しくて目許が大変愛らしい恵梨香お嬢様。そして今は顔を見せられないのだが、もう一人娘がいると仰った。それと、私が先ほど玄関で怖い思いをさせた、お手伝いさんの清さん。この方は楡中将の遠縁にあたる方で、髪が短く清楚にしていらっしゃった。大変好感の持てる面持ちでした。
 そして奥様は、最近ご病気で亡くなられたと聞きました。皆さん、お辛いのでしょう。それ以上言わなかったので、私も聞きませんでした。

 私は、先ほど庭で舞っていた天女のことを言いませんでした。何か隠しているようなので、それを根掘り葉掘り聞く様な真似は出来なかったのです。
 あの短い銀色の髪。天を優雅に舞う肢体。私の魂を何処か知らない世界に誘(いざな)う、真っ赤な蜜蝋の口紅に彩られた甘い誘い。
 ここに居たなら、きっとまたお会いできると信じておりました。だから、楡中将の頼みは私にとっては正に天の采配の様に感じました。私は、そうして歓待を受け、楡家にお世話になることとなりました。
 お嬢様たちの紹介を終えて、皆さんが応接室からお出になったあと、もう一つ頼みごとをされました。それは食料のことです。
 配給の品が少なくて、とてもじゃないがやっていけない。それは、もはやお金でどうにかなる物ではない。何とかしてくれないか、と頼まれました。
 私は食料事情が悪いことは知っていましたし、それに野良仕事にいささか自信がありまして、楡中将にこうお尋ねしました。
「それで近所に農家はありますか?」
 楡中将は即座にあると仰った。しかし滅多に人には売らない。例え売ったとしても市場価格の百倍を要求する。だから駄目だと仰った。
「では、私が野良仕事の手伝いをして、それの報酬として幾らかの作物を分けてくれと言ったら」
 その提案に、楡中将はたいそう喜んだ。さすがわ、将来大将になると言われた切れ者だ。どうか娘たちを頼む、と意味深なことまで言われました。大将は言い過ぎですが、それ位私を頼りにしていたのです。
 きっと、この頃から楡中将は、何時か捕らえられるかもしれないと覚悟していたのでしょう。本来ならば、終戦の時に腹掻っ捌いて天皇陛下(敬礼!)に詫びる所ですが、二人のお嬢様をおいてはそれも出来なかったのでしょう。




 次の日の朝、私は早くに起きて野良仕事の準備をしました。とは言っても、軍服にタオルを一枚腰に挿した簡単な物でしたが。
 その姿で、農家にお願いに行きました。私は是非使って下さいと頭を下げました。農家の皆さんは大変驚きました。それはそうでしょう。参謀本部の元士官が頭を下げている、おまけに是非使て下さいなど、前代未聞のことだったでしょう。皆さん、たいそう気を良くして、それじゃお願いしようかと、私を雇ってくれました。こうして、私は食料問題に目途を付けました。
 私は、畑仕事にはいささか自信がありました。昔、家の小さな畑で顔中泥だらけになって働いた経験があるので、何のことはないなと思っておりましたが、如何せん久しぶりだったので、直ぐに腰にきてしまいました。それを見ていた者が、私を見て笑いました。農家の小娘にまで大声で笑われました。私は、拳を握りしめて、なんとか怒りを抑えました。戦時中ならば、直ぐさまこの拳を食らわせるところです。
 私は、敗戦と共に日本男児の気概もなくしてしまったのだと、あとで陰ながら涙を流しました。こんなことなら参謀本部に入らずに、大日本帝国海軍に行けばよかったと、特別攻撃隊で見事に散った者たちをうらやましく思ったものです。生きて恥をさらすことは断腸の思いでしたが、これもお世話になった楡中将への恩返しと自分に言い聞かせて耐えておりました。
 私がへとへとになって漸く野良仕事を終え、わずかばかりのやせた芋を頂いて帰りますと、楡家の長女和佳子様が声を掛けてくださいました。
「佐伯。これはまたご苦労なことねえ。私たちは食べなくたって困りはしないわ。ただ、音楽があれば良いのよ。そう美しい音楽がね」
 なんとも豪気なお方だ。きっと和佳子お嬢様は笑って空腹に耐え、そして栄養失調になってもなおもグライドピアノを弾くのだろうと、私は誇らしくさえ思いました。その姿はまるで楡中将を若くして御髪(おぐし)を伸ばしたようだと、思わず最敬礼をするところでした。
 それにしても私を労うに当たり、その様な言葉を掛けるなどと、いささか腹も立てることだとお思いでしょう。しかし、眉目秀麗な(失礼)和佳子お嬢様に言われたのですから、私の疲れは綺麗さっぱり消えました。そして、それから毎日毎日畑仕事に精を出したのでした。




 とうとうあの日が来ました。楡中将が逮捕されたのです。私が、遅くになって野良仕事をおえてお屋敷に帰りますと、皆が寄ってきて口々に大変だと仰る。私は落ち着いてと言って、何があったかを聞きました。
 そして何とか聞き出した所、楡中将が不敬罪で捕まったとのこと。私は、遂に来たかと思い、軍服を正してアイロンを掛けました。皆さんには、きっと大丈夫です。話せば分かってくれるでしょう。そう言って、楡中将が拘留されている巣鴨刑務所へ向かいました。
 そうは言っても、こんなに時間が経って捕まるのだからきっと誰かの陰謀ではないかと思いましたが、如何せん昔の参謀本部の仲間達は皆軍隊を離れちりじりに成っていて、助けを乞うなどとは出来ませんでした。それでも、如何にかしたいと思う気持ちはありましたので、決死の覚悟で巣鴨刑務所に行ったのです。
 到着して、まず元の身分を名乗りました。
「元日本帝国陸軍参謀本部○○部×××課長、佐伯晴野清(さえき・はるのしん)少佐であります」
 ざわざわざわ。○○部って中国で次々と占領していった部隊を指揮した本部だ。いや、中国は結局手放したんだろう。それは海軍がだらしないから仕方なく戦力をそちらに割かなきゃならなかったんだ。相当な切れ者だぞ。まさかこの刑務所を攻略しに来たんじゃないだろうな? 何でそんな人が来るんだ。
 刑務所内は、一時パニック寸前でした。あらぬ噂まで出てきました。しかし、今の私はこの身一つです。誰も動いてくれる手足がないのです。
「何故、楡中将が拘束されたのか、その真意を聞きたい!」
 そんなことを刑務所で言われても何も出来ません。そう、言われました。しかし、私は楡中将に私達が居ることを知って貰いたくて、まずここへ来たのです。きっと、楡中将にもこの声は聞こえたでしょう。いや、聞こえなくても誰かが伝えてくれる、そう信じて私は声を張り上げたのです。私は、一礼をしてその場を辞しました。
 次に向かったのは弁護士事務所です。しかし、どの弁護士事務所でも断られました。不敬罪の弁護は国民の反感を買うとして、誰も引き受けてくれなかったのです。残念ですが。
 しかし、私は信じていました。絶対に楡中将は無実だと。それに、例え有罪に成ろうとも命までは取らないだろうと。精々一、二年程度の刑で済むだろうと思っていました。
 しかし、収監されている間の身の保証は出来ません。私自身、獄中死を何度も知っていたのです。それを止めさせなかった我々の責任です。それが今、中将の身を危険に晒していることに怯えました。頼むから無事でいて下さい。そう祈っておりました。
 私が重い足取りで楡家に帰ったところ、長女の和佳子お嬢様、次女の恵梨香お嬢様が私の帰りを待っておりました。私は、申し訳なさから玄関の外の石畳の上で土下座をしてわびました。
 すると、佳子お嬢様は笑って、良い気味よと意味深なことをおっしゃって、屋敷の中に入ってしまわれました。恵梨香お嬢様は、私の骨折りにいたく感謝をして、中将の無事を祈っておりました。
 きっと、和佳子お嬢様は強がりをおっしゃっているだけではないのかと、気持ちをお察しいたしました。
 それでも、恵梨香お嬢様には感謝以上のお気持ちを感じ、私はこころ動かさました。しかし、私はこの屋敷に来た時にお見かけした、あの薄衣をまとった天女のごとく舞う女性に、こころを奪われておりました。
 私のこころは、今、正に中将のことと三人のお嬢様達のことで、ぐるぐると思考が錯綜しておりました。不謹慎とお思いでしょう。しかし、私の頭の中は今それらのことが駆け巡っていたのです。
 所で、と言ってはまた不謹慎だと思われるでしょうが、私の天女はあれ以来姿をみせません。女中が二階に食事を持っていっているところを見ると確かにいるようですが、相変わらず誰も天女の名を言いません。
 痺れを切らして、私が女中にやっと教えて頂いた所、天女は気の病を患っていらっしゃるようで、名前さえも教えては頂けませんでした。ただ、調子のよい時に舞をまっていると聞きました。私はその話を信じて、毎夜天女を待って窓の外を見ておりました。しかし、一年が過ぎても私の天女は現れませんでした。

 それに気付いたことなのですが、恵梨香様の栄養状態が最近よろしくないようで、部屋にこもっている時間がかなり長くなってきました。
 心配ですが、十分な稼ぎがない私の責任です。しかし配給がごく限られた中、畑の手伝いで食料を手に入れるのが最良の手段なのです。私は必死で畑の手伝いを増やしました。夜遅くまで働き、隣で人手が足りないと言えば喜んで手伝い、遠くで助けが欲しいと言えば駆けつけて手伝いました。そして、毎日へとへとになるまで働いて、一日の手伝い賃の痩せた芋を頂いて帰るのです。
 お陰で私の腕は労働者のように太くなり、肌の色は海女のように黒くなっていったのです。そうやって、私達は必死になって生きていました。




 忘れもしない昭和二十二年十月一日。電報が楡家に来ました。皆が見守る中、和佳子お嬢様が封を切って文面を見られた。すると次の瞬間、和佳子お嬢様は力なく倒れた。咄嗟に私は手を差し伸べ、和佳子お嬢様を抱きとめた。恵梨香お嬢様は、床から電報を拾い上げ読み上げた。
「お父様が亡くなられた」
 ただ抑揚なくそう言った。私は、咄嗟にもう片腕を恵梨香お嬢様の後ろに差し出した。二人は揃って気を失いました。私は静かに二人をソファーへ下ろしました。
 気付け薬は、今は止めた方がいいでしょう。きっと、悲しみに打ちひしがれてどうにかなってしまいそうだから。
 二人に毛布を掛けるように頼みました。それから私は、急ぎ巣鴨刑務所へ向かったのです。

 警備室の前には、多くの者がおりました。その者達の前で、私は抗議しました。
 何故、刑務所の中で殺人が起こったのか、犯人は誰なのか、そして凶器は何なのかを問いただしました。
 相手は、顔をこわばらせて、こう言ったのです。
「楡元中将は、獄中で刀を持って、自ら割腹自殺を遂げられたのだ」
 私は唖然としました。何処の世界に、獄中で武器を持つことが出来よう。お前が殺したのだな。そう言って、私は拳を振り上げました。しかし、顔面に下ろす前に、周りの者達に取り押さえられました。
「この、卑怯者め!」
 私の言葉は、虚しく床のコンクリートに吸い込まれました。
 そして、その時すでに亡骸は火葬されたと聞くのです。無念です。(後から分かったことですが、昭和二十二年十一月十五日不敬罪が廃止されたのです。それで、廃止の前に殺させたのでしょう。)
 私は、無用に暴れた罪で即座に留置所に入れられました。それでも、私は猛烈に抗議いたしました。これは誰かの陰謀だ。だから、それを知られるのを恐れて、遺体を火葬にまでしてしまったのだと。
 しかし、誰も私の話に耳を貸さない。主人が自殺したので乱心したのだと言われ、馬鹿にされました。
 頭に来た私は、断固食事を摂らなかった。もう、この世に正義など存在しないと自暴自棄になっておりました。此の侭、朽ち果てようと構わない、そんな気持ちでした。
 そして三日が経った時、和佳子お嬢様が留置所にお出で下さりました。
 和佳子お嬢様は、私を叱りつけてこう言いました。
「佐伯! あなたは大馬鹿者です! あなたまで死んでしまったら、私たちは一体どうすればいいのですか! 少しは、生きている私達のことを考えてください!」
 私はひれ伏して謝りました。「すみません」と。
 そうして、多少説教されて留置所から出された私は、楡中将の遺骨をお抱きして屋敷に戻ったのです。
 家に着いても、私は楡中将の遺骨を離しませんでした。それを見かねたお手伝いの清さんが、白い布を何処かで借りてきて小さなテーブルに掛けました。私は、その上に遺骨を置きました。
 しかし、遺影はありません。お供えする果物もある分けはありません。私たちは、黙って手を合わせるだけです。誰も、このようなことになるなどと思ってもいなかったのですから。
 私は、遺影の前に跪いて、手を合わせました。そして、こころの中で謝りました。すみません、いたらない部下で。すみません、なにも出来なくて。すみません、いつかわびに行きます、あの世まで。




 私は、毎日生きることに必死でした。様相はもう以前の冷酷な下士官ではなくて、気の良い力持ちに成っていました。
 そうして、漸く食料事情が多少良くなりかけた頃、私は新聞社に雇って頂きました。参謀本部時代の部下、里中がわざわざ私のために席を空けてくれたのです。そのご厚意に甘え、私は一からやり直す気持ちで○○新聞社にお世話になったのです。
 皆さん、初めは参謀本部の元下士官とうことで、何処か余所余所しかったのですが、直ぐに仲間として受け入れて貰いました。これも、畑の手伝いによって私の角が幾分取れた所為ではないかと、思わぬ所で良いことがあったと思いました。
 そう言えば、以前の私ならば直ぐにかっとなってしまう所がありましたが、最近はまあまあと言って何だか訳の分からぬ内にことを収めてしまうことが良くあります。
 それでも、記事の書き方は参謀本部のころとはいささか違う砕けた文章で、私はえらく難儀をしましたが。
 そうして、はじめは苦労をしましたが、何とかやっていける目出が付いた頃、世間を惑わす大きな事件が起きました。
 それが、例の「光クラブ事件」です。
 昭和二十四年、東大生が会社を立ち上げ高利貸しをして全盛を極めたが、信用不安から多額の負債をかかえ、首謀者のAは自殺。会社は倒産したという事件です。
 そのAは陸軍に入隊していた時、上官の命令で密かに軍の財産を隠したが、見方に裏切られて逮捕される。そのようなことがあって、人間不信におちいったAは戦後東大に復学後、あのような事件を起こしてしまったのです。あわれなり。
 幾ら頭がよくても、上の者の口車に乗って悪事を働く。浅はかなことです。しかも前科が付いたから、もう就職は諦めなくてはいけないと思い、自暴自棄になってしまう。悲しいことです。
 世の中には、逆境を跳ね除け成功する者がおります。成功しなくても慎ましやかに、幸せに暮らす者がおります。それを、誰かが教えて上げたら、この様な事件は起こらなかったかも知れません。何れにせよ、戒めとして覚えておきます、私は。
 それに、何故命を絶ったのか。世の中には、何度も会社を潰しても、最後に成功する者がおります。それは、きっと闇金に手を出していないからでしょう。払えなかったら命で、と言う生命保険で落とし前を付ける闇金があるようです。それに手を出したらもう……。
 再生できる失敗を。と言っても、無暗に会社を潰したら取引先が迷惑しますから、その辺良く考えなくてはいけません。出過ぎた真似ですが、一応。皆さんは、そんなこと分っていますよね。失礼しました。




 会社勤めも板についてきた頃、私に結婚のお誘いがありました。その頃、楡家は実質私の稼ぎを生活の糧にしておりました。私は、一向に構わないのですが、出来たら長女の和佳子様お嬢様と結婚して欲しいと、妹の恵梨香お嬢様にお願いされました。私は天女の虜でしたが、美しくて賢い和佳子お嬢様ならばと思い、悩んだ末承知いたしました。祝言の夜、私達は初めて結ばれたのです。それは、夢のようなひと時でした。

 が、私達が寝静まった頃、ついに天女が現れたのです。
 突然、窓が開かれ月明かりの中私をじっと見つめ、手招きをして私を誘(いざな)ったのです。私は夢遊病者の様に後を着いていき、その舞を間近で見ました。柔らかい身のこなしで天を舞う姿は、やはり私を痺れさせました。
 そして、つい手が出てしまったのです。もう、引き返すことは出来ません。両の腕で天女を抱きしめると、その蜜蝋に彩られた匂い立つ唇に、口付けを致しました。
 なんと言う狂おしいほどの唇か。私は、天女から薄衣を剥ぎ取って、この身に抱きしめました。私の下に組み敷いて、胸に舌を這わせました。驚くことに、そこも蜜蝋の香りがします。私は、もう無我夢中で全身に舌を這わせました。
 そして、遂に美しい花びらに、舌を這わせる時が来ました。震える舌をゆっくりと下ろすと、ピチャ、と音がしました。驚くことに、あの中も蜜蝋の味がするのです。私は、無我夢中で中の蜜を吸い取りました。しかし、後から後から溢れてきて……。
 私は、遂に一つになることを決めました。私は、はち切れそうなあそこを彼女の花びらに入れました。
 なんと言う快感。
 私達は脇目も振らずに快感の坂道を登っていき、そして激しい動悸と、快感と、終りたくないと言う気持ちをない交ぜにして、遂には解き放ったのです……。
 もう、何も考えられません。私は、ぼーっとして中空を見つめていました。
 ふと、遠くに焦点が合いました。和佳子様です。
 彼女は泣いていました。私達を見つめ、手で拭うこともせずに、ただ涙を零していました。その時の和佳子様の悲しそうなお顔は、今も忘れられません。それでも、私は動けずにぼーっとしておりました。
 すると、天女は和佳子様に気が付いき、「はっ」とした表情で私を押し退け、踵を返すと一目散に駆けだしました。
 私は、よろ付きながら後を追いました。
 天女の足は早く、二階の天女の間に消えました。私も後を追って二階へ急ぎ参りましたが、その時きらりと光る物が見えました。
 私は、慌てて止めに入ろうとしましたが、一瞬早く、天女は短剣をその身に深く納めたのです。
 なんてことだと、私は天女を腕に抱いて嘆きました。
 その声が聞こえたのか、最後の力を振り絞って、天女は私に言いました。
「あなたのことが、好きでした。最後に、抱いて、くれて、あり……」
 そこで、私の天女はこと切れました。
 ――――――――。
 何故、何故なのだ。何故、彼女は死んでしまったのだ。私を残して。
 私の両の目からは、止め処なく涙が溢れてきました。
 その時、ふと気が付くと、床の上に長い髪があったのです。黒い髪が。
 これはと思い、天女の顔を良く見ると、……それは恵梨香様だったのです。
 私は、気が動転しました。恵梨香様が、あの天女だったのだ。
 その時、私は憧れの天女を失ったいう悲しみから、親しみのある可愛い恵梨香様亡くなったのだという悲しみに代わりました。
 私は、彼女の銀色の頭に、黒い髪を被せ、そして抱き寄せました。何故、そうしたのか分かりません。彼女を、正常な恵梨香様になってから逝って欲しいと思ったのかも知れません。違うのかも知れません。私の行動は常軌を逸してました。
「うおーーー!」
 雄たけびを上げ、気が狂ったように叫ぶ声は、きっと天国に向かう彼女に届くでしょう。出来るなら、途中で帰ってきて、再び私の腕の中で鼓動を繰り返してほしい。そう思い、私は力の限り叫び続けました。
 けれど、幾ら泣いても、幾ら祈っても、幾ら天国に向かう道に叫んでも、彼女は二度と帰っては来ません。ただ、虚しく雄たけびが響いただけでした。
 こうして、私は天女と恵梨香様、二人を同時に失ったのです。




 後日、和佳子様は涙ながらに私に語ってくれました。
 恵梨香様は気の病を患って、時々薄衣を羽織って庭に舞うのだと。そのことを私、佐伯に知られるのを恐れて、もう一人いるのだと嘘をついた。しかし、私と和佳子様が契ったことに、ついに我慢できずに私の前に現れて、恵梨香様自ら契られたのだ。そして我に返り、病気であることを私に知られたと思い、恵梨香様は自害された。(後に分かったことですが、恵梨香様は腎不全ではなかったかと思われます。そう、あの『智恵子抄』の病気と同じ症状です。あの時代に透析があれば……。)
 私を好きだという気持ち、私に和佳子様を嫁がせてずっと一緒にいたいという気持ち。その狭間で恵梨香様はこころ痛めていたのだと。
 どんなにか苦しかっただろう。私は、恵梨香様の遺影を抱いて涙しました。私の天女。その天女を苦しめたのは私だ。
 しかし、和佳子様は違うとおっしゃった。恵梨香は、あなたとお話しすることが、この世で一番好きだと言っていた。だから、あなたはなにも悪くないのよ。もう悲しまないで。そう言って、和佳子様は涙ながらに私を慰めました。私は、なすすべもなく涙致しました。


 あれから、もう七十数余年が経とうとしています。あのさくらの木は、今年の春も私を天女に逢わせてくれます。ですが、もうそろそろ私の命も尽きようとしています。そうしたなら、きっとあなたに会いにいきます。いつか、あなたに渡そうと用意していた、真っ赤な蜜蝋の口紅を持って。




出典:あ
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