私達親子は阪神淡路大震災の時、自衛隊のみなさんに大変助けていただきました。 震災当時、私達夫婦には6歳になる息子があり、私は神戸市役所勤務、妻は保健婦として勤める共稼ぎをしておりました。 震災直後から、二人とも職務に忙殺されていて、息子は保育所の先生とボランティアのケースワーカーの方に頼らざるを得ないような状況でした。 これは、私達夫婦がいない時に起こったことで、後になって息子とお世話になった自衛隊員から聞いたことです。 震災のあと、二月に入ったころ、息子が近所の公園で遊んでいた時にかなり大きな余震があり、息子は「揺れ」にトラウマがあったためにその場で動けなくなっていました。 そばで給水活動をしていた若い自衛官が息子を抱き上げてくれたそうです。息子はその自衛官の足にしがみついたまま震えていたと聞きました。 「お兄ちゃんがいるから安心しな」ってずっと抱きしめていてくれた、と後になって息子から聞きました。 給水活動の持ち場は、その人の上官が代わってくれたそうです。 このことは、私達はしばらくのあいだ知らないままでした。息子が小学校2年生になったとき、「あのときのお兄ちゃんにあいたい」と聞かされ、 そのときに息子を助けてくれた自衛官のいたことをはじめて知ったのです。 息子が小学校二年になったときに、本人の口から聞かされた「お兄ちゃん」のことは私達夫婦にとっても、直接あってお礼を言わなければならない人になりました。 その年の七夕の笹飾りに「お兄ちゃんにあいたい」と息子が書いたのをみて、わたしは息子の希望をかなえるべく人捜しをはじめました。 記憶をたどりながら、「たしか、、あの車には、第○××大隊、、と書いてあった」 防衛施設庁に電話をして、事情を話すと極めて迅速に調べてくれました。 滋賀県にあるその部隊まで息子をつれて出かけました。 前もって電話でお願いしていたので、息子は「お兄ちゃん」との再会を果たすことができmした。 あったとたんに、息子が飛びつき、「おにいちゃん」も「おおきくなったなー」と抱き上げてくれました。 息子が身体をぶつけてそのうれしさを表現しているのを見て、あの混乱の最中、父親として満たしてやれなかった部分を補ってくれた、 この若い自衛官に頭の下がる思いでした。 息子は「お兄ちゃん」のことを「臭いお兄ちゃん」とずっと」言っていました。 抱き着いた時、よほど汗臭かったのでしょう。息子の言う「臭い」は決して悪い意味ではなく、憧れのようなものがあったはずです。 そう言えば、当時いちばん辛かったのは自衛官の人だったかもしれません。 私達に炊き出しはしてくれても、あの人たちはカップラーメンを食べていた。 簡易風呂も私達が」先に入った。。。涙がでます、思い出して。 その、息子もはや高校生です。 今年の春は「お兄ちゃん」の婚礼に息子が招待されました。 一人前にあつかわれた息子はうれしそうでした。 自衛官の御一人お一人に感謝の言葉をいいたいです。 本当に感謝しています 出典:自衛隊 リンク:カコイイ |
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