20201028-人形に捕らわれた男 (エロくない体験談) 1766回

2020/11/10 12:44┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:あでゅー
あでゅー 星空文庫 https://slib.net/a/18416/


(一)

「お母さん。私、受かったよ」
 私は、嬉しくて母に抱き着いた。合格したのは、第一志望の理学部化学科。家から通える大学である。母も喜んでくれると思っていた。だが、母はおめでとうと、冷めた表情で言う。この時から、私の人生が大きく変わる。
「里美。あなたに言わなきゃいけないことがあるの。お父さんとお母さんは、離婚するの……」
 その後の言葉は、私の耳には入らなかった。聞きたくないという気持ちが、働いたからだろう。
 要約すると、私たちは離婚する。お前は、一人暮らしなさい。大学を卒業するまでは、面倒をみる。卒業した後は、一人で生きていきなさいというのだ。どうやら、お互いに好きな人ができて、その人と暮らしていくらしい。
 突然、言われた私は、いやだ、いやだと言って、泣いて母にすがりついたが、その腕を払われた。父は、姿を見せず、電話だけで一言「ごめん」と言うだけだった。母の探してきたアパートに私の荷物を送った翌日、離婚が成立した。
 夢に見た一人暮らし。立派な大学。真新しいテキスト。そんな物がそろっても、私の気持ちは少しも晴れなった。
 ボーとしている間に、新年度がはじまって、たんたんと入学式とオリエンテーションが進んでゆく。私は、最低限の単位を受けることにした。

 はじめての講義が終わって、学食で一人昼食にクリームパスタを食べているときだった。気がつくと、私の前の席に三十くらいの男性が、立っていた。長身で、優しそうな眼差しに、ボストン型のセルフレームをかけている。
 その男性が、口を開いた。
「こんにちは。この席空いてます?」
 空いている席は、たくさんあったが、きっと話がしたのだろうと思った。もし、若い男性が同じことを言ったら、私は友達が来ますと言っていただろう。誰一人、友達を作ってなかったのに。
「ええ、どうぞ」
 その男性は、ありがとうと言うと、キツネうどんが載ったトレーを置いて席に座った。そのうどんを美味しそうに一口食べて、男性は言った。
「どうですか、大学生活は?」
「……やめたい」
「どうして?」
 私は、そこで泣き出してしまう。なぜ、赤の他人の前で。そう思うが、その人の優しそうな眼差しに、つい本音が出てしまった。
「困りましたね。まるで、別れ話をしているようです」
 私は、そこで笑い出してしまう。
「すみません」
「冗談ですよ。泣きたいときは、泣いてください」
 その男性は、キツネうどんを食べ終えると、私が泣き終えるまで、そばに居てくれた。何も言わずに、ただ私にコーヒーを入れてくれた。
 その男性が、教授だと知ったのは、有機化学の講義を受けた時だった。教授は、私の顔を見ると、ニッコリ笑って会釈した。その講義が終わると、私はあやまり行った。
「岡田教授。この前は、すみませんでした。私のせいで、講義をできなくして」
「いいんですよ。だって、泣いている子を、一人にはできないでしょ」
 そう言って、優しく笑った。
 それから、時々学食で昼食を一緒に食べた。教授の話は、おもしろい。そして、誰よりも優しい。そんな教授を、好きになるのに時間はかからなかった。教授がいたから、大学を続けたと思う。それだけを支えに毎日を過ごした。


(二)

 順調に四回生になって、卒研は希望通りに岡田研究室に配属された。研究室のテーマは、抗がん剤の合成。劇薬を使うので、細心の注意が必要だった。
 就職だが、岡田教授の紹介で早々と小さな研究所に決めてしまった。修士課程にも行っていない学卒には、分相応だと思う。

 そして季節は足早にすぎて、肌寒い秋になっていた。私は朝一番に研究室の鍵を開けた。中に入ると、エステル結合の甘い香りがする。窓を開けて換気すると、白衣を羽織って、実験の準備に取り掛かった。
 そのとき、不意に声を掛けられた。
「おはよう、今井里美くん」
 見ると、岡田幸夫教授が、研究室の扉を開けて、中を覗いている。
「おはようございます、岡田教授」
「君だけですか?」
「ええ、そうですけど?」
「ちょっと、来てください」
「はい?」
 岡田教授の部屋に入ると、一羽のスズメが天井にぶら下がった蛍光灯にとまっている。私は、ちょっと待っててくださいと言って、学食に走った。教授は、専門以外、驚くほど知識が乏(とぼ)しい。こんなことに、おろおろして可愛い人だ。私が、息を切らして米粒を持って戻ってくると、教授は呑気に言った。
「おお! 君は頭がいいですね」
「単に鳥が、好きなんです」
 私はそう言って、開け放った窓の枠に米粒を置いた。スズメは米粒を全部食べ終えると、大空に向かって元気に飛び去った。
「いやー、助かりました、ありがとう。お礼しなくっちゃね」
「それじゃ、晩ごはん奢ってください」
 教授は、指を顎に乗せて私を見つめたあとに、こう言った。
「晩ごはんは、いつも家で食べるんです。もしよかったら、家に来ます?」
「はい。行きます」
 教授の、家を見てみたかった。それに、奥様に会ってみたかった。私は、一日が終わるのを楽しみにして、フェイスガードを着けて実験に取り掛かった。

 教授は、午後七時なると、打合せ通りに駐車場に止めたローバーミニの、エンジンをかけて待っていた。私は、急いで車に乗り込むと、シートベルトを掛けた。
 構内を出るとき、同じ研究室の男子に見つかってしまった。明日、何て言って言い訳しようかと、頭を悩ませた。けれど、教授はそのこと気づかずに、上機嫌に言った。
「今日は、妻に言って、ご馳走を用意したからね」
 そうか、胃袋を掴んだのかと、単純な教授を陥落させるのは、とても簡単に思えた。
 教授の家は、大学から車で二十分の新興住宅地の一角。そこに、小ぢんまりとした一階建ての白壁の家があった。その外観は、無駄がないように思え、教授にとても似合っていると思った。
 私は、車から降りると、教授の後について、正面玄関の階段を上った。途中で、人体感応式の電灯がつく。階段の脇には、季節外れのコスモスが、寒そうに咲いていた。
 教授は、玄関の扉の前に立つと、鍵を廻して扉を開けた。
「京子。ただいま」
 教授はそう言って、玄関の電灯をつけた。お料理中か、奥さんの返事はなかった。私は、お邪魔しますと言って、教授の後について家の中に入っていった。なぜか、居間の電灯もついておらず、教授は居間と台所の電灯をつける。私は、その瞬間、固まってしまう。
 食卓テーブルの席には、小さな人形が座っていたのだ。それも美しい女性の人形と、男の子の人形が、二体。色白で、表情のない顔に、寒気がする。その人形に、教授は人間のように話しかけた。
「さっき、電話で話した学生だよ」
 そう言って私が自己紹介をするのを、ニコニコして待っている。仕方なしに、引きつる顔を隠せずに、言った。
「こんばんは。教授の研究室でお世話になっている、今井里美です。今日は、お招きいただき、ありがとうございます……」
「どうだい、中々可愛い学生だろう? そして、息子の和志。今年、小学校へ上がります」
 私は、奥さんと息子さんの人形に向かって、無理やり愛想笑いした。教授は、上機嫌である。
 きっと、この光景を見たお客は、みんな驚き、誰も人形を人のようには、扱ってくれない。そう、容易に想像できた。
「さあ、奥さんの作った料理、頂こうね」
 私が、空いた席に着くと、教授は手慣れたように、料理を取り分けた。たぶん、家政婦が作った物だろう。料理はどれも美味しそうで、私はこの異様な状況を一瞬だけ忘れた。
「それじゃ、頂きます」
 教授は、そう言って、スープを口に運んだ。私も、頂きますと言って、スープに口を着けた。
「ん! 美味しいです!」
「ほんとだよ。ありがとうね、京子」
 教授は、人形に向かって、優しくほほ笑んだ。
 この光景は、一体いつからなのかと、私は思った。奥さんとお子さんは、今どこにいるのか。もしかして、なにかの事故で死んでしまったなら、こうする気持ちもわからないではない。私は、食事をしながら、そんなことを考えていた。
 食事中は、教授が終始話をしていた。まるで、久々のお客様であるかのように。きっと、この家にはお客は、めったに来ないのだろう。三十分足らずの食事は、三時間以上に感じた。
「今日は、ごちそうさまでした」
「また、おいでよ」
「はい。それじゃ、失礼します」
 送るという教授の申し出をお断りして、駅までの短い距離を歩く。考える時間が欲しかったからである。このことを知っているのは、家政婦らしい人、それに心療内科医、そのくらいであろう。明日は、心理学の教授に聞いてみよう、そう思って電車に乗り込んだ。


(三)

 次の日、私は研究室を休んで、心理学の小笠原教授を訪ねた。朝、八時半に予定を聞くと、十一時から一時間ほど時間があると、教授は言った。私は、それまで図書館にこもり、時間をつぶすことにした。
 その時、同じ研究所の男子に話しかけられた。昨日、教授の車に乗っているのを、見られた男子だ。
「今井さん、こんにちは」
「こんにちは、鈴木くん」
「……教授が好きなの?」
「ええ、好きよ」
「駄目だよ。教授には奥さんがいるんだよ」
 私は、ここで黙ってしまう。教授には奥さんはいない。けれど、愛する人形の妻がいる。そんなことを、答えられないもどかしさが、私の口を開いた。
「だからなによ? 勝手に好きになったらいけない? それも、駄目なの?」
 前から私に気が合った男子は、「悪かったよ」と言って、唇を噛んで走り去った。
 その子には悪いが、私に必要なのは、包み込むような優しさであって、衝動的な欲望を私に向かって解放することでは、決してない。衝動的な欲望はいずれ薄れ、やがて私をすてるのだ。私は、このことを、両親から学んだ。
 興奮を沈めてると、約束の時間になった。私は、心理学の小笠原教授の部屋に向かった。
「失礼します」
「ああ、どうぞ。それで、話って?」
 きっと、小笠原教授は知っているだろと、名前を隠さずに話した。彼は、険しい表情で私の話を聞くと、言った。
「そうか。知ってしまったんだね」
 小笠原教授はそう言って、眼鏡を取って眉間(みけん)をもんだ。
 やはり小笠原教授は知っていた。この感触では、異常をきたした当初から、家政婦か誰かに相談を受けていたようだ。
「治らないんですか?」
「ウーン、本当は守秘義務があるんだけどね……。君は、岡田くんの生徒さんでしょう?」
「はい」
「それじゃ、心配だよね。ハッキリは言えないけど、治るのは難しいだろうね」
「そうですか……」
「でも、それ以外は正常だから、仕事に支障はない。今の所ね」
 そこで、一番気になる質問をした。
「奥様とお子さんは、今、どこにいるんですか?」
「奥さんと、お子さんは、災害で亡くなったよ」
 小笠原教授はそう言って、ファイルを出してきた。その最初のページには、新聞の切り抜きが貼られていた。読んでみると、六年前の新聞で、突然の鉄砲水で車両が流され、大勢の人が死んだと書かれていた。
「被害者の中に、バスに乗った奥さんと、お子さんがいたんだ」
「……岡田教授は、乗っていなかったんですね?」
「そう。盆休みで奥さんは実家に帰ったけど、岡田くんは論文の発表が迫っていて、大学に残っていたんだ」
 ある日突然、愛する人が死んで一人ぼっちになってしまったら、私なら耐えられない。きっと、後を追ってしまうだろう。
 しかし、教授にはやり残した研究がきっとある。それを、やり残しては死ねないだろう。その心のすき間を埋めるために、人形を家族として受け入れることは、容易に想像できる。私は、そう考えると涙が止まらなかった。

 中庭のベンチで気持ちを落ち着かせて、食堂へ入った。長テーブルには、いつものように岡田教授が、うどんを美味しそうに食べている。私も、トレーにいつものクリームパスタを乗せて、教授の前に座った。
「今日は、タヌキですか?」
「あれ? 今井くん。身体、大丈夫?」
「おかげさまで、治りました」
「そうですか、よかった」
 その笑顔に、どんなに救われたことか。教授が居なければ、とっくに大学をやめていただろう。
 奥さんが亡くなっていたと知った今、こんな私でも岡田教授を愛していいのではないかと考えるようになった。そして、岡田教授を救えるのは、私しかいないとさえ、思うようになっていた。


(四)

 冬の季節が迫ったころ、私は岡田教授がいない時をみはからって、教授の家に行った。呼び鈴を根気よく押していると、家政婦と思われる女性が、ようやく出た。しかし、どう見ても美しすぎる。私が、気を取り直して挨拶すると、その女性は探るように言った。
「あなた、先生の生徒よね?」
「はい。今井里美と申します」
「それで、なんの御用でしょうか?」
「先日、教授に招かれて、夕飯をごちそうになりました。その時、奥様とご子息であると紹介されたのが、人形でした。失礼ですが、あなたは奥様の身内の方でしょうか?」
 私が、そう言うと、その女性は居間に通してくれた。少し離れた食卓テーブルには、以前のように人形が二体、椅子に座ってこちらの様子を伺っている。思わず会釈して、ソファーに座った。
 その女性は、ミルクティーを私の前に置くと、口を開いた。
「それで、今井さん」
「はい」
「あなた、全部聞いたのね?」
「はい、小笠原教授から。奥様とお子さんが災害で亡くなられて、教授がその代わりに、人形を連れてきたと」
 そこまで言うと、その女性はフーと息を吐いた。緊張を溶(と)いたのがわかった。
「私は、亡くなった女性の姉で、名前を、桜木香と申します」
 やはり、そうだった。この女性は亡き妹の代わりに、教授を見守っているのかもしれない。しかし、教授を男性として好きだとしたら、私はこの女性に勝てる気がしない。そのぐらい、知的で美しかった。
 そんな私の考えを読んだように、その女性は言った。
「勘違いしないでね。私、結婚しているの」
 彼女のかざした左手の薬指には、金色の指輪が光っている。私は、ホッと息を吐いた。
「あなた、ここまで踏み込むのは、教授を好きだからよね?」
 私は、教授のことを、もちろん好きである。だが、人形に心奪われた教授を、果たして、人並み以上の容姿も、優れた頭脳も持ち合わせていない私が、振り向かせることができるか、不安だった。そう思って、なにも言えずにいると、桜木香さんは言った。
「わかったわ。応援するね」
 この言葉を聞いて、不意に涙がこぼれてしまう。力強い味方を得て、安心したのかもしれない。これで、人形に勝てる、そう思った。


(五)

 力強い見方を得た私だったが、いくら考えてもいい考えは浮かばなかった。人形を隠してしまうことも考えたが、心理学の小笠原教授に反対された。あまりにも、危険だと言って。結局、教授の話し相手しか、できなかった。それでも、いつか教授の心を氷解させることができると信じていた。
「岡田教授。奥様とは、どうやって出会ったんですか?」
 何度か教授の家に招かれたときに、私は教授に聞いた。教授は、照れくさそうに人形を見つめ言った。
「院生のときに、卒研生として、僕の恩師の研究室に、入ってきたんです」
「そうすると、奥様が二十二歳の時ですね? 可愛らしかったでしょう?」
「いいえ。そのころから優秀で、僕はいつもタジタジでした」
「それなのに、どうして研究をやめたんですか?」
「僕との間に子供ができて、彼女が子供を選んだんですよ。研究者の代わりは、いくらでも居るが、この子の母親は私だけだと言ってね」
 教授は、目に涙を浮かべた。私も、自然と涙があふれた。
「実はね、今研究しているテーマは、彼女のアイデアなんですよ。その成果がでないと、僕は……」
 その後、『死ねない』と口が動いたように思えた。
 なんと言うことか。もしかして、教授は正常かもしれない。だから、死ぬなんて言葉がでたのだ。けれど、教授が死んでしまったら私は、また一人で生きてゆかなければならない。私には、自ら命を絶つ勇気はないのだから。
「教授。私には、あなたが必要なんです。絶対に、死ぬなんて言わないでください」
 そう言って服を脱いだ。教授は、『京子』とつぶやくと、私の胸に顔を埋めた。
 こんなに愛しているのに、奥様には勝てないのか思うと、私の涙はとまらなかった。そして、このままでは教授は死んでしまう。なんとか、しなければと強く思った。


(六)

「二人が、居ないんだよ!」
 岡田教授の、悲鳴にも似た声が、携帯電話の向こうでこだまする。そう、私が人形を隠したのだ。桜木香さんが、買い物に行った隙に。心理学の小笠原教授に固く禁じられていたのに。
「どうしよう?」
 かなり焦っているようだった。
「そうだ! 警察に頼もう!」
 電話は、そこで切れた。きっと、捜索願を出すのだろうが、すぐに奥さんもお子さんもすでに死んでいるとわかる。おそらく、遺失物捜査に代わるだろう。
 私は、最後の手段として、あの人形を隠した。それも、私に罪がかからないようにして。
 人形がなくなって、教授は動揺している。しかし、私がずっとそばに居たなら、きっと正気に戻って、私を愛してくれる。そう信じている。

 翌日、小笠原教授から電話があった。
「君が、やったんだろう?」
 あからさまに避難するではなく、あきれたとも、賛同ともとれる声だった。
「どこに隠した?」
「……教授の家の、台所の床下収納庫に」
「ハー、あきれたよ。ま、それしか方法がないんだから、仕方ないか……。僕もこの結果は期待している。それでは、幸運を」
 電話は、そこで切れた。小笠原教授も応援してくれる。私は、岡田教授が正気に戻るのを待った。
 間もなくして、桜木香さんに床下収納庫の人形が見つかってしまった。しかし、彼女は黙ってくれた。いい方向に向かってくれるの期待していると言って。

 人形を隠して、一か月が過ぎ、そして二か月が過ぎた。その間、一日中教授に寄り添い、お世話をして、気晴らしに散歩や映画などに連れて行った。
 けれど、岡田教授は片時も奥様を忘れずに、日に日に衰弱していった。一七八センチの身体は、五十キロまで落ちてしまった。私は、あきらめて人形を床下収納庫から出して、食卓テーブルの席に座らせた。完全に私の敗北だった。
 卒業まで一か月切って、私は教授の家に行くのをやめた。

 遅れていた実験を、夜遅くまでやって、ようやく卒研の発表に間に合わさせた。教授は、満足そうに拍手をして、私に握手を求めた。
「学会の発表があるんだが。君、やってくれますか?」
 学会は、卒業してから数か月後に開催される。それまで、発表の準備をしていては、両親との約束が終わってしまう。そう思って、教授の申し出を断った。学会で発表する機会を逃して、私は唇を噛んだ。

 卒業式は、リクルートスーツですませた。ほかの女子は、羽織はかまで出席したが、これから一人で生きてゆかなければならない身では、贅沢はできないし、誰一人、見に来てはくれないのだから。最後に、岡田教授にお別れを言って、四年間お世話になった大学を後にした。


(七)

 私が卒業して数年がたって、懐かしい人からメールが来た。差出人は、岡田幸夫教授だった。

件名:お久しぶりです。元気ですか?

あれから、君の製造物に抗がん剤としての有効性が証明され、認可が今日下りました。この研究テーマの発案者の妻も喜んでいます、ありがとう。

思えば、君にはお世話になりっぱなしでしたね。
今度会うときは、妻に言って、君の好きなクリームパスタを用意しておきます。

それでは、ありがとう。さようなら。

 私は、胸騒ぎがして、すぐに岡田教授に電話した。けれど、いくら待っていても、電話に出なかった。
 思い立って、メールの作成日を見ると、昨日だった。ああ、死んだんだと唐突(とうとつ)に思った。私は、涙をぬぐうと、110番を押して、警察に通報した。
 死因は、大量の睡眠薬の摂取だったとニュースで知った。葬儀は、ひっそりと行われたようだ。私は、とても行く気にはなれなかったから。
 結局、教授を死に追いやったのは、人形ではなく、私の研究だったと気づいた。亡き奥様の研究テーマを成功させたのは、この私だから。なぜ、そこまで考えが及ばなかったのだろうと思うと、やりきれない。だが、それは無意識に、私の探求心が勝ったためであると思う。そう、完全に私の醜いエゴである。
 その後、あの人形は、どうなったのかわからない。きっと、供養されてどこかに眠っていることを願ってる。人形に、罪はないのだから。

 教授が、正気だったか、本当に狂っていたのかは、ついにわからなかった。ただ、奥様とお子さんを愛していたという記憶が、私たちの心に刻(きざ)まれた。
 死ぬ勇気もなかった私は、今も生きて研究を続けている。そして、時々教授のお墓に、話しかけに行っている。


(終わり)

出典:あでゅー 星空文庫
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