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「妻が殺されています」
登録者:えっちな名無しさん
作者:名無しの作者
(・∀・)21770(・A・)3476

 山口県光市で当時18歳の少年に妻子を殺害された本村洋さんが平成19年版「犯罪被害者白書」に「遺族の思い」と題して手記を寄せた。寄稿された手記は以下の通り。
 1 事件発生まで
 平成9年11月3日 結婚
 私と妻は、共に21歳の時に結婚しました。当時、私は広島大学工学部の4年生であり、妻は福岡県在住の会社員でした。いわゆる遠距離恋愛でした。
 私達に新居はなく、広島と福岡の別居生活でした。2人が結婚した証は、妻に授かったお腹の子供が日々大きく成長することだけでした。
 私は、妻と共に暮らすことができない無力な自分が悔しくてなりませんでした。
 しかし妻は、そんな私を一度も責めませんでした。そして、笑顔で「11月3日の『文化の日』に入籍しようね。だって、結婚記念日が祭日だったら、毎年一緒に記念日を過ごせるよ」と言ってくれました。どんな時も前向きな妻は、いつも私を支えてくれました。
 私は、妻を幸せにしたいと素直に思いました。
 平成10年5月11日 長女誕生
 出産予定日の頃、就職したばかりの私は、愛知県で新入社員研修中でした。出産が間近と研修先に連絡があり、急遽妻の暮らす福岡へ向かいました。分娩室の前で、相変わらず無力な私は、ただただ佇むだけでした。しばらくすると、落ちつかない私の耳に娘の泣き声が聞こえました。
 私は、助産婦さんに呼ばれ、妻と産まれたばかりの娘に対面しました。母になった妻が優しい顔で「パパと私の子供だよ。抱いてあげて」と言ってくれました。私は、不器用な手つきで初めて我が子を抱きました。溢れる涙を堪えることで精一杯でした。
 私は、妻と娘を幸せにするため、これから生きて行くのだと強く思いました。そして、その責任の重さに自分が父親であることを自覚し、私をここまで育ててくれた両親へ感謝の気持ちが自然と湧いてきました。
 私は、娘を『夕夏』と名付けました。夏の夕陽のように人を暖かく包む優しい人になって欲しいという思いからです。
 1歳の誕生日を迎える前に生涯を終えた娘にとっては、この名前が私からの最初で最後の誕生日プレゼントになりました。そして、私にとっても最初で最後の娘へのプレゼントでした。
 平成10年7月某日 新居へ
 勤務先が山口県光市に決まり、やっと妻と娘と3人の暮らしが始まりました。決して裕福な生活ではありません
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