TOP
3次ページ→

さくら
登録者:えっちな名無しさん
作者:あでゅー
(・∀・)7(・A・)7

あでゅー はてなブログ https://adieu1995.hatenablog.com/
あでゅー 星空文庫 http://slib.net/a/18416/

 さくらの花びらが散る庭園で、夜空に舞う天女をみました。
 その出で立ちは薄衣を羽織って、下にはなにも身に着けてはおりませんでした。襟足ほどの髪は、美しい銀髪で、所々はねておりました。白い肌に真っ赤な口紅。それは、この世のものとは思えないほど美しい姿でした。私は、ただそれを見ておりました。なにかに取りつかれたように……。
 やがて、その女性は屋敷の中へと消えてしまいました。そして、その跡には濡れた花びらが、幾重にも折り重なっておりました。その香りをかぐと、なんとも言えない甘い蜜の味がします。ひとひらの花びらを手に取ると、真っ赤な色に染められました。ああ、これがうわさに聞く蜜蝋で出来た口紅なのだな。私は、暫しの間その香りに酔っておりました。

 私が、楡家(にれけ)にお世話になったのは、まだ終戦の影が色濃く残る昭和二十一年の春の頃でした。
 その時分は、いたる所でバラックが立ち並び、人々は食料を求めて右往左往していました。何かを焼いた焼肉屋、何かを入れた饅頭屋、物煮込み屋、たこ焼き屋等、どれも真面な食材では作ってはいませんでした。けれど、人々はそれを知っていても買いに来るのです。それは、真面な食材だと途方もない値段、闇値で売っているからです。
 例えば、一杯飯屋(食堂)で銀シャリ(白いご飯)にみそ汁とサンマの塩焼き、それに御新香を付けると、およそ百円です。それは、一か月の給料の十分の一、今のお金で三万円程でしょか。その位、食料が不足していたのです。
 一応は、配給制度もありましたが、それはごく限られた物で、そればかりを当てにしていると栄養失調で死にます。現に、何処かの裁判官がそれで死にました。それ程、戦後の食料難は深刻だったのです。
 その為、汽車に乗って農家に買い出しに行く人が多くいました。沢山お金がある人は途方もない値段で、お金がない者は上等の服等を食料に代えて貰うのです。そして、何も差し出す物がない場合は身体で払う者もいました。全く酷い時代でした。思い出したくもありません。
 そんな中、異様に重いリュックを背中に背負って颯爽と歩く私は、きっと買い出しに行った帰りと思われたでしょう。しかも、参謀本部の軍服まで着ていましたから、皆道を開
3次ページ→
TOP