跡形も残らない夜空 vol.4 (ジャンル未設定) 23020回

2008/09/07 05:59┃登録者:えっちな名無しさん◆FZmrpZN.┃作者:名無しの作者
 跡形も残らない夜空 vol.3
 http://moemoe.mydns.jp/view.php/13670

 その時の俺は紗恵さんが今まで見た中で、いちばん間抜けな顔をしていただろう。紗恵さんの言ったことがしばらく理解できなかった。
「あの……大丈夫?」
 紗恵さんが、少し心配そうに聞くまでフリーズ状態だった。
「あ、いえ……え? ええ?」
 ……つまり彼氏じゃなくて彼女ってこと、だよな。
「あ、ああ、そういうこと、ですか」
「……」
 紗恵さんは黙って俺の目を見つめていた。俺はそれまでの疑問が一気に解けて、深く溜息をついた。
「驚いた?」
「は、はい、まあ……」
 そうか、だから紗恵さんは今まで何人もの男性社員の誘いを断り続けていたんだ。いや、つきあってる人がいれば当然のことだけど。
「じゃ、男の俺には、初めから望みはなかったってことですね……」
 そういうことなら仕方がない、この二年間俺の独り相撲だったわけか。まあ、却ってあきらめがつくと言えばつくよな。
「あ、じゃあ、あの噂は……」
「噂?」
 紗恵さんが、男嫌いだとかレズビアンだという噂。俺が言い淀んでいると、
「ああ、あれね。そう言われてたのは知ってるけど」
 紗恵さんは思い当たったらしく、少し笑った。
「私に彼女がいるってことが知られてたわけじゃないよ、あれはね、単なる根拠のない噂」
「はは、誘いを断られた誰かが無責任に言ったんでしょうね」
「かもね」
 紗恵さんはふと表情を変えると、
「どうでもいいんだけどね」
 そう言ってグラスに手を伸ばしたが、空だった。
「あ、お代わりもらってきましょうか?」
「え? いいよ」
「いいですよ、もっと話してくださいよ、俺、今日は盛大に振られたいんですよ」
 俺はそう言うと席を立ち、カウンターへ向かい、ジントニックとバーボンソーダを頼んだ。
 席に戻って、紗恵さんの前にジントニックを置く。
「ありがと」
 くすっと笑って、紗恵さんは一口飲んだ。
「もしかしたらつきあってる人いるんじゃないかと思ってたんです。でも紗恵さん、指輪をしてなかったから、ちょっと期待してたんですけどね」
「ああ、指輪ね」
 紗恵さんはくすっと笑った。
「前につきあってた人と別れて指輪を外した時、なんやかんやと聞かれてね。それでもう面倒だからしなかったのよ」
「やっぱそうでしたか……俺はしっかり勘違いしちゃいましたよ」
「ああ……謝っていいのかどうか迷うけど」
「いえ、別に謝ることじゃないですよ」
 顔を見合わせ、笑い合った。 
「その人……彼女はなんの仕事してるんですか?」
「ん……お医者さんだけど」
 い、医者かよ……。なにからなにまで俺に勝ち目はないな。
「どこで知り合ったんですか……?」
「え? 聞きたくないでしょ、そんな話」
「いえ、さっき言ったじゃないですか、盛大に振られたいって」
 紗恵さんはくすくす笑うと、
「別にたいした話じゃないよ。ちょっと体調を崩した時期があってね、病院へ通ってたことがあるの。で、主治医になったのが彼女だったの」
 病院名を聞くと、かなり大きな大学病院だ。そんなところの女医さんだったのか。
「へえ、すごいですね……彼女幾つなんですか?」
「私より二つ上だから、もうすぐ三十だね」
 その彼女が向こうへ移った理由は、地方の――地方と言っても大きな病院だ――同じ系列の病院で、急に欠員ができて、転勤を打診されたこと。彼女は迷った末、向こうへ行くことを選んだこと。そのとき紗恵さんは、すごく落ち込んだということ。だけど、医者として放ってはおけないと言う彼女の意志を尊重して送り出したこと。そして彼女にこっちに来て欲しいと言われ、かなり悩んだこと。
 仕事を辞め、友人も知人もいない土地へ行くなんて不安もあるだろう。それでも彼女の側にいるために、向こうへ行くことを決断したんだ……ほんとに紗恵さんは彼女のことを愛してるんだな。
「私のことを知ってる友達には言われたけどね。そんな不毛な恋愛してないで現実に目を向けろって」
「え、それはひどいですよ、そんな言い方……」
 確かにそうかもしれない。だけど、甘いと言われるかも知れないけど、人を好きになるってそういうことじゃない気がする。まして個人のセクシャリティに口を出すべきじゃない。
「ひどいですね、その人」
 人を好きになることが無駄だって言ってるようなもんだ。少し気色ばんだ俺を見て紗恵さんは笑った。
「ふふ、仲がいい友達なんだけど、はっきりとものを言う子でね。でもありがと、そう言ってくれて」
「あ、いえ……」
「だけど、その子の言ってることもわかるの。実際、来て欲しいって言われてすぐに決断できなかったのは、先のこととか不安があったからだし。それに私、彼女の前につきあっていたのは、男の人だったからね」
「え、そうなんですか」
「もういつからか覚えてないけど。私は女の人も男の人も同じように愛せるの。もちろん同時に愛したりはできないけどね」
「……」
「子どもの頃は、別に変だと思わなかったけどね、中学生ぐらいになれば、そういうことに興味出てくるでしょ? 以前は今よりもっと同性愛とかに偏見があったから、すごく悩んでね。私は異常だ、って。それこそ夜も眠れないくらい悩んだの」
「……そうなんですか」 
「子どもの頃はさ、この髪の色でガイジン、とか言われていじめられたこともあったしね」

 紗恵さんに、ずっと前に聞いたことがある。
「曾お婆ちゃんがスウェーデン人だったって話、ほんとですか?」
 そのとき、紗恵さんはこう言っていた。
「子どもの頃、どうして私の髪はこんな色なの? って母に聞いたことがあるの。そしたら母のお婆ちゃんがそうだったってね。でも写真を見たこともないんだもの。母も、髪は栗毛がかって、肌が白かったけど……ただ色素が薄いってだけのことかも知れないし、私を安心させようと言っただけなのかも。それをずっと前に忘年会だったか、お酒の席で話したことはあるけど、わかんないのよ、ほんとかどうか」
 そう言って笑ってたっけ。そのときはいじめられたなんてことひと言も言わなかった。

「いじめられたのは、ほんの小さい子どもの頃だけだったけど。だけど思ったのよ、子どもの頃から周りと違うっていう目で見られて、またここにきて、周りと違うんだって悩まなきゃいけないの? ってね」
 俺は黙って聞いていた。紗恵さんは、『周囲と違う』、それだけでいじめられたり、悩んで苦しんできたのか。
 近所の子ども達に『ガイジン』とはやし立てられ、目に涙をため、唇をかみしめて、拳を握りしめ耐えている幼い日の紗恵さん。
 同級生の女の子に恋心を抱いて、彼女を見つめながら戸惑い、不安と苦しみに耐えている十五歳の紗恵さん。
 その姿がはっきりと見えた。俺は紗恵さんを抱きしめたくてたまらなかった。
「でも、高校生のときにね、初めて女の子の恋人ができたの。同い年のスウェーデン人の女の子だったんだけどね」
「え? マジっすか?」
「うん、冗談みたいなほんとの話」
 くすくす笑いながら紗恵さんは言った。
「その子は小学生の頃にお父さんの仕事の関係で日本に来てね、初めは『ガイジン』っていじめられてたんだって。そして彼女は女性しか愛せない人でね、やっぱり『周りと違う』って苦しんでたらしいの。でも彼女に言われたの。人が人を愛するのに後ろめたく思う必要はない、あなたはそれでいいのって。それからね、気持ちが楽になったのは」
 紗恵さんは、そっと指先でグラスに浮いた水滴を拭った。
「それでも、同性を好きになったときは、片思いで諦めることがほとんどだけどね。同性を好きになっても、受け入れてくれる人はあまりいないし。だけど自分自身を否定したりはしないよ、それが私なんだから」
 紗恵さんは、そこまで話して笑った。
「ああ、ごめんね。私ばっかり喋りすぎだね」
「いえ、いいですよ。その、スウェーデン人の彼女は今どうしているんですか?」
「二十歳のときに帰国してね、恋愛関係は終わったの。だけど今でも時々メールや手紙でやりとりしてるよ、好きな人できた? とか、今度は女? 男? とかね。その子は今、女性の恋人と暮らしてるらしいけどね」
 俺はそっと息をついた。
「紗恵さんは、いつ向こうへ?」
「来週早々にね。荷物もほとんど向こうへ送ってあるし」
「彼女と一緒に住むんですね」
「うん……」
「仕事は決まってるんですか?」
「五月の連休に向こうへ行って、ちょっと調べてきたの。地方と言っても大きな都市だから、この仕事もいくらでもあるし」
 紗恵さんのレベルならどこに行ってもやっていけるだろうな。
「そうですか……」
「なんか……ごめんね、こんな話ばかりになっちゃって」
「構わないですよ。ここまで完璧に振られたらスッキリしますし」
 俺は紗恵さんのことはなにも知らなかったんだな。二年以上も、毎日のように肩を並べて仕事をし、雑談したり、冗談を言って笑い合いながら。時折夜も眠れないほどに想い焦がれながら。紗恵さんのことはなにも知らなかったんだ。
「やっぱり紗恵さんを好きになってよかったですよ」
「え?」
「俺、紗恵さんに、早く追いつこう、早く一人前になろう、そう思って頑張ってきたんです」
「……」
「だから必死に勉強もしたし、あれだけ頑張れたんです。もしかしたら続いていなかったかも知れません」
「そんなことないよ、K君には実力があったんだよ。実際上達が早かったし、部長も感心してたんだよ。『何年かに一度の逸材だ』ってね」
「それは紗恵さんのお陰です。紗恵さんがいなかったら多分、そんなふうに言ってもらえるまでにはなってないと思います……それに、なんていうか毎日に張りっていうのかな、すごく充実してましたよ」
 そう、すごく充実していた。なにがあっても頑張れた。
「紗恵さんがいたから……」
 そこまで言って目の奥がくすぐったくなって鼻の奥がつんとした。言葉が途切れる。
「K君……?」
「あ、すいません」
 胸の奥が切りつけられたように痛む。笑おうとしたが上手く笑えない。
「はは、ちょっと……待っててくださいね」
「……」
 情けないな、泣くなよ。笑って別れろよ。
「やっぱり俺……紗恵さんを好きになって……よかったです」
 紗恵さんに涙は見せたくない。俯いて、なんとか堪えようとした。
 
 ふわり、と紗恵さんのひんやりした白く細い手が、俺の手の上に重ねられた。はっとして紗恵さんの顔を見る。
 目が合うと紗恵さんは、すっと微笑んだ。見た瞬間、全身が粟立った。背筋がゾクッとするほど美しくて、恐ろしいくらい官能的で。なにかに魅入られる、というのはこういうことなんだろうか。突然、ある欲望にとらわれた。紗恵さんに対して、欲望を抱いたことは何度もある。でも、これほどまでに闇雲に強く望んだことはない。それも紗恵さんを目の前にしながら。
 弾かれたように俺は紗恵さんの手の上にもう一方の自分の手を重ねた。身体の奥から噴き出してくる、激しい欲望を伝えようとして。
 
 誘いの言葉は互いになかった。店を出ると、ひと言も話さず、当たり前のように、いつもそうしているように手を取り合って歩き始めた。繁華街を歩き、信号を渡って、通りを抜けて、角を曲がって。
 ホテル街へ入って、しばらく歩いた。別にホテルを選んでいたわけではない。ただ、いかにもといった建物は避けていたような気がする。どこだって、目的は同じなんだけど。ホテル街の奥の方にある、いくらか地味な印象の建物の前で止まった。ためらうように、手をつないだまま、二人で入り口を見つめていた。
「珍しいね、星が出てるよ」
 それまでひと言も話さなかった紗恵さんが、空を見上げて言った。俺も空を見上げる。街中で、夜空に星が見えることなんてほとんどなかった。だが、見上げた夜空には、いつもより多くの星が光っていた。
「ほんとだ、こんなに見えることってほとんどないですよね」
「うん……だよね」
 しばらく、黙ったまま夜空を見上げ、そしてお互いの顔を見た。紗恵さんは微笑んでいた。さっき店で見た、恐ろしいほど官能的なものじゃなく、いつもの柔らかで穏やかな微笑みだった。二人で手をつないだまま入り口に向かった。

 カウンターで、レストですか? ステイですか? と聞かれ、少し迷った後、ステイで、と告げた。紗恵さんはなにも言わなかった。
 部屋に入ると、心臓の音が紗恵さんにも聞こえるんじゃないかと思うくらいだった。中は普通のシティホテルのような造りだった。パネルで、できるだけ“普通の”部屋を選んだのだが、それでも浴室がガラス張りとかだったら、どうしようかと思っていたのでホッとする。
 紗恵さんは俺に背を向け、鞄をベッドのサイドテーブルに置いた。紗恵さんが振り返る前に、後ろからそっと抱きしめた。紗恵さんの身体が微かに震えた。一瞬、戸惑って腕を緩めそうになる。やっぱり男の俺に触れられるのは抵抗があるんじゃないだろうか? ここまできて、戸惑う必要もないんだけどさ。
 初めて腕の中に感じる紗恵さんの身体は、思っていたよりも、ずっとずっと細かった。栗色の髪に、顔を埋め、息を吸い込んだ。微かに残るシャンプーの匂いと、いつものコロンの香り。うなじにそっとキスをすると、また紗恵さんがちょっと身震いする。
 腕の中で紗恵さんが俺の方へ向き直った。その顔は無表情のように見え、あるかなきかの笑みをたたえているようにも見えた。心臓は爆発しそうになっていたが、すぐに包み込まれるような安心感を覚えた。なんていうんだろう、菩薩像がたたえている笑み。ああ、そうだ。アルカイックスマイルってやつだ。大きな瞳が深い泉のように碧かった。
 顔を近づけると、紗恵さんが目を閉じた。その額に、まぶたに、頬に、そしてちょっとポッテリとした唇にキスをする。紗恵さんの身体から徐々に力が抜けていくのが感じられた。そっと舌先で、唇の表面に触れる。紗恵さんの唇が少し開いた。舌を差し入れると、紗恵さんが迎え入れてくれた。さっきまで飲んでいた、ジントニックの味が残っていた。舌を絡め、舌の裏側や歯の裏側を刺激する。
 がくん、と、紗恵さんの身体の力が抜けた。俺が支えるように抱きとめると、紗恵さんが、しがみつくように俺の背に腕を回してきた。
 唇を離すと、目が合った。紗恵さんは、ちょっと驚いたような表情を浮かべ、くすっと笑う。
「キス、上手だね」
「え、そうですか?」
「うん、すごく上手いよ、慣れてるんじゃないの?」
 からかうような口調で言う。
「い、いや、そ、そんなことはないですけど……」
 ドギマギしていると、紗恵さんは吹き出した。
「そういうとこは、やっぱりK君だね」
 言って、俺の頬に軽くキスをした。
「ごめん、シャワー使わせてもらってもいい?」
「あ、はい。構わないです、ごゆっくり」
 また、ちょっと笑うと紗恵さんは、手早く髪をまとめ上げた。露わになったうなじや耳がすごく艶っぽい。今までも、たまに髪をアップにした姿を見ていたが、今日は意味が違う。紗恵さんは、軽く俺の肩に手を触れると、浴室に向かった。

 シャワーの音が聞こえ始めた。俺は早まる鼓動を深呼吸して抑えようとした。あれほど望んでいた、紗恵さんと過ごす夜なのに、いざとなると嬉しいというより、緊張のほうが大きかった。
 ベッドの枕元を見ると、小さなプラスチックの箱が置いてある。開けてみると、コンドームが一つ入っている。もしかしたら、紗恵さんは着けなくていいよって言ってくれる、かな? いや、やっぱり使わなきゃいけないよな。でもこういうホテルの備品のコンドームって馬鹿な奴が悪戯して、穴開けたりしてることがあるんだよなあ。手にとって明かりに透かしてみる。悪戯はされていないようだけど、なんか古くねーか、これ? 袋も汚れて色褪せてるし、かと言って自前じゃ持ち合わせてないし。
 部屋を見回し、クローゼットを開けると、小さなBOX型の自販機があった。バイブなどの他に半ダース入りのコンドームもあり、それを買う。こんなの見られたら六回もヤるつもりかと思われるかな? 備品の分を捨て、一つ一つ切り離して、プラスチックの箱の中に収めた。きっと余る……よな。ベッドに座ったり、立ち上がってソファーに移ったり、またベッドに戻ったり。まるで落ち着きのない、動物園の熊だな。

 シャワーの音が止まった。心臓が跳ね上がり、慌ててベッドに座り直す。
 脱衣所のドアを開けて出てきた紗恵さんを見た時、俺は鼻血を噴き出しそうになった。バスタオルを巻いただけで、脱いだ服を胸の前に抱え、ちょっと恥ずかしそうにしている。白い肩がむき出しになって、バスタオルの裾は、太股がギリギリ隠れるくらいだった。ジーンズかパンツスタイルのことが多かったが、たまにタイトスカートを履いてきたときは、ストッキング越しの脚を見て、綺麗だな、なんてドキドキしてたものだが、今は生足だ。すらりと長くて細くて白くて形のいい脚だ。
「ご、ごめんね、こんな格好で。でも、こういうところのガウンとか清潔じゃなさそうだし、着る気しなくて……人間ドッグみたいなんだもん」
「は? 人間ドッグ……?」
 そういえば、なぜかこういうホテルに置いてあるのって、人間ドッグを受けるときに着る着物みたいなんだよな。
「ははは、確かに。ありゃ格好悪いですよね」
「でしょ?」
 二人で、しばらく笑い合った。鎖骨がくっきり浮き出て見えた。
 笑いの発作が治まると、沈黙が流れた。紗恵さんは服を、ソファの上に置くと、腕を胸の前に組んで、こっちを向いた。
「あ、あの……」
 なんて言えばいい? 頭の中は、色々考えているようで、その実、なんにも考えていない状態だった。
 紗恵さんは俯いて視線を足下に落としたまま、その場で立ち尽くしている。
「あ、水でも飲みます?」
 俺は弾かれたように立ち上がると、冷蔵庫からミネラルウォーターを一本抜き出した。フタを開けて差し出す。
「ありがとう」
 紗恵さんは、受け取ると、一口飲んだ。白い喉が、ちょっと動く。片腕で抱くように押さえた胸元は、谷間が強調されていた。
「おいしい……」
 紗恵さんは俺の顔を見て笑った。
「あ、お、俺もシャワー浴びてきていいですか?」
「う、うん……」
 俺は足早に脱衣所へと向かった。

 服を脱ぐと浴室に飛び込んだ。シャワーを浴びる。
 上手くできるかな……?
 前の彼女と別れてから二年以上経っている。紗恵さんは年上で、俺なんかより経験はずっとある。男だけじゃなくて女性との経験もある。
 経験の貧弱な男はやっぱ駄目ね、なんて思われたら? 一分も持たなかったら? それどころか前戯途中でイってしまったりしたらどうしよう? 十分あり得る。
 これは一回抜いておいたほうがいいかな? 俺はさっきの紗恵さんのバスタオル姿を思い浮かべた。これから本人とエッチするってのに情けない話だが。しかし、イキそうな気配はない。しばらくしても、射精感はやってこず、逆に萎え始めた。もしかしたら緊張しすぎて、いざというとき勃たないかも……そんなことになったら一生悔やむことになる。ていうか恥ずかしくて、いたたまれなくなるだろう。焦れば焦るほど、俺のペニスは元気をなくした。
 なんでだよ、あれほど望んだことなのに。いつまでも時間をかけて、これ以上待たせられない。不安を抱えながら、シャワーを浴び終えると、浴室を出た。

 体を拭き、タオルを腰に巻いて、脱いだ服を持って脱衣所を出る。紗恵さんは、ベッドに腰をかけて、俯いていた。
「す、すいません、遅くなって」
 紗恵さんは顔を上げると、ニコッと笑った。
「十分しか経ってないよ」
 喉がカラカラに乾いていることに気づいた。服をソファに置き、冷蔵庫から水を出して、一気に半分くらい飲む。サイドテーブルにはさっき紗恵さんが飲んだ水のボトルが置いてある。その横に自分が飲んだボトルを置き、紗恵さんの側へ立つ。
「どうしたの?」
 紗恵さんが俺を見上げてくる。
「あ、横に座ってもいいすか?」
 紗恵さんが苦笑した。
「いいよ。どうしたの、変だよ?」
「あ、いえ……」
 紗恵さんの隣に腰を下ろす。腕が少し触れ合う。やばいな、言葉が出ないよ。
「緊張してる?」
「は、はい」
「もう、ここまできたんだよ。お互いこんな格好だし……」
「そ、そうですね」
 馬鹿みたいな返事だ。
 紗恵さんはまとめ上げていた髪をほどき、軽く頭を振った。この二年間、紗恵さんの髪型は、多少長さに変化があったが、ほとんど変わらない。ロングヘアーは見たことがなく、今も髪先が肩につくくらいだった。
「私がリードする方がいい?」
 紗恵さんがそっと俺の肩に手を置いた。やはりその手はひんやりとしていた。
「あ……そ、そんなことは」
「……」
「す、すいません」
 俺の肩を何度も軽く叩きながら、くすくす笑う。
「この二年ちょっとの間に、K君の『すいません』を何回聞いたかなあ」
 そういえば何度言っただろう。一日一回は言ってたような。
「なんだか謝ってばっかりだったね」
「すいません」
 また言っちまったよ、口癖になってるのかな。
「もっと自信持ってもいいと思うよ、K君は」
「はい……」
「それにね」
 紗恵さんが、俺の目を覗き込む。
「さっきのキス、ほんとに上手だったよ」
 俺は真っ直ぐ紗恵さんの目を見返した。いつもの微笑み。俺は初めて会ったときから、この人のことが好きだった。
  肩に置かれた手を握り返した。その手を口元に引き寄せ、そっと唇をつけた。いつものようにきちんと爪は切り揃えられている。華奢な肩を抱き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。
 力を入れて抱きしめると、ぽきんと折れてしまいそうなくらい肩の骨が細かった。紗恵さんの口の中を舌で探った。俺の肩に回した紗恵さんの腕に力がこもる。
「はあッ……」
 唇を一旦離すと、紗恵さんが息をつく。首筋に唇を押しつけ、体重を預けるように華奢な身体を押し倒した。耳や顔中にキスを浴びせた。胸にそっと、手を触れる。ふわっと柔らかい感触がタオルごしに伝わる。首筋に唇と舌を這わせながら、震える手でタオルを取る。白い乳房が視界に入る。紗恵さんの胸はさほど大きくない。小ぶりな部類に入るんだろう。細い身体と、バランスが取れていて、溜息が出るほど綺麗だった。体を起こし、紗恵さんの身体を見つめた。
「紗恵さん、すごく綺麗です」
 声が震えた。なんだか泣き出したい気分だった。
「そんなに見ないで、恥ずかしいよ」
「ほんとに、紗恵さんは綺麗ですよ……」
 紗恵さんはちょっと照れくさそうな、困ったような表情で笑うと、
「ありがと……」
と小さく呟くように言った。紗恵さんの身体の両側のベッドに手をつき、身を沈めてゆっくりと唇を重ねた。首筋から肩、胸元から乳房へと唇を移動させる。すでに固く尖り始めている乳首を、そっと口に含んだ。舌で転がすと、紗恵さんは、顔を仰け反らせて、俺の頭をかき抱いた。両方の乳房を、手の平で、指で、唇で、舌で愛撫した。動きを止めて、顔を上げると、紗恵さんの呼吸は乱れ、肩で息をしていた。両頬を両手で挟んで、また唇にキスをする。柔らかな栗色の髪を撫でた。
 閉じていた目を開けた紗恵さんと目が合う。
「俯せになってもらえませんか?」
「ん……? いいよ」
 紗恵さんは怪訝な表情をしながらも、ゆっくりと俯せになる。白く細い背中だ。髪をかき上げ、細く長く伸びたうなじに唇を押し当てた。片手の指が回りそうなくらい細い首だ。指先で背骨をなぞるように辿り、肩から肩甲骨へとキスをする。
「あ……」
 紗恵さんが小さく声を上げる。肩甲骨が浮き立って皮膚の下で動く。背中のくぼみに沿って唇を這わせる。以前にシャツとジーンズの間から、一瞬だけ見えたホクロを今度はじっくりと見たかった。いつか触れられるようになりたいと願ったホクロ。腰からお尻に移行する境目にやはりそれはあった。指先で触れ、キスをする。両手の指が回りそうな細い腰と、小さいけど形のいいお尻、太股の裏側、膝の後ろから脹ら脛にも。紗恵さんの全身にキスを浴びせたかった。
 足首を掴んで口元に引き寄せ、踝と足の甲にキスすると、紗恵さんが、顔だけをこっちに向けた。
「色んなところにキスするんだね」
 少し上擦った声で紗恵さんが言った。
「あの……紗恵さんの全身にキスしたいんです」
「そうなの?」
 紗恵さんが可笑しそうに笑った。
「あ、すいません、嫌でしたか?」
「もう……すいません、は言わなくていいよ」
「あ……はい」
 紗恵さんはもう一度くすっと笑った。
「ううん、嫌じゃないよ、嬉しいよ」

 また仰向けになった紗恵さんに覆いかぶさり、左手で肩を抱きながら、唇を重ねた。胸からお腹、脇腹から臍へと右手を滑らせた。贅肉は全然ついていないのに、女性特有の柔らかさがあった。肌も滑らかで、手の平や指の腹に吸いつくようだった。指先に触れた体毛は、思っていたより濃かった。でも毛深いってわけじゃないんだろうな。俺が勝手に想像していただけだ。熱くぬめるような感触。すでに濡れていた。クリトリスに触れると、紗恵さんの身体がビクッと震えた。
『優しくしてね、ビデオみたいな触り方は、痛いばっかりで全然気持ちよくないから』
 年上の彼女に言われたことを思い出した。女性への触れ方は、全てその彼女に教え込まれたと言ってもいい。男が思っている半分、それ以下の力加減でいいんだと。指の腹を押しつけ、小さく揺するように動かした。
「あッ……ん!」
 紗恵さんが俺の肩をギュッと掴んだ。熱い体内に、中指をゆっくりと侵入させる。紗恵さんの身体がまた大きく震える。唇を固く結んで、眉間にしわをよせ、必死に声を押し殺そうとしている。唇を重ね、割り込ませるように、舌を差し入れた。開いた口の端から喘ぎ声が漏れる。紗恵さんの反応は敏感だった。痙攣するように身体を震わせ、力が抜けた後、そっと指を抜く。手の平までびしょ濡れだった。ティッシュで拭ってから、紗恵さんを抱きしめた。

「割と着痩せするんだね」
 呼吸の整った紗恵さんが、俺の肩や背に手を滑らせながら言った。
「え? そんなにデブってますか、俺?」
「じゃなくて、結構ガッチリしてるし、肩幅もあるよね。男の子じゃなく男の人だね、やっぱり」
「まあ……確かに男の子って歳じゃないですけどね」
「ふふ、初めて会ったときは男の子って感じだったんだよ」
「ははは、頼りないですしね」
「ううん、今はもう違うよ」
 そっと俺の唇に紗恵さんは唇を重ねてきた。舌を絡め合いながら、俺が上になった。ペニスに紗恵さんの細い指が絡みついてくる。痛いほど勃起していた。
「すごく固くなってるよ……」
 熱くなったペニスにひんやりした手の感触が気持ちいい。さっきは緊張しすぎて、勃たないんじゃないかと思ったが、心配は杞憂だったようだ。ペニスの形を正確になぞるように、紗恵さんの指の動きは繊細だった。
「う……」
 思わず呻き声が出る。紗恵さんに触られている。それだけで爆発しそうだった。紗恵さんはくすっと笑った。
「男の子も濡れるんだよね」
 紗恵さんの手の平は、ペニスから溢れ出た先走り液でヌルヌルしている。しばらく手の動きに委ねていたが、触れられている部分から快感が全身に広がってくる。
 このままだと本当に途中でイッてしまうかも知れない。俺は紗恵さんの首筋から胸元へと唇を這わせ、身体を下にずらせていって、自然に紗恵さんの手から逃れた。形のいい臍にキスをするとちょっと身じろぎする。さらに下へと移動し、紗恵さんの敏感な部分に舌を這わせた。
「あッ……!」
 ビクン、と紗恵さんの身体が震えた。尖らせた舌先でクリトリスを小刻みに刺激する。紗恵さんの声が高くなり、身体は舌の動きに合わせて反応し、愛液が大量に湧き出してくる。体毛に鼻を埋めながら、夢中で舌と唇で紗恵さんに触れた。

 俺の頭を挟みつける紗恵さんの太股から少し力が抜けると、身体を起こした。紗恵さんの目を真っ直ぐに見つめる。
「……いいですか?」
「う、うん……」
 紗恵さんは息を弾ませながら、頷いた。枕元のコンドームを一つ取って着ける。久し振りだったのでちょっと手間取ってしまった。ペニスに手を添え、紗恵さんの入り口にあてがう。俺は一度深呼吸をしてからゆっくりと腰を進めた。かなりきつい。
「んッ……!」
 ビクッと紗恵さんの身体が震える。埋め込むように、柔肉を掻き分けるように、腰をじわじわと進める。
 ペニス全体が紗恵さんに包み込まれた。コンドームを着けていても、気にならないくらいその感触は素晴らしかった。
 そっと腰を動かすと、紗恵さんの身体がこわばる。
「あッ……痛!」
 痛がってる? 愛撫が足りなかったのかな?
「痛いですか?」
「え……う、ううん」
 紗恵さんはちょっと口ごもる。再びゆっくりと動かすと、身体をこわばらせて苦痛の声を上げる。
 俺ってそんなにデカかったっけか? いや、そんな筈はないと思うけど。紗恵さん、まさか初めてじゃないだろうな。男ともつきあったことがあるって言ってたよな。
「大丈夫ですか?」
「あ、う、うん……」
「あの……初めて、なんですか?」
「あ、そうじゃないんだけど……そうじゃないんだけどね」
 紗恵さんの言葉はなんだか歯切れが悪い。
「その……だから」
「はい?」
 聞き取れなくて、俺は聞き返した。
「男の人とは、久しぶり、だから……」
 紗恵さんは手で目を覆うと恥ずかしそうに笑った。
「え、あの……久しぶりって……」
「うん……三年くらい」
「あ……」
 そういえば彼女とつきあって三年近いって言ってたっけ。じゃ、その間、男とのセックスはなし?
 俺も思わず笑ってしまった。三年もしてなきゃ、痛いかも知れないな。俺も二年以上してないけど……。
「ごめんね、白けさせて」
「い、いえ。そんなことないです」
 額を押しつけ合って、くすくすと笑い合った。
「あ、じゃ、その……」
「ううん、ゆっくり動かしてくれれば、すぐ慣れると思う」 
「は、はい……」
 そっと動かしてみる。
「んッ……!」
 俺の肩に回した紗恵さんの腕に力が入る。
「あ、痛かったですか?」
「いいの、そのままして……ゆっくりしてくれれば大丈夫だから」
 それは俺も同じだった。あまり早く動かすとすぐイッてしまいそうだ。慎重に動かす。しばらくすると、紗恵さんの身体から固さが抜けていった。
「うん……もう大丈夫みたい」
 思わぬハプニングだったが、なんだかそれも紗恵さんらしく、可愛いと思った。
 徐々に動きを早めたが、もう痛がることはないようだ。
「あッ……はあッ! ……ん!」
「あ……紗恵さん、すごい……!」
 ペニスがきゅうっと締めつけられる。駄目だ、もう持たないよ。
「俺、もう……」
「ん……いいよ」
 紗恵さんは、俺の首に腕を回して、引き寄せた。紗恵さんを抱きしめて、顔を栗色の髪の中に埋めるようにして果てた。
 
  跡形も残らない夜空 vol.5
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