226 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:09:50 ID:V4Zuwp+L 流れを読まずに某スレより転載。 日本人とインド人の交流話。 5人で連れ立って飲みに行ったのは、私の行きつけの、 80超えた爺さまがやってる小料理屋でした。 Hさん(インド人女性)は戒律でお酒が飲めないので、 もっぱら食べる専門でした。 インドで有名なのは「牛はダメ」という戒律ですが、 彼女の一族は肉食もダメ(地位の高い一族のせいか、基本的に肉類一切不可)らしいです。 あらかじめ店主に話を通しておいたので、サラダや揚げ出し豆腐、 枝豆のおろし和えといった菜食メニューを用意してもらったので、 彼女も大喜びでしたね。 というか、あれだけ食って よくあのスタイルが維持できるもんだ・・・ 一方、Sさん(Hさんのお兄さん)は平気で酒飲んで肉食ってたんですけど、いいのかなw もちろん、牛は食べてません。野外で育てた地鶏だけです。 S「このチキンは素晴らしい、インドのチキンに負けない!」(英国英語&初級日本語) さらに、日本酒はどの国の酒よりもスマートだとべたほめで、「ダイスキ、ダイスキ」を連発。 おかげで、店主の爺さま大喜び。 勘定も格安にしてもらえちゃいました。 しかし、インド美人とインド紳士が、畳の上に正座して、 割り箸で和食をつついている光景は、 実にシュールで印象的でした。 なんというか、メトロン星人がモロボシダンと 会話しているシーンみたいなw 227 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:11:41 ID:V4Zuwp+L 店/お客さん、インドの人かね? S/ハイ、ワタシインド人です。 私/この人はね・・・(以下、Sさんの簡単な紹介) 店/ああ、私ね、戦争の頃、インドの人と会ったことがあるんですよ。 みんな勇敢でね、独立のためにどんな厳しい訓練にも弱音を吐きませんでしたよ。 私/ええ? インドって言うと、まさか、インパール作戦で!?(ちょっとミリオタ) 店/いえ、恥ずかしながら直前に病気にかかって参加はしませんでしたが、チャンドラ・ボースという人と・・・ S/おお! ボース! 我らが誇り! あqwせrtyふじ(多分インドの言葉) 店/あqwせdrftgyふじこlp;@「((多分、カタコトのインドの言葉) S/sうぇdrftgyふじこlp(インド語?) 私/(呆然) 驚きました。 228 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:13:30 ID:V4Zuwp+L 前回の飲み会以来仲良くなった私とSさんは、 今日も今日とて例の小料理屋に繰り出します。 …というか、Sさん、仕事中に私の携帯に 「またチキンとオサケ食べに行きませんか!」って 私用電話を入れてくるのはどうかと思うのですがorz でも、今回は割り勘でなくて、 Sさんのおごりだというのでホイホイついて行ってしまった私も どうかと思いますけどね。 さて、店主にまた「インド人連れて行きますよ」って話したところ、 親父さんもノリノリ。 店主/おお、またあのインド人のひとがくるなら、歓迎しますよ 私 /すみません、毎回ご面倒かけて 店主/いえいえ、今日は見てもらいたいものもありますから 私 /なんですか? 店主/ははは、久々に若い頃に戻ったつもりで、 料理も力入れますから! 私 /えーと、お手柔らかに(汗 というわけで、待ち合わせしてSさんと合流しました。 Sさんは今日もびしっとスーツで決めています。 …暑くないのかな。 229 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:14:31 ID:V4Zuwp+L まず、店主が出してきたのは…カレーでした orzコノムシアツイノニ それも、市販のルーで作ったとろりとしたカレーじゃなくて、 チキン(地鶏)の入った本場物のスープみたいな、 あまり辛くないカレー。 もちろん、ご飯じゃなくてナンがついていました。 突き出し代わりでにカレーかよ! と突っ込みたくなる私でしたが。 S /OH! ベリーグッド!(むさぼるように食う!食う!食う! 店主/これはね、チャンドラ・ボースやインド国民軍のマハネスンって大尉にも食べてもらったんですよ(遠い目 私 /そういえば、親父さんはチャンドラ・ボースに会ったことがあるって言ってましたね? 店主/ええ。むかし、軍隊にいた頃にね(遠い目 店主曰く。店主は、北陸のほうの小さな温泉で代々料理人をしている家に生まれたそうです。 そして、出世のために士官学校に入った後、南方に送られて、そこで上官の中村大尉という人から、 前線で兵士に美味いモノを食べさせるにはどうしたらいいか (現地の食料や、自生している植物で日本人の口に合う料理を作る方法)研究するように言われていろいろ研究していたそうです。 正式な料理担当ではないそうですが。 230 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:15:35 ID:V4Zuwp+L チャンドラ・ボースと出会ったのは、 マレーへ攻め込んだ後だそうです。 出会ったのは、ボースと中村大尉から、 今後インド独立支援のために、イギリス軍に支配されている インド兵を組織する。その一環として、言葉による説得だけでなく、 彼らにインド料理を食べさせて、 自分たちを味方だと認めさせるための作戦に従事するよう命じられた時だそうです。そして、本格的な インド料理の作り方を学ぶように命じられたそうです。 店主は、日本の戦争遂行のために無辜の民を胃袋から支配するのはどうか、と抗議したそうです。 ですが、ボースからも 「支配されるのではなく、白人と戦う同志として手を取って戦うためには、同じ釜の飯を食うことが何よりも大事だ」 と説得され、ボースの見つけてきたインド人の協力者から、 部下共々インド料理や、インドの食事の際の 風習を一生懸命に学んだそうです。 マレーでイギリス軍を追い払った後、 多数のインド人を捕虜として確保し、彼らを組織するために、 インド人の指導者として信頼されていた、マハンスン大尉という人と会談する時に、その料理の腕をふるい、 大いに感銘を与えたのだそうです。 …一部には、皇軍の士官とあろうものが料理を手づかみで食うなどと、って声もあったそうですが、 「郷に入っては郷に従え」という中村大尉の一言で黙ったそうです。 231 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:16:42 ID:V4Zuwp+L その後、店主はインド人を訓練する任務に従っていたのだそうですが、訓練中の怪我がもとで病気(破傷風か?)になって本国へ送られ、 インパール作戦には従事しなかったそうです。 そして療養中に終戦を迎え、 結局南方に戻ることはなかったそうです。 戦後、ボースが飛行機事故で 死んだことを聞いた時は男泣きに泣いたとか… 店主/このカレーを作ったのは、戦後初めてですよ。 残してきた上官や戦友と、私の料理を食べながら ウマイ、ウマイってカタコトの日本語で喜んで、 にこにこして食べてくれたインドの兵隊のことを 思い出してしまって…(涙 S /アリガトウ、英雄のトモダチの話を聞けて、 ワタシは嬉しいです(涙 私 /(泣きました、マジで 店主/すみません、昔話ばかりしてしまって(涙 S /NO! ボースもきっとアナタのことを 誇りに思っているでしょう!(涙 というわけで、今回の飲み会は、 店主の意外な過去の話がメインになりました。 その後、店主の古いアルバムを見せてもらったり、 Sさんのインドの歌を聴かせてもらったり、 店主とSさんが古い軍歌を歌うのを聞いたり。 店主の持ってきたアルバムの、セピア色の写真の中でいつもむっつりしている店主が浅黒い肌のインド人や 真面目そうな兵隊さんの間で誇らしげに笑っている写真や、 厨房(といっても、掘っ立て小屋みたいな建物)で 巨大な鍋の中身をかき回している写真を見せてもらって、 また涙したりしました。 …そういえば、Sさんはどこで軍歌なんか覚えたんだろう…? 312 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:30:11 ID:V4Zuwp+L 「何で軍歌なんか知ってたんですか」って件です。 …昔々、第二次世界大戦の頃、 Mさんというインド人の若者がいました。 Mさんは、インド国民軍に参加し、 日本軍の新藤(仮)という軍人の下で訓練を受けたそうです。 新藤氏は、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、 日本兵の間で「インド人に似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」とおもしろがって呼ばれていたそうです。 また、Mさんたちからも、そのあだ名と、 名前の発音がインドの古称である「シンド」と似ているため、 「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて 呼ばれるようになったそうです。 新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも日常茶飯事だったそうです。 しかし、訓練が終わると、 日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、 時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、 日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、 愛される上官だったそうです。 313 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:31:15 ID:V4Zuwp+L そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。 その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、 作戦に参加することになったそうです。 激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、 本隊から大きく迂回してジャングルの中を進み、 イギリス軍の背後を突くように、という命令を与えられました。 しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、 ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。 気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、 同世代の若いインド兵がわずか5名。 みんな恐怖で逃げ散ったために かろうじて生き残った者ばかりだったそうです。 イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、 片腕を失った新藤氏が合流し 「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げたのだそうです。 ですが、武器も食糧も水もろくになく、 本隊がどこにいるのかもわからず、 しかも敵兵がうようよいる中では、夜中にしか移動できません。 そんな中でも、重傷の新藤氏は怯えるMさんたちを励まし、 杖代わりの小銃にすがって山中をさまよったそうです。 315 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:32:28 ID:V4Zuwp+L 数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、 いよいよもうダメだ、とMさんが覚悟した時。 最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が 近づいてくるのを発見します。 新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。 「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。 だが、諸君はなんとしても生き延びて、 インドの独立のために戦いなさい」 うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、 その上に土や落ち葉をかぶせた後、新藤氏は「ガンバレ!」 と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、 イギリス軍に向かって駆け出します。 しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、 鉄兜をはね飛ばされ、その場に倒れます。 それでも、新藤氏は跳ね起き、 小銃を構えてイギリス兵に襲いかかり、 銃剣で3人を刺し殺したそうです。 なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に 恐れをなしたイギリス兵は、武器や荷物を放り出し、 悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。 イギリス人が逃げ去って初めて、 新藤氏はその場にばったりと倒れます。 316 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:33:29 ID:V4Zuwp+L 敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、 最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたためか、 頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり果てた姿でした。 Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、 日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、 私たちは怯えて見ているだけだった。情けない。 これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、 生き延びてインドのために命がけで働こう、と誓ったそうです。 そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、 イギリス軍の残していった武器や食料をみんなで分け合い、 その場を離れます。 新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、 一行は小さな集落にたどり着き、 その住民に助けてもらってようやく日本軍 (当初属していた本隊ではない部隊)と合流できたのだそうです。 318 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:34:30 ID:V4Zuwp+L 形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、 おそらく遺族の元に戻ったことでしょう。 そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、 折りたたんだ写真… 新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真… が入っていたそうです。 小さなお子さんのためにも、 なんとしても日本に帰りたかっただろうに、 命がけで自分たちを守ってくれた新藤氏の勇気に、 Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。 そして、終戦。 最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は 「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、 身分を隠して故郷に帰りなさい」 といって、わずかながらお金や食料、衣服などを 分け与えてくれたそうです。 そして、「インド独立の約束を果たせなくてすまない」 と涙を流して頭を下げたそうです。 319 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:35:32 ID:V4Zuwp+L 戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、 新藤氏の最後の言葉「ガンバレ!」を合い言葉に、 インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。 そして、Mさんは軍人として大成し、 仲間たちもお互いに力を合わせて、 政治家や実業家、学者として同様に成功を修めたそうです。 そう。Mさんは、Sさんたちの一族の人、 Sさんの大叔父さんにあたる人だったのです。 この話は、子供の頃からSさんたち兄妹が繰り返し繰り返し聞かされてきた物語なのだそうです。 Sさんが初めてこの話を聞いた時には、5人のうち、 Mさんともう1人しか生き残っていなかったそうですが、 その2人から、日本人がいなかったら、 自分たちはきっとまだイギリス人の奴隷だったこと。 そして、アジアを解放するために戦ってくれた日本人の勇敢さが自分たちを目覚めさせてくれたこと。 そして、恩人の新藤氏は、今も自分たちを守ってくれていることを教えてくれたそうです。 そして、この話と一緒に教えてもらったのが、 新藤氏が大好きで、みんなといつも歌っていた 「愛国行進曲」だったのだそうです。 321 名前:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/18(木) 20:36:34 ID:V4Zuwp+L この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。 新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。 疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、新藤氏が出てきて「敵襲!」と叫んだそうです。 そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ近くを、イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。 その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。 Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が 自分たちを守ってくれていると信じ、 夢の警告に従って、ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだそうです。 しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度もMさんたちの夢に現れ、 様々な危険を教えてくれたそうです。 …霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の近づくのに気づき、 無意識のうちに頼りにしていた新藤氏の姿を借りて警告を発した」 合理的に考えることも出来ますが、 やっぱり、これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という 説明の方がしっくりするような気がします。 出典:日本びいきの外人を見るとなんか和むPart25 リンク:朝日新聞が絶対に隠したい事実 |
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