新ジャンル「常識的に考えて」 (エロくない体験談) 61329回

2007/07/17 12:49┃登録者:えっちな名無しさん◆qHiAqpko┃作者:オッサン
放課後。 
俺は靴を履き替えようと下駄箱を開けた。 

そうしたら、見つけたんだ。 
小さな、白い封筒を。 

とても小さな、白い綺麗な封筒を。 


「…なんだこれ?」 

恐らくは手紙だろう。 
でも常識的に考えて今時、こんな古風な事する奴いるのか? 

もしそんな奴が居るとしたら、それは多分ヒューマノイドインターフェースだろう。 

とりあえず封筒を開けてみる。 



 


そこには丸い女の子らしい字で、 

【 校舎裏で待っています 】 

とだけ書かれてあった。 



なんだろうこれは。 
俺はいつ、どこで、何のフラグを立てちまったんだろう。 

もしかしたら校舎裏には不良グループが居てフルボッコにされるんじゃないのか。 
いやいや、そんな。 
俺はどこにでもいるような地味メン。 
そんな奴らに恨みを買うような覚えはないんだぜ? 


だかしかし。 
ここで大いなる問題が立ちはだかる。 

それは俺が童貞という事だ。 

もし俺がイケメンの彼女持ちだとしたら、 
こんな差出人も書いてないような不気味な手紙は常識的に考えてシカト一択だろう。 


だがしかし。 
何度でも言おう。 

俺は童貞である。 


そんな童貞がこんな手紙もらったら期待しちまうだろ? 
こんな俺にだって、ちょっとぐらいイベントが起きたっていいだろ? 


常識的に考えて何か武器とか持っていった方がいいんだろうか。 
でも、教室に戻ったってせいぜい彫刻刀ぐらいしかないんだぜ? 

ええい、ままよ! 

俺は覚悟を決めて校舎裏に向かう。 


そうしてそこには、一人の女の子が居た。 


その彼女に見覚えは無かった。 
小柄な子で、俺よりも頭ひとつ小さい。 
なかなかに可愛いかも知れない。 

だがしかし! 
気をつけろ、目に見える範囲にはこの子しか居ないが、 
どこかに前原さんが潜んでいて後ろからバットが振り下ろされるか分からない! 
気を抜くな! 


「…手紙読んだよ」 

俺は警戒心丸出しで彼女に話しかける。 


「来てくれたんですね」 

彼女は小さく笑った。 
花が咲いたように、そんな表現がしっくり来る笑顔だった。 

「センパイ、あたしの事、知ってます?」 


正直に言って全く知らない。 

俺の事をセンパイと呼ぶという事はこの子は後輩という事になるが 
そもそも部活もしていない俺は、下の学年の奴らに知り合いなど誰一人としていなかった。 



「…や、ごめん。知らない」 


「…そう、ですよね。常識的に考えて」 

そう言うと彼女は少し寂しそうに、また小さく笑った。 


「じゃあ…なんで呼び出されたかって、分かります?」 

彼女は寂しそうな笑顔を振り払い、イタズラっぽい笑顔を浮かべると俺をからかうように聞いてきた。 


「えっと…常識的に考えて…」 

「常識的に考えて?」 


「…罰ゲーム?」 

俺がそう答えると彼女はまた小さく笑った。 
どうやら小さく笑うのは彼女のクセなようだ。 

「えへへっ、センパイの常識ってずいぶん歪んでるんですね」 


いやいや、だって普通そう思うだろ。 
下駄箱に呼び出しの手紙が入ってて、そこに行ったら女の子が待ってて、 
あまつさえ、俺の事をセンパイって呼ぶんだぜ? 


「うーん、そうだなぁ。他には何か可能性って思いつきませんか? …それこそ、常識的に考えてっ」 

またイタズラっぽく笑う彼女。 
よく笑う子だな。それがとてもよく似合っている。 


って他の可能性ってなんだ。 
罰ゲームじゃないとするならなんだ。 


「…まさか、やっぱりフルボッコ劇場?」 

「…なんですか? それ」 


なんでしょう。 



分かってる。分かってるんだ。 

放課後、人気の無い校舎裏に呼び出されるなんていったらアレだろ? 

ザ・告白イベント。 


いくら童貞の俺だってそれぐらいは想像したし、妄想したさ。 

でも、そんな事自分から言い出したらどうしようもない勘違い野郎だろう!? 

それは、それだけは言い出せなかった。 


「んー…センパイ、分からないかな? 常識的に考えて、ひとつしか無いと思うんだけどなぁ」 

そう言い、小首をかしげる彼女。 
…さっきも思ったがこの子はやっぱり可愛い。 


「…ごめん、分からないっす。サーセン」 

だからこそ。 
彼女が可愛ければ可愛いほど、俺は頭の中の想像を口にする事が出来なかった。 



「…センパイ?」 

俺が答えると彼女が不意に近寄って来た。 


「な、なんスか?」 

なんで敬語になってんスか俺? 


風に混じってなにやら甘い匂いがした。 
それは恐らく、名前も知らないこの小柄な女の子の香り。 



「センパイって、思ったより鈍感なんですね?」 

そうやって少し怒って見せる彼女。 
だが、それは彼女の可愛さを引き立たせるだけでしか無かった。 


「…はい、ごめんなさい」 

何やら完璧に気圧されている。 
情けないぞ、俺。 


「…じゃあセンパイ。今度の休みってヒマですか?」 

急に場の空気が変わった。 
手綱を握るのはもっぱら彼女。 


「は、はい。ヒマだと思います」 

もう完璧敬語じゃねぇか俺。 




「じゃあ今度の休み、あたしとデートしましょう」 


…なななななんですって? 
今、俺の耳がおかしくなってなきゃとんでも無い発言が聞こえた気がするんですが。 

「デデデデデデデ」 

「…デデデ大王ですか? あたしもあのたらこくちびる、好きですよ?」 


どうやら天然っぽいところもあるらしい。 
って、そうじゃなくて! 

「デート!? 今、デートっつったか!?」 



「はい、そうですっ。 …センパイはあたしとデートするの、ヤですか?」 

そう言い、少し寂しそうに笑う彼女。 

さきほどから彼女は全ての表情を笑顔交じりで表現する。 
それはとても素敵な事に見えた。 


「い、いやじゃないッスけど!」 

無駄に声張ってるぞ、俺。 
おちつつつつっつつtけっけけけえ 


「ホントですかっ? じゃあ今度の休み、楽しみにしてますねっ」 

俺の言葉に彼女は小さく笑う。 
それは小さな笑顔。 
でも、そんな彼女の笑顔は今までで一番輝いていて。 

俺は正直、この時点で惚れていたのかも知れない。 


「いや、あの、でも、ホントに俺なんかとでいいんスか?」 


俺の言葉に彼女は驚いて。 

「…センパイ、まだ気付いてないんですか?」 

それからまたイタズラっこのように、小さく笑った。 



「それじゃあ、今度の休みの日までの宿題にしましょっ」 

季節はもう夏だけど。 




「鈍感なセンパイでも分かるハズですよ? 常識的に考えてっ」 



なんか、春が来そうです。 







そうして約束の日が来た。 

俺は前もって服を買いに行ったり、 
生まれて初めてワックスというものを買ってみた。 


準備は万端だ。 

約束の時間は13時だったが、朝5時に起きた。 

…常識的に考えて老化現象? 


だがここで思わぬ事態が発生する。 

格好というのモノをどうやって付けたらいいのか分からない。 


適当に整髪料を付けたら適当に格好良くなると思っていたが、大間違いだったようだ。 

いつも髪を下ろしてるから、ザッと上げて爽やかさを演出してみようと思ったら突然ポルナレフになった。 


ありえねーと思った。 



結局風呂に入ってから出かける事にする。 
だが、風呂に時間を取られたせいか、待ち合わせに遅刻してしまった。 


「センパイ、4分遅刻ですね?」 

俺が場所に着くと彼女はすでに待っていた。 
待ち合わせで女の子を待たせるなど紳士としてあるまじき行為だ。 

「ごめん! 結構早く起きたんだけどさ、急にシルバーチャリオッツが発動して」 

「…? なんですか? それ?」 

「あ…いや、なんでも無いんだごめん」 


ばかばか、俺のばか。 
ここは掲示板じゃないんだぞ。 



「センパイってたまに不思議な事いうんですね。常識的に考えて新発見かも知れません」 

彼女は俺の意味不明な発言を肯定的に受け取ってくれたようだった。 
ちょっと自慢気に微笑む姿が可愛い。 



しかし。 

奇跡だ。 




この俺が女の子(可愛い)とデートする日が来るだなんて。 

これが青天の霹靂って奴なのか。 
ダイスケ的にもオールオッケーなのか。 



彼女は明るい黄色のワンピースを着ていた。 
スソがフワッと広がっていて涼しげだ。 

「あー…ごめん。なんか俺、凄い普通の格好で。もっと格好つけてくれば良かったかな」 


結局買った服も着て来なかった。 
鏡の前で着てみたら、あまりにも似合わなかったからだ。 

服屋で見た時は、あのピチピチしたTシャツがカッコイイと思ったんだけど。 



「普通でいいですよ、普通で。常識的に考えてフツーのセンパイの方がいいと思いますから」 

そう言ってはにかんでくれる彼女。 
可愛いが、性格もいいらしい。 

基本的に可愛い子は性格ブスだと思っていた俺は、浅はかだったのか。 

初恋のアヤちゃんは凄い可愛かったけど、凄い性格悪かったのに。 
授業中とか消しゴムのカスやシャーペンの芯がビシビシ飛んで来てたのに。 

それだけなら俺に気があると誤解も出来たが、辞書が飛んできたあの日に俺の初恋は終わった。 


俺が女の子に恋愛感情を持たないようにしてきたのは、それが原因なのかも知れない。 
ちょっとしたトラウマって奴? 



「それじゃーセンパイ、どこ行きましょっか?」 


…困った。 
女の子が喜びそうなデートコース。 
そんなもの俺が知るワケが無い。 


「あー…えっと、どこか、行きたい所、ある?」 


自分では気付いていなかったが、どうやら緊張しまくっていたらしい。 
うまく言葉が喉から出て来ない。 


「んー。あたしは特に。センパイは?」 

「あー…その。えっと、ですね。俺も特に無いと、いいますか」 


っつか、なんでまた敬語になってんだ俺。 
この子が親しげに振舞ってくれればくれるほど、何か無駄に緊張してきちまうぞ。 




「…ねぇ、センパイ。もしかして今、緊張してます?」 

俺の挙動不審っぷりに流石に彼女も気付いたらしい。 
イタズラっぽく微笑む彼女。 
小柄な彼女は俺を見るだけで、首を軽く上げなければならないらしい。 

その上目遣いには中々の破壊力があった。 


「ききききんちょうとか、ととととしでんせつっすよ」 

…だからこそ。 
破壊力があったからこそ、俺故障。 



「都市伝説っすか? あたしには充分緊張してるように見えますよ?」 

彼女はからかうように、小さく笑う。 
なんというか、その笑顔は卑怯だと思う。 


「…でも、そっかー。センパイは緊張してないんだ? なんだか、不公平だな」 

そう言って少し唇と尖らす。 
…前から思ってたが、この子には小動物的な可愛さがあるんだな。 


「ふふふふ不公平ってなにかね」 

…なんというか。まともに言葉も出ないほどの俺のチキンっぷりに涙が出そうだった。 




「あたしは結構緊張してるのに、センパイが緊張してないのはズルイです」 


…緊張? この子が? 


「そそっそそう、なの? 全然そうは見えないけどどどど?」 


彼女はとても自然体で。 
俺はとてもアストロンで。 


「あ、やっぱりそう見えてましたか? 
 あたし、昔から表情読めない子だねってよく言われるんです。 
 いっつも笑ってばっかりで、バカみたいだーって」 


それは彼女のワンピースと同じように、涼やかな表情で。 




…なんだかその笑顔を見ていたら、緊張している俺が滑稽に思えて来てしまった。 


俺がこんなにも緊張している理由はただひとつ。 

あの宿題だ。 

なぜ俺がデートに誘われたのか未だにその答えは出ていない。 


けれど、彼女が俺を落ち着かせようとしてくれているのは分かった。 
そう。彼女は本当にいいコなんだろう。 
こんなつまらない事で気を遣わせちゃいけない。 


変に意識するな。 
彼女も普段の俺でいいって言ってくれたじゃないか。 
男友達に接するように、普段の俺でいよう。 


「そう? その笑顔見てると、こっちまで楽しい気分になってくるけどな」 

…おい、ちょっと待て。 
普段の俺でいいとは思ったがリラックスしすぎだろ。 
なんて恥ずかしい事を口走ってんだ!? 


「…ッ…!?」 

俺の言葉を受けて、彼女はずっと俺を見上げてくれていたのに、急に俯いてしまった。 
小柄な彼女が下を向くと、俺からは彼女の頭しか見えない。 

どうでもいいが、綺麗なつむじだ。 


「むー…」 

俯いたままの彼女が何やら唸っている。 
…やっぱり怒らせてしまっただろうか。 

「あ、ゴメン。…なんか、怒らせちゃったかな」 


「…怒ってはないです」 


彼女にしては低い声。 


「……ただ、ウカツにもストレートに照れてしまっただけです」 



…俺はその言葉を聞いて、彼女の表情を見たくなってしまった。 
彼女もそうだが、俺にもイタズラ心ワクワクしてる所があるのかも知れない。 

彼女に気付かれないように、気持ちしゃがみこむ。 


「…ッ!? ダメです、見ないでくださいっ!」 


しかし察しの良い彼女はそう言って後ろを向いてしまう。 



「…あ、なんかどんな顔してるのかなー、とか…」 

なんか俺、セクハラオヤジくさくね? 



「うー…たぶん、赤くなってます。見られたくないです」 

初めて聞いた彼女の上ずった声。 
気持ち舌足らずな所がYES、雛見沢。 


「もう…センパイは常識的に考えて恥ずかしい事をサラっと言うんですね。…これも新発見です」 


結局彼女は当分、その顔を上げてはくれなかった。 



その後、落ち着いた彼女と普通に遊んだ。 
至極普通に。 

カラオケに行って、ゲーセンに行って、公園でのんびりして、ハトにエサをやって、軽くゴハンを食べた。 

ハトと戯れながら「えへへっ、ヒッチコックー!」と小さく笑った彼女が印象的だった。 


そうして、辺りが暗くなってきた頃。 
そろそろ帰ろうかという空気になっていた。 



「あ…センパイ、これ、可愛いですね」 

俺の隣を歩いていた彼女が、目に留めたのは路上のアクセ売り。 


「よぉ、らっしゃい。安くしとくぜ」 

彼女が興味を持ったのが分かったのか、ドレッド頭の兄ちゃんがすかさず彼女に声をかける。 
…っつーか、この人恐ぇよ。なんで路上でモノを売ってる人は大体DQNか黒人なんだ。 


「…あ…」 

ドレッド兄ちゃんに声をかけられた彼女は、軽く体を震わせると俺の後ろに隠れてしまった。 
…なんだ? 意外とシャイなのか? 俺と会った時はそんな素振りなかったんだけどな。 



「おおう。恥ずかしがり屋なカノジョ↑だな?」 

彼女の様子に兄ちゃんがニヤニヤしながら今度は俺に話を振ってきた。 
発音がちょっとムカつく。 

だが、それ以前にその誤解は非常に困る。 


「あの、えっと、俺ら、そんな関係じゃ無いんで」 


俺が思わずそう返した時、後ろに居た彼女がそっと俺の服を引っ張った。 
…なんだか、無駄にドキドキする。 


「あーん? なんだよー、若いって羨ましいなマジ。いや、オレ、照れちまうぜー!」 

なんでアンタが照れてんだ。 




「アレだろ、ホラ、友達以上彼女未満って奴だろ? くぁーっ、アツいねお二人さんよぅ!」 

なんだこのドレッド。 
全自動でテンションが上がっていく仕様のようだ。 

さすがニート以上フリーター未満は言う事が違う。 


「…えっと、どれが可愛いって思ったの?」 

俺はとりあえずDQNをスルーして後ろの彼女にそっと聞いてみた。 



「…えと…アレ、です」 

小声で答える彼女がそっと一つの商品を指さした。 
それはシンプルなデザインのペンダントだった。 

…彼女によく似合うかも知れない。 


「あの、これ、いくらですか?」 

「おおっ!? なんだよ、兄ちゃん粋だな。カノジョ↑未満にプレゼントかっ? この羨ましいねぇっ!」 

このDQN、人の話聞けよ。 


「…いくらですか。」 

俺は機械のように同じ発音を繰り返す。 


「んーっ! そうだな。二万と言いたいトコだが、その恋路を祝して二千円でいいぜ!」 

…元から二千円じゃねぇの? 



「じゃ、これ」 

俺はDQNに金を渡す。 


「あのっ、センパイ、あたしそんなつもりじゃ!」 

俺が金を出した時、彼女が慌てて俺を制止しようとしたが、それはスルーする事にした。 
…今日はデートらしい事を何ひとつしていない。 
最後ぐらいはちょっと見栄を張ろう。 


「あいよっ、まいどありっ! お二人さん、幸せになっ!!」 

DQNのウザい気味の笑顔はちょっと中毒性がありそうだった。 


「ん。じゃこれ」 

DQNの手厚い送迎から逃げ出すと、俺は彼女に袋に入ったペンダントを差し出す。 


「…えっと…その、いいんですか? もらっちゃって」 

彼女は俯き気味で、その表情があまり見えない。 


「いいよ。今日はデート?らしい事、なんにも出来なかったし」 

「…でも…あの…」 

俺が差し出した袋を見つめたまま、彼女は躊躇しているようだった。 
…さっきも思ったが、意外と引っ込み思案なのか? 



「もらってくれると嬉しいんだけどな。どうせ俺、アクセサリーあげる人なんて居ないしさ」 

「…そう、なんですか?」 


そこで彼女は初めて俺を見上げた。 
…気持ち頬が赤い気がする。 


「や。俺、モテないし。 
 正直に言っちまうと今までデートってのもしたことなくてさ。 
 どうすればいいのか今日ずっと迷ってたよ」 


なんだか無駄に饒舌な俺。 
いままで彼女にずっと気圧されていた反動なのか。 
少しおとなしい彼女が新鮮だったからなのか。 
それは分からないけど、妙に素直な気持ちでいた。 


「…えへっ、あたしもです。」 

彼女は俺の情けない話にまた、小さく笑った。 
少しだけ恥ずかしそうに。 


「じゃあ、いただくことにします。大切に、しますねっ」 

俺が差し出した袋を、宝物のように両手で抱え込む彼女。 
そんなに大切なモノのように扱われると、なんだか気恥ずかしくなってくる。 


「や、でも安物だし、壊れちゃうかもしれないし。てきとーでいいよ?」 

袋からペンダントを取り出して、それを眺めていた彼女に向かって声をかける。 


「値段なんてかんけーないです。こういうのは誰からもらったが重要なんですからっ」 


彼女はまた嬉しそうに小さく笑う。 
…彼女のその笑顔を見る度に、ある事を自覚していく俺が居た。 


「あの…さ」 

少し前を歩く彼女に声をかける。 

「はい? なんですか?」 

柔らかく振り向く彼女。 
黄色のワンピースの裾がフワッと舞った。 



「…宿題、できたよ」 


決意を込めて。 
勇気を持って。 


俺の言葉に彼女の雰囲気も変わる。 
その姿は凛としていて、妙に闇に映えた。 


「…よーやく、分かりましたか?」 


その笑顔。 
俺はその笑顔に。 



一世一代の大勝負。 
正に舞台・ザ・清水。 

小学生の頃、初恋のアヤちゃんに告白した時の返事は「息すんな」だったけど。 



でも、もう一度だけ勇気を出せ。 

俺は、このコともっと一緒に居たいと思ってるんだろう? 

だったら、その気持ちを吐き出すだけでいい。 


がんばれ。おれ。 




「俺は」 




「君が好きだ」 









…時が止まった。 
何も音が聞こえない。 
風の流れも感じられなかった。 

一瞬が何時間にも感じられた。 
精神と時の部屋かと思うほどに。 






「……えへへ…っ…」 

その沈黙を破ったのは彼女のはにかみ。 


「…センパイ?」 

俺が聞いた中でも一番甘やかな彼女の響き。 




「嬉しいんですけど…」 

けど!? 





「宿題は、何であたしがセンパイをデートに誘ったか、じゃなかったですか?」 

あ。 



「…もしこれがテストだったら三角ですよ? センパイ」 

そうやって小さく笑う彼女。 
俺はもう顔から血が出そうだった。 

先走りとかカウパーってレベルじゃねーぞ。 



…ん? でもちょっと待て。 

「…三角?」 


「…はい、三角ですっ」 

そう言い、近寄ってくると不意に俺の手を取る彼女。 
その小さな白い手は暖かかった。 


「あと、えと、その」 

俺はドギマギして何も言い出せずに。 
小柄な彼女は俺の胸ぐらいまでしかなくて。 


その俺の胸にそっと重りがかかる。 
彼女のつむじはやっぱり綺麗な形をしていた。 


「…これから、末永く、よろしくお願いします」 




彼女の言葉は俺の骨を揺らすように、全身に響いて。 
血管が普段の3倍の量で仕事をしていた。 


「う…ぁ…」 

「…センパイ?」 


間近で俺を見上げる彼女。 
その彼女の綺麗な瞳を夜の街が照らしていた。 


「…や、なんか恥ずかしすぎて呼吸困難になりそうだった」 

「…えへへっ、恥ずかしいこと言ってごめんなさいです」 


そうやって小さく笑う彼女の顔は真っ赤で。 
きっとたぶん恐らく、俺の顔も真っ赤で。 




「…でもさ、なんかズルくね?」 

ある事に気付いた。 

「はい? なんですか?」 


「なんか俺だけ言わされた感がある」 

そうなのだ。 
俺は彼女の口からハッキリと聞いていない。 
ヘタをすれば、あやつられたぐらいの勢いで。 



「あれ? そーでしたっけ?」 

彼女は誤魔化すように笑って。 


「まーまー、いいじゃないですか。ほらっ、早く帰りましょ?」 

俺の手を引く。 
だが俺はガンとして動かなかった。 


「イヤだ。言ってくれるまで帰らないもん」 

「いやいや、もんって…」 

呆れたような彼女の笑顔。 


「もー…、センパイは意外と子供っぽい所があるんですね? これも新発見です」 



彼女は俺の新しい部分を発見する度、そういって嬉しそうに笑う。 
その笑顔を見るのも嬉しい事ではあったが、それよりも俺には急務があった。 


「ほら、早く。言ってくれ。さぁ、言うんだ!」 

俺、調子乗ってね?wwwwwサーセンwwwww 



「ううー…」 

顔を真っ赤にして困る彼女。 
…やっぱり可愛いんだぜ? 


「じゃあー…言います…けど。」 

「…けど?」 

「…その…顔見られたくないんで…抱き付いても、いいですか?」 


彼女は言葉よりも早く俺の胸に抱き付いていた。 
…積極的なのか消極的なのか分からないが、俺が嬉しいのは確かだ。 

その体は俺の胸にすっぽりと収まってしまうぐらい小さくて。 
ムヤミヤタラと保護欲をかきたてられた。 



「…言います、よ?」 

俺の胸に向かって話しかける彼女。 
吐息が熱い。 
それ以前に俺の体が熱いんだろうか。 


「…その…あたし、は…センパイ、が」 

それは小さな声だったけど。 
俺は全身を使ってその声を聞いていた。 

「…好き………です」 



俺はすかさず脳内S級フォルダにその音声を100万回保存した。 




「うー…」 

再び顔を上げた彼女は何だか泣きそうな顔をしていた。 


「…どーしたよ?」 

「…センパイに凌辱されました」 

いやいや、凌辱て。 


「…嬉しかった。ありがとう」 

素直に礼を述べる俺。 





「…うぁー…もー…。センパイ、言わなくても、気付いてたんでしょ?」 

彼女の恨みがましい声を聞くのも初めてだ。 


「いや、そうかなって思ったけどさ。やっぱり本人の口から聞きたくて」 

だってさ。やっぱり言われたいもんじゃん? 


「むー…センパイはイジワルですね」 

そうやって唇を尖らす彼女。…アヒル? 


「…キライになった?」 



「…いえ」 


そっと俺の手を握る彼女。 
この小さな手を、俺はこれから何度握り返すんだろう。 
それはまだ分からない。 


「…なんだかあたし、イジワルなセンパイも好きみたいです。常識的じゃないですけどっ」 


それはまだ分からないけど。 


人生初デートの日。 

それは人生初めての恋人が出来た日。 







あの日から三ヶ月が過ぎた。 

彼女は付き合いだしてからも変わらず、穏やかでよく笑った。 
その笑顔を見る度にどんどん彼女を好きになっていく自分を自覚していた。 


でも初めてなんだぜ? 
DQN風に言うなら初めてカノジョ↑が出来たんだぜ!? 
そりゃあ調子にも乗りますよ。 

天下布武っすよマジ。 
俺の時代始まったなってぐらいの勢いで。 


俺は浮かれていた。 
そりゃあ、人生で一番ってぐらいに。 



―だから、気付けなかったんだ。 




「セーンパイっ?」 


昼飯時になるとアイツが俺の教室まで迎えに来てくれる。 
それはいつもの日課になっていた。 

「おい、嫁が来たぜwwwww」 


友人達のひやかしもさすがに堂に入ったものである。 
付き合いだしてからの一週間は二人して照れまくっていたが、最近ではそれがむしろ心地よくさえなっていた。 

どうよ、俺のカノジョ↑ 
可愛くね?www 

もう見せびらかしたいね。 
地球上の全人類に宣伝して回りたいぐらいの勢いっすよwww 



「うぁー! 嫁とか言うのはダメですーっ!」 

「式には呼んでくれよwwwwww」 


友人達のからかいに彼女が顔を赤くして暴れている。 

アイツも最初は上級生のクラスという事で借りてきた猫みたいにおとなしかったが、 
最近では俺の友人たちとも軽口を叩けるぐらいにまでなったようだ。 



「そんじゃ、行くか」 

「はいっ」 


二人並んで校庭のベンチまで歩く。 
そこはいつも二人で食事をしている場所だった。 


「うおー…さすがに暑くなってきたなー」 

「そーですねー。そろそろ中で食べるようにします?」 


ベンチは真夏の日差しに焼かれ、結構な熱をもっていた。 



「や、いいよ。お日様の下で食べるオマエの弁当って美味いし」 

「あー…、センパイ、またあたしを恥ずかしがらせようとしてますね?」 


コイツの事を知るにつれて色んな事が分かってきた。 
初めて会った校舎裏ではあんなに ガンガンいこうぜ だった割に、人見知りだったり。 
恥ずかしがり屋なクセに、たまに恥ずかしい事を言う。 


「いえいえ、俺は正直な感想を言ったまでですよ」 

「そんなコト言ってもオカズは良くなりませんよ?」 


そうやって小さく笑う彼女を隣に、日差しを浴びて二人仲良くメシを食う。 
そんな日常に俺は幸せという存在を身近に感じていた。 




だがしかし! 


ここで大いなる問題がひとつだけある。 
そう。 
俺たちはこうやってラブっぽい空気を醸し出しているが、その実、特に何もしていない。 

そりゃ確かに弁当は作って来てくれるし、休みにはデートしたりもする。 

だがぶっちゃけ、未だにキスもしてない。 


それは俺がずっと女のコとあまり関わって来なかった事が問題なんだろう。 
…あと認めたくないが俺がチキンな事とか。 


だってアレだぜ!? 

意外と、家に帰ったら突然ネコミミメイドが家にいて「ご奉仕します、ご主人様」な展開じゃないんだぜ!? 

どうやってそういうムーデェイ?な空気を作ればいいのか、俺にはさっぱりわからず。 
ハウツー本とかも読んでみたが、全く参考にはならなかった。 


そんなワケで俺たちは今時のカップルにあるまじく、 
未だにキスもしていないというプラトニック路線を突き進んでいた。 

この線路からはどうやって降りればいいんでしょうか。 
大手町あたりで乗り換えられないでしょうか。 


俺は最近彼女と居ると、正直その事ばかり考えていた。 



「あー。センパイ、また何か考え事してますね?」 

そうしてコイツは妙に聡い所がある。 
俺が何かを悩んでいたりすると、それを敏感に感じ取ってくる。 
それは美徳でもあるが、たまに玉に瑕だ。 

「いやいや、特になんもねーですよ?」 


「むー。ホントかなぁ? センパイ、最近あたしといると考え事がしてる時が多いですよ?」 



それは申し訳ないとは思うし、彼女に心配させる俺はダメな相方だとも思う。 
だが、この問題だけはコイツに相談するワケにはいかなかった。 


【オマエとキスとかしたいんだけど、どうすればいい?】 


って俺はバカか。 
そんな事、死んでも聞けるワケが無かった。 



「あ、そだ。センパイ、今度の休み、ヒマですか?」 

そんな俺の心情を知ってか知らずか話を逸らしてくれる。 
そのさりげない優しさが身に染みた。 


「お、どっか行く?」 

「はい。前から行きたいと思ってた所があるんですっ」 


なんだか妙に気合が入ってるな。 
そんなに行きたかった場所なんだろうか。 


「ん、どこ?」 

「むふふー。それは当日のお楽しみですっ」 

そうやってイタズラっぽく微笑む彼女。 



「…あ、それと…もしかしたら、場所以外にももうひとつ、お楽しみがあるかもですよ?」 

その笑顔は妙に意味深だった。


そうして来たる休日。 
俺たちはひとつのアトラクションの前に立っていた。 


「…プラネタリウム?」 

「はいっ、そーですっ!」 

今日は出会った時から妙にテンションが高い。 
普段からあまりテンションの抑揚の無い彼女からするとそれは珍しい事だった。 


「…星、見るのか?」 

「はいっ、星を見るんですっ!」 

だろうな。だろうさ。 
プラネタリウムでボーリングをしたという話は今の所聞いた事が無い。 


「…星、好きだっけ?」 

「はいっ、もう超好きですっ!」 

…なんだこのハイテンション。 
すいません、今日はちょっと付いていけないかも知れないです。 



そうして妙にハシャぐ彼女を隣に受付を通る俺たち。 
思った通りというか、なんというか。 
客は見事にガラッガラだった。 

「ほら、センパイ、はやくはやくっ!」 

彼女が俺の腕を引っ張って席に座らせる。 
だが、その場所は妙に隅っこだった。 

「…あれ? でもプラネタリウムって真ん中の方が見やすいんじゃね?」 

「センパイ、分かってませんね? こういうのは、ちょっと遠目に見るぐらいがいいんですよ?」 

そうやって笑う彼女。 
…だが、その見慣れた笑顔には妙な違和感を感じた。 

…いや、今日は朝からおかしいと思う。 
でもそんなに星が好きだったんだな、ぐらいにしか思っていなかった。 


でもあまりにも見慣れたその笑顔の違和感だけは。 
ハイテンションだけじゃ説明がつかないような気がしたんだ。 


そうして。 
その予感は的中する。 


≪ただいまより、上映を開始致します…≫ 


辺りが急に暗くなり、色っぽいおねーさんの声が響き、静かな音楽が流れ出す。 


「お、始まるのな」 

「えへへ、なんだかワクワクしません?」 

「…正直、かなり」 


俺はさきほど感じた違和感の事も忘れて、見事に童心に帰っていた。 
子供の時にじいちゃんの家で見た満天の夜空が頭をよぎる。 

上映される内容はその夜空以上で。 
俺はその光景に心を奪われていた。 



上映時間も10分ほどを過ぎただろうか。 
初めは彼女も感嘆の声を上げていたが、この厳粛というか、荘厳というか。そんな雰囲気に呑まれたのか静かに星を見上げていた。 

「…ん。」 

そして俺は右手に暖かな温もりを感じた。 
それは慣れた温度で。だからこそ何も考えずに握り返す。 


そうして事件は勃発する。 



「…せんぱい?」 

彼女の声がした。 
それは当然だ。隣に座っているんだから。 

でも今の声は。 
ありえないぐらい近くから聞こえてきた。 


「…ッ…ちょ、おま…!?」 

静かに叫ぶという器用な事をこなす。 
横を見れば、彼女は俺の席に身を乗り出して、完全に俺に体重をあずける形になっていた。 

「ど、どうしたっ…?」 



「…んー…なんていうか。ムード満点、じゃありません?」 

シレっとした笑顔。その顔は校舎裏の時とよく似ていた。 


「え、その、あの、だなっ」 

俺はその不意打ちに完璧にテンパっていた。 
そりゃ抱きしめた事だってあったさ。 

でも、今は、彼女の顔がすぐ間近にあるんだぜ!? 

コイツは小柄だから、抱きしめたってその顔は俺の胸ぐらいだ。 
けれど、今は座っているから。だから、その顔がすぐ側にあって。 



「普通こういう時って…カップルだと、どうすると…思います? …常識的に、考えて」 

甘い、囁き。 


「…っ…!」 

俺は、チキンで。 


間近で見るその大きな瞳は闇を吸収するかのように光を帯びていた。 
でもだからこそ、その瞳の中に普段の彼女には見えない感情を見つけることも出来る。 

…それは、不安。 


【あたしは結構緊張してるのに、センパイが緊張してないのはズルイです】 

初めてデートした時のあの言葉が思い出される。 

コイツはいつも笑顔だから。 
不安とか、恐れとか、苦悩とか。そういった人に心配をかけるような表情を笑顔で塗り固めてしまうから。 


…だからこそ、こんなに近くでそれを目撃するまで、気付けなかった。 
…彼氏、失格、だな。 



「…いい、のか?」 

「…そーゆーこと聞くのは、ルール違反だと思いますよ?」 


初めて抱きしめた時と同じあの香りが。 
甘い香りが俺の全身を包んでいた。 



「…それも、常識的ってヤツ?」 

「…はいっ」 


そういって彼女は、小さく、笑う。 
俺の好きな笑顔で。 




そうして。 

客の居ない、暗がりのプラネタリウムで。 

俺たちの距離は初めて零になる。 



「…んっ…」 


唇が離れたとき、やっぱり彼女は恥ずかしそうに微笑んでいて。 
だけれど。俺の勘違いでなければ。さっきまでそこにあった不安は消えているようだった。 


「…センパイ?」 

「…んー?」 


おねーさんの声が遥か遠くに聞こえていた。 
俺の五感はどうやらコイツに占領されちまったみたいだ。 


「…えへへっ…なんだか恥ずかしいですね?」 

「…うむ。かなりな」 



「…でも、センパイ。 三ヶ月はちょっと待たせすぎですよ? …これも常識的に考えてですけれど」 

「…チキンで、すいません」 


暗がりにイタズラっぽく笑う彼女は。 

俺の目に、今までで一番可愛く映った。 






プラネタリウムからの帰り道。 
デートした後は彼女の家まで送っていくのが通例だった。 


「でもよー」 

「はい、なんですか?」 


二人手をつなぎ、夜道を歩く。 
その温もりはいつもと変わらなかったけど。 
その心の距離はいつもより近い気がした。 


「…正直、確信犯じゃなかった?」 

俺は思っていた疑問を彼女にぶつける。 



「…なんの事ですか?」 

俺がそう聞くと彼女はいつもの笑顔だったけれど、やっぱりその笑顔にはかすかな違和感。 

…なんとなく思ってたことだが、コイツは相当嘘が上手い。 
自分の感情を全部笑顔にしちまってるからだ。 


でも俺だって伊達に三ヶ月彼氏をやってきたワケじゃないんだぜ? 
その笑顔の裏側に軽くキョドってるコイツを見つけた。 

「いや、プラネタリウムって場所といい、席選びといい、朝からのテンションといいさ。 
 …もしかして今日、キスしようって思ってなかった?」 


「…あたしにはなんの事かさっぱりですよ?」 

「ホントか? だって、あの時も三ヶ月は待たせすぎとか言って…」 


「…センパイ。それ以上言うと、センパイのチキンっぷりを追求しだしますよ? 常識的に考えてw」 

その声は明るく。笑顔も完璧だったけど。 
なんとなく戦慄を覚えた俺は、戦略的撤退を試みる。 


「あー…そ、そうですね。あの、気のせいでした、はい」 

コイツはその小柄な体に似合わず、めちゃめちゃでっけぇ人物なのかも知れない。 
俺がチキンなだけって説はおいといて、だ。 



そうこうしている内に彼女に家の前に着く。 

「着いちゃい、ましたね」 

「…うむ。着いちゃいましたね」 


そこで手を振ってじゃあねって言って、お別れ。 
それはいつもの出来事だけど、なんだか今日は妙に名残惜しい。 




「…センパイは、嬉しかった、ですか?」 

俺が帰る素振りを見せないでいると、彼女が急に斬り込んで来た。 


「…何が?」 

「もー、この流れだったらアレしかないじゃないですかっ」 


そう言い、彼女は小さな手で自分の唇を二回触る。 
…その唇は柔らかそうに揺れた。 


「…はい、嬉しかった、です。非常に」 

なんか俺、コイツの前だとメチャ弱くね? 
これが惚れた弱みってヤツか? 


「非常にですか。それは良かったです」 

満足そうな笑顔で。 

「でも、センパイは知らないと思いますけど」 

イタズラっぽい笑顔で。 

「あたしだってものすごく嬉しかったんですよ?」 





「…だから…リテイクです」 

そして彼女は俺の目の前で静かにその瞼を降ろす。 


なんかダメっすよマジこれ。 
こんな事言われたら、頭がフットーしそうだよぉっ!! 


「…いや、でもだって、お家の前ですよ?」 

フットーしつつもチキンな俺。 
どうにかしてくれこの性格。 



「…むー。はやくー」 

たたらを踏む俺にわざと唇を突き出すような格好の彼女。 
よく見れば、その足元は背伸びしていた。 

ちくしょう、可愛すぎだろ、常識的に考えて。 


「…仰せのままに」 

俺は彼女の肩に手を載せると、伸びていたつま先をそっと地面に下ろし、軽くしゃがみ込む。 
間近で見る彼女の肌は、絹のように滑らかだった。 



そして、何時間かぶりの口付け。 

彼女の唇がモゴモゴと動くのがくすぐったくて、可愛かった。 


「えへへー…二回目ですっ」 

ピースサインまで決めて、赤くなった顔で満足そうに笑う彼女。 
この笑顔を重要文化財に指定しないか、安部さん。 



「じゃ、じゃあ俺帰るわ! またな!」 

その笑顔にあてられた俺は逃げるように振り向く。 


だがその時、背中から引力が働く。 

「…はい?」 

後ろを振り向けば、彼女が俺の服の裾をちょんと摘んでいた。 


「…なんスか? この手」 



「…ここであたしからセンパイに朗報があるんですが、聞きます?」 

「はぁ、是非」 


朗報? 
俺の知らない間に朝鮮が爆発したのだろうか。 



「…いいんですか? 聞いちゃうんですか?」 

「まぁ、聞いちゃいます。っていうか聞かないと離してくれなそうなんですが」 


俺の服の裾はしっかりと握られていて。 



「…ほんっとーにいいんですね? 言っちゃいますよ?」 

「はい、言っちゃって下さい」 


握られた裾は、気持ち震えていた。 






「……今日、お家、誰も居ないんです」 



…爆弾は二つ仕掛けられていたんだ、スネーク。 



「………」 

「………」 


無言で俺を見上げる彼女。 
無言で彼女を見下ろす俺。 

彼女の顔は先ほどよりも真っ赤だった。 


そのうち彼女が目を逸らし。 
そののち俺も目を逸らす。 

でもやっぱり気になって彼女の方を伺うと、彼女は俯いていて。 
その内ぷるぷると頭を振り出して。 
気が済んだのか俺の方をキッと見上げ。 


「って、なんか言ってくださいってばっ!」 

そんでキレた。 



「いや…あの…えっと…あばっばばばばばばば」 

「セ、センパイっ!?」 

「ワレワレはチキュウジンだ」 

「…知ってますけど」 

「ワンモアセッ! ワンモアセッ!!」 

「……あの、そろそろ本気で怒っていいですか?」 


サーセン。 



「…それぐらい今のは、破壊力高かったんだ」 

普段から結構ICBMなコイツだが、今のは核爆発クラスだった。 


「…あたしも勇気出して言ったんですから、それぐらいの破壊力なきゃ割に合わないです」 

にへらっとイタズラっぽく笑う。 


「…それは、お邪魔してもよろしいという意味でしょうか、オーバー?」 

「それ以外に何かあるんですか、オーバー?」 


至近距離でトランシーバーごっこ。 
それぐらい俺たちのテンションはおかしくなっていた。 



「…そうだとは思うけど。…いや…でもな…その…」 

なんでここに来てビビり入ってんだ俺。 
誰か俺を作り変えてくれ。 



「……だって、センパイ、嬉しかったって言ってくれたでしょ?」 

彼女が俺を見上げる。 
その赤く染まった頬は街路灯に照らされて輝いて見えた。 


「…あたしも…嬉しかった、し」 

彼女のつま先が落ち着きなく地面を軽く二回蹴る。 


「…だから…キスの続きもしたら…もっと嬉しくなる…かなって…。 
 …なってくれる、かなって…。…その……常識的に、考え…て」 

その潤んだ瞳は。 
その途切れ途切れの声は。 
俺をチキンから、男にした。 



そうだ。 
彼女から言い出してくれたんだぞ? 

キスのお膳立てだってそうだ。 
俺がチキンだから。 
自分からは何も出来やしないから。 

それなのに彼女にここまで言わせて、それでビビってどーすんだよ。 

あぁ、俺は童貞だよ。 
しかもどうしようもないチキンだ。 

でもな、俺だって、コイツの事が、好きなんだ。 





「…分かった。お邪魔しようではないか」 


そう意気込んで彼女の家に侵入したのはもうかれこれ30分前。 
人の家というのは何故こんなにも無駄に緊張するのだろう。 
それが彼女の家とすれば尚更だ。 

案内された彼女の非常に女のコな部屋に、俺の男は既にED気味だった。 

「センパイ?」 

「ひゃ、ひゃいっ!?」 

声裏返りすぎだろう、俺。 
ちょっとは落ち着けよ、な? 
ほら、クッションも柔らかいし、この暖色のカーペットだって落ち着けるじゃないか。 

そうだ素数を数えようぜ。 
1.2.3.5.6.7.8.10.11 


「…えへへっ、センパイー、さっきから緊張しすぎですよ?」 

見慣れた彼女の笑顔はちょっとだけ俺の心を落ち着かせてくれた。 

「……すまん。女のコの部屋に入ったのとか初めてなんだよ」 


「そんなコト言ったら、あたしだって男の人を部屋に入れたのなんて初めてですよ?」 



そうだよな。うん。 
彼女だって緊張してるんだ。 
今のテンパった俺には分からないが、彼女だって緊張してるハズだ。 

そうだ、もっとどっしりと構えよう。 
よし、何があっても動じないぞ。 



「じゃ…センパイ、何、します?」 

「ベントラーベントラー」 

「…あの、家でUFOを呼ぶのはちょっとヤかもです」 




そんなくだらないやりとりをしている内、段々と俺の心も落ち着いていった。 
それもこれも全て彼女のおかげだったのだが。 

彼女の方が年下なハズなのに、完璧に甘えてしまっているな。 
反省しなければいけない。 

もっと頼れる男っぷりを見せなきゃいけない。 
そう、今夜、頼れる男っぷりを。 

…ビビんなよ、俺。マジで。 





………だけれど、その決意は。 
予想とは全く違った方向に転がっていく。 


「………」 

「………」 

マズイ。話す事が無くなってしまった。 
どうしたらいい。どうするべきなんだ。 
正直、さっきからベッドが気になって仕方ない。 
彼女も気のせいじゃなければ、何度か視線を送っていたみたいだし。 

…分かってる。やるべき事は分かっているのに、そこまでの過程が分からないんだ。 
くそっ、こんな事になるなら古き良きホットドッグとか読んどくべきだった。 
がんばれ、おれ。 



「…センパイ?」 

コイツは敏感だから。 
そうやってすぐに気を回してくれる。 
でも、それじゃダメなんだ。 
俺から何かを始めないといけない。 



「あー…んっと…、だな」 

「…はい、なんですか?」 

彼女の雰囲気もいつも違っていて。 
穏やかなだけじゃなく、凛とした強さみたいなものが見えた。 



「えっち、したいです」 


だが、がんばった挙句に出た言葉は、そんなんで。 
やっと回って来た俺のターン! 
だったが、間抜けを攻撃表示で出しただけだった。 




「…あははっ、センパイ、ストレートすぎですっ」 

だが凍りついてもおかしくない流れを、笑い飛ばしてくれたのもまた彼女だった。 
…俺はずっとコイツに頭が上がらないだろうな。 


「…えへへ、あたしもしたいです。」 

そう笑ってくれる彼女は本当に可愛くて。 
俺にはマジでもったいねぇよ。 




  

「…サーセン。なんかこう、空気とか作れなくて」 

「いいんですってば、そんなの。そういうフツーなのが、センパイとあたしってコトでしょ?」 


このコは国際フォロー検定があったら間違いなく1級取得者だろう。 


「じゃあ…えっと…センパイ。あたし、お風呂、入ってきてもいいですか?」 

お風呂。そうだよな、常識的に考えてまずそれだ。 
っていうか俺はそんな事にも気が回らなかったのか。 



「ういっす、どーぞごゆっくり」 

「センパイも入りますか?」 

…お風呂。どうなんだろう。 
やっぱり、こういうのは入るべきなんだろうな。 
童貞だし。 


「あ、うん。後で入らせてもらえると嬉しい」 

「…えへへー、なんなら一緒に入りますか?」 



…このコは、たまに、素で、クリティカルヒットを出すから困る。 
その笑顔は今までにないくらい、とろけていた。 

「…ととととととかちつくちて」 



「あははっ、また壊れちゃいましたね。ごめんね、センパイっ」 

そう言うと彼女は扉に手をかけて振り返る。 




「あ、でもー…、のぞいちゃダメですよ?」 


軽く飛ばされたウィンクは、俺の意識を月までぶっ飛ばした。 



そういって部屋を出て行った彼女を見送った後、 
主の居ない部屋で俺はどうしたらいいか全く分からなくなっていた。 


無駄に部屋の電気を消したり付けたり。 
くそ、まぶしいんだよ。 

無駄に天井の模様を眺めてみたり。 
たまにかおにみえてくることってあるよね。 

無駄にスクワットをしてみたり。 
ふー、きょうは5かいもできたな。 


っていうか何すればいいんだ!? 
こういう時、熟練のイケメンならどんな行動をするんだよ。 
あ、アレか。タバコとか吸えばいいのか。 
いや、まてよ、それは終わった後じゃないのか。 
って終わった後ってなんだよ! 
終わった後って、何が終わったってんだよ! 
いやいやいやいやいや、落ち着け、深呼吸だ。 
すーはーすーはー 
あ、何か甘い匂いがする。 
これってアイツの匂いじゃん!! 
あぁ、なんか俺ストーカーくせぇwwwwwww 




5分ぐらいだろうか。 
ひとしきり電波を放出したあと、ベッドに座り込む。 
何故ってそれ以外にやる事が無いからだ。 

ここに来て初めて、ようやく落ち着いて部屋を見渡してみた。 

…なんつーか、本当に女のコ、って感じの部屋だな。 
色彩といい、小物といい。 
でもヌイグルミ類が無いのはちょっと意外かも知れん。 


そうして、気付いた。 

机の上に置かれた小さな箱。 
その中に、見覚えてのあるモノが飾られていた。 



「…あの時の、ペンダント」 

初めてのデートの時。 
道端のドレッドから買った安物のペンダント。 

その安物のペンダントが、几帳面にデコレートされて、鎮座ましましていた。 
…まるで、大切な宝物のように。 


…疑問には思ってたんだ。 
一度も付けてる所、見た事ないなって。 

だが、それは実際に付けてみたら、あまり気に入らなかったかと思っていた。 
…これじゃ、付けられないよな。 


なんだか俺は心があったかくなったような気がして。 
その箱をそっと手に取ろうとした。 


けれど。 


その時、俺の指先に何かが触れる。 

……なんだ? 
…箱の裏に、何かある。 



箱を持ち上げると、何かが倒れてきた。 


…それは紙の袋で。 

…それも大量に机の上に広がる。 

…それら全てにアイツの名前が書いてあった。 



俺は一瞬頭が固まる。 

…なんだ、これ? 


…大量の紙袋。 

…ジャラジャラした音。 

…アイツの名前。 


……なんだ、これ? 



だが、固まってしまった俺の思考回路に急にドシンと大きな音が響く。 

何かが倒れたような音。 

それも軽いものじゃない。 

ある程度、重量があるもの。 


そう、それはまるで。 

…まるで。人が倒れたような。 



「…ッ!?」 

我に返った俺は彼女の部屋から飛び出す。 
だが、構造が分からない。 

風呂ってどっちだよ!? 
俺はとりあえず玄関に向かって走る。 


そうして、見つけた。 



風呂と思しき場所。 
その扉を無遠慮に開け放つ。 


そこには。何度も抱きしめた、白い、白い小さな体。 
透き通るようなその白は、風呂の青いタイルの中で浮かび上がって見えた。 


「おいっ! どうしたんだよっ!?」 

浴槽にもたれるように座り込んでいた彼女を抱き起こす。 
その白が俺の目を焼く。 


「…はぁっ…はっ…ううっ…はっ…!」 

…意識が、ねぇ。 



…なんだよ、これは。 
なんだよ、この展開は。 

なんでこんな事になってんだ! 
なんであんなに薬が出てくるんだよッ!! 


「クソッ!」 

俺はその場にあったバスタオルを手に取ると、彼女を包み。 
そのまま抱え上げ、彼女の部屋に走る。 

…なんで、なんでこんなに、軽いんだよ…ッ。 



「おい、大丈夫かッ!? 聞こえてるかッ!?」 

「はっ…くっ…ッ…はっ…はっはっ…、…くうっ…!」 


呼吸が、やけに浅い。 
それに、痛がっている。 
それが、どこなのか、俺には分からない。 

俺には何も出来ない。 
それだけは分かった。 


「待ってろ、今、救急車呼ぶからっ!」 


だだだだだ大丈夫! 


俺がチキンな事がこの時ばかりは役に立ったのかも知れない。 

俺は携帯を手に取ろうとしたが、一瞬で止めた。 
一度廊下に戻り急いで電話を探す。 

119にかけた場合、家からの電話の方が話が早いと聞いた事があった。 



電話をかけた俺はひどく冷静で。 
淡々と、相手からの質問に答えていく。 

何故って、今俺が出来る事はそれしかなかったから。 
アイツのために出来る事はそんなクソみたいな事しか無かったからだ。 


電話を切った後。 
俺はアイツに服を着せようか迷ったけど、結局動かさない方が良いと思い、やめた。 

その代わり、体を丁寧に拭き、布団で包んでやった。 

…こんな時になんてくだらない事考えてんだって思うだろ? 

…でもよ、やっぱり、この小さい身体は、誰にも見せたく、無かったんだ。 

俺以外の、誰にも。 



ヤケにうるさいサイレンが、近付いて来ていた。 



それからどれだけ時間が経っただろうか。 

一緒に救急車に乗り込んで、病院まで急いで。 

車の中で彼女の手を握って、必死に話しかけたけど。 
彼女は痛がるばかりで。 

俺には、何も、何も。 



病院に着いた彼女は、そのまま手術室に運ばれていった。 


一時間? 
二時間? 
三時間? 

時間の流れる感覚も分からず。 
俺はただ、待合室に居た。 
俺にはそこしか居場所が与えられなかったから。 


頭の中が、きもちわるいぐらいに彼女の事ばかりを思い出していた。 

校舎裏。 
ペンダント。 
プラネタリウム。 

その全てに、彼女が居た。 



「…あの」 

誰かの声がする。 


「…あの。すみません」 

…あぁ、俺に。話しかけていたのか。 



「…何か、用、ですか?」 

カサカサに乾いた声が聞こえた。 
それは俺の声によく似ている。 



声のした方を見ればそこには女性。 
年の頃は30代だろうか。 


「あぁ、やっぱり。初めまして、あの子の母です」 


よく見れば彼女は背が低く小柄だった。 
…親ゆずり、なんだな。 


「ハジ、初めましてっ! 俺、いや、僕はっ!」 

…何言ってんだ俺。落ち着けよ。 


「いえ、あの子からよく聞いていますよ、先輩さん?」 

そう言ってその人は穏やかに笑った。 
それはドキッとする笑顔で。 
アイツによく似ていた。 
いや、アイツがよく似ているのか。 


「…彼女は、どうなりました?」 

「えぇ、あの子なら落ち着きました。 
 あなたに会いたがっていますよ」 



世界が、色を取り戻す。 
同時に頭が軽く揺らめいた。 

…あぁ、そうか。 

今まで気付いてなかったが、俺は極度に緊張していたんだな。 
…こんな時まで、大したチキンだ。 



「…良かった、です。」 

搾り出せた声はたったそれだけで。 
自らの語彙力の無さに軽く鬱る。 



「ごめんなさい、心配させてしまったわね」 

「いえ、いいんです。彼女が無事なら」 


俺がそう答えると、その人は俺の近くに腰を降ろす。 


「…少し、お話、してもいいかしら」 

こうして少し喋ってみるだけで品の良さが伝わってくる人だ。 
…アイツ、意外とお嬢様だったのかも知れない。 


「あ…、はい」 

「ありがとう。 …ふふっ、でも、あの子に怒られてしまうかも知れないわね?」 


…それがどういう意味なのか深く考えないようにした。 



「どこから…話したらいいのかしらね? 
 あなたに会う事があったら、たくさん話したい事があったものだから」 


穏やかに笑う女性は、なんだか俺の事を優しい視線で見てくれているようだった。 



それから色んな話を聞いた。 

生まれつき身体が弱かった事。 
それなのに、身体に対する不満や愚痴を母親にさえ、一言も言わない子だったという事。 
でも、やっぱりどこか引っ込み事案な子に育ってしまい、あまり友人と呼べる人は居なかったという事。 
けれど、俺と知り合ってから明るくなったという事。 
俺との話を嬉しそうにしていたという事。 


…胸が、熱い。 


「…あなたに会う事があったら、お礼を伝えたくって。 
 あの子があんな風に素直に笑えるようになったのは、あなたのおかげだと思いますから」 


「…そんな。俺は、何も」 

俺は何も気付いてさえ居なかった。 
何も出来やしなかったんだ。 


「いえ…、あの子の周りには昔からあの子を心配するような人間しか居なかったんです。 
 だから、あなたが普通に接してくれた事が…、何よりあの子の喜びだったのではないかと。 
 私はそんな風に考えています。 …もしかしたら、違うのかもしれませんけれど」 

そう言って女性は品良く笑った。 
…アイツも、大人になったらこんな風に笑うんだろうか。 


「…あの、ひとつ、お伺いしてもよろしいですか?」 

俺には、気になっていた事があった。 
…母上殿の話を聞いている間、ずっと気になっていた事が。 

「…はい、なんでしょうか」 

彼女も俺の雰囲気を感じ取ったのか、真摯な声で返してくれる。 


「…娘さんの病気、なんなんですか?」 



俺の質問を受けて、母上殿はふっと力無く寂しそうに笑った。 

「それは…申し訳ありません。私の口から申し上げる事は出来ません」 


だけどその声は、絶対的な意思を持っていて。 



「…何故、ですか?」 

「…それは私が言うべき事では無く、あの子自身があなたに伝えるべき事だと思いますから。 
 だから、ごめんなさい。」 



そう言って女性は頭を下げた。 
俺みたいな年端もいかない小僧に、きっちりと腰を折って。 

「あ、頭を上げてください!」 

俺は慌てて母上殿の肩を支える。 


「…ごめんなさいね。 
 …でも…厚かましいようだけれど。 
 ひとつだけ、お願いしてもいいかしら?」 



「…はい」 

「もし…あの子があなたに直接話す時が来たら…その時は応援して下さる?」 


…間近で見た母上君の目にはかすかに光る物があった。 

「…えぇ、必ず」 


それは、誓い。 

俺の誇りと全てをかけて。 
絶対に守るべきもの。 



母上と別れた後、アイツの病室の前。 
ゆっくり話して来てねと言われてしまった。 


大きく深呼吸をする。 
消毒臭い病院の空気を肺一杯に吸い込む。 


…よし。 
普段通りの俺だ。 
…徹するんだ。いいな? 

そうして俺は病室の扉を開けた。 



「あっ。センパイっ! お疲れ様ですっ、元気してますか?」 

……妙に気合を入れたクセに、その一言だけで抜かれてしまった。 
…やっぱり頭が上がらないな。 


「いやいやいやいや。それ、俺が言うセリフじゃね?」 

「…えへへっ、やっぱり、そう思います?」 

病院のベットの白いシーツに包まれて。 
でもその笑顔はいつもと全く変わらなかった。 



けれど、母上の話を聞いて。 
その笑顔の本当の意味が分かりかけていた。 

…全く。オマエは本当。…すげーよ。 


「突然ぶっ倒れるからよ、ガチでビビったんだぜ?」 

「救急車、呼んでくれたのセンパイですよね? 楽しかったですか?」 


いやいや、どんだけだよ。 


「どっかのお嬢様が苦しそうにしてるもんだから、何一つ分かんなかった」 

「ふむー。それは残念でしたね。ところでお嬢様ってあたしの事ですか?」 


どう考えてもオマエ以外に居ないと思うぞ。常識的に考えて。 


「…バカ」 



あまりの普段通りのコイツに、俺はかけるべき言葉を失っていた。 
その代わりに、その頭を軽く小突く。 

「うぁ、センパイ、痛いですよぅ」 

「オマエ、俺がどんだけ心配したと思ってんだ? これぐらい仕返しさせろ」 


「…えへへっ、ごめん、なさい」 

その俺の手をそっと握ると、彼女は俺の手を自らの頬に擦り付けた。 
まるで猫が甘えるように。 

その柔らかさに。 
…それが失われるかも知れなかったという事に。 
今更ながらに恐怖する。 



「…でも、センパイ? 実は今、あたし怒ってるんです」 

彼女はそう言うと唇を尖らせて不満をアピールする。 


「…怒ってるって何をだよ?」 

…何か怒らせるような事、あったか? 
…というか今、気付いたが、俺たち今まで一度もケンカしてないな。 


「…センパイ、見たでしょ」 

彼女がジト目で俺を睨む。 
…見たって何をだ? マジで思いつかん。 


「いや、何の話だ?」 



「うー…だからー…その…あたしの…」 

「オマエの?」 

彼女は恥ずかしそうに布団を被り、その目だけでこっちを睨む。 
…気持ち赤くなってないか? 



「…だから…あたしの…裸」 


いやいやいやいやいやいや。 

「それは正当防衛だろ!」 


「あー! 正当防衛ってなんですかー!」 

「いやだってだな、あの場合、仕方なくね!?」 

「仕方ないんですかっ!? センパイはあたしの裸を仕方なく見たんですかっ!?」 

「仕方なくないけどっ! 見たかったけど仕方なかっただろっ!?」 



…何言ってんスか。俺ら。 

深夜の病院は静かにしようぜ、マジ。 



「…ふむ? 今、見たかったと口走りましたね?」 

あ。 

「…ふむふむ? センパイはあたしの裸が見たかったと。そう仰いましたね?」 


「…オマエってたまに誘導尋問みたいな会話を平然とこなすよな」 

「やだなー。あたしがそんな事するワケないじゃないですか。常識的に考えてっ」 



なんつーか、何回かハメられてる気がするけどな、俺は。 



「…それで…その…どう、でしたか?」 

「…どうでしたかって何がだ」 


気が付けば俺たちの息は軽く上がっていた。 

お互い、いい年なんだし落ち着きましょうよ。 
というか、オマエに至ってはモロ病み下がり中じゃん。 



「…だからー…その…二回も三回も言わせないで下さいってば」 

「…あー…オマエの、裸について?」 


こくん。 

返事の代わりの、小さなうなずき。 



…困った。 
そんな事について感想を求められるとは思っていなかった。 
というか、ぶっちゃけテンパリMAXあずMAXだったので、そんなに詳しく覚えていない。 

ただ、その細さと白さだけが印象に残っていた。 



「…正直に言うと、テンパっててあんまり覚えてないです。…サーセン」 

「…うぐっ…センパイ…ひどいですっ。乙女の純情を踏みにじるだなんてっ」 


それは明らかに嘘泣きだったが、慌てざるを得ないだろう。常識的に考えて。 



「あー、でも、だな、その、なんつーか、…他の人には見せたくないとは正直、思ってた」 

「…ふぇ?」 


俺の発言が意外だったのか。 
彼女が泣き真似も忘れて素の声をあげる。 



「…や、オマエ、裸で倒れちまったし。でも救急隊員が来るだろ? 
 だから、見られないように布団でぐるぐる巻いた」 


…俺、なんか間抜けな事言ってね? 


「…ふむ? センパイはあたしの裸を誰にも見せたくなかったと?」 

「…そう言ってるじゃないっすか」 


「というコトはー…」 

「…という事は?」 



「…えへへー、センパイはあたしの裸を自分だけのものにしたかったと。そーゆー意味ですかな?」 

そうやって、にへらっと笑うコイツは。 
やっぱりイタズラ心ワクワクしているようだった。 


「…なぁ、それ、答えなきゃダメな訳?」 

「はいっ。答えなきゃダメですっ」 


その笑顔は心から楽しそうで。 
母上君の言葉を思い出させた。 



「…はい。そうです。オマエの裸を俺だけのものしたかったです」 

俺、ガチであやつられてね? 
あおまほうとか持ってないっすよ、マジ。 


「おー、センパイ、大胆発言ですね?」 

言わせたのオマエじゃん。 
…まぁ、でも本音だけれど。 


「…それじゃ、あたしも大胆発言しちゃいましょうか」 

「はい、しちゃってください?」 


「…あたしも、センパイ以外には見られたくないです。 
 だから…今度また、ゆっくり見せてあげます…ね?」 





…この部屋、ティッシュってないのかな。 



「あ、なんなら今ちょっとズルして見ちゃいます? ちらっ、ちらちらっ?」 

そう言い、布団から起き上がると襟元をチラチラとめくりだす。 


「おおおお女のコは、エレンガントにっ!」 





どーでもいいけど、俺も話が古いな。 



「ほら、しっかり布団入って休め、な?」 

俺を妙に挑発する彼女を布団に戻すと、俺はそっと頭をなでる。 


「…あ…、なんかそれ…好きかもです」 

「…それって?」 

「頭…撫でるの。センパイに可愛がってもらえてるって気がします」 


彼女は穏やかに。囁くように呟く。 



「…ん。」 

俺はなんだか、その囁きに声で返すのは失礼な気がして。 


彼女が眠りに着くまでずっとそうしていた。 


それからの俺は学校が終わると病院に直行する生活になった。 

病院で話すのはいつもどうでもいい他愛の無い話で。 
それでも俺は彼女に会いたかったし、彼女も俺が行くと喜んでくれた。 


俺たちの事をひやかしていた友人達は彼女の事を心配してくれ、 
見舞いに行こうかと提案してくれたのだが、その旨を彼女に伝えると、 

「あー…あんまり大勢の人にはちょっと、見られたくないかもです」 

とやんわりと拒否されてしまったので、気持ちだけ頂いておく事にした。 

彼女の母君とはあれからというもの、随分仲が良くなってしまった。 

最初は病室で出くわすとちょっと気まずかったりしたものだが 
今では俺とアイツと母君と三人で話したり、母君が気を遣って二人にしてくれたり。 
ある日「センパイとお母さんはちょっと仲良すぎですっ」とアイツに怒られてしまった時は、母上と俺と二人して大笑いした。 

母君は俺とアイツが話していると、いつも目を細めて俺たちを嬉しそうに眺めていて。 
その視線には慈愛という言葉がそのまま込められているように思えた。 



色んな、色んな話をしたんだ。 

彼女の父親がずいぶん前に逝去なさった事。 
俺とアイツの出会いの話。 
ぶっちゃけ、あの日の事。 


けれど病気の話だけは、アイツにも母上にも聞けなかった。 
何故なら俺は、それを知るべきではないという気にさえなっていたからだ。 


入院している姿を見て感じた事だが、彼女は心配される事を極端に嫌う。 
それは昔から心配される事に慣れた人だからこそ。 
…だからこそ、培った笑顔。 


その彼女が俺に話そうとしない。 
それは彼女の聖域のように思えて。 
だからこそ俺が自分から土足で踏み込んではいけない。 
いつか彼女が話してくれるまで、待っていよう。 
そんな風に考えるようになっていた。 



そんな穏やかな日々。 
それはずっと続くとさえ思えた。 

…いや、信じて、いたかったんだ。 





けれどタイムリミットは。 
静々と。 
その鎌を砥いでいた。 




「セーンパイっ」 

「んー? なんだー?」 

今日も今日とてお見舞いタイム。 
母君は仕事で来れないと言っていた。 

「つか、おま、垂れてんぞ」 

「わーっ! 布団、布団につくーっ!」 


二人して病室でガリガリ君を食べる俺たち。 
…看護師さんに見つかったら怒られるのかも知れない。 



「んっ…ちゅる…ぺろっ…」 

いやいやいやいや。 
なんスかコイツ。 
なんなんスかコイツ。 

もっと普通に舐めれるだろ。 

思わずその姿を凝視してしまった俺に彼女が気付く。 


「んっ…ちゅっ…センパーイ?」 

「…んー? なんだー?」 

思わずさっと目を逸らしたが。 


「…もしかして、えっちぃな事考えてませんでした?」 

バレバレでした。 



「いやいや、それは気のせいだよ、キミ」 

「ホントですかーぁ? なーんかアニマルな目付きであたしの事見てませんでした?」 

「俺はアニマルでもゼブラーマンだからな。紳士だ。安心しろ」 


草食だし。 



「…センパイとあたしって、今考えると結構長い付き合いになりますけど」 

「うむ。そうだな」 

「センパイってたまにワケ分かんない事言いますよね」 


それが、俺の、みりき。 



「つーか、オマエこそ何か言い出そうとしてなかった?」 

ワザとらしく話をすり替える。 
何よりも人の気持ちに敏感な彼女は、こんな風に話を振ると間違いなく乗ってきてくれるのが素敵だ。 

ふふん、いつまでもあやつられてるばかりじゃないんだぜ? 



「やー…夏だなー…と思って」 

「…うむ。どこに出しても恥ずかしくない夏だな」 


外の日差しはアスファルトを溶かすほどの勢いで。 


「なんかこんな日に涼しい所に居ると、申し訳ない気持ちになってきません?」 

「うむ。主に地球に申し訳ないな」 


設定温度は28℃が目安です。 


「むむ。センパイがエコロジストだとは知りませんでした。 
 もう長い付き合いになりましたけど、これは新発見です」 

「…なんかそのセリフ、久しぶりに聞いたな」 


「えへへー、センパイは単純そうに見えて複雑なのです」 

そうやってアイスを食べながら満足気に微笑む彼女。 
何気ない軽口。心地よい空間。 



「何だかさり気なく失礼レベルが上がってないかね、キミは」 

「そうですか? 
 でもそれはあたしとセンパイの仲が深まったって事ですよ。 
 いいことじゃないですかっ」 

にへらっと笑う彼女に、俺は相変わらず何も言えず。 



「…センパイ?」 

「んー、どしたー?」 


「ふと疑問に思ったんですけど。蚊ってどうやって越冬してるんでしょうね?」 

「あー…ボウフラ? とかなんとか聞いた事あるけどな」 

「幼虫、でしたっけ? でも夏以外はずっと幼虫なんでしょうか」 


「んー…。そう言われると確かに疑問だなー」 

「むー…。疑問ですねー」 


くだらない会話も加速しっぱなしで。 



けれどそんなどこまでも続くと思っていた穏やかな時間は。 
唐突に思わぬ人物の手によって。 



「セーンパイっ」 

「んー、どしたー?」 

「あたしと、別れてくれませんかー?」 






「………は?」 


終わりを告げる。 



俺が思わず彼女の方を振り向いてしまった時。 
彼女はやっぱり笑顔だった。 


「…今、なんて言った?」 

「…えへへー、あんまり、何回も言わせないで下さいよぅ」 



…けれどその笑顔は。 
今までに何百回と見たその笑顔は。 
初めて見た気がした。 



「…何かの、冗談、か?」 


「んーん。冗談じゃ、ないんですよね、これが。弱っちゃいましたねー」 

そう言い、相変わらず、にへらっと笑う彼女。 
けれどそれは彼女の笑顔じゃない。 
…俺の好きな、彼女の笑顔じゃない。 
どこかから借りてきた安い作り物みたいだ。 


「…そりゃあ弱っちゃったな」 

「…はい。そーです、ね。」 



「………」 

「………」 

ベッドの背もたれを起こして座る彼女。 
その側の椅子に腰掛けた俺。 

二人して、何も言わずに外を見ていた。 
…夏の日差しが、燦々と降り注いでいた。 

「…被告人」 

「…ふぇ? …それ、あたしですか?」 

彼女は俺の言葉に辺りをキョロキョロ伺う素振りを見せると、 
自分を指さして俺にそう聞いた。 



「被告人は私語を慎むように」 

「…うぅ…センパイが恐いですー」 



「被告人は私語をつつしむ以下略」 

「…はい、さいばんちょー」 



…口では軽口を叩いていたが。 
俺の頭の中はフル回転だった。 

…どういうつもりだ? 
なんで、コイツはこんな事を言い出したんだ? 

…なんで。 
…なんで。 

その疑問ばかりが頭を渦巻いていた。 




「…被告人はその彼氏と別れたいと、そう言うのですね?」 

「…はい。」 


彼女はおどけた風に、けれどしっかりとした声で俺の質問に答える。 



「…その理由は、何故ですか?」 

「…えへへ…やっぱり、話さなきゃ、ダメ、ですか?」 


彼女が困ったようにはにかむ。 
俺は彼女の笑顔の中でも、その笑顔が一番好きで。 

だからいつも無駄にイジワルもしてみたりしてたんだけど。 
だからいつもその顔をされると何でもかんでも許してしまっていたんだけど。 

…でも、ごめんな。 
今は。今だけは、出来ないよ。 


「…本法廷は、事実確認の場です。被告人はハッキリと答弁して下さい」 

「…むー。センパイ、スパルタですね。これも新発見かもです」 


「もう一度聞きます。…その理由は、何故、ですか?」 

「…えへへ。…それは、ですねー…」 

「…それは?」 



「…あたしが…、彼氏さんの事を…好きで…好きで。 
 …本当に、本当にバカみたいに…どうしようも、無いほど、好きで。 
 その人の…事を、考えるだけで、毎日が…幸せに生きていけるほどに。 
 それぐらい、…それぐらい好きに、なっちゃったから…、です」 



…なにを。 
…なにを言ってんだ、コイツ。 

……なんでこんなに。 
…胸が、締め付けられるんだ。 


「…それだけでは理由になりません。好きなら一緒に居れば良いのではないですか?」 

「…えへへ…。でも、ダメ、なんですよ。」 


「…ダメ、とは?」 

「……なん…だか、あんまり時間、無いみたい、なんです。」 





…あぁ。そうか。 
なんでこんなに胸が痛むのかと思っていたけど。 
…彼女の声が。震えて、いたからか。 


…時間が、無い。 
……そういう意味、なんだろう。 

でも、だったら。だったら、尚更。 


「…ならば、その彼氏に話して、力になってもらえばよろしいのでは無いですか?」 

「…ダメ、ですよぅ。だって…あたしには、センパイしか居ない、から。 
 だから、…センパイに頼っちゃったら、きっとセンパイをいっぱい、いっぱい傷付けちゃいます。」 



…何言ってんだよ、今更。 
そんな事、どうだっていい。 

「…その彼氏は、きっとあなたに頼って欲しいと願っていると思いますよ?」 


「…はい、あたしも、そう…、だと思います。 
 センパイは…、イジワルで…、チキンで…たまに…ワケの分かんない事言いだす、けど… 
 でも、すごく…、すごく優しいひと、だから」 


「…ならば、尚更」 


「でもダメなんですっ! 
 そんな事…したら…、センパイが… 
 あたしは…、あたしはもう…、終わっちゃう…のに。 
 なのにっ!!」 


震えた声はいつのまにか涙声に変わっていた。 
…俺は、今まで、彼女の涙ひとつ見た事が無かった事を、思い知らされた。 

「…あまり、勝手な事を言わないでくれると、ありがたいのですが」 

「…はい。…分かって、ます…。 
 あたしのワガママだって、事は…。 
 でも…、弱っていくあたしを、センパイに…見られたく、ないんです。 
 きっと、心も、身体も…センパイが居ないと生きていけなく…、なっちゃう…から。 
 でも…、それ…なのに…、それなのに、あたしはっ…居なく…なっちゃう、から…! 
 …そんなの…そんなの…出来っこ…ない、です…っ…!」 



…視界が不意に、滲む。 
…目が、焼けたように痛んだ。 


「…それはもう…、どうしようも無い、事、なのですか?」 

「…はい。…ごめん…ごめん…なさいっ。 
 ずっと、ずっと言おうって…思ってたのに…っ…。 
 言い出せなく、って…センパイが…センパイが優しかった…からっ。 
 優しくしてくれた…から…言えなく…てっ…。」 




「…俺は。俺はオマエの側に居たいよ。 
 どうなったって…かまやしない。それでもオマエの側に居たい。 
 それだけじゃ、ダメなのか?」 

「ダメですっ!」 

彼女の小さな叫び声。 
病室に小さくこだまする。 


「…ダメ…です。それは、それだけは絶対…、ぜったいダメ…、ですっ」 


「…なんで、だよ」 


彼女が空を、見上げた。 
窓枠に切り取られた四角い世界。 

けれどその世界はどこまでも広がっていて。 
何故だかそれが羨ましかった。 


「あたしは…あたしは、今まで…、 
 色んな人に迷惑をかけて、生きて来た、から。 
 だから…、なるべく、迷惑かけないようにって…、困らせないようにって…、そうして…、来た、から。 
 それなのに、なのに、最後に、最後の…最後に、 
 一番、大好きな…人を、いっぱいいいっぱい困らせるなんて…、絶対に…絶対に、ダメ、です。」 



涙交じりだったけれど。それは絶対的な強さを持った、強い、強い声だった。 

それは彼女の生き方。 
それは悲しい処世術。 
それは彼女の誇り。 


…そんな彼女だから、俺も好きになった。 
…そして、今、この時も。どんどんと彼女の事を好きになっていく自分が分かる。 


…けれど。だからこそ。 


………その誇りを汚す訳には、いかないんだ。 


「…そっか」 

「…はい、ごめん…、なさいっ…」 


「…すまん。無理に聞いちまった」 

「…んーん。センパイは…いつだって…優しかった…ですっ」 


「…たぶんだけどさ。…オマエより優しい人には…当分、会えねーよ」 

「…そんな事、無いです…ってば。 センパ…イ? 何を期待…して、そんな事、言ってるんですか?」 




二人して、空ばかり見ていた。 
下を向いたら、もう二度と、上を向けないような気がしていたから。 

「…手、握ってくれると、嬉しい、です」 

彼女がポソリと呟いた。 



本当は抱きしめたかったけれど。 

それを彼女は恐らく望んでいない。 

今までずっとチキンだっただろ? 
今までずっと彼女に頼ってばっかだったろ? 
…だったら最後ぐらい。最後ぐらい、男、見せようぜ。 



「…ん。」 


小さな、白いその手を。 

とても小さな、白い綺麗なその手を。 

握り締める。 


「…なんかさ。オマエの手、握ってるとさ」 

「…はい、なんですか?」 


「校舎裏の事、思い出すよ」 

「…えへへ、あれは今思い出しても恥ずかしいですね」 


「…オマエさ。恥ずかしがり屋な事とか、人見知りな事とか、あん時、全然見せなかったよな」 

「それはもー、勇気、フルチャージでしたからっ」 


「…それから初めてのデートに行って」 

「…センパイの答えは三角でしたね?」 


「…ぶっちゃけ、あん時さ、俺から言わせようとしてなかった?」 

「…あたしが、そんな事するワケないじゃないですか、やだなーもう」 


「…本当に?」 

「…ホントは、言ってくれたらすごい嬉しいなーとは、思ってました」 


「…プラネタリウムの時もそーだったし…オマエって結構策士?」 

「…えへへー。どうでしょうかね?」 


「………」 

「………」 


「…あの、さ」 

「……はい、…なん…ですか?」 


「…俺、オマエの事、ずっと好きかも知れない。それこそ一生」 

「…っ…! 
 えへっ…えへへっ…やだなぁ…センパイ。 
 …そういうことは…滅多に言っちゃダメ、なんですよ? …常識的に、考え…て」 


「…オマエは?」 

「…ヤ…だな。言いたく。言いたく、無いのに。なんで言わせようと、するんです…、か?」 


「…やっぱさ。最後ぐらい、言って欲しいじゃんか」 

「…もー…センパイは…やっぱり、イジワル…ですねっ? 
 …じゃあ…一度、一回だけ、ですから…ね?」 


「…あぁ」 

「…一回だけ、だから…。 
 だから、ごめん…なさい。許して欲しい…です。 
 あたしもッ…あたしも、センパイが…、一生…一生、好き…です…よ…っ…?」 


「…あのさ」 

「…はい、なん…ですか…?」 



「…俺ら、最高に幸せなカップルだったよな」 

「……はいっ…!」 






そうして。 
俺たちはきっぱりと。 
別れたんだ。 


それから二ヶ月が過ぎた。 

あの日から、俺は魂が抜けたようで。 
アイツの事ばかり、考えていた。 

今まで毎日のように会っていたのに会えないのが辛くて。 
会いたくて。会いたくて、どうしようもなかった。 



…でもアイツは、こんな気持ちのまま、戦ってるんだ。 
…それを、邪魔しちゃいけない。 
…アイツとの約束を、破る訳にはいかない。 


そうして、ある日の深夜。 

電話が。鳴った。 


…母君から、だった。 



「…お久しぶり、です」 

「…えぇ。お久しぶりですね」 

「…あの…俺…」 

「…ううん。何も。言わないで下さい。 
 あなたは、あのコに掛け替えの無いものを与えてくれたと思うから」 


そうして手渡されたのは、一通の手紙。 

「…これ、は?」 

「…あのコが、あなたに、と」 


それは小さな、白い封筒で。 

とても小さな、白い綺麗な封筒で。 

震える手で、封を、切る。 
…そこにはあの頃と全く変わらないアイツの文字が並んでいた。 


【セーンパイっ。お久しぶりです。元気、してますかっ? 
 それと、ですね。こんな手紙、お母さんに頼んでごめんなさいです。 
 本当はすごく迷ったんですけど、でもそれだとチキンなセンパイは引きずってしまうと思ったからw 
 だから、ちょっとだけズルしちゃってもいいですか?w 


 あのね、センパイ。 
 センパイはは自分の事でよく悩んでいたけれど。 
 センパイは本当はすごく優しくて、そっと心を暖めてくれるような人なんですよ? 
 このあたしが言うんだから間違いないですっ。 
  
 …だから、そんなセンパイと一緒に居られて、あたしは本当に幸せでした。 
 センパイと知り合えなかったら、あたしの青春、すっごく灰色だったと思いますもんw 
  

 あの日、センパイがあたしの事好きでいてくれるって言ってくれて…本当に、本当に嬉しかったです。 
 でも、だから。そんなあたしを幸せにしてくれた優しいセンパイだから。 
 だからこそ、センパイには、幸せになって欲しい。 
 誰かの事を。あたしじゃない誰かの事を、幸せにしてあげて欲しいです。 
  
 あ、これは、あたしからの、宿題ですからっ。 
 常識的に考えて今度は三角じゃ許さないですよ?w 

 じゃ、センパイっ。 
 ちょっとだけお先に失礼しますね。】 


【追伸: 天国で待っています 】 




「ッッッ…!!!! うぁ…ッッッ……ああああああッッッ!!!!」 


俺は母君の前で。 
ひと目もはばからずに泣いた。 
全身の水分が流れ出てしまうのでは無いかというほどに。 

頭の中はグルグルと色んな事が混ざり合っていた。 


けれど。 


心の中心ではたったひとつだけ。 
くすぶる事の無い、たったひとつの、想い。 




俺も。オマエに会えて、良かった――― 




それからいくつかの星が巡り。 


ある男が家族に看取られて死んだ。 
 
 
「…よぅ、久しぶり。」 

「はいっ、お久しぶりですっ」 


「随分、待たせちまったかな?」 

「いえいえ。結構あっという間でしたよ?」 

「そうなのか? 俺にしたら結構長かったんだけどな」 

「あー、昔の彼女を思い出して泣いた夜もありましたねぇ?w」 


「…ってなんでオマエ知ってんだよっ!」 

「…あれ、ホントだったんですか?」 


「…ッー…なんかオマエ、しばらく見ない間にあやつりレベル上がってね?」 

「そりゃもー、日々精進ですから。でもこのスキル、特定の人にしか発動しないんですけどね?w」 

「じゃ。ま…、行きますか」 

「…はい。行きましょっか」 


それは、心より穏やかで。 


「でもさー。オマエだってさっさと行っちまったクセに、なんだかんだで待っててくれたんだろ?」 

「うー…そりゃまぁ、そう…ですけど。」 

「被告人、それは何故なのかね?」 

「うぁー! なんかイジワルレベルが上がってますー!」 

「いいから、ほら、答えろよ?w」 


それは、俺が大好きだった笑顔。 


「むー…、センパイのイジワルに耐えられるのはあたししか居ないからですっ! 常識的に考えてっ!w」 




終 


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